私の旦那は勇者様①

「あーあ、行っちゃった……」


 ルークを乗せた馬車が、とうとう視界から消えてしまった。

 力が抜け、その場に崩れ落ちた。


 いつかこんな日が来るだろうとは思っていた。

 私の大切な幼馴染みは、こんな田舎にいるのは罪になるんじゃないかというほど輝いていた。

 今まで必死にその輝きを周りから隠し、強引に繋ぎ止めていた。

 でも、時が流れるに連れて増していく輝きを隠し切ることは出来なかった。


 村に勇者が現れるという話を聞いた瞬間、絶対ルークだと思った。

 私が抱いていた恐れが現実になることを悟った。


 ――もうきっと、ルークを一人占めすることは出来ない。


 あの時感じたことが現実となった今、私はどうなってしまうのだろう。

 今までずっと隣にいたルークがいない日々をちゃんと生きていけるのだろうか。


 いや、こんな弱気じゃ駄目。

 私はルークの帰る場所なんだから。

 ルークが帰ってきたときにみっともない私を見せたくない。

 ……そうよ。私、勇者の妻なんだもの!


 立ち上がり、スカートについた土を払うと、ルークを乗せた馬車が消えた方へと視線を向けた。

 そこにルークの姿は見えないけれど、さっきよりも優しい光景が広がっているように感じた。


「私も頑張るから。さっさと帰って来なさいよ!」


 神様、私からルークを取り上げたんだから、しっかり護ってよ。

 ちゃんと返してくれないと許さないんだから!


 どうかルークが大きな怪我もせず、一日も早く帰って来ますように――。






「アリア! ったく、もう……ルークが出てって三日でこれかい!」

「お母さん……大きな声出さないでよ……」


 ルークが旅立って三日目の朝。

 あ、朝じゃない、もう昼だわ……。


 聞いてよルーク。

 私…………思った以上に駄目だったわ!!


 ルークを見送った直後は、私は世界に一人の勇者の妻なんだと自分を鼓舞して張り切った。

 実家には戻らず、ルークと私の家に一人で住み続けることを決め、家事は全部完璧にこなせるようになろうと頑張った。

 家の中は綺麗に掃除したし、料理もお母さんに習った。


 ――なんだ、ルークがいなくても案外平気。


 そう思い、安心したのだが……夜になると駄目だった。


 寂しかった。

 ルークのいない家は、一人で眠るベッドは寂し過ぎた。

 ルークの気配を感じたくていつもの部屋で横になったけれど失敗だったかもしれない。

 余計にルークがいないと感じてしまう。

 たまらなくなって部屋を変えた。


 静かなこの環境が悪いんだ、起きて忙しなく動いていれば寂しさなんて感じないはず。

 だから早く寝てしまおうと思っても中々眠ることは出来なかった。

 眠れないと余計なことばかり考えてしまう。


 私は待っているけれど、ルークは本当に帰って来てくれるのだろうか。

 無事に魔王を倒すことが出来たとしても、帰って来なかったらどうしよう。

 あれだけ格好良くて、強くて、『勇者』なんて肩書きのあるルークを女が放っておくはずはない。

 乳女は私達の結婚式に協力してくれたから、ほんの少しだけ信用することにしたけど、女は乳女一人じゃない。

 乳女よりももっと綺麗で狡猾な女なんて腐るほどいるほどいるはず。

 お人好しなルークなんてコロッと騙されてしまうかもしれない。

 騙されなくても、ルークが他の女を好きになってしまうこともあるかもしれない。

 今までルークの近くには私しかいなかった。

 私しか知らないルークが、私よりももっと可愛くて優しい女の子と出会ってしまったら、その子を見てしまうかもしれない。

 ……だめだ。

 帰って来ない方に傾く要素が多すぎる。


 ルークを信じている。

 信じているけれど……。


 私は自分に自信がない。

 ルークは私には勿体ない。

 分かっているけれど離れられなくて、手放せなくて、誰にも渡したくなくて。

 そばにいて縛っていたのが離れた今、不安で仕方ない。


 結局ルークが旅立った日の夜、私は眠ることが出来なかった。


 翌日のルークがいない生活二日目は散々だった。

 寝不足も原因だが、何をやっても失敗。

 料理ではざっくりと手を切ってしまって痛かった。

 両親に「寝ろ!」と叱られ、また日が沈みきらない内から床に就いた。

 身体が疲れていたのか眠れたのは良かったが、夜中に目が覚めてしまった。

 そこからはまた苦しい時間だ。

 前の日と同じように寂しさと不安に襲われた私は……お酒に逃げた。


「記憶を飛ばそう!」


 名案だ、と空きっ腹にお酒を流し込み続けた。


 そして気がつけば三日目の朝……じゃなくて昼だ。

 作戦は成功と言えば成功だけれど、気分は最低。


「全く、先が思いやられるねえ」


 お母さんの声が頭に響く。

 ロイのうるさい声も聞こえた気がしたけど、こめかみを揉んでいる間に家の中には誰もいなくなっていた。

 今は静かなのが有り難かった。


 うー……吐きそう。

 家でのんだら、ルークが止めてくれるのになあ。


「吐いたら誰が処理するのよ……帰ってきてよお」


 うえっと込み上げてくる吐き気を抑えながら泣いた。






 完全に二日酔いだけれど、ジッとしていると気が滅入る。

 自棄酒の後始末をしてから外に出た。

 そういえば牛のハナコの世話をしていない。

 ルークには「任せなさい! 牛の世話くらいなんてことないわ!」なんて偉そうに言って引き継いだのに……私、何やってるんだろ。

 とにかく、ハナコの様子を見に行こう。


 ルークがいなくなった村の中は静かだった。

 勇者を迎えに来ていた使者団がいなくなったからかもしれない。

 王都から手紙が届く前ののんびりとした村に戻っていた。


 見慣れた畑、見慣れた家、見慣れた道。

 ひょっこりとルークが現れそうな気配があるのに、それは絶対に起こりえないと分かっていることが辛い。

 狭い村の中には思い出がありすぎる。


 道ばたに置かれている樽にだって、ルークが腰掛けて座っている姿が残っている。

 そのルークは、まだ手ぬぐいをつけていて綺麗な顔を隠している。

 村長の家で貰ったクッキーを渡したら、ルークは手ぬぐいを下げて食べようとした。

 「顔が見えるでしょ! 手ぬぐいの上から押し込め!」と私が叱ったら、「無理だから! それだと僕が食べるのは手ぬぐいだから!」ってルークは言って。

 確かにそうなるなと納得して二人で笑った。


 今目の前にある家はルークがよく遊んでいたジャックの家だし、その隣にはルークの真似をして登った私が降りられなくなってちょっとした騒動になった木。


 頭の中にはどの場所でもルークが思い浮かぶのに、目を開ければそこにはいない。

 ……ああ、また涙が込み上げてくる。


 時間を巻き戻したいよ。

 ルークの姿をこの目で見たい。

 触れたい。

 声が聞きたい。


「おう、アリアちゃん。どうした? 辛気くさい顔して」


 急に声を掛けられて吃驚した。

 いつの間にか俯いていた顔を上げると、近所のおじさんがこちらを見ていた。


「あー、ルークがいないから寂しいんだな?」

「……」


 その通りだけど、分かっているならそっとしておいて欲しい。

 っていうか、このおじさん酒臭い。

 酔ってるわね。

 ……私も二日酔いだけど。


「でも、アリアちゃんも結婚してすぐに一人になるなんて可哀想になあ。ルーク、いつ帰ってこられるか分からないんだろう? だったらさ、アリアちゃんも若いんだし、彼氏でも作ったらどうだ? ルークも勇者なんてやってりゃ、美女に囲まれて楽しく過ごすだろうしな。良かったら、うちの倅なんてどう……」

「結構です!!」


 最後まで聞いていられず駆け出した。

 何が彼氏よ。

 そんなのいらないわよ!

 ルークじゃない奴なんて、いくらいてもなんの足しにもならない。

 余計なお世話よ!


 ルークは美女に囲まれて楽しく過ごす、か。

 やっぱり皆そういう風に思うんだな。

 ルークのそばに私じゃない誰かがいても自然だということがショックだった。


 ……私、無理かもしれない。

 頑張るけど、頑張るしかないけど……ちゃんと「お帰りなさい」を言えるだろうか。

 ルークが戻って来てくれても、私はポンコツの駄目人間になっているかも。


「出たよ、のんだくれ駄目嫁!」


 前から見慣れた赤い頭が近寄ってくると思ったら、可愛くない弟だった。

 誰が駄目嫁だ! と制裁の蹴りを入れたかったけど、確かに今の私は駄目嫁だ。

 分かってはいるけど、ロイに言われると腹が立つ。

 ミンチにしてやりたい衝動を抑えつつロイを無視して擦れ違った。


「姉ちゃん、どこ行くんだよ。ハナコの世話ならおれがやったけど」

「……」


 背後から得意げな声が飛んで来た。

 振り返ってロイを見ると偉そうな薄ら笑いを浮かべていた。


「おれは姉ちゃんと違ってルークの分もしっかり……って、痛っ! 殴ったな!?」


 あらごめん、手が勝手に。


「拳を突き出したところに、たまたまあんたがいただけよ」

「はあ!? ふざけんな!」

「おいおい、姉弟喧嘩はやめたま……うぐ!?」

「あ、歯抜けニセ勇者」


 いつの間にかやってきた歯抜けが私とロイの間で蹲った。

 反撃しようとしたロイの拳と、返り討ちにしようとした私の蹴りをくらったようだ。


「もしかして、止めようとして間に入ったら両方くらっちゃったの? どんくさいわね」

「黙って入れば愛らしいのに……あいつはこれのどこがいいんだ?」

「ト、トラヴィス様、大丈夫ですか?」


 ルークが「きのこちゃん」と呼んでいた子も現れた。

 この子……油断ならないのよね。

 多分ルークは乳女よりもこういう実直そうな子を好む。

 歯抜けといつも一緒だったから気にしていなかったけど、ルークと仲よさげに話しているところを見たときは焦った。

 

「あ、あの……なにか?」


 ジーッと見ていると、きのこが怯えた様子でこちらを伺ってきた。

 そんなに怖がらなくても。

 何もしないわよ。

 ルークにちょっかいを出したら全力で叩きつぶすけど!


「ん? あなた達、村を出るの?」


 威嚇しつつ、二人の荷物が気になった。

 両手が塞がるほど大荷物というわけではないが、近場に出る感じではない。

 勇者騒動が終わったから二人も旅立つのだろうか。


「ああ。オレ達はこれから王都に向かう」

「この村ともお別れです。あの……なにかとお世話になりました」

「私はお世話なんてしてないわ」

「あの、でも、ルークさんには色々とご迷惑をお掛けしたりしたので……」


 きのこからルークの名前が出てきた瞬間、思わず顔を顰めたが……。


「ルークさんはもう旅立っていらっしゃらないので、奥様にお伝え出来たらなって……」

「そう! いいのよ、また遊びに来ると良いわ!」


 奥様って良い響き!

 なんだ。

 この子、良い子ね!


「王都か、いいわね。一度は行ってみた…………王都」


 王都。


 ルークが今いる場所、王都。


「王都っ!!!!」

「「!!?」」


 突然叫んだ私に、歯抜けときのこはビクッと肩を震わせた。

 驚かせてごめんなさい。

 でも、叫ばずにはいられなかった。

 だって、良いことを思いついたの!


 きのこの手を両手で握り、それを口にした。


「私も連れて行って! 王都に!」

「「ええ!?」」


 ルークはまずは王都に行くと言っていた。

 詳しくは聞いていないが、すぐに王都から動くことは出来ないかもしれないとも聞いた。

 ルークが村を出てまだ三日。

 今ならまだルークも王都に着いていないだろうし、王都にいる間に追いつくことが出来る。


 私が旅について行くことが出来ないのは分かっている。

 ただ、もう一度だけルークを見たい。

 会わなくてもいい。

 姿だけも一目みたいのだ。


「姉ちゃん、何言ってんだよ!!」


 あらロイ、まだいたの?

 存在を忘れていたロイに腕を引っ張られた。

 痛いわよ。


「ルークのこと追っかけるつもりか? 待ってるって言ったのは嘘だったのかよ!」

「嘘じゃないわよ! 勇者をしているルークを一目だけでも見てみたいの!」

「馬鹿言うなよ! ルークが出て行って、たった三日でグズグズになってんのに、姿を見たら余計に辛くなるって!」


 うっ……ロイのくせに真っ当なこと言っちゃって!


「そんなことないわよ! 一目見ることが出来たら、納得して帰ってくるわよ。村に戻ったら禁酒して頑張るわよ!」

「禁酒? 絶対無理だね!」

「出来るわよ! 余裕よ!」

「お、おい。喧嘩は良くないぞ。それに君を連れて行くわけには……」

「うるさい歯抜け!」

「ニセ勇者は黙ってろよ!」

「……くっ」

「トラヴィス様、お気を強く持ってください! これも修行です!」


 懲りずに下手な仲裁をしようとする歯抜け。

 そういえばロイは、偽物勇者なのに村の人達にちやほやされていた歯抜けのことを嫌っていたっけ。

 本来はルークがされるべき賞賛を横取りした泥棒だと思っているのだろう。

 歯抜けの前だとロイがいつも以上に興奮しそうで面倒臭いわね。


「きのこ、準備してくるから待ってなさい!」

「え!?」

「いなくなってたら許さないからね!」


 苛々するロイとのやり取りは切り上げ、歯抜けときのこに置いて行かれないように急いで家へと戻った。

 ふふっ、まだ胃はムカムカするけど、やる気が出てきたわ!






 私は長旅なんてしたことはない。

 どんな準備をしたらいいか分からないが、お金をかき集め、日持ちする食料を鞄に詰め込んだ。

 着替えは沢山持っていくことは出来ないわよね。

 クローゼットを開き、どれがいいかと悩んでいると玄関から音がした。

 近寄ってくる足音――これはお母さんだ。 


「アリア。王都に行くなんてやめなさい」

「嫌よ」


 部屋の扉を開けるなり飛んできた言葉に即答した。

 止められると分かっていたけど、私は絶対に行くの。


「本当に一目見るだけでいいの」


 振り向きもせず言い切ると、後ろから大きなため息が聞こえてきた。


「駄目って言っても行くんだろうね、あんたは」

「流石お母さん、分かってるじゃない」


 今度は振り向くと、呆れた顔をしたお母さんが立っていた。


 そういう表情をしていることは予想通りだけど……私が言い出したら聞かない性格なのはお母さん譲りなのよ?

 それを口にすると、「あんたほどじゃない」と言われた。

 そうかな、私はお母さんには負けると思う。


 思わず顔を見合わせて笑ったが、お母さんの顔がスッと真面目なものに変わった。


「いいかい? あんたはルークの帰る場所だ。ルークの帰る場所を無くすようなことにはならないように気をつけるんだよ」

「分かってる」

「はあ……本当に分かってるのかねえ。まあ、あんたももう少し広い世界を見ておいた方がいいのかもね。帰って来たら頑張るんだよ?」

「うん」


「お父さんは駄目って言うだろうけど、説得しておくから」と言うお母さんに、ついでにロイも黙らせておいてと頼み、家を出た。

 ごめんねルーク。

 家を守るって約束したのに、ちょっとだけ留守にしてあんたのこと追いかけるから!


 元の場所に戻ると二人の姿がなくて焦ったけど、村の門で見つけることが出来た。

 村に来ていた商人の馬車に乗せて貰えるように手配してそうで、私のことも頼んでくれたらしい。

 なんだ、歯抜けも良い奴じゃない。


「手配はしたが……いいのか? 本当について来るのか?」

「もちろん! よろしくお願いします」


 二人に頭を下げると、苦笑いを浮かべつつも迎え入れてくれた。


「じゃあ、アリアさん。行きましょう」

「ええ、行くわよ! きのこ!」

「きのこ……とうとう『君』も『ちゃん』もなくなっちゃったか」


 ルーク、待っていなさい。

 ちゃんと勇者をやれているか、私が確かめに行くんだから!

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