1-4/バスルームで髪を切る100の方法

 そういう次第でミステリー研究会に入った俺だったが、今のところ先住者の居場所を奪うことはありえそうになかった。


 ――俺はこの部屋をミステリー研究会の――いや、違うな。もっと何だかよくわからん部の部室にしようとしてんだぞ。


 本来ならば一刻も早く部員を集めて、次の生徒会クラブ運営委員会に備えなくてはならないのだが、どうも先日長門に言ったことが尾を引いているらしい。


 そりゃそうだ。俺ですら何だかよくわかっていない部活に見も知らずの人間を勧誘できるはずがない。何かした方が良いと思いつつ結局何もせず、だらだらと放課後の部室で時間を潰すというのがここのところの日課だった。


 そういう次第でミステリー研究会に居座っている俺のことを、今のところ先住者は迷惑だとは思っていないらしかった。


 何しろ長門は本が読める環境さえあればそれで良いというタイプの人間だ。おまけに耳には性能の良いノイズキャンセラ-がついているらしく、多少外がうるさかろうが気にもとめない。


 今日も今日とて軽音部の爆音ライブや演劇部の発声練習に少しも動じることなくページを捲り続けている。昨日の『冷たい密室と博士たち』に続いて『笑わない数学者』のノベルス版か。どうやら森博嗣がブームが来ているようだ。


 要するに環境への期待レベルが著しく低いのだ。


 それがまた、俺の決意を鈍らせる。


 さして居心地が良いわけでもない部室で読書するというたったそれだけの空間と時間を、本当に奪ってしまうのか、と。奪ってどうするかはノープラン、ノーアイディアだとしてもだ。


 ええい。考えれば考えるだけ気が滅入ってくる。俺はかぶりを振ってもやもやした気分を振り払うと先住者に「長門、ちょっと良いか」と声を掛けることにした。

 

 長門はすぐに本を捲る手を止めて、視線だけをこちらに寄越してくれる。ここ数日間のぎこちないコミュニケーションの中でわかってきたことだが、読書中に話しかけられることは、彼女にとってさほど迷惑なことではないらしい。


「実はうちのクラスにちょっと変わった奴がいてな」


「変わった……やつ?」


「涼宮ハルヒというんだが、知ってるか?」


「顔と名前は」


 言われてみれば長門は一年六組の生徒だった。北高では体育の授業が男女別に別れて二組合同で行われることになっている。涼宮ハルヒの顔と名前くらいは知っていても不思議はない。


 いやしかし、むしろあんなエキセントリックなやつのことを顔と名前くらいしか知らないという長門もなかなかなものではなかろうか。既にして「今年の一年におかしな女がいる」という噂は学校中に知れ渡っているらしいしな。


 実際あの女の奇行は、入学初日のあのとんでもない自己紹介だけに留まるものではなかった。


 奇行その一。髪型がころころ変わる。月曜日にストレートのロングヘアを普通に背中に垂らして登校してきたかと思えば、火曜日にはうなじの辺りの白さに思わずどきりとしてしまうようなポニーテールでやって来て、水曜日にはどこかの魔法少女のようなツインテールで姿を現し、木曜日には三つ編み、金曜日には編みがもう一本増えるといった調子で、一日だって同じ髪型に留まっていることはないのだった。


 奇行その二。体育の授業の際は、女子が奇数クラス、男子が偶数クラスで着替えをすることになっているのだが、涼宮ハルヒはまだ男子の大半が五組の教室に残っていたにも関わらず、やおらセーラー服を脱ぎ出すということをやらかしたのだ。


 まるでそこらの男などスイカかサツマイモでしかないと思っているような堂々たる脱ぎっぷりに唖然とする――間もなく、俺を含む男どもは委員長の朝倉涼子によって教室からたたき出された。


 以来一年五組では体育の授業が始まる度に、男子生徒が六組の教室へと先を争ってダッシュするという奇祭が執り行われることになったわけだ。やれやれ。


 俺が長門に話したのは、そのうちの涼宮ハルヒの奇行その一についてだった。

 さすがに二つ目をあけすけに語るのは憚られた。スイカやメロンとまではいかなくとも大きめの桃くらいには実っていたしな。いや、それはさておき。


「何の意味があって毎日髪型を変えるのかはわからないが、こうなるとあいつが休日にどんな髪型をしているのか、ちょっと見てみたい気もする」


「そう」


 素っ気ない声。それから長門は立ち上がって、本棚から一冊の文庫本を取り出した。


 北村薫の『夜の蝉』。殺人事件や凶悪犯罪ではなく、日常生活の中にある謎の解明を主題としたいわゆる日常ミステリーの先駆的作品として知られる『円紫さん』シリーズの二作目だ。時に鋭く時に暖かな筆致と、厳密なロジックとは、一般読者とミステリーマニアの双方から高く評価されている。……そう言えばノベルス版『笑わない数学者』の解説も、北村薫だったか。


「次はそいつを読むつもりなのか?」


「そう」


 さっきとはまた違うニュアンスの「そう」だ。相づちを打つとき、イエスの返事をする時、それからひょっとしたらささやかな抗議の意を表明するとき……長門は色々な「そう」と使う。


「涼宮ハルヒの奇行にも、北村薫の作品みたいに綺麗な解決があると思うか?」


「わからない」


 長門は即答してから、眼鏡のツルを押さえるような仕草を見せた。


「あるいは規則性が――いえ、今はまだ断言することはできない」

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