#27 ベンチウォーマー

「んふふー。どお? 似合うかしら」


 部室に集まった仲間たちの前で、美裕は真新しいユニフォームを自分の体の前に当てて見せた。

 山吹色の、9番のユニフォーム。

 彼女が明芳中女子バスケ部のメンバーとして、正式に加入した証拠だ。


「似合ってる似合ってる。かっこいいよ、みひろちゃん!」

「改めてよろしくね、在原さん。頼りにしてるよ」


 早くも馴染んだものだ、と亮介は思う。

 牧女との練習試合から、既に10日が経過していた。

 ぶっつけ本番で試合に飛び入り参加してきた美裕だったが――だからこそ打ち解けるのが早かったとも言えるだろうか。

 既に試合で、既存のメンバーと力を合わせて戦った実績がある。その事実は非常に大きい。


「でもホント、頼りになる奴が入ってきてくれてありがたいよ。センセー、冬大会っていつだっけ?」


 茉莉花が亮介を振り返り、聞いてくる。

 大会は春夏秋冬、それぞれ1回ずつ。そのうち秋の大会――新人戦で初戦敗退してしまった事は、忘れられはしない。

 やる気に満ちた茉莉花の表情は、冬大会を勝ち抜く事への闘志に溢れていた。


「冬の大会は年末だね。2学期の期末テストが終わった後だ」

「うへー、マジか。部活休みの期間挟んじゃうじゃんよ」


 閉口するように言って、茉莉花はパイプ椅子に体をもたれかける。

 彼女は、勉強が得意ではない。

 亮介が見る限り、地頭は決して悪くはないと思うのだが。


「まあまあ、氷堂さん。大会前にテストがあるのは、どこの学校も一緒だって」


 苦笑しながら、愛が言う。

 穏やかに笑顔を浮かべていて――


「他の学校と条件は一緒。今度こそ、正々堂々戦って、勝とう?」


 その目に宿っている意志は、茉莉花に劣らないほど強い。

 キャプテンとしても、一人の選手としても、たくましく成長してきている。コーチとして、亮介は嬉しかった。


「テストもちゃんとやった上で、ね」


 冗談めかして言うあたり、精神的な余裕も生まれてきた気がする。

 茉莉花は、やや気まずい様子で頭を掻いた。


「わーってるって……やるよ、何とかする」

「また茉莉花の家にお邪魔しよっか? 教えてあげる」

「あ、うん。頼むよ瞳」


 微笑ましいやりとりだが、教師としてはあまり冗談にもできないのが悲しいところだ。

 部活をどれほど頑張ったところで、将来的にスポーツを仕事にできる子は、全国でもほんの一握り。スポーツ推薦での進学ですら、なまじの実績ではできない。

 あくまでも学生の本分は、勉強なのだ。

 普段それを、部員たちの中でもっともよく口にするのは、慈なのだが――


「……テスト、ね」


 牧女との練習試合以来、慈は、口数が少なかった。






 #27 私の、居場所……ベンチウォーマー






「6人になったし、少しポジションを流動的にしてみようと思うんだ」


 部活開始前の部室で、亮介は作戦盤を開き、部員たちに説明を始めた。

 初期メンバーの5人は、一様に驚きを顔に浮かべて、作戦盤を覗き込む。

 ポジション変更とは、つまり、これまで5人でやってきた中での、チームとしての決まりごとに対する変更だ。部員たちが注目しないわけがなかった。


「今まではちょうど5人しかいなかったし、若森さん以外はみんな初心者という事もあって、ポジションを固定していた。それぞれの役割をわかりやすくするためにね」

「ですね」


 愛がうなずき、相槌を打つ。

 部員たちとの認識に食い違いはない。亮介は言葉を続けた。


「けど6人目、在原さんが入ってきてくれた。6人いれば試合中にローテーションで休む事もできる」

「バスケは選手交代の回数制限がない――ですね?」


 補足してくれるような瞳の言葉に、亮介は大きくうなずいた。


「その通り。だから、これからはいろいろなメンバーの組み合わせでプレイする事になると思う。

 けど、例えば神崎さんがベンチにいる間、誰もゲームメイクができない……とかでは問題だ。だから、何人かには複数のポジションをこなせるようになってもらいたい。冬大会までは、そこの習熟度も上げていく」


 言って、カレンダーに赤のマジックペンを走らせる。

 マルをつけたのは、来週――11日後の土曜日だ。


「土曜に次の練習試合を組んであるんだが、この日はスタメンをいつもと大きく変えるつもりだ。具体的には、PGポイントガードを若森さんにやってもらう」

「うぇっ!?」


 名指しされた鈴奈は、目を丸くして、奇声をあげて驚いた。


「や、ちょっと……せんせー、無理だって! あたしがPGポイントガードって……」

「前にも言ったけど、神崎さんみたいになろうとする必要はないんだよ」


 慌てて手を横にぶんぶんと振る鈴奈に対して、亮介は苦笑しながら告げた。

 かつて、瀬能中との練習試合の際に言った事。

 鈴奈は、SGセカンドガード――第二のPGポイントガードになれ、と。瞳のようになるのではなく、むしろ瞳に欠けている部分を補うようにと。

 つまり彼女は既に、オフェンスの組み立ての一部を担っているのだ。


「確かに若森さんには、神崎さんほどの作戦能力はないかもしれない。けど、脚の速さとドリブルテクニックなら明芳ウチで一番だ」

「それは……まあ」

「今まで通りでいいんだ。走りとドリブルでディフェンスを切り崩して、攻撃の糸口を作る。それも立派なゲームメイクだよ」


 鈴奈は考え込むように、うつむく。

 やがて口元に苦笑を浮かべて、顔を上げた。


「……せんせー、ホント人を乗せるの上手いよね。あたしでもやれそうな気がしてきちゃう」

「やれるよ」

「じゃあ、やってみる。PGポイントガード!」


 鈴奈は力強く、決意を口にした。

 亮介は鈴奈の答えに、満足げな笑顔を返す。

 鈴奈にはSGセカンドガード――つまりPGポイントガードの補佐役ではなく、主体的にPGポイントガードもこなせるメンタルを身につけてほしい。亮介はそう考えていた。

 実のところ、鈴奈をPGポイントガードとして起用する事の狙いは、瞳がベンチに下がっている間の代理編成というだけではないのだ。

 瞳は、作戦能力とパスでじっくりと攻撃を組み立てる事を好む。だからこそ今までの明芳は、作戦通りの連携攻撃セットオフェンスを中心に攻撃を組み立ててきた。いわば"巧遅こうち"のチームだ。

 しかし、巧遅より拙速の方が有効な局面もある。

 事実、先日の練習試合の相手だった牧女は、機動力を使った攻撃や速攻を多用してきた。それにより、Cセンターである愛のディフェンス力は活かしにくい展開が続いた。

 それと同じように、より機動力を活かした戦法に習熟する事で、インサイドの守備が強固なチームを攻略できるようになるはずだ。

 秋の大会で大敗を喫した、御堂坂中のような。


「期待しているよ。神崎さんとは違う攻撃の組み立てができる事を」

「うんっ!」


 鈴奈の答えに、戸惑いはもうなかった。

 亮介はそれを確かめると、次は茉莉花に視線を向ける。


「で、氷堂さん。君には今後、スウィングマンをやってもらおうと思う」

「スウィングマン?」

SGシューティングガードSFスモールフォワード、どっちもやれる選手の事」


 つまり、SGシューティングガードを兼業するようになるという事。

 言い換えると――


「神崎さんと若森さんが同時にコートに出ている時は、氷堂さんはSFスモールフォワード。どちらか片方がベンチに下がっている時はSGシューティングガード。そんな風にポジションをスライドしてもらいたい」

「ん、わかった」


 茉莉花はうなずく。その表情に、戸惑いの色はない。

 その理由は明確だ。


SGシューティングガードやる時は、こないだの練習試合でやったみたいに、後ろ寄りで立ち回ればいいって事だよね」


 牧女の12番、結城叶にマークされた時の体験。

 茉莉花はあの時、オフェンスへの積極的参加を諦め、後衛寄りに位置取りをした。瞳や鈴奈とともに速攻阻止セーフティに参加するために。

 つまりはそれが、Gガードの位置取り。

 先日の練習試合で、茉莉花はそれを学んでいたのだ。


「そうだね。あの時ほどオフェンスに消極的になる必要はないけど、速攻戦やボール運びにも積極的に参加してほしい」

「ん、わかった。点を取るだけじゃなくて、いろいろやらなきゃだね」


 あまり多くの言葉も必要なく、茉莉花は理解した様子だ。

 牧女戦での経験もさる事ながら、SGシューティングガードには鈴奈という身近なお手本もいる。

 PGポイントガードの補佐役であり、速攻戦の主役であり、相手のディフェンスを撹乱する遊撃手。


「まりちゃんならSGシューティングガードも普通にやれるよ。スリーも入るしさ」


 その鈴奈のお墨付きだ。

 実際、一般論として、3Pシュートが得意である事は、SGシューティングガードの典型的な特徴と言われる事が多い。

 だがその本質は、アウトサイドから得点できる強力な武器を見せつけて、ディフェンスの注意をゴール付近から遠ざける事。

 言い換えれば、FフォワードCセンターが容易に得点できる状況を作る事だ。


「ん、サンキュ。要は若森がやってるみたいに、ディフェンスを崩すんだよな」


 茉莉花は、その本質を直感的に理解していた。

 やはり、彼女は飲み込みが早い。亮介も思わず笑顔になるほどだ。


「来週土曜の試合は、氷堂さんが先発SGシューティングガードで行く。心の準備はしておいてくれよ」

「ん、わかったよセンセー!」


 力強く、茉莉花は答える。

 瞳の頭脳、鈴奈の脚、茉莉花の得点力。3枚編成で、後衛ガードは手厚くなったと言えるだろう。

 そして、この変更を受けて――


SFスモールフォワードは、綾瀬さん先発で行く」


 遠巻きに話を聞いていた慈は、ぴくりと反応した。

 ゆっくりと顔を上げる慈と目を合わせ、微笑んでうなずき、亮介は続けた。


PFパワーフォワードに在原さん、Cセンターに中原さん。来週土曜のスタメンはこの5人だ」


 亮介が各自の得手不得手を考えたところ、最善の編成はこれだった。

 鈴奈をPGポイントガードとした編成を試すのが目的であるなら、SGシューティングガードは必然的に茉莉花。一方でCセンターは、飛び抜けた体格を持つ愛以外には考えられない。

 必然的に、Fフォワードをどうするかという話になる。

 慈がこれまで務めてきたポジションは、PFパワーフォワード

 牧女戦で美裕が務めたのも、PFパワーフォワード

 どちらをSFスモールフォワードにコンバートするかという問題になる。

 当然ながら考慮すべき点は、各ポジションへの適性であり――


「オフェンスのフォーメーションは外3人・中2人スリーアウト・ツーインで行く。在原さんはインサイドの得点とリバウンドを頑張ってほしい」

「はあい」


 おっとりとした口調で、朗らかに答える美裕。

 飄々とした様子とは裏腹に、彼女は非常にパワフルなプレイヤーだ。自分より背の高い相手にもリバウンドを取り負けず、長身のブロッカーからもゴールを奪う秘密兵器フローターシュートをその笑顔の下に隠している。

 ドリブル技術や敏捷性は特段に秀でてはいないようだが、ゴールに近い位置で立ち回るのであれば、それらの弱点は大きく脚を引っ張る事はない。Cセンターの愛もそうであるように。

 いずれにせよ、優れた能力を持つ美裕を起用しない手はない。そして彼女の能力はインサイドでこそ活きるものだ。

 必然的に、インサイドポジションとしてのPFパワーフォワードが、彼女の収まるべき位置だと言える。


「綾瀬さんは、点を取る事に専念してほしい」

「……はい」


 慈は、一瞬だけ考え込むように躊躇ってから、うなずいた。

 内心はきっと複雑な気分だろうと、亮介は察する。


「綾瀬さんも、一番実力を発揮できる形で作戦を立てたつもりだ。いろいろ思う所はあるかもしれないけど、試合中は集中して取り組むように」

「ええ……わかってます」


 慈の表情は晴れやかではない。

 亮介も、その気持ちは理解できる。

 そもそも慈が先発を指示されたSFスモールフォワードは、義務的な役割がもっとも少ないという特性のポジションだ。。

 例えばGガードなら速攻戦に備えたり、オフェンスを組み立てたりといった役割がある。PFパワーフォワードCセンターならリバウンドは最低限取らなければならない。

 だが、SFスモールフォワードにはそういったものがない。

 義務的な役割に煩わされる事なく、点を取る事に専念できる。逆に、"何をしてはいけない"という制約もないため、一人で何でもこなしてしまうオールラウンダーのポジションと認識される事も多い。

 亮介が慈に求めているのは、前者の形だ。

 それは慈自身も認識しているだろう。

 だが、


「……やってみせますよ」


 言って、慈は浅く下唇を噛む。

 牧女戦での、ファウルトラブルからの退場を思い出したに違いない。

 あの時、慈が冷静さを欠いてしまったのは事実だ。亮介の見立てでは、牧女の8番との基礎的な身体能力の差がその原因の大部分を占めている。

 SFスモールフォワードとしての起用は、その対策を考えての事でもある。

 PFパワーフォワードCセンターのように身体的接触フィジカルコンタクトでの強さを求められるわけでも、Gガードのように走力を求められるわけでもない。

 純粋に、点を取る事にだけ集中できるはずの起用。

 だからこそ、雑念を捨てて集中してほしい。

 結果を出し、自信を取り戻してほしい。

 次の練習試合には、亮介はそういう思惑を持っていた。






「よし、3on3をやろう!」


 その日の練習時間も終わりに近づいて来た夕方の体育館で、亮介は心なしか弾んだ声で練習メニューを指示した。

 シュート練習を終えた6人が、亮介の周りに小走りに集まってくる。

 3on3――

 6人いるからこそ可能な練習メニューだ。そして、これまでやってきた2on2や3on2に比べて、遥かに実践的なメニューでもある。

 2on2は、基本的な2人での連携と、それを防ぐディフェンスの練習になる。だが、ポジション特有の動きの練習には、なかなかならない。

 3on2は、数的有利アウトナンバーの状況でゴールまで仕上げる、あるいはそれを防ぐ練習だ。

 だが、3on3なら。


「ポジション別にチーム分けしよう。PGポイントガードSG・SFウイングPF・Cインサイドをそれぞれ一人ずつだ」


 ポジションごとの役割の違いを加味した練習ができる。

 より試合に近く、リアルだ。


「えっと、それじゃあたしとひとみちゃんが分かれて……」

「うん」


 亮介を挟んだ左右に、鈴奈と瞳が分かれる。

 残りの4人を、亮介は見渡して――


「えーと……Aチームは若森さん、氷堂さん、在原さん。あとの3人がBチームで行こう」


 少し考えて、亮介はそう指示した。

 部員たちは、亮介の左右に3人ずつに分かれる。そんな中、茉莉花は少し戸惑った様子だった。


「こっちは瞳なし、か……」


 茉莉花は、かすかに呟く。

 戸惑いを隠しきれない様子ではあるが、それも亮介の狙いのひとつだった。

 茉莉花は瞳と仲が良く、試合中もコンビネーションが良い。

 だが、それに依存しすぎては良くない。瞳以外のPGポイントガードが試合をコントロールする場合にも、実力を発揮できるようになってもらわなくてはならない。

 そのための経験を積むのも、この3on3の目的だ。


(同じように……)


 Bチームに目を向ける。


「……」


 慈は、練習でかいた汗を拭いながらも、うつむき気味で無言だ。

 表情は、ない。

 牧女との練習試合で芽生えたネガティブな感情に、まだ支配されたままだ。

 そんな慈に、愛と瞳が話しかける。


「えっと、シュートはどんどん撃っちゃって。私、リバウンド頑張るから」

「それも微妙じゃない? 在原さんもリバウンド強いし。で、私、作戦考えたんだけど……綾瀬さん、いい?」

「……ええ」


 ――新しいポジションで、力を発揮してもらいたい。

 そのために、人を活かすのが得意な子たちと組ませたのだ。






 慈は、牧女戦からずっと悩んでいた。

 美裕が加わり、明芳中女子バスケ部のメンバーは6人になった。

 バスケは5人でやるスポーツだ。

 ひとり、余る。

 どうあがいても、スタメンから外れるメンバーが1人発生する。

 来週土曜の練習試合では、瞳がスタメンから外れると、亮介は言っていた。けど、それはあくまでも、鈴奈をPGポイントガードとした編成を試したいという明確な目的によるものだ。

 実力で考えた場合――


「リバウンドっ!」


 ――瞳の声が、慈を思考の世界から現実へと引き戻す。

 Aチームのミスシュート後のボールを巡って、愛と美裕がゴール下で争う。

 体を張って好位置を確保しようとする愛。対して美裕は、わずかに身を屈めて肩を割り込ませ、有利な位置取りを奪いに行く。

 やがて、落下してくるボールへとジャンプ!

 わずかに、愛の方が先にボールを掴み取る――かと思いきや、美裕が指先でボールを弾いた。

 ルーズボール……!

 だが、咄嗟に愛がボールへ手を伸ばし、キャッチ。

 ディフェンス側だった愛がボールを取った事で、この一本は終了。

 全員の緊張が解け、臨戦態勢から緩慢な動きへと変わっていく。


「あーん……惜しいわねえ」

「ふーっ、危ない危ない……」


 リバウンドを取り残った美裕は苦笑いしながらも、"惜しい"と、自分の実力に抱いている自信を感じさせる単語を口にした。

 一方で、リバウンドを取ったはずの愛の方こそ、余裕がなさそうだった。一歩間違えればリバウンドを取られてしまっていただろう、といった様子で。

 事実、美裕のリバウンド技術は、慈の目から見ても優れていると思える。

 身長は慈と変わらない。なのに、独特の体の強さと柔らかさを活かして、10cm以上大きいはずの愛と互角のリバウンド争いができている。

 慈にはない個性だ。

 リバウンドをはじめとした、ゴール付近での身体的接触フィジカルコンタクトに耐えうる体の強さ。それは、PFパワーフォワードのポジションにうってつけの能力なのだろう。


(……私は)


 勝てない自覚はある。少なくとも、PFパワーフォワードとしては。

 牧女戦を思い出しても――慈は、牧女の8番に対して、いいようにやられてしまった。

 一方で美裕は、牧女の8番に対して、終始優位に戦えていた。

 その事実が、どうしても頭から離れない。


「よっし、次の一本行こ!」


 瞳が声をかける。今度はBチームのオフェンスだ。


「さっきの作戦でね!」

「OK!」

「……ええ」


 瞳の呼びかけに愛が答え、少し遅れて慈も答えた。

 Bチームは、Aチームに比べて全体的にスピードで劣る。機動力を使ってディフェンスを崩すのは難しそう――とは、3on3を始める前の瞳の意見だ。

 慈も、その通りだと思う。

 その証拠に、横に目をやれば――


「っし……」


 腰を落とした姿勢を取り、ディフェンスに備える茉莉花。

 SG・SFウイングというくくりで考えた場合、慈と対になるのは茉莉花だ。今日の3on3では、慈は茉莉花と直接対決マッチアップしている。

 茉莉花と慈とでは、基礎的な運動能力の差は歴然としている。これまで経験してきた試合においても、ほとんどの試合において、茉莉花は慈より高い得点をあげてきた。

 個々の能力で勝負するのは、不利。

 瞳はそれをわかった上で、すぐに作戦を提案してくれたのだ。

 それに頼る事にする。

 その作戦に乗る事で、自分も何かを示す事ができるのなら――


「行くよ!」


 始まった。

 慈は作戦通り、小走りにゴール下へ――愛が位置取りしているローポストの、そのさらに奥へと向かう。

 茉莉花が、パスコースを遮りながらついて来る。

 茉莉花の方が脚は速い。純粋なスピードだけで、マークを振り切る事はできない。

 だから、


「スタック!」


 瞳の合図。

 慈は作戦通り、愛のすぐ傍を通って切り返す。ゴールから見て45度の、3Pライン沿いへと。

 茉莉花も慈に合わせて、切り返し――


「おわっ!」


 背後から茉莉花の声。

 慈がゴールの方へ視線を向ければ、茉莉花は、愛が仕掛けたスクリーンにぶつかって足止めされていた。

 それと同時に。


「はいっ!」


 瞳からのパス。

 慈はゴールへ向き直りながら、ボールをキャッチ。

 足元は、3Pライン沿い。

 茉莉花はスクリーンを迂回し、慌てて慈へのシュートの妨害チェックに来るが、一歩遅い。

 絶好のシュートチャンス!


(入れ……!)


 胸元にボールを構え、膝を沈めた体勢を取る。

 ジャンプシュートは得意技のはずだ。牧女との練習試合では不発に終わったけれど、自分の武器とするべく必死に自主練習してきた。

 今こそ、その成果を示すチャンスのはずだから!

 ジャンプとともに、左右の手首を返してシュート。

 ボールは高い弧を描き、まっすぐゴールめがけて飛んでいく。

 リングの、内側へ――


(入れ!)


 ボールはリングの内側に当たった。

 弾んで、跳ねた。

 リングの上に乗り上げて、そして、外側へ落ちていった。


「っ……!」


 入らない。

 自主練習では、3回に1回は入るようになったのに。

 どうしていつもいつも、肝心なところで決まらないのか。

 身体能力に優れていない自分は技に頼るしかないというのに、なぜ、技まで自分を裏切るのか。


「よいしょっ……!」


 美裕がリバウンドを取って、Bチームのオフェンス終了。

 あっという間に一本終わってしまった。


「あーっ、惜しい……!」

「……」


 慈は表情のないまま、首筋を垂れる汗を拭った。

 瞳は"惜しい"と言ってくれたが、慈の心にはまったく響かなかった。

 "惜しい"ではダメだ。

 "すごい"と言わせなくてはならない。

 茉莉花も、美裕も、"すごい"のだから。

 点取り屋として、Fフォワードとして――自分だけ"惜しい"でいるわけにはいかない。

 そうなれば、スタメンから外されるのは自分だ。

 実力を示さなければ、置いていかれるのだ。

 この部を立ち上げた5人の中で、自分だけが。


「惜しい惜しい。いい連携だよ、Bチーム」


 亮介も声をかけてくる。

 "惜しい"では――いけないというのに。


「スタックスクリーンを使った連携だね。神崎さんの発案かい?」

「はい。もっとシュートチャンスを増やしたくて、ちょっとまた作戦の勉強したんです」

「いい事だ。綾瀬さんも、今の感じでどんどん撃っていっていいよ」


 亮介は、今の立ち回りを肯定してくれる。

 けれど慈には、それでいいとは、どうしても思えなかった。


「3Pシュートは、超一流のシューターでも試合じゃ成功率4割ってとこだ。1回や2回外したぐらいで気にする必要はないよ、強気に行こう」

「……はい」


 そうなのだろうか。

 それで示せるのだろうか。自分は、茉莉花にも美裕にも劣らない価値がある事を。






 3on3は、その後も何本か続いた。

 機動力で劣るBチームは、スクリーンとポストプレイを使ってオフェンスを組み立てる作戦を取った。

 慈も、亮介に言われた通り3Pシュートを撃ち続け、3度めでようやく成功させた。

 だが、嬉しさよりも、"やっと"という感覚が強かった。

 なぜならば。


「みひろちゃん、お願い!」

「はあいっ」


 鈴奈から、美裕へのパス。

 瞳が鈴奈に抜かれ、そのカバーに愛が向かおうとした瞬間の事だった。ゴールを挟んだ逆サイドで、美裕がボールを受け取る。


「裏っ!」


 瞳が指示を飛ばす。

 愛は、美裕の側へ方向転換。すぐさま、美裕の正面のシュートコースを塞ぐ。

 美裕は――


「んしょっ……!」


 深い前屈姿勢で、踏み替えピボット

 愛の足元に自分の体を割り込ませ、ボールを低く保持して保護したまま、深くゴールへ踏み込んだ。

 シュートコースを塞いでいた愛の腕の、その裏に回る。

 そしてジャンプ、シュート!

 バックボードで跳ね返ったボールは、いともあっさりとゴールに沈んでいった。


「ナイシュっ、みひろちゃん!」

「やー、相変わらずすげーな、あの転校生」


 鈴奈と茉莉花が、美裕のワンプレイを称賛する。


「……そう、ね」


 慈は茉莉花をマークした状態で、美裕のプレイを傍目から見ていただけだが――確かに、凄いという感想は否定できない。

 愛は、このチームの守備の要だ。明芳が曲がりなりにも上級生を中心としたチームと戦う事ができているのは、愛がゴール下をしっかりと守ってくれている事が大きい。

 だが美裕には、そのディフェンスを破れるほどの強みがある。

 当たり負けしない体の強さと、柔軟性を活かしてディフェンスをかわす独特の技。

 今までの明芳にはなかった武器だ。

 簡単に真似できそうな気もしない。

 凄いか、凄くないかで言えば、凄い。

 それでいて――


「さっ、次の一本いきましょお」


 過剰に喜ぶ様子もなく、飄々と次の一本に移ろうとする美裕。

 このぐらいは、決めて当然と言わんばかりに。


「……」


 慈の胸中は、晴れやかではない。

 自分が1本決める間に、美裕は何本シュートを決めたか。

 慈が記憶している限りで、3本。

 ディフェンスに優れた愛と直接対決マッチアップしているにも関わらず、だ。

 結局それが、数字で明確に表される、彼女と自分の差だと言うのか。


「よし、じゃあラスト一本! Bチームのオフェンスやって終わろう!」


 亮介が呼びかける。

 今日、何かを証明したいのなら、これがラストチャンスだ。

 愛がローポストに位置取りしたのを確認して、慈は、その奥へと小走りに向かう。

 そして切り返す!

 3Pライン沿いへ走る中、慈は肩越しに後方を顧みた。

 茉莉花がスクリーンに引っかかりそうになって、


「スイッチ!」

「了解っ」


 茉莉花が声をかけ、茉莉花と美裕が守備対象交代スイッチ

 美裕が、慈について来る!


「はい、綾瀬さん!」


 瞳からのパスを、ゴールへ向き直りながら受け取る。

 美裕は、もう目の前まで迫ってきていた。


(シュート……!)


 無理。

 眼の前にディフェンスがいる。良いシュートは撃てない。

 この一本は確実に決めなければいけないのに、そんな不利な行動をできるわけがない。


(――抜く!)


 右に突破ドライブ

 左手のドリブルにはあまり自信がない。勝負を仕掛けるなら、人並みにドリブルできる右しかない。咄嗟の判断だった。

 突き進む!

 抜き――きれない。

 慈と美裕には、敏捷性に大きな差はない。スピードで振り切るのは無理があった。


(それなら!)


 左肩を美裕に接触させて、強引に押し切るように――

 行けない。

 力ずくで突破ドライブのコースを切り拓こうとしても、押し勝てない。


(この……!)


 左手ドリブルに切り返す。

 パワーで勝てないのならば――


(もっとスピードを!)


 ドリブルしながら、全力で踏み出す!

 いつもより、少しでも速かっただろうか。自分ではわからなかった。

 だが結果として、美裕はディフェンスについて来る。

 抜けない!


(もっと……!)


 少しでも速く前へと。前につんのめるような体勢で――

 ボールが、指先からこぼれた。


「!」


 ファンブル。

 明後日の方向へ逃げて行こうとするボールを、咄嗟に掴み、手繰り寄せた。

 ボールを失わずに済んだ。けれど、ドリブルの権利はもうない。

 即座に、美裕が間合いを詰めてディフェンスしてくる。


(また、こんな……)


 うまくいかない。

 何をやっても。

 茉莉花だったら、ドリブルで抜くか、急停止ジャンプシュートプルアップジャンパーで綺麗に得点していただろう。

 美裕なら、フローターシュートで、ディフェンスをものともせずにゴールしていたはずだ。

 実力で劣る事を思い知らされる。

 スタメン落ちの可能性が最も高いのも――


(……認めない!)


 慈は、正面を塞ぐ美裕に、鋭い視線を飛ばした。

 この子さえ転校して来なければ。

 そうでなければ、こんな思いをする事もなかったのに。

 一人だけ取り残されるような思いを――以前から感じていた劣等感を、ここまで克明に示される事はなかったはずなのに。

 こんな思いをするためにバスケットをやっているわけじゃないのに。

 だから、負けっぱなしでいるわけにはいかないのに!


「綾瀬さん、ポストにボール入れて! 中原さんのとこが身長差ミスマッチ――」


 瞳が言い終える前に、慈はシュートの体勢を取った。

 無理があるのはわかっている。

 それでも、決めなくてはならない。

 自分の尊厳のために!


「無理っ……!」


 瞳か、愛か。言ったのはどちらだろう。

 どっちでもいい。

 言わせない!


(私にだって、ああいう技があれば……!)


 正面は美裕に塞がれている。

 体勢は窮屈だ。素直にシュートすれば、ブロックされてしまう可能性も高い。

 だから。


(入りなさいよ……!)


 後方跳び退りジャンプシュートフェイドアウェイジャンパー

 シュートされたボールは、シュートコースを塞ぐ美裕の手の上を越えていった。

 高い弧を描いて――

 リングの手前側にわずかに届かず、床に落ちていった。






「みんな、お疲れ様。今日はいい連携がいくつもあったよ」


 3on3の最後の一本を終えた後、亮介は部員たちに向かって、そう言ってきた。

 慈は、亮介から少し距離を取って話を聞いていた。


「わかっていると思うけど、大会では上級生を中心としたチームと戦う事になる。個人技で戦おうとしても厳しいのは間違いない。このチームにとって大事なのはチームプレイだ」


 ――詭弁だ。

 慈には、亮介の言葉を鵜呑みにする事はできなかった。

 同じように連携ができる選手が6人いるのなら、そのうち、個人としての能力が優れた5人をスタメンにするに決まっている。


「秋の大会と同じ失敗はしないように、ですね」


 瞳が言った。その通り、と亮介もうなずく。


 ――なぜ、彼女は平気でいられるのだろう。

 来週土曜の試合では、スタメンから外される事を宣言されているというのに。

 作戦能力とか、他の子にはない特技があるからだろうか。

 そうに違いない。

 自分の地位を確かなものにしてくれる武器がある。そこに絶対の自信を持っている。だから、たとえスタメンを外されたとしても、不安を感じる事はないのだろう。


「秋大会の失敗って言われると、私もちょっと苦しいなぁ」


 苦笑して、愛が言う。


「私も、結構ワンマンプレイやっちゃったし」

「もう済んだ事じゃない。あれから中原さんの立ち回りが変わったの、私もわかるよ?」

「それ、あたしもわかるな。こないだの練習試合もだけどさ、レディバーズの人たちから教わった事がちゃんとできてる気がする」


 ――なぜみんな、あんな詭弁に乗せられて、楽しそうなのか。


「うん、みんな間違いなく成長してきている。僕から見てもそう思うよ」


 ――本当に?

 慈は懐疑的な目を、亮介に向けた。

 視線に気づいた亮介は、慈と目を合わせた。

 堂々とした雰囲気で、微笑んでいた。


「練習前に言った事とも関係するけど……6人とも、みんなそれぞれ違った個性や特技があるはずだ。各々の長所を活かし合う、それがチームプレイだ」


 正論――のような気がする。

 けど慈は、どこか納得がいかなかった。

 なんだか、虚しい綺麗事のように聞こえた。


「自分と味方の得意技を活かす事が、チームプレイの基本だ。大会まで、それを意識して練習していこう」

「「「はい!」」」


 部員たちの返事は、ぴったり息が合っていた。

 慈を除いて。

 そんな慈に視線を向けた亮介は、困ったような、心配そうなような、複雑な表情の苦笑いを浮かべていた。

 が、すぐに体育館の時計に目を向けて。


「じゃあみんな、僕はちょっとこの後、来客の予定があるから……みんなはモップがけをした後、解散で」

「はーい。せんせー、お疲れ様!」


 ぶんぶんと手を振って見送る鈴奈に、小さく手を挙げ返し、亮介は体育館を後にした。

 部員たちは、用具室にゆっくりと歩いて向かっていく。

 談笑しながら。


「ねえ、秋大会って何があったのかしら?」

「ん? うーん……いろいろ。まあ、格好よくはない事かな」

「ふぅん……?」

「ね、それよりみひろちゃん、前の学校でやっぱりレギュラーだった感じ? ほら、ゴール下であいちゃんから点取れる人なんて、なかなかいないしさー」

「うーん、レギュラーっていうのとはちょっと違ったけどお……」


 すっかり溶け込んだ雰囲気の美裕。

 彼女の実力を疑う者も、部員たちの中にはいない様子だ。

 慈は、


「ねえ」


 後ろから、声をかけた。

 5人が一斉に振り向く。

 慈は、美裕にのみ視線を向けた。精一杯、気持ちを強く持って。


「在原さん」

「なあに?」


 おっとりと間延びした喋りが、今は鼻について仕方ない。

 その感情を、極力抑えながら。


「居残り練習、付き合ってくれないかしら」


 足元のボールを拾い上げて。


「やりましょ。1on1勝負で」


 美裕の前まで歩いて行って、そのボールをつきつけた。

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