第三章
3-1/フレンズ・アゲイン
「キョンには友達と呼べるような人はいるのかい?」
ごく公平にいって、中学時代の俺は佐々木とつるむことが多かったのだろう。学校が引けてから顔を合わしている回数はクラスメイトの誰よりも多かったし、休みの日に二人でどこぞに出かけるなんてこともまったくなかったわけではない。その佐々木が聞き様によってはかなり失礼にも聞こえることを尋ねてきたのは、夏休みが明けてすぐの放課後のことだった。
「さぁな」
教室にぱらぱらと人が残っていることを何となく確かめながら、俺は呻くように言った。クラスの連中とはまあまあソツなくつるんでいるつもりだが、それを馬鹿正直に口にしたら、唇を弦月型にして皮肉な笑みを返してくるに違いなかった。もちろん『お前だ』などとリップサービスをしてやるつもりもなかった。
「わからないのかい?」
短い答えの後、俺が黙っていると、佐々木が再び尋ねてきた。
「そうじゃないが、言わぬが花ってこともあるだろう」
どこまでが知り合いなのか、どこからが友達なのか線引きなんてできるものじゃない。こちらが友人だと思っていても、あちらはそうは思っていないことだってあるだろうし、その逆も然りだ。だから、こういうことは例え具体的に誰かの名前が思い浮かんだとしても、言葉にしない方が良いのだと思う。
「うん? ひょっとしてキョンは他ならぬ僕に友達はいるのかと問われたことが不満なのかな?」
ちがわい。俺は声に出してそう言ったが、佐々木は少しも取り合わずに、皮肉な――それでいて心底嬉しそうな笑みを浮かべたのだった。
「ふふ、もしそうだとしたら友達冥利につきるというやつだ」
「そっちはどうなんだよ」
「僕? 僕かい? そりゃあいるさ」
「お前と話があいそうな人間なんてなかなかいないと思うけどな」
「そうかな。ワトスンくんはホームズの知的作業を助けることはできないけれど、それでもホームズにとってかけがえのない親友だろう? つまりはそういうことさ」
などと昔のやり取りを恥かしげもなく思い出しながら寝てしまったせいだろうか。その晩俺は妙ちきりんな夢を見たのだった。
夢の中で俺は走っていた。ここいら辺りに住む人間が街に出るといえばたいていこの辺りを指すであろう駅前の街路を、である。スクランブル交差点を抜けて、裏路地へ。何をそんなに急いでいるのだろう。俺自身の行動を訝しく思ったところではたと気が付いた。
普段ならどこから湧いたのかと思うほどの人がいるというのに、これだけ走っても人っ子一人見かけないということに。そしてまた、見上げた空が雲のようなものに閉ざされ、すっかり暗灰色に染まっていることにも。
これは――これではまるで世界の終わりのような風景じゃないか。
夢の中の俺はさらに走り続けて、立ち並ぶビルのひとつに飛び込んだ。めちゃくちゃに階段を駆け上がり、屋上への扉を開け放つ。そして俺は、遠くの高層ビルの隙間に巨大な人型の影があることに気がついた。
三十階建ての商業ビルよりも頭一つほど高いようだが、輪郭はあまりはっきりしていない。やせ気味でどこか薄気味悪い形状をしている。全身がくすんだコバルトブルーで微妙に発光しているのも不気味だった。
――なんだ、アレは。
俺が呆然としていると、巨人は突然両腕を上げたかと思うと、無造作に体を回転させた始めた。周囲の建物を巻き込み、へし折り、砕き、なぎ倒しながら、無秩序に、無軌道に移動していく。
「なんてことしやがる」
住み慣れた街が廃墟に変わっていく様を見つめながら、俺は思わず呟いた。呟いた後でふと気づいたことがあった。恐るべき巨人の回りを、赤い光球がすごいスピードで飛び回っているのだ。無秩序でも無軌道でもない動き。それを見て俺は、巨人の破壊活動を阻止するための動きなのだと直感する。
そうこうしている内に、巨人の方も邪魔をされていることに気がついたらしく、歩みを止めて、その腕を光球を打ち落とすために振り回し始めた。
戦力の差は圧倒的だった。蚊は鬱陶しいが直接的に人間を殺すことは能わない。それと同じことだ。やがて光の球は巨人の振り回す腕の圧にはじき飛ばされて、ビルの壁面に突き刺さった。
俺ははっと息を飲んだ。光球の明るさにやや陰りが生じたかと思うと、ぐにゃりと歪んで人の形を成したのだ。砂煙の中だというのに、何故か俺はその姿をはっきりと両の目に捉えることができた。
さわやかなスポーツ少年のような雰囲気をまとった細見の男だった。年格好は俺と変わらない。まず、高校生だろう。痛みで顔を歪めているが、笑っていればきっとモテそうな整った顔立ちをしている。
「おい、危ないぞ!」
再び巨人が腕を振り上げたのに気づいて、俺が叫んだ。男が一瞬だけこちらを見る。その表情からは彼がどういう気持ちで巨人に立ち向かっているのかをうかがい知ることはできそうになかったが、そのさして厚くもない胸に鉄板より固い意志が秘められていることだけは確かなようだった。
巨人の腕がビルに叩きつけられようとした矢先、男は再び赤い光球へと変形し、空へと脱出した。
よし、これでひとまず窮地は脱した――と言うのは甘い見込みだった。巨人のもう一つの腕が、光球に向かって真っ直ぐに振り下ろされたのだ!
「彼一人では荷が重すぎた」
言葉もなく立ちつくす俺の背中に、誰かの声。
振り返ると、何故か暗幕みたいな黒いマントで全身をすっぽり覆い、頭にはトンガリ帽子まで被った完全な黒魔導師ルックの長門が立っていた。
「長門……?」
「仕方ない。彼も、覚悟の上」
俺の意味を成さない質問を無視して、長門は言った。
「諦めたら、それまで。でも、あなたなら運命を変えられる。避けようのない滅びも、嘆きも、すべて〇〇〇〇〇に覆させれば良い。そのための力が彼女には備わっている」
「長門、お前は一体何を……」
俺の口から掠れた声が漏れる。目の前の少女は明らかに俺の知っている少女とは違う異質な存在だった。
「あなたなら、すべてを変えさせることができる。文字通り、全てを。だから――」
「だから?」
「だから、わたしと契約を。――魔法少女になるための」
「いや、そういうのはちょっと」
そこで俺は目を覚ました。もちろん自分の部屋である。乱れた布団半分と俺の体全部が、ベッドからずり落ちてしまっている。つまりは夢。なんとも荒唐無稽で意味不明な夢を見ていたわけだが。
さて、ジグムント・フロイト氏にこの夢の話をしたら何と評されるのだろうか? 俺としては『魔法少女になりたいという願望を暗示している』と分析されるのだけは勘弁願いたいのだが。
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