第7話

 あー……嫌だなあ……全く気が向かないなあ。

 なんで僕がこんなことをしなければいけないんだろう。

 トラヴィスと聖女が宿屋に戻って話し合えばいいじゃないか。


「……」


 今更止めると言えないことは分かっているので口には出さないが、心の中では愚痴が止まらない。

 移動中、トラヴィスが転んでまた歯が抜けてしまうように念を飛ばしてみたが駄目だった。

 はあー……。


 トラヴィスを誘導し、開けた場所に移った。

 レッドヴェルスを焼いて騒いだ場所よりは広いが、まだ村の中だしすぐ近くに民家がある。

 でも、拳で語るくらいなら大丈夫だろう。


 村の人達は僕とトラヴィスから少し離れた所で見守っている。

 あの場にいた殆どの人がついて来たようだ。

 皆暇なんだな……。


 トラヴィスは拳を解し、首を大きく左右に振って骨の音を鳴らすと不適に笑った。


「行くぞ!」

「どうぞ」


 返事をするとトラヴィスが拳を振り上げて突っ込んできた。


「はあっ!」

「! これは……!」


 トラヴィスに動きに僕は目を見張った。

 何ということだ……僕はトラヴィスの実力を見誤っていたようだ。

 自然と身体が震える。


 トラヴィスは――――思った以上に弱い!


 踏み出した一歩で分かるこの感じ……嘘だ……。

 無駄に大きく振りかぶられた拳をかわしながら顔を顰めた。

 恐らく剣士として『並』だ。

 あれ? 浄化前の聖剣と戦っていた時はもっと戦えていたように思えたのだが……。

 もしかしてきのこ君が優秀なのか?


「ふん、怖じ気づいたか!」


 こちらはかわすことだけを続けているとトラヴィスは一旦距離を取り、肩を解すように回した。

 ……確かに僕は怖じ気づくくらいとても驚いています。

 もちろん村の人よりは強いが、恐らく都会ならこれくらいの剣士は大勢いるんじゃないかなあ。

 とりあえず避けているが、こんな拳なら正面からパッと掴めてしまう。

 視線で次の動作がバレバレだし、そもそも動きが遅い。


『……ほら、声だけは立派だろう?』


 トラヴィスの腰から悲哀に満ちた声が聞こえる。

 ああ、聖剣か。

 まだトラヴィスの腰にぶら下がっていたんだな。


『はあ……情けない。こんな奴の腰にぶら下がっておるとは涙が出る。涙で錆びたら呪うぞ、勇者よ』


 聖剣って涙が出るの?

 錆びるの?

 多分錆びないよね?


 ……というか、聖剣の言う通り声だけ勇ましいトラヴィスを避け続けているわけだが、どう決着をつけたらいいのだろう。

 ここで勝ったら本当に勇者だと言われてしまうかもしれない。

 そんなことになったらアリアに叱られる。

 でも、格好悪いところは見せたくないなあ。


 ちらりとこちらの様子を見守っているアリアを見た。

 とても静かに僕を見ている。

 ……どうしよう。


 どうすればアリアが一番喜ぶ?


 間違えないように、落ち着いて思考を巡らす――。


「……」


『ルークは勇者なんかしてる暇ないの!』


 ……うん、そうだった。

 アリアは望んでいなかったし、僕だって離れたくない。

 スゥと息を吐き、見出した答えに沿う行動をするために意識を集中させた。


 トラヴィスの攻撃をかわし切ることはせず、軸をずらしたところでわざと当たった。

 村の人達からは『ああっ』と心配するような声があがった。

 大丈夫、全然痛くないです!

 トラヴィスの方は嬉しそうにニヤリと口角を上げていた。


「ふっ、バテたか? とうとう避けられなくなったようだな!」

「えっとー……」


 バテてきているのはトラヴィスのような気がする。

 大丈夫か?

 息が上がっているし額から流れる汗が凄い。

 一々動きが大きいし、無駄にウロウロするからだよ。


 一度当たっただけでは全くダメージにならなかったので、避けきれずに当たったというフリを仕方なく続ける。


 この作業、辛い……体力ではなく、僕の心が削られていく……。


「はは! どうした! 逃げているばかりか?」


 トラヴィスは疲れている様子だが上機嫌だ。


「こらルーク! 逃げてばかりではつまらん! 村人の根性を見せてやらんかー!」

「しゃきっとせんかい! 一発ぶちかましてやれ!」


 いや、下手に反撃すると本当に一発で倒してしまいそうだから……。

 村の人達に煽られるが僕だって必死なのだ。


「ルーク! 情けないぞ-!」


 アリアの横でロイが拳を振り上げて怒っている。

 家族のようなロイに格好良いところを見せられないのは辛いが、こればかりは耐えるしかない。

 アリアは今も表情を変えず、じっと僕を目で追っていた。


「余所見をしている暇はない!」


 攻撃が当たり始めたことにトラヴィスは気を良くしたようで、声は一層調子付いてきたが……おいおい、動きが更に荒くなっているぞ?

 さっきから度々踏み込んで来るように隙を与えているのに、全く気がついてくれない。

 辛い。


 出来れば自然な感じで適度に怪我をしたい。

 演技をするのは恥ずかしいから、ちゃんと痛みを感じながら負けたいのだが怪我になるほどのダメージが入らない。

 腹のど真ん中に一撃を貰ってみたが全然効かない。

 むしろトラヴィスの拳が心配だ。

 赤くなっていて痛そうだった。

 この調子だといつまで経っても終わらない……!


 仕方ない……するか……恥ずかしい演技。


「はああああっ!!」


 ちょうどトラヴィスが渾身の一撃のつもりなのか、やたら声を張り上げて拳を向けてきた。

 よし、あれに当たろう。

 僕はこれから羞恥に襲われるはずだが、目的のためには必要なことなのだと腹を括った。

 トラヴィスの拳が、僕のお腹にねじ込まれた。


「……うっ! 負け……た……」


 僕は痛くもない腹を押さえて地面にぱたりと倒れた。


『勇者よ、何を遊んでおるのだ』


 ……聖剣、今は黙っていてくれ。


 ……。

 ああああやっぱり恥ずかしい……!

 このまま消えてしまいたいです……!

 現実から逃げるため、僕はソッと目を閉じた。

 これで視界からの情報は入らない。

 だが、場がシーンと鎮まったことが、僕の心に追い打ちをかけてくる。

 この静寂が僕の臭い演技を見抜いてのものではないと信じたい。


「ふん。これが勇者か?」


 周りの人の反応を知りたくないので顔は上げない。

 もういっそ気絶しているフリをして朝まで熟睡していいかな?


「そんな……本気を出してくださいよ!」


 パタパタと足音が近寄ってくると思ったら聖女だった。

 容赦なく僕の身体を揺すってくる。

 寝られないじゃないか!


 仕方なく身体を起こし、頭を押さえて痛がっているフリをしながら謝った。

 あ、間違えた。

 殴られたのは腹だった。


「恥をかかせて申し訳ないですけど、僕が勇者だなんて貴方の勘違いですよ」


 誤魔化すように笑うと、聖女は眉間の皺を深くした。


「ルーク、だっせえ!」

「はは、面目ない」


 ロイが僕に向かってそう吐き捨てると、走って家に帰っていった。

 大分がっかりさせてしまったようだ。

 家族のように過ごしている僕がこんなことになって、ロイにも恥をかかせてしまった。

 あとで謝ろう。


「まあ、勇者様が相手じゃ仕方がないのう」

「そうじゃな」


 村の人達もどこか気まずそうに去って行った。

 騒がしい聖剣を連れてトラヴィスも去り、悔しそうな顔をした聖女も何か言いたげではあったが去って行った。


「……はあ」


 なんだか虚しく。

 座ったまま取り残されると、頭にポンと暖かいものが乗った。


「よしよし」


 アリアだった。

 僕の頭を優しく撫でてくれている。

 ……良かった、僕は間違えなかったみたいだ。

 アリアは撫でている手を止めるとしゃがんで膝を抱え、僕の顔を覗き込んだ。


「頑張ったね」

「……うん」


 ……アリアも本当は僕が勇者だと分かっているのかもしれない。


 なんとなくそんな気がする表情だった。


「私、向こうの片付けをしてくるね」

「僕も手伝うよ」

「いいよ、ルークは休んでいて」


 僕が立ち上がるより早く、アリアは後片付けに向かった。

 休むほど疲れていないんだけどな。

 心には一生消えない傷を負ったが……。


 ちょっとゆっくりしよう。

 ボーッと星でも眺めていようかなと思っていると、アリアではない足音が近づいて来た。


「ルーク殿」


 声がした方を見上げると、そこにいたのは黒髪の騎士だった。

 聖女様の姿はない。

 一人のようだ。


 ……嫌な予感しかしないな。


「どうして手を抜いた?」


 嫌な予感は一瞬で当たっていたと分かった。

 地面に座り込んだ僕の前に立った騎士の表情は固い。

 覚えている限り、彼は今まで丁寧な言葉遣いと口調だったはずなのだが、それもなくなっている。


「手を抜くだなんて……そんなことはしていません。僕のことを買いかぶり過ぎですよ」

「あんな下手な芝居では誤魔化されない。聖女殿の言う通り君が勇者だろう。……わざと負けるということは、勇者になりたくないのか?」


 やっぱりバレていたか。

 下手な芝居という単語が耳に入った瞬間、顔がカーッと熱くなった。

 本当に恥ずかしい……傷がどんどん深くなる。

 腕の立つ人から見たら茶番だっただろうな、とは思う。

 バレバレな嘘をつき続けるのは失礼だし、無理があるかな。

 でも、「確かに僕は勇者だけどなりたくないからわざと負けました」とは言えない。


「……僕は勇者になる気はありません」


 僕が勇者だと肯定することは言わず、自分の意思だけをとりあえず口にした。

 すると騎士の顔色が瞬時に変わった。


「それがどういうことか分かっているのか!」

「!?」


 最初から怒りは感じていたが、僕の一言でそれは爆発したようだ。

 恐ろしい剣幕で怒鳴り、腰を屈めると座り込む僕の胸倉を掴んできた。


「……離してください。それに急に怒鳴られても困ります」

「これが怒らずにはいられるものか! お前が勇者にならないということは、世界を見殺しにするようなものなのだぞ!?」

「そんな……見殺しだなんて……」


 『魔王』とは魔物の繁殖や行動を活性化させる魔物の王で、倒すことが出来るのは聖剣を持った勇者だけ。

 魔王を倒せないと魔物はどんどん増え、人の世界は衰退していくわけだが、滅亡するわけではない。

 歴史の中では勇者が現れても魔王を倒せず、長い間魔物が蔓延っていた時代もあった。

 だが次代の勇者が魔王を倒し、再び人は繁栄を取り戻した。

 だから僕が駄目でも、次の勇者は現れる。


 ……僕だってちゃんと考えた。

 僕が勇者にならなかったことで失われてしまう命もあるだろう、と。

 それでも僕はアリアのそばにいると決めた。

 だから僕は勇者にはならない。


「僕がならなくても……あの勇者がいるじゃないですか」


 聖剣は真の力を発揮出来ず、魔王を倒すことは出来ないかもしれないが魔物の数は減らすことは出来る。


「聖剣になんの変化も起きないありふれた腕前のあいつのことを言っているのか? あれならまだオレの方がマシだ」

「……じゃあ、あなたがやればいいじゃないですか」

「やれるものならやっているさ!!」


 さっきよりも大きな声で怒鳴られてしまった。

 その声には悔しさが滲み出ていて……。


 こんな風に立派に騎士をしている人だから、なれるものなら自分が勇者になって世界を救いたいという気持ちがあったのかもしれない。

 それを勇者になれる僕が『やればいい』なんて軽く言ったら……怒って当然だ。

 僕が悪い。


「……すみませんでした」


 心苦しくなり、すぐに頭を下げて謝った。


 騎士がハッと息を呑んだのが分かった。

 どうやら彼の方も冷静になったようで胸倉を掴んでいた手を離してくれた。


「いや……こちらこそ失礼した。……君が勇者をしたくない理由はなんだ?」

「……」

「君は随分彼女を大事にしているようだが……彼女が理由か?」

「……」

「……くだらない」


 僕の沈黙は肯定と取ったようだ。

 お互いに謝り、和解出来たような気がしたのだがそれは一瞬だけだった。


「僕にとってはアリアが……アリアがいるこの村が世界の全部です」


 僕の大事なことを一蹴され、今度は僕の腹が立ってきた。


「ここさえよければいいということか? ……なら、君が旅立った後はこの村を手厚く守るよう手配しよう」

「どうして大切なものを人に任せて、自分は出て行かなければいけないんですか」

「……」


 ジュードにとってはくだらないことでも僕にはアリアが全部だ。

 絶対に勇者として旅立つなんてことはない。

 そういう意思を込め、騎士の目を見た。


「……。二、三日したらあのポンコツをつれて王都に帰らなければならない」

「そうですか」

「君が来てくれ」

「僕の話、聞いていました?」


 トラヴィスをポンコツと言ってしまっているあたりに反発心を抜かれ、笑ってしまいそうになったが一緒に行くことなんてないから。


「ルーク?」

「アリア!」


 愛しい声が聞こえて振り向くと、アリアが騎士と僕を心配そうな顔で見ていた。

 大丈夫、何も無いから。


「あの、もういいですよね?」

「……ああ。頼んだぞ」

「……」


 頼まれません!

 声には出さず、心の中で丁重にお断りをした。

 アリアと歩き出してからちらりと振り返ると、騎士は難しい顔をして僕達を見送っていた。


「何話してたの?」

「大したことじゃないよ」

「……そう」

「早く家に入ろ…………っ!?」


 アリアと話をしている途中だったが、突如村の近くに現れた、殺気を放つ気配に気づいて足が止まった。

 振り向くとジュードも気づいたようで目を見開いていた。


 大変だ……きっと村の塀では防げない。


 村に魔物が入ってくる。

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