#24 ティアドロップ
はにかんだ愛想笑いをしていたが、それは初対面のコーチに飛び入り参加を申し出る気恥ずかしさによるものに見えた。
上手くできるだろうかというような、そんな不安は感じない。
「ええと……在原さん、バスケ経験は?」
「前の学校で、部活やってました」
「身長は?」
「160ですよお」
言いながら、美裕はシューズバッグの中身を取り出した。
黒と赤。"ボールを手に跳躍する人"のマークが特徴的なシューズだった。
表面はきれいに磨かれているが、細かな傷やくたびれが見える。そのシューズがただのファッションではなく、実践的に使い込まれている証拠だ。
彼女がこのシューズと共に、努力してきた証拠。
「――綾瀬さん」
亮介は、慈を振り返った。
慈はベンチに座り、うつむいたまま。
「いいね?」
「……別に。先生の思うようにすればいいんじゃないですか」
抑揚なく、慈は答えた。
5ファウルを犯してしまった事は、精神的にかなり堪えている様子だ。自分のところから多数の失点を喫した事もあって、戦意を失っているようにも見える。
いずれにせよ、このまま試合に出しても良い結果にはならなそうだ。試合の勝敗という意味でも、教育的な意味でも。
「若森さん」
「?」
亮介はベンチの自席に戻り、作戦盤を手に取りながら鈴奈を呼んだ。
美裕に向けて作戦盤を開きながら――
「ゼッケン持ってきてくれるかい。白の9番を」
#24
美裕が体育着に着替え、"9"のゼッケンを着けて戻ってきた時、ハーフタイムは残り1分だった。
「在原さん、君は
「はあい」
足首の準備運動をしながら、おっとりとした微笑み顔で美裕は返事をする。
美裕を取り巻く既存メンバーには、戸惑いの色が隠せない。
代表するように口を開いたのは、瞳だ。
「あの、先生。戦術とかフォーメーションは……?」
「基本、みんなは今までのように、練習通りでいい。コート上での判断も、引き続き神崎さんに任せる」
「……いいんですか? 練習通りで」
「ああ、それでいい」
瞳は言外の意図を汲んでくれた。そう感じ取って、亮介は瞳の答えを肯定する。
練習通り。
今までの練習に参加していない美裕は、連携に参加させられなくても仕方ないという事だ。
練習していない事は、できない。仲間と呼吸を合わせる必要がある連携プレイなら尚更だ。
「後半戦、開始します。両チーム、コートへ」
絵理香が後半戦の開始を告げる。
スコアは22-28、6点ビハインドからの再開だ。
「それじゃあ行きましょっか。みんな、よろしくねえ」
「う、うん……」
愛も、戸惑いを隠せない様子。
チームとして上手く回るかどうかは、未知数だった。
「よーっし、後半もやっちゃおうか」
浅木美佳は、前半での戦果に上機嫌だった。
ハーフタイムのうちにスコアブックを見たところ、前半で7得点5リバウンド。試合終了までには、キリよく
それに、明芳の8番を退場に追い込めたのも愉快だ。
どうもハーフタイムの間に、明芳には飛び入り参加で6人目が入ったようだが――
(まあ、上手く回るわけないよね)
笑いが漏れそうになる。
飛び入り参加の6人目は、転校生だとかの言葉が聞こえた。
つまり、一緒に練習した事もないまま、完全なぶっつけ本番という事になる。
それで上手くやれるはずがないのだ。
「ミカちゃん、あの9番の
「ん? そうだね」
背番号7、クラスメイトで友人でもある
まあそうなるだろう、と美佳も認識していた。
明芳のメンバーは身長が極端だ。4番が170cmを超える長身で、8番がおおよそ美佳と同じ160cmあまり。あとは全員、150cm前後の"チビ"ばかり。
飛び入りしてきた、体育着にゼッケンの9番は、身長的には8番とあまり変わらない。
5人の中で2番目に背が高い選手なら、特別な事情がない限り、
つまり、美佳と同じポジション。
体格的にも、美佳が
「まっ、どうって事ないでしょ。あんなの」
コートに入ってきた9番は、ぽやっとした雰囲気だ。身長はまあまあ高めだが、力強そうにも、機敏そうにも見えない。
いいカモだ。
8番の時と同じように、
「もう、ミカちゃんってば。油断したらダメですわ」
「心配性だねぇアンナは。へーきへーき。大丈夫だって」
美佳は軽い調子で答えて、コートへ入った。
牧女の編成は前半と変わらない。2年生である
「カナエ、後半も5番のディフェンス頼むよっ」
「ひゃっ、うん」
結城の背中を軽く叩いて、激励。オーバーに驚いた様子を見せたが、うなずいて答えてくれた。
結城は、ディフェンス力だけは確かなものだ。身長がないため小柄な相手への守備しかできないが、小柄な相手をマークさせた時の働きは、目立たないながらも大きい。
明芳の5番のような小柄な点取り屋に対しては、効果は抜群だ。
だが、地味だ。
ディフェンス専門なんて、そんなプレイをしていて面白いのだろうか――と美佳はつねづね思う。
その一方で、そういうプレイスタイルの味方は、"脇役"として非常にありがたい。
相手の得点を食い止めてくれる。
オフェンスでの出番を自分と取り合わない。
つまり、美佳がたくさん点を取った上で、チームが勝つ――美佳にとって一番おいしい展開に都合がいいのだ。
「頼りにしてるよー」
「あ、ありがと……えへへ」
結城は照れ笑いを浮かべながら、小走りに
美佳が彼女を頼りにしているのは事実だ。
自分がいい気分でやれる試合のための、駒として。
第3ピリオドは、牧女のオフェンスからの開始。
意気揚々と
「よぉーし」
9番は一度屈伸運動をしてから、やや間延びした声で言う。
いかにも、のんびり屋といった雰囲気。
大した相手ではないに違いない。
(あと3得点5リバウンド、稼がせてもらっちゃおうかねぇ)
それだけ稼げれば
3得点は、流れの中で自然と取れるだろう。リバウンドは、意識して多めに取りたいところだ。
(作戦、決まりっと)
後半最初の牧女のオフェンス、美佳はアウトサイドで待機した。
オフェンスリバウンド狙いだ。味方がもしシュートを外せば、颯爽と飛び込んでリバウンドを取る――
その想定で美佳が待機していると、近衛が3Pシュートを撃った。
ボールは、リングに弾かれる。
いかに近衛ほどの選手と言えど、3Pがそうそう簡単に入るはずはない。
大きく跳ねたリバウンドボールは、両チームの
明芳の9番が、その落下地点へ走り込んだ。
(どいてもらうよっと!)
美佳は9番に近寄り、ボックスアウトをしかけた。
もともと美佳は、体格はある方だ。さきほどの8番と同じように、この9番も押し退けて――
ビクともしない。
「えっ」
ぐいぐいと、背中で押しているはず。
しかし、腰を落として踏ん張る姿勢を取った9番は、まったくビクともしない。
この9番が、体重が重すぎるという感じではない。
まるで、足が床に貼りついているかのような感覚――
押し退けられない。
リバウンドポジションを、奪えない!
「よいしょっ……!」
跳び上がった9番が、危なげなくリバウンドを取った。
攻守交代。全員が牧女ゴールへと小走りに移動する中、9番は、
「さ、オフェンス行きましょお」
間延びしたような、おっとりとした声。間違いなく9番のものだ。
(……何、こいつ)
美佳はディフェンスに戻りながらも、驚き、この9番の評価を改めた。
緊張感のない口調に、美佳より若干低め程度の身長。大した事のない相手だと思っていた。
そんな事はなかった。
だが――さっきのボックスアウトの時に感じた、まるで体が固定されているかのような感覚の正体がわからない。
一体、何者?
「リバンっ!」
明芳の6番の声。
明芳の4番がシュートを撃ったところだった。4番は国府津にボックスアウトされ、オフェンスリバウンドには入れそうもない。
美佳はすかさず、国府津と逆サイドでリバウンドポジションを取った。
これでどちらにボールが落ちてきても、牧女ボールになる事は間違いない。
(今度こそ、いただき――!)
にゅるり――と。
ボックスアウトの姿勢を取っていた美佳の腕の下を縫うように、腕が、そして脚と腰が、斜め後ろから入ってきた。
「!?」
密着してきたのは、体育着にゼッケン。
明芳の9番!
「ちょ、なんで……」
リバウンドポジションを確保していたはずだった。
なのに、体をすり抜けるように、リバウンドポジションを奪いに来る!
押される。
よろめき、体が後方へと押し退けられる。
(なに、こいつ!?)
理解不能。
正体不明。
今まで相対した事のない相手に、美佳は、戸惑った。
――ボールは、リングとバックボードの間に当って、不規則に跳ねた。
落下地点は、美佳と9番が競り合っている場所の、やや後方。
(……チャンス!)
後ろに追いやられていた事が幸いしそうだ。
9番からしてみれば、自分の背後に落ちるボールだ。取れるはずがない。
美佳は9番と押し合う事をやめ、ボールの落下地点に一歩先回りして――
「んしょっ、と!」
――手が伸びてきた。
跳び上がった9番が大きく体を後ろに反らし、手を伸ばし、ボールを掴んだ!
胸元にボールを引き込み、着地!
(……なに、こいつ!?)
美佳は慌てて9番の前に回り込み、ディフェンスの姿勢を取った。だが、その思考は冷静を保てない。
今のは一体?
まるで、軟体動物かと思うほどの柔軟さ。
押してもまったくビクともしない事といい、この9番の体はどうなっているのか!
「みひろちゃん、パス!」
――7番!
9番からの短いパスを受け、美佳の横をすれ違うように抜き去り、レイアップ。
スコアは24-28。点差は、4にまで詰まっていた。
後半開始2分が過ぎたところで、亮介は後半1回目のタイムアウトを取った。
スコアは26-30。試合運びが、前半よりも安定している。
その要因は、ただひとつ。
「凄いよ、みひろちゃん! リバ強い!」
「やるじゃん、転校生!」
「ふふ、ありがとぉ」
おっとりとした口調からは想像もつかない活躍をしてくれた、彼女だ。
ぶっつけ本番で試合に投入する形となった彼女は、当然ながらこのチームでの連携プレイの練習をしていない。必然的に、
実際、彼女はパスを受け取る事はほとんどなく、点も取っていない。
だが、わずか3分で複数回のリバウンドを取ってみせた。
それが攻守において、チームに安定感を生んでいた。
美裕は、身長だけから単純に予想できる能力を、はるかに上回っていた。
「在原さん、ちょっと教えてほしい」
「はあい?」
亮介の問いかけに、美裕は素直に応じる。機嫌の良さが表情にも現れていた。
「君、もしかしてバスケ以外に何かやっていたのかい?」
「はい。小学の頃、ジュニアスポーツクラブで新体操を」
「体操競技か、なるほど」
なるほど、あの強みも納得だ――亮介はうなずいた。
「それであんなにリバウンドが強いわけだね」
「んぅ、そうかも?」
「間違いないと思うよ。体幹が鍛えられてる人の特徴が出てる」
「たいかん?」
疑問符を浮かべたのは、愛だった。リバウンドの話題だけに、興味を引かれたのかもしれない。
亮介は自分の横腹を指し、愛に答える。
「体幹って言うのは、胴体の筋肉……特に、体の重心を支える筋肉の事を言うんだ。だからこれを鍛えていると、体のバランスを取る力がついて、体勢が崩れにくくなる」
「体操やってる人はみんな鍛えてるわねえ」
「へー……」
感心したように言う愛。一方で、美裕の能力の秘密に納得したようでもある。
「――それに在原さんは、体の柔軟性もあるね」
「あ、それは私も見てて思いました」
瞳が、会話に参加してくる。
「ボックスアウトされてる所に、スルッと体が入っていったり……それに、肩の関節が外れてるんじゃないかってぐらい体が柔らかくて」
「ふふ、外れてはないわよお」
美裕はベンチに座ったまま、脚をまっすぐ伸ばし、つま先に向かって自ら手を伸ばした。
上半身が脚にぺったりと着き、悠々と指先がつま先に届く。
目を見開いて驚いたのは、茉莉花だ。
「すげっ……めちゃくちゃ体柔らかいな!」
「トレーニングしたからよー? スポーツクラブで、2年ぐらい」
才能ではない事を謙遜する美裕だが、その表情は満面の笑顔だ。
自分が早くもチームに認められている事、他の部員たちとの一体感が感じられている事、それらが嬉しくて仕方ないといった様子で。
タイムアウトの間、慈は一言も発する事はなかった。
美佳は焦っていた。
9番の能力の正体は依然としてわからない。ただ、手強い相手だという事だけはよくわかった。
試合の流れも、よくない。
美佳のシュートが外れ、明芳の4番に長身を活かしてリバウンドを取られる。
明芳のシュートも外れるが、今度はスルリと好位置に入り込んできた9番にリバウンドを取られる。
リバウンドから、試合の支配権を奪われている。
そうこうしている間に、4番にゴール下シュートをねじ込まれ、28-30。
もう、1ゴール差だ。
「くっそ……」
予定外だ。
それも、少なからず美佳のリバウンド負けによる劣勢だ。
このままで済ませられるわけがない。自分の失点を帳消しにする活躍をしてやりたい。
だが――美佳の気持ちとは裏腹に、
すぱっ、と小気味良い音を立ててゴールが射抜かれる。
28-32。
再び、2ゴール差だ。
「浅木さん、落ち着いてディフェンスよ」
バックコートへ戻り際、近衛はそう囁きかけてきた。
「……わかってますって」
落ち着け、と美佳は自分に言い聞かせる。
そもそもあの9番、リバウンドではかなりの活躍を見せているが、ボールを持って自らゴールを狙う事はほとんどしていないのだ。
そう考えれば、あの9番もそう怖くはない。
結局バスケは、たくさんシュートを決めた方が勝つのだ。
シュートを撃ってこない
いくらか心の落ち着きを取り戻し、美佳は9番のディフェンスに着く。
案の定、パスは9番にほぼ入らない。スクリーンプレイから7番が切り込んで、シュート――!
外れた。
と同時に、9番がスルリと体を差し込むようにして、美佳をボックスアウトしてくる。
(くっそ……!)
リバウンドは取れそうもない。美佳は、リバウンドは諦めた。
案の定、跳び上がった9番がリバウンドを取る。
美佳は9番の前に立ち塞がり、ディフェンスの体勢を取った。
「……ほら、撃ってみなよ」
不敵に笑って、
聞こえたらしく、9番は美佳の顔を見て来る。
「ぜんっぜんシュート撃たないよね。ヘタクソなんでしょ?」
「……ふぅん?」
「あ、それかハブられてる? 全然パス回ってこないもんね。わあ、かわいそ~」
「あら、そう」
9番の表情が、消えた。
「まあ何でもいいや、撃てるもんなら撃ってみなよ」
「ええ、そうするわ」
――ダムッ。
ドリブルをついた。
左にフェイク、そして右に
だが――
(遅いっ!)
9番は、スピードには優れてはいなかった。美佳のディフェンスは、充分ついて行ける。
9番は美佳を抜いて進む事ができず、ゴールに対して横向きに移動しているだけだ。
(防げる!)
美佳は確信した。
やがて9番は
ふわっ
ボールが、宙に浮遊した。
"パー"の形をした9番の右手から、ふわりとボールが高く舞い上がったのだ。
まったく回転もかかっていないボールは、時間が静止した中、それだけが動いているかのようで。
大きく、高い弧を描き――
すぱっ――と、ゴールネットの中へ落ちていった。
「うおーっ!? なんだ今の!?」
驚愕の声を上げたのは、失点を喫した美佳ではなく、むしろ明芳のメンバーだった。
美佳は驚きの声を出す事すらできずにいた。言葉を失う、とはこういう事なのだろう。
見た事もないシュートだった。ドリブルで抜いてゴールへ突き進むわけでもなく、ジャンプシュートのフォームを取るでもなく――
「凄いじゃん、みひろちゃん! あれって、フローターだよね?」
「そうよお」
はやし立てられて上機嫌な様子で、9番はバックコートへ戻っていく。
スコアは30-32で、再び2点差。
「……」
美佳は、まだ言葉を失っていた。
額から頬へ垂れていく汗の感触を、やけに克明に感じる。
「くっそ」
腕で、汗を拭った。
あの9番の能力は、未だに計り知れない。
けれど。
(まぐれだよ、まぐれ。あんなシュート!)
そうに違いない。自分に言い聞かせ、自らを奮い立たせる。
ゴールにまっすぐ向かいもせずに、片手で"ふわっ"と投げるような――レイアップの出来損ないのようなフォームで、無理矢理片手で撃ったようなシュート。
あんなものが、そうそう狙って成功させられるはずがない。
何度もやっていれば、きっと化けの皮が剥がれるはず。
牧女のオフェンスは、国府津が明芳の4番から距離を取ってのミドルシュートを決めた。
30-34で、4点差。
再び、ディフェンスだ。
「在原さん、ポスト入って!」
明芳の6番がコールした。
9番がローポストで面を取り、美佳を背面で押さえにかかる。
「く、こんにゃろ……!」
押し返そうとするが、やはり足が床に貼りついているかのように、ビクともしない。
そこにタイミングを合わせて、4番もハイポストに入って来た。
4番が面を取って、6番からパスを受け取る。そして即座に――
「在原さん、はいっ!」
4番から9番へバウンドパス。
美佳をゴール方向に押し込み、9番は危なげなくボールを受け取った。
(こいつ、来る……!)
美佳はディフェンスの体勢を取って、身構えた。
ローポストに入ってボールを受け取ったという事は、直接ゴールを狙ってくる可能性が高い。
そもそも、他のメンバーからパスが入ったという事は、明芳の5人の間でも戦力として認められつつあるという事だ。
止めてやらなければ、ますます調子づく。
――ダムッ。
ワンドリブルして、ゴールに正対。ボールを持って、一歩、二歩――
(ここだっ!)
美佳はブロックに跳んだ。
9番の動きはさきほどと同じ、片手で変なシュートを撃つ動作だ。
ブロックのタイミングは完璧!
美佳は腕を真上へ伸ばし、シュートされたボールを叩き落とそうとして、
――ふわっ。
無回転のまま高く山なりの軌道を描いたボールは、美佳の手の上を越えていく。
美佳の振り上げた腕は、空を切った。
「……!」
美佳はゴールを振り返った。
ゴールへ向かって落ちていったボールは、リングの内側で二度、三度と跳ねる。
そして、ゴールネットを通過していった。
32-34。
(まぐれじゃ……ない?)
考えたくなかった可能性だ。
見たこともないあのシュートは、片手で"ふわっ"と放り投げている、適当なシュートに見えた。
けれど、ボールの軌道が高い。
身長やジャンプ力では、美佳は決して9番に負けていない。だが、あんな高い軌道のシュートではブロックできない。
あれが、まぐれでないのだとしたら――
「速攻ッ!」
――明芳の5番が、杏奈へのパスをカットしてカウンター速攻!
近衛が真っ先に
ボールは5番から7番へ。
杏奈が7番に追いつき、速攻を完全に食い止めた。
7番から、ボールは――
「みひろちゃん、もういっちょお願い!」
「はあい」
9番へ!
ゴールに背を向けてボールを受け取った9番は、またもやワンドリブルをついて、ゴールへ正対――!
(またさっきの、ふんわりシュートかっ!!)
ボールが高く上がる前にブロックすればいい!
狙いは、手からボールが離れる瞬間だ。あの奇妙なシュートが来る事を予測して、美佳は9番との間合いを詰め、ブロックに跳ぶ!
9番は――
ゴールへ直進し、両足で強く床を踏み込んだ!
衝突!
「うわっ……!」
弾き飛ばされたのは、ぶつかりに行く形になった美佳の方だった。
鋭く、ファウルを告げる笛が鳴る。
9番は――衝突によって体勢を崩す事もなく、両足跳びレイアップを成功させていた。
「
コールされたのは、美佳のファウル。
それはまるで、明芳の8番の立場に、今度は自分がなったかのよう。
コートの床に腰を落としたまま、美佳は呆然としていた。
「ごめんなさいねえ」
美佳にかけられたのは、おっとりと間延びした声。
体育着にゼッケンの、明芳の9番だ。
倒れた美佳を助け起こそうというのか、手を差し伸べていた。
「……」
癪な気持ちだったが、使えるものは使う主義だ。美佳はその手を取って、立ち上がった。
途中、9番と目が合う。
「あのね、覚えておいてくれるかしら」
目が笑っていなかった。
「私、負けず嫌いなの」
美裕がバスケットカウント・ワンスローを獲得したタイミングで、牧女はタイムアウトを取った。
スコアは34-34の同点。美裕がこの後のフリースローを決めてくれれば、逆転という戦況だ。
ここでタイムアウトを取った牧女は、劣勢を認め、作戦を変えて来ようとしている所だろう。
(流れが、来てる)
亮介は確信した。得点の上ではまだ互角だが、試合運びの上では優勢な状況だ。
ベンチに戻ってきた5人の表情も明るい。
「すげーぞ、転校生! もうすぐ逆転だ!」
「そうねえ。うまくいって良かったわ」
「在原さん、上手いよ。私びっくりしちゃった」
「うふふ、ありがとお」
予想外の活躍をした美裕を、一緒にプレイした4人は賞賛している。
美裕の実力は充分に示された。複雑な連携はまだできないにせよ、協力して勝利を目指す事はできている。
早くも、一体感が生まれ始めていた。
「フローターなんか使うんだもん、あたしもびっくり」
「フローターって言うんだ、あれ」
鈴奈が上げたその技の名前を、愛が繰り返す。
フローターシュート――または、ティアドロップとも呼ばれる。その名の通り、ボールがふわりと"浮かび"、そしてゴールめがけて"落ちてくる"かのような軌道を描く片手撃ちシュートだ。
率直に言って、難易度の高いシュートだ。
跳び上がりながら肩の上あたりでボールを構え、掌で押し出すように投げ上げる、特異なフォームのシュート。そんなフォームを空中で取り、体勢を崩す事なくボールを高く放つ必要があるのだから、簡単なはずがない。
ただ、使いこなせれば、この上なく有用だ。
高くボールを舞い上げるそれは、20cm近く長身のブロッカーの上すら越す事ができるのだから。
「在原さん、フローターシュートは誰かに習ったのかい?」
興味本位で、亮介は聞いてみた。
んぅ、と口元に指を当てて、美裕はわずかの間だけ考えて。
「独学……って言うんでしょうか? 動画とか見て、真似したらできちゃって」
――天性か。
もちろん、美裕は体操競技をやっていた前歴がある。体幹がしっかりとできあがっており、空中でもボディバランスを保つ能力に秀でているのだろう。そういった下地があってこそだ。
だが、空中でのボールコントロール能力は、体幹だけでは説明はつかない。
バスケットカウント・ワンスローを得た時などは、牧女の8番がフローターを先読みしてブロックに来ようとしていたのを見て、とっさにパワーレイアップに切り替えたようにも見えた。
駆け引きの上手さ、勝負強さ。
月並みな言葉だが、それはセンスだ。
「先生。今、インサイドは
スポーツドリンクを一口飲んで、瞳も言う。
冷静なようで、どこか意気揚々とした口調。作戦が上手くハマると、確信した様子だ。
「
「ふふ、任せて」
答える美裕は、上機嫌だ。活き活きと作戦を提案する瞳とも、意気が合い始めている。
好ましい傾向だ。
亮介の目から見て、作戦も――相手に生じた弱みを突くという意味では、的を射ている。
「そうだね、当面はその作戦でいい。ただ、そのうち相手がゴール下の守りを厚くしてくる可能性は高いぞ」
「その場合は、茉莉花に外から攻めてもらいます」
唐突な名指しに、茉莉花は目を丸くした。
5人の注目が一斉に集まったが、それも無理のない事だ。なぜなら――
「あたし、あの12番に着かれてんだけど?」
牧女の12番にマークされてから、茉莉花はまともにオフェンスに参加できていない。茉莉花が無得点の時間は、第2ピリオド開始から現時点まで、約12分――試合時間の約4割にも及んでいる。
12番のディフェンス力は確かなものだ。茉莉花の独力では突破できないことは間違いない。
ちらりと牧女ベンチに視線を向けたのは、愛。
「……うん、あの12番の子は普通に上手い気がする。神崎さん、何か作戦あるの?」
「うん。作戦って言うか、半分はカンだけど」
その質問を待っていたとばかりに、瞳は、かすかに笑っていた。
「あの子の弱点、見抜いた気がするから」
「くっそ」
牧女ベンチに戻った美佳は、吐き捨てるように言って、どっかりとベンチに腰を下ろした。
9番が厄介だ。
身長ではわずかに美佳が上回っている。運動能力でも負けている気はしない。
だというのに、わけのわからない技を使ってくる。
理解不能だ。
ムカつく。
「ミカちゃん、落ち着いて……」
「落ち着いてるってば」
汗を拭いたタオルを、足元に叩きつけるように投げ落とす。
ペットボトルを手に取ろうとして、手が空振った。
スポーツドリンクを買い忘れて来ていたことを、ようやく思い出した。
喉を潤して、気を紛らわす事もできない。
イラつく。
こんな時に――
「あ、あの、浅木さん。ポカリ、いる……?」
恐る恐るといった様子で自分の水筒を差し出してきたのは、結城だ。
横目で、結城をじろりと見る。
びくっと恐れおののいた様子で、結城は身を引いた。
「いらない」
「そ、そう……」
身を縮こまらせるように、結城は自分の席へ戻る。
何のつもりだというのか。
ディフェンスでたまたま自分が上手くやれているからといって、こっちの面倒を見ているつもりか。
チビで脇役の結城に面倒を見てもらうほど、落ちてはいない。
たまたまあの9番が妙な技を使ってくるから、調子が――
「浅木さん、落ち着きなさい」
近衛だ。
試合開始からずっと出突っ張りの彼女には、疲れが見える。だが、口調は冷静だ。
「あの9番にやられてるからって、焦りすぎよ」
「別にっ、誰がやられてなんて――」
「自覚がないのなら、余計に問題だな」
岐土から、近衛を援護する言葉。
その顔は厳しく、口を真一文字に固く結んで、ベンチに座った美佳を見下ろしていた。
何か弁明したい事はあるかと言わんばかりの重圧。
その視線に対して、美佳は何も答えなかった。イライラしているのは事実だが、それを認めるのも癪だ。
――はぁ。
小さく嘆息して、岐土は視線を別の選手へ向けた。
「
「なっ……!」
驚きの声を上げていたのは美佳だった。
指名された本人も驚いた様子を見せながら、戸惑い気味にベンチを立とうとする。
それに先んじて、美佳は立ち上がった。
「ちょっと待ってくださいよ、先生! あたしが……」
――あたしが、あのデブより使えないとでも。
直接的な表現は、口に出る寸前でどうにか飲み込めた。
だが岐土は、美佳の言いかけた内容を肯定するかのように、美佳の視線を受け止めた。
「浅木、今のお前はチームの一員として戦っていない」
きっぱりと、岐土は答えた。
重みのある言葉だった。年齢と、バスケット歴の違いを思い知るような。
「一人相撲など取っている奴は、コートには送り出せん。少し頭を冷やせ」
「フリースロー、1ショット」
フリースローラインに立った美裕に、審判役の絵理香からボールが渡る。
慈は、ベンチからその光景を眺めていた。
どこか、現実感のない光景だった。
「常磐さん、ボックスアウトよ!」
「は、はいっ」
牧女は、あの憎たらしい8番がベンチに引っ込んでいた。代わってコートに入った9番は、太り気味で、いかにも運動はできなさそうだ。
そんな選手が投入されてきたのは、8番が精彩を欠いたからに違いない。
その原因というのも――
「みひろちゃん、落ち着いてシュートだよっ」
「あはは、あんまりプレッシャーかけないでほしいんだけどお……」
既に、和やかにチームに溶け込んでいる様子の転校生。
彼女はフリースローを投じ、そして外した。
リングに弾かれたボールは、牧女の5番がリバウンドを回収。一転、今度は明芳がゴールを守る番となった。
「うぅん、フリースローって苦手なのよねえ」
「ドンマイドンマイ! さっ、一本止めて逆転しよ!」
「マークしっかり!」
フリースローを外したにも関わらず、チームの雰囲気は悪くなる事はなかった。
瞳が、愛が、積極的にポジティブな声を出している。
苦笑いしていた美裕もポジティブな流れに乗るように、9番のディフェンスに着く。
既に、チームとして一体となった雰囲気があった。
「……」
コートを眺めながら、思い返す。
自分は、あのようにチームとして一体となれた事があっただろうか。
悔しい思いをして、努力して、自分の力を磨いたつもりで、それでもまだ届かなくて。
あの転校生はあっという間に実力を認められて――失敗しても次のプレイで取り返せるという期待感が強いから、フリースローを外しても暗くならない。
認められ、期待されて、チームの一部となる。
彼女はそれができて、自分にはできない。
「……っぐ」
慈はうつむいた。
膝の上で、手の皮が破れそうなほど強く拳を握る。
握った拳の上に、熱い雫が落ちた。
慈の状態を無視して、コートでは歓声と、ボールの弾む音。
試合は、止まる事なく進んでいた。
――私だけが、蚊帳の外だ。
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