#30 シックスマン

 部室のロッカーに自分の名札がついたままになっていた事に、慈は安堵した。

 退部届を出してから戻ってくるまでは、二週間もないほどの短い期間だった。けれど慈にとっては、既に懐かしさを感じるほど長く感じられる期間だった。


「おかえり、綾瀬さん」


 練習に備え、体育着に着替えようとした慈に、隣から愛が声をかけてくる。

 "待ってる"、と言ってくれたのは彼女だ。

 その通りに出戻ってくる事になってしまったが――不思議と、慈に気まずさや恥ずかしさはなかった。

 内に溜め込んでいた感情を爆発させてしまった事も、それがきっかけで正しい努力の形を知った事も、きっと今に至るために必要な過程だっただろうから。

 大きく遠回りして、やっと辿り着いたという感じだけど。


「……ええ、またよろしく」


 慈は制服のスカーフを外しながら答える。

 口調は穏やかだ。けれど、緊迫感は少なからずある。

 自分はまだ、"もう少し頑張ろう"と決意したにすぎない。

 恵まれた体の強さや運動能力も、優れた作戦能力もなく、総合的な能力で言えば6人の中でもっとも劣っている存在だ。その事実は変わらない。

 努力で、それを覆せるかもしれない。その可能性に賭けただけ。

 這い上がるのはここからだ。

 気を緩めてなどいられるはずがなかった。


 ――そのように考えていると、ドアをノックする音。


「入っていいかーい?」

「あ、着替え中でーす」

「ああ、ごめん」


 ドア越しの亮介の声に、愛が答えた。

 特に不埒な事を働いたわけでもなく、着替え中だと知らされただけで"ごめん"と言わなくてはならない亮介には、一抹の同情を覚えなくもなかった。


「じゃあ、着替えたら体育館に集合ね。その時、新しいフォーメーションの説明をするから」


 慈の着替えの手が、一瞬だけ止まった。

 新しいフォーメーション――

 それは、もし瞳が先日言っていたフォーメーションであるのなら、シューターが2人必要になるもの。

 慈の存在が必要不可欠になるフォーメーションのはずだった。






 #30 目指すべき私の姿シックスマン






「それじゃあ神崎さん、みんなに説明してみようか」


 亮介は瞳に作戦盤を渡し、話を促した。

 瞳は他のメンバーたちに向き直ると、作戦盤にマグネットを配置した。外3人・中2人スリーアウト・ツーインの、ごく一般的な隊形だ。


「えぇっと……これは"ハンマー"っていう型通りの攻撃セットオフェンスを、私たち用にアレンジしたものなの」

 慈は他のメンバーたちと共に、瞳の話に耳を傾けた。

 冷静な気持ちで、集中して話を聞けている気がした。かつて感じていた、"自分も活躍しなくては"という気持ちは雑念でしかなかったのではないかと思うほどに。


「まず、PGポイントガードの所でピック&ロール。コートに誰が出てるかによるけど、ボールハンドラー側は私か若森さん、スクリーナー側は中原さんか在原さん想定ね」


 言いながら、瞳はマグネットを動かす。"6"と"4"がピック&ロールの動きをして、ディフェンスを足止めし、"4"にパスを入れる形を見せた。

 通常のピック&ロールなら、ボールを受け取った"4"がこのままゴールを狙うのが定石だ。

 だが、強力なビッグマンを擁するチームには往々にして通じない。

 秋の新人戦で戦った、御堂坂中がいい例だった。

 その対策として――


「この時にタイミングを合わせて、シューターはコーナーに移動」


 "5"を、ディフェンス側のマグネットとともに、3Pラインに沿って動かし、右コーナーで静止させる。

 "8"を――


「この時、ピック&ロールに参加してなくて、シューターでもない人は、スクリーンをかけてあげて」


 "9"を、"8"に寄せた。

 "9"をスクリーンにしてディフェンスを足止めし、振り切るように"8"が左コーナーへ。

 これで、両コーナーでシューターが待機し、"4"がボールを持ってゴールへ向かう形ができた。


「で、ここから先はディフェンスの動き次第。

 まず、パターン1。この場合で言う"4"の人が、そのままゴール下を攻めきれる場合は、そのままシュートでOK。でも、そうはいかない場合ってあるじゃない?」


 カバーが入って、ディフェンス側の複数人が集中した場合。あるいは御堂坂中の大黒真那のような、圧倒的な守護神がいた場合。

 そうなると、愛や美裕でも、ゴール下で得点を奪うのは難しい。

 その状況こそがまさに、このフォーメーションが必要とされた発端だ。

 この場合――


「そこでパターン2、逆サイドのディフェンスがヘルプに来た場合」


 "5"に着いていたディフェンスが、ゴール下へ猛進する"4"を止めに飛び出して来た形に、瞳はマグネットを動かす。

 必然的に、"5"がノーマーク。

 そこに、ボールを示す赤茶色のマグネットを動かした。


「これはもう一目瞭然で、空いたコーナーのシューターにパス。で、シュート」


 うん、と茉莉花がうなずく。

 慈も説明を聞いて、だんだんと理解してきた。

 このフォーメーションは、ゴール下での高い得点力を持つ選手をピック&ロールによって攻めさせ、"ゴール下での即失点の危機"をディフェンス側につきつける。そうしてゴール下に注意を引きつけたところでシューターを活かす戦術なのだ。

 瞳は説明を終えると、ピック&ロールを実行した直後の状態にマグネットの位置を戻した。


「パターン3は、ピック&ロールでディフェンスが崩せなかった場合」


 瞳はディフェンス側のCセンターを示すマグネットをゴール下へ寄せた。それは、ピック&ロールで守備を突破できなかった状況を想定した配置に違いなかった。


「……御堂坂中の大黒さんとか?」

「うん、それを想定してる」


 愛の疑問に、瞳は肯定の答えを返した。

 愛にとっても強く印象が刻まれているらしい、おそらくは地区最強――ともすれば県でもトップクラスかもしれないCセンターであろう彼女。ピック&ロールによる攻撃が通じなかった記憶も、いまだ色褪せてはいない様子だ。

 それをどう破るかの答えは――


「この場合、さっきと逆のコーナーにパスするの」


 瞳は赤茶色のマグネットを、"8"の方へ動かした。

 "8"は、"9"のスクリーンを使ってディフェンスを振り切り、コーナーでノーマークでいる。

 ボールを受け取って、あとはシュートするだけだ。


「――まあ、もちろんディフェンス側の位置取りとか、スクリーンが成功するかとかの要素はあるんだけど……少なくとも左右どっちかのシューターはフリーになってる可能性が高いってわけ。だから、ここで言う"4"の人――中原さんか在原さんが、自分で行くかシューターに撃たせるか、どっちの方が確率が高いか判断して、フィニッシュ」


 瞳はそのように説明を締めくくった。

 慈は――このフォーメーションの一連の流れを頭の中で繰り返し、そして理に叶ったものだと理解した。

 ピック&ロールは、このチームが設立して間もない時期から頻繁に使ってきた攻撃方法だ。それを起点として攻撃を開始するのは、全員が理解しやすい。

 自分の動きも複雑なものではないと理解した。ピック&ロールに合わせてコーナーへ走り、パスを待てばいいだけだ。

 やれる気がする。少なくとも、練習では。

 試合で同じようにできるだろうかと言うと、まだ少し自信は持てないけれど。


「みんなもわかってると思うけど、ウチと同じ地区には、御堂坂中がいる」


 亮介の言葉に、秋の新人戦の記憶が蘇る。

 180cmを優に越えるビッグマン、大黒真那がいるチーム。ゴール下の鉄壁の守りを誇るチームだ。

 ある程度正確にアウトサイドシュートを決められなければ、あのチームに勝つことはできない。

 御堂坂中に勝てなければ、地区大会の優勝はない。つまり、県大会へ勝ち進む事もできないのだ。


「土曜に練習試合をやった白岡第一中も、ゴール下が強いチームだったね。みんなもあの試合でアウトサイドシュートの必要性は実感したと思う。御堂坂中が相手なら、なおさらだ」


 ――土曜。

 その日、慈はシューズの"処分"を依頼しに出かけていた。試合には、当然ながら出ていない。試合の後に行なったという反省会にも出席していない。

 その試合で何があったのかは、わからない。

 鈴奈は、シューターの慈がいてくれればと言ってくれたけど。


「アウトサイドシュートは、それ一辺倒で勝負するものじゃない。あくまでも"外のシュートがある"と相手に思わせて、ディフェンスの注意をゴール下から逸らす事が本質だ。神崎さんが説明してくれたフォーメーションも、ずっとこれで行くというものじゃなく、ここぞという時に使うものだと理解しておいてほしい」


 それは確かに正論だ。

 ゴール下の強い相手には、リバウンドを取られやすい。そんな相手に、成功率の高くないアウトサイドシュートばかり撃つのは、自分から負けに行くようなものだ。

 あくまでも、ここぞという時の状況打開手段。

 つまり――


「冬の大会は、神崎さん、若森さん、氷堂さん、在原さん、中原さん先発で行く。綾瀬さんはアウトサイドシュートが必要な時に交代で投入するから、そのつもりでいてほしい」


 ――スタメン落ち。

 少し前はもっとも恐れていたはずの事。でもそれを今は、いくらか冷静に受け入れられた気がした。


「大丈夫だね、綾瀬さん?」

「はい」


 淡々と、だが失望感も無力感もなく、答える事ができた。

 ここが今の自分の立ち位置。

 あるいは、退部届を振りかざして部を混乱させた、懲罰という意味合いもあるかもしれない。

 今この瞬間は、それらすべてを仕方ない事として受け入れた。

 自分は弱い。

 けど、いつまでも弱いままとは限らない。

 だから、這い上がるために努力を続けるのだ。






「先生。居残り練習したいんですけど、いいですか?」


 その日の練習が終わり、他のメンバーが部室に引き上げた後、慈は亮介にそう切り出した。

 振り向いた亮介は、快く微笑んだ。


「いいよ。ただし、最終下校時刻の30分前までね。体育館の戸締りもあるから」

「はい。ありがとうございます」

「って言うか、みんながいる時に言ってくれたらいいのに」

「いえ、みんなを付き合わせるような練習じゃないですから」


 慈は小さく苦笑いを浮かべると、ボールを手に、左コーナーに立った。

 これは自分個人のシュート練習。わざわざ仲間を付き合わせるような内容ではない練習だ。

 早速、取り組み始める。

 構える。

 狙う。

 膝を溜める。

 ジャンプ。

 そして、ボールが頭より高く上がったところで、シュート!


 ――がっ。


 リングの手前側で、ボールが弾かれた。

 

 ボールを回収しながら、慈は原因を考えた。冬の大会までに少しでも、ミスシュートの原因を潰したくて。

 膝はちゃんと溜めていた。リリースポイントも意識していた。左右のズレはなかった事から、狙いも正しくついている。

 土曜の夕方は、この感覚で正確に入ったはず。

 じゃあ、土曜の夕方と今では、何が違うのか――


(……練習後だから、単純に脚が疲れてる)


 それが原因だとしたら、疲れている時は、元気な時よりも少し強めに撃たなくてはならないという事だ。

 本当にそれが原因か、検証しなくてはならない。

 試しに、ボール1個分、奥を狙って撃ってみよう。慈はそう考えて、再び左コーナーに立ち、


「綾瀬さん、パス出すよ」


 亮介がそう言って、視界に入ってきた。

 ボールを求めるように片手を上げ、3秒制限区域の中央あたりに立つ。

 実戦であれば――瞳の考案したフォーメーションが実行されれば、その位置から慈にパスが出されるはずだ。


「その場で立ち止まって撃つのと、キャッチしてシュートするのとだと、やっぱり感覚も違うからね」

「……じゃあ、お願いします」


 遠慮しようとして、思い直し、そう答えた。そしてボールを渡す。

 彼の言う事には、慈よりも何年も長くバスケットに真剣に取り組んできた事に裏打ちされた、確かな経験と知識がある。能力の劣った自分が一人で這い上がろうとするより、効率のいい努力ができるに違いない。

 自分が格好悪く努力している姿を間近で見られる事は、少しだけ気恥ずかしいけれど。


「じゃあ、行くよ?」

「はい」


 答えるとすぐに、亮介からのチェストパスが飛んできた。

 それをキャッチ。

 即、シュートフォームに移行。

 構える。

 狙う――ボールひとつ分だけ奥を。

 膝を溜める。

 ジャンプ。

 そして、ボールが頭より高く上がったところで、シュート!

 ボールは――今度は左に少しズレて、リングに弾かれた。


「あれ……」


 さっきよりダメだ。

 単にとかだけの問題なら、力加減の調節だけで修正できる。だが左右にズレるのは、根本的に狙い通りボールが飛んでいない証拠だ。

 一人のシュート練習では上手く行っていたのに――

 その感覚は、試合でこれまでシュートを外してきた時にも、何度か味わってきたものに思えた。


「綾瀬さん、キャッチの手が少し硬いよ」


 ボールを回収し、次のパスを用意していた亮介から、そんな言葉が飛んできた。


「ボールを受け止めるんじゃなく、んだ。自分が次のアクションを起こしやすい位置へ」

「引き込む……?」

「うーんとね、ちょっとお手本を見せよう。パス出してみて」


 そう言って、亮介は慈にワンバウンドでボールを渡す。


「……じゃあ、行きます」


 慈は亮介の手元に注目しながら、チェストパスを出した。

 慈であれば、胸元でボールをキャッチしていたはず。それがどう違うのか――


「こう!」


 亮介は、飛んでくるボールに両手を伸ばした。

 指先と掌がボールに触れる瞬間、手を引き始める。

 まるでクッションに当たったかのように、ボールの勢いが失速していく。

 その勢いが完全に消失しそうになった時には、既に亮介はシュートフォームに移行していた。

 そこから流れるようにジャンプ、そしてシュート!

 すぱっ――と、ボールがネットをくぐる。

 綺麗だ。

 思わず感心してしまうほど、自然で、無駄がなく、キャッチからシュートまでがひとつの流れとしてまとまっていた。


「そもそもボールを"がしっ"と受け止めるのは、不自然に力んだ状態なんだ」


 亮介はボールを拾い上げ、慈に向き直る。


「だから、ボールを受け止めてから次のアクションを起こすんじゃなく、飛んできたボールを手元に引き込んで、次のアクションに繋がるようにコントロールするんだ。そうすると、より速く、より自然な動きになる」


 そう説明して、パスの体勢。

 感心して聞いていた慈は、我に返り、キャッチに備えた。


「行くよ?」

「はい」


 答えると、亮介から、ややゆっくりめのチェストパス。

 飛んで来るボールに、見よう見まねで両手を伸ばす。

 手に触れる瞬間、ゆっくりと肘を曲げて、引き込む。

 それまでのキャッチとは明らかに感覚が違った。ボールが掌を叩くような感触ではなく、ボールがやんわりと掌を押してくるような。

 それを包み込むように受け止め、ボールを胸元へ。シュートを撃つべく構えた姿勢へと、自然に移行していく。

 そして、狙う。狙いは、普段よりボールひとつ分だけ奥。

 膝を溜める。

 ジャンプ。

 そして、ボールが頭より高く上がったところで、シュート!

 今度は――リングの内側に当たって、小さく跳ね、そしてゴールの内側へボールが落ちて行った。


「よっし……!」

「ナイッシュ。その調子」


 慈を労って、亮介がボールを回収する。

 慈は――いつの間にか、微笑んでいた。

 バスケットをやっていて、嬉しいとか楽しいとか、ポジティブな気分になったのは久しぶりだった。


「楽しそうになったね、綾瀬さん」

「そうですか?」


 そんなにもわかりやすいだろうか、と内心で自分に対して苦笑する。

 けれど考えてみれば、顔に出てしまうのも自然な事かもしれない。

 今まで要領の悪い努力をしてきた分、自分には他の子たちよりも大きな伸びしろが残っている可能性がある。それをどのように開花させればいいのかを知ったのだ。

 今までより、気負いは確実に減っていた。


「たぶん、先生の教え方が上手いからだと思います」

「なんだ、どうしたんだい急に」


 冗談めかした口調で言って、笑い合う。

 けれど、半分は照れ隠しだった。亮介の教え方が上手い事は、慈も認めていた。

 彼の的確なアドバイスは、7年も前から、決して上手くはないチームメイトを救っていたのだから。


「何でもないですよ。パス、ください」


 曖昧にごまかして、慈はパスを要求した。

 亮介からのチェストパスが飛んで来る。

 引き込んでキャッチし、構えた姿勢へ移行する。

 ボールひとつ分だけ奥を狙う。

 膝を溜める。

 ジャンプ。

 そして、ボールが頭より高く上がったところで、シュート!

 ボールは綺麗に高い弧を描いて、リングの中央を通過。ネットを跳ね上げていった。


「調子いいじゃないか」


 亮介はまたもポジティブな言葉をかけて、ボールを回収し、次のパスを準備する。


「自信、持てそうかい?」

「……多分、少しは」


 ひょっとして、亮介はずっと心配してくれていたのかもしれない。

 慈は、ネガティブな感情を隠すのが得意ではない。それは自覚している事だ。

 だから、これまで慈が無力さに悩んでいた事も、お見通しだったのかもしれない。

 もっと早く、素直に相談していたら――

 一瞬だけそんな考えを抱いたが、慈は、すぐにその考えを自ら否定した。

 素直に相談していたら、他のみんなに追いつけるほどでないにせよ、今の自分より少しだけ早く上達していたかもしれない。けど、今ほど穏やかに、自分の無力さを受け入れる事はできなかっただろう。

 こじらせて、回り道して、人に迷惑もかけて。そうしてやっと辿り着いたからこそ、今こうして、自分の弱さを受け入れる事ができた気がするのだ。


「余計な事は考えずに、得意技だけを磨いた方がいい……って、そういう考えは持てましたから」


 ボールを要求する手の形を取る。

 飛んできたパスを、引き込んでキャッチ。構えた姿勢へ移行する。

 ボールひとつ分だけ奥を狙う。

 膝を溜める。

 ジャンプ。

 そして、ボールが頭より高く上がったところで、シュート。

 ボールは高い弧を描いて――リングの内側で弾かれ、金具フランジに乗り上げ、リングの外側へ転がり落ちる。

 惜しい。

 ふぅっと息を吐く。今のシュートの何がダメだったのか、考えなくてはいけないけれど。


「……しばらく、得意技だけに専念して頑張ってみます。当分、補欠だとは思いますけど」


 それでもいい。這い上がるチャンスは、3年生の夏の大会まで残されているのだから。

 それは慈にとって、一度は退部届を出すほどにまで悩み苦しんだ日々の結論だった。

 が。


「綾瀬さん、バスケに補欠っていう概念はないよ」


 亮介は優しく微笑んで、慈の言葉を否定した。






「これはバスケじゃなくて、野球での例え話なんだけど――」


 慈の居残り練習に付き合い、パスを出し続けながら、亮介は語った。


「"代打の神様"、っていう言葉を知ってるかい?」

「……いえ」


 飛んできたボールを引き込むようにキャッチして、狙って、膝を溜めて、ジャンプして、シュート。

 慈は答えた後、ボールを受け取るところから始まる一連の行程を繰り返す。

 今度は、ボールは綺麗にゴールの中央を射抜いていった。


「野球では、打者バッターとして優れている控え選手をそう呼ぶ事があるんだ。ここで打てれば逆転……っていうようなチャンスの時に、"アイツならやってくれる"っていう信頼を背負って出てくる、勝負の切り札。そういう選手もいるんだ」


 なんとなく、亮介の言いたい事が伝わってくる気がする。

 ボールを回収し、パスの構えを取りながら、亮介は続けた。


「確かに、スタメンか控えかで言えば、控えだ。だけど、味方から見れば"いざという時にはアイツがやってくれる"。相手から見れば"アイツがまだ温存されてるから油断できない"。ベンチに座っていたとしても、そんな存在感のある選手っていうのはいるものだよ」

「そう、なれって言ってますか? 私に」


 パスを要求する手の形を取る。

 亮介からパスが出る。引き込むようにキャッチし――ようとして、一瞬、指がもつれた。

 構え直し、狙って、膝を溜めて、ジャンプして、シュート。

 ボールがリングの奥側に当たって、跳ねる。

 外れた原因は明白だ。キャッチミスして構え直した際に気持ちの焦りが生じて、奥を狙いすぎた。


「なれると思うし、チームの指揮官としても、そうなってほしいと思うよ」


 亮介はボールを回収し、また元の位置へ戻って来る。

 亮介の言う選手像は、練習前に説明された作戦にも合致している。亮介は、シューターが2人必要となるあのフォーメーションを、ここぞという時に使うと言っていた。

 そういうタイミングでシューターとしての慈を投入するのなら、まさしく慈に期待されている役割は"代打の神様"だ。

 控え選手だけど、"アイツならやってくれる"という期待を背負って、ここぞという時に途中出場する選手。

 それは――当面はベンチから試合開始の瞬間を見守るであろう慈にとって、魅力的な未来像に思えた。


「……いいですね、そういう風になれたら」


 そういう風になりたいと、素直に思えた。

 自分は身体能力が高くない。万能選手になれるとは思えない。けれど、得意のジャンプシュートだけに特化して、その役割だけを期待される選手になら、なれる可能性が現実的にあるように感じられた。

 ここぞという時に備えて、ベンチに控えている秘密兵器。

 ベンチにいたとしても、"アイツがいる"という存在感で、試合を動かす事のできる控え選手。

 そうなれたら。


「まるで、6人で試合してるみたいで」

「うん、まさにその通りさ。バスケに補欠はいないって言っただろう?」


 何気なく慈が言った言葉に、亮介は会心の笑みを浮かべた。


「ベンチに座っていたとしても、その存在が試合に影響を与える事のできる、強烈な得意技を持った控え選手――

 バスケではそれを、6人目の選手シックスマンと呼ぶんだ」

「シックスマン……」


 その言葉を呟き、繰り返す。

 それはこのチームにおける、自分の居場所となるかもしれないもの。

 単語の響きを確かめるように呟いた慈に、亮介は言葉を続けた。


「バスケは選手交代の回数に制限がないからね。"ここぞという時"が何度も訪れる試合だってある。控え選手の重要性は他のどんなスポーツよりも大きいんだ。それこそNBAじゃ、年間最優秀控え選手賞シックスマン・オブ・ザ・イヤーなんて賞があるぐらいにね。

 そういう風にシックスマンとして活躍する選手は、たいてい明確な得意技と弱点がある選手だ。年齢のせいでスタミナが衰えたけど短時間なら抜群の得点力があるとか、シュートは苦手だけどディフェンスが素晴らしく上手いとかね」


 自分にも共通する特徴だ、と慈には思えた。

 運動能力は平凡で、体格は細身で弱々しい。けど、アウトサイドシュートだけなら得意だと言える。

 その得意技を、相手チームの脅威になるほどの、絶対的な武器にまで鍛え上げれば。


「……シックスマンなら、私にもなれる気がしてきました」


 外の5人とスタメンの座を争ったら、勝てる気はしなかった。それは今でもそう思う。

 だけど、そうじゃないのだ。

 絶対的な得意技でスタメンの5人を援護する、6人目の選手。

 きっとそれが、自分の収まるべき場所だったのだ。


「スタメンを任されるほど上手くなるの、諦めたわけじゃないですけど――」


 パスを要求する形に、手を開く。

 亮介からのパスを引き込むようにキャッチ。狙って、膝を溜めて、ジャンプして、シュート。


「私、今はシックスマンを目指してみます」


 ボールは、リングの中央へまっすぐに落ちていった。






 翌日の練習から、フォーメーション練習が本格的に始まった。


「3対3で、例のフォーメーションを練習しよう。ピック&ロールのハンドラーとスクリーナー、それからシューターで三人一組で!」


 基礎練習を一通り終え、まだ体力が残っている状態で早速この練習に取り組む。それは、インサイドに強いチームへの対策であるこのフォーメーションが、冬大会で勝ち上がっていくために必要なものだという亮介からのメッセージに違いなかった。

 慈にとっては、願ったり叶ったりだ。

 シューターが重要とされているフォーメーションの練習。自分の存在意義の確立に向けて全身するチャンスだと思えた。


「組み方はちょっと前の練習と同じにしよう。若森さん、氷堂さん、在原さんがAチーム――」

「あ、待ってください、先生」


 手を上げて亮介の指示を遮ったのは、愛だった。

 全員の注目が集まる中、愛は堂々と口を開いた。


「若森さん、綾瀬さん、在原さんで組んだ方がいいと思います」

「え……」


 慈は驚きに目を見開き、美裕の方を見た。

 美裕は、苦い表情だった。

 怒っている様子ではない――が、どこか腫れ物に触るような。


「……うん。そうだね、それもいいかもしれない」


 愛の提案に、亮介は乗り気だ。

 美裕は複雑そうな表情を見せると、やがて口を開いた。


「……あの、センセ?」

「いい機会じゃないか、在原さん。この間も教えた通り」

「そうですけどお」


 膨れっ面の美裕。

 なんとなく既視感を覚える光景だった。言われている内容は理解しているけど、気持ちがどこか納得できていないといったような。


「在原さんもわかったはずだろう?」

「……はあい」


 不承不承といった様子で、美裕はうなずく。

 慈はそこまで美裕の様子を見て、既視感の正体を理解した。

 自分だ。

 言われている内容は妥当なものとして理解している。でも、自分の気持ちはその方向を向く事ができていない――この半年間、女子バスケ部での出来事に思い悩んできた時、自分もあのような反応をしていた気がする。

 美裕が何を思い悩んでいるかはわからない。

 けど、案外、自分とあの子は似た者同士なのかもしれない。

 ポジションを奪った憎い相手だったはずの美裕に対して、そのような感覚を抱く事ができるほどには、今、慈は目の前の出来事を冷静に見る事ができていた。

 をする前の自分だったら、自分とチームを組むのがそんなに嫌なのかとでも解釈していそうな光景だっただろうに。


 ――くす、っと。


 思わず、笑いが漏れた。恐ろしく視野が狭くなっていた自分が、今思えば、可笑しかった。

 小さく笑いを漏らした慈に、美裕が視線を向ける。

 何が面白いのかと怪訝な視線。

 慈は――


「やりましょうか。よろしく、在原さん」


 ほんのかすかに微笑みながら、美裕に言った。


「……なんか調子狂うわねえ」


 美裕は、小さく息をついて。一度、亮介の顔色をうかがうようにして。


「まあ、わかったわ。よろしくね」


 観念したように、素っ気なくそう答えた。






 美裕は亮介に何を言われたのだろうか。慈は気になり始めた。

 自分が部に復帰したあの夕方、美裕は亮介に背中を押されて慈の目の前に進み出てきた。

 "こないだ話した通り"、と亮介に言われて。

 何らかの指導か助言を受けたに違いない。

 けど、亮介に何を言われたのだろう。

 少なくとも美裕には、叱られるような部分は無いはずだ。慈との間で起こったトラブルも、元はと言えば慈が八つ当たり気味に絡んでいったのが原因なのだから。


「よーし、行くよー!」


 鈴奈が頭上にボールを掲げ、声をかける。慈の意識はコートに引き戻された。

 例のフォーメーションの練習、開始だ。

 美裕がゴール下から、鈴奈の方へと小走りに近づいてきて、スクリーンの姿勢を取った。

 鈴奈は右に突破ドライブ

 スクリーンを利用して瞳を振り切り、反転した美裕と二人でゴールへ向かう。ピック&ロールの基本的な形だ。

 そのタイミングで、慈は左コーナーへと走っていた。

 慈に対しては、茉莉花がディフェンスに着いている。

 それでいい。

 3対3の練習である今は、慈がディフェンスを振り切るためのスクリーンをかけてくれる味方はいない。

 もし茉莉花がヘルプディフェンスに飛び出した場合、パスを貰って、撃つ。自分の役目はそれだけだ。

 余計な事はしない。それ以上も求めない。

 その代わり、コーナーでボールを受け取ったら、誰よりも正確にゴールへとボールを投げ込む。自分が意識すべきはそれだけなのだ。


「へいっ、みひろちゃん!」


 鈴奈から美裕にパスが飛んだ。ピック&ロールの基本的なフィニッシュの形だ。

 ゴール下を守ろうとしている愛は、鈴奈から美裕へと、妨害チェックの対象を変えるために向き直る。

 だが、一瞬のタイムラグがある!


 ――ふわっ。


 フローターシュート。

 愛は美裕への距離を詰めながらブロックに跳んだが、ボールはその上を越えていく。

 リングの中央へ落ちて行ったボールは、ぱさっと音を立ててネットをくぐった。

 オフェンス終了だ。慈の出番はなかった。

 それでもいい。

 このフォーメーションでは、誰がシュートを撃つのかの最終的な判断を、ピック&ロールのフィニッシャーが行う。

 今のは、美裕が自分自身で行けそうだと判断したから、そうしたのだ。

 作戦通り。何も問題ない。


「ナイシュ」

「ん? ……ええ」


 一言、美裕に声をかけてから、ディフェンスの配置に就く。

 美裕も答えた。ただ、素っ気ないものだった。

 まだ距離を置かれている印象がある。それは仕方のない事だ。あれだけのいざこざを起こした後なのだから。

 だから、プレイで証明するのだ。

 仲良くなるのは今更無理だとしても、同じコートに仲間として立つ事はできるのだという事を。


 瞳と愛のピック&ロールから、Bチームのオフェンスが始まる。

 慈は、コーナーへ走った茉莉花をマークし続けながら、状況を見守った。

 スクリーンに鈴奈が足止めされ、一時的な2対1の状況ができあがる。

 ボールをキープしていた瞳は、パス、と見せかけてシュート体勢。と見せかけてやはりパス!

 美裕は迷い、反応に出遅れた。

 そこで、慈はヘルプディフェンスに飛び出す!

 愛にボールが渡った瞬間、慈はその正面に走り出た。

 ゴールへの直進を、止める!

 その場に踏みとどまった愛に、美裕が追いつく。愛が保持するボールの前に手をかざし、プレッシャーをかける。

 二人がかりダブルチームで、進ませない。撃たせない!


「中原!」


 コーナーで茉莉花が手を上げる。

 愛はディフェンスの上を通してパスを送った。茉莉花がコーナーでボールをキャッチ、そしてシュート!

 すぱっ――と小気味よい音を立てて、シュートがゴールを射抜く。


「氷堂さん、ナイッシュ!」

「おうっ。瞳、今の感じでコーナー待機でいいんだよね?」

「オッケー。中原さんはパスの判断もう少し速く。二人がかりダブルチームされたら即パスね」


 Bチームは、ディフェンスに移行する前に、手短に今の一本の反省を挙げていた。

 Aチームは――


「めぐちゃん、ナイスヘルプっ」


 慈の肩に軽く触れて、鈴奈がそう言ってきた。


「……いいの? 3P決められちゃったけど」

「いいのいいの。3Pは3本に1本ぐらいしか入らないってセンセーも言ってるし。まずはゴール下を止める、であってるよ」


 鈴奈はそう言って、肯定してくれた。

 コーナーのシューターを活かすフォーメーションの練習なのだから尚更だ、という部分もあっただろうけれど。


「だよね、みひろちゃん?」

「……ええ、まあ、そうね。普通はそうだと思うわ」


 さきほどまで無言だった美裕が、答えた。

 困っているような、不機嫌なような。やや歯切れの悪い口調ではあったけれど。

 ただ、鈴奈がきっかけを作ってくれたおかげで、会話の糸口はできた。

 だから、慈は――聞いてみる事にした。


「ねえ、在原さん。先生に何か言われたの?」


 美裕がゆっくりと、慈の方を振り向く。

 表情はさきほどと変わらず、晴れやかとはとても言えないままで。


「"この間も教えた通り"、とか先生は言っていたけど」

「……」

「私と居残りで1on1やってた時の事なら、たぶん……悪いのは私だと思うんだけど」

「……別に、あなたとの事をどうこう言われたわけじゃないわよ」


 そっぽを向きながら、美裕は答えた。

 視線だけ、慈の方を向いて。


「センセ、ウチのお父さんから話を聞いたらしいの。前の学校での事とか」

「前の学校?」

「……前の学校のバスケ部にも、いたのよ。こないだのあなたみたいな子が」


 オフェンスの配置へと緩慢に歩き出しながら、美裕はぽつぽつと言い始めた。


「いつも私に突っかかって来て……最後には思いっきりぶつかって、大怪我しちゃったの。相手の子の方が」

「……そう、だったの」

「転校してきた原因もそれ。学校じゃ、私が怪我させた悪者みたいな空気になっちゃったし……相手の子が私の従姉妹だったから、親戚同士も気まずくなっちゃったり、ね」


 その話が事実なら――

 慈の行動は、美裕の心の傷の、まだ癒えきらない部分に触れていたのだ。

 慈が、自分自信が劣った存在である事をつきつけられ、傷ついていたのと同じように。


「あの、在原さん」


 慈の声に、オフェンスの定位置から、美裕が振り返る。


「私、怪我には気をつけるから。するのも、させるのも」

「……」


 美裕は、少しだけ沈黙して。


「ええ。そうしてくれると助かるわねえ」


 素っ気ないまま、答え始めた。


「もし今度ああいう事しそうになったら、私も遠慮なくストップかける事にするわ。センセにも言われたから」

「先生に?」

「ええ」


 美裕はうなずいた。目を逸らしたままだった。

 だがよく見れば、顔が少しだけ赤らんでいる。

 それで慈はようやく気づいた。

 美裕は、慈を鬱陶しがっているわけでも、気まずく感じているわけでもない。


「怪我とか起こると、どういう事になるのか一番よく知ってるのは私で……だから様子が変な時は、私がストップかけて、ちゃんと他の子と話をしないといけないって言われたの。

 そうすれば、みんなと仲良く、楽しくバスケをやっていく事ができるから……って」


 慈を含め、新しく加わったこのチームのみんなと、仲良くやりたい。

 それを言うのが気恥ずかしかったのだ。


「さ、続けましょ」


 美裕は、しっしっ、と追い払うかのような手の仕草で、慈に対して配置に就くよう促す。

 なんとなく可笑しくて、慈はかすかに頬をほころばせながら、美裕と逆サイドに向かった。






 フォーメーション練習は続く。

 さきほどまでと比べて、なんとなく慈の気持ちは軽くなっていた。


「行くよー!」


 トップの位置で鈴奈がボールを掲げて呼びかける。

 美裕はスクリーンをかけに行き、その場でピック&ロールを開始した。

 慈は今回もピック&ロールにタイミングを合わせてコーナーに移動し、そこで待機する。

 ボールは鈴奈から美裕へ。パスを受け取った美裕は、そのままゴール下でフィニッシュに向かう。

 だが今回は、美裕が決めに来る事を愛が読んでいたようだ。愛が妨害チェックの体勢で、美裕の目の前にいる。

 美裕はボールを掴むと、愛をかわすべく、踏み替えピボットで横に踏み出し――

 その先に、茉莉花!


「!」


 踏み止まる。

 茉莉花が飛び出して、二人がかりダブルチームで抑えに行っていた!

 美裕はボールを奪われないよう、肩の後方で保護する。が、取り囲まれ、後方へ踏み替えピボット――

 そして横手に、パス。

 左コーナーへ。


「……!」


 不自然な体勢を強いられた美裕からの、バウンドパス。

 慈はそのボールに手を伸ばし、引き込んでキャッチ。構えた姿勢へ移行する。

 狙う。

 膝を溜める。

 ジャンプ。

 そして、ボールが頭より高く上がったところで、シュート!

 ボールは高くアーチを描いて――すぱっ、とゴールリングを通過していった。


「ないっしゅー!」


 真っ先に歓喜の声を上げたのは鈴奈だった。

 亮介も満足気に、二、三度、小さく拍手を送る。


「OKOK。Aチーム、今の感じは凄くいいよ」

「だよね、せんせー!」


 肯定的な反応の亮介と鈴奈。その二人を美裕は、どこか現実味のない感じの表情で見ていた。

 どこか現実感がなかったのは、慈も同じだった。

 もちろんシュートが決められたのは嬉しい。けど、

 普段なら、シュートチャンスを得るだけで一苦労。しかもなかなか入らない事が日常茶飯事だったのに。


「氷堂さん、今のはピック&ロールで在原さんにゴールされそうだったからヘルプに入ったわけだろう?」

「え、うん。在原はフローターとか、こう体ぐにゃーっと捻ってブロックかわすシュートとかあるから、中原でもなかなか止められないと思うし」


 茉莉花の言う事は事実だ。美裕のインサイドのオフェンス力はチームで一番と言っていい。ゴール下にブロッカーがいたとしても、独特の技と力強さを活かして、どうにかしてゴールまでの道筋を作り出してしまう。

 それはPFパワーフォワードとしての得難い適性。

 慈にとっては、以前は妬ましかったものだ。


「そう。だからこそ試合でも、在原さんは今みたいにディフェンスが集中する事が予想できる。だからこそ、このフォーメーションが活きるんだ」


 左コーナーの慈を指して、亮介は言う。

 茉莉花がヘルプディフェンスに入れば、慈はコーナーでノーマークだ。

 それは瞳が事前に説明した、このフォーメーションの"パターン2"そのものだった。


「相手から見れば、在原さんはインサイドの脅威。綾瀬さんはアウトサイドの脅威。ディフェンスがどちらを抑えようとしているのかをよく見てパスを出し合い、相手の逆を突くんだ。そうすれば、どんなディフェンスにも突破口を開く事ができるはずだよ」


 要は、連携しろという事。

 PFパワーフォワードのポジションを自分から奪った相手と。

 慈は、美裕の方をちらりと見た。

 美裕もちょうど慈に視線を注いでいて、偶然、目が合った。

 美裕が目を逸らす。

 その仕草が――


(……そうよね、在原さんも私と同じ、人間だもの)


 自分のポジションを奪った憎い相手だと。自分の能力の低さと劣等感を否応なくつきつけてくる、怪物のような存在だと最初は感じていた。

 けど、そうではない。

 彼女もバスケットをやる中で傷ついて、転校するほど悩み苦しんで、それでもなおバスケットを捨てられなかったのだ。

 自分と同じように、傷つきながら続けているのだ。

 そうして辿り着いた結論が、"以前のように怪我やトラブルを起こさず、みんなと楽しくバスケットをやりたい"で――それを口にするのが恥ずかしい、普通の子なのだ。


「よっし、次の一本行くよ!」


 今度はBチームのオフェンスだ。慈は茉莉花に対してディフェンスに着く。

 瞳と愛がピック&ロールでオフェンスを開始する。が、鈴奈がスクリーンをうまくかわし、2対1の状況を作らせない。

 愛がパスを受け、美裕のディフェンスを振り切れないままシュートに行くが、外れる。

 リバウンド!

 愛と美裕がボックスアウトしてポジションを争うが、シュートが外れる事を予想していた愛の方が一瞬早かった。位置取りは愛が有利なまま、二人とも跳び上がる。

 ボールへと伸ばした手は、愛の方が先に届き――


「取ってっ!」


 弾き飛ばしティップアウト

 愛が掌でボールをキャッチする前に、美裕が指先でボールを弾いた。

 弾いた先は――慈の方向。


「あ……!」


 突然の事に、慈は一瞬だけ反応が遅れた。

 が、すぐに気を引き締める。自分の方へボールが落ちてくるこの状況は、リバウンドと同じだ。

 PFパワーフォワードを、一時的にとはいえ務めていた時の経験を思い出す。

 すぐ傍にいた茉莉花に、ボックスアウト!


「っく」


 行く手を遮られた茉莉花が声を漏らす。茉莉花のような軽量級の相手なら、慈のボックスアウトも充分に有効だった。

 そしてその行動は正鵠だった。茉莉花はボールに跳びつき回収しようとしていたに違いない。放っておけばボールを回収され、オフェンスのセカンドチャンスを与えるところだった。

 それを今、断ち切る。

 ジャンプして、ボールを掴む!

 これでBチームのオフェンス終了だ。


「おっけーおっけー、ナイスディフェンス。二人とも息ぴったりじゃん!」

「……そお?」


 鈴奈の言葉に、未だ美裕は怪訝な様子――を装って、照れている。

 けど、鈴奈の言葉は間違っていない。

 息が合っていると言うよりは、ただお互いに歩み寄っただけかもしれないけれど。

 それでも。


「若森さん、在原さん。次のオフェンス、いきましょ」


 慈は鈴奈にボールをワンバウンドで渡し、次の一本を促す。

 慈と逆サイドでオフェンスの定位置に就く彼女は――最初は慈にとって、5人で始めたこのチームを壊す異物でしかなかった。

 美裕が入部してきていろいろなものが変わった。オフェンスは外4人・中1人フォーアウト・ワンインではなくなり、部員の半数はポジションも流動的になり、控え選手という概念も生まれた。

 けどそれは、受け入れてしまえば、チームの形をただ壊すものではなかったと理解できる。


「パス待ってるわよ、コーナーで」

「……ん」


 変わっていく。

 繋がっていく。

 そして、新しい形を描いていくのだ。






 綾瀬あやせみのるはその日、珍しく早めに仕事を終えて帰宅した。

 ただでさえ年末が近づいている忙しい時期である。疲れも溜まっていた。19時から予定されていた会議が急遽中止になった事を知ると、体を休めるためにも早めに帰宅する事にしたのだった。

 ここしばらく、妻や娘とも充分な会話ができていない。特に娘は、半年前に運動部に入ると言い出して以来、部活と勉強の両立で忙しい日々を送っているようだから尚更だった。

 怪我が多いと言われるバスケットボールをやるなどと言い出して以来、心配の種は尽きない。

 だが、本人がこれまでにないほど強く"やりたい"と意欲を表明した。だからこそ優れた結果を出してほしいと思ったし、そのために必要な一流の道具を買えるだけの支度金も与えた。

 部の顧問教師とも話をした。まだ若く勉強不足な面もあるが、部員である子供たちの事をしっかりと考えられる人物だと感じられた。だからこそ娘の大切な時間を預ける事を認めたのだ。

 聞けば高校時代に、全国大会まであと少しというところまでは勝ち進んだ選手だった人物だという。ならば技術面や精神面の指導なども、運動部を経験した事のない自分が口を出すまでもないだろう――話した限り、そう信頼できる印象の人物だった。

 娘は最近、あれほど入れ込んでいた部活で、どのようにしているだろう。それを夕食の時にでも聞こうと考えていた。

 だから――


「お父さん、お話があります。部活の事で」


 久しぶりに3人揃った夕食の席で、娘から先に話を切り出された時、驚いた。


「どうした、慈?」


 平静を装って答えたが、内心、動揺はあった。

 娘が運動部に入部しようとした時、自分は反対した。入部後も反対していた時期があった。まして自分はスポーツに興味がない事を、娘も知っているはずだ。

 その娘が、ただならぬ真剣な顔で話を切り出した。

 一体何を言い出すのだろうか。少なくとも部活で活躍したとか、そういったポジティブな話ではなさそうだ。

 怪我でもしたのだろうか。あるいは何か問題を起こしたか。事によっては、部活を辞めたいなどと言い出すような何かがあったのだろうか。

 いくつかの悪い予想が頭を駆け巡る中、娘は口を開いた。


「来月、部活の冬の大会があるんです」

「む……そうか」

「秋の大会では、一部の部員の父兄の方々が応援に来てくれて……冬大会では、部員全員、父兄を呼ぼうという話になりました。強制参加じゃないですけど」

「うむ」


 鷹揚にうなずきながらも、内心では安堵した。悪いニュースでなくて何よりだった。

 だが娘はそこで一度言葉を切り、やがて意を決したように言葉を続けた。


「私、控えになりました。チームの6人の中で、1人だけ」

「慈……大丈夫なの?」


 妻が心配そうに娘の顔を覗き込む。

 が、娘の表情は落ち込んではいなかった。多少の悔しさはにじみ出ていたが、悲観的ではなく、研ぎ澄まされたような冷静さがあった。


「心配はしないでください。私より運動できる子ばかりだから仕方ないし……それに、私ならではの役割もあると先生は言ってくれました。だから私は、自分の役割を受け入れてやっていくつもりです」

「……」


 言葉が出なかった。

 まだ子供だと思っていた娘が、どこか達観したような――それでいて情熱をまったく失っていない、そんな強さを手に入れていた事に。

 その娘は、小さく頭を下げてきた。


「お父さんの求めていた"一流"にはなれていないと思います。冬の大会でも、試合で出番があるかどうかわかりません。

 でも……

 もし良ければ、見に来てください。私は、自分にできる事を全力でやりますから」


 娘の言葉は、きっぱりとしていた。自分の限界をわかった上で、冷静で、力強く。

 これが、運動部をやってきた事による成長なのだろうか。


「……都合が合えばな。大会の日はいつだ?」


 今から休暇の申請を出して、通せるだろうか。頭の中では、既にその段取りをしていた。

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