世界を大いに盛り上げるための佐々木の団(3章まで完結)

mikio@暗黒青春ミステリー書く人

プロローグ

プロローグ/全ての言葉はさよなら

「キョンはいつまで信じていたんだい?」


 サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたあいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、ところがそんなどうでもいいような話をよりにもよってあの佐々木が振ってきたことに俺は少なからず驚いたものだった。


 中学三年のクリスマスイブのことである。

 サソリが苦手な猟師殿が両手を広げる星空の下を、俺は自転車を押して歩き、佐々木はその後ろ少し遅れてついてくる。少しませた中学生男女の交際――というわけではない。いつもと同じ、学習塾の帰り道だ。


「これは確信をもって言えるが最初から信じてなどいなかった」


「意外だね」


 意外かね。国木田あたりは「いかにもキョンらしい」と言いそうなのだが。


「サイエンスフィクションだとか魔法だとか超能力だとか……そういうの好きだからさ、キョンは。サンタクロースみたいなのもありなんだと思ったのさ」


 今夜だけしか働く気のないご老人が本当にいるのなら、もう少し公平にプレゼントを配ってもらいたいものだね。


「まったくだ」


 そう言って佐々木は肩をすくめたようだったが、振り返ると自分にだけはサンタもどきが望みのプレゼントを枕元に置いてくれるのを確信しているような少女らしい笑みを浮かべていた。どうやら小市民は俺だけらしい。


 それでサンタクロースの話はおしまいで、俺たちはまたいつもの調子に戻った。


 いつもの調子というのは、佐々木が推理小説の話をして、俺がそれを聞くというアレだ。十二月に入ってエラリー・クイーンブームが再燃したという佐々木のその日のお題は『九尾の猫』だった。むろん俺は未読だった。


「確認するよ。ここからはネタバレになるけど、話して良いんだね?」


 佐々木はちょっと早足で俺の隣まで来ると、決まり文句を口にした。


「安心しろ。俺は読まん。お前が面白おかしく話してくれればそれで充分だ」


 佐々木はお気に入りの推理小説の内容に踏み込んだ話をする前に必ず確認を取り、確認が取れた後でかならずこう言うのだ。


「やれやれ」


 俺は良いと言っているんだから問題ないだろうに、どうしても後ろめたさを感じてしまうのがミステリー読みという人種らしい。


「――物語の最後、事件の真相を見誤った名探偵に、ある人物がこう言うんだ。しかし、クイーン君、その重要で、やり甲斐のある仕事をしている間、一つの大きな、真実の教訓をつねに忘れないでいてもらいたい。それは君が今度の経験で得たと信じている教訓よりもっと真実のものだ。探偵は尋ねる。それはどういう教訓ですか、と」


 早起きは三文の得とか、そんなんか?


 俺のくだらない戯れ言を形容しがたい独特の笑みで受け流すと、佐々木はを告げた。


「なんだかわかったようなわからん話だな」


 あいにくと宗教にはとんとうといんでな。


「そうだね。わかったようなわからん話だ」


 佐々木はいつもの独特の笑みに少しだけの柔らかさを加てから、続けたのだ。


「でも、ぼくはずっとあの人が言ったことの意味を考えている」


「わからんな。お前がミステリー好きだってことだけはわかったが」


「そういうキョンは前にミステリーが好きじゃないと言っていたね?」


 昔の話だ。それにお前からこうやってあれこれ話を聞くのは嫌いじゃない。


「その昔の話が知りたいのさ。どうして昔はそんなふうに思っていたんだい?」


 頬の辺りにじっと視線を感じる。ええい、うっとうしい。


 俺は佐々木に射貫かれた頬をぐりぐりと手のひらでこねてから、あさっての方を向いて呟いた。


「……小説で悲しいことは読みたくない」


「悲しいこと?」


「例え事件が解決してめでたしめでたしってなったとしてもそうなる前に何人もの犠牲者が出るってのはミステリーの常だろ? それは現実にありふれている。だったら、俺はこうやってお前と益体もない話をしているほうが良い」


「僕が話しているのはまさに何人もの犠牲者が出るミステリーのことなんだけどね」


 お前が話すんなら別カウントだと言いかけて、急に妙な感情がこみ上げてきて、俺はあさっての方を向いた。さっきもうっかり妙なことを口走ってしまわなかったか?


「大体、あれだ。文字を読むのがしんどいんだよ。国語の授業だけで充分。キャパシティーオーバー。何とか妥協して漫画。だから、俺はミステリーは苦手。そういうことだ!」


 早口でまくしたてると、佐々木は何故か嬉しそうに笑った。

 

「興味深い意見だ」


「うるせえ。お前こそ、何だってそんなにミステリーばかり読んでいるんだ」


「決まってる。僕はね、キョン。に興味があるんだ。だから、ミステリーばかり読んでいるのさ」


「わからないな。だったら、恋愛小説だとかもっとふさわしいものがあるんじゃないか? どうしてわざわざミステリーを選ぶ?」


「君の意見は正しい。圧倒的に正しいと言っても良い。けど、その正しさが届かない場所というものもあってね。僕はまさにそういう場所に立っているんだ」


 それから佐々木は、けほけほと子ぎつねのような咳をした後で、星空を見上げた。


「ああ、良い夜だ。こんな日にキョンが『いつまでサンタクロースを信じていたのか』と尋ねてくれたなら、きっと僕はこう答えるよ」


 ――今でも、信じている。


 それから佐々木はまた咳をした。ちょっと嫌な感じの咳だったが、俺は大して考えもせずに「おい、気をつけろよ受験生」と言った。佐々木も笑って、俺の肩に自分の肩をぶつけてきた。


 シャーロック・ホームズなら、咳の仕方で何か気づくことができたのだろうか。

 エラリー・クイーンなら、いつもは私服で塾に通っていた佐々木が学校指定の制服で来た意味を解体することができたのだろうか、

 法月綸太郎なら、サンタクロースを巡るやり取りから佐々木の本音に近づくことができたのだろうか――。


 わからない。どちらにしろ探偵ではない、どこまでいってもただの中学生に過ぎなかった俺は、佐々木の異変に気づくことができなかった。


 気づかないまま、年が明けて、一月。

 佐々木が学校も塾も休んでいるということを知ったのは、成人の日を過ぎてからのことだった。

 体調不良らしい。そう聞いて「ふーん、風邪か」と思ったくらいで、それ以上のことは考えなかった。俺は度しがたいほどのバカだった。


 一月最後の日曜日の朝、家の電話が鳴った。

 電話の主は佐々木の母親だった。


 佐々木の母親が押し殺したような声で何を言っていたのかは思い出せないし思い出したくもない。ひとつ確かなことは、俺が電話の二時間後には、市立病院の集中治療室にいたということだ。


「やれやれ、この僕がセカチューとはね。愛を叫ぶつもりも叫ばれるつもりもないというのに。獣でもフレンズでもないのが返す返す残念だ」


 駆け付けた病室で、佐々木はいつものように落ち着いた笑みを浮かべていた。


「どうして黙っていた」


「キョンに異性としての関心を持つ娘は苦労するよ、きっと。僕はキミに対して純然たる友情を感じているわけだけど、それにしたってこの頭を見せたくはないという気持ちくらいはあるものさ」


 そう言って、佐々木はいつものように「やれやれ」と言った。例えスキンヘッドでも佐々木はいつも通りだった。


「ねぇキョン」


「ダメだ」


 母親から、佐々木がどういう状況なのかは聞いていた。だから俺は、佐々木が話そうとしていることを聞きたいとは少しも思わなかった。


「頼むよ」


「知らん。話したければ勝手に話せ」


 ただし、つまらんことを言ったら俺はその時点でここを出て行くからな。


「……わかったよ。なら、こういうのはどうだろう。君は一足先に県立北高校に入学して、ミステリー研究会に入るんだ」


 色々待て。お前は確か市外の私学が第一志望だったはずだ。そもそも俺たちは二人とも同じ中学三年生だろうが。


「この病院の医師がブラックジャックを超える名医だとしても、試験日までに退院させてはもらえないよ。リハビリだって必要だ。一年遅れで県立北高校を受験するというのは割合現実的なプランだと思うのだけど?」


 一年だな。一年待てば、お前は来るんだな。なら、良しだ。


「待ってるだけじゃすまないよ。キョンには僕がいない間にやってもらいたいことがたくさんあるんだ」


「と言うと?」


「まずは仲間集めだね。もっとミステリーに詳しくて、探偵論やトリック論について議論できるような会員が必要だ。できれば爽やかハンサムならなおのこと良いね。それから文学少女も必要だね。今さら古めかしいミステリー文学論なんてごめんだけど様々なジャンルの本を読み漁る仲間がいるというのはとても素敵なことだ。物静かでひたむきな読書家の少女……ふふ、うまいこと君に懐いてくれるといいね。ああ、そうだ。何しろミステリーは人が死ぬ話が多い。物騒な話ばかりではいくらミステリー好きの集まりとは言え、うんざりしてしまうかも知れない。温かみのある女性もいてくれたら、ぐっと雰囲気が良くなるんじゃないかな。ついでに胸も大きいとキョンにとっては都合が良さそうだ。後はそうだね……君が退屈しないように、とびっきり元気でいさましくて、でも女性として魅力的な……ああ、いや。これはやめておこう」


「やめる? どういうことだ?」


 俺の問いに、佐々木はまた特徴的な微笑みを浮かべるのだった。



 言ってる意味がわからんな。


「杞憂というやつさ。それより、もうひとつだけ。単にミステリー研究会と言うんじゃつまらないと思うんだ。通称があった方が良い」


 通称、か。


「うん。例えばそう、SOS団。世界を大いに盛り上げるための――」


 咳音。血痕。ナースコール。混乱。そして――そして。


 俺は県立北高校を受験し、合格した。


 卒業式から入学式までの短い期間に、俺は推理小説を読みふけった。


 読みふけることだけが、俺にできる全てだった。


 けれど、どれだけ読んでも、最高のハッピーエンドは見つけられなかった。


 ひとつだけ、わかったことがあるとするならばそれは、佐々木みたいなやつのことを『信頼できない語り手』と言うらしいということだけだった。


⇒be continued to "haircut 100"

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