第12話
夜が明け、朝の景色が浮かび上がり始めた村の中に消えて行くアリアの後ろ姿を呆然と見送ってしまった。
姿が完全に見えなくなってしまったのに、アリアの鮮やかな赤い髪がまだ瞼に焼き付いている。
アリアは去り際、僕を拒否したように思えた。
それがショックで動き出せなかったが……。
「……追いかけよう」
呆けている場合じゃなかった。
今すぐ追いかけて抱きしめたい。
いつものアリアに戻してあげたい。
僕が力一杯抱きしめたら、アリアは「殺す気か!」と怒って腹に重い一発を入れてくるに違いない。
そして僕は腹を押さえて蹲りながら謝るのだ。
そんな慣れたやり取りをしたらアリアの牙も戻ってくるはず。
頭で計画を立てながらアリアを追いかけようと踏み出したのだが……それは大きな手に阻まれた。
「……。離してくれませんか」
騎士にまた腕を掴まれ、拘束された。
表情は出さないように努めているのか真顔だが、僅かに眉間に皺が寄っている。
顔を顰めたいのは僕の方なのですが?
睨みつけ、腕を動かして振り払おうとしたが解放して貰えない。
本気で僕を連れて行くつもりなんだな。
どちらかが怪我をするくらい本気で戦わないと、ここから離れられないようだ。
「ルーク様、一度ゆっくり話をさせて頂けませんか?」
睨み合う僕と騎士の間に聖女が立った。
表情は暗く、どこか申し訳なさそうな気配を漂わせているが……それに腹が立った。
今はそんなしおらしい顔をしているが、さっきはひどく冷たい表情をアリアに向けていたことを僕は忘れていない。
「話すことなんてない! アリアに何を言った!」
アリアは震えていた。
泣くのを必死に我慢していた。
一人になったら泣いているに違いない。
「ルーク様、わたくしも辛いのです。ですが……多くの命より、一人の少女の恋心を優先するわけにはいかないのです」
「……」
聖女の言うことも分からないわけではない。
命を優先することは当然だと思う。
僕だって自分が勇者をしないことで生まれる犠牲のことは、勇者にはならないと覚悟をしたあともずっと考えている。
僕が見捨てる命、僕が見捨てたせいで大切な人を失う人達。
それは僕が生きている限りは増え続ける。
本物の勇者は世界に『ただ一人』。
僕が存在している限り、次の『本物の勇者』は生まれないのだから。
でも、そんな罪を背負ってでも……僕はアリアといると決めた。
決めたのだ。
僕の『世界』はアリアなのだと。
「僕はずっとアリアの側にいます」
「……」
「……」
僕を見つめる聖女と騎士に宣言した。
「僕はアリアの側を離れません」
無言だが納得をしていない表情の二人に念を押す。
僕の決意は変わらない。
「……。ルーク様、貴方にも選ぶ権利はないのです」
「どういうことだ?」
聖女の言葉に思わず顔を顰めた。
選べない?
僕『も』?
……まさか、アリアにも同じようなことを言ったのか?
思わず殺気立った僕の腕を、騎士が両手で掴み直した。
「貴方の意思で協力頂けないのであれば、わたくし達は『方法』を考えなければいけません」
敵意を隠さなくなった僕に負けないような強い瞳を聖女は向けてくる。
完全に空気となってしまったトラヴィスやきのこ君、おじさんは僕が放つ冷たい視線に怯えているというのに、こちらを真っ直ぐに見据えるその姿は流石『聖女』だと感心するが……今の台詞には嫌悪が湧いた。
「僕に罪を着せてそのまま王都に連れて行く気か? 奴隷にでもするのか?」
「……そんなことはいたしません」
僕の侮蔑を込めた呟きを聞いて聖女と騎士は顔を暗くした。
「そんなことは」と言うが、無理矢理王都まで連れて行かれ、勇者をさせられてしまうのなら、僕は勇者ではなく奴隷だ。
もうこの人達を構ってはいられない。
これ以上アリアを一人にしたくない。
強引な手段を取ってでもこの場を離れよう……そう思った時だった。
「!」
「……え?」
「これは……!」
――キャアアアアアア!!!!
―――わああああっ!! 逃げろっ!!
朝の静かな村に、突如悲鳴が響いた。
僕と騎士、聖女は悲鳴が上がるその少し前に、異様な気配を感じ取っていた。
それはとても大きなもので、濃い闇を纏っていて――全身を針で刺してくるような殺気を放っていた。
悲鳴と同時にその殺気は更に鋭くなった。
まるで針から刃に変わったように。
血を求めるように執拗に肌を刺す殺気。
そこから伝わるのは『空腹』だった。
血を、悲鳴を、命が散るのを、恐怖と悪意を欲する餓え。
「ひっ」
それを正確に理解してしまった聖女が小さく悲鳴をあげ、自分の腕を抱いた。
騎士は僕の腕を放し、剣に手をあてた。
「あ……」
僕は頭が真っ白になっていた。
今が一番呆けてはいけない瞬間だと分かっているのに。
だって……そこは……そこには!
昨日のリッチが赤ん坊……いや、それ以下と思えるような『魔物』の気配が現れたその場所は……!
「……アリアッ!!!!」
僕は駆け出した。
やっと足が動いた。
進み始めたのはアリアが去って行った方向で――その先に、魔物とアリアの気配が……!
アリアの近くに大きな力を持った魔物がいる。
その事実に震えそうになる。
どうしてこんなに立て続けに強い魔物が?
昨日のリッチはトラヴィスに向かって「刈り取るほどの芽ではなかった」と言っていた。
まさか、勇者を狙って魔物が現れるのか?
今回も?
僕がここにいるから、アリアは危険な目に遭っている?
父さんと母さんの姿が脳裏に浮かぶ。
思い出すと暖かい気持ちになるその姿が、今はとてつもなく不吉なものに思えた。
ああ、お願いだから……どうかそっち側にアリアを連れていかないでくれ。
足は動き始めるといつも以上に動いた。
千切れてもいいから、一秒でも早くと願いながら動かした成果かもしれない。
「……!」
通常の人としてはあり得ない速度で進んだその先に見えたものに息を呑んだ。
それは大きな黒い獣だった。
一見すると犬のようだが、凶悪に盛り上がった筋肉や、光を灯さない赤黒い目の収まった醜悪な顔は魔物だということを物語っている。
村の民家より一回り大きな巨体、人間など掠っただけで身体が分断されてしまいそうな牙。
それに獣の頭上には紫の光を放つ魔方陣が回っていた。
あれは魔法攻撃を防御するものだ。
これだけでも厄介な魔物であるということが分かる。
見たことはない、名前の知らないその獣からは先ほど感じた強烈な飢えが溢れていた。
そして、その飢えを浮かべた目は足下に転がる一人の少女に向けられていた。
赤い髪を地面に広げ、動かない少女。
「……ア……リア……」
心臓が止まるかと思った。
大丈夫、アリアはまだ生きている。
はっきりと分かる。
死んではいない。
『でも……あと一瞬で死ぬかもしれない』
それが分かった。
黒い獣の目がアリアを映している。
黒い獣の牙がアリアを狙っている。
魔法は防御の魔方陣があるため、効くかどうか分からないし、武器も何も手にしていないこの状況では……間に合わない。
僕はアリアを助けられない。
それも分かった。
分かったから――。
口が勝手に動いた。
唯一アリアを救うことの出来るものの名を。
「エルメンガルトッ!!!!」
ああ、覚えていて良かったな、聖剣の名前。
そう思った時にはすでにそれの感触は手にあった。
名前を呼ぶだけで瞬時にこの手に収まる、とても便利で世界一強い剣。
あえて『何が』とは言わないが、手にしたそれが喜んでいるのが分かった。
本当は頼りたくはなかったけどね。
でも、今は力をかしてくれ。
……と言っても、お前とはすぐにお別れだ。
『!!!?』
思っていたことが口から零れていたのか、聖剣が動揺しているのが分かった。
悪いけど、説明している時間なんて無い。
『ま、まさか……』
「行け!!!!」
聖剣を思い切り振りかぶり、魔物の頭に目がけて投げた。
『なんという扱い!!!!』
聖剣が何か叫びながら空を切り、飛んで行く――。
文句を言っていたような気がするがな。
聖剣が魔物へと向かって行くその光景は綺麗だった。
白い光を放ちながら矢のように魔物の頭へと真っ直ぐ向かう。
僕はそれを追いかけるように駆け出し、アリアを目指した。
「グオアアアア!!!!」と鼓膜を破るような咆哮が村に響く。
聖剣は狙った通りに魔物の頭、額のど真ん中に刺さっているのが見えた。
聖剣の衝撃によって獣の身体が後方に倒れ、ドシンと大きな振動が周囲に広がった。
その隙に僕はアリアの元へと駆け寄る。
「アリア! ああ……」
アリアは気を失っていたが、大きな怪我はなかった。
良かった……間に合った。
地面に倒れたその身体を起こし、思わず抱きしめた。
もう大丈夫だから。
ここは危険だ。
アリアを抱き上げて離れた民家の前にあるベンチに寝かせた。
意識の無いアリアをよく見ると、大きな怪我はないが擦り傷が何カ所かあった。
恐らく転んで擦りむいたのだろう。
直接あの魔物に攻撃されたわけではないが、転んだのは魔物のせいだ。
少しだろうとアリアに怪我をさせたことは許せない。
それにこの村を害することも許さない。
「ルーク様!」
聖女と騎士が追いついてきたようだ。
その後方にトラヴィスときのこ君も見える。
アリアに回復の魔法をかけ、怪我を完全に治したところで聖女を呼んだ。
「アリアを見ていて欲しい」
アリアの心を傷つけた聖女に任せるのは嫌だが、安全を考えれば聖女に預けるのが一番だ。
「僕はあれを始末する」
魔物はまだ生きていて、聖剣が刺さっている頭部の痛みにのたうち回っていた。
巨体が転がる度に地響きが起こり、民家や木が揺れる。
非常に鬱陶しいし、アリアに怪我をさせた責任を取って貰わなければいけない。
「聖剣が急に無くなって……あ、ああ!!? 何故あんなところに! 俺がやったのか?」
息を切らしながら追いついてきたトラヴィスが、魔物の頭に刺さっている聖剣を指差している。
自分がやったのかと両手を見ているが、残念ながらトラヴィスがやったのではない。
そういうことにして貰うと助かるが。
「聖剣は借りただけだ。後で返す」
「え?」
悪いが今はトラヴィスに説明や交渉をしている時間がない。
終わってからにして貰おう。
「もう少し借りる」
トラヴィスから返事は聞かないまま魔物の元へと歩き出した。
「エルメンガルト」
もう一度名前を呼ぶと聖剣は魔物の頭から消え、僕の手に戻って来た。
わざわざ回収しなくても済むこの機能、本当に便利だな。
『初めての共闘でぶん投げられるとは思わなかったぞ、勇者よ! お前は聖剣の扱いというものを知らぬな! 女にモテぬぞ!』
「アリアがいるからモテるとかどうでもいい」
軽口を叩きながら魔物の前に立つ。
魔物は聖剣が抜けたことで痛みは治まったらしく、身体を起こしてこちらに頭を向けた。
そして僕を敵だと認識したらしい。
目が合うだけで呪われそうな暗い瞳が僕を捉えた。
エルメンガルトを構え、魔物に向けて対峙した。
魔物は様子を見ているのか動かない。
こちらの出方を伺っているようだ。
手負いの獣のくせに意外に冷静なんだな。
僕の後方にはアリア達がいる。
背後を守りつつ、村に被害が出る前に始末したい。
ここは広場のようなとこで木は多少あるが民家とは離れている。
アリアを助けることが出来た今だから言えることだが、魔物が現れたのはここでよかった。
とは言っても村の中だし、この巨体が暴れるには狭い。
早々に始末するため、迎え撃つよりこちらから打って出ることにする。
「犬を躾けるよ」
『ああ。躾は大事よのう』
一歩踏み出した瞬間に思った。
……ああ、聖剣って凄いな。
今まで出来なかったことでも出来るようになったことが感覚で分かる。
僕はただ駆け出すのではなく魔法で加速させ、放たれた矢のように飛び出した。
これは僕が魔法を使っているのではなく、聖剣に魔法を使わせているという感覚だ。
聖剣から白い光が流れ込んでいるのが分かる。
その光は視覚でも捉えることが出来るから、今僕の身体は光って見えるだろう。
聖剣を手にした僕の動きは魔物の目でも捉えられなかったようだ。
突然鼻先に現れた僕に対応出来ず、立ち止まったままの魔物の見開かれた暗い目に、輝く聖剣が映っているのが見えた。
思わずにやっと口角が上がる。
魔物の巨体を左右真っ二つに裂くように頭から足先まで、天から地へ聖剣を振り下ろした。
途端に魔物の苦しげな咆哮が村に響く。
聖剣は確実に魔物の肉を裂いた。
手にはその感触もあったのだが……。
「へえ、凄いね」
『攻撃が当たった瞬間に身を引いたようだな。あの瞬間に動けるとは大した犬だ』
唸り声を上げる魔物を見ると、身体を縦に分断したつもりだったのだが頭が割れるに留まっていた。
頭頂部が裂けているので普通の魔物ならこの状態でも死に至りそうなものなのだが、この魔物はまだちゃんと四本の足で立っている。
ダメージは最初の刺さった分と合わせて蓄積されているようだが、少しずつ回復しているようだ。
回復する時間を与えないようにしなければいけないなと思っていると、魔物の前足が動いた。
どうやら僕に突っ込んで来るつもりらしい。
背後にある民家やアリア達を守るため、避けずに受け止めると決めて聖剣を構えた。
突進してきた魔物が、目の前で大きく口を開けた。
僕を噛み殺すことにしたようだ。
不揃いに生えた鋭い大牙が刃のように光った。
これに挟まれたら確実に死ぬなあ、なんて思いながら聖剣を横にし、剥かれた牙を受け止める。
「エルメンガルト、欠けたりしないよね」
『馬鹿にするな。欠けても勇者が力を込めればすぐに戻る』
「ははっ、欠けるのか」
『欠けることなんてない』ではなく、『欠けても大丈夫』だったことに笑ってしまった。
いつもの聖剣なら「笑うな」と怒鳴りそうなものなのだが、今は気分が良いらしい。
柄を握った手から聖剣の気分も伝わってくる。
鼻歌でも歌い出しそうな程上機嫌だ。
一方、暢気に会話をしながら牙を受け止められた魔物は怒りを漂わせた。
牙を剥いたまま、左足で爪撃を仕掛けてくる。
腹を引き裂かれるわけにはいかないので、受け止めている牙を聖剣で突き押して身体を離し、魔物の開いている口の中に横一閃をお見舞いした。
その衝撃で吹っ飛んだ魔物の大きな身体が後方に飛ぶ。
地面に落ちると土を抉りながら転がったのだが……。
「うわ……今のちょっと危なかった」
爪撃は避けたが、それと同時に魔物は風の刃を放ってきていたのだ。
瞬時に聖剣の力を使い、身体の前に光の盾を作り出したが……少し遅れた。
その結果、腹に傷を負った。
浅い傷でなんてことはないが、血が出たのは久しぶりだ。
それに魔物が光の盾を打ち消す能力を持っていなくて助かった。
盾がなかったら死んでいた。
『油断するからだ』
「エルメンガルトが笑わせたからだろ」
相変わらず楽しそうな声の聖剣が馬鹿にしてくる。
確かにさっきは油断をしてしまっていたが……聖剣のせいだということにしておいた。
「あいつ、独り言でなにを……いや、聖剣と会話しているのか?」
「……やはり」
聖女とトラヴィスの声が聞こえたが、魔物がまだ頑張るようなので意識を前に戻した。
口の中に見舞った一閃が効いたようで悶えていた魔物だったが、また仕掛けてくるようだ。
中々しぶといな。
『グォォォォ』と地響きを起こしながら低く唸り始めると、頭に魔力が集まり始めた。
何をするつもりだ?
大きな魔法を使われてしまってはこんな小さな村は一瞬で跡形もなく消えてしまう。
頭を切り落とそうと駆け出した。
最初の一太刀の時とは違い、突如近くに現れた僕に魔物は対応した。
魔力を溜めている頭を僕に叩きつけようと大きく首を振り、迫ってくる。
聖剣を使い、光の盾を出現させてそれを受け止めた。
グルルルという獣特有の唸り声が目の前で響く。
わあ……獣臭いし。
「ぐっ……結構押されるな」
身体の大きな魔物の力は強い。
聖剣を持っていても耐えるのが中々辛い。
これを続けるのは分が悪そうだ。
タイミングを見て光の盾を消し、魔物が一歩前に出た瞬間にがら空きとなっていた大きな身体の側面を思い切り蹴り込んだ。
さっきよりも勢いよく、更に遠くに魔物の身体は飛んで行く。
アリア達から離れることも出来てちょうど良かった。
『もう仕留めた方がよいぞ。こいつはケルベロスだ。魔力が溜まると頭が増える。そうなれば面倒だ』
「そうなんだ? そういうのはもっと早く言って欲しかったな」
確かに頭に集まっていた魔力は転がっている今も消えていない。
「じゃあ一気に仕留めるから聖剣の力を沢山貰うよ?」
『ああ。どこぞの勇者のせいで力は有り余っている。存分に使え!』
楽しそうな声を張り上げたエルメンガルトを握る力を強くすると、刀身から光が溢れだした。
自由に出来る力の全てを引き出してやると、光は虹色に変わった。
いかにも聖剣といったその光景には苦笑いをしてしまったが、エルメンガルトは誇らしそうにしている。
聖剣は美意識が高い、だっけ?
確かに拝みたくなるような高大で美しい光だけど……派手過ぎて僕の好みではないな。
くすりと笑いを零していると、獣の鳴き声が聞こえた。
倒れていた巨体が再びのっそりと起き上がった。
一撃で仕留めるように構える。
魔物の方もこれが最後だと分かったようだ。
頭に流れていた魔力が止まり、牙へと流れ初めた。
牙に全ての力を託すのだろう。
こちらは聖剣、向こうは牙。
同時に駆け出し、二つの『刃』が交じる――。
それは一瞬の交差だった。
手にした光、エルメンガルトは鋼鉄のように硬い牙をバッサリと切り落とし、すれ違いざまに魔物の身体を地面と平行に分断した。
駆け抜けた僕の視界の端に、魔物の身体が上下に別れて行くのが見えていた。
「……くっ」
一気に力を使った疲労で少し足がもたついた。
聖剣を地面に突き刺し、足に力を入れた。
――仕留めた……はず。
背後でドサリと最後の地響きが起こった。
間違いなく魔物が倒れた音だった。
ああ、よかった……頭が増える前に倒せた。
安堵しながら、振り返えったのだが……。
「あ、あれ?」
魔物の姿は無く――。
ひらひらと蛍のような光が舞っていた。
それは暫くするとスウッと空気に消えていった。
「消えた?」
魔物は倒したら身体は残るはずだ。
なのに魔物の姿がない。
まさか、生きていて移動した!?
気配がないから逃げた!?
大混乱していると、聖剣が僕の疑問を察したようで解説してくれた。
『浄化。聖剣の能力の一つだ。魔物は世界に穢れの淀みを作る。普通に倒してしまうと穢れは残るが、我で始末した場合は残らない。淀みが減ると魔王の力も弱まる。だからこれからは我で魔物をどんどん始末していくといい!』
「……いや、これでエルメンガルトを使うのは最後だから」
僕はまだトラヴィスに返す気満々です。
ふう、と息を零し、とりあえずは魔物を倒したことにホッとした。
『……そうかな? お前、もう逃げられぬと思うぞ?』
「?」
顔のないはずのエルメンガルトがニヤリと笑ったような気がした。
「お前……ルークか?」
「え? あ!」
突然掛けられた声に振り向くと、そこにはおじいさんが立っていた。
牛舎に閉じ込めてしまったあのおじいさんだ。
昨日は結局、様子を見に行くことが出来ていなかった。
心配だったのだが……うん、元気そうだ。
「わしを助けてくれたのはお前だったが……。そうか、そうかそうか……お前は、お前こそが勇者だったんじゃな!!」
「え!?」
気づけば村の人が周囲にいた。
離れていた人達もこちらに駆け寄ってきて……どんどん包囲されてしまう。
「本当だ……勇者だ……今のデカい奴……一人で倒しちまった……」
「聖剣に選ばれた勇者だ……!」
耳に入ってくる誰かの呟きにハッとした。
思わず自分の右手を見る。
僕はまだ仄かに白い光を放っているエルメンガルトを持ったままだった。
サーッと僕の血の気が引いていく。
うわあぁぁぁぁ……僕は何をやっているんだ!っ!
こんな村の中で聖剣を使って戦ったら、勇者だと自ら名乗っているようなものだ。
バレないようにしていたのに!
アリアを傷つけられたことで、頭に血が上っていた。
あの魔物を倒すことしか考えられなくなっていた。
馬鹿だよ……僕は間違いなく馬鹿だ……。
いや、まだ諦めるな!
まだ誤魔化せるか!?
無理ですか!?
「ルーク。あんた、そんな綺麗な顔をしていたのかい! どこからどう見ても勇者じゃないか!」
「……へ? えっ!? ええええ!?」
近所のおばさんが、ぐいぐいと僕の顔を覗き込んできた。
あ、そういえば手ぬぐいも聖女に降ろされたままだった。
というか、僕って質の悪い顔じゃないのか?
「おおおお! こりゃまたど偉い男前じゃないか! そういえばお前の親父さんもこんな村には馴染まない男前だったなあ」
「ほんとにイイ男だねえ……。あんたの母親も憎らしいくらい綺麗だったのを思い出したよ」
「ええ~格好いい~! 村にこんな人がいたなんて!」
「吃驚ね! なんで隠してたの!?」
よく分からないが……褒められている?
驚いた様子ではしゃぎながら声を掛けてくる人が殆どだが、中にはキラキラした目や何やら熱い視線もあって……怖くなってきた。
勇者だということを隠しておきたい件をなんとかしたいのに、容姿のことまで騒がれてパニックだ。
聖剣を握ったままオロオロするしかない。
犬の始末が終わったから、早くアリアのところに行きたいのですが!
「こ、これは……聖剣は借りているだけで! ……あ!」
僕に群がる村の人達から少し離れたところにトラヴィスときのこ君がいた。
救いを求めるように手を振り、二人を呼んだ。
「お返しします」と聖剣を渡そうとしたのだが……。
「……受け取れるわけないだろう」
「…………えっ」
……なんで?
トラヴィスは僕に背を向けると、居心地が悪そうに去って行った。
きのこ君に渡しておけばいいかと視線を向けたのだがスッと目を反らされ……彼もトラヴィスの後を追って去って行った。
ええ!?
利害が一致していたはずでは!?
……どうしよう。
僕にとって最後の砦だったトラヴィスに見放された?
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