3-15/フレンズ・アゲイン
俺と長門が昇降口に着いたのは、待ち合わせ時刻の一分前のことだった。
「よし、間に合った」
俺は息が上がりそうになるのをこらえて言うと、先に来ていたハルヒがジト目を向けてきた。
「何とかギリギリかろうじてね。もう少し申し訳なさそうに来ようとかそういうことは思わないわけ?」
思わないね。例え一分でもセーフはセーフだ。
「あっそ」
わざとらしく壁時計を見て、ちっと舌を打つ。角度を変えて下から覗き込んだって、結果は同じだっての。
「まぁまぁ。依頼人の僕としてはこうやってみなさんが時間通りに集まってくれただけでもありがたいことなのですがね」
そう言ったのは古泉で、もちろん爽やかに微笑んでいる。もう少し当事者として危機感を持った方が良いのではないかと思わないでもない。
長門の息が整ったところで立ったまま簡単な作戦会議を開催する。作戦行動その一、とりあず古泉が先行して歩き、俺たちがその後ろをついて行く。作戦行動その二、何者かの視線を感じる等、古泉が何か異変を感じたらすぐに俺たちに知らせる。あとは高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に出たとこ勝負。
うん。作戦でもなんでもない。ただの行き当たりばったりだ。発案者本人は「さすがあたしね。趙雲超えたんじゃない?」などと言ってふんぞり返っているあたり、そう思っていないようだが。
ともあれまずは古泉が昇降口を出て、間もなく俺たちも後に続いた。
「キョン、ちょっと」
ガソリンスタンドを通り過ぎたところで、ハルヒが口を開いた。
「何だ」
「あんまり古泉くんを見すぎないの。犯人に気づかれちゃうでしょ。少しは有希を見習いなさいよ」
そういうお前は視線の外し方が不自然すぎてかえって怪しいと思うんだがな。ま、俺たちの中では長門が一番良い動きをしているということについては同意しよう。
「って待て。お前いつから長門のことをファーストネームで呼ぶようになったんだ?」
「アンタには関係ないでしょ。ちゃんと本人の了解は取ってます。ねぇ有希」
長門が無言でこくりとうなずく。
本人が良いってんなら、確かに俺がどうこういう話ではない。それはそうなんだが、何となく気持ちが落ち着かないのはどうしてだろう。ハルヒがハルヒらしからぬコミュニケーション能力を発揮したからなのだろうか?
祠の前を通り過ぎて、駅へと続く階段にさしかかっても、怪しい輩は姿を現さなかった。古泉も一定のペースを守って歩いている。『尾行開始の位置が段々と駅に近づいている』の法則が正しいなら、ここからが本番なのだが──。
「あ!」
ハルヒが大声を上げた。古泉が踊り場のベンチを通り過ぎた辺りでいきなり階段を駆け下り始めたのだ!
「追いかけるわよ!」
叫ぶなり走り出すハルヒ。
「おいっ!」
ハルヒの背中を追いかけながら俺は言った。走りながらなのでつい大声を張り上げてしまう。傍から見れば俺たちが古泉の後をつけているのはバレバレだった。
「何よ!」
「聞いてないのか! あいつの電話番号!」
「あ!」
趙子竜に謝れ。
「良いから追うのよ!」
まあ電話番号を交換し合ってないとなれば、あの全力ダッシュが異変を感じた合図なのだろうしな。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に出たとこ勝負。要するに走れってことだ。畜生!
しかし速い。古泉もそうだが、古泉を追跡するハルヒもまた、階段を軽やかに走り下りていく。俺と長門はその背中を追いかけるので精一杯だった。
やがて階段を降りきった古泉は、駅の横手を通り過ぎて、マンションやアパートが立ち並ぶ住宅地へと向かった。
……あいつ、一体どこへ行くつもりだ?
少しはこっちのことも考えた動きをしろと言いたくなる。走りながらちらりと後ろに視線を向けると、長門が息苦しそうな表情を浮かべているのが見えた。やはり運動はあまり得意じゃないようだ。
「大丈夫か、長門」
「平気」
「ここで休んでいてもいいんだぞ」
長門はしかし、首をはっきりと横に振った。
「わかった。なら、ついてこい」
と、古泉が突如体の向きを変えて、建物のひとつに入った。ぱっと見で十階くらいはありそうなこの辺りでは高層といって良いビルだ。マンションではない。おそらくオフィスビルというやつだが……。
こんなところにあんなものが建っていたっけか。普段この辺りにはあまり来ないからうろ覚えなのだが、住宅街のど真ん中にオフィスビルというのはどうもしっくり来ない。
「早く! キョン!」
ええい、わかってるっての! 俺は心の中で怒鳴り返すと、ハルヒに続いてビルへと足を踏み入れた。
「どっち行った」
「多分こっち!」
ハルヒはエレベータの前を素通りして、階段の方へと駆け出した。
ハルヒの勘は当たっていた。折り返し階段を駆け上がるパタパタという足音と手摺越しに垣間見える北高の制服は間違いなく古泉のものだった。
「行きましょう」
言われるまでもなくそのつもりだ。
俺たちが八階まで来たところで、二階分先行していた古泉の姿が見えなくなった。足音も聞こえない。
どうしたんだ? と訝しく思っていると、ギギっという鈍い金属音が聞こえてきた。さらに、カンカンカンという甲高い金属音。俺たちはペースを上げて十階まで一気に駆け上がった。
十階から更に四分の一階層分登った所で、俺たちは立ち止まった。古い、いかにも立て付けが悪そうなドアが行く手を塞いだのだ。
「開けるわよ」
誰にというわけでもなく言って、ハルヒはドアを開ける。ギギっというあの音が、辺りに響きわたった。
そうして行く手にあった金属製の階段を、カンカンカンという足音ともに登り切ると、そこはビルの屋上だった。
赤く色づいてきた空と気持ちの良い風が、汗ばむ頬に気持ち良い。だが、今はその気持ち良さを楽しんでいる場合ではなかった。
「いないな」
「いないわね」
俺は膝に手を当てて荒い息を吐いている長門に休んでいるよう声をかけてから、ハルヒと手分けして屋上を見て回った。
やはり古泉はどこにもいなかった。
「十階で廊下に出たのか?」
俺が呟くように言うと、ハルヒは本日三度目の「あっ」を発声した後、すうっと目を細めた。
「まさか。ドアを動かす音と、そこの階段を上る音はキョンだって聞いたでしょ? 古泉くんは屋上にいるはずなのよ」
なんだかえらく含みのある言い方だな。
「あ……」
四度目の「あ」は、ハルヒではなく長門が発したものだった。階段の方から俺たちが追いかけていたはずの古泉が姿を見せたのだ。
「一体どういうつもりだ?」
息を荒くした様子もなく穏やかに佇むエセさわやか野郎を睨みつけて、俺は言った。
「お前を付け回す輩がいるらしいってのが、今回の一件の発端だったはずだ。それがどうしてお前と俺たちで鬼ごっこをすることになっちまってるんだ?」
睨まれた男はしかし、泰然と肩をすくめてみせる。
「僕にもわかりません」
「お前、ふざけるなよ」
「待ってください。どうもあなたと僕で認識に齟齬があるようです」
何だそりゃ。
「僕の視点では、後ろを追いかけてくれていたはずのみなさんが、駅に続く階段のあたりでいつのまにか僕の前にいて、しかもいきなり走り出したんですよ」
んなバカな。俺たちはずっとお前を追いかけていた。このビルに入るまでその背中を一度も見失ったことはない。
「ええ。だから認識に齟齬があると。現に僕はみなさんの背中を追いかけてこの屋上に来たのですから」
いつのまにか鬼と子の立場があべこべになっていたと、そう言いたいわけか。だがな、古泉──。
「キョン、待って」
口を開きかけた俺に、そう言ったのはハルヒだった。
「何だよ」
「良いから待って。ステイ。ハウス」
人を犬扱いするな。
ハルヒは俺のことを無視して、古泉の真っ直ぐに向かい合った。
「アルクビエレ・ドライブ?」
ハルヒがその呪文のような横文字を口にすると、古泉は虚を突かれたような顔になった。
「さすがは涼宮さんですね。さっきはそれを調べていたんですか?」
やっとのことでそう言ってから、古泉はまた微笑みを浮かべた。何故か、これまでにみたどの笑みよりも実感が籠っているような気がした。
「どうしても気になってね」
それからハルヒは、俺と長門の顔を交互に見つめて言った。
「まぁまぁ面白かったけど、今回の事件はこれで迷宮入りね。その代わり、ミステリー研究会にまたひとり強力なメンバーが加わることになったんだから、これはこれで良しにしておきましょう。有希も良いわね」
「構わない」
「よーし、それじゃあ古泉くんの入部歓迎会も兼ねてみんなで喫茶店に行きましょう!」
ハルヒの号令一下、俺たちはぞろぞろと階下に向かう。ひとつだけ、未解決の謎を置き去りにしたまま……。
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