わたしがまもるの①

 ずっとおうちにいなかったおとうさんが帰って来た。

 おとうさんが帰ってくるって聞いてから「まだかな、まだかな」って待っていたから、おうちにいた時は嬉しかった。

 最初に見た時に、おかあさんのことをぎゅーってしていたからびっくりしたけど!

 おとうさん、おかあさんのこと大好きなんだねえ。

 わたしも大好きだとぎゅーってするから一緒!


 おかあさんはおとうさんが帰って来てからずっとニコニコしているし、あまり怒らなくなったの!

 おにいちゃんは……気にしないふりしているけど、すーっごく気にしている。

 本当はおとうさんのことが大好きなくせに!

 だっておとうさんと仲良くするわたしのこと「いいなあ」って目で見てるもん。

 ぎゅーってすればいいだけなのに本ばっかり読んでいるから、からだより先に頭が動いちゃうんだよ。

 わたしみたいにいっぱい動いていたらからだはすぐに動くのにね。


 おとうさんが帰ってきて良かったことがある。

 それは……やっとおうちでごはんを食べる時のイスがあまらなくなったー!

 なんだか欠けているような気がしていやだったの。


 四つあったイスの一つはいつもおにいちゃんがごはんを食べている間、おばあちゃんの魔法書を置く場所になっていたけれど今はおとうさんの席。

 おにいちゃんは「……置くところなくなった」とか文句を言っていたけど、ごはんの時まで持ってくるのが悪いと思うの。

 それに本当は四人でごはんを食べられるのが嬉しいのに、文句を言っておとうさんを泣かせるのはやめてほしい。

 おとうさん泣き虫だからやさしくしてあげなきゃ。


 おかあさんによしよしされているおとうさんを見たら「本当に勇者なのかなあ」と思うけど、キリッとしているときのおとうさんは凄くかっこいい。

 何もしていなくても、まわりがビリビリする感じがして「強い」って分かるの。

 あれ、凄くかっこいい……わたしもあんなになりたい~!

 めざせ、おとうさんみたいな勇者!


「おとうさん! でしにしてください!」

「でし……ああ、弟子? ……弟子!? ええ!?」

「うん! わたし、おとうさんみたいになりたいのっ! 剣をおしえて!」

「……っ!!」


 困った顔をしていたおとうさんだったけど、必死に頼むと両手で顔を覆ってしまった。

 これ、おかあさんが「放っておきなさい」って言うときのおとうさんだー。


「父さん……娘が……僕みたいになりたいって……!! 剣を教えて欲しいって……!!」


 おとうさんが一人でお話ししているから、おかあさんに言われた通りに放っておいた。

 今のうちにおかし持って来ようかな~。


「グレイス!」


 あっ、おとうさんが意外に早く復活した。

 すでに五歩くらい離れてしまっていたから慌てて戻った。


「力になってあげたいけど、まだ早いんじゃないかな? 危ないからもう少し大きくなってからの方がいいと思うんだ」


 そう言うおとうさんの目元は赤くなっていたけど真剣な顔だった。

 かっこいい時のおとうさんだ。

 大好きだけど……。


「やだ!」


 困らせたくないけれど、絶対に嫌だ。

 今すぐ教えて欲しい、今すぐ強くなりたい!


「でもね……」

「いやよ!」

「小さい頃のアリアみたいで可愛いっ……じゃなくて。やっぱり危ないし、剣以外のことなら……」

「剣がいいの! おじいちゃんの剣はわたしが貰うの!」

「えっ?」


 わたしとおにいちゃんが触ると危ないから、飾るのをやめたというおじいちゃんの剣。

 前は玄関から入ってすぐの部屋に並んでいたのよっておかあさんから聞いた。

 少しだけ片付けているのを見せて貰ったけど、何本かあった剣はどれもとても綺麗だった。

 特に剣の鍔にお城の旗にあった絵と同じ物がついている剣がかっこよくて一番すきになった。

 だからまたすぐに片付けられてしまって悲しかったなあ。

 おかあさんはわたしがあの剣にふさわしい強い子になるまで触っちゃ駄目だって言う。

 早く強くなって、暗いところに閉じ込められてしまったあの剣をわたしが出してあげるの!

 それを言うと、お父さんの目がまた赤くなった。


「剣はグレイスがっ……ありがとう。おじいちゃんは絶対に喜ぶよ!」

「じゃあおしえてくれる!?」

「それは駄目だよ」

「えー……おとうさーん……」

「だ、駄目!」


 教えてくれると思ったのになあ。

 結局その時はおとうさんはよい返事をしてくれなかった。


 でもその日の夜――。

 みんなでごはんを食べているときにもう一度おとうさんに教えて欲しいと頼んだら、おかあさんが味方をしてくれてあっさり教えて貰えることになったの。やったあ!

 そっか、おとうさんに「駄目」って言われたらおかあさんに頼めばいいのね。

 いいことが分かってよかった。

 おにいちゃんにも教えてあげよ。




「グレイス、疲れたら歩いてもいいんだよ?」

「ううん、ずっとはしるわ!」


 今はおとうさんと朝の特訓中、並んで村の中を走っている。

 と言っても、これはおとうさんが帰ってくる前からしていること。

 前は村を囲う塀の内側を一周りしていたけれど、今日は三周走ってみせる!

 これで最後の三周目……はあ、つらいよお!


「くるしっ……」

「無理しちゃだめだからね」

「うんっ!」


 わたしの隣を走るおとうさんは全く疲れていない。

 わたしなんて口を大きく開けてお魚みたいになっているのに、おとうさんは口を閉じたままニコニコ笑っている。

 むー……くやしい。

 やっぱりおとうさんは凄いなあ。

 いっしょに走っていると、村のみんなもおとうさんを見ているのが分かる。


 やっぱり勇者ってすごいんだなあ。

 おにいちゃんは、おとうさんがあの火竜にも勝ったことがあるって言っていた。

 うそだと思うけど、おにいちゃんが「本当だ!」って怒っていたから本当なのかなあ?

 うーん、でも絶対うそだよ。

 だっておとうさん、お空飛べないもん。


 でも、竜には勝てなくても世界で一番強い人っていうのはまちがいなのよね?

 どんなにからだが大きくてこわそうな人でも、おとうさんには敵わないのよね!

 ……わたしもおとうさんに負けないくらい強くなる。

 おじいちゃんの剣を貰って……剣で大好きな人を守るんだ!


 おかあさんとおにいちゃんは、おとうさんに任せるの。

 だって、誰にも……おかあさんにも言っていないけど……わたしの一番守りたい人は別にいるから!


「ほら、グレイス! 家が見えて来たよ。あとちょっとだ!」

「うん!」


 家の前から出発したから、家に着いたら終了。

 あと少し……この角を曲がったら!

 気合を入れて最後の力を振り絞った。


「っはー! おわりー!!」

「……よし、到着! グレイス、おつかれさま」

「はあっ……やったあ! はしりきったわ! ……っておにいちゃんっ! せまい!」


 全力疾走で家の前に着くと、木陰で本を読んでいるおにいちゃんは凄いものに背中を預けていた。

 最近よくおにいちゃんの近くで見るようになった真っ赤で大きなかたまり。


 ――グルルルッ


「『せわしく動きまわらなくても、行きたいところがあるなら私が運んでやるぞ』だって」


 本から目を離したおにいちゃんが、火竜を見てからわたしを見た。


「ありがとう?」


 わたしには「ぐるる」って聞こえただけだったけど、おにいちゃんは火竜の話していることが分かるらしい。

 いいなあ。

 それにしても……。


「おにいちゃん、もっとひろいところでよんだら?」


 家の前が火竜の大きな身体でぎゅうぎゅうになっている。

 火竜はからだを丸めてなるべく場所を取らないようにしてくれているけど……そもそもここにいることが間違いだと思うの。


「移動するのが面倒……うん? 静かなところに連れていってくれるのか?」


 どうやら火竜が、動きたくなさそうなおにいちゃんに素敵な提案をしたみたい。

 おにいちゃんは本をぱたんとたたみむと立ち上がった。


「お父さん。おれ、火竜と行ってきていい?」

「ああ。あまり遠くには行くなよ? 頼んだよ、火竜」


 火竜はおとうさんが話し終えると、器用に大きな羽でお兄ちゃんをすくい上げて背中に乗せた。

 もう慣れた感じがしている。

 いつもこうやって乗せて貰っているんだなあ、いいなあおにいちゃん。


「あ! かぜがすごいんじゃ!?」


 こんな狭いところから火竜が飛び立つと家が壊れちゃう! と思って慌てたけど、火竜はちゃんと気をつけてくれたようで羽を動かさないままスーッと空に上がり、雲と同じくらいの高さになってから羽ばたきはじめた。


「魔法で上がって行ったね。あんなことも出来たのか。火竜はすっかりエミールに懐いてしまったなあ……」


 おとうさんは少し寂しそうに笑いながら空を見上げていた。

 太陽の光を浴びて赤い宝石のように輝く火竜の姿は、移動をはじめるとあっという間に小さくなり、山の向こうへ消えて行った。

 おとうさんは火竜のことをおともだちだって言っていたっけ。

 仲良くしていたおともだちが他の子ともっと仲良くなって、あまり遊んでくれなくなったらさみしいよね。


「おにいちゃんがかえってきたら、おとうさんもいれてあげてってたのんであげるね」

「グレイスは優しいね。ありがとう」


 おとうさんにしゃがんで貰い、いいこいいこと頭を撫でてあげると笑ってくれた。

 キリッとしているおとうさんはかっこいいけど、笑うおとうさんは綺麗だなあ。


「ルークッ! 帰ってる!? 来てー!」


 おうちの中からおかあさんの大きな声が飛んできた。

 おとうさんに何か手伝って欲しいのかな?


「はーい! アリアが呼んでいるからおとうさんは行くね?」

「うん! わたし、遊びに行ってくる!」

「ははっ、走った後なのに元気だなあ。気をつけて行っておいで」

「はーい」


 お父さんが家の中に入るのを見てから、背伸びをして身体を伸ばした。

 うん、もうからだの調子はばっちり!

 苦しかった息も元に戻っているし、おうちにいてもおにいちゃんがいないからつまらない。

 そうなったらわたしの頭の中に浮かぶのはひとつ。

 大好きな人に会いに行くの!

 わたしは思い当たる場所を目指して走り出した。

 待っててねー!!




 村の中を駆けていると、村の男の子達が木の棒で打ち合いをしているのが見えた。

 わあ、楽しそう!

 足を止めずに眺めていると、打ち合いなのに相手の木の棒を取り上げているセルジュをみつけた。

 あれは負けたのを木の棒のせいにしているなー?

 本当に棒がボロで弱かったから負けたのだとしても、ああいうことをしたらかっこわるいわよねえ。

 セルジュ、弱いのにおにいちゃんに偉そうであんまり好きじゃないし。


「あ! グ、グレイス! よう!」


 もう通り過ぎようと思っていたのに、セルジュに気づかれちゃった。

 んー……でもそのまま行っちゃおう!


「またねー!」

「え!? 待てよ、一緒に……!」

「ばいばーい」


 ごめんね、セルジュに構っていられないの!

 だって……もうすぐ大好きな人に会える!


 目的地の牛舎まであと少し!


「あ!」


 道の先に目を向けると、牛舎の方から歩いてくる人影を見つけた。

 目に入ってきた大好きな赤色に嬉しくて思わず飛び跳ねてしまった。


「ロイおにいちゃ~ん!!」


 ロイお兄ちゃんの赤い髪は綺麗だ。

 お母さんとおにいちゃんも一緒の赤い髪でずるい!

 おとうさんと同じ髪も綺麗で良かったけど、わたしも赤が良かったなあ。

 おかあさんに「それをお父さんの前で言っちゃ駄目よ! 泣くから面倒臭いわ!」って言われているから、おとうさんには内緒だけど。


「わああああいロイおにいちゃんだあっ!!」

「うわっ!? こらグレイス! 突進して来るなって昨日も言っただろ!」

「えへへっ」


 全力で走って行って抱きつくと、昨日と同じように叱られてしまった。

 怒られるって分かっているんだけど……でも、我慢出来ないんだもん!

 わたしは誰よりもロイおにいちゃんのことが大好きなのだー!


 わたしがロイお兄ちゃんを大好きになったのはきっかけがあった。

 あれは……一年前くらい前のことかな。




 おにいちゃんよりも走り回っていたわたしは、村を囲う塀に穴が空いているのを見つけて、そこから外側に出てしまった。

 木の棒で剣の練習をするわたしに村のみんなは「グレイスはお父さんに似て強いのね」「女勇者の誕生ね」と言ってくれていた。

 だから魔物退治はまだ無理でも、狩りくらい出来ると思っていた。

 わたしより弱いセルジュが大人達の狩りについて行って「たくさん獲物を仕留めた」と言っていたし、狩りなんてものは簡単なのよ! と本気で思っていた。


 だからおかあさんの大好きな兎を狩って帰ろうと、わたしはハイデの森の中を一人で突き進んだ。


「いたー! わたし、すごい!」


 兎はすぐに発見!

 こちらにおしりを向けてむしゃむしゃと草を食べている姿を見ると、木の棒という頼りない武器でも簡単に仕留めることが出来ると嬉しくなったけど……。


「え……」


 木の棒を振り上げ、狙いを兎の小さな身体に定めた瞬間、突然わたしはこわくなった。

 兎が襲いかかってくるんじゃないかとか、そういう「こわい」じゃない。

 木の棒を振り下ろすことがこわかった。

 兎は可愛いけれどわたしは何回も食べているし、可哀想だけどおいしいし、『獲物』になるのは仕方ない……って村の人が言っていた。


『だから命を奪うことは悪いことじゃない。食べるためなんだからいいのよ』


 そう言って微笑む、いつもやさしい村のおばさんの姿が頭の中に浮かんだ。


「いいこと……いいことなのよね?」


 ぽつりと呟くと兎の耳がピクリと動き、パッと振り向くとこちらを見た。


「!」


 兎の真っ黒な瞳と視線がぶつかった瞬間、わたしの身体は動かなくなった。

 兎は今、何を考えているのかな……わたしがこわい?


 ごめんね。

 でも、仕方ないから。

 おかあさんが喜ぶから、これは『いいこと』なの。

 だからわたしはあなたを狩るの。

 木の棒を握る手にぎゅっと力を込めた。


 再び仕留めようと、狙いを兎に定めたけれど……。


「……できないよお」


 結局わたしは兎を逃がしてしまった。

 兎はわたしから目をそらすと一目散に逃げていった。


 簡単だと思っていた狩りが出来なかったこと、兎を狩るのが怖かったことがショックだった。

 セルジュに出来ることがどうしてわたしには出来ないの?

 そんなことを考えているといつの間にか涙が出ていた。

 くやしいのか悲しいのか、それとも怖いのかよく分からないけど涙がぽろぽろ零れた。


 おかあさんに会いたくなって家に帰ることにした。

 兎肉のおみやげは手に入れることが出来なかったけど早く会いたい。

 おにいちゃんにもこの話をして、わたしはどうして狩りが出来なかったのか教えて貰いたかった。

 物知りでわたしのことなんてなんでもお見通しのおにいちゃんならきっと分かるはずだもの。


「? え……ここ、どこ……」


 ぼーっとしながら歩いたわたしは村への戻り方が分からなくなった。

 ああ……また「こわい」だ。


 おうちに帰れなくなったらどうしよう。

 魔物が出てきたらどうしよう!

 その恐怖が込み上げて来たのと同時に……バサッという羽音が聞こえた。


「なに!?」


 顔をあげると、周囲の木の枝に十匹くらいカラスが止まっていた。

 わたしを取り囲むように、少しずつ間隔をあけてとまっているのが気持ちわるい。

 そういえば……カラスとよく似ている魔物がいるって聞いたような?

 目の前にいるカラスたちは「カア」って鳴かないし……魔物?


 いや、カラスでもカラスに似た魔物でも、わたしならどちらも倒せるはずだ!

 そう意気込んだけど……。


「むり、かも……」


 今のわたしはおかしい。

 どちらにも手を出せない……倒せない……そんな気がする。


 わたし、全然強くなかったんだ!


「うー……こわいよお。おかあさん……」


 カラスの視線がわたしに集まっているのが分かる。

 狙われている……!

 このカラスは、さっき木の棒を振り上げたわたしと一緒だ。

 バサリと一羽がとまっていた木から離れた。


「!」


 カラスの行く先にいるのは間違いなくわたし。

 わたしを食べる気!?

 悲鳴をあげることも出来ないわたしを狙い、他のカラス達も動き始めた。

 続々と木を離れ、こちらに向かってくるのが見えた。


 そんなに速い動きじゃない。

 叩き落とそうとすれば出来ると思う。

 なのにからだが全然動かない。

 こわい!

 どうすることも出来ず、ぎゅっと目を閉じたその時――。


「グレイス!」


 誰かがわたしの名前を呼んだ。

 そちらの方を向くよりも前に抱きしめられて、誰かのからだで前が見えなくなった。

 でもとても近くでバサバサとカラスの羽ばたきが聞こえる。


「うわあ、痛えなあ! クソカラスもどき! グレイス、それ貸せ!」

「え? ロイおにいちゃん?」


 聞き慣れた声の人はわたしの手にあった木の棒を奪うと、あっという間にカラスを追い払ってしまった。


「なにやってんだよ、お前は」


 抱きしめてくれていた身体が離れて、それと同時に怒っているような声が降ってきた。

 カラスはいなくなったけど、怒られるのもこわいよお。

 びくびくしながら顔をあげると、怖い顔をしたロイおにいちゃんが手でからだについた羽を払っていた。


「あ」


 怒っているロイお兄ちゃんの顔に血がついていた。

 ち、血だ……どうしよう!


「うん? あ、ちょっと切ったんだな。まあ、突かれた時にくちばしか爪が掠ったんだろ」


 血を見て固まったわたしを見て、ロイおにいちゃんはケガに気がついたようだ。

 顔を触って手についた血を見て「大したことはない」と笑っている。

 よく見たら他にも小さな傷がたくさんあるし、服に穴が空いているところがある。

 ロイおにいちゃんはたぶん村からいなくなっていたわたしを探しに来てくれたのんだと思う。

 わたしのせいで……ロイおにいちゃんに怪我をさせてしまった。


「ロイおにいちゃん……ごめん、なさっ……」


 止まっていた涙がまた流れてきた。

 おかあさんにごめんなさいをするときは泣いちゃだめだって、ちゃんと謝らなきゃだめだって言われているけど涙は止まらなかった。


「とりあえず帰るぞ」


 そう呟くと、ロイおにいちゃんはわたしの頭に手をぽんと乗せた。

 何も言えず足も止まったままでいると、ロイおにいちゃんはわたしをだっこして歩き始めた。

 からだが大きくなってきて、最近はだっこなんて誰にもして貰っていなかったから嬉しいけど、歩くのが大変じゃないかな?

 自分で歩いた方がいいのは分かっているけど……歩けって言われるまでこのままでいよう。

 思っていた以上にこわかったようで、知らないうちにからだがぶるぶる震えていた。

 でも、ロイおにいちゃんにくっついていると安心する。

 ……安心するとまた兎を狩れなかった情けなさも思い出してしまった。


「ロイおにいちゃん……わたし、つよくなかった。いっぱいこわいことがあって……なにもしない兎がとてもこわかったの」


 はじめて体験した「こわい」だった。

 あんな「こわい」があるなんて知らなかった。


「おお! とうとうそこまで来たか! やっぱりグレイスは早いなあ!」

「え?」

「いやあ、おれも通ったな、その道。おれはもっと遅かったけどな。さすがだなあ」

「……?」


 てっきり呆れられるか、グレイスってそんなに弱かったのかってがっかりされると思ったのに、ロイおにいちゃんは嬉しそうに声を張り上げた。

 どうして……?


「兎、狩ることが出来るのに狩れなかったんだろ?」

「……うん」

「それはお前が良い子に育っているってことだ。よかったよかった」

「?」


 出来なかったら良い子なの?

 がっかりじゃないの?

 どういうことかよく分からなくてロイおにいちゃんを見た。

 わたしが見ていることが分かったようで、ロイおにいちゃんはちらりとわたしを見てくれたけど、すこし笑っただけで何も言ってくれなかった。


「ルークだったらこんなことで怪我なんてしないんだろうなあ。おれはまだまだだな」

「え?」

「お前の親父は凄いよ。世界中の人を守っているんだから。誰にでも出来ることじゃない」


 ロイおにいちゃんはわたしのおとうさんだという勇者様に憧れているんだって。

 ロイおにいちゃんの口からは、よく『ルーク』という名前が出てくる。


 子供の頃のロイおにいちゃんは、知らない間に守られていたらしい。

 村の近くの魔物を倒してくれていたり、外に出るときはこっそり見守ってくれていたりしたそうだ。


「ルークにはなれないけど……でも、おれにも出来ることはある。なあ、グレイス」


 呼ばれて顔をあげると、ロイおにいちゃんは真剣な表情でわたしを見ていた。

 怒られるのかなと思ったけど……違った。


「ルークがおれにしてくれたみたいに、おれがお前を守ってやる。だから、お前のお母さんは怒るかもしれないけど、お前はお前の好きにしたらいい。ルークみたいにこっそり助けるなんて芸当は出来ないから、どこかに行ったり何かしたいときはおれに言え。一緒について行ってやるから」

「……いいの?」


 おかあさんもおじいちゃんもおばあちゃんも、危ないから村の外に出ちゃだめ、勝手なことしちゃだめって言うのに……。


 ロイおにいちゃんはつよくなかったわたしにがっかりせず、すきにしていいと言ってくれた。

 こどもだから、おんなのこだからだめって言わなかった。

 どうしよう……うれしい!


 それに守るって言ってくれてすごくうれしい!

 うれしすぎて胸がドキドキしている。


「怖いままでいたくないだろう?」

「!」


 ロイおにいちゃんに言われてハッとした。

 そうだ、わたしはこのまま、『狩りはこわかった』でおわりたくない。

 強くなりたい。

 また外に出たい!


「うん!」


 大きな声で返事をすると、ロイおにいちゃんも大きな声で笑った。


「ははっ! お前は絶対強くなるよ。お父さんみたいに人を守れる強い奴になれる」


 人を守れるようになれるなら、ロイおにいちゃんを守りたい。

 もうロイおにいちゃんに怪我をさせたくない。

 ううん、絶対にさせない!

 この時にわたしは決めた。


 ロイおにいちゃんがわたしを守ってくれるなら、わたしがロイおにいちゃんを守る!


 わたしはそれから、ロイおにいちゃんをあちらこちらに引っ張り回すようになった。

 怒られることもあるけど、やめろと言わずに一緒にいてくれるロイおにいちゃんが大好き!




「おはよう、グレイスちゃん」


 牛舎から歩いて来たロイおにいちゃんの隣に人がいることは分かっていた。

 それが誰かということも。


「む。……レナさん、おはようございます」


 最近とても気に入らないことがある。

 それはこのレナさんが、ロイおにいちゃんと一緒にいることが多いということ!

 なんで!

 思わずじとーっとレナさんを見てしまう。


「グレイス、どうした?」

「なんでもないよ」


 ロイお兄ちゃんは口を尖らせているわたしを不思議そうに見ているけど、レナさんは苦笑いだ。

 わたしが思っていることを分かっているのだと思う。

 だったら来ないでよー!

 べーって舌を出したいけど、ロイおにいちゃんに見つかったら叱られるからがまんだ。

 その代わりに、ロイおにいちゃんの腕にギュッとしがみついた。


「ロイおにいちゃん、どこかにいくの?」


 ロイおにいちゃんを見ると、村の中では必要のない剣を持っていた。


「え? あ、ちょっと湖の方に……」

「あそこ、まものがでるからあぶないって……」

「危ないのは湖の中だけだから。水辺に近づかなかったら大丈夫だ」

「じゃあ、わたしもいく!」

「え! あー……今日はちょっと……。また今度連れて行ってやるからな」

「どうしてきょうはだめなの?」


 ロイおにいちゃんはちらちらとレナさんの方を見ている。

 レナさんも村から出るようなしっかりとしたローブを着ているから湖に行くにちがいない。

 どうしてわたしだけのけ者なの?

 ロイお兄ちゃんの腕にしがみついたままレナさんを見ると、また困った様に笑われた。

 むっとしそうになったけど、次の言葉を聞いて飛び跳ねた。


「いいじゃない。グレイスちゃんも一緒に行きましょう」

「やったー!」

「ええ!?」


 なんだ、レナさん、わるい人じゃないかも!

 ロイおにいちゃんはなぜか不満そうだけど私達は三人で湖に出掛けることになった。

 わあい、おでかけだ!

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