第10話

「遅かったか……」


 大きな物音がしているし、シェイラさんの静止する声が外まで響いている。


「アリア! ロイ!」


 扉を開けると、アリアがロイの胸倉を掴んでいた。

 わあ……二人とも完全にキレている時の顔だ。

 椅子は床に倒れて転がっているし、本や割れたコップも散乱している。

 大惨事だな……。


「ルーク! 姉ちゃんみたいな魔物とは別れて聖女様と付き合った方がいいよ!」

「……んだと!? 聖女と付き合えだ!? それに誰が魔物だ!! ロイ!! 歯食いしばれ!!」

「アリア! 駄目だって!」


 アリアの振り上げた拳を慌てて掴み、アリアをロイから引き離した。

 ロイの方はシェイラさんが羽交い締めにして止めている。


「アリア、落ち着いて……!」

「うるさいわね! 離して!」

「ほら、おっかない! 勇者のルークには姉ちゃんはふさわしくない!」

「なっ……なんですって!!!!」

「アリア!!」


 駄目だ、ここまで興奮してしまうと暫く落ち着きそうにない。

 アリアとロイを遠ざけた方がいい。


「シェイラさん!  僕はアリアを連れて行きます!」

「頼んだよ!」


 バタバタと暴れるアリアを抱きかかえると外に出た。

 通りがかったおばあさんが僕達を見て吃驚している。

 顔見知りでなければ誘拐だと勘違いされそうな光景を晒しているので、慌てて僕の家へと入った。

 扉を通る時にアリアが何処もぶつけてしまわないように抑えるのが大変だった……。

 こんなに細い腕のどこに力があるのか分からない。

 トラヴィスには勝てるんじゃないか?


 僕の家に入って尚、暴れ続けるアリアを抱きしめて動けないようにした。

 暫くの間そうしていると、漸くジタバタと動くのは治まった。

 はあ、やっと荒神様が鎮まった……。


「……アリア、落ち着いた?」


 椅子に座らせたアリアを見ると膨れっ面をしていた。

 水を飲むように渡したのだが、口もつけずに置いてしまった。

 ……今回は機嫌回復が難しそうだな。


「アリア……ロイと仲良くしなきゃだめだよ」

「無理」


 こら、即答はやめようね。

 うーん、こんな時なんて言ったらいいんだろう。

 喧嘩が出来る兄弟がいるって幸せなことだと思う。

 でも、兄弟も両親もいない僕がそれを言うとアリアが気にしてしまう。

 喧嘩出来る相手がいない奴がいるんだから我慢しろ、と言いたいわけじゃないし。

 言いたいことを上手く言えないけど……。


「僕はアリアもロイも大事だよ」


 アリアがいつも僕にやってくれているように頭を撫でた。

 するとアリアの眉間の皺が少し浅くなり、眉毛が下がり始めた。


「……仕方ないでしょ、あの馬鹿が喧嘩売ってくるのよ」

「喧嘩にならないように話し合えない? ロイはしっかりしているけど……まだまだ子供だよ?」

「無理」


 また即答だった。

 撫でている内にトゲは抜けてきたけれど、まだふくれっ面は継続中だ。

 うーん……そうだ。


「アリア、暫くこっちで暮らす?」

「……え?」


 椅子に座るアリアの前にしゃがみ、顔を覗くときょとんとしていた。


「ロイと顔を合わせたら喧嘩になるだろう? 村が落ち着くまでここにいたらどうかと思って。もちろんクレイさんとシェイラさんが許可してくれたら、だけど」


 ロイは僕が勇者だということを気にしているから、彼らが王都に向けて旅立つまではこちらにいた方が穏便に過ごせるかもしれない。


「……」


 名案だと思ったのだが、アリアは険しい顔をしていた。


「嫌?」

「『暫く』は嫌」

「すぐに帰りたい?」

「違うわよ」

「?」

「ずっとここがいい」

「え……?」


 『ずっとここ』ということは……もう帰らない?

 そう思った瞬間固まった。

 少しの間、動けなかった。

 えっ? えっ? どういうこと?

 頭の中は大混乱だが、漸く一つの答えが浮かんで…………ええええ!?


「これからこっちで僕と一緒に暮らすってこと!?」

「嫌なの?」

「ま、まさか!」


 だって、その……一緒に住むっていうのはこの辺りでは『夫婦になる』ってことだから。

 村長に許可を貰ったり準備をする期間があるから、ひとまずは『婚約者』だけど……。

 いつかそうなればいいなと思っていたし、お互いそうなってもおかしくはない年齢にはなったけどあまりにも突然で……。


「嫌じゃないけど……ただ、吃驚して……」

「なんで?」

「そんなこと言ってくれるとは思っていなかったから」


 家もボロだし、僕はまだ叱られてばかりだし頼りないだろう。

 アリアに一緒に住みたいと言っても断られると思っていたのに、アリアの方から言ってくれるなんて……。


「……私、いてもいいの?」


 アリアにしては珍しい不安げな目をしていた。

 僕に「いいの?」と聞いてくることも珍しい。

 ……いつも通りの強気で「ここにいるから!」と宣言してくれてもいいのに。

 膝の上にあるアリアの手を僕の両手で包んだ。


「当たり前だろ。アリアこそ……本当にいいの?」

「こっちこそ『当たり前』よ。……こっちに住めって言ってくれるの、ずっと待っていたのよ? いつまで経っても言ってくれないから、自分で言っちゃったじゃないっ」


 そう言うとアリアは顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。


「え?」


 待っていてくれた?

 僕が一緒に住みたいと言うのを?

 そういえば……。

 食後のお見送りをしてくれるときの言葉が蘇ってきた。


 『見送るのが面倒臭い』

 『こっちの台所を使いたい』


 そんなことをよくアリアは言っていた。

 他にも静かに食べたいから二人がいいとか、自分専用の台所が欲しいとか……。

 そういうのはもしかして、アリアなりのアピールだった?


「……アリア!」

「きゃ!?」


 気がつくとアリアを椅子から落とす勢いで飛びつき、抱きしめていた。

 ……可愛い……やっぱりアリアは可愛い!

 一緒に住みたいと思っていたのは僕だけじゃなかった。

 むしろ僕よりもアリアの方が現実的に考えてくれていたようで感激した。


 身体を離すと、手を握り治してアリアの目を見た。

 ああ、手ぬぐいが邪魔だな。

 大事なことを言いたいので手ぬぐいを外した。

 僕の行動を不思議そうに見ているアリアに、改めてお願いをした。


「アリア、僕とここで暮らして欲しい」

「!」


 本当はこういう場面には指輪を用意したかったな。

 僕は格好良くないから、行動くらいは格好良くしたかったのだが……。

 今はせめて態度だけでもちゃんとしたい。

 ……でも、ドキドキする。

 『やりなおし!』なんて言われたらどうしようと、アリアの様子を伺ったら――。


「アリア!?」


 アリアの目に、きらりと光るものがあった。

 それは頬を伝ってスーッと流れた。


 ア、アリアが泣いている!!

 どうしてだ!?

 アリアの涙なんて久しぶりに見た!

 どうしよう!?

 ロイの涙も焦ったけど、アリアの涙はもっとどうすればいいのか分からない。


「い、嫌だった!? 僕はどうしたら……。うわ!?」


 完全にパニックになった僕に、今度はアリアが飛びついてきた。


「うー……ルーク……」


 僕の首と肩の間に顔を埋めたアリアが、ぐすぐすと泣きながら話し掛けてきた。


「ん?」

「不束者ですがっ……よろしくおねがいしますっ……」

「……」


 獰猛な獣が子猫になったようで、思わず呆然としてしまった。

 牙はどちらに置いてきました?

 顔が見えないから別人じゃないかと確かめたくなった。

 脇に手を入れて身体から少し離し、顔を覗くと……やっぱりアリアだった。

 涙で顔がベタベタになっていて子供のようだ。

 鼻を啜りながらも丁寧な返事をくれたアリアがとてつもなく可愛いくて……面白かった。


「あはは!」


 思わず声を出して笑ってしまった。

 いつもと違いすぎ!

 可愛い過ぎ!

 普段は怖いアリアがこんなことを言ってくれるなんて……ああ、大好きだ。


「なんで笑うのよ!」

「痛っー!!?」


 思い切り脳天に肘鉄を食らった。

 一瞬視界が真っ白になった。

 アリア、今のはここ最近で一番のダメージだ!

 やはりトラヴィスは超えている!


「後で父さんと母さんに一緒に住むって言いに行くから! 分かった!?」

「はい……」


 良い感じの雰囲気だったのに……結局いつもの感じで終わってしまった。

 でもそれが僕にはとても心地良かった。




 その夜、二人でクレイさんとシェイラさんに許可を貰うため、ご飯の後に話を切り出した。

 ロイには申し訳ないが、落ち着いて話をしたいから自分の部屋に戻っていて欲しいと頼んだのだが……断られた。

 またアリアと喧嘩になりそうになったが、黙っていると約束してくれたので話を進めた。

 はあ……毎日顔を合わせているのに緊張する。


『これから一緒に住みたい』


 それを伝えると、クレイさんとシェイラさんは驚いたようで目を見開いた。

 ロイもそうだった。

 口を開けて何か言いたそうだがグッと堪えている。


「ルーク。あのね、一緒に住むということはひとつの家庭をつくるってことなんだよ? 分かっているのかい?」

「はい。分かっています」


 シェイラさんが心配そうな顔をしている。


「アリアには幸せになって欲しい。大事にして欲しい。お前に預けていいんだな?」


 いつも笑顔でひょうきんなクレイさんだが、今は真剣な顔をしている。


「はい」


 目を見て頷くと、クレイさんとシェイラさんは顔を見合わせ、小さく頷いた。

 穏やかな顔をしているから、認めて貰えたのだろうか。

 期待と不安で汗をかきながら、二人の次の言葉を待った。


「……なんでだよ」

「ロイ?」


 口を開いたのはクレイさんとシェイラさんではなく、ロイだった。

 静かに聞いていたロイだったが勢いよく椅子から立ち上がると、足早に自分の部屋へと去って行こうとする。


「ロイ!」


 呼び止めると足が止まった。

 振り向いてこちらを見てくれる気配はない。

 でも、ちゃんと聞いてくれるはずだ。


「僕のことをいっぱい考えてくれてありがとな」

「……」

「僕はアリアや、可愛い弟がいるこの村が好きなんだ」


 ロイがアリアと喧嘩になったのは僕のためだ。

僕が勇者として旅立てるように頑張ってくれたのだろう。

 旅立たずにアリアといることを選んだから、ロイの想いを無碍にしてしまったようで心苦しいが、僕はここにいることが幸せなんだと分かって欲しい。


 ロイからは反応がなかった。

 何も言わず行ってしまった。

 それを見ると隣に座っているアリアが俯いた。

 ロイとはまた改めて、分かってくれるまで話をしよう。


「ルーク」

「はい」

「お前、この村にいていいんだな?」

「え?」


 クレイさんの言葉に同調するように、シェイラさんも僕に真剣な目を向けた。

 これは……「勇者として旅立たなくていいのか?」ということだろう。

 アリアが息を呑んだのが分かった。


 大丈夫、最初から決めているから。


「はい。ここでアリアと暮らします」

「……そうか」


 ロイが騒いだから、二人の耳にも僕が本当は勇者かもしれないという話が入ったのだろう。

 何か思うところがあるのか複雑そうな顔をしている。

 旅立った方がいいと言われたらどうしよう。

 誰に言われても勇者になるつもりはないけれど、二人に説得されてしまうと困る。

 緊張で膝の上で握っていた拳に力が入る。


「じゃあ、ルーク。アリアのことをよろしく頼むな!」

「え?」


 クレイさんの明るい声に、きょとんとしてしまった。

 ……認めてくれた?


 クレイさんは立ち上がると近づいて来て、僕の肩をバンッと叩いた。

 力が入っていて痛かったけど、また胸に熱いものが込み上げてきた。

 『任せた』とアリアを託して貰えたような気がしたからだ。


「口が悪いし料理は下手だし、良い嫁にはなれないかもしれないけど、あんたのことを想っているのは本当だから。勘弁して一緒にいてやって頂戴ね」

「……はい」


 シェイラさんが目に涙を浮かべているのを見ると、僕もじーんとして……。

 泣いてしまうのが恥ずかしいから堪えるけど、結構辛いな。


「準備期間のうちに修行するわよ」


 プィッと顔を背けたアリアだったが、ちょっと目が赤いね?

 言ったら怒られるから言わないけど。


「まあ、嫁に出すって言っても隣だけどな!」


 クレイさんが豪快に笑った。

 『良い雰囲気壊すんじゃないよ!』と今度はシェイラさんにクレイさんが叩かれた。

 いい音が鳴ったし痛そうだな。


「アリア、よかったね」

「うん」


 アリアはずっと黙ったまま静かに聞いていたけれど、僕と同じように緊張していたようで「ふう」と安堵の息を吐いた。

 安心すると嬉しさが込み上げてきて、騒いでいる二人に隠れてこっそり微笑み合った。


 歩いてすぐのほんの少しの距離だけど、僕とアリアにとってはとても大きな変化だ。


「さあ、そうと決まったら暫く忙しくなるけど……。今は勇者様一団のことで忙しいから、村長に許可を貰って準備を始めるのは村が静かになってからでいいね?」

「はい」


 シェイラさんの言葉に頷いた。

 僕も今は聖女達を刺激しないように大人しくしていたいから、その方が都合が良い。

 

「でも今日から住むわ! もう出て行くわよ!」

「好きにしな」


 楽しそうに大きな声を出したアリアを見て、シェイラさんが溜息をついた。

 「ルーク、考え直した方がいいんじゃない?」なんて言われたが、その必要は無いと笑った。

 僕の方が「やっぱりやめた」と言われたら困る。


 僕を置いていく勢いで出て行ったアリアの後を追い、隣の『僕達二人の家』に帰った。




「ただいま」


 自分の家に入ったところで、いつもの言葉が口から出た。

 何も考えていなかった。

 癖になっているから、無意識に出た言葉だったのだが――。


「おかえり!」

「!」


 いつもは返って来ない言葉が聞こえて吃驚した。

 顔を上げると先に家に入っていたアリアが僕を見て笑っていた。


 ……そうか、これからは「おかえり」を言ってくれる人がいるのか。

 それに「ただいま」しか言えなかった僕も、「おかえり」を言えるようになるんだな。


――父さん、母さん、アリアがこの家に来てくれたよ。


 心の中で報告をすると、二人が肩を寄せ合いながら微笑んでくれたような気がした。


「どうしたの?」

「ううん、幸せだなと思って」


 笑い返すとアリアの顔が赤くなった。


「二階の部屋、私の好きに改造するから!」


 そう言うと二階にドタドタと駆け上がって行った。

 照れているのを誤魔化しているな、可愛い。


 二階の部屋はあまり物がなくて殺風景だ。

 掃除しやすくて気に入っているのだが、早速アリアの色に染められてしまいそうだ。

 明日にはカーテンの色も変わりそうだなと苦笑した。




 アリアと暮らし始めて初めての朝――。


 前日は寝坊をしたが、今日はいつも通りの時間に目覚めることが出来た。

 まだ外は暗く、夜行性の鳥が鳴いている。


「う……?」


 身体が重いと思ったら、アリアが僕を枕にして眠っていた。

 どうやらアリアは寝相が悪いらしい。

 足首まである長いワンピースの寝間着を着ているのだが、捲れ上がって白くて綺麗な太ももが見えてしまっている。

 有り難いけど風邪を引くよ?


 狭いベッドのシーツもぐちゃぐちゃになっていた。

 大きなベッドを作った方が良さそうだ。

 もう一つベッドを用意すればいいのでは? という案は採用しない。

 絶対一緒に寝る。


 アリアを真っ直ぐ寝かせ、布団を掛けた。

 移動させたのに全く起きる気配はなく、可愛い寝顔のままだ。

 僕より早く起きて朝ご飯を作ると言っていたんだけどなあ。


「こらあ……ルーク―……」

「アリア? って寝てるし」


 ハッキリした寝言だったな。

 長く一緒にいるけど、寝言を聞いたのは初めてだ。

 なんだか嬉しい。


「夢の中でも僕は怒られているのかな?」


 怒っているような台詞だったけど、幸せそうな顔をして寝ている。

 起こすと可哀想だ。

 そっとベッドから離れ、物音を立てずに身支度をした。


 一階に降りて、ハナコのところへ行こうかと思ったその時、部屋の中で何かがきらりと光った。


「なんだ?」


 光った方に目を向ける。

 そこは玄関の扉の脇で、何かを立てかけてあるのが見えた。

 こんなところに何か置いたっけ? と思ったら――。


『勇者よ、早起きだな!』


 聖剣だった。


「……何故ここにいる」

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