第二十六話 手紙

「この者、男鹿おがが、新城しんじょうの戦いにおいて行った、我が軍に対する妨害行為。さて、いかに裁こうぞ?」


 子元しげん様がゆっくりとそう言いながら、鋭い目を室内に巡らせると、誰もが口をつぐんで視線を下げた。

 みな、子元様がこの質問に対し、何らかの答えを既に用意しておられることは、薄々分かっているのだ。

 その答えにそぐわない返答をすれば逆に追い込まれる。

 それを知っている彼らは、下手に発言しては命取りと、一斉に黙り込み、彼の出方を見守っていたのだ。


「誰も案を持っておらぬと見えるので、私から申そう」


 子元様は、筋書き通りの展開に満足されたような表情を浮かべると、大きく両手を開き、胸を張られた。


「こう見えて私も人並みの情けは持ち合わせている。許しがたい罪を犯したとはいえ、前途ある若者の命を奪うのは心が痛む」


 そう言って子元様は、大袈裟なほど眉尻を下げ、芝居がかった顔を男鹿の方へ向けられた。

 そんな子元様のお顔を、男鹿は冷めた表情で見つめていた。


「そこでだ。この者の残りの人生を、我が国のために捧げさせるというのはいかがかな。軍師として」


 子元様の提案に、周りの者たちは、小さく唸った。

 納得したように、首を上下に振る者もあった。


「この者が戦略に長けている事は、みな既に承知しておろう。その能力を我が国のために発揮することで、罪を償ってもらおうではないか」


 その言葉に賛同したように、その場にいた誰もが大きく頷いた。

 心配になった私が男鹿の方に目を向けると、彼は唇を噛み締めて鋭い視線を子元様に向けていた。

 そんな視線に気付いた子元様は、つかつかと彼のそばへ近づいて来られた。

 そして、彼の前で立ち止まられると、足を軽く広げて立ち、腕組みをされた。


「命拾いをしたな。このことを恩に感じ、これからは死ぬまでこの国のために働け。安心しろ。それなりの身分も与えてやる」


 子元様は、思いやりのかけらも感じられない不敵な笑みを浮かべて、異国の青年を見下ろされた。

 身分を与えるとおっしゃっていても、それは形だけで、彼を子飼いにして、ご自分の都合に合わせて働かせるおつもりなのだろう。


「私は倭国くにに帰ります」


 次の瞬間、張りのある澄んだ声が室内に響いた。

 子元様の眉がぴくりと動いた。


「倭国には私の帰りを待っていて下さる方々がいます。だから、私はここには留まりませぬ」


 男鹿は縛られたまま、少し身を乗り出し、そう言って子元様を睨み付けるように見上げた。

 彼の思いがけない反応に、子元様は一瞬言葉を失われたが、すぐに心を立て直し、蔑むような視線を彼に向けられた。


「馬鹿め。なんの身分も持たぬお前の事など、誰が待っていると言うのだ。王候補と張政ちょうせいおだてられ、ここまで来たらしいが、勘違いも甚だしいわ」


 子元様にそう言われ、男鹿は悔しそうに再び唇を噛み締めた。

 確かに考えてみれば、王になりたいとここへ来ている彼だけど、祖父張政が帝みかどから預かって来たと言っているだけで、彼が王になることを、倭国の人々が本当に望んでいるのかは疑問だ。

 狗奴国くなこくを呉から取り戻す戦いで、彼の能力の高さは周知されているかもしれない。

 かと言って、何の身分も持たないこのような若者を倭国第二の大国|狗奴の王に据えることを、他国の王たちが認めることなどあり得るのだろうか。

 心の中でそんな疑惑と、そうでないことを祈りたい気持ちが交錯し、私は戸惑いながら彼の横顔を見つめていた。


「恐れながら子元様」


 その時、しゃがれた老人の、しかし重みのある声が広間に響いた。

 声のする方を見ると、そこには祖父の姿があった。


「なんだ張政。反論か」


 祖父の方へ振り返られた子元様は、忌々し気に老人の顔を見つめられた。


「こちらをご覧下さい」


 祖父が長い袖を振ると、彼の後方に控えていた役人が数人、盆にのせられた巻物の束を両手で掲げ、進み出てきた。


「なんなのだ。それは」


 子元様は苛立ちを隠せない様子で、巻物を指し、そうおっしゃった。


「倭国各国の王より届いた、その者を王に推す書状でございます」


「は?」


 思わず目を丸くされた子元様を気にもとめず、祖父は直近の役人の持つ盆から、巻物をひとつ手にとった。

 紐をほどき、木製の巻物を両手に広げて持った祖父は、突然大きな声を張り上げた。


「その者、男鹿の才覚を認め、狗奴国の王に推挙する。倭国神祇官じんぎかん神祇伯じんぎはく 覇夜斗はやと


 祖父の読み上げた者の名に、室内は一斉にどよめいた。

 神祇伯と言えば、倭国で朝廷が開かれるにあたり設けられた機関|神祇官の長だ。

 もともと神託によってまつりごとを行っていた倭国であったが、朝廷が開かれるに際し、政治と信仰が切り離され、別々の機関が据えられた。

 それが、国政を担う太政官だいじょうかんと、朝廷の祭祀を担当する神祇官だ。

 信仰心により強い結束力を保つ倭人にとって神祇官の影響力は絶大で、その長である神祇伯は、帝に継ぐ権限を持つとも言われている。

 そのような者が、男鹿を名指しで推薦する書状を送ってきたと知って、誰もが驚きを隠せなかったのだ。

 そんな室内のどよめきをよそに、祖父は持っていた巻物を盆に戻すと、新たな巻物を手にとった。


「友人として、男鹿を狗奴国の王に推薦する。熊襲くまそ国王 たける


 一瞬、男鹿が顔を上げ、祖父の読み上げる巻物を凝視した。

 その瞳には、うっすらと涙が滲んでいるようにも見えた。

 その後も、河内、明石、吉備、伊予など、倭国内各国の王からの推薦状が、次々と読み上げられ、そのたびに室内にはどよめきが起こった。


「もうよい!」


 しばらくそれを、珍しく呆けた表情で聞いておられた子元様だったが、我を取り戻されたのか、強い口調で祖父の声を遮られた。


「どうせそのようなもの、お前の偽装工作であろう」


 子元様はそう言って、祖父のそばへ近づき、手にした巻物を取り上げようとされた。


「続けよ!」


 その時、壇上から若々しくも威厳のある声が響いた。


「さがれ、司馬師しばし。張政、続きを」


 見ると、陛下がしゃくを祖父の方へ向けて、続きを促されていた。

 子元様は、小さく舌打ちすると、忌々し気に祖父の顔を見ながら、ご自分の席へ戻り、どかりと腰を降ろされた。

 陛下に向かって大きく頷いて見せた祖父は、再び書状を読み上げ始めた。

 最終的にそれは、三十カ国以上に及び、室内の者たちは、それが読まれる度に、信じられないという面持ちで、男鹿の顔と巻物を交互に見ていた。


「我が国にとって大切な人材であるその者が、貴国の学問をより多く学び、帰国する日を待ち望んでおります」


 ふと、それまでの推薦状とは明らかに内容の異なる文章が読み上げられ、私は思わず祖父の手元を見上げた。

 すると、祖父はその書の差出人を述べる前に男鹿と目を合わせ、一瞬の間があいた。


「邪馬台国女王、壹与いよ


 その名を聞いた瞬間、私は祖父から男鹿の方へ向き直った。

 すると彼は、素早く天井を見上げ、瞳を固く閉じた。

 私には、彼がこぼれそうな涙を、必死に留めようとしているように見えた。


(ああ、本当に壹与様は、彼がここへ来た理由を知らないのね)


 そんな横顔を見つめながら、私は改めてそう思った。

 彼女からの書状には、彼を王にということは、ひと言も書かれていなかったから。


『私にとって大切なその人が、帰る日を待っています』


 同時に、私には、彼女がそう言っているように聞こえたのだった。

 そして、おそらく男鹿もそう受け止めたのだろう。

 天井に向けられ、閉じられた瞳の震える睫毛が、そう物語っていた。


 やがて、最後尾に控えていた役人が、盆の上に木箱を載せてやってきた。

 祖父は、箱に巻かれた紐をほどき、蓋を開けて中の巻物を取り出した。

 うやうやしくそれをゆっくりと広げた祖父は、緊張した面持ちで大きく息を吸った。


親魏倭王しんぎわおうより皇帝陛下へ」


 最初のひと言で、その書状の主が誰であるかを察し、誰もが息を呑んだ。

 先の狗奴国奪回の戦時の協力へ対する感謝の言葉から始まったその書状には、戦後、新しい国づくりに向かって彼らが歩み出した様子が丁寧に記されていた。


 冒頭、侵略者であった呉の人間を、皆殺しにするどころか、同じ倭人として受け入れたと聞いた時は、皆「信じられない」という面持ちで顔を見合わせていた。


 そうして、倭人となったもと呉人を各地に送り、技を伝承することで技術力を高めてきたこと。

 そうやって高められた土木技術により、河川の氾濫や日照りによる田畑への水不足が緩和されつつあり、天災により命を落とす民が減少したこと。

 これらを目の当たりにし、技術力や学問の国力へ与える重要性を日々実感していると話は続いた。


「大陸からの玄関口である狗奴国は、侵略の脅威に常に晒されております。だからこそ、英知に溢れ、大陸の現状に直接触れてきた男鹿に、王となって砦を護って欲しいと思っております。その者が各国の王たちにいかに愛され、信頼を得ているかということは、彼らからの書状によりおわかりいただけるでしょう」


 話が進むにつれ、誰も言葉を発することは無くなり、子元様でさえ、目を見開き、驚いた表情で男鹿を見つめておられた。


「ただ、身分を持たないその者を王として倭人に納得させるためには、魏の皇帝陛下よりお認めいただいたという証が必要なのです。どうかその者に、その証である銀印をお授けください。この者が王となれば、貴国と我が国との交流にも貢献してくれることでしょう」


 そこまで読み終えると、祖父は書状を広げて持ったまま、ゆっくりと目を閉じた。

 そして、少し間を置いて、噛み締めるように、その差出人の名を口にした。


「親魏倭王 月読つくよみ

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