#17 ドアマットチーム

「オフェンスファウル、御堂坂あか5番!」


 真那がローポストからシュートを狙おうとしたところで、またもや二人がかりダブルチームで止めにきた瞳にぶつかった。

 真那に2つめのファウル。

 第2ピリオドの半ばで、スコアは14-22。

 得点の上ではまだ負けている。

 だが亮介の目には、第2ピリオドでは互角の戦いができていると見えた。何せ第1ピリオド終了時点でのスコアなど、6-14だったのだから。


(流れが変わったな)


 きっかけは、真那のオフェンスファウル。

 一時試合中断レフェリータイムが入ったあのファウルによって、御堂坂の攻撃が無得点に終わった。そこから、少しずつだがリズムが乱れてきている印象がある。

 そこに、もっとも遠慮なくつけ込んでいるのは瞳だ。

 スクリーンを活用し、普段よりも果敢にドリブルでディフェンスを切り崩しにかかっている。相変わらず彼女の脚はお世辞にも速くなく、キレのある突破ドライブだとは言いがたい。

 だが御堂坂のGガードは、なぜか瞳の行動に過敏に反応する。

 結果、ディフェンスにほころびが生まれる。

 それを見逃す瞳ではない。


「左ショートコーナー!」


 声を張り上げ、左サイドのエンドライン際へパス。

 ボールに追いついたのは、慈。

 ノーマーク!


「ふっ……!」


 小さく息を吐くような掛け声とともに、ジャンプシュート。

 ボールは高く弧を描き、すぱっ――と軽快な音を立ててリングの内側のネットを通過していく。

 これで16-22だ。


「ナイシュッ、これで6点差だよ! あと少しあと少し!」


 メンバーを鼓舞するように瞳が言う。

 点差を強調したその言葉は、御堂坂メンバーに対して精神的に揺さぶりをかけようという意図もあるだろう。

 その狙い通りの効果はあったようだ。瞳と直接対決マッチアップしているPGポイントガードに、いくばくかの動揺が見える。


「みんな落ち着いて! 第1ピリオドのリズムを維持!」


 負けじと、御堂坂のキャプテンも力強く指示を飛ばす。


「作戦変更なしって言ったはずよ、ディフェンスは深めに! 負ける要素ないわ!」


 ――惑わされなければ?

 どういう意味か、亮介は掴みかねた。

 一瞬悩んだが、亮介はそのフレーズを頭の片隅に追いやる事にした。

 言葉の瑣末さまつな違和感よりも、試合の動きの方が重要だ。亮介は、再び試合の動向に目を光らせた。






 #17 踏みつけられても立ち上がれ!ドアマットチーム






「ディフェンスファウル、明芳しろ4番!」


 ブロックに跳んだ愛が、真那の腕に接触してファウル。

 たびたび発生するファウルにより、頻繁に時計が止まる。重苦しい展開となっていた。

 だが、真那は泰然とした調子を崩さない。


「やってくれるじゃん」


 真那は愛に向かって、不敵に笑う。

 愛は顔をしかめて、無言で応える。

 愛が意図的にファウルをしているのは、真那もわかっていた。

 それを卑怯だと言うつもりもない。

 ファウルとは反則行為だ。正当な行為ではない。だが、一人で5回のファウルを行わない限り、退場処分にはならない。

 4回までのファウルは、自己責任の範囲で、選手の権利のうちだ。

 となれば、まともな方法では止められない選手――まさしく真那のような選手は、敵チームからは集中的に反則行為を受けるのは当然の事だ。

 だからこそ――


「2ショット」


 フリースローの回数を宣告して、審判が真那にボールを渡す。


("だからこそ"、だよな。お師匠様)


 真那は手の中で、ボールの感触を確かめるように回転させる。

 それはフリースローを撃つ際のルーチン行動だ。一定の動作をする事で、落ち着きと集中力を取り戻す儀式。

 しかる後、シュートフォームを取り、投じる。


 ――すぱっ。


 軽快な音を立てて、リングをくぐっていくボール。

 ゴール下では、愛が苦い表情を見せていた。せっかくファウルしてまでシュートを外させたのに、フリースローを決められては意味がないとでも言いたげに。

 無論、それこそが真那の意図した結果だ。

 並外れた体格とパワーの持ち主である真那だからこそ、点を取りに行く際には集中的にファウルを受ける。

 言い換えれば、もしフリースローが下手であったなら、ファウルによって真那の得点は止められてしまう。

 フリースロー精度は、真那が阻止不能な存在であり続けるための、重要な補助輪なのだ。

 それらすべては、藤野が教えてくれた事だ。


「1ショット」


 審判から、ボールが渡ってくる。

 再び、手の中でボールを回転させる。


「サユリ、レン、ディフェンス備えて。惑わされないようにね」


 環がGガード陣に指示を出す。

 リバウンドの行方ではなく、ディフェンスに備えろという指示。フリースローを落とすとは思っていない指示だ。

 つまりそれは、真那への全幅の信頼。

 真那は改めて、シュートモーションを取った。

 投擲。

 さきほどのフリースローの映像を再生したかのように、リングの内側へとボールは吸い込まれていった。






 依然として真那は驚異的な存在だ。

 だが、自分の策は一定の成果を上げている。瞳は、そう実感していた。

 真那に2回のオフェンスファウルをさせた。その結果、御堂坂のGガード陣はチームの中心選手を庇おうと考えたのか、守備に浮き足立った。

 そこが、攻める隙になる。


「茉莉花!」


 声をかけ、得意のピック&ロール。

 スクリーン役となった茉莉花の横をすれ違い、瞳が切り込む動きを見せる。


「スイッチ!」


 守備対象交換スイッチのつもりで声をかけ、環は瞳の前に立ち塞がった。

 御堂坂のPGポイントガードは、その時すでにスクリーン役の茉莉花をかわして、瞳の前に。

 


「撃って!」


 ノーマークの茉莉花に、すかさずパスが飛ぶ。

 片手撃ちジャンプシュートワンハンドジャンパー

 ボールはバックボードで跳ね返り、リングの内側へ落ちていく。


「っし!」

「ナイッシュ、茉莉花」


 拳を握り息巻く茉莉花。その肩に瞳は触れ、賞賛の言葉をかける。

 バックコートへ小走りに戻る。

 背後では、まだ行動に冷静さを欠いているPGポイントガードに対して、環が叱責にも似た言葉を放っているのが聞こえた。

 御堂坂に亀裂が入っている。

 もはや、試合序盤に感じたほどの閉塞感はない。御堂坂のディフェンスが堅牢な要塞に見えたあの感覚は。

 明芳の得点ペースが上がって来ている事も、良い流れになっている事を証明している。

 だが、まだ足りない。

 Gガードをいくら揺さぶったところで、御堂坂というチームにとってはうわべの事でしかない。あのチームを成り立たせているのは、Cセンターである真那の存在だ。

 そこを無力化しなくては。


「――いいわね? 行くわよ」

「え、ええ」


 ひとしきり環からの言葉を受けたPGポイントガードが、ドリブルしてボールを運んでくる。

 今度は御堂坂のオフェンスだ。


「ヘイッ!」


 真那がポストの位置を確保し、片手を上げてボールを求める。

 空いた半身は愛を力強く抑え込んでいる。愛はパスコースを塞ぐ事もできず、後方へと追いやられている。

 これはパワーの差だ。一朝一夕にはどうしようもない。


 ――だからこそ、それ以外の手段で対抗しなくてはならない。


 山なりのパスが出る。ボールは瞳の頭上を越えて真那へ。

 真那はまたもや、ドリブルをつきながら背中で愛を押し、ゴール下を侵略していく。

 懸命にこらえるが、じりじりと押されていく愛。

 やがて、3秒制限区域に真那が進入する。


(ここ!)


 瞳は再び、真那に向かって行った。

 真那の得点パターンは決まりきっている。ゴール下での力押しからのターンシュート一辺倒だ。

 そのターンの脚に、蹴られに行く。

 実際に蹴られる必要はない。審判から見て、衝突したように見えれば――それも、真那に落ち度のある形でぶつかったように見えればいい。

 既にその作戦は、2回の成功を収めている。

 あわよくばこの繰り返しで、真那が5ファウル退場してくれれば最良だ。


 真那がターンしてくるより一瞬速く、瞳は、真那が踏み込んでくるであろうコースへ駆け込む。

 真那は、愛をゴールのほぼ真下まで押し込み、片足を軸に反転ピボットターン

 そこにタイミングを合わせ、瞳は後方へわざと倒れ込み――


「リターン!」


 御堂坂のPGポイントガードの声。

 真那はターンの動作を停止。ただちに声の主へとボールを投げ返した。

 その真那の足元で、瞳が倒れ込む。


 ――ピッ!!


 ホイッスルが鳴った。心なしか、

 それは些細な違いだった。

 だが、瞳はその違いに気づいた。だから、審判へと視線を向けた。

 反則の種類を示す審判のジェスチャーが、普段と違っていた。

 左右の手で斜めに"T"の字を描くような、それの意味は――


試合妨害テクニカルファウル明芳しろ6番!」






 試合妨害テクニカルファウルの裁定を聞いて、真っ先に審判に駆け寄ったのは亮介だった。


「審判、質問です! テクニカルの理由は何ですか!?」


 抗議とみなされないよう、"質問"という言い方をする。だが冷静であろうとしても、語気が荒くなってしまうのは避けられなかった。

 テクニカルファウル――試合の進行に対する妨害や、非礼な振る舞いについて宣告されるファウルだ。

 それを宣告されるという事はつまり、亮介の教え子たちが卑怯者だと言われているに等しい。

 誤審。亮介にはそうとしか思えなかった。

 テクニカルファウルを宣告されたのは瞳。

 彼女が宣告を受けたのは――感情論だが、亮介にとっては納得が行かなかった。

 規格外のパワープレイヤーである真那を止めるため、亮介から指示を受けるまでもなく二人がかりダブルチームでのディフェンスを行う事を自ら判断した。そして小柄な体格にも関わらず、真那を食い止めるために体を張っていた。

 コートの中で、今、一番頑張っていたのだ。

 それを否定された事は、あまりに心外だ。


「テクニカルになる行為があったようには思えません。むしろ、オフェンス側のチャージングでは……!」

「チャージングではありません」

「なぜ!」

でした」


 審判の言葉を理解するのに、一瞬を要した。

 接触していないのに、瞳が倒れた。それはなぜか――


明芳しろ6番は接触のない状況で、自分から倒れました。御堂坂あかのファウルに見せるための故意の行動と判断します」


 ――神崎さん?

 亮介が瞳に視線を向けると、彼女は床に腰を落としたまま、かすかにうつむいていた。

 その表情から読み取れたのは、悔やみと罪悪感と――しかし他にどうしようもなかったと言いたげな、ある種の言い訳がましさ。

 その仕草は、ぶつかられた演技フロッピングを否定していなかった。


「……」


 亮介は絶句した。

 自分の教え子たちは、良い子たちだと思っていた。少なくとも部ができてからの彼女たちは、バスケットについて素直に、真摯に学んできた。勉強もおろそかにはなっていないし、問題行動も起こしていない。

 だから、正々堂々と戦ってくれると盲信していた。

 それは、たとえ力及ばないとしても。


 だが現実には、瞳はぶつかられた演技フロッピングをしていた。

 恐らくは、勝つために。

 それが至上命題なのだと考えて。


(……僕の指導は、間違っていたのか?)


 日々の練習は、突き詰めれば勝利のためのものだ。

 外四人・中一人フォーアウト・ワンインへのフォーメーション変更をはじめ、工夫してきた事もたくさんある。

 全ては勝利のための努力だ。

 だが、勝利そのものが部活の目的か?

 審判を欺くような手段を使ってまで?


御堂坂あか、フリースロー1ショット」


 淡々と審判が告げる。

 試合妨害テクニカルファウルの罰則で与えられたフリースロー。環がそれを投じ、正確に決める。

 スコアは18-25。

 この状況を作ってしまった瞳は、無言。


「……」

「……え、えと、瞳、落ち込むなよ。取り返して行こう!」


 茉莉花は苦しい口調ながらも瞳を励まし、反撃のためにフロントコートへと走る。

 が――


「まりちゃん、違う! テクニカルだから相手ボール!」

「えっ……」


 センターライン付近から、御堂坂のスローイン。

 試合妨害テクニカルファウルの罰則は、フリースロー1本に加え、その成否に関わらず反則被害者ファウルオン側にボールの保有権が渡る事。


(僕は、そんな当たり前の事も……?)


 充分に伝えられていなかったのか。

 あの子たちは、言うまでもなく正々堂々としたプレイをしてくれると盲信して。

 万一それに反してしまった場合の、罰則のルールすらも。


「くっそ……!」


 茉莉花は急いで走って戻る。

 だが誤ってフロントコートへ進もうとしていた、その分の出遅れは大きい。

 御堂坂のSFスモールフォワード、背番号4の環にボールが渡る。


「行け、タマ!」


 真那がスクリーンをかけ、愛の足を止める。

 環から見た、ゴールへの道筋が空く。

 ドリブルで猛進。

 茉莉花が後ろから追いかける。


「くっそ、これ以上行かすかよ……!」


 これ以上、という言葉。親友が作ってしまったピンチを食い止めようという意思。

 環はゴール下へ走り込む。

 茉莉花は環の、咄嗟に手を伸ばした。

 その指は、赤いユニフォームの肩口に引っかかった。

 レイアップに跳ぼうとした環のユニフォームが、引っ張られた。


 ――ピッ!!


悪質な意図的反則アンスポーツマンライクファウル! 明芳しろ5番!」

「なっ……!」


 茉莉花は驚き、振り向く。

 出遅れた時、咄嗟に手が出てしまう悪癖。それ自体は練習試合でもやってしまっていた事だ。

 だが、悪質な意図的反則アンスポーツマンライクファウルを取られたのはこれが初。

 とは言え、今のワンプレイはそう裁定されても仕方ない。

 相手の背後から手を伸ばし、結果として相手のユニフォームを引っ張る形になったのだ。客観的に見れば、わざとやっただろうと言われても仕方ない。


「ちょっ、審判、待ってくれよ! わざとじゃ……!」

「まりちゃん、ダメ!」


 審判に駆け寄ろうとした茉莉花に、鈴奈がしがみつくようにして止める。


「審判に文句言ったらダメ! テクニカル貰っちゃうよ!」

「う……!」


 鈴奈の言う事は正鵠だ。審判への抗議もまた、試合妨害テクニカルファウルとみなされる行為だ。

 それも、バスケット選手なら知っていて当然の事。

 しかし亮介は、彼女たちにそれを強調して教えた事はない。

 彼女たちがこんな事態に陥るなど、想定していなかったのだから。


(……僕の考えが、甘すぎたのか)


 彼女たちの取った行動を見れば、そう考えざるを得ない。

 コートの上では、環がユニフォームの乱れを直しながら、茉莉花に非難の目を向けていた。

 気づいた茉莉花が、怯む。


「……ご、ごめん」

「別にいいわよ」


 冷淡なほど平静な口調で、環は答える。そして、フリースローラインへと進み出る。


「あんたたちがどんな手を使って来ようと、私たちは正攻法で勝つだけだから」


 冷たく突き放すような言葉。

 茉莉花はたじろいだ。瞳も。愛すらも。

 自分の行いには恥じるべき所があると、自覚しているからこそ。その言葉は、深く突き刺さった。

 完全に、相手の強さに飲まれた。それは単にバスケの実力というだけでなく、堂々とした振る舞い、心の強さという意味においてもだ。


「2ショット」


 重苦しい雰囲気の中、審判から環にボールが渡る。

 悪質な意図的反則アンスポーツマンライクファウルの罰則は、試合妨害テクニカルファウルのそれにフリースロー1本を上乗せしたものだ。

 環はその場で2度ドリブルをつくと、シュートフォームを取り、投じた。


 ――すぱっ。


 ネットをくぐる音を立てて、フリースローが決まる。

 正確な投擲だ。

 フリースローは、何者にも邪魔されず、静止したコートの中でシュートを撃つ行為。もし失敗したとすれば、その原因は自分以外にありえない。

 いわば、自分との勝負。

 メンタルの強さと集中力が、モロに出る。


「1ショット」


 フリースロー2本目のためのボールが環に渡る。

 環は、ひとつ深呼吸して、再びシュート。


 ――すぱっ。


 やはり、ボールは正確にリングの中央を射抜く。

 スコアは18-27。

 だが、点差以上の大きな差が開いてしまっている。

 それは正攻法で強いチームと、ダーティプレイに頼ってようやく土俵に立てるチームとの差だ。

 審判に瞳のぶつかられた演技フロッピングが露見した以上、不当な手段ももう通じないだろう。

 それでなくとも彼我の力量差は歴然。

 明芳メンバーは、これからどうすればいいかもわからないほどの困惑と動揺を顔に浮かべている。


 はっ、と亮介は我に返った。


「――た、タイムアウトを! タイムアウトお願いします!」


 亮介は慌てて申請した。

 呆けている場合ではない。

 教え子がダーティプレイに走ろうとも、自分の至らなさを痛感しようとも、自分はこのチームの監督であり、部の顧問なのだ。試合に勝利する事と、部員たちを人として正しく導く事。そのために最善を尽くす義務がある。

 とにかく今は部員たちを落ち着けるためにも、タイムアウトを!

 だが、遅かった。

 亮介がタイムアウトを申請した時には、既に御堂坂のスローインで試合が再開していた。


「サユリ!」


 真那がボールを要求。パスを受け取る。

 愛は動揺を隠せないながらも、その守備に着く。

 真那はローポストの位置から、ゴールに背を向けた状態でボールを構え――

 反転、そしてゴールへとドリブル!


「っ!?」


 愛の反応は遅れた。

 短い距離ながら、ドリブルでの切り込み。これまでのワンパターンなパワープレイとは、まったく異なる攻撃。

 鈴奈ほどのスピードがあるドリブルではないが、意表を突くのには充分だった。


「私が!」


 横合いからだが、慈がブロックに跳ぶ!


「くっ……!」


 遅れながらも、愛もブロックに跳ぶ!


「ははっ……!」


 真那は笑った。二人も立ち塞がった事を、むしろ楽しむかのように。

 そしてボールを両手で掴み、踏み切って跳ぶ!

 だんっ!! と床を蹴る激しい音を伴って、真那の巨体がゴールめがけて力強くまっすぐに伸び上がる!

 慈が左からブロックに跳んで来た。

 愛が右からブロックに跳んで来た。

 そして、接触――!


「あうっ!」

「きゃっ!」


 弾き飛ばされたのは慈と愛。

 剛健な肉体をもって力強く跳び上がった真那に対し、ぶつかって当たり勝てるはずもなかった。

 二人が床に倒れる頭上で、真那はレイアップシュートを決める。

 その体勢は、二人からぶつかられても全く崩されていなかった。

 パワーレイアップ。重心を安定させるため、両足の力で跳び上がるレイアップだ。

 それを選択したのは、ディフェンスからの接触に備えるためであり――


「ディフェンスファウル、明芳しろ8番! バスケットカウント・ワンスロー!」


 悪夢の時間帯は、まだ終わりそうになかった。






 1分間のタイムアウトを取っても、メンバーの気持ちを改める事はできなかった。

 第2ピリオド終了まで延々と劣勢が続き、ブザーが鳴った時には18-34のスコア。

 一度は6点差まで詰めた点差が、16点差まで開けられていた。それどころか明芳は、瞳のテクニカルファウルからというもの1点も取れていない。

 点差は、ほぼ2倍。

 状況を打開する光明は、見えない。

 ハーフタイムの明芳ベンチを、沈黙が支配していた。


「……」


 瞳は汗を拭いたタオルを首にかけて、うつむいたまま無言。

 この状況を作ってしまった主犯は自分だと認識しているのが見て取れる。

 茉莉花も、愛も、黙りこくったままだ。


「――みんな」


 亮介がベンチを立った。

 ビクッ、と瞳が反応する。

 独断でぶつかられた演技フロッピングを行ったのは瞳だ。

 そうでもしなければ勝負にならなかったとはいえ、その結果、テクニカルファウルによって試合の流れを壊してしまった。

 厳しく叱責されるに違いなかった。試合を敗北に導いてしまったというだけでなく、卑怯な戦法を取った事についても。


「みんなに言っておかなければならない事がある」


 静かに、亮介は告げた。そしてベンチに座った5人と正対する。

 叱責を覚悟して、瞳はゆっくりと顔を上げた。

 視線の先では、亮介が5人に向かって頭を下げていた。


「……え」


 理解不能。

 瞳は硬直した。責められるべきは自分だと思っていたのに、なぜ亮介が頭を下げているのか。


「僕は君たちに、いろいろな事を教えていなかった。申し訳ない」

「……先、生?」


 愛が問い返す。

 亮介は顔を上げた。その表情に浮かんでいたのは、教え子たちを責めるものではなく、自分の不徳を戒めるもの。


「瀬能中との練習試合で初勝利した時の喜びは、みんな覚えていると思う。その気持ちは僕も同じだ」


 5人ともが、黙って亮介の言葉に耳を傾ける。

 初勝利の喜びについては、異議など出るはずもない。寄せ集めでしかなかったはずの5人が初めて同じユニフォームを身に着け、そして一致団結して掴み取った勝利だ。忘れられるはずもない。

 もちろん、それまでの練習の日々と、男バス1年生チームに負け続けていた事実が反動となっていた部分もある。


「部ができてからの4ヶ月、君たちの成長は本当に目覚ましかった。君たちも勝利の喜びを知って、県大会で瀬能中と再戦するという目標も掲げてくれた。

 だから、僕もそれに応えようとしたつもりだった。そのつもりで……思い返せば、"いかに勝つか"という事しか君たちに教えていなかった気がするんだ」


 競技である以上、勝利を目指すのは当然だ。

 だが亮介が教えた事には、バスケット熟練者――つまり、ある程度成熟したスポーツマンの視点の内容も含まれる。

 瀬能中との試合において、"退場さえしなければファウルしても良い"と愛に教えたのは、紛れもなく亮介だ。

 もちろん、他の部員たちもその言葉は耳にしている。

 ある程度成熟したスポーツマンならば、スポーツマンシップという良識の範囲でその言葉を解釈するだろう。

 だが、彼女たちの大半はまだ本格的にスポーツを初めて4ヶ月。年齢にしても12歳か13歳。

 技術や戦術以前に教えなければならない事があったはずなのだ。


「……ごめんなさい、先生」


 ぽつりと、瞳が言葉を発する。


「審判の人の言った通りです。私、ぶつかられてないのに演技で倒れてました。あの5番を止めるにはコートから追い出すしかないって思って、5番にファウルさせるために……」

「ああ、わかってる。でも神崎さんがそれをやったのは、僕の指導が悪かったせいだ」


 亮介は言い切る。すべての責任は、自分にあったと。

 その上で、


「不甲斐ない顧問ですまない。……これは、僕からのお願いだ」


 亮介は、観客席を指し示した。

 鈴奈の父親がいた。

 山吹色の垂れ幕を持って駆けつけてくれた、ひので商店街の人々がいた。

 明芳の応援に来てくれたはずの彼らは、心配そうに、困惑したように、静まり返っていた。

 彼らの中にはバスケットに詳しくない人も多いはずだ。だがそれでも、コート上の動揺と混乱は伝わっているはず。瞳のテクニカルファウルを皮切りに、明芳が瓦解状態になりかけていた事も。

 内側から崩れてしまい、一方的にやられている。この状態を応援しろと言われても、難しい。

 応援すべき言葉も見当たらないに違いない。


「応援に来てくれた人たちに……君たちを見守ってくれている人たちに、恥じない戦いをしてほしい」


 彼女たちは、まだ大人に見守られるべき年齢。

 ならば、大人たちに健全な成長を見せる事。それもきっと、必要な事なのだ。


「……ねえ、みんな」


 沈黙を破ったのは、鈴奈だ。


「みんなも知ってると思うけどさ……あたし、一度ミニバス辞めちゃった事があって。でも今は、せんせーとみんなのおかげで、ミニバスの頃より充実してる気がするんだ」


 鈴奈は、観客席に目をやった。

 彼女の父親は、観客席の人々の中でももっとも心配そうな目で明芳ベンチを見ていた。その隣に座っている鈴奈の母親であろう女性も、同様だ。


「おとーさんもおかーさんも、ミニバス辞めて落ち込んでたあたしを心配してくれて、中学でまたバスケがやれるようになった事を喜んでくれたんだ。だから今は……あたしがちゃんとバスケと向き合えてる事を、見てほしい」

「鈴奈ちゃん……」

「あいちゃんも、同じような所きっとあるでしょ? 大きい体が嫌でしょうがなかったのが、今は少しだけ誇らしいって言ってたの、あたし覚えてる」


 愛も、観客席に目をやった。

 視線の先にいるのが、彼女の両親なのだろう。

 数秒、愛は考えた。

 自分がバスケを始めたあの日、憧れたものは――


「……うん。私も鈴奈ちゃんと同じ所、ある」


 視線を仲間に戻し、愛は答えた。


「私にとってのスタート地点って、体が大きいのに誇りを持ちたかったからだと思う。前はそれが嫌でひねくれてて、お父さんたちにも心配かけてて……」


 静かに、訥々と。


「でも今は、この大きい体を受け入れられるようになったから。きっと、それを見てもらわなきゃいけないんだと思う」


 しかしはっきりとした口調で、愛は言い切った。

 その目から、迷いや怯えはもう消えた。


「スタート地点……」


 瞳が、反芻するようにその言葉を呟く。

 彼女にとってのスタート地点とは――


「瞳」


 思い出すと同時に、瞳の名を呼ぶ声。肩に添えられる手。

 声の主は、茉莉花。

 他ならぬ彼女との関係を見つめ直すため。彼女の友人に相応しい自分であるため、彼女は入部届を提出したのだ。

 瞳は、茉莉花へと向き直った。


「――大丈夫。ごめん茉莉花、私、自分一人の考えで先走りすぎてた」

「ん。あたしも熱くなりすぎてたと思う。瞳、後半はいつもみたいに絶妙のパス頼むよ。あたしも冷静になるから」


 茉莉花の表情から、動揺の色は消えていた。依然としてチームは苦境にあるものの、茉莉花もまた自分を取り戻していた。

 中学3年間だけと決めたバスケに、雑念を捨てて全力で取り組む事。

 一切の不純物がない、純粋な敢闘精神。それが茉莉花に冷静な闘志を取り戻させていた。

 自然と、口元にも挑戦心から来る笑みが浮かぶ。

 釣られて、瞳の口元も緩んだ。それは、親友がくつわを並べて戦ってくれる事の頼もしさによるものだ。


「――これは、ウチの親の受け売りなんだけど」


 汗を拭いたタオルをベンチの空席へ起き、慈が口を開いた。

 その目線は、観客席に。


「負けたり失敗したりする事よりも、一番恐ろしいのは、人に見放される事……らしいわ」


 明芳を応援に来たはずの観客席は、応援の言葉も失って静まり返っている。

 あまりにも一方的に負けすぎていて言葉も出ない、という部分もあるだろう。

 しかし、自滅に等しい形で劣勢に陥ったチームなど応援しづらいのは確かだ。

 このうえ、審判を騙したりといった行いを繰り返せば――客観的に考えて、応援できたものではない。たとえ勝つ事ができたとしても。

 呆れられるだけだ。

 愛と鈴奈に至っては、家族が観戦に来ていると言うのにだ。

 自分たちの、そんな姿を見せたいわけではないはずなのだ。


「……負けるつもりで試合する気もないけど。でも、厳しい相手でもフェアプレイで行きましょ」

「うん」


 愛が、深くうなずく。


「――みんな、正々堂々で行こ。もし負けるとしても、ちゃんと実力で!」






「まあ、もう勝負はついたわね。さっさと終わりにしたいわ、こんな試合」


 御堂坂ベンチでそう言う環は、冷めた表情だった。

 実力でかなわないと見るや、フロッピングをはじめとした卑怯な手に訴えてきたチームだ。その発覚からファウルトラブルに陥り、今や自滅したも同然だ。

 その振る舞いは、小悪党と表現してもいい。

 相手していて面白いはずもなかった。


「冷たいね、タマ?」

「だって、あんなチーム相手にしてても盛り下がるだけじゃない」

「あたしはそうでもないけどな」


 真那は、獲物の存在を喜ぶ猛獣のように笑む。


「あの4番、あたしは気に入ったよ。何度吹っ飛ばされても向かって来るのがさ」

「……まあ、マナが楽しいっていうのをどうこうは言わないけど」


 ふう、と嘆息。


「あっちがどういうチームなのかはわかったでしょ。怪我させられないように……と、ファウル気をつけて」

「なーに、大丈夫さ」


 その言葉は適当なものではなく、自信の現れなのだろう。

 何せ真那には、愛と慈の二人がかりのブロックを跳ね飛ばしてシュートを決めるほどのフィジカルがあるのだ。


「……ま、大丈夫ならいいわ。みんなもそういうのは気をつけて。ペースを乱されないように、冷静にね」


 環はチームの一同を見渡して言う。

 実力の差は既に明白だ。姑息な手に惑わさなければ、もはや負ける道理はない。冷静に正攻法で戦えばいいだけだ。

 強いて心配な事と言えば、これまで以上に卑劣な手を使ってきて、怪我でもさせられないかという事ぐらい。


「ふぉっふぉっ、タマちゃんが仕切ってくれてワシゃ楽でええわい」

「仕事してください」

「タマちゃんキツい。ワシいじけちゃう」


 冷淡に聞こえる環の言葉に、いじけたような仕草でおどける藤野。

 環は顧問の子供のような仕草に、再び嘆息する。

 だが、その表情からは険しさが薄れている。

 これは御堂坂にとっては、普段通りの気楽なやりとりだ。緊張をほぐすための、冗談の言い合いと言ってもいいだろう。

 そう、後半戦にはリラックスして臨めばいい。

 もはや実力の差は明らかで、卑怯な手にのみ気をつければいいのだから。


 ビ――――ッ。


 ハーフタイム終了のブザーが鳴る。

 御堂坂メンバーがゆっくりとベンチを立ち、コートに向かおうとして。


「よぉし、気持ち切り替えて行くぞ! 後半はあたしたちのバスケをする!」


 明芳ベンチから、威勢のいい声。


「だいぶ点差つけられちゃったしね、ガンガン行こー!」

「5番のローポスト対策、さっきの作戦通りでお願いね、みんな!」

「了解よ。オフェンスになったらどんどんボール回して!」

「よっし、みんな行こ!」


 それは明芳の5人だった。

 前半終了間際の、意気消沈していた彼女たちの姿はそこにはない。

 第2ピリオドまでで圧倒的な力量差を見せつけられ、点差も既にほぼ2倍。ファウルもかさみ始めている。控えめに言っても勝利は絶望的な状況だ。

 そんな状況に置かれているはずの彼女たちが、威勢よくコートに駆け出てきた。

 今は1点を争う接戦だったのではないかと、自分の記憶を疑ってしまいたくなるほどの気勢で。


「……何があったのよ、明芳あっち

「さあ? まあ、やる気のある相手の方が倒し甲斐があっていいさ」


 疑問を浮かべる環に、泰然と答える真那。

 二人の背後では、藤野が顔をほころばせていた。

 その視線の先にいたのは、気力を取り戻した明芳の5人――そして、信頼を表情に出して彼女たちをコートに送り出す、若いコーチ。


「どうやら明芳あっちは、よい指導者がいるようじゃなあ」


 それは敵将に対する賛辞であるとともに、前途ある若者の姿を喜ぶ先達としての本音でもあった。






 第3ピリオド開始まもなく、ローポストに位置取りした真那へとボールが入った。

 そこからの立ち回りは前半までと同じ。力強くドリブルをつきながら、背中で愛を押す。

 愛は踏みとどまろうとするが、やはり押されていく。


(逃げないだけ大したもんだよ、あんた)


 真那は内心、喜んでいた。

 真那は中学女子としては、あまりに規格外のプレイヤーだ。Cセンターでありながら、彼女と真っ向勝負を避ける選手も少なくない。

 かなわない相手と真っ向勝負をしたくないというのは、自然な心理だ。

 だが真那にしてみれば、そういう相手はあまりに味気ない。

 その点、愛は、敢然と立ち向かって来ている。少なくとも、そこは真那にとって喜ばしい事だった。

 戦うからには、張り合いのある相手でいてほしい。


(けどね……!)


 勝つのは自分だ。

 真那は制限区域に踏み込み、ゴールに向かって片足を軸に反転ピボットターン――

 その途上に、人がいた。


「行かせるもんですか……!」


 背番号は8。

 慈だ。

 逆サイドのゴール下にいるPFパワーフォワードを放置して、真那を止めに来た!

 フロッピングはなく、真那の進路を正当に塞いで!


「ちっ!」


 慈は、ターンしようとする真那の側面を塞いでいる。ノーチャージ・セミサークルの外にいる彼女に衝突すれば、オフェンスファウルだ。

 やむなく、真那はGガードにボールを戻そうと――


「おっと、こっちも行き止まりだ!」


 パスコースを塞ぐ手!

 低い位置からめいっぱい手を伸ばして来たのは、背番号5。

 愛、慈、茉莉花の三人がかりトリプルチームが真那を囲んでいた!


「くっ」


 予想外。

 三人に三方向から密着される格好では、体勢を変える事も充分にはできない。

 振り向こうにも、パスを出そうにも――!


「マナ、戻して!」


 環が呼びかけ、ボールを貰いにいく。

 真那は自分を囲む三人のうち、もっとも背の低い茉莉花の上を通すようにパス。

 窮屈な体勢から出されたパスは、ゆるい山なりを描き、


「もらったーっ!!」


 鈴奈が跳びつく!

 巨体の真那から長身の環への、高いパスだ。懸命に伸ばした鈴奈の手も、充分には届かない。

 それでも、指の先が当たる!

 弾かれ、ボールはコートの外でバウンド。


 ――ピッ!


場外アウト・オブ・バウンズ御堂坂あかボール!」

「――っしゃあ!!」


 審判の裁定は、御堂坂ボールからの再開。

 ボールが場外に出る前、最後にボールに触ったのが明芳なのだから当然だ。

 まだ御堂坂のオフェンスは終わらない。

 それでも、真っ先にポジティブな声を上げたのは茉莉花だった。


「いいよいいよ、みんなナイスディフェンス!」

「へへっ、瞳の作戦通りさ!」

「ようやく1本止めたわよ、この調子で!」

「オッケーオッケー、いけるいける!」


 もはや、逆転でもしたかのような盛り上がりようだ。

 1本止めた、という表現も正確ではない。結局はボールを奪いきれず、御堂坂ボールでの再開となるのだから。

 だが、真那が攻めきれなかった。それは事実だ。


「へえ……」


 真那は改めて明芳のメンバーを一瞥する。その口元には猛獣の笑み。

 真那の視線は、愛が受け止めた。


「……まだ、勝負はこれからです」


 決然と、愛は言う。


「……へえ。うん」


 真那はうなずき、


「いいね。ホントいいよ、あんたたち」


 今日一番いい笑顔で、真那は答えた。






 御堂坂ボールで再開し、真那にボールが入るや、またも三人がかりトリプルチーム


「中原、綾瀬、撃たすなよ!」

「大丈夫っ……!」

「そっちこそ上、気をつけてよ!」


 声をかけ合い、真那を三人方向から圧迫するようにして行く手を阻む。

 前半まで、邪魔するものを吹き飛ばしてゴールを決めていた真那の手が、脚が、止まる。


「ちっ……!」


 真那は窮屈な姿勢から、強引にシュート!

 しかし、リングに弾かれる。

 真那のシュートを、ようやく外させた!


「リバンッ!」


 瞳が声をかける。言われるまでもないとばかりに、愛がボールに向かう。

 だが、遠い。

 ゴールを挟んだ逆側に落ちてしまったボールは、愛が跳びつくより早く、御堂坂のPFパワーフォワードが回収していた。

 そしてそのまま、シュート。

 慈に放置されていたPFパワーフォワードは当然ノーマーク。シュートは悠々と決まってしまう。


「くっ……」

「ドンマイドンマイ、5番にやられなかっただけ良くなってるよ! 惜しい惜しい!」


 歯噛みする慈を瞳が励ます。

 戦況は依然として苦しい。だが、そんな時ほど前を向いていなければならない。

 負けるとしても全力で、正々堂々戦うと決めたのだから。

 その気持ちが、


「そうだー! 惜しかったぞ、頑張れー!」


 呼応する。


「……おとーさん」

「頑張れ頑張れ、諦めるな! まだ試合は半分残ってるんだぞー!」


 鈴奈の父だ。

 観客席の先頭で、目立つのも構わず声援を張り上げていた。

 前半の明芳は、あれほど醜態を晒してしまっていたにも関わらず。


「……あの人、若森さんのお父さんなんだよね」

「あ……うん」


 瞳の問いに、鈴奈はうなずく。

 瞳はたっぷり一秒、初老に差し掛かった彼の姿を目に映した。


「……裏切れないね、あんな応援してもらったら」


 くすっと笑って。


「さ、オフェンス行こ! 点取るよ!」


 スローインを受け取りに、瞳は走り出した。






「行くぞっ!」


 茉莉花がドリブルして抜きにかかる。

 直接対決マッチアップしている環は抜かせまいと、進路を塞ぐ。

 茉莉花のドリブルは右、左、左と見せかけて右。深く踏み込んで――


(抜きに来る!)


 環はそれを防ぐように後退。

 だが茉莉花は急停止!


「!?」


 急停止ジャンプシュートプルアップジャンパー

 そうと環が気づいた時には、既にボールはリングを通過。

 おおっ――! と、観客席がにわかに沸き上がる。


「っし……!」


 茉莉花は小さくガッツポーズを取り、そして環を真っ向から見据える。

 やられてばかりじゃないぞ、と。

 そして守備に備え、バックコートへと小走りに戻って行った。


「……生意気」


 ぽつりと、環は言葉を漏らす。

 あの目。裏をかいてやったぞ、下級生だと甘く見るな――とでも言いたげだった。

 生意気だ。

 ……倒し甲斐のある相手だ。






 真那にボールが渡るや、またも三人がかりトリプルチームで明芳は守る。

 わっ――! と、観客席は再び沸き上がる。

 さきほどまで蹴散らされるばかりだった明芳メンバーが、力を合わせて巨人を食い止め始めている。それはバスケットをよく知らない人の目で見ても、盛り上がる光景に違いなかった。


「マナっ!」


 環がボールを受け取りに行く。

 真那は、今度は下手投げでバウンドパスを出した。ボールは茉莉花の足元を抜けて、ワンバウンドして環へ。


「来るかよ……!」


 茉莉花は振り返り、環へと向かう。

 環はボールを掴むと、一歩、二歩。そしてレイアップの要領で跳び上がる!

 茉莉花もそれに合わせてブロックに跳ぶ!

 が、環は指と手首のスナップを利かせて放り投げるようにシュート。

 茉莉花がジャンプの頂点に達するより早く、ボールは茉莉花の頭上を通り過ぎる。

 変則レイアップフィンガーロールシュート――!


「さっきのお返しよ」


 環は茉莉花に告げる。ボールは、リングの内側へと滑り落ちて行った。

 背を向け、バックコートへ戻っていく環。


「あんにゃろ……」


 赤いユニフォームの背番号4を見据えながら、茉莉花は呟く。

 わざわざ張り合うように、得意技で勝負を仕掛けて来るとは――


「……負けず嫌いなヤツ」


 我知らず、口元が緩んだ。苦戦のさなかだと言うのに。

 負けず嫌い同士、正々堂々とやり合う気分は悪くなかった。






 明芳は善戦した。

 真那の連続得点を止める事はできても、結果的に御堂坂にゴールを許してしまう事は多かった。

 それでも、最大の得点源ファーストオプションである真那をとにかく止める事で、御堂坂を勢いづかせる事を防いだ。

 シュートが外れれば、ディフェンスリバウンドもいくばくかは回収できた。

 しかし、明芳の攻撃は不確実。

 鈴奈と茉莉花がドリブルで切り崩そうとするものの、真那の圧倒的な守備力の前に、ゴール下を攻めきれない。

 結果、距離のあるシュートに頼らざるを得ない。

 そして、リバウンドを取られる。

 正々堂々と戦うならば、それが今の明芳の限界だった。

 第3ピリオドが終わって26-51。

 第4ピリオド半ばで30-60。

 第4ピリオド残り30秒で34-66。

 明芳の最後の攻撃――!


「綾瀬さんっ!」


 ピック&ロールの動きから、あえてゴールに向かわずエンドライン際へと走った慈へ、瞳からパス。

 慈は即座にシュート体勢!

 小さくジャンプし、両手撃ちのフォームでボールをリリースし、


「おりゃ!」


 目の前に壁――!

 ゴール下から飛び出して来た真那だった。


 バチッ――!


 痛烈な音を響かせてブロック。

 弾き飛ばされたボールを御堂坂のPGポイントガードが回収する。

 そのままドリブルして速攻!


「ちょっ、待ったっ……!」


 鈴奈が追う。

 追いつく。

 が、御堂坂のPGポイントガードからパス。

 受け取ったSGシューティングガードが、難なくレイアップを決めた。


「くっそぅ……」

「ドンマイ、若森さん! もう一本行こ!」


 鈴奈はボールを拾い、スローイン。瞳にボールが渡る。

 反撃しようとセンターラインを越えて、


 ビ――――ッ。


 試合終了のブザーが鳴った。






 ブザーの音が耳に届いた瞬間、愛は、体から力が抜けていくように感じた。

 さきほどまで必死に走っていた脚が緩慢にスピードを緩めていき、やがて体は立ち止まる。

 もう、走れない。

 走れなくなるほど、全ての力を振り絞って戦い抜いた。

 一度は道を間違えかけたけど、最後まで全力で正々堂々と勝負した。


 その結果は――


 電子得点板に目をやれば、スコアは34-68。

 得点差二倍ダブルスコアで1回戦負け。

 それが、明芳中女子バスケ部の初の公式戦の結果だった。


「整列!」


 審判のコールに従い、両チームがセンターラインを挟んで向かい合う。

 明芳メンバーの顔には、悔しさ、やるせなさが満ちている。

 しかし全力で正々堂々と戦った結果だ。後ろ暗さは、どこにもなかった。


「なあ」


 真那が声をかけてきた。

 それが自分にかけられた声だと、わずかの間をおいて、愛は気づいた。


「気に入ったよ、アンタの事。あたしと真っ向勝負しようなんてヤツ、珍しいからさ」

「……どーも」


 憮然とした口調になってしまうのは仕方なかった。力及ばなかった悔しさがあった。

 自分にもっと身長があればと、初めて思った。


「またろうな。今度は冬の大会で、か」

「……今度は、負けませんから」


 同じ地区の学校なのだ。県大会を目指す上で避けては通れない相手。

 なら、勝つしかない。今すぐでなくとも、いつかは。


「34-68で御堂坂あかの勝利! 礼!」

「「「ありがとうございました!」」」


 全員揃って、一礼。

 最後の挨拶は、示し合わせたかのように明芳の5人ともが大きな声。

 負けたとしても、せめて気持ちは強く前を向いていようという、その心はひとつだった。

 これで、明芳中女子バスケ部の秋は終わった。

 ベンチへ戻るべく、愛たちは振り返る。






 ――ぱちぱち。

 ――ぱちぱちぱちぱち。






 観客席から拍手が起こっていた。

 見上げれば、それは鈴奈の父のもの。

 その周囲に座っている、ひので商店街の人々も次々に拍手に加わっていく。

 それは観客席のほんの一角を占めているだけの、ほんの十数人の拍手。

 だがその拍手の音は、しっかりと愛たちの耳に届いていた。


「最後まで諦めずによく頑張ったぞー!!」


 変に注目を集めてしまうのも構わず、鈴奈の父は大声でそう言ってくれた。

 試合そのものは大敗だ。

 だが――それでも、自分たちの姿をしっかりと見てくれている人物は、ここにいたのだ。


「心強い応援がいてくれたね」

「……先生」


 いつの間にか、亮介が愛の傍まで歩いてきていた。

 亮介の言う通り。最後まで正々堂々と、持てる力を振り絞って戦う事ができたのは、間違いなく彼らのおかげだ。


「さあ、みんな」


 亮介は観客席を指し示し、そして観客席に深々と頭を垂れた。

 愛も、鈴奈も、茉莉花も瞳も慈も、みなそれに倣って観客席に礼。

 十数人の応援団からは、今日一番大きな拍手が送られた。

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