3-11/フレンズ・アゲイン
「ねえキョン、前から気になってたことがあるんだけどさ」
今の今までうんぬうんぬと謎のうめき声をあげながら考え込んでいたハルヒが、くわっと目を開くなりそう言ったのは、『心気症の自殺』の捜査が佳境に差し掛かった頃のことだった。
「真相がわかったならさっさとベーカー街に行け」
「違う。この事件のことじゃなくて。全く関係ないってことはないけど」
「今しなきゃならん話なのか?」
「でなきゃ聞かない」
それが人にものを尋ねる態度かと思わなくはないが、良いだろう。とりあえずは聞いてやる。
「キョンはミステリーの『メタ読み』についてどう考えてる?」
「メタ読みか」
俺は呟くように言って、腕を組む。
「……お前の言ってるメタ読みってのは、物語のセオリーだとか、書き手の作風だとか、残りページ数といったような、作中の探偵役には知り得ないことを手がかりとした推理ってことで良いのか?」
「まぁそんなとこ。推理ドラマなんかでも、容疑者候補の中にひとりだけやけに豪華なキャストがいたら、ついそいつを疑ったりすることない? あたしはついやっちゃうんだけど、そういうのってありなのかなって」
そいつは難しい問いだ。俺は自分の考えをまとめるまでの時間稼ぎも兼ねて、ミステリー研究会の部長の話を振ってみることにする。
「長門はどう思う?」
「作中で提示されていない事物を推理の材料とするのはフェアな読み方とは言えない。ノックスの十戒にも『探偵方法に超自然能力を用いてはならない』『探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない』とある」
軽い気持ちで聞いたのだが、そこは長門らしくストイックな答えが返ってきた。ただまぁ、十戒は推理小説を書くにあたって遵守すべき事項を挙げているのであって、読み手に何か要求するような類いのものではないと思うがな。そもそもノックスが本気であれを書いたのかどうかもわからないし。
「アンタの考えはどうなのよ、キョン。あんまり納得してない顔つきだけど」
そうか? 実際のところ、長門の考えもまぁまぁ悪くないとは思ってはいるんだがな。ともあれ今度は俺の手番というわけだ。
「……こいつは俺の友人が言っていたことなんだが、本ってのはどういう風に読もうが良いってことが一番の魅力なんだそうだ。徹夜で一気呵成に読み切るのも良し、何週間も時間を掛けて読破するのも良し。メモを取りながら読むもよし、だらだらソファで寝そべって読むも良し。読む読まぬの判断も含めて全ては読者に委ねられている点が、もっとも素晴らしいんだとさ」
「だからメタ推理だって当然アリだって言いたいわけ? 本を読むペースとかスタイルとかと同列に語っていいことじゃないと思うんだけど」
「かも知れない。ただ、俺の友人はこうも言っていた」
――実際問題、程度の差はあれ誰だってメタ読みはするんじゃない? ミステリー読みってのは推理するのも好きだけど、物語を読むのだって好きなんだからね。であれば、メタ読みそれ自体を否定する必要はないと思う。
「それに、メタ読みで犯人を推測するのと、そいつが犯人であると理論立てて説明できるのとは、全く別のことだからな。例え推理のスタート地点がメタ読みだとしても、そこから丁寧に手がかりを拾っていって、推理の道筋を作ることができたなら、それはそれで貴重な読書体験なるんじゃないか?」
「それがアンタの答え?」
「まぁな」
佐々木なら『メタ読みで犯人を推測する以上のことをしない読み方だって、それで楽しめたなら貴重な読書体験さ』と言って、あの何とも言えない笑みを浮かべそうではあるが、俺の答えはとりあえずのところこうだった。
「悪くないわね」
「そりゃどうも」
「考えてみればメタ読みだって、ミステリーを楽しみのひとつなんだし、わざわざ自分で楽しみのひとつを潰す必要なないわね。というわけで、ていっ!」
言うなりハルヒは『ワトソン&ホームズ』の自分のコマを、勢いよくベーカー街221Bのカードの上に置いた。これはこのゲームでは、謎が解けたと宣言することと同義だ。
「良いんだな? 一度置いたらもう後戻りはできないぞ」
ベーカー街221Bにコマを置いたプレイヤーは、誰にも見られないようにシナリオごと決められた設問の答えを記入し、封筒に入れる。その後、やはり誰にも見られないようにベーカー街221Bのカードをひっくり返して、そこに書いてある答えと自分の答えが一致しているかを確かめるのだ。
「悪いわね、キョン。あたしの推理は後退のネジってやつを外してあるのよ」
撤回する気はなし、か。良いだろう。ハルヒのコマを押しのけてベーカー街221Bのカードの上に自分のコマを置くこともできなくはないが、そういうことなら、お手並み拝見といこう。
これでハルヒが正解を引き当ててしまえば、そこでゲームは終了。俺と長門の負けということになるのだが、内心俺は余裕しゃくしゃくだった。ついさっき俺だけが読んだカードに重要な情報が書いてあったからだ。あのテキストを読んでいないハルヒに、事件の真相を解き明かすことはできまい。
「よし、じゃあ答え合わせをするわよ!」
ハルヒは自信満々に言って、ベーカー街221Bのカードをめくった。
五秒、十秒――書いてあるテキストを追いかけていたハルヒの目が、ある瞬間につっと、細くなった。
「え、な」
その言葉を最後に、ハルヒはすっとカードをもとの場所に戻して、物を言わぬ仏像となった。
「どうだったんだ」
ハルヒはぷいっと顔を背けて「ゲーム続行よ」と呟くように言った。
それで俺は確信を得た。やはり、ハルヒがまだ読んでいないあのテキストこそが、事件のカギだったのだと。逆にハルヒだけが読んでいて、俺がまだ読んでいないテキストもあるのだが、おそらくそれはミスリードなのだろう。全ての情報が出そろうのを待つべきではない。誰よりも早く謎を解き明かしたものだけがこのゲームの勝者となるのだから。さっきのハルヒとのやり取りじゃないが、ある程度はメタ読みとメタ読みに基づく飛躍が必要なゲームなのだ。
そして俺は、ゆっくりとベーカー街221Bの上に自分のコマを置いた。
「良いの? 一度置いたらもう後戻りはできないわよ」
ハルヒがさっき俺に言われたことを当てつけのように言ってくるが、構わない。おそらくこれが、真実だ――。
俺は手早く答えをメモすると、ベーカー街221のカードに手を伸ばした。
五秒、十秒――書いてあるテキストを追いかけていた俺の視線が、ある箇所でぴたりと動かなくなる。
「な、あ」
その言葉を最後に、俺はすっとカードをもとの場所に戻して、二体目の仏像となったのだった。
そんなこんなで、ゲームの勝者となったのは最後まで結論を焦らなかった長門だった。いやしかし、あれが引っ掛けだったとはねぇ。俺もハルヒもすっかりゲームデザイナーの仕掛けた陥穽に嵌ってしまったらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます