1-3/バスルームで髪を切る100の方法
北高ミステリー研究会はさして歴史のある部活ではない――。
かつてここは文芸部の部室だったそうで、部員たちは読書会を開いたりリレー小説を書いたりするなど、まぁいかにも高校文芸部らしい活動にいそしんでいたという。
それが部員の減少でついに廃部を余儀なくされたのが三年ほど前のこと。それを残念に思った当時の北高教師のひとりが、何とか文芸部を復活させようとして読書好きの生徒たちを勧誘して回ったらしい。
勧誘は半ば成功し、半ば失敗した。ミステリー好きのある生徒が文芸部ではなくミステリー研究会としてで良ければと条件を付けたのだ。これには教師も困惑したようだが、文芸系の部活がなくなるよりはと思い直し、生徒の提案を受け入れたようだった。
しかし、今年の三月に創設者が北高を卒業したことで、ミステリー研究会は三年前の文芸部と全く同じ事態に直面することになった。廃部の危機である。
長門はそうした状況を知らずに1年6組の担任に、この学校に文芸部はないのか尋ねたという。担任は長門にミステリー研究会の入部届を手渡し「何なら、文芸部に名前を変えても良い」と言ったそうだ。1年6組の担任は、例の文芸部再興のためにあれこれ画策した教師だった。
――長門の極端に文節の少ない台詞をまとめるとこういうことになる。
俺は折りたたみ式のテーブルの反対側に座った少女を改めて見つめ直した。普段あまりしそうにもない長話をしたせいだろうか。白皙の頬がうっすらと桜の色に染まっている。そうして、俺の視線に気づくとはっと視線を逸らしてしまう。臆病な小動物のような仕草だった。
仕方が無く、部屋の隅の本棚を眺めた。
全段びっしりと大小様々な書籍が並んでいる。さすがにミステリー研究会だけあって、推理小説の文庫やノベルスが大半を占めているが、文芸部から引き継いだのか、文学者の全集なんかも入っていた。
「その本もこの部屋にあったものなのか?」
テーブルの上の本を見て、言った。さっきまで長門が読んでいたものだ。タイトルは『未来からのホットライン』。文学でもミステリーでもなく、SF小説というやつだ。
長門は黙って本をひっくり返した。市立図書館の蔵書であることを示すバーコードシールが貼ってある。ラミネート加工された表紙に蛍光灯の光がチラリと反射して長門の眼鏡を一瞬輝かせたようだった。
「SFが好きなのか?」
長門がごくごくわずかに首を傾げることで、俺の問いに答えた。
「あなたは?」
俺は一瞬答えにつまった。
あるいは長門にとってはそれで充分だったのかも知れない。
彼女は自分のカバンから二枚のわら半紙を取り出して、ためらいがちに俺の前に立った。
「よかったら」
ネクタイの結び目あたりを見ながら、片手を出してきた。
「持っていって」
渡されたのは、入部届。一枚は白紙で、もう一枚長門自身の名前が書かれたもの。ただし、どちらも部活名称の欄には何も記載されていなかった。
俺は「預からせてもらう」とだけ言って、部室を辞した。
ひとりで考える時間が必要だった。
長門は文芸部への入部を希望していた。しかし、北高に文芸部はなく、廃部寸前のミステリー研究会だけがかろうじて存在していた。
担任教師の言うように文芸部に名前を変えるということも考えただろう。しかし、自分一人ではどうしても決めかねていた。だからこそ、長門の入部届けは最後まで部活名称の欄が空欄になっていたのだと思う。
そんなタイミングで部室に入ってきたのが俺だった。
長門はその俺に判断を委ねることにしたのだろう。
ミステリー研究会なのか、それとも、文芸部なのか。どちらを選ぶのか。
もしも長門が読んでいた本が、同じ作者の『星を継ぐもの』であったなら――いや、それは言い訳に過ぎない。どちらにせよ俺は、今はもういない友人のために、あの眼鏡のあまり似合わない少女の逡巡を、あの表情に乏しいけれど感情がないわけではない少女の優しさを踏みにじるつもりでいるのだから。
深呼吸をひとつする。せめて、俺が略奪者であることをあの少女に知らせることだけはしなければと思った。
「長門」
ドアを開けると、俺は真っ正面から少女を見つめて言った。
眼鏡の少女も、一度視線を泳がせた後で、おずおずと俺の視線に向き合った。
「一度だけしか言わない。俺はこの部屋をミステリー研究会の――いや、違うな。もっと何だかよくわからん部の部室にしようとしてんだぞ、それでも良いのか?」
「いい」
「いや、しかし、多分ものすごく迷惑をかけると思うぞ」
「別に」
「お前の居場所を奪っちまうことになるかもしれんのだぞ?」
「構わない」
そして、俺は二人分の入部届を1年6組の担任に提出した。
――北高ミステリー研究会、現在部員数2名(定数まであと3名)。
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