第4話
陽がまだ登り始めてもいない暗い朝。
夜行性の鳥の鳴き声を聞きながら、いつもの起床時間に目が覚めた。
「はあ、なんだか胃が痛い」
気分はいつもより少し悪い。
昨日食べた肉が消化しきれていないのか、気持ちの問題なのは分からない。
恐らく後者だ。
まあ、この程度の憂鬱は動き始めたらなんてことはない。
家を出て歩き出すと、ひんやりとした風が僕の頬を撫でていく。
少し寒いが、すっきりするし気持ちがいい。
足取りも軽くなり、気分が回復していくのを感じながら村の共同牛舎に向かった。
牛舎を開けると、嗅ぎ慣れた臭いが流れでてきた。
モウモウと牛達が朝の挨拶をしてくれているかのように鳴く。
「おはよう」
ここには村で飼っている牛が集められているが、世話は持ち主が各々している。
僕はいつも一番乗りでここに来ている。
今も誰もいない。
「ハナコ、今日も元気か?」
「モー」
僕は牛を持っていないが、アリアの家の牛の世話を任されている。
名前はハナコ。
何故かこの辺りは雌の牛にハナコとつける風習がある。
雄の場合はタロウだ。
この牛舎の中にもハナコとタロウは沢山いる。
区別するには誰々のハナコと持ち主の名前とセットで呼んでいる。
名前の意味があるのかな? と思うことはあったけれど、『そういうものだ』と深く考えないようにしている。
「さて、さっさとやりますか」
掃除をし、餌をやり、乳を搾る。
これが結構時間がかかる。
牛の世話は好きだから苦じゃないけど。
牛舎から出ると、外は少し明るくなっていた。
村の朝は早い。
これくらいの時間になると、あちこちから活動音が聞こえ始める。
「おはよう、ルーク」
「おはようございます」
馴染みの顔に挨拶をしながらアリアの家を目指す。
牛の世話が終わるとアリアの家で朝食だ。
「おはよう、アリア」
「おはよ」
アリアは家の隣にある小さな畑で野菜を取っていた。
今日の朝食はサラダ付きかな?
搾ってきたミルクを見せると、今日も賢いと頭を撫でてくれた。
「アリア。これ、可愛いね」
「ん」
今日は一纏めにした髪に白い大きなリボンをつけていた。
付けている白いエプロンとお揃いのようで可愛い。
王都のメイドさんのようだ。
僕の専属メイドになってくれないだろうか。
いや、メイドよりお嫁さんだな。
「ねえ、ルーク。私、今日は魚食べたい」
「じゃあ獲ってくるよ」
「うむ」
「ルーク様」
「ん? あ……」
アリアが獲った野菜を運ぼうとしていると呼び止められた。
誰だと思ったら聖女だった。
今日も綺麗なお腹が出ていて、聖女らしくない聖女様だ。
……というか、あまりアリアがいるところでは声を掛けて欲しくない。
このまま通り過ぎて行ってください!
そんな僕の願いは届かなかったようで……聖女は僕の目の前で立ち止まった。
「おはようございます」
「おはよう……ございます……」
目を合わせて言われてので無視は出来ず……。
「……」
痛い、アリアの視線と放つ空気がピリピリしていて痛い!
「昨夜は失礼いたしました」
「! あ、いえ……!」
わああああ駄目!!
夜に家に来た話は絶対にしないでください!!
「……昨夜?」
冷えた空気を察知し『ひっ』と短い声が出そうになった。
聖女様やめて、これ以上口を開かないで!!
「アリア! な、なんでもないよ!」
「はあ? なんでもないって何? はあ? 何でもなかったら『昨夜は失礼』なんて言わないでしょうが。違うか?」
「ち、違いません……」
口調で既に危険領域に入っていることが分かる。
聖女よ、本当にお願いします、どこかに行ってください!!
チラチラと視線を送って合図しているのだが全く届かない。
ああ、前髪で視線が遮られているのか?
こんなところで支障が出るなんて……!
「あの、こちらは……?」
聖女が訝しむようにアリアを見た。
「か」
「彼女です」
質問に答えようとしたらアリアが先に答えた。
半ギレ状態で。
はあ……これが死刑執行を待つ死刑囚の気分というものか……。
「……そうでしたか。失礼しました。昨夜は少しお話しを伺っただけです」
「話? 何を」
「別に他愛のない話だよ!」
……聖女様、何故話を続けるのだ。
『そうですか、ではさようなら』でいいじゃないか!
昨日は聖女の護衛としてやって来ていた騎士はいないのか?
聖女を連れて行ってくれないかと探したが、今日は姿がなかった。
クソー!
「他愛のない話をしにわざわざ家に来るの?」
「本当です。彼のことを知りたかっただけですので」
「……知りたい? なんで??」
「興味がありますので」
「……興味が? ……ある??」
ちょっと待って……なんだか様子がおかしい……話がおかしな方向に……誤解をされる話になっていないか?
いや、聖女は多分勇者関連のことを調べていると思うから、正しい意味で把握されても困るのだが……!
「おや? 聖女殿!」
「!」
「……これはこれは。トラヴィス殿。朝早くからどうされました?」
救世主か……!
朝日をバックに現れたのは、昨日助けた貴族騎士ときのこ君だった。
推定勇者の貴族騎士はトラヴィスという名前らしい。
トラヴィスは中々整った顔立ちで、少しあどけなさもある甘いマスクをしていた。
背は僕より少し高く、歳も少し上っぽい……二十歳くらいの印象だ。
きのこ君も二十歳前後の印象で、アリアとほぼ同じ身長のオドオドとしたきのこだった。
よし、話が逸れた。
非常に助かる!
「……」
「?」
「!」
視線を感じると思ったら、きのこ君が僕を見ていた。
もしかして……僕を覚えているのだろうか。
「聖剣を折ったのはこいつです!」なんて言われたら……。
『勇者!!!!』
「!?」
突如耳が痛くなるような大きな声が聞こえた。
いや、でも耳じゃなく頭に響いた?
「ルーク? どうしたの?」
「え?」
これだけ大きな声だと誰もが反応すると思うのだが……誰も反応していない。
あれ?
『貴様!!!!』
「!!!?」
や、やっぱり聞こえる!
声は大人の女性のもので、怒声ではあるがどこか艶っぽい。
スタイルが良さそうな色気のある美女を思い浮かべるが……どこだ?
周りの人達には聞こえていないようだから、変な人だと思われないようにこっそりと周囲を見回したが……それらしき姿を見つけることが出来ない。
「この村の近くに魔物の全くいない聖なる湖があると聞いた。そこに行けばこの聖剣を戻すヒントがあるかもしれないと思ってな」
聖女の問いに答えながらトラヴィスが前に出したのは……刀身が真っ二つに折れた白銀に輝く剣だった。
「聖女様、これは……?」
「……聖剣です」
そういえば昨日「浄化する」と言っていたが、結果がこれ?
あの僕が折ってしまった棒がこれになった?
ただの棒だったのに、今は細かな彫刻が施された柄や見事な刀身が輝いている。
……真っ二つに折れて分離しているけど。
聖女によると、聖剣は眠っている間に邪悪な魔力を取り込んでしまうらしい。
勇者の信託が下ると同時に聖剣の眠りは解けるが、すぐには聖剣としては使えない。
聖女が浄化することで本来の聖剣になるそうだ。
僕は浄化前の聖剣を魔物っぽいと勘違いし、折ってしまったのか……。
『お前!! 我を! 聖剣を折るとはどういうことだ!』
「!?」
音を追うと声の出所が分かった。
喋った……聖剣が喋った!!
……というか、聖剣って女性なのか?
『まあいい。さっさと我を手に取れ。勇者が力を込めればすぐに戻る』
……へ、へえ。
もしかして……もしかしなくても……僕、勇者確定?
………………本当に?
「……」
ど、どうしよう!!?
凄く混乱しているが、それを態度に出したら誰かに気づかれてしまうかもしれない。
聖剣から目を逸らし、晴れた綺麗な空を見て心を落ち着かせた。
空を飛んでいる鳥さん。
僕、やっぱり勇者らしいですよ……。
「君は村の人だね?」
そんなことを思っている間に、トラヴィスがアリアに声を掛けていた。
……おい、何勝手にアリアに近づいているんだ。
「そうですけど」
「聖なる湖を知っているか?」
「ええ。まあ……」
「なら案内してくれないか」
「私がですか?」
「ああ。よろしく頼むよ」
こいつ、アリアに気があるな!?
よし、今すぐ村を追い出そう。
勇者として王都に行ってください!
『おい、何をしている。さっさと自分が勇者だと名乗り出て、我を手にとらんか!』
「断る」
「ん? なんだお前は。今、断ると言ったか?」
「え? 違……あ、はい。言いました」
聖剣に向かって『断る』と言ったのだが、トラヴィスが反応した。
でもこっちも『断る』だった。
「村の人なら誰でも知っているんで。アリア以外を当たってください」
『お前、今我に向かって断ると言ったな? 意思を感じたぞ? 勇者が我を拒否するなどどういうことだ!』
聖剣、うるさいなあ。
二重で話をされているようで聞き取りにくい。
『我はこいつに使われるのは嫌だ! みすぼらしい格好をしているお前より身なりは良いが……勇ましいのは声だけ。我が恥ずかしくなるわ。こんな奴に握られて我、恥ずかしい。辱め酷い。久しぶりに目覚めた聖剣への仕打ちが酷い』
聖剣が愚痴り出した。
本当にうるさい、黙っていてくれないかな。
「なんなら僕が案内しましょうか?」
「俺は彼女に言っている」
「アリアは僕の恋人なので男の人には貸し出せません」
「……。俺は勇者だぞ」
『お前じゃないぞ、阿呆』
聖剣! 混じらないでってば!
えーっと、なんだっけ……あ、「俺は勇者だぞ」だっけ。
「それが?」
『それにこいつ、浄化前の我と一戦交えたときに前歯が抜けてな……。顔の造形はいいが、非常に間抜けな面をしておる。我は美意識が高い。歯抜け勇者の聖剣などと言われては困るのだ!』
え……? 歯?
この場の緊張感に合わない単語が聞こえて、ついそちらに意識がいってしまった。
「歯抜け……?」
「!」
「あ……ぶっ!」
トラヴィスの顔を覗き込むと、確かに聖剣の言った通りに上の前歯が抜けていた。
通りでさっきから俯きがちに喋っていたのか。
年上のお姉様が好きそうな甘いマスクをしているのに、歯抜けではモテそうにない。
トラヴィスは慌てて口を押さえたが、時既に遅し。
「ホントに歯抜けだー! あはははっ!」
アリアも見てしまったようで指差して笑っている。
こら、人を指差してはいけません……でも今は許す!
聖女は笑ってはいけないと我慢しているようだが、肩が震えているぞ。
「くっ! もういい!」
「あははは!」
アリアがトドメを指すような笑い声を響かすと、トラヴィスときのこ君は去っていった。
『ああ……勇者あぁぁぁ…………』
聖剣を共につれて。
本当にいつか歯抜け勇者の聖剣と言われる日が来るかもと思うと、ちょっと可哀想になった。
「では、わたくしも一旦失礼します。ふふ、やっぱり貴方の方が綺麗……」
聖女はそんな言葉を残して行った。
何故そんな呪いのような言葉を吐いて去って行くのだ!
「は? 綺麗?」
アリアの低い声に心臓がドキリと鳴った。
僕はその場で、直利不動のまま祈りを捧げた。
――どうかアリアがキレていても程々で済みますように!
「……ルーク」
「はい!」
「あんた、顔見せたの?」
「いえ! 見せていません!」
「じゃあなんであんなこと言ってたの?」
「なんか……この辺りが綺麗らしいです」
昨日聖女がやっていた動きの真似をしてみたのだが、アリアは顔を顰めた。
そうだよね、僕もよく分からないんだ。
「とりあえず来い!」
「はい!」
やっぱりお叱りの時間は始まってしまうようだ。
そろそろ朝ご飯の時間なのに……。
食べ損ねてしまうのかなあ。
野菜をアリアの家に置くと、朝食も取らないまま僕の家に強制連行された。
「座れ」
中に入り、扉を閉めたと同時に指令が下る。
「……はい」
大人しく言われた通りに椅子に座った。
目の前にアリアが立ち、鋭い目つきで僕を見下ろしている。
僕は揃えた膝の上に手を置き、アリアから顔を逸らした。
「あいつは何なの?」
「さ、さあ……?」
とりあえず、その腕組みが怖いのでやめて頂いていいでしょうか……。
「夜、何しにきたの」
「分からない。話を聞かれただけで」
「話って何?」
「名前、とか」
「さっき呼ばれていたということは……答えたのね?」
「……はい」
「……」
アリアの言葉が止まった。
この沈黙が怖い……。
「勝手に個人情報を漏らさない!」
「!」
一際大きな声で注意が入った。
名前も駄目ですか……!
僕も関わりたくなかったからあまり言いたくはなかったけど、名前くらいはいいんじゃないかな?
「ルークの個人情報は私のものなの! 勝手なことをするな!」
「で、でも……向こうが名乗ってくれたから、黙っていたら失礼かなって……」
「知るか! 『でも』は禁止! どうしても言わなければならないときは事前申請をしなさい!」
「! 承知しました!」
反論を許さない迫力に負け、すぐに頭を縦に振った。
これから初めましての挨拶をするときはアリアに確認がいるのか……。
でも多分本当に事前申請をすると、「一々聞かなくてもいい!」と怒られてしまう気がする。
アリアが怒りそうな場合だけ聞くのが正解だと思う。
……ちゃんと覚えておこう。
「うむ、分かればよい」
アリアはそう呟くと、組んでいた腕をスッと降ろした。
良かった……!
怒りは納まったようだ。
荒神は去ったらしい。
一安心だが……アリアが怒ったことは嬉しくもある。
「……何ニヤニヤしてるの?」
「アリアは妬いてくれているのかなって」
女の子と仲良くして怒るなんて、それ以外に理由はないと思う。
そう思うと顔が緩んでしまう。
「……馬鹿じゃないの」
アリアは呆れたように冷たい視線を寄越してきたが、髪に隠れた耳が赤くなっているのが見えて……更にニヤニヤしてしまった。
「へへっ」
「なによ」
「僕はアリアが好きだよ」
「……当然よ」
うん、そうやって自信たっぷりでいてくれるアリアが大好きだ。
ちょっと怖いところだって、本当に嫌ならとっくに逃げている。
「いたっ!?」
椅子に座る僕の膝の上に、アリアがドカッと乗ってきた。
「痛い?」
「全然痛くないです」
嬉しいけど座るときは前もって教えて欲しいな。
咄嗟に出た言葉が『重い』じゃなくてよかった……。
「久しぶりに見た。ルークのああいう顔」
首だけ動かして振り向いたアリアは嬉しそうだった。
「なんの話?」
「さっき勇者とやらに案内しろって言われたときに断ってくれたでしょ?」
「うん」
「あれはいいよ。いい。良く出来ました」
「ありがとうございます?」
よく分からないけどよかった。
腕に力を入れてギュッとしようとしたら肘で突かれ……ぐっ、調子にのって申し訳ありませんでした。
「今日は魚をいっぱい獲ってくるね」
「小さいのは駄目よ。私を丸呑み出来そうなくらい大~きいの!」
「分かった」
昨日は少ないとがっかりされたから、今日こそは喜んで貰おう。
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