#21 ヘッドコーチ

「よう斉上! もう始めちまってるぜ。何飲む?」


 上赤坂高校バスケ部のOBが飲み屋で小規模な同窓会をするのも、半年ぶりだった。

 元キャプテンの矢嶋やじま、元副キャプテンの小鳥遊たかなし、スポーツショップ店長をしている桐崎きりざき。いずれも亮介にとってはかつてのチームメイトであり、明芳中女子バスケ部設立に際して助言や協力をくれた顔ぶれでもある。

 久しぶりに友人たちに会えるというのに、事務仕事が長引いてしまい、集合時間に遅れてしまったのが残念だ。

 現在は山形に住んでいる沢木だけは、来られないという話だったが――


「ああ、とりあえずビールで。ええと……」


 言いかけたところで、亮介は気づいた。

 既にテーブルに着いている人数は、4人。

 今日集まると言われていたメンバーは、矢嶋、小鳥遊、桐崎、亮介。

 亮介がこれから席に着こうと言うのに、既に4人いる。

 ひとり多い。

 見慣れない――いや、どこかで見た覚えのあるスーツ姿の壮年男性は。


「斉上、今日はサプライズゲストがいるぜ。懐かしいだろ?」


 亮介と目が合う。

 髪には白髪も混じり、老い始めの色が見えるものの、その顔立ちは亮介にとって忘れがたいものだった。


「――岐土きど先生」

「久しぶりだな、斉上。今は、お前も教師になったんだって?」


 それは高校時代の恩師。

 公立の弱小校でしかなかった上赤坂高校バスケ部を、県大会の決勝リーグまで導いた名将だった。






 #21 親愛なる恩師へヘッドコーチ






「次の練習試合の相手だけど――」


 11月のある日、部活開始前のミーティングにて、部室に集まった5人に亮介はそう切り出した。


「浦和・大宮地区の、牧原まきはら女子中とやる事にした。来週の土曜だ」

「牧原女子中……?」


 ぽつりとその名前を繰り返したのは、慈だった。

 その表情は、どこか苦い。


「めぐちゃん、知ってる学校?」

「あ、ええ」


 どこか歯切れ悪く慈は答える。言うべきか言わざるべきかと少し迷って、やがて口を開いた。


「……私立の女子中よ。確か、高校受験する3年生の偏差値は平均63ぐらいの」

「よくわかんないけど、それって凄いのか?」

「早稲田の付属高校に、ギリギリ合格できる可能性があるぐらいね」


 へー、と感心しながらも他人事の様子の茉莉花。

 他の部員たちも似たような反応だ。公立の中学に通い、平凡な成績を取っている子たちにとって、早稲田は"すごい大学だと聞いた事はある"程度の存在だ。まったくもって身近な存在ではない。

 だが、唯一。


「いわゆるミッション系の私立校で、カトリックの教えをベースにした道徳教育と、英語教育に力を入れてる所よ」

「かとり……?」

「キリスト教の、一番伝統のある宗派のこと。世界史のテストに出るとこよ?」


 ぽかんとした顔で疑問を浮かべた茉莉花に、慈は一喝。そして、話を続ける。


「で、いろんな教育のスペシャリストを招いてるお金持ち学校らしいわ。生徒もセレブ層の子が多くて――」

「詳しいね。そこに友達とかいるの?」


 詳しく語る慈に、問いかけたのは瞳だった。

 一瞬、言葉に詰まる慈。

 やがて――


「……父が、私をそこに入学させようとしてたのよ。小学の頃」


 思い出したくもなさそうに、視線を明後日の方向に向けて、ぽつりと慈は答えた。


「受験の当日に私が体調崩して、結局ダメだったんだけど」

「ふーん。でもさ、めぐちゃんがその日に体調崩しちゃったのって、あたしたちにとってはラッキーだったよね」

「なんでよ」

「だってめぐちゃんが私立の学校に行ってたら、今このメンバーで部活やってないじゃん?」


 にかっと歯を剥き出して笑う鈴奈。

 慈は面食らって、言葉を失う。


「……そりゃ、そうでしょうけど」

「あたしは良かったと思ってるよ。この5人でバスケできて」

「……若森さんって、ほんとそういうセリフ簡単に言うわよね」

「そう?」

「そうよ」


 はぁ、と嘆息ひとつ。

 眉根を寄せていたのは、さきほどのような悪い感情によるものではないだろう。


「それより先生、何があったんですか? 牧女まきじょみたいなお嬢様学校が、明芳ウチと練習試合なんて」

「ああ、うん。牧女のバスケ部の顧問と、こないだ話す機会があってね」

「学校間での打ち合わせか何かですか?」

「いや、個人的な同窓会」


 亮介はどこか懐かしくも楽しそうだ。その人物について語る事自体が嬉しいかのように。


「牧女バスケ部の顧問はね、7年前は僕の高校で顧問をやってた人なんだ」

「……それって」


 反応したのは愛。

 亮介がかつて、どこまで辿り着いた選手だったのか。亮介を信じてバスケを始めるきっかけとなった言葉の一部を、愛が忘れているはずもない。


「先生が高校の頃、全国大会まであと一歩って所まで行けたって言う……」

「うん。そこまで僕たちのチームを導いてくれた先生だ」


 一同に緊張が走る。

 相手は学力に優れたお嬢様学校。それだけ聞けば、金持ちの上品なお嬢様たちが勉強の合間にレクリエーションでやっている、部活に違いないとイメージするだろう。

 だが、指導者は亮介の恩師だと言う。

 素人集団だった明芳の5人を短期間でここまで育て上げた亮介は、愛たちから見れば充分に優れた指導者だ。

 その亮介よりも、指導者としての技量やバスケットへの情熱において勝る人物が、今度の対戦相手チームを率いているというのなら――


「私立のオジョーサマ連中の、お遊びバスケじゃないって事だね」


 茉莉花が言う。

 その目は、今から試合に臨むかのような真剣さを宿していた。


「そうだね。岐土先生は元プロ選手だから、バスケに対する知識も情熱も半端じゃない。お遊びのバスケはさせないよ」

「元、プロって……何でそんな人が学校の先生に」

「若い世代の指導をしたくて、って本人は言ってたよ。そうだ、現役時代の動画があるけど見るかい?」


 答えを聞くまでもなく、亮介はスマホを取り出して、動画の検索を始めた。

 部員たちは我先にと、亮介の周囲に集まってきた。






 岐土きど怜司れいじは、若い頃、茨城県を本拠地フランチャイズとする実業団チームの一員だった。

 チームがプロ化した際にも残留し、プロ選手として2シーズンをプレイした後、35歳で引退。その後はバスケット指導者の道を志し、コーチとしてのライセンスを取得する一方で、学校教師として再就職。部活を通じて若年層の育成に務めている――

 動画の説明文として表示されていた彼の略歴は、そのようなものだった。

 だが、そんな説明文など吹き飛んでしまうほど、動画の中での彼の活躍は目覚ましかった。


「青のユニフォームの10番ね」


 亮介が説明したその選手は、ディフェンスの先頭に立っていた。

 周囲の選手たちよりやや背が低く、マークしている相手がドリブルでボールをキープしている事からして、ポジションはPGポイントガードだろうと推察できる。

 相手の選手が、突破ドライブを仕掛ける!

 抜かれた。

 ――かのように見えた。


「えっ!?」


 声を上げたのは瞳だった。

 

 カメラが岐土を追いかけて、ようやくそこにボールがある事に気づいた。

 抜かれそうになった瞬間、岐土はボールをすれ違いざまにかすめ取っていたのだ。

 そのまま敵ゴールまで難なく走り、流れるようなフォームでお手本のようなレイアップ。


「上手い……」


 動画で見るだけでも明確なほど、俊敏で精密。思わず、慈も声を漏らしていた。


「これはチームがプロ化した1年目の試合だね。この年、岐土先生はリーグのスティール王だったんだ」


 亮介は、まるで自分の事のように楽しげに、彼の凄さを語る。

 スティール王と言われたが、彼の凄さはそれだけではない事は明確だ。今度は青のオフェンス、岐土は託されたボールを奪われないよう巧みにドリブルしながら、チームメイトたちに指示を出している。

 と思っていた矢先、いきなりの3Pシュート!

 寸分の狂いもなく、ゴールの中央をボールは射抜く。

 そしてシュート成功の喜びを表に出す事もなく、ディフェンスに戻る。一分の隙も見せない、まさにプロフェッショナルな選手だ。


「うっはぁ、自力でスリー決めちゃうかあ」

「それも凄いけど……」


 感嘆の声を上げる鈴奈をよそに、瞳が食い入るように画面を見つめた。

 青の次なるオフェンスでは、岐土が鋭く突破ドライブを仕掛けた。目の前のディフェンスをかわし、空いたスペースに走り込んでジャンプシュートの体勢を取る!

 撃たせまいと、相手チームのCセンターらしき大柄な選手が飛び出して来て、ブロックに来た。

 その横を通すパス!

 ノーマークになっていた青の外国人選手が、悠々とゴール下シュートを決める。


「……アイカさんが言いたかったのって、多分コレなんだろうなぁ」

「瞳?」


 つぶやくように言う瞳に、どういう事かと茉莉花は視線を向けて問いかける。

 瞳は、かすかに苦笑した。


「レディバーズのアイカさんに言われたんだ、私。PGポイントガードでも、もっと積極的にシュート狙っていった方がいいって」


 動画では岐土が、油断なくディフェンスに戻っている。

 相手チームのPGポイントガードとの間合いは、ちょうど腕を伸ばせば届く程度。隙あらばボールを奪って、次なる攻撃をしようとしているようにも見えた。


PGポイントガードも点を取れれば、ディフェンスを自分に引きつけられる。そしたら、味方をもっと活かせるって」

「合同練習の甲斐はあったようだね」


 満足気に亮介も言う。

 瞳が自覚した弱点は、亮介の目から見ても課題だった事の証左だ。


「甲斐、ありましたよ」


 答えたのは愛。

 春日部レディバーズとの合同練習で、もっとも大きな学びを得たのは愛だ。チームの中心であるという事の意味を噛み締め、プレイスタイルにも明確な変化が現れた。

 そのスタイルを、早く試合で試したい事だろう。


「だね。新人戦の時のあたしたちとは違うってとこ、センセーにも見せてやるさ!」

「それにさ、今回はせんせーの先生がコーチやってるチームが相手なんだよね」


 勇んで言う茉莉花に続いて、鈴奈が確かめるように言う。


「あたしたちが勝ったらさ、せんせーが教育者きょーいくしゃとして成長してますって、岐土さんにも伝わるよね」

「……おいおい、若森さん」


 鈴奈の発言に、亮介は驚き半分、苦笑半分。

 子供が考える視点ではない――もしくは女の子というものは、この年齢でもそういう事を考えるのだろうか。


「岐土先生に対してどうこうとかは考えなくていいよ。精一杯やる事を考えてくれれば――」

「そーはいかないよ、せんせー」


 鈴奈は穏やかな笑顔に、確かな意志を秘めて。


「またバスケやれるようにしてくれたせんせーにはさ、何か恩返ししたいと思ってたんだ、あたし。

 だから、せんせーのためになるなら、あたしいつもより頑張っちゃうよ!」






 試合当日の土曜日。

 試合会場は明芳中の体育館と決まり、明芳メンバーはウォーミングアップをしながら牧女バスケ部の到着を待っていた。

 軽いランニングを終え、各々がまばらにシュートを撃って、指先の感覚を確かめている。

 愛も、例外ではない。


「ほっ……!」


 足元で大きくバウンドさせたボールを、パスに見立ててローポストの位置でキャッチ。鋭くターンしてゴールに向かい、シュート。

 バックボードで跳ね返り、ボールはゴールに吸い込まれていく。

 数えきれないほど繰り返してきたポストムーブ。だが、普段以上のがある動きだ。


「ナイシュッ、あいちゃん。調子いい感じ?」

「うん」


 ボールを取ってくれた鈴奈から返球を受けて、愛は今度はフリースローラインに立つ。


「鈴奈ちゃんが言ってたあれ、先生に恩返しっていうやつだけど」

「あ、あれ? うん」


 今更ながらに、自分の発言を思い出して気恥ずかしくなったのか、鈴奈は顔を赤くする。

 愛はにっこりと笑いながら、シュートフォームを取った。


「私も同じ気持ち。で、いつもより気合入ってるの」


 フリースローラインから、ジャンプなしでのシュート。

 ごく一般的なフリースローの投法で放ったボールは、リングの奥側に当たって、一度跳ねる。そして、かろうじてリングの内側へと滑り落ちていった。


「おー、入った。あいちゃん上手くなったね!」

「そりゃあね。練習したし、いつもより集中もできてる感じだし」

「……せんせーのために、だね。へへ」

「うんっ」


 練習の成果は出ている。御堂坂中の大黒真那という、高い壁に追いつくための努力の成果は。

 その努力が恩師である亮介の顔を立てる事になるのなら、それは喜ばしい事だ。


「しょっ……!」


 傍らでは、瞳もシュート練習に参加していた。

 放たれたボールは、リングの手前側に当たって、弾かれる。

 ボールを回収し、同じ位置でもう一度ゴールを見据える。瞳なりに、自分の殻を破ろうとしている証拠だ。


「綾瀬さん、今のでフォーム合ってる?」

「サナさんのフォームより、ちょっとリリースが早いと思う……ワンテンポ遅らせてみたらどうかしら」

「ん、オッケー。ありがと」


 うなずき、再びシュート。

 さきほどよりリズムの取れたフォーム。ボールは、今度はリングの内側へと飛んで行った。


「っし、みんな調子いいみたいじゃん」


 ダム、ダム――と音を立てて、3Pライン際で強くドリブルをつく茉莉花。

 その場でシュートフォームを取り、膝を深く沈めてからのジャンプ。そして、シュート!

 リングに向かってまっすぐ飛んで行ったボールは、すぱっ――と音を立ててゴールを射抜く。


「おーっ、まりちゃんがスリー入れた!」

「へへ。大変だったんだけどね、ここから届かせるの」

「氷堂さんも、いつもより調子良さそう?」

「ん、まあね」


 茉莉花の表情は得意げだ。

 だがその表情も、すぐに照れ臭そうなものに変わる。


「あたしも中原とか、若森とかと一緒でさ。あたしたちがいいプレイをしてセンセーの格好がつくなら、いつもよりもっと頑張りたいんだ」

「あたしたちの恩人だもんね、せんせー」

「ん」


 照れ臭さを残しながらも、明瞭に答える茉莉花。

 そして――


「失礼します」


 つい先日、聞いたばかりの女性の声。

 落ち着きのある、しかしよく通る成人女性のその声は――


「……久我さん」

「あら、中原さん。今日は宜しくお願いします」


 シックな色合いのカーディガンを着て姿を現したのは、見紛うわけもなく、春日部レディバーズの久我絵理香だった。


「宜しくって……」

「何しに来たの?」


 会話を奪い取るように、尋ねたのは鈴奈だった。

 その問いかけには、むしろ絵理香の方が面食らった様子だ。


「おや……斉上さんから何も聞いていません?」

「何も」

「今日は斉上さんからの依頼で、審判をやってほしいと言われていまして」


 にこやかに笑う。

 彼女のバスケットに対する取り組み方は真剣だ。なまじ、そのあたりの体育教師などに審判をやってもらうより信頼できるだろう。


「……せんせー、前もって言ってほしいなあ」


 不満があるとすれば、鈴奈がつぶやいたその言葉ぐらいだ。


「斉上さんは?」

「駅まで、牧女の人たちを迎えに行ってます。そろそろ戻ってくるかと……」


 ちょうど、愛がそう答えかけたところで。


「えーっ!! 体育館って普通、地下じゃないんですか!?」


 いかにもらしい驚きの声が、体育館入口から聞こえた。






 部室を借りて着替えを済ませてきた牧女バスケ部は、鮮やかなコバルトグリーンのユニフォームだった。

 流麗な筆記体の「Makijo Jr.High」の文字がなんともオシャレで、背番号の下にはローマ字で苗字が書かれているのもオーダーメイド感を醸し出している。

 お嬢様校チームらしい、小洒落たユニフォームだ。

 メンバーを眺める限り、飛び抜けた長身のプレイヤーはいない。全体的にスリムな体型の子が多く、少なくとも御堂坂のようにパワフルさに物を言わせたチームではない事が見て取れる。

 だが、それ以上に――


「コート1面しかない体育館って、ちょっとビックリです……」

「冷暖房もシャワールームもないんですか? 公立の学校って大変ですわね……」

「審判もライセンス持ってない人がやるんだって。大丈夫?」


 あまりにもな言いよう。

 聞こえてくる言葉に、ベンチで苦い表情を見せたのは、茉莉花だ。


「……なんか、ムカつく」

「こらこら。冷静さを失うなよ、氷堂さん」

「ん、わかってる」


 亮介にたしなめられる茉莉花は、自らの頬を軽く叩き、気を引き締め直した。


「センセーを教えてた人が顧問なんだろ。世間知らずのオジョーサマどもが相手でも、油断しないよ」


 牧女ベンチで作戦会議をしている、その中心にいるスーツの男性。

 白髪が混じり、顔にいくつもの皺も刻まれているが、それは先日動画で見た選手に違いなかった。

 動画の中であれだけ華麗な活躍を見せた選手が、コーチとなって指揮するチーム。油断できるわけがない。


「斉上」


 やがて、岐土がベンチから立ち上がって呼びかけた。

 背番号4の子を伴って、両ベンチの中間へやって来る。どうやら、試合前の挨拶のようだ。


「行こうか、中原さん」

「はいっ」


 愛を伴って立ち上がり、亮介は岐土の元へと歩いて行った。

 岐土は微笑んでいる。教え子と向かい合う師の顔であると同時に、勝負に臨む指揮官として静かな闘志を秘めた様子で。


「何だか不思議な気分だな、相手チームのコーチがお前だというのも」

「僕もですよ。岐土先生とこうして勝負するなんて、高校の頃は想像もしませんでしたから」

「ふ……少し前までは、自主練でオーバーワークになって、私に叱られていたような奴がな」

「はは。もう7年前の事ですよ」


 亮介は、手を差し出す。

 岐土はその手を固く握り返し、対等な相手との試合開始前の挨拶とした。


「今日は宜しくお願いします」

「ああ。正々堂々、いい勝負をしよう」


 ボールを触りすぎて荒れたお互いの掌を、離す。

 入れ替わるように、4番を着けた少女が愛の前へ進み出る。


「牧女キャプテンの近衛このえです。お手柔らかにお願いしますね」


 穏やかに微笑んで、握手に手を差し出してくる。

 身長は茉莉花と同じぐらい――おおよそ155cmといったところか。ふんわりとしたセミロングの髪はかすかにカールしており、いかにもお嬢様らしいセレブ感がある。ぱっちりとした目に白い肌、細い体。

 スポーツ選手らしい体型とは、とても思えない。

 だが、決して甘く見る事はできない。


「明芳キャプテンの中原です。宜しくお願いします」


 油断せず、しかし好敵手となるであろう相手への敬意と友好の気持ちを込めて、笑顔を見せて。

 愛は、差し出された近衛の手を握った。

 ボールに触り慣れて、ザラついた掌。

 見た目どおりの単なるお嬢様ではない。克明にわかる手だ。


「いい勝負をしましょうね」

「はい、お互いに」


 どこか気品の感じられる笑顔に、愛は強い意思を込めた笑顔で応えた。






「あら?」


 在原ありはら美裕みひろは、体育館から漂ってくる緊迫した空気を感じ取った。

 両親に連れられて、転校先の学校に挨拶に来ていた日のことだ。校長先生が在校していた土曜の午前中、両親とともに挨拶を済ませ、明後日から袖を通す事になる制服と体育着を購買部から受け取った。

 そして帰宅のため、父の車に乗り込もうとした矢先の事だ。


「どうした、美裕?」

「んと……体育館でバスケしてるみたい」


 ボールをつく、ダムダムという音。美裕にとっては聞き慣れた音だ。

 体育館の入口から覗いてみれば、それぞれ白とコバルトグリーンのユニフォームを着た女子チーム同士がウォーミングアップをしていた。

 通例として、淡色はホーム側チーム、濃色はアウェイ側チームだ。つまり白が明芳中の女子バスケ部なのだろう。

 美裕は、足を止めた。

 体育館の入口から、遠巻きにその光景を眺めていた。

 どこか、遠いものを見ているように。


「……美裕、見ていくか?」

「いいの?」

「ああ、待ってるよ」


 父は車の傍で、穏やかに微笑んだ。


「バスケット、まだやりたいんだろう?」

「んぅ……多分」

「何だよ多分って。気持ちがなかったら、お守りみたいにシューズ持ち歩かないだろう?」


 今、父の愛車の後部座席には、美裕がいつも座っている位置の傍に、美裕のバッシュがある。

 引っ越してくる際、引越し業者に運んでもらうのが何となく嫌で、直接自分で持ってきたものだ。

 それほどに、美裕は大切にしていた。

 バスケットに関する道具を。ひいては、バスケットに対する気持ちを。


「女子バスケ部に入れてもらうんだろう?」

「うん、そうかも」

「だったら見学なり挨拶なり、してくればいいさ」

「……うん」


 美裕は目を細めて笑うと、体育館へ小走りに歩いていった。

 途中、一度だけ振り返り。


「ありがとうね、お父さん」

「ん。行って来い」


 一度だけ笑い合って。

 美裕は、体育館へ入って行った。






「ん?」


 いつもの練習試合と様子が違う事に、最初に気づいたのは瞳だった。

 連られて慈が、瞳と同じ方向へ視線をやる。

 体育館の入口付近。

 私服姿の少女が一人たたずんで、コートを眺めるように見ていた。

 遠目にはわかりづらいが、背格好は決して小柄ではない。ゆるくウェーブのかかった、肩までの髪が特徴的だった。


「……誰かしら」


 一瞬、目が合う。

 私服の少女は驚きに肩を跳ね上げると、キョロキョロと周囲を見回す。そして、体育館の2階への階段を見つけると、小走りに登っていった。

 ほどなくして、2階の観戦用通路に姿を現した。どうやら、そこからコートを見下ろす事にしたらしい。


「入部希望者だったりして?」

「……かも、ね」


 そうだったらいい、という瞳の声色。

 慈の語調は、必ずしもそれに賛成しているものではなかったが。


「じゃあ、頑張ってイイ所見せちゃおっか。絶対勝とっ」

「ん……そうね」


 慈は、ひとまずの同意を示した。

 そして明芳メンバーが、牧女メンバーが、センターラインを挟んで整列。


「では、これより明芳中 対 牧原女子中の練習試合を開始します。互いに、礼!」


 審判役の絵理香の声が、体育館に高らかに響き渡った。

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