3-13/フレンズ・アゲイン
古泉が語ったところによれば、尾行(?)が始まったのは、今から一週間前のことだという。
その日、古泉は転校の書類を提出するために北高を訪れたのだが、その帰り道、ガソリンスタンドの前を通りがかったあたりで妙な視線を感じたのだという。
「誰かに見られているような気がして振り返っても誰もいない。どうにもおかしいなと思いながらも、気のせいだろうと結論づけて、その日はそのまま下校しました」
しかし、その判断は誤りでした――古泉は涼しい顔を自嘲的に歪めてみせると、次の事件について語り始めた。
次というのは土曜日のことで、その朝古泉は、ジョギングもかねて通学路の確認をしておこうと思い立ち、休日にも関わらず高校へと足を向けたのだそうだ。全く、休みの日までこんな山の上の高校に来ようとするなんて、殊勝なことだ。
その日も誰かに見られているような気がしたのは帰り道のことで、今度はガソリンスタンドから少し下って、地蔵さまの祠の辺りから気配が露骨になったのだという。もちろん振り返っても誰もいないというのは、最初のときと同じだった。
そして三度目は昨日。今度は下校する生徒たちに紛れて歩くことにした古泉だが、案の定というべきか、駅へと続く階段の辺りで自分に向けられた視線をはっきりと感じたのだという。
「なんだか尾行がはじまる地点がどんどん学校から遠ざかっているような気がするんだが」
「気がする、ではなく、実際にそうなのでしょう」
お前の感覚が正しいならな。
「でもあの階段って尾行には不向きな気がするんだけど」
「そうか? 狭いしちょくちょく曲がっているしすぐ近くに藪があるしで隠れる場所には事欠かないと思うが」
「わかってないわね、キョン。階段が狭いせいで、登下校のとき、あの階段はいっつも混雑するでしょ。しかもちょくちょく曲がっているから古泉くんを見失わないためには、ある程度近い場所で尾行する必要があるの」
む。相変わらず要所要所では結構鋭いところみせるやつだ。
「ええ。僕も涼宮さんと同じことを考えました。それで、他の生徒には悪いと思ったのですが、中腹のベンチの横を過ぎたところで、足を早めて混雑の間をすり抜けて駅まで向かったんですよ」
「相手の焦りを誘ったわけね。なかなかやるじゃない」
「お褒めに与り光栄です。ただ、相手もさるもの。リスクを避けて、それ以上追いかけては来ませんでした」
何だ。結局手がかりは何も得られなかったのか。
「はい、残念ながらその日は」
「その日は? ってことは今日になって何か進展があったの?」
「進展、なのかどうかはわかりません。尾行の件と関連があるのかどうかも今はまだ定かではありませんが――」
古泉はそこで一旦口を閉ざして、ポケットからハンカチを取り出した。
古泉が綺麗に畳まれたハンカチを開くと、中には1枚の紙切れが入っていた。
「ディーエス二乗イコールジーアルファベータ・・・・・・なんだこりゃ」
見るだけで目がチカチカするような記号の羅列。何かの数式らしいがもちろん俺にはさっぱり意味が分からない。
「朝、学校の下駄箱を開けたら入っていたんですよ」
「数学の問題か?」
「書いてあるのは数式だけですから、それはないでしょう。第一、ハイポボリックタンジェントは高校数学では出てきませんよ」
ハイポ・・・・・・何だって?
「ハイポボリックタンジェント。二行目にtanhって書いてあるのがそう。双曲線をパラメータ表示するのに使うのよ」
よく知ってるな。
「双曲線自体は高校数学の範囲だし、興味本位で調べたことがあるから。それよりこの数式が引っかかるわ。どこかで見たことがあるんだけど……」
「本当ですか?」
古泉が微かに身を乗り出して言った。
「うん。でもダメね。思い出せない」
そうは言ったものの、ハルヒは諦めきれないらしく、眉間に皺を寄せてしきりに紙切れを見ている。
長門、お前はどうだ? 俺が目線で尋ねると、僅かに首を降る。左、右。そうか、わからんか。
「……あまり難しく考える必要はないんじゃないか? 尾行はともかくこっちらただのいたずら、愉快犯なのかも知れないだろ」
あるいは風変わりな恋文だとかな。
「ありえないわ」
「何故そう言い切れる」
「いたずらだとしたら、意味がわからすぎるもの」
俺にはお前が言っていることの方が意味がわからなすぎるんだが?
「……涼宮さんが言いたいのは、いたずらだとしたらもう少し意味のあるメッセージを靴箱に入れておくということですか?」
古泉の言に、ハルヒは我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「他愛ないいたずらにせよ、悪意あるいたずらにせよ、その意図が伝わらなければ意味がない。だから、いたずらってのは結構わかりやすきものなのよ。でも、その数式は違う。何かしらの意図はあるんでしょうけど、その意図をわからせる気がまるでない。そんないたずらがあるものですか」
確かにしっくりとはしない。かねてからの尾行と無関係にそれが行われたとしたらなおさらだ。
「確認するんだけど、最初のケースで古泉くんが学校に来たのって、いつのことなの?」
「放課後に来て欲しいと言われていましたので四時は回っていましたね。書類を渡して、少し先生方と話をして、学校を出たのが四時半前です」
そろそろ下校する生徒の人数が減ってくる頃合いだ。
「次の土曜日のケースでは朝に学校に来たんだよね? 家族以外でそのことを知っていた人はいる?」
古泉は少し考え込んでから「いないと思います」と答えた。
「行こうと決めたのはその日になってからのことでしたから」
「解せないわね」
「何がだ」
「犯人が古泉くんを尾行するのは決まって学校からの帰り道なんでしょ? でも、昨日の放課後を別にすれば、古泉くんが学校に来ることを知っていたのはごく限られた人間だけじゃない。犯人はどうやってそれを知り得たのかしら」
それこそ古泉が学校に来ることを知っていた人間が疑わしいって話じゃないのか? 北高の教師だとか。
「動機がないでしょ動機が。そもそも勤務中の高校教師に一生徒を尾行する暇があるとも思えないし」
そりゃまあそうだ。
「いずれにしてもこれはチャンスね」
「チャンス?」
「あたし、自分の中で確信が持てるまで推理をひた隠しにしている探偵は嫌いなのよ。それで死人が増えると最悪な気分になるわ」
なんの話だ。
「鈍いわね、キョン。犯人が古泉くんの下校に合わせて尾行を始めるんだったらちょうど良いじゃない。これからあたしたちで協力してストーカー野郎をとっ捕まえましょうって言ってるの!」
尾行者はいつのまにかストーカーでしかも野郎ということにハルヒの中では決まったらしい。やれやれ、本当にそんなことをやるのか?
「ちょっと調べ物があるから15分後に昇降口集合よ! 遅刻したら罰金だからね!」
どうやら本当にやる気らしい。
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