2-7/カメラ!カメラ!カメラ!

 短い時間とはいえボストンバッグの中に入れられていたのはあまり愉快なことではなかったのだろう。三毛猫はしなやかな動作で床に下りると、テーブルの下を通り抜けて長門の足下に近づき、一瞬ためを作ってから、ぴょんと彼女の肩に飛び乗った。


「大丈夫か?」


 長門は変な姿勢のままこくりとうなずいた。首だけでなく身体全体を傾けて三毛猫が落ちないようにバランスを取っているのだ。彼女のほっそりとした首に対して猫は明らかに重量オーバーだった。


「どういうこと? ボストンバッグの中身を見た方が早いって言われても全然ピンとこないわ。ちゃんと説明しなさいよキョン」


 おっとそうだ。今は長門の心配よりも先にやらなければならないことがあったんだった。


「それほど難しい話じゃない。榎本さんたちはこの月曜日から軽音学部の部室でその猫を保護していたんだ。もちろんこっそりとだけどな」


 校則に書いてあるかどうかは知らんが、学校にバレたら確実に怒られる。


「そうなの――?」


 涼宮ハルヒが上級生四人組にタメ口で尋ねる。なるほど、やっぱりこんな感じか。


「うん。実はそうなんだ」


 バンドリーダーの榎本さんによれば、ENOZの面々は先週の土曜日に市内の野外音楽堂でバンド練習をしていたらしい。元々は軽音学部の二年生が借りていたらしいが、急用ができたとかで譲られたのだそうだ。


「凉宮さんにも来てもらいたかったんだけど、あたしたち、まだ連絡先を交換してなかったよね。だから、今回は四人でやろうってことになったんだ」


 そして、土曜日の野外音楽堂で稽古に励んでいたENOZの前に、珍妙なオーディエンスが現れる。騒々しいエレキギターにも激しいドラムスにも動じず、哲学者然とした眼差しでバンド演奏を眺め続けるそれは、一匹の三毛猫だった。


 ゴロゴロゴロ……


 気持ちよさそうに喉を鳴らしていやがる。くそ。お前ちょっと長門の肩の上でくつろぎすぎてないか。


「多分近所の野良猫なんだと思うけど」


 今度はキーボードの中西さんが口を開いた。


「餌をねだるってわけでもないのにずうっと客席の一番前にいてさ。あたしたちが休憩に入ったらさっとステージに上がってきて、さっきまでの演奏を褒めてくれるみたいに『ニャー』って鳴いたんだ」


 中西さんの言葉に岡島さんと財前さんもうんうんとうなづく。要するに情が湧いてしまったということなのだろう。


 もちろん高校三年生ともなれば、情が湧いたというそれだけの理由で野良猫を持ち帰るわけにはいかないということぐらい理解しているものだ。そんなわけでENOZの面々は、自分たちで三毛猫を飼うことができるかどうかを協議するため、バンド練習を切り上げての部内会議を始めたのだった。


 家族への連絡時間を含め会議に要した時間は三時間を超えたが、結論としては唯一両親のオーケーを取り付けることができた榎本さんの家で三毛猫を飼うというところに落ち着いた。


「ところが、日曜日になって大きな問題が発生してしまって」


「大きな問題?」


 涼宮ハルヒがぶすっとした声で言ったので、俺は榎本さんに代わって言ってやった。


「猫アレルギーだよ」


 涼宮ハルヒが眼だけをはっと大きく見開いた。


「あたしじゃなくてあたしのお父さんが、ね。お父さん、昔からインターネットとかで猫の写真を観るのが好きだったし、書斎のカレンダーは猫めくりカレンダーだし、この子が来たときはすっごく喜んでいたんだけど……日曜日になったら目は充血、咳もひどいし、体中痒いとかで……」


 いくら猫好きでもそこまでひどい猫アレルギーの持ち主がいたのでは、飼うことはできそうもない。とはいえ、一度飼うと決めた猫をまた捨てるというのは無責任極まりないということで、日曜日に再度ENOZ緊急会議が開催され、とりあえず部室でこっそり飼育しつつ、飼い主になってくれそうな人に片っ端から相談を掛けていくことに決めたそうだ。


「三毛猫が軽音部に持ち込まれたのは月曜日の早朝だったそうだ」


「餌やトイレの砂なんかも含めればかなりの荷物だと思うけど、よくうるさい教師連中に見つからなかったわね」


「四人で分ければ一人当たりは大した荷物じゃないし、その子もボストンバックの中でおとなしくしてくれたから……」


 榎本さんはそう言ってから「ね? シャミセン」と猫に呼びかけた。


「それじゃ、あたしが月曜日の放課後に軽音学部を訪ねた時、居留守を使ったのは三毛猫がいることを隠すためだったのね?」


「うん。急に先生が来ることだってあるから」


「なるほどね。それはわかったわ。でも、だったらどうしてあたしにあらかじめ言ってくれなかったの? 三毛猫の飼い主探しのことで相談してくれても良かったし、それができないならあらかじめ月曜日の部活は休みになったとでも言っておいてくれれば――」


 気持ちはわかる。だけどな、それは文字通りできない相談だったんだよ。


「お前、だろ。月曜日だってそうだった」


 すぐ前の席の俺が言うんだから間違いない。


「あ……」


 榎本さんたちは休み時間ごと1年5組の様子を見に来ていたらしいが、授業が終わると風のようにどこかへと消え去ってしまう涼宮ハルヒをどうしても見つけることができず、そのまま放課後を迎えてしまったというわけだ。


「そっか。榎本さんたちもあたしのことを探してくれてはいたんだ」


「そりゃあね。けど、凉宮さんが言うように結果としてあらかじめ話しておくことができなかったのは動かしようのない事実。だから、居留守を使ったこと、それに、折角部室に来てくれた涼宮さんに対してドアを閉ざしてしまったことを、ちゃんと謝りたいの」


「「「「ごめんなさい」」」」


 涼宮ハルヒは上級生たちの謝罪には直接答えなかった。


「……シャミセンってのは、ひょっとしてその猫の名前?」


 代わりに、そんなことを尋ねたのだった。


「うん」


「それって、もしそいつがバンドのメンバーなら担当楽器は三味線ってこと?」


「だね」


 純和風な三毛猫だからそれっぽくはあるが、風が吹いたら桶屋が儲かる前に殺されそうな名前でもある。やっぱり榎本さんたちはあまりネーミングセンスが良くないらしい。


「でも、あの時キーボードを鳴らしたのは、中西さんじゃなくてシャミセンなんだよね?」


「そうなの。ノックの音でちょっとびっくりしちゃったみたいで。机の上からジャンプして鍵盤の上に飛び乗ったの」


「なるほどね……それで、シャミセンの飼い主はもう決まってるの?」


 涼宮ハルヒの問われて、榎本さんたちはちらちらと俺の方を視線を飛ばす。はいはい、わかっていますよ。


「そのことなんだが、とりあえず飼い主が決まるまでの繋ぎとして俺の家で預かろうと思っている」


「え? キョンの家で?」


「おかしいか?」


「別におかしくはないけど、アンタにそんな甲斐性があったんだって」


「やかましい」


 うちは一家揃って猫アレルギーはないし、基本的に動物好きだからな。心配事があるとしたら妹が動物のことを好きすぎて動物から鬱陶しく思われがちなことくらいだろう。


「……最後の質問があるんだけど」


 しばらくして、涼宮ハルヒは中西さん、岡島さん、財前さん、榎本さんと、ENOZの面々を順々に見つめてからそう言った。


「な、何?」


 涼宮ハルヒの眼光の鋭さにたじろいだのか、榎本さんがちょっと震えた声で聞き返す。


「来週も来てねって言ったあの言葉は、あれはまだ、有効なの?」

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