第6話

「大きすぎ!」

「……そん……なっ」


 僕は膝から崩れ落ちた。

 意気揚々とレッドヴェルスを持って帰った結果がこれだ。

『わあ凄い! 偉い!』と褒めてくれると思っていたのに……現実はそう甘くはなかった。


「だって、アリアが丸呑みされるぐらいって……」

「限度があるでしょうが!」

「ごめんなさい……」

「もう!」


 頑張って獲ってきたのになあ……喜んで欲しかったな……。

 ちょっと拗ねてもいいかな……いいよね?

 どうせ顔は隠しているし、と手ぬぐいの中で口を尖らせた。


「どれどれ? あら、ほんとに大きいわね! ご馳走じゃない!」

「うおっ! ルーク、凄いじゃん! でっかー!!」


 家から出てきたシェイラさんが吃驚しながら褒めてくれた。

 珍しくロイまで!

 ありがとう、ちょっと元気と涙が出た。


「これ、どこで釣ったんだ?」

「秘密」

「ちぇー、ケチルーク!」


 ロイには魚系のものは全て釣ったと言っている。

 僕の真似をして潜ったりしたら危ないからだ。


「家の中では焼けないわね。アリア、外で焼きましょうか」

「丸焼きがいいわね! 臭み取りの草まだあったかしら」

「マジョン? あると思うけど、大きいから残っている分じゃ足りないと思うわよ?」

「じゃあ、ご近所から分けて貰ってくる!」


 アリアとシェイラさんがさっそく準備に取りかかるらしい。

 僕も手伝うとするか。

 燃やすための木やレッドヴェルスに通す大きな串木を用意するとしよう。


 村の外で木を切り、串木を作って戻るとシェイラさんが家の外で調理を始めていた。

 魚の内臓を取り、マジョンと調味料を中に入れ大雑把に縫い止める。

 それに僕が用意した串木を頭から尾まで突き刺し、乾いた木と落ち葉で起こしていた火の上に設置。

 あとは火が通るのを待つだけだ。

 簡単な工程だが、なにせ大きいので時間がかかる。


 火の通り待ちになった時には既に陽が落ちて空は暗くなっていた。

 揺れる炎が浮かび上がって見えて美しい。

 暫くすると良い匂いも広がり始めた。

 出来上がりが待ち遠しいな。

 ワクワクし始めたところで、周りがどんどん騒がしくなって来た。


「なんだか人が増えてきたね」

「ふふっ、なんだかちょっとしたお祭りみたいになっちゃったわね」


 アリアが近所からマジョンを分けて貰うときに一緒にどうかと誘ったそうで、いつのまにか三十人くらい集まっていた。

 誘っていない家族も来ているようだが、そんなことは気にしない。

 大きな獲物が取れた時にはいつものことで、ご馳走が足りても足りなくても『集まり』を楽しむのだ。

 今日は肉や野菜、他にも色んなものを持ち寄ってくれたみたいだから腹が満たされないということはないだろう。


「ルーク、凄い獲物じゃないか! どうやって獲ったんだ?」

「湖に行ったら弱っていたところを見つけて。運が良かったよ」

「そいつはツイてるな! ルークの運に乾杯!」

「乾杯!!」


 おじさん達は既にお酒を飲み始めている。

 まだ酔っ払っていないはずなのに既に馬鹿騒ぎをしている。

 僕も同じような歳になったらここに入っているのかなあ。


「出来たわよ!」


 シェイラさんの声が響くと、『わー!』という歓声が上がった。

 皆それぞれ持参の器に入れようと群がっている。


「ルーク! ありがとな!」

「ごちそうさん!」


 あちこちでお礼を言ってくれているのが聞こえる。

 アリアには満足して貰えなかったけど、これだけ感謝されたから良かった。

 獲ってきた甲斐があったな。


「ルーク、美味しいよ。ほら、あーん」

「!」


 村の人に譲ろうと自分は適当に肉なんかを口に入れていたら、アリアがフォークに刺したレッドヴェルスの身を差し出してきた。

 そのまま食べさせてくれるらしい。

 ……やっぱり獲って良かったっ!!

 じーんとしながら手ぬぐいをずらして口を開けると、すぐに口の中に皮の香ばしさと白身の旨みが広がった。


「美味しい?」

「美味しいっ!」

「ふふっ」


 人の輪の中心から離れたところに座るのに丁度いい木箱を見つけたので、アリアと二人で腰掛けた。

 近くに人はいないし喧噪から離れ過ぎず、近過ぎずいい位置だ。


 もうレッドヴェルスの身はない。

 あっという間に骨だけになっていた。

 残った骨すらもお酒に入れたり、出汁に使うという奥様方が持ち帰って無くなりつつある。


 火は消さずに灯りとして残されている。

 ゆらゆらと揺れる火を見ていると落ち着く。


「アリア、飲みすぎたら駄目だよ」


 機嫌が良さそうなアリアの手には、お酒の入った木のコップが握られている。

 少なくてももう五回はおかわりを貰いに行っている。

 ほぼ家の前だし、僕がいるからなにも心配はいらないけど……吐くのだけは……。


「ふふっ、楽しいんだもん。今日はルークも飲めば?」

「僕はいいよ」


 僕は飲んでも全く酔わない。

 腹が膨れるだけだからいらないのだ。

 でも、アリアの飲む分を減らすために飲もうかな。


「こんばんは」

「……」


 僕達の目の前に、炎を遮るようにして立った人物は二人――昼間も遭遇した聖女と騎士だった。

 聖女の方が一歩前に出ていて笑顔だ。

 騎士は少し後ろでジーっと僕を見ている。

 何故来た……今、幸せな時間だったのに……!


「来たわね、バランスおかしい乳牛聖女」

「アリア!」


 酔って目が据わり始めたアリアがドスの効いた声で呟いた。

 幸い聖女の耳には届かなかったようで特に反応は無い。

 騎士の方は眉毛が動いたから聞こえたのかもしれない。

 アリア、一応偉い人達だから面倒を起こす発言は控えて……!

 言葉にすると『ああ!?』とキレるだろうから心の中で祈った。


 それともっと祈っておかなければいけないことがある。

 ――聖女様、余計なことは言わないでください。特に素顔を見せてしまったこととか……。


「手ぬぐい、外さないんですね」

「……」


 終わった。

 第一声でもう駄目だと諦めた。

 星でも見ておこう。


 はあ、祈りって届かないものなんだな。


「やはり勿体ないです」

「……」


 僕はもう何も話さない。

 僕のことは置物だと思ってください。


「……おい。おいおいおいおいおい」

「……っ」


 さっきの呟きよりも更にドスの効いた声が僕にぶつかってくる。

 置物の僕だけど、滝のような冷や汗が流れ始めた。

 今のアリアは酔っているし、今回は結構やばいかもしれない。


「お い」

「はいっ」

「手ぬぐい、取ったの?」


 胸倉を掴むのはやめてください。

 そしてお酒くさいです!

 アリアにお酒を渡したおじさんは誰だよ、もう!


「その……湖に入ったから」

「つけて入れ」

「えっと……それはちょっと危ないっていうか」

「気合いでなんとかしろ! 素顔を晒すな!」

「……はい」


 結構な無茶を言っているけど、酔いが醒めたら忘れていそうだな。

 だから今は大人しく返事をしておくのが一番――。


「ちょっとあなた!!」

「!」


 良い返事でやり過ごそうと思っていたところに聖女が口を出してきた。

 やめてくれ!

 頼むからまだ大人しくしているこの可愛い猛獣を刺激しないでくれ!


「あなたがルーク様に素顔を隠させているのですね!」

「だからなによ」

「どういうおつもりなのかは存じませんが、ご自由にさせてあげてください。なんの権利があって無理を強いているのですか!」

「はあ!? ルークは私のものなの! 好き勝手言っていいの!」

「なんですって!? そんな横暴な!」


 女性の怒鳴り合う声は良く通る。

 近くにいる村人達の視線がかなり集まり始めた。

 ……なんだかまずい。


 でも僕は……密かに少し喜んでいる。

 アリアが僕のことを『私のもの』と言ってくれた。

 ……って暢気に喜んでいる場合じゃなかった。

 両手を握りしめて興奮している様子の聖女様に向けて口を開いた。


「聖女様。僕は好きでやっていて無理強いはされていない。だから心配いらない。それよりアリアを煽らないでくれ。酔っているから興奮すると身体に悪い。……アリア、帰ろうか?」


 帰ってからのお叱りは怖いが、このまま酔っていて聖女様に何を言うか分からないアリアを人目に晒しておくのは危険だ。


「行くよ?」と顔を覗くと、アリアは嬉しそうに抱きついてきた。

 滅多にない甘えてくる様子にドキッとしたけど……これは『運べ』ということかな?


「ふふっ」


 ご機嫌通りに横抱きにして持ち上げると、アリアは楽しそうに僕の首にしっかりと手を回し、肩に顎を置いてきた。

 僕にはアリアの表情は見えないが、どうやら今は聖女を見ているようだ。


「ほら、ルークは私のものでしょう? だから口出ししないで! 腹出し破廉恥聖女。お前の方がよっぽどルークの害よっ」

「アリア!」


 随分ご機嫌だと思ったら、聖女を煽って反撃するつもりだったのか。

 聖女を害扱いするなんて、不敬罪になったりしないだろうか?

 聖女はまだ黙っているが……大丈夫か?


「ルーク様……わたくしがあなたを悪女から解放して差し上げます!!」


 大丈夫じゃなかった……!

 聖女の声が怒り一色に染まっている。

 アリアのことを悪女なんて言っているし……解放するってどういうことだ?

 嫌な予感しかしない。

 ちょっと騎士様、黙って見ていないで止めてください!

 僕はアリアを連れて帰るから!


「それに真の勇者はルーク様、貴方です!」


 は?


 え?


 ええええええー……。


 今はその話、全く関係ないのでは!?

 僕の身体は凍り付いた。

 僕の腕の中にはアリアがいる。

 それに言い争う声を聞いて、野次馬のように近寄ってきた村の人達もちらほらといる。

 そんな状況で僕が勇者だということを話してしまうなんて……!

 聖女様は「言ってやったぞ!」と言わんばかりの得意げな表情をしているし、騎士も無言で頷いているけれど……あなた達はおかしいです!

 怖い、アリアの顔を見ることが出来ない……!


 腕の中から「降ろして」と言う小さな声が聞こえたので、何も言わず大人しく従った。

 地面に立たせ、そっと離れた。


 さあ、どうしよう……どうなるだろうと胃がキリキリと痛むのを感じていると、火の方から威嚇してくるような気配が近寄ってきた。


「聖女様、聞き捨てならないな。俺は聖剣を手にしているのだぞ?」


 聞き慣れないけれど聞き覚えのある声だと思ったら……歯抜け勇、じゃなくてトラヴィスだった。

 いつの間にいたんだ?

 もしかして知らないうちに宴会に混じってレッドヴェルスも食べていたのか?

 抜けた歯に詰まっていないか? 大丈夫か?

 つい余計な心配をしてしまう。

 口元に手を当てる気障な仕草をしていて腹が立つが、歯抜けを隠すための小細工だと思うと許したくなる。


 トラヴィスの登場で話の中心がそちらに動いたことに僕は安堵したが、聖女は思いきり顔を顰めた。


「前も伺いましたが、トラヴィス殿はどうやって聖剣の場所が分かったのですか? 聖剣が眠る場所は移り変わるもので信託と共に告げられます。一部の関係者しか知り得ないはずです」


 へえ……聖剣って眠っていて、場所は分からないものなのか。

 じゃあ、トラヴィス達がまだ聖剣が黒い棒だった時に戦っていたのは偶然だったのか?

 でも、聖女のこの様子だと聖剣を自分の意思で取りに行き、持ってきたと話したのだろう。


「それは……俺は勇者だから、聖剣に呼ばれたのだ」

『聖職者につてのある親から聞いたと言っていたぞ。我が眠る場所も、信託があったことも』


 この声は……聖剣、いたのか。

 トラヴィスの腰にぶら下がっている鞘の中に収まっているらしい。

 まだ直ってはいないみたいだが、勇者として聖剣を肌身離さず持っているのだろう。


「本来は……まずわたくしが眠りの解けた聖剣の元へ赴き、浄化するはずでした。そして信託の地に現れた勇者様にわたくしから託すはずだったのです。ですが貴方はわたくしよりも前に聖剣の眠っていた場所に赴き、浄化されていない聖剣を持って現れました。信託の解釈の違いがあったのかもしれないと他の聖職者は納得しましたが……わたくしは納得していません」

『浄化前だろうが聖剣を手にして信託の地に現れれば勇者になれる、そんなことも言っておったの』


 それでトラヴィス達は無茶をして浄化前の聖剣に挑み、負けかかっていたのか。


「それにトラヴィス殿には纏うものがありません」

「……は?」


 聖女の聖剣についての語りを聞いて無言になっていたトラヴィスだが、今の言葉には声を漏らした。

 眉間に皺を寄せ、首を傾げている。


 『纏うもの』というのは僕が胡散臭いと思ったアレのことか?


「わたくしの目には人が持つ力の波動がうつるのです。トラヴィス殿は平均的なものですが……ルーク様の波動は全く違います。キラキラと輝いていて……本当に美しい……。わたくしにはルーク様が他から浮かび上がって見えています」


 やっぱりそうだった。

 そして目を輝かせ、うっとりとしながらこちらを見るのはやめてください。


「そんなこと……本当に見えているか分からないものを声高に言われてもな。俺の方こそ納得出来ない」

「それは聖女の力を否定し、愚弄するということですか?」

「ト、トラヴィス様!」

「そ、そういうことではない」


 きのこ君もいたのか。

 トラヴィスが聖女を馬鹿にしたような台詞を吐いた途端に後ろから出てきた。

 きのこ君の焦った顔を見てトラヴィスもまずいと悟ったのか、ごにょごにょと呟いて濁した。


「ええい、口で言っても埒が明かない。どちらが強いか勝負だ!」


 そういうトラヴィスの視線は僕に向けられている。


 ……………ん?


 僕は周りを見渡した。

 でも皆が見ているのは僕だった。


 もしかしなくても……。


「僕に言っています?」

「当たり前だ! レッドヴェルスを獲ってきたということは、そこそこの強さはあるのだろう?」

「ええー……」


 聖女とやり合うのは不味いと悟ったのかは分からないが、矛先を僕に変えないで欲しい。

 付き合っていられな……。


「望むところです」

「え!?」


 どうやって回避しようかと思っていたら聖女が勝手に答えた。

 いやいや、ちょっと待ってよ……!

 何故あなたに決定権があるのだ。


「勝手に決めないでください!」


 慌てて聖女に抗議をしたが……。


「おお! ルークやってやれ!」

「お前はハイデ村の若頭だからな! 勇者なんぞやっちまえ!」


 野次馬をしていた村のおじさん達が声を上げた。


「ええ!? 若頭になんかになった覚えはないけど……」


「逃げたら男が廃るぞ!」

「根性見せろよ~!」


 この酔っ払い共め……!

 断ろうとしているのに、煽るような声が段々増えていく。

 なんだか戦わずに帰るわけにはいかない空気になってきた。

 えー……でも、えー……嫌だな。


「決まったな? 行くぞ!」

「え? ちょっと!」


 まだはっきりと答えていないのにトラヴィスは聖剣ではない高そうな剣を抜き、飛びかかってきた。


 僕の側にはアリアがいるのに何を考えているんだ、こいつは!

 慌てて刀身に蹴りを入れ、手から落とした。


「なっ! なんだ、今のは……」

「危ないじゃないですか! アリアに当たったらどうするんだ!」

「そ、それは……すまない」


 ちょっとは考えてくれよ、きのこ君も吃驚した顔していないでしっかり止めて欲しい。

 素直に謝ってくれたから許すけど。

 まあ、僕が側にいてアリアに当たることなんて絶対ないけどね。


「あの、周りに人がいるし、ここは村の中だから。やるなら素手でやりませんか? 剣を使うのは危ないと思います」


 仕方が無いので妥協案を提案した。


「ふむ……素手などという野蛮な戦闘は好かんのだが……仕方ない」


 え、素手って野蛮なの?

 僕、『とにかく殴る』は愛用しているのですが……。

 都会だと笑われるのだろうか。

 ちょっとショックだ……って、戦闘に野蛮もなにもないよね?

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