#16 ビッグマン

 大黒真那が、小学生時代からの親友だった橋本はしもとたまきとともにバスケットを始めたのは、中学に進学してからの事だ。

 昨年の4月、御堂坂中に入学するとほぼ同時に、真那はいろいろな運動部から名指しで勧誘を受けた。柔道部、ソフトボール部、水泳部……当時から身長176cmの体格があった真那は、それらの運動部にとって魅力的な人材に見えたに違いない。

 だが結局、真那は、最終的には女子バスケット部を選んだ。

 身長が直接的に武器になる競技だったから、というのもある。だが最大の理由は、顧問にあった。


「ほーほー、今年は体格のよい子が多いのー」


 小柄な老人だった。身長は160cmほどだろう。口から顎にかけての、長く白いヒゲが特徴的だった。

 彼が男女両方のバスケット部の顧問をやっているという人物だった。


 顧問の老人がやってきた時、コートでは、男女のバスケ部が合同で新入生歓迎のレクリエーションをやっていた。

 一人、男子の新入生に目立つ子がいた。真那ほどではないがかなりの長身で、ボールを扱う手つきからしてミニバス経験者のようだ。

 だが、レクリエーションの一環として行われていたフリースロー大会では、彼はまったくシュートを決められていなかった。


「あっちゃー。まーいいや、フリースローなんてたかが1点の安いシュートだし。ははは」


 あっけらかんとした口調。それは前向きと言うより、フリースローを外した事を気にも留めていない様子だ。

 真剣さが感じられない。真那からしてみれば不愉快だった。

 だが、真那がそれを口に出すより早く、白髭の老人が彼に歩み寄ったのだ。ボールを手にして。


「そこの君、ミニバスでそこそこやってたようじゃの。ワシと一対一をやってみんか?」

「へっ?」


 長身の男子は、いささか戸惑った様子だった。

 かたや新入生らしくない大柄な体格の、ミニバス経験者らしい男子。かたやまともに走れるのかも怪しい年齢の老人。


「先攻はそっちでいいぞい、ほれパス」

「え……」


 先攻でボールを与えられた彼は、困惑していた。

 こんな年寄りを相手に本気を出していいのだろうかと、戸惑いながらドリブルをつき始める。

 その次の瞬間には、ボールがかすめ取られていた。


「えっ!?」


 圧倒的だった。

 攻守交代して、顧問の老人の見せたドリブルは変幻自在。ボールを奪おうと男子が幾度も手を伸ばすが、まるでボールが意思を持って避けているかのように、何度やっても手は空を切る。

 そして老人とは思えない機敏さでディフェンスをかわし、難なくゴールを決めていく。

 まるで、カンフー映画に出てくる"老師様"だ。

 男子も本気を出し、幾度も勝負を挑むが、結局一度もゴールを奪う事はできなかった。

 5回の勝負を終えて悔しげに息を切らす男子に対して、顧問の老人は平然とした顔だった。


「年寄り相手と思って油断したのう?」


 かっかっ、と闊達かったつな笑い。

 あざ笑った様子ではなかった。むしろその目は、孫に話しかける"おじいちゃん"のものだった。


「さっきのフリースローもそうじゃ。君、適当にやっとったじゃろ?」

「え、いや、えっと……ふ、フリースローとか1本たった1点じゃないですか!」

「その1点を軽んじたがゆえに涙を飲んだ選手はとても多い。おろそかにしてよい理由にはならんのじゃよ」


 穏やかに、静かに諭すような言葉。

 その言葉は実体験に裏打ちされたものなのだろう。確かな説得力が感じられた。


「君は体格が良い。だからこそ、真剣に基礎を学ぶべきじゃ。せっかくの才能を持ち腐らせないために、の」


 いつしか真那も、我が事のように耳を傾けていた。


「よいか? バスケットの世界において身長や体格は重要な才能じゃ。が、それが優れているからと言って、努力しなくてよいわけではない。

 才能に胡座あぐらをかく事なく、いついかなる時も慢心せず、たゆまず努力する者だけが一流の人間になれる。ワシは部活を通じて、その"心"をみんなに教えよう」


 真那は、その言葉にこそ気持ちを動かされた。そして、親友ともどもバスケ部に入部して現在に至る。

 あとで知った話では、顧問の老人の名は藤野ふじの光政みつまさ。40年近く前、往友ゆきとも金属工業の実業団で主将を務めていたPGポイントガードだった。






 #16 立ちはだかる壁は高くビッグマン






 御堂坂ボールで始まった試合。まず最初の攻撃は、真那にボールが入る所から始まった。

 半身を用いて、後方へと愛を抑え込む。そして空いた手でボールをキャッチ。

 愛が学んだのと同じ、ローポストからの攻撃パターンだ。


「く……!」


 真那の面取りシールは力強い。愛にとって、軽々と抑え込まれてしまう感覚は初めてだ。

 細身の慈を相手に練習していた時はもちろんの事として、練習試合で他校のCセンターと競り合った時も、こうも一方的に愛が抑えられてしまった事はなかった。

 力では押し返せない。かと言って、回り込もうとしても巧みに体を割り込ませて来る。

 上手い。

 巨体から安易に想像できるような、力任せなだけの選手ではない。ほんの一合だけの競り合いだが、外見から抱いていたイメージとの違いを愛は感じ取った。

 真那はゴールに背を向けてパスを受け取った体勢から、肩越しに愛の、そしてゴール下の様子を伺って来た。

 その口元に、猛獣のような笑み。


 ――途端、押し込まれる感覚!


「っ!」


 だんっ! だんっ! と力強いドリブルをつく真那。ゴールに背を向けたまま、愛を背中で押してくる。

 愛は脚を踏ん張って、こらえようとした。が、じわじわとゴール下へと押し込まれていく。


(強い……!)


 パワー、ウェイト、いずれも自分を上回る相手だ。

 愛は踏ん張りをきかせるが、倒れないようにこらえるのが精一杯だ。ゴール下へと、徐々にだが確実に押し込まれていく。

 真那はゴール下の3秒制限区域に入り込む。そして、背中で愛を押しのけ続ける。

 1秒。

 2秒。


(来る!)


 このタイミングしかないはずだ。愛はいつでもブロックに跳べるよう、備える。

 予想通り、真那は仕掛けてきた。片足を軸に反転ピボットターン、そしてシュートフォームを取って跳び上がる!

 負けじと愛もブロックに跳ぶ!

 接触。

 そして、愛は弾き飛ばされた。


「きゃっ……!」


 コートの床に倒れ込む愛。

 その頭上で、真那は難なくシュートを決めた。

 スコアは0-2。

 審判の笛は――鳴らない。


「あいちゃん! 大丈夫!?」

「う、うん」


 駆け寄ってきた鈴奈に答え、愛は床に手をついて立ち上がる。

 そして愛は気づいた。自分の足は、ゴールの真下に描かれた半円状のラインの内側に入っていた事に。

 ノーチャージ・セミサークル。

 このラインの中にディフェンス側選手の両足がある場合、オフェンス側は無理な突進による接触チャージングの反則を取られないというものだ。

 本来は、ディフェンス側の選手がゴール下で待ち伏せを行えないようにするためのものらしいが――


(これ、まずい……)


 愛が抱いたのは大きな危機感。

 何せ、真那は恐るべきパワーとウェイトがある。愛ですらゴール下に押し込まれてしまうほどの。

 ひとたび今のように押し込まれてしまえば、真那は接触を気にする事なく、ディフェンスを吹き飛ばしながらのシュートを撃てるのだ。

 これを、どうディフェンスしろと言うのか。


(どうすればいい……?)


 自分より、高さでもパワーでも勝る相手。

 未知の強敵への対処に迷いながら、愛はボールを拾い上げ、スローインを瞳に送った。






 亮介の思った通り、御堂坂はインサイド偏重のチームだった。

 だが、そのインサイド戦力がどれほどのものかという点においては、亮介の予想を上回っていたと言わざるを得ない。

 今も、茉莉花のシュートが外れたが――


「任せたっ!」


 ミスシュートに反応して、背番号5をつけた巨体、大黒真那が愛をボックスアウトして抑えながら声をかける。

 逆サイドのゴール下では、背番号7のPFパワーフォワードが悠々とリバウンドを取った。

 その背後では、リバウンドに参加すらできていなかった慈が苦い表情を浮かべている。


(ウチは外四人・中一人フォーアウト・ワンインのフォーメーションだ。綾瀬さんがオフェンスリバウンドに参加できないのは仕方ないが……)


 それを差し引いて考えても、御堂坂のインサイドは強い。

 特に、連携が良い。

 ただ高さとパワーに任せただけの、力任せなチームではなかった。声をかけ合い、瞬間ごとの各々の役割を的確に果たしている。

 今もそうだ。御堂坂のGガードが放ったシュートが外れたが――


「私が取る!」


 合図したのは、御堂坂の4番。

 即座に反応して、5番、7番がそれぞれ愛と慈をボックスアウト。リバウンドへの参加を阻む。

 リングに弾かれたボールは大きく跳ねた。

 そこに、御堂坂の4番が飛び込む!

 4番はSFスモールフォワードだ。マークしていた茉莉花もリバウンドに跳ぶが――ボールは4番の手の中へ。

 着地。

 シュートフォームを取り、その場で再び跳び上がる。


「くそっ!」


 茉莉花もその場で跳び上がり、ブロックを試みた。

 が、届かない。153cmの茉莉花に対して、4番の身長は10cm以上は高いのだ。

 茉莉花の手の上を越えたボールは、リングに吸い込まれていった。

 これでスコアは4-8。


「ナイス、タマ!」

「喜ぶのは早いわよ、マナ。ほら、ディフェンス!」


 4番の選手――登録選手名簿によれば橋本環。御堂坂のキャプテンであるらしい彼女は、真那をたしなめるように言いながらバックコートへ戻っていく。

 その言葉には確かな統率力が感じられる。超中学生級の体格を持つ真那を擁するチームにあって、真那を"使う"側として指揮しているのだから大したものだ。

 加えて、個人技も決して低いレベルではない。


(想像以上に、手堅いチームだな……)


 これを、いかに切り崩すか。

 亮介は考えを巡らせながら、まばたきすらも惜しんで試合の状況を観察する。

 早くも劣勢な雰囲気が漂っているものの、まだ第1ピリオドだ。少しぐらい点差がついたとしても、流れを変えるきっかけさえあれば充分追いつけるだけの時間的余裕はある。

 今は少しの点差にこだわるよりも、相手の特性と弱点を掴む事。それが、これからの試合運びの要点になってくるはずだ。

 タイムアウトを取って、直接指示すべきか――亮介は数秒考えて、タイムアウトを取らない決断をした。


(神崎さんに任せてみよう)


 タイムアウトは前半2回までしか取れない。選手たちで解決できる問題であれば、任せるべきだ。

 幸い、明芳の司令塔は、試合の"流れ"を感じ取れる子なのだから。






 亮介が期待していた通り、瞳はこの状況を打破する必要性に気づいていた。

 フロントコートへボールを運ぶ8秒の間に、素早く思考を整理する。

 愛を上回るパワープレイヤーを相手取るのは、明芳にとって初めての事だ。夏休みの練習試合と同じように、愛を中心として攻めるというわけにはいかない。

 機動力が鍵だ、と亮介は言っていた。

 瞳もその考えには同意できる。御堂坂の選手たちは、183cmだという真那は言うまでもなく、それ以外の子も平均165cmほどはあるように見える。

 平均身長の差は歴然。

 小兵こひょう揃いのチームが突破口を見いだせるとしたら、それは技とスピードによるものしかない。


「若森さん」

「ん」


 うなずき合う。意図はそれだけで通じた。

 瞳はドリブルをつきながら、鈴奈へと近づく。

 半ば手渡しで、鈴奈へパス。

 と同時に、瞳がスクリーン! そして、その横を鈴奈が突破ドライブしていく!


「えっ!?」


 豪速!

 突然の事に反応が遅れた御堂坂Gガード陣。鈴奈はその横を、低い体勢からのドリブル突破で抜き去った。

 御堂坂の選手たちは、明芳の外四人・中一人フォーアウト・ワンインに対応するため散開している。

 ゴール下には両チームのCセンターのみ!


(いける!)


 鈴奈は確信を持って、ゴールへ突き進んだ。

 瀬能戦と同じシチュエーションだ。この状況、御堂坂ゴールを守る真那は迷うはず。鈴奈がシュートしてくるか、愛へのパスか。

 案の定、真那は迷うように視線を漂わせる。

 その隙に鈴奈は、真那をドリブルでかわす!

 後ろ向きリバースレイアップ――!


「よっと!」


 真那の声。

 そして、鈴奈が投げ上げたはずのボールが、鈴奈の頭上で静止した。

 何が起こったのか理解するのに、鈴奈は一瞬の時間を要した。

 ――真那によるブロック。

 いや、ブロックなどというありふれた言葉では足らない。

 真那は鈴奈にドリブルでかわされた後、的確に反応して跳び上がり、そしてシュートされたボールをのだ。

 言うなれば、ブロックではなく

 それも、片手で!


「うっそ……!」

速攻ソッコー!」


 驚きに目を見開く鈴奈を尻目に、真那のパス一本から決まる速攻。

 たちまちスコアは4-10となった。






 たった1本のブロックだったが、その効果は絶大だった。

 見事なカウンター速攻を決められてしまった以上、そのまま敗戦ムードに突入しないためにも、点を取り返そうとするものの――


「ドライブ鋭いわよ、ディフェンスに構えて!」


 御堂坂の4番、橋本環が力強く指示を飛ばす。

 どうにか反撃しようとボールを運んできた瞳に対して、御堂坂のPGポイントガードはさきほどまでより一歩下がった位置でディフェンス体勢を取っている。

 いや、PGポイントガードだけではない。ゴール下で待ち構えている真那を除いた全員がそうだ。


(攻めづらい……!)


 状況に目を配る瞳は、直感的にそう感じる。

 御堂坂のCセンターである真那は、桁外れに大柄だ。その分、動きは鈍重な選手だろうと瞳は想像していた。

 機動力で勝負をかけるよう亮介が指示したのも、そう読んでの事だろう。

 しかし、その予想は裏切られた。

 スピードを活かして意表を突く事を狙った鈴奈のリバースレイアップに、的確に反応してきた。その際の守備力は、ついさっき見た通りだ。

 ゴール下を攻めるのは、容易ではない。


(かと言って……)


 御堂坂メンバーは、下がり気味にディフェンスの構えを取っている。つまり、全体的にゴール下に寄り気味な隊形だ。

 瞳はイメージを働かせる。もしこの状況から、ピック&ロールを仕掛けたら?

 スクリーンを使ってディフェンスを抜く事はできるだろう。

 だが、退事になる。

 抜いたら、そこはもうゴール下だ。

 つまり、真那の守る位置に突っ込んでしまう。


(どう攻めれば……?)


 考えている間にも時間は経つ。

 24秒の攻撃時間制限ショットクロックが、刻一刻と減っていく。


「瞳、パス!」


 右サイドの茉莉花が呼びかける。

 時間に余裕もない。瞳は咄嗟に、要求された通りパスを出した。

 ボールは茉莉花へ。そして、対峙したディフェンスの選手と気迫をぶつけ合うように視線を交差。

 茉莉花の直接対決マッチアップは背番号4。御堂坂のキャプテン、環だ。


「行くぞ……!」

「……」


 環は答えない。

 一分の隙も見せないかのように、無言でディフェンスの姿勢を維持する。

 堅実。そして、冷徹なまでに冷静だ。


(ロボットかよ……!)


 無反応ぶりに、茉莉花は内心で苛立ちを覚える。

 無視された事に怒りを覚えているわけではない。単純に、やりづらい。

 こちらは闘志を剥き出しにしているのだ。対抗心を見せてくれるなり、腰が引けるなりしてくれれば、切り崩すきっかけにもなりえるのだが――


(そっちがその気なら、こっちは勝手にやってやる!)


 右に突破ドライブ

 環はただちに反応。突破ドライブのコースを塞ぐ。


「ちっ!」


 抜けない。

 無理だと判断し、茉莉花は一歩下がる。

 今度は左――にフェイント、本命は右!

 しかし、そのコース上にはやはり環が立ち塞がる。

 抜けない!


「くっそ……!」

「茉莉花、時間ないよ!」


 瞳の声で我に返り、茉莉花は電子得点板に表示された残り時間を顧みる。

 攻撃時間制限ショットクロックは残り3秒。

 もう撃つしかない!


「それならっ……!」


 茉莉花はさらに一歩下がり、3Pライン際でシュートフォームを取った。

 小さく跳び上がり、3Pシュート!

 ボールは低い山なりの弾道を描いて飛び――リングの遥か手前で失速し、落ちていく。

 届いてないエアボール


「っ!」


 ショック。

 そして、"やらかした"という恥ずかしさに茉莉花は顔をしかめる。

 シュートを外すにしても、いくら何でもこれは格好がつかない。応援席で見てくれている人たちもいるというのに。


「中原っ、リバウンド……!」


 茉莉花がそう言った時には、既にゴール下の趨勢すうせいは決まっていた。

 愛は、どうにかリバウンドポジションを取ろうと真那を背中で押していたが、軽々と押し返され、後方へ追いやられている。

 結果、跳び上がってリバウンドを取ったのは真那。

 あっさりと、攻撃権を奪われる。


「よし、もう一本行くよ!」

「みんな戻って戻って! バックぅー!」


 真那が再び速攻狙いでパスを出すが、今度はそれより早く鈴奈が速攻阻止セーフティに走り速攻を阻む。

 その間に、明芳の5人がディフェンスに戻るが――


「マナ!」


 そうなったら今度は、再び真那のポストプレイからのオフェンスが始まる。

 半身で愛を押さえ込み、ローポストの位置でボールを受け取って。

 だんっ! だんっ! と力強くドリブルをつきながら、またも愛を背中でゴール下へと押し込む。


「くぅ……!」


 愛は真那に密着して踏ん張るが、やはり止められない。じわじわと押し込まれていく。

 最初の1本目とまったく同じように、3秒制限区域の中へ。

 1秒。

 2秒。


「よこせっ!」


 茉莉花が割り込む!

 ゴールに背を向けてドリブルをつく真那に、スティールの手を伸ばし――

 ボールは、茉莉花の頭上を飛んでいった。


「!?」


 パスだと気づいたのは一瞬後。

 ボールの行き先を目で追えば、受け取ったのは環。

 ゴールへ向かって、一直線にドリブルして来る!


「来るよ!」


 瞳の声。

 真っ先に反応したのは愛。真那から注意を外し、環へのブロックに集中する。

 茉莉花によるマークが外れたのをいい事に、環はドリブルで猛進して来ている。ゴールへの直線コースが空き、レイアップを狙う時の動きだ。

 レイアップは高確率で決まるシュート。撃てる状況なら、優先して撃つべきシュートだ。

 だから、愛はそれが来る事に備えた。

 環がゴール下へと走り込んで、跳び上がって来るその瞬間を待ち構え――!


「はっ!」


 環は、跳んだ。


(遠い!?)


 愛は、ブロックに跳ぶタイミングを逸した。

 そんな場所から跳ぶとは予想していない。

 レイアップは、ゴール下まで走り込んでからほぼ垂直に跳び上がって撃つのがコツだ。少なくとも亮介はそう教えていた。

 環がジャンプを踏み切った位置は、愛の常識よりも明らかに遠い。

 そして、手首と指でスナップを利かせて、放り投げるようにシュート。

 ボールはリングの内側に当たって、ネットを滑り落ちていく。

 スコアは、4-12。


「ナイシュッ、タマ!」

「マナもね。ナイスパス」


 軽くハイタッチして、御堂坂メンバーはバックコートへと戻っていく。

 去り際に、環は一度振り返り。


「マナさえ止めれば勝てるようなワンマンチームじゃないわよ、私たち」


 口調はあくまでも冷静。勝ち誇っているのか、警告のつもりか、それすらも読み取れなかった。






 第1ピリオド終了時、スコアは6-14だった。

 辛うじて勝負になってはいるが、力の差は歴然と言っていい。


「はーっ、ふーっ、くっそ……」


 ベンチに座って悔しさを浮かべる茉莉花。息も荒く、出場時間以上に消耗している事が見て取れる。

 精神的な疲労がのしかかって来ている。

 この、突破口の見えない展開によるものが。


(何か、いいアドバイスができればいいんだが……)


 束の間の休憩を取る5人を見渡しながら亮介は思う。しかし、有効そうな言葉は思いつかない。

 何せ、突破口が見えていないのは亮介も一緒なのだ。

 こちらの最大戦力とでも言うべき選手は愛だ。だが相手にはそれを上回るパワープレイヤーがいる。

 それでいてワンマンチームというわけでもなく、全員の連携が取れている。個人技の面で見ても、変則レイアップフィンガーロールシュートを使いこなしてくる4番は充分に非凡な選手だ。

 亮介の想像よりも、かなりチームとしてのレベルが高かった。


「先生」


 汗を拭いながら、慈が問いかけてくる。


「機動力で勝負、って最初は言ってましたけど……やっぱり、外からのシュート中心で攻めた方がいいんじゃないでしょうか」


 こう言う慈は現在、6得点中の4得点を稼いでいる。4点とも遠めのミドルシュートによるものだ。こういう意見が出るのも当然と言える。

 が。


「いや、その戦法じゃ勝てない」


 亮介は、すげなく首を横に振った。

 相手チームのゴール下が強いから、アウトサイドで戦いたくなる気持ちは亮介にもわかる。相手の強みの部分で勝負するのを避けたいというのは、バスケに限らず、勝負事における普遍的な考えだ。

 だからこそ、に走ってしまうのだ。


「今、インサイドは御堂坂に支配されている。これは理解しているね?」

「もちろんわかってます。だから、私たちはアウトサイドからのシュートで――」

「アウトサイドのシュートは、外れやすい」


 慈の言葉にかぶせるように、亮介は言った。

 言葉を遮られて、慈は鼻白む。が、アウトサイドシュートが外れやすいという点に異論は出なかった。

 ゴールから離れるほど、シュートは入りにくくなる。自明の理だ。


「……まあ、普通そーだよな」


 横から同意を示した茉莉花は、気まずそうだ。さきほど実戦では初めての3Pシュートを撃って、エアボールという失態を演じただけに。


(気にしてるな)


 亮介は、そのように読み取った。

 応援が来ている中の失態だっただけに、気にしてしまうのも無理はない。恥をかいたと感じているだろう。

 だがもともと3Pシュートというものは、ぶっつけ本番で撃って成功するようなものではない。彼女らが普段から撃っているミドルシュートより数メートル遠いだけだが、その数メートルの差で、必要となる投擲力は大きく違ってくる。

 まして、茉莉花はどちらかと言えば小柄だ。その上、飛距離では劣る片手撃ちのフォームでシュートを撃っている。

 ロングシュート専門の練習もなしに、ゴールまで届くはずもないのだ。


「――シュートが外れれば、当然、リバウンド争いになる」


 下手に茉莉花を励まそうとしても、エアボールを犯したという事実を再認識させる結果になる。亮介はそう判断して、話を先に進めた。

 放った言葉は、バスケットをやっていれば、誰でも当然知っている内容だ。

 リバウンドは、このチームにおいては、愛の能力による所が大きかった部分なのだが――


「今は、リバウンドの制空権も御堂坂あっちにある」

「……」


 愛が膝の上で拳を強く握った事に、亮介は気づかなかった。


「インサイドが不利だからといって安易にアウトサイドシュートで攻めようとして、外し、リバウンドを取られ、相手にボールを献上してしまう……これは、インサイドの戦力で劣っているチームの典型的な負けパターンだ」


 それは亮介の経験から言って、鉄板と言ってもいい負けパターンだ。

 アウトサイドシュート自体が悪いわけではない。だが、リバウンドで競り負ける状況においては、リバウンドが発生しないように確実性の高いシュート――レイアップなど、ゴール至近でのシュートを優先的に狙わなければ、不利を覆せない。

 アウトサイドシュートは、"外からの攻撃もある"と相手に思わせ、ディフェンスをゴール下から釣り出すための手段なのだ。

 よほど優れた3Pシューターがいれば話は別だが、少なくとも明芳はその例に当てはまらない。

 そこまでは断言できるのだが。


「……じゃあ、先生。どう戦えばいいですか?」


 そう訊いてきたのは瞳。いつになく、自信のなさそうな様子だった。


「私いつも、敵味方の強みと弱みを把握して、どうやれば勝てるかって考えてるつもりです。でもこの試合は、どうやったら勝てるかが思い浮かばなくて……」

「……それは、ね……」


 訊かれた亮介も、歯切れが悪い。

 それも当然だ。何せ、亮介も答えを持っていないのだ。

 リバウンドは競り負ける。こちらには3Pシューターがいない。相手はドライブを警戒した守備態勢。ゴール下には怪物的なブロッカー。

 切り崩せるビジョンは、まるで浮かばなかった。


 ビ――――ッ。


 亮介が言葉に迷っているうちに、インターバル終了のブザーが鳴る。

 有効な作戦は、出ていない。


「……なんとか、します」


 静かに、愛が告げた。

 ベンチから立ち上がるのも、愛が最も早かった。






 第2ピリオドも、御堂坂のプレイスタイルに大きな変化は見られなかった。

 つまり、最大の得点源ファーストオプションである真那にまずパスが入る。そして、ローポストの位置から愛をぐいぐいと背中で押す。


「くっ……!」


 愛は踏ん張るが、やはり押されてしまう。

 肩越しに見えた真那の表情は、笑っていた。鋭い眼光に闘志を湛えながらも、口の端は吊り上がっている。

 それは純粋に試合を楽しんでいるのか、それとも自分が優位にある事の喜びか。

 ――どっちでもいい。

 愛は雑念を振り払い、真那が仕掛けてくるタイミングを待つ。

 制限区域に進入。

 1秒。

 2秒。

 片足を軸に反転ピボットターンからのシュート!


「!」


 愛はそのタイミングを狙っていた。

 ブロックの姿勢で跳び上がり、


「んっ!?」


 さしもの真那も、さすがに驚きの声を上げた。空中で激突してくるかのようなブロックに、真那の態勢が、そしてシュートフォームが崩れる。

 ピィッ! ――鋭く鳴る審判のホイッスル。

 真那の放ったシュートは、リングの端に当たって、ゴールの外へと落ちた。


「ディフェンスファウル、明芳しろ4番! フリースロー、2ショット!」


 審判が愛のファウルを宣告する。

 フリースローが複数本与えられるのは、シュート動作に対するファウルにより、本来のシュートが外れた場合の措置だ。

 そう、真那のシュートを外させたのだ。

 


(ファウルは5回で退場。4回までは、やっても大丈夫……)


 ファウルをしてでも止める。それが、愛の狙いだった。

 まともにやっていたら真那は止められない。ローポストからの攻撃においても、リバウンドにおいても。

 そのどちらも止める事ができないために、明芳は、手も足も出ない状態に追い詰められている。


(なら、反則してでも止めるしかない……!)


 狙って反則。汚い手段だと自分でも思う。

 それでも、試合終了まで残り24分間、手も足も出ない状態が続くのだけは避けなければならなかった。

 真那とマッチアップしている自分が状況を打開する。

 そうしなければ、残りの24分間は、一方的にやられる苦痛を仲間たちに与えるだけの時間になってしまうのだから!


「……へえ」


 真那は笑った。

 真剣な目で真那を見据えている愛に対するそれは、嘲りではない笑いだった。

 それは、狩り甲斐のある獲物を見つけた猛獣の笑み。


「なりふり構わず、ってやつかい?」

「……」


 愛は無言で、真一文字に口を結んで応えた。

 その通りだと。これ以上好きにはさせないという意思を示すように。

 しかし、真那の悠々とした態度は崩れない。怯みも動揺もなく、彼女はフリースローラインに立った。


「2ショット」


 審判がフリースローの回数をコールし、ボールを真那へとワンバウンドさせて投げ渡す。

 真那はボールの感触を確かめるように、手の中でボールを軽く回転させた。

 そしてシュートフォームを取り、撃つ。


 ――すぱっ。


 軽快な音を立てて、ボールはネットに吸い込まれた。


「く……」


 愛は無表情のまま、歯噛みする。

 せっかくファウルしてまでシュートを止めたのだが、フリースローをしっかり決められては意味がない。

 真那は典型的なパワータイプに見えた。その分、細かい小技――例えば距離のあるシュートなどは、不得手な選手に違いないと想像していた。

 少なくとも愛はそうだ。これまでパワーと体格で多くの相手を圧倒して来たからこそ、小技の練習は二の次にして来た。

 だから、真那もそうであると思っていた。

 そうであってほしいという願望もあったかもしれない。


「1ショット」


 審判から再び、真那へとボールが渡る。

 真那はさきほどと同じように、ボールを手の中で軽く回転させ、そしてシュート。


 ――すぱっ。


 難なく決まるフリースロー。

 1本1点の価値しかないはずのシュート。だが今、愛は、その重みを実感していた。

 まともにやっては真那は止められない。しかしファウルで止めても、フリースローを決められてしまう。

 得点を止めようがない。


(どうすれば……)


 ボールを拾い上げる愛。

 バックコートへと戻っていく真那は、笑っていた。嫌味はないが、勝ち誇ったように。


「……」


 このままでいいはずがない。

 自分の弱気を押さえ込んで、愛はスローインを瞳へと送った。






 スコアは6-16。

 点差は10。どうにかして逆転のきっかけを作らなければ、敗色濃厚だ。

 なのに。


(どう攻めれば……?)


 インターバルからずっと考えていたが、瞳の中ではまだ結論が出ていない。

 安易なアウトサイドシュートに逃げる戦術は、敗北に直結する。

 かと言って、真那を中心とする強固なインサイドをどう切り崩せば……


「神崎さん、こっち!」


 愛だ。

 ローポストの位置で、真那に対して面取りシールをしながらボールを要求している。

 どう見ても真那に押し返されており、有効な位置取りができているようには見えないが……

 しかし、他にいい作戦があるわけでもない。


「お願い!」


 瞳から愛へとパス。ワンバウンドさせて、愛が面を取っている位置より少し外側へ。

 愛は真那に押し出されるように、ゴールから一歩遠ざかる形で捕球。

 その愛の前には、真那が敢然と立ちはだかる。


 真那は油断なく、しかし不敵な笑みのままディフェンスの姿勢。

 愛はゴールに背を向けたまま、ボールを頭の高さに構え、肩越しに真那の位置を確かめる。


 ――だんっ! だんっ!


 力強くドリブルをつきながら、愛は真那を背中で押し始めた。


「あたしの真似か?」

「……!」


 図星だ。

 それは真那が何度も明芳からゴールを奪った攻撃方法。ローポストからのパワープレイ。

 愛はドリブルをつきながら体重をかけ、懸命に背中で真那を押す。

 しかし、真那はびくともしない。

 それでも、愛はパワープレイをやめない。


「あいちゃん、無理! ボール戻して!」


 鈴奈がボールを受け取れる位置へ走る。

 愛は――ボールを手放さない。肩越しに、睨むように真那を見ている。

 押し返されながらも、パワープレイを継続して。


「ボール戻さないのかい?」

「く……!」


 挑発とも忠告ともつかない真那の言葉に、愛は表情を険しくした。

 だが、それは怒りや苛立ちと言うよりは。


「……私が!」


 その口調に表れていたのは、強い意志。


「私が、あなたに勝てないと、いけないんですっ……!」


 それはインターバルの間、愛が考えて出した結論。

 亮介が話した内容を整理すると、その結論にしかならなかった。

 アウトサイドシュート主体の攻撃では勝てない。なぜなら、リバウンドを御堂坂に支配されているから。

 インサイドを攻めようとしても、できない。なぜなら、御堂坂のゴール下には真那という守護神がいるから。

 だから、手も足も出ない。

 ならば、それを覆さなくてはならない!


「この、くっ……!」


 あらん限りの力を込めて、真那を押し込もうとする。

 だが、真那は微動だにしない。

 パワーとウェイトの差は歴然だ。


「意気込みは買うけどね――」

「こ……のっ!」


 片足を軸に反転ピボットターン。真那を押し込む事はできていないが、強引にシュート!


 ――バチィッ!!


 痛烈な音。

 ボールは愛の頭上を越えて、御堂坂の選手の手に収まる。

 ブロックされたのだ。

 愛は初めての経験であるそれを、たっぷり一秒かけて理解した。


「一人でバスケしてるような奴に、は負けないよ」


 フロントコートへ走る真那は、呆然とする愛にそんな言葉を残した。






 明芳は1年生で構成された、未熟なチームだ。

 だが、チームワークでそれを補っているのだと、愛は認識していた。

 5人それぞれ異なった特技を持つ自分たちは、これまで役割を分担する形でやって来た。そのやり方のおかげで勝利を掴めた日もあった。

 協力して何かを成し遂げた喜びがあった。

 その喜びを分かち合う事ができて、仲間たちとの繋がりを確かに感じた気もしていた。


(けど)


 それは、幻想だった?


『一人でバスケしてるような奴に、は負けないよ』


 真那の言葉が頭から離れない。

 自分は、一人で勝手なプレイをしていたのだろうか?


 そんな事はない。


 今の劣勢は、インサイドの支配力で負けている事によるものだ。御堂坂のゴール下を崩せない事、リバウンドを取れない事。それがこの状況を生み出している。

 ならばそれを覆せるのは、明芳でインサイドの仕事を一手に担っている愛しかいない。

 愛が真那との勝負に勝たなければ、この展開は変わらない。

 それこそ、多少無理矢理にでも。


「ポスト来るよ!」


 瞳の声。

 ローポストに位置取りした真那へ、またもパスが渡る。

 そしてまたも、力強くドリブルをしながら背中で愛を押していく。


「くっ……!」


 愛は足を踏ん張ってこらえようとするが、どうしても押されてしまう。

 このあとどう攻めてくるかもわかりきった、ワンパターンな攻撃だと言うのに。


(止めないと……! 何がなんでも……!)


 気持ちとは裏腹に、ゴール下へと押し込まれていく体。3秒制限区域に進入してくる真那。

 1秒。

 2勝。

 勢いよく片足を軸に反転ピボットターン――!


「きゃぅっ!!」


 悲鳴が上がったのは、真那のだった。






 愛では、真那を止められない。

 瞳はそう判断していた。それは、これまで一方的にインサイドをやられて来た事からも明らかだ。

 まともに愛と真那で1on1勝負をさせていては、やられる一方だ。

 だがチーム全体の戦力で考えた場合、真那さえいなければ何とかなる気がしていた。

 御堂坂のプレイは連携が取れているものの、その中心にいるのは真那だ。ゴール下を支配している彼女さえいなければ、攻守において隙が生じるはず。

 なら、どうすればいいか。

 考えた末に瞳は、真那がローポストからシュートの体勢に移行する瞬間を狙った。

 本来の自分の守備対象を放置し、二人がかりダブルチームで真那を抑えるのだ。


 それを実践した時――

 真那はピボットターンの瞬間、305cmの高さにあるゴールを見ていた。だから、小柄な瞳は視界に入っていなかったのだろう。

 結果、瞳は、ターンした真那に蹴られるような体勢になった。

 そして1m近くも吹き飛び、床に倒れたのだ。






一時試合中断レフェリータイム!」


 審判のコールとほぼ同時に亮介がベンチから飛び出して、倒れた瞳へと駆け寄る。


「神崎さん、大丈夫かい!?」

「瞳、怪我してないか!?」

「ひとみちゃん!」


 明芳のメンバーも駆け寄って来る。遠巻きに、御堂坂メンバーも様子を見ている。

 瞳は――


「だい……じょうぶ、です」


 ゆっくりと、上半身を起こす。


「掴まって」

「ん、ありがと」


 愛が差し出してくれた手を取り、立ち上がる。

 怪我はなく、脚もよろめいていたりはしない。


「……試合再開します。明芳しろコーチ、ベンチに戻って」


 審判も、瞳が無事である事を認め、そう宣告する。

 気をつけて、と目線で伝えるようにして、亮介はベンチへ戻って行った。

 瞳はうなずいて応える。だが、心配されるような事はないのだ。

 そもそものだから。


「オフェンスファウル、御堂坂あか5番! 明芳しろのスローインから再開!」


 試合再開にあたって審判が宣告したのは、真那と瞳の接触の結果。

 真那のファウル。

 つまり、御堂坂に点を取られずにボールを取り戻す事ができたのだ。

 ここからようやく、反撃を――


 ビ――――ッ。


「タイムアウト、御堂坂あか!」


 ブザーと、審判の宣告。

 御堂坂ベンチでは、顧問らしき老人が、かすかに苦い表情を浮かべていた。






「のう、マナちゃんや。大丈夫か?」

「何がです、お師匠様?」


 真那は顧問の藤野の事を、"お師匠様"と渾名で呼ぶ。

 藤野は御堂坂中の教員ではなく、校長との縁故で、部活の外部講師として出入りしている身だ。ゆえに"先生"ではない。

 一般的にもっとも近い表現を使うなら"コーチ"なのだが、なんとなく彼には横文字の呼び方は似合わない。"仙人"と表現されても違和感のない外見なのだから無理もない。

 そのあたりを考慮して、真那にとって一番しっくり来た呼び方が"お師匠様"なのだ。


「さっきマナちゃんがファウルをもらったじゃろ」

「ええ」

「ワシの目が確かなら、あれは明芳の6番のぶつかられた演技フロッピングじゃ」

「そうですね」


 タオルで汗を拭いながら、何事でもないかのように真那は肯定する。


「確かに、あたしの脚は6番に当たってませんでした」


 ピボットターンの瞬間、真那はゴールを見ていた。そのため、自分より遥かに低い位置に走り込んでくる姿に気づくのが遅くなったのは事実だ。

 だが、真那は衝突の直前、踏みとどまった。

 にも関わらず明芳の6番は、ぶつかられたかのように倒れ込んだのだ。

 恐らくは、真那にファウルを課そうとして。


「ちょっと、マナ。それ本当なら、サラッと流していい事じゃないわよ」


 環は険しい表情で会話に参加する。

 フロッピングは、審判の誤審を誘う不当な技術だ。本来なら試合妨害テクニカルファウルの一種に相当する。


「実力で勝てないからって、汚い手で来たのね。どうしようか……」

「別に、どうもする必要ないさ。サユリ、今まで通りあたしにボール入れてくれ」


 PGポイントガードにそう伝えながら、真那は汗を拭き終えたタオルをベンチの背もたれにかけた。

 そして、悠然と立ち上がる。

 口元には、笑い。この勝負を楽しんでいる事と、自信と、闘志が滲み出た表情。


「マナ、そんな事言っても5ファウルで退場になったら……」

「そん時ゃ、あの6番の演技が、あたしの実力より上だったってだけの事さ」


 万にひとつ、そうなる可能性もゼロではない。自分の中から慢心を追い出すように、真那は言い切る。

 それを考慮した上で、作戦に変更はない。


「うむ。ワシも作戦変更の必要はないと思うぞ」


 落ち着いた口調で、藤野も真那の判断を肯定した。


「むしろ、マナちゃんがフロッピングを警戒して縮こまりゃせんかと心配しておったんじゃがのう」

「はっ。お師匠様の冗談はいつも面白くないですね」

「マナちゃんひどい。ワシ泣いちゃう。

 まあともかく、わかっとるようじゃが、あの6番の狙いはマナちゃんを無力化する事じゃ。5ファウルでの退場でも、フロッピングを警戒して全力プレイができなくなる形でも」


 藤野の言葉に真那はうなずき、環も納得した表情を見せる。


「ここで作戦を変えたら、相手の思うつぼ……って事ですね」

「その通りじゃ」

「マナ、いけるわね?」

「もちろんさ」


 迷いなく真那は答えた。

 それは自分の武器である、パワーと体格への自信。そして、それがチームの中核となっている事への自負によるものだ。


 もともと真那には優れた体格があった。それはバスケット選手としては優れた才能だ。

 だが、藤野の教えを受けて、体格という才能に甘えないよう自分を戒めた。Cセンターに必要な基礎技術、そしてその基盤となるパワーを重点的に鍛えてきた。

 苦手だったフリースローも努力で克服した。並外れたパワーの持ち主であるからこそ、敵がファウル覚悟で止めに来る事も多いためだ。


 真那の技の引き出しは多くない。だが、人並み外れたパワーと体格、確かな基礎技術に裏打ちされたゴール下の支配力は、チームの中心と呼ぶに相応しいものだ。

 チームの中心に真那がいる。そこに仲間たちが連携してサポートする。それが御堂坂というチームの形だ。

 だから。


「あたしは、スタンスを変えないよ」


 ビ――――ッ。


 タイムアウト終了を告げるブザー。

 真那は先陣を切るように、コートへと戻って行った。

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