#14 プレシーズン
「ねえねえせんせー、夏休みも部活やるよね?」
D組の教室にて、1学期の期末テストが終わるや、答案を回収した亮介の腕にしがみつきながら鈴奈は訊いてきた。
「ちょっ、若森さん、何やってるのよ!」
「?」
テストが終わって脱力していた慈は、音を立てて席から立ち上がった。
振り返った鈴奈は満面の笑顔だった。亮介は苦笑いしていた。
「めぐちゃん、なに?」
「何じゃないわよ、変な誤解されたらどうするのよ!」
「あたしは構わないけど?」
「せ・ん・せ・い・が・こ・ま・る・の! 今の世の中、そういう不祥事とかすごい厳しいのよ!?」
「へー」
「へーじゃなくて! 先生が懲戒免職とかになったらあなたも困るでしょ!」
「そしたらウチの店にでも再就職すればいいんじゃない?」
「いいから離れなさい!!」
「にゃ」
襟首を猫掴み。慈は鈴奈を亮介から引き剥がした。
亮介は乾いた笑いを貼り付けたまま、何ともコメントしがたい状態のままであった。
「と言うか先生もビシっと言わなきゃダメでしょう。教育者として!」
「ああ、うん、まあそれはそうなんだけどね……?」
信頼と言うか好意と言うか、何と言うか、そういうものへの応対も教育者としての責務なのだろうか。亮介は困惑した。
まったくもう、と慈は小さく呟く。
「……とにかく、夏休みも部活やるんでしたら、スケジュール表をください。家の予定とかぶる子もいるかもしれませんし」
「ああ、うん」
亮介は答え、そしてテスト期間中に考えていた事を思い出した。
それは再び練習に取り組む前に、彼女たちに伝えるべき事だった。
「じゃあ午後、練習の前にまず部室でミーティングをやろう。スケジュールもだけど、みんなに伝えておきたい事があるんだ」
「伝えたい事……ですか?」
「ああ。特に、綾瀬さんには関係が深い事だね」
突然の指名。
一体何だろうかと、慈は期待と困惑の入り混じった表情を見せた。
#14
「少し、フォーメーションを変えてみようと思うんだ」
部室に集合した5人を前に、亮介は作戦盤を広げた。
4~8の数字が書かれた黄色いマグネットを、そこに配置していく。
「これ、私たちですよね」
「うん」
愛の問いかけに、亮介は答える。彼女の言う通り、マグネットに書かれた数字は、部員たちの背番号と合致したものだ。
亮介はそれを、逆五角形を描くように配置した。
"6"と"7"、つまり瞳と鈴奈を、ゴールから見て正面の3Pライン沿いで、横に並べる。
左右それぞれの、コーナーより少し手前の位置に、"5"と"8"、茉莉花と慈を。
そして"4"を、ゴール下3秒制限区域のわずかに外側に。
「
かつて亮介は、初めて作戦盤を広げてポジションの概念を説明した時、正五角形を描くように5つのマグネットを配置した事があった。
その配置の意図は、司令塔役が1人、両翼から得点を狙う役が2人、インサイドを担う役が2人という、バランスの良い編成を狙ったものだった。
それと見比べると、この配置は――
「これは、今の私たちの実態に合わせた感じですか?」
瞳は、そう意図を汲み取った。
我が意を得たりと、亮介はうなずく。
「以前にも話した通り、君たちに与えたポジションは、各ポジションの最も典型的な役割を果たしてくれる事を想定して当てはめたものだ」
それは、ポジションについて説明した時、亮介が語った事だ。
それが各ポジションの最も典型的な役割だ。
「……」
沈黙しながら、苦い表情を見せたのは慈。
亮介の言わんとする"典型的な役割"から、最も乖離しているのは彼女だ。
その様子は、亮介も察していた。彼女がその点について悩んでいる事は、以前からわかっていた事だ。
「必ずしも、"典型的"でなければいけない、というわけではないんだが――」
前置きを一言入れて、亮介は言葉を続ける。
「これまで練習試合などを経て、僕がようやくみんなの特性を理解してきた部分もある。改めてそれを整理し、それぞれの役割について認識を合わせておこうと思うんだ」
亮介は、盤上のマグネットを指した。
部員たちの注目が集まった事を確かめ、さらに続ける。最初に指したのは、"6"と"7"だ。
「まず、
「はーい! 頑張ろうね、ひとみちゃん」
「ん。よろしくね、相棒」
二人の受け答えは小気味よい。
瀬能戦で既にコンビネーションが確立されていた二人は、自身の役割を充分理解している。瞳の頭脳と鈴奈の脚、お互いの長所を活かして欠点を補い合い、試合をコントロールする司令塔となる事だ。
この配置変更も、その役割を反映したものと言える。
やる事は瀬能戦と変わらない。二人としては、迷うような事はなかった。
「次に、
亮介は"8"のマグネットを指した。
従来のフォーメーションであれば、
「見ての通り、綾瀬さんの配置が一番大きく変わる。インサイドから、アウトサイドにね」
「……」
慈は答えない。ただ、作戦盤をじっと凝視している。
話の内容は理解しているだろう。亮介はそう判断して、話を続けた。
「――で、見ての通りインサイドは
「大丈夫です。たぶん」
悩む様子も見せず、愛は答えた。
もとより瀬能戦からして、愛は明芳の総リバウンド数の半分以上を1人で占めていたのだ。ゴール下を守る役目を、ほぼ1人で担えていたと言っていい。
加えて直近の練習で、ポストプレイの基礎も習得した。インサイドプレイヤーにとっての重要なオフェンス技術であるそれを、早く実戦で試してみたい気持ちもあるだろう。
何せ、練習では一度も慈に防がれなかったほど有効な攻撃手段なのだから。
「……納得が行かないです」
ぽつりと、慈は呟く。
全員の注目が、慈に集まった。
「それって……私には、インサイドの役割は無理って事ですか?」
「なんか不満なのかよ、綾瀬?」
茉莉花が、亮介と慈の間に割り込むように言った。
その口調は荒いものではなく、むしろ素朴な疑問を投げかけるかのよう。
「別にインサイドの役割にこだわる必要ないじゃん。センセー言ってたろ? ポジションってのは、得意な役割に専念するための決め事だって」
「……」
「あたし、綾瀬の得意技ってジャンプシュートだと思うけど。それに専念するって事でいいだろ?」
慈は横目で茉莉花を見返す。
それでいいわけがない――と、今にもそう口に出してしまいそうな感情を隠す事もできずに。
「……そういうわけにもいかないでしょう」
慈は少し考えた後、そう答えた。そして、亮介へと向き直る。
「先生。以前のお話では、インサイドには2人の選手を置くのが一般的という事でしたよね」
「ああ、うん。最も一般的な編成においては、そうだね」
「最も一般的っていう事は、普通、最も有効だからだと私は思います」
正論だ。バスケットに限った話ではないが、多くの人が最適解を求めて思考した結果、一般論とか定石と呼ばれるものが出来上がるのだ。
「一般的じゃない事をする以上、デメリットがあると思います。インサイドを1人減らすって事を、先生はどう考えているんですか」
「んー……」
亮介は考える仕草を見せる。
それは演技だった。慈が質問してきた内容は、フォーメーション変更を提案する上で、亮介の中で充分に検討した事だ。結論もとっくに出ていた。
インサイドを1人減らす事のデメリットは明確だ。まずゴール下の人数が減る分、オフェンスリバウンドが弱くなる。加えて、ポストプレイヤー2人が連携する形のオフェンスもできなくなる。
が、こと現在の明芳に限っては、それはデメリットになりえない。
何せ慈はそれらの役割を、もともとできていなかったのだから。
(どう考えてもメリットの方が大きいんだよな)
メリットはまず、慈が得意技に専念できる配置である事。
加えて、コートを広く使って攻撃を展開できる分、ディフェンスのほころびを作りやすい事。
何より、慈をマークする選手がゴール下からおびき出される事によって、ゴール下の守備が手薄になる。結果、鈴奈や茉莉花がドライブで切り込んだり、愛がローポストでゴールを狙ったりといった攻撃が容易になる。
デメリットはなく、むしろメリットしかないぐらいだ。
問題は――
(どう伝えるか、だな)
亮介は昨夜のうちにだいぶ考えたのだが、この点にだけは結論が出せなかった。
新フォーメーションへの変更にはメリットしかない。
だがその変更は、慈に対して、一度は与えたはずの役割を解任するという意味を持つ。
苦手な役割から解放する、と言えば聞こえはいいが。
(とても納得する様子じゃないな)
質問という体を取って亮介に問いかける慈だが、その表情には既にありありと悔しさがにじみ出ている。
こうなった場合どう説得するか、亮介は昨夜ずっと考えていたが、いい案が思い浮かばなかった。幸運にも慈が素直に受け入れてくれる事を祈っていたが、届かぬ願いだった。
チームの勝利のためだから受け入れろ、と言ってしまえば簡単だ。
だが、どうにか
教育者として、それを無下に否定していいものなのか。
いいはずがない。
部活もまた教育の一環として、生徒である部員たちの人格形成という重要な役割を担っているものだ。
部活とは試合での勝敗がすべてではなく、部員たち一人一人が豊かな将来に辿り着けるための過程であるべきなのだ。
そもそも、この女子バスケ部を作り上げた当初の目的は、一人の少女の体格へのコンプレックスを払拭するためだったではないか。
とは言え、実際にどう慈を説得したものか――
「まあ、メリットとかデメリットとか考えるのは、新しいフォーメーションで一度やってみてからでいいんじゃない?」
意外な助け舟の言葉は、瞳から発せられた。
「そもそもポジションを決めたのって、まだ部ができたばかりの頃だったでしょ? あの頃はまだ先生も私たちの特技がよくわかってない部分もあっただろうから、ひょっとしたら不向きな役割をあてがってた可能性あるし。それに私たちだって、新しい得意技とかを身につけて来たじゃない。
新しいフォーメーションで一度試合してみて、私たちの得意技が何なのかを整理する。っていう事だと思うんだけど?」
「ああ、うん、そうだね。ありがとう神崎さん、まさにそういう事なんだよ」
一も二もなく、瞳の言葉に同調する亮介。
教え子に助け船を出されるのも格好悪い話だが、慈と同じ"教わる側"目線からこういう発言が出た事は、亮介にとってありがたい援護射撃だった。同じ言葉でも、亮介が言っていたなら、慈が素直に納得できない程度には高圧的な言葉に聞こえた可能性もある。
ただ、教え子のアシストに跳びついた亮介を見る鈴奈は、可笑しそうな様子だった。
教師の威厳を保つというのも、なかなかに難しい。
「で、だ。今後の予定なんだけど……」
亮介は気を取り直して、カバンからA4プリントを5枚取り出し、5人に配った。
夏休みの活動スケジュール表だ。体育館使用日、屋外コートでの練習日、そして練習試合の日程までが記入されている。
直近の練習試合は、8日後。
「次の練習試合で、新フォーメーションを試してみようと思う。今日からの練習は、みんなそれを意識して取り組むように」
亮介はそう告げた。
慈は、まだ納得がいっていない表情だった。
夏休み最初の練習試合となった
青二中は主力選手が全員2年生。明芳から見れば、上級生チームだ。
しかし、
「「「リバウンド――――っ!」」」
第2ピリオド残り4分。青二中のシュートが外れ、ベンチに控える1年生たちが応援の声を出す。
しかしボールの落下地点では、既に愛が、青二中の
跳び上がり、危なげなくリバウンドを回収。
即座に、瞳へパス。
「よし、行くよ! 1本じっくり!」
瞳は仲間たちに声をかけながら、右手でドリブルして進む。
青二中の
抜き去る事はできない。が、ボールを奪われる事もない。
守る側としては、容易にボールを奪えない以上、抜かれないためにも徐々に後退せざるを得ない。
そうして瞳は、無事センターラインを越えた。ボールを得てから7秒後の事だ。
(上達したな)
ベンチから試合の行方を見守りつつ、亮介は瞳の確かな成長を実感した。
瞳は、瀬能戦で何度もボールを奪われかけた反省点から、ここしばらくはドリブルを重点的に練習してきた。
そうして身につけたドリブル技術は、中学レベルであれば、亮介の目で見ても充分に実戦的なものだ。
瀬能戦での鈴奈のように、ディフェンスを抜き去るばかりがドリブル技術というものではない。ボールを奪われずにフロントコートへ運ぶキープ力も、
これは地味に見えるが大切だ。なぜなら、バスケットには8秒ルールというものがある。
ボールを奪われてはならないのは当然だが、同時に、ボールを獲得してから8秒以内にセンターラインより前へボールを運ばなければならない。
そういう意味では、瞳は
「広がって広がって! スペース狭いよ!」
コートに視線を配って瞳が声を張り上げ、5人がそれぞれの持ち場に着く。
3Pライン沿いに、半円状を描いてゴールを取り囲むような形で、茉莉花、瞳、鈴奈、慈。
そしてインサイドにはただ一人、愛がポストプレイの位置に構える。
亮介が教えた通りの形の、
アウトサイドの4人が大きく広がった位置取り。必然的に、青二中の守備も散開する。
そして、インサイドが手薄になる。
「こっち」
愛は右半身で青二中の
瞳から高めのパス。
手薄になったインサイドでは、パスを遮るものもなく、ボールは悠々と愛の左手へ。
愛はボールを高く構えたまま
青二中の
ボールは、いともあっさりとゴールに吸い込まれていく。
「ナイッシュ、あいちゃん! これで10点め!」
「ありがとっ」
愛一人で、前半だけで早くも10得点。怒涛の活躍だ。
活き活きとした顔でバックコートへと戻っていく姿は、彼女の教育者として喜ばしくもあり、そしてチームの監督として頼もしくもある。
(あの子に教えた内容は正解だった、って事か)
亮介は愛に対して、瀬能戦において堅固なディフェンスに苦しめられた反省から、まずボールの貰い方を教えた。
それは
その中でも比較的難易度が低いもの――ゴール付近でボールを貰って自ら点を取りに行く、ローポストの技術に焦点を絞って教えた。
結果は見ての通りだ。
愛は中学女子の基準で見れば、上級生の
パワーと高さがそのまま得点手段となるローポストオフェンスは、愛の得点力を飛躍的に向上させたのだ。
「さぁ、ディフェンス!」
ゴール下で番人のように構えながら、愛はチームメイトたちに呼びかける。
能動的に声を出していくなど、創部当初の彼女からは想像もつかなかった事だ。
それはチームの中心選手に成り上がった事から生まれた自信か、あるいはキャプテンとしての自覚か――
恐らくは、両方だろう。
(成長しているな)
一人の人間を成長させる事ができた。それも、自分が半生を捧げてきたバスケを通じて。
それは亮介にとって、何よりも大きな喜びだった。
インサイドが1人減る分、オフェンスリバウンドは今まで以上に不利になる。反面、ディフェンスが散開するため、インサイドではイージーシュートのチャンスが生まれやすい。
つまり――
「無理撃ちはダメだよ、確実なチャンス狙って行こ!」
インサイドが空きやすい以上、そのチャンスは今までより頻繁に訪れるのだ。
瞳は幾度にも渡る攻撃で、そのチャンスを意識しつつ、パスを配る。
ピック&ロールからの茉莉花のジャンプシュートが決まって、24点目。
インサイドへ走り込んだ鈴奈にパスを合わせる。青二中の
ことごとく、シュート精度が良い。
そして、それは慈もだ。
「めぐちゃんっ!」
ドライブで切り込んだ鈴奈からのパス。
青二中の
慈は、踏み込んでボールをキャッチ。
練習で繰り返してきた通り、シュート。
高いアーチを描いて、ボールはリングを綺麗に射抜く。
これで、28点目だ。
「めぐちゃん、ないしゅっ!」
「ええ……ありがと」
まだ納得の行っていない様子のまま、煮え切らない語調で慈は答える。
だが本人の気持ちをよそに、慈のシュート精度は今までより向上していた。前半だけで、既に8得点を記録している。
インサイドの仕事から解放された事による影響だ。
細身の体では不利となるゴール下での仕事を行わなくなったため、体力の消耗が緩やかになった。
加えて、インサイドからわざわざ逃げるような動作が必要なくなった分、動きの無駄が減った。
本人の思うところはどうあれ、今のところ、フォーメーション変更は良い影響をもたらしていた。
「あと1本でめぐちゃんも二桁得点だよ。さ、気合入れてもう1本行こー!」
「……ええ、そうね」
未だ戸惑いを残しながらも、慈は口元を引き締め、バックコートへ戻って行った。
そのまま試合に勝てたなら文句のつけようも無かったのだが――
「はーっ、はーっ、くっそ……!」
茉莉花が肩で息をしながら毒づく。
第3ピリオドも残り2分、スコアは40-49。
前半までは互角の戦いができていたのだが、後半から明芳は明らかに失速していた。
原因はごく単純。スタミナ切れだ。
(やはり、きついか)
それは必ず直面する問題だろうと、亮介は予想していた。そして、案の定その通りになった。
決して、明芳メンバーが体力作りを怠っていたわけではない。むしろ、7月の蒸し暑い体育館での練習が、確実に彼女たちのスタミナを鍛えているはずだ。
それでも、彼女たちがスタミナを切らさずに戦い切るのは、やはり難しい。
(5人しかいないものな……)
控え選手の不在。
それは明芳中女子バスケ部が抱えた、現メンバーではどうする事もできない問題だ。
そもそもバスケのルールには大きな特徴がある。野球やサッカーなどと違い、一度ベンチに下げた選手でも、何度でも再出場させる事が可能だという点だ。
学生バスケの公式戦ルールにおいては、ひとつのチームは試合ごとに12人まで選手を登録する事ができる。主力選手を休ませるために一時的に控え選手と交代させたり、状況に応じて一芸特化の選手を投入したりするのは、バスケにおいては至極当たり前の戦術だ。
だが、5人しかいない明芳ではそれができない。
疲労の度合いや戦況に関係なく、5人が32分間フル出場するしかない。
結果として、試合後半には、相手チームよりも遥かに重い疲労がのしかかってくる。
「茉莉花っ、来るよ!」
瞳が声をかけ、茉莉花は正面の相手に向かい合う。
ちょうどそのタイミングでパスを受け取ったのは、茉莉花の
今日ここまでで、一人で15得点を挙げている点取り屋だ。
言い換えると、茉莉花の所から多大な失点を許しているとも言える。
闘志を剥き出しにした表情で、低い体勢で身構える茉莉花。これ以上の失点はさせまいと。
相手が動いた。
ドリブルをつく。
右!
と見せかけて、左!
同時に
「くっ!?」
二段フェイント――!
気づいた瞬間には茉莉花の体勢は崩されていた。
逆を突いてきた相手をなんとか止めようと、思わず横合いから手を伸ばし――
ピッ!
「ディフェンスファウル!
「あっ……!」
しまったという顔をする茉莉花。オフィシャルテーブルの
茉莉花はこれで退場にリーチ。控え選手がいない以上、退場にならないよう消極的なプレイを余儀なくされる。
試合時間はまだ10分残っているにも関わらず、だ。
(スタミナ切れで、足がついて行かなくなるのは仕方ないが……)
そういった場合に、咄嗟に手が出てしまうタイプの選手もいる。
亮介の経験上、負けん気が強く、アグレッシブなプレイをする選手にその傾向が強い。
こういったタイプの選手は、調子良く攻めている時はチームの原動力となるが、格上の相手と
茉莉花は完全にこのタイプだ。
瀬能戦では、茉莉花の
(もう少し冷静さを身につける必要があるか。今後の練習で、どうにかしないとな)
これからの事に考えを巡らせつつも、ひとまず茉莉花を落ち着かせるべく、亮介はタイムアウトを申請した。
「あーっ、くそ! ごめん、みんな……」
練習試合を終え、明芳中に戻って来た後の事。部室で、パイプ椅子に身を預けながら茉莉花は言った。
結局、今日の練習試合の最終的なスコアは48-65。
敗北だった。それも、弱点を露呈する形での。
特に茉莉花は、最終的に大きく点差をつけられる原因を作ってしまっただけに、その悔しさも強い様子だ。4ファウルで積極的な守備ができなくなった茉莉花は、第4ピリオドにおいては守備の穴だった。
(ファウルトラブルに弱いっていうのは、少人数チームのどうしようもない弱点だな……)
みな一様に悔しさを表情に浮かべる中、亮介は一人、そう分析する。
控え選手の不在。愛の補佐役としてインサイドを任せられる選手の不在。3Pシューターの不在。茉莉花のファウルトラブル以外にも、挙げていけば課題はいくつもある。
が――
(そう悲観した結果でもないんだよな)
亮介はスコアブックのページを捲って、今日の試合を振り返る。
前半2ピリオドまでの得点を見れば、28-31。
得点という結果だけを見れば、前半まではほぼ互角の勝負をしていたのだ。
「まあ、反省点はいろいろあるけど。でも、上級生相手にここまでやれてるって充分すごい事じゃない?」
瞳が発したその言葉は、亮介の考えとも一致していた。
明芳中女子バスケ部のメンバーはまだ全員1年生。対して瀬能中も青二中も、2年生を主力としたチーム。
言い換えれば、ある程度の時間までは、上級生を主力としたチームとも互角に戦えるのだ。
これは驚異的な事だ。
「うん、そーだよそーだよ」
鈴奈が瞳に追従して言い、にんまりと笑う。
「
試合終了後、青二中の1年生たちが見せた表情は記憶に新しい。みな一様に、驚き慄いた様子だった。
それも当然だろう。明芳中の5人は、少なくとも前半までは、青二中の2年生たちと互角に渡り合えていたのだ。
青二中の1年生たちにしてみれば、来年は、自分たちの先輩と互角の勝負をしたチームとやり合わなければならないのだという事になる。
これが脅威でないわけがない。
「そうなりゃいいんだけどな……」
ふーっ、と茉莉花は嘆息する。まだ、今日の試合での失態を引きずっている様子だ。
それを気遣うように、愛が茉莉花の方を向く。
「氷堂さん、ディフェンス無理しないでもいいよ? 抜かれたら私、カバーするし」
「ああ……んー、まあ、カバーしてくれるってアタマじゃわかってるんだけどなあ」
困り顔の茉莉花とは対象的に、愛の言葉は悠然としている。
愛は今日の試合で
愛が自信を持つのも当然と言える。
フォーメーション変更により、明芳では唯一の純粋なインサイドプレイヤーとなったのだから尚更だ。
が、
「いいのかしらね、本当にそれで」
疑問を呈したのは慈だった。
どういう事? と問いたげな愛の視線を受けて、慈は真新しいスマホをタップする。
「あれ? めぐちゃん、スマホにしたんだ?」
真っ先に変化に気づいたのは鈴奈だった。
ぴくっ、と慈の肩が揺れる。
「なんか前、パソコンとかスマホとか持ってないって言ってなかったっけ?」
「え……ええ、そうね。ウチは親がうるさくて」
「じゃあ、それどーしたの?」
「……父が許可してくれたのよ。珍しく」
照れるような、バツが悪いような、なんとも言えない様子で慈は答える。
へー、と鈴奈は感心したような声を上げた。
「やっぱさー、めぐちゃんのお父さんっていい人だよね」
「どこがよ。そんな事言うなら、一度私と入れ替わってみてほしいわ。考え方は古いし、何かにつけて説教臭いし、ひどいわよ。このスマホだって、ショッピングとかゲームとかできないように制限かかってるのよ? やっと少しは普通の子みたいにさせてくれるかと思ったら……」
慈は一気にまくし立てて、そして全員の注目が集まっている事に気づいた。
尻すぼみになる言葉。
慈は少し顔を赤らめると、わざとらしく咳払いをした。
「……えーっと、話が逸れたわね。とにかく先生、中原さんがこのチームの中心なのは私も認めてますけど、今の状態はちょっと、ワンマンチームみたいになってる気がします」
「ふむ……うん」
亮介は肯定も否定もせず、続きを促すように相槌を打つ。
ワンマンチームと言うとやや言葉が過ぎるかもしれない。だが、愛がチームの中心になっているのは間違いない事実だ。
今の彼女は、ポイントゲッターにしてリバウンダーにしてショットブロッカー。その存在は絶大だと言える。
その上さらに、仲間の負担を進んで引き受けようと自ら言うのだ。
「先生はどう思うんですか? 一人の選手に負担が集中しているのを」
亮介に鋭い視線を向けながら、慈は質問してきた。
愛に負担が集中する事への懸念――という形を取っているが、その裏には"自分ももっと活躍したい"という意思が克明に読み取れる。
その貪欲さは、スポーツ選手として好ましいものなのだが。
(現実論として、中原さん以外の子は高さかパワーが足りないんだよな……)
高確率で決まるインサイドでのシュートや、試合の
慈ではパワーが、茉莉花では身長が足りない。瞳と鈴奈では論ずるに値すらしない。
必然的に、チームの中心役には愛を配置せざるを得ない。
もちろん、特定の選手に負担が集中してしまう事は、本来、好ましくはないが――
「例えばディフェンスなんかは、こういうやり方だってあるんじゃないですか?」
慈は、スマホの画面を亮介に向けてきた。
バスケの戦術について解説しているWEBサイトだった。表示されているページでは、ゾーンディフェンスについて書かれている。
ゾーンディフェンスとは、ゴール付近で密集陣形を組み、敵の攻撃を待ち構える守備戦術だ。ロングシュートに対して無防備になりやすいなどの弱点はあるものの、複数人で敵を取り囲むようにして攻撃を阻むため、上手く連携できれば、身長やフットワークで劣る選手がいるチームでも失点を防ぎやすい。
「多分、私たちにはこっちの方が合ってると思います」
そのWEBサイトを熟読したのだろう。慈の意見は間違っていない。
明芳中女子バスケ部の5人は、低身長のメンバーが過半数を占めている。鈴奈と茉莉花を除いた3人は、フットワーク面の不安もある。
その反面、チームワークは良い。
ゾーンディフェンスは、彼女たちには非常によくマッチするだろう。
「そうだね。僕も、できればそうしたかった」
いくばくかの無念さを露わに、亮介は答えた。
その答えに、慈は怪訝な顔をする。
「できれば、って……どういう事ですか」
「ゾーンはね、禁止されてるんだ。日本の中学以下の試合では」
それは、ごく近年のルール改正によるものだ。
それさえ無ければ、亮介も間違いなく彼女たちにゾーンディフェンスを教えていただろう。慈が提案した通り、彼女たちにはゾーンディフェンスの方が相性はいいだろうから。
「……納得がいきません。なんで、チームワークでディフェンスしちゃダメなんですか」
「個人技に優れた選手を輩出するため、って事らしいね。僕も納得はしてないけど」
どこぞの哲学者ではないが、悪法もまた法なり、だ。競技である以上、ルールには逆らえない。
それが自チームにとっては不利に働くルール改正だったとしても、だ。
(とは言え、しかし)
亮介は、どこか嬉しく感じていた。
教え子がバスケットに真剣に取り組み、学び――そして、"このチームにはゾーンディフェンスの方が合っている"という、亮介と同じ考えにまで辿り着いた事を。
基礎体力と技術だけでなく、知識面もバスケット選手として成長してきている証拠だ。
その成長ぶりは、客観的な戦果を見ても明らかだ。少なくとも中学レベルの基準であれば、心身ともに一人前の選手になって来ていると言えるだろう。
だから――
「さて君たち。以前話した、公式戦の事を覚えているかい?」
亮介は、それを話題に挙げた。
真っ先に反応を見せたのは愛。他の部員たちも表情を引き締め、意欲的な様子を見せている。
唯一、慈だけは、急に話題を変えられた事に不満混じりの様子ではあったが。
「9月には、秋の大会が行われる。別名、新人戦とも呼ばれる大会だ」
「新人戦……?」
「世代が替わった直後の大会だからね」
疑問符を浮かべた愛だったが、亮介の答えによって納得した様子を見せた。
6月に行われた夏の大会、その記憶は5人にとって鮮明なもののはずだ。あの大会で、公式戦の興奮と、トーナメント制である事の恐ろしさを知ったはずだから。
そして、その大会で敗退する事が、3年生にとっては中学プレイヤーとしての引退の瞬間となる事も。
そこから直近の大会だから、"新人戦"。引退した3年生たちに代わる、新世代の選手たちを主役とした大会という事だ。
「君たちから見れば、1つ上の学年の選手たちが主役の大会――という事になる」
それは間違いなく、明芳にとって不利な条件だ。
「もし君たちが出場しようと思うなら、苦しい戦いは避けられないだろう」
1学年の差は大きい。ましてこのチームは、中学からバスケを始め、まだ数ヶ月の経験しかない子が大半を占めている。
常識的に考えれば、大会に出場しても、彼女たちが勝ち抜いていける可能性は非常に低い。
しかし――
その不利な条件においても、練習試合で、ある程度までは上級生とも互角の戦いを見せてくれたのがこのチームなのだ。
亮介の想像を超えた、奇跡を起こしてくれるのではないか。そんな淡い期待が、かすかに見えた気がしていた。
だから、
「出場したいかどうか、君たちの意思を聞かせてほしい」
亮介は、彼女たち自身の意思に委ねた。
出場するのであれば、それは間違いなく険しい挑戦だ。
だが同時に、公式戦という晴れ舞台の喜びがある。また、勝利を掴める可能性がゼロではない事も事実だ。
彼女たちの中では恐れと挑戦心、どちらの方が大きいのか。それは、顧問である亮介にもわからない事だった。
「出ます」
一瞬の躊躇いもなく、愛は言い切った。
他の4人を見ても、反対の意思を示している子はいない。真剣な表情をしているのは、苦しい戦いになる事を理解していて、なお挑戦心が勝る事の証拠だ。
「松田さんと約束しましたから。秋大会で会おうって」
それは、瀬能中女子バスケ部のキャプテンと交わした約束だ。
何の拘束力があるわけでもない口約束。それも、お互い地区予選を勝ち抜き、県大会に進出しなければ果たす事のできない約束だ。
実現の可能性は限りなく低い。
それでも。
「県大会まで行けるかなんてわからないですけど、やれるだけ頑張ってみたいんです」
確かな口調で、愛は答えた。
誰に押し付けられた考えでもなく、自分の意思で。
「せんせー、あたしも賛成。練習試合もいいけど、あたし、このチームで公式戦出てみたい!」
「ずっと練習っていうのもメリハリないですしね。先生、私も出てみたいです」
鈴奈が、瞳が、それぞれに賛成を口にしてくる。
「あたしたちがどこまで通用するか、ってやつだな。いいよ、やってやろうじゃん!」
「……まあ、納得いかない事はありますけど。大会があるなら、私も挑戦するのには賛成です」
茉莉花は威勢よく、慈は静かながらはっきりと、やる気に満ちた顔で賛成の意を表す。
「そうか……よし」
積極的になった教え子たちの様子に、亮介は、湧き上がる嬉しさを噛み締めた。
選手としての技術面だけでなく、精神面も成長してきている。バスケットの楽しさを知ったからという部分もあるだろうが、彼女たちが積極的に物事に取り組むようになった事は何よりの喜びだ。
バスケットを通じて、彼女たちは間違いなく成長している。
公式戦の経験も、きっと彼女たちの糧になる事だろう。試合内容としても、きっといい戦いになるに違いない。
実のところ、客観的に見ればいびつなチームだ。
鈍足の
ロングシュートの撃てない
しばしば空回りする
非力な
長身がコンプレックスだった
それでも。
「それじゃあ、明日からは大会に向けて特訓だ。みんな、しっかりついて来るように!」
そう伝える亮介の胸中には、最高のチームで挑んだ7年前の夏と同じ気持ちが蘇っていた。
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