#26 ゲームクローザー

 残り時間も2分を切って、明芳と牧女の試合は白熱していた。

 スコアは50-51で牧女の1点リード。

 明芳のオフェンス――!


「はっ……!」


 ふわっ――と宙に浮く無回転のボール。

 飛び入り参加した9番のフローターシュートだ。

 牧女8番のブロックの上を越し、リングの内側へ落ちていく。


「よおし……!」

「ナイシュっ、在原さん! さ、一本止めよ!」

「止めなきゃ差がつかないからなっ!」


 明芳メンバーが声を掛け合う横で、絵理香は得点板の黄色いシートをめくる。

 記録するスコアは52-51。

 コートではさきほどから、一進一退のシーソーゲームが繰り広げられていた。1点差を巡って、1ゴールごとにリードする側が入れ替わる展開。


「くっそぉ、あの9番……」

「浅木さん、ヘコんでちゃダメよ。取られた以上に取り返すの」

「わかってますって。カナエ、アシスト頼むよ!」

「うんっ!」


 ――練習試合の熱量じゃない。

 この熱さは、何か大切なものがかかった勝負の熱さだ。それこそ、県大会出場がかかった一戦であるかのような。


「浅木さんっ!」

「はい!」


 12番からのパスを受けて4番がレイアップに行く――と見せかけ、肩越しに後方へパスショルダーバックパス

 8番がすぐ後ろでボールを受け取り、一人時間差でシュート!

 明芳のディフェンスはタイミングを外された。ボールはバックボードで跳ね返り、ゴールの中へ沈んでいく。

 52-53!


「止められないわねえ……」

「ドンマイ、もう一本取ろう!」


 明芳も負けてはいない。すぐにボールをスローインして、フロントコートへ運び込む。

 瞳と茉莉花がピック&ロールで仕掛ける!

 だが、二人についているのは4番と12番。絶対的エースと、守備に優れた選手の二人だ。

 パスが茉莉花に渡る瞬間、ディフェンス側の二人が交差し、マークを継続!


「くっ……!」


 茉莉花はジャンプシュートを撃ったが、さすがに無理撃ち。リングに弾かれ――


「リバウンドっ!」

「任せて……!」


 愛が力強く牧女の5番をボックスアウトし、オフェンスリバウンドを奪取。

 そのまま跳び上がってゴール下シュートをねじ込んだ。

 54-53!


「中原ぁ! ナイス!」

「さ、今度こそ一本止めるよ!」


 お互いのチームが一体となって、力と気迫をぶつけ合う展開。


(羨ましいわね)


 あの中に混ざりたい、とさえ思ってしまう。

 社会人サークルチームに所属している絵理香だが、これほどの熱量の試合は久しく体験していない。

 そもそも社会人サークルとなれば、試合の機会そのものが年間でも数えるほどしかない。

 それすらも地区のイベントなどでしかないため、互角の相手と巡り合う事はそうそうない。

 それは実力の面で言っても、情熱の面で言ってもだ。

 明芳と牧女は、実力で言っても、勝利への執着心で言っても、おおよそ互角。

 学生の身分を卒業してから、永らく味わっていなかった熱い戦いだ。


(そんな試合に立ち会えた事を、幸運と考えるべきよね)


 ホイッスルを咥えたまま、絵理香は試合を注視した。

 彼女らの敢闘精神に応えられるよう、自分も良いジャッジをしようと。






 #26 勝負の行方は誰の手にゲームクローザー






 残り時間が1分を切ったところで、亮介は最後のタイムアウトを取った。

 スコアは54-53で、1点だけリード。ボールは牧女側。

 1ゴールでひっくり返されてしまう僅差。

 勝敗の天秤が左右に揺れ動いている状況。

 残り時間は49秒。明芳も牧女も、攻撃機会ポゼッションは何度も残っていない。

 たったひとつのミスが勝負の明暗を分ける状況だ。


「はーっ、はーっ……先生、作戦、は」


 瞳が息を切らしながら、作戦を訊いてくる。

 亮介に傾注する視線は、真剣そのものだ。それも瞳だけでなく、全員が。

 ひとつのミスも許されない状況だという事を、全員が理解している。

 その上で、勝利への強い執着心を5人ともが保っている。


(まるで公式戦だ)


 思い出すのは、亮介にとって高校バスケの引退試合となった一戦。

 あの日も僅差の接戦だった。全国大会への出場権を賭けて、1点を争う勝負が繰り広げられていた。

 そして、最後のシュートが――


(……何を思い出しているんだ)


 外した記憶。

 亮介は小さくかぶりを振って、そのイメージを頭から追い出した。

 過去の感傷に浸っている場合じゃない。

 今の自分は、明芳中女子バスケ部の顧問だ。部員たちが求めている勝利のために、最善の策を授けなければ。

 それでなくてもタイムアウトは、たった1分しかないのだ。


「みんな、1点リードまでよく頑張ってくれた。けど、ここから先は"詰め将棋"だ。しっかり作戦を頭に入れてくれ」


 手早く作戦盤を開き、マグネットを並べる。


「残り49秒で相手ボール。みんなも知っての通り、攻撃時間制限ショットクロックは24秒だ。つまり、相手が時間いっぱい使って攻撃してきた場合、残り25秒。ほぼちょうど、こっちの攻撃1回で試合終了になる」

「じゃあ、もし次の攻撃で点を取られても……」

「こっちも時間いっぱい使って点を取れば、勝てる」


 瞳の言いかけた言葉を、亮介は力強く肯定した。

 だが――


「でもそれって、あっちもわかってる事だろ」


 茉莉花が、言葉を挟む。


「あたしなら、12秒ぐらいでシュートして、相手に1回攻めさせて……残り時間でもう1回攻める」

「ああ。実際には恐らく、その戦法を取ってくるだろう」


 ちらりと、牧女ベンチの様子を窺う。

 あちらも作戦盤を開き、細かなフォーメーションを指示しているようだった。

 牧女はもともと、ラン&ガン戦術のチーム。時間を目一杯使うなどせず、スピーディな攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。

 まして、この切迫した状況で、自分たちの攻撃機会ポゼッションを1回増やさない手はないはずだ。


「だからと言ってみんな、焦ってボールを奪いに行かないように。ここで必要なのは、イチかバチかのスティール狙いじゃなく、堅実なプレイで状況をこっちの計算通りにコントロールする事だ」

「状況を、コントロール……」


 瞳が繰り返すようにつぶやく。

 きっと頭の中では、勝利への段取りを整理しているところだろう。

 亮介は、そこに助言する。


「相手の攻撃が2回、こちらの攻撃が1回残っているという前提で……一番楽観的な予想は、相手が1回目の攻撃でシュートを外し、こっちがリバウンドを取れた場合だ」

「その場合、24秒めいっぱい使って確実に2点を取る……で、いいですか?」

「うん、それが正解だ。どのみち牧女あっちも、こちらに2回目の攻撃の時間を与えないようにコントロールしてくるだろうからね。なら、なるべく相手に時間を残してやらない方がいい」


 瞳の回答は、的確だ。

 コート上では彼女が試合終了までの道筋を作ってくれるだろうと、確信できる。


「想定通り2点を取れれば、3点リードになる。その場合、ゴール下の守りはもうガラ空きにして構わない。どのみち2点じゃ届かないからね。インサイドも含めた全員、3Pだけ警戒するように」

「はいっ」

「はあい」


 心得た様子で、愛も、美裕も答える。

 この緊迫した状況下だが、きちんと指示を飲み込めている。それを彼女たちの様子から確かめながら、亮介は続けた。


「悲観的なパターンは、牧女の1回目の攻撃で点を取られた場合だ」


 ――瞳だけでなく、茉莉花も、愛も、かすかに身を乗り出すように傾注してきた。

 部員たちからのいっそうの注目が集まっている。

 それは、悲観的なパターンこそが実際に起こる可能性が高いと、彼女たち自身も認識している事の表れだ。

 第3ピリオドで失速したはずの牧女のオフェンスは、12番がPGポイントガードを務めるようになってから息を吹き返し、ますます冴え渡って来ているのだから。


「2点を取られた場合は、こちらはじっくり時間を使って2点を取り返す。その後、おそらく10秒前後は牧女の攻撃の時間が残るだろう。それを――」


 作戦盤の上では、緑のマグネットが、自軍ゴール側からのスローインで2回目の攻撃を開始しようとしている布陣。

 亮介はそこに対して、白のマグネット5つを、一斉に前に寄せた。


「オールコートのマンツーマンで抑える」


 作戦を聞いて、心配そうな表情を見せたのは鈴奈だ。

 ちらりと、瞳の様子をうかがう。


「……ひとみちゃん、走れる?」

「ん、大丈夫。やってみせる」


 大量の汗を流しながらだが、瞳はきっぱりと答えた。

 マンツーマンディフェンスは通常、攻撃側がセンターラインを越えてから守備に着くものだ。センターラインより後方からシュートを撃ってくる事は、プロの世界であってもまず考えられない。

 つまりオールコートでマンツーマンディフェンスを行うのは、センターラインを越えるためのボール運びから妨害する目的だ。

 ボール運びを遅延させ、攻撃の組み立てに使える時間を減らす。あわよくばパスミスを誘い、ボールを奪う。

 ただし、脚とスタミナへの負担は大きい。休みなくコートを走り回り続けなくてはならない。

 わずか10秒前後とはいえ、一度でも脚をもつれさせたらそれまでという、この状況でだ。


「より悲観的なパターンは、1回目の攻撃で3点を取られた場合」


 ――3P。

 4番はもちろん、10番にも3Pがある事が第4ピリオドで示された。形勢逆転を狙ってそれを撃ってくる可能性も、決して低くない。

 それを決められれば、明芳は2点のビハインドを負う事になる。


「……その場合、こっちもスリー?」


 ぽつりと、茉莉花が言う。

 今日の試合で茉莉花は、1本だけとはいえ、3Pシュートを決めている。


「……」


 うつむいたままだった慈が、かすかに反応した気がした。

 だが。


「それはちょっと分の悪い博打になる。試合での3Pの成功率は、一流のシューターでもせいぜい4割だ。まして一発逆転を賭けた最後のシュートなんて緊張する状況じゃ、普段通りの成功率すら出せるものじゃない」

「……だよな」


 かすかに、安堵した口調の茉莉花。

 彼女とて、より確率の高い、得意技で勝負したいはずだ。

 勝敗のかかった大切な場面だからこそ。


「2点ビハインドになった場合、こちらも極力確実に2点を取って、同点にする。そして……神崎さん、ファウルゲーム戦術はわかるね?」

「……はい」


 一瞬だけためらって、瞳は答えた。

 ファウルゲーム。試合終盤において、僅差で劣勢にあるチームがしばしば使う戦術だ。

 それは相手がボールを持った瞬間、意図的にファウルをしかけるというもの。と言っても相手に怪我をさせるようなハードな接触ではなく、ちょっと触れる程度の接触でいい。

 1ピリオドの間にチーム合計で5回以上のファウルを犯した場合、5回目以降のディフェンスファウル時の罰則は、状況によらず相手にフリースローが2本与えられる事だ。

 言い換えると、ファウルされたオフェンス側は、フリースローを撃つという形で攻撃を終えなくてはならない。

 シュートを撃たずに時間稼ぎをするという事ができない。

 つまり、相手の攻撃時間を極小で済ませ、自分たちの反撃の機会を確保する戦術だ。

 ただ――


牧女あっちがフリースロー外してくれれば、いいですけど」


 ファウルゲームは、相手に2本のフリースローを献上するのと引き換えに、自分たちの攻撃機会ポゼッションを得る戦術。

 相手が1本はフリースローを外してくれなければ、意味はない。

 あくまでもファウルゲーム戦術は、"悪あがき"なのだ。


「そうだね……この場合は相手のミスに期待するしかない。想定される最悪のケースだからね」

「そうならないのがベスト、と……」

「ああ。一番大事なのは、1回目の攻撃をしのぎ切れるかどうかだ。まずそこを頑張る事を前提に!」


 ピッ――

 ホイッスルの音。最後のタイムアウトの終わりを告げる合図だ。


「僕からの指示は以上だ。みんなラスト1分、最後まで集中だぞ!」

「「「はい!」」」


 コートに向かう5人の息は、しっかりと合っていた。






 牧女のオフェンスから、最後の攻防が始まる。

 "詰め将棋"とは言い得て妙だ、と愛は感じていた。

 1点を争う接戦において、いくつものケースを想定して作戦を練り、あらゆるルールと自分たちの武器を駆使して勝利を目指す。そのプロセスは、バスケットが奥の深いスポーツだという事の証拠だ。

 亮介がしまったのもうなずける。

 そして、今は自分がその接戦の当事者なのだ。


(……濃い試合だったなぁ)


 得点板の残り時間表示を見て、思い返す。この試合も、残り1分未満だ。

 本当に濃密な時間だった。

 超中学生級のエースである近衛の活躍に驚き、仲間たちと協力して対抗した。

 牧女で一番立場が弱そうに見えた結城が、ディフェンスに、アシストに、秘められた力を発揮してきた。

 慈のファウルトラブルからの退場。

 そして、転校生だという美裕の活躍。

 そんないろいろな出来事が、この一戦で起きた。

 もし負けたとしても満足して終われてしまいそうな、そんな気もする。

 けれど。


(せっかくなら、勝って終わりたい!)


 強く、そう思う。

 もとよりこの試合は、亮介の恩師が率いるチームとの対決。ただの練習試合じゃない。

 自分たちがいい試合をする事で、指導者としての亮介の顔を立てよう――と、試合開始前に仲間たちと約束した事も忘れていない。

 勝つ!

 その意識を強く持つ。自分は、チームの中心センターなのだから。


「来るよっ!」


 瞳が注意を呼びかける。

 残り40秒、牧女の8番が仕掛けてきた。

 美裕のディフェンスを振り切ろうとするように、ゴールへ走り込んでくる。

 そこに、12番からのパス!

 8番は急停止して、ボールをキャッチ!


「行くぞぉっ……!!」


 美裕を睨みつけるようにして、気迫の声とともにゴールへ反転。

 そして、


「……!」


 完全にブロックの体勢で構えていた美裕は、一瞬、ボールを見失った。

 半ば手渡しに近いパスを受け取ったのは――8番の後ろから切り込んできた、4番の近衛!


「ナイスフェイクよっ!」


 8番とすれ違うようにボールを受け取り、近衛がゴールに向かう。

 近衛をマークしていたはずの鈴奈は、8番の身幅に阻まれて――


「こ……んにゃろぉっ!」


 身をかがめて8番の腕の下をくぐり抜け、近衛を強引に追う!

 シュート体勢に入った近衛に対して、目一杯腕を伸ばし、視界を遮り、少しでも狙いを狂わせようと!

 近衛は――


「お願いっ!」


 鈴奈の横に、パスを通した。

 パス先は、中距離ペリメーターに入ってきていた10番!


「はいっ……!」

「行かすかっ!」


 10番がシュート。

 茉莉花がブロックに跳ぶ。

 ブロックの手はわずかに届かず、ボールは高い弧を描く。


 リングが、すげなく無機質な音を立てた。


(外れた――!)


 10番がシュートを放った瞬間、愛は既にゴール下へ詰めていた。

 即、牧女の5番をボックスアウト。

 リバウンドはディフェンス側が有利なものだ。オフェンス側よりゴールに近い位置にいるのだから当然だ。

 しっかりとボックスアウトをすれば、ディフェンスリバウンドを取り負ける事はそうそうない。これは初めての練習試合だった、瀬能中との試合で学んだ事だ。

 その経験に忠実に、愛はボックスアウトをして、好ポジションを確保した。

 ボールが、落ちてくる。


(これを取れば……!)


 ――懐に走り込んでくる小さい体。

 愛は、一瞬だけそちらに目をやった。

 12番。結城叶。

 チームのために身を呈したプレイを厭わない彼女。

 それが、勝敗の行方に直結するこのリバウンドを取りに、飛び込んできた!

 第2ピリオドの出来事が、ふと脳裏をよぎる。

 ルーズボールに飛び込んできた彼女が怪我をしないよう、庇った事も記憶に新しい。

 その結果、ボールを譲る事になったと言ってもいい。

 けど。


(これは――譲れない!!)


 結城が小さな体で、懸命にボールに向かって跳び上がる。

 愛もまた、リバウンドボールめがけて跳んだ。

 空中で、接触――

 今回は渡さない!

 ざらついた人工皮革の手触りを、自分の方へ引き寄せる!

 触り慣れてしまったはずの感触は、今だけは、勝利の感触だった。


(勝った!)


 残り33秒、1点リードで自軍ボール。

 亮介の語った、もっとも楽観的な想定のパターンに入った。まだ試合終了の笛は鳴っていないが、決定的な優勢を手に入れた。


「神崎さん!」


 明芳の頭脳である彼女に、パス。

 瞳はもっともよく亮介の作戦を理解している。彼女にボールを預ければ、勝利までのステップを確実に実践してくれるはずだ。

 牧女のメンバーがディフェンスに戻る中、瞳はゆっくりとドリブルをつきながらチームの全員を見渡す。


「一番いいパターンに入ったよ! 作戦通り、じっくりね!」


 勝利への主導権を握った。その事実を、瞳の言葉が仲間たちの心に落とし込んでいくようだった。

 愛からも、勝負のかかった大一番という緊張はほぐれていた。残ったのは、落ち着いて勝利を確実なものにしようという冷静さ。

 勝てる。

 愛は確信とともに、牧女側のゴール下へと小走りに進んだ。

 残り25秒で、瞳がセンターラインを越える。

 瞳はそのまま、ゆっくりと前進。

 残り20秒で、茉莉花へ小さく手招きした。


(氷堂さんとのピック&ロール……)


 瞳にとって、もっとも確実に点が取れる戦法がそれなのだろう。とどめの1ゴールを狙う上で、一番信頼できる攻撃方法は。

 愛は、ゴール下から少しだけ外側に掃けた位置を取った。ピック&ロールで切り込んでくる二人の邪魔にならない位置取りを。

 やがて残り18秒のタイミングで、茉莉花がスクリーンをかけ、瞳がその横を突破ドライブして行く!

 12番の結城がスクリーンにかかり、足止めされた。

 瞳と茉莉花が二人でゴールに向かう中、ディフェンスは4番の近衛のみ。

 近衛は一瞬、二人に交互に視線を送った。

 瞳は、その横をドリブルして抜き去っていく!

 近衛の横を通り抜け、瞳からゴールへは一直線に進路が拓ける。

 しかし、瞳の手には


「――えっ!?」


 振り返る瞳。

 その視線の先では、すれ違いざまにボールをかすめ取っていた近衛が、明芳ゴールへとまっすぐにドリブルしていた。


(あの技って……!)


 記憶が蘇る。

 亮介が見せてくれた動画の中で、現役時代の岐土が使っていた技だ。

 抜かれたかのように見える体勢から、すれ違いざまにスティール。そして、即座に速攻――!

 まるでその動画を再現したかのように、近衛のレイアップは明芳ゴールに吸い込まれていった。

 スコアは54-55。

 残り12秒で、明芳は1点のビハインドを負ってしまった。






「瞳、まだ諦めてないよね」

「当然……!」


 茉莉花からのスローインを受け取って、瞳は答えた。

 めまぐるしく計算を働かせて、勝利へのプロセスを再構築する。

 スティールされた事は失敗だ。それは認めている。

 だが、"残り12秒で1点負けている"という言葉の印象ほど、状況は悪くないと瞳は考えていた。

 1点ビハインドという事は、亮介の言う"悲観的なパターン"のうち、比較的マシな方の状況に該当する。

 そして、期せずしてだが、この試合の最後の攻撃機会ポゼッションを明芳が獲得したとも言える。

 この1回のオフェンスで、1ゴール決めれば勝てる。それ以外、考える必要もない。

 状況は、むしろシンプルになった。


(ただ、こっちが最後の攻撃をするって事は――)


 当初想定していた状況――明芳1点リードで、牧女の最後の攻撃を防ぐ計画。その攻守が逆になったのが、今の状況だ。

 つまり。


「当たって行け!」


 ベンチで岐土が声を張り上げ、牧女メンバーが一斉に向かって来る。

 オールコートのマンツーマンディフェンス!

 牧女の狙いは明確だ。残り12秒間、1点のリードを守るため、明芳の攻撃を少しでも遅延させる事。あわよくばボールを奪い、勝利を確実なものにする事。

 そうはさせない。

 一瞬でも早くこの守備を突破して、点を取る!


「茉莉花、走って!」


 味方をフロントコートへ急がせる。

 すぐに12番が瞳の目の前に立ちはだかる。行かせまいと、進路を塞いでくる。

 自分の実力では、この12番を抜く事は難しい――


「若森さん、運んで!」


 瞳は、ためらわずパスを出した。

 傍まで走って来てくれていた鈴奈が、ボールを受け取る。

 鈴奈のマークは10番。少なくとも、4番や12番ほど飛び抜けた守備力の持ち主ではない。

 鈴奈はボールを受け取って、フロントコートに向かって反転。半歩だけのフェイクステップを右、右、左と刻む。

 右に突破ドライブ

 股下ドリブルレッグスルーで左に切り返す!

 左を――抜いた!


(いける……!)


 ディフェンスを1枚抜き去り、数的有利アウトナンバーを得た。

 得点を狙うとしたら、今しかない。


「結城さん、カバー!」


 4番が声を張り上げる。

 瞳の目の前を塞いでいた12番が、鈴奈に向かっていく。

 瞳は、フロントコートへ直進した。

 センターラインを越え、オフェンス時の定位置である3Pライン沿いへ。

 残り――8秒!


「パスっ!」


 手を上げ、呼びかける。

 鈴奈は走ってきた勢いのままジャンプし、頭上から両手投げでパス!

 そのボールが、12番の伸ばしてきた指に当たった!

 パスコースが、逸れていく――


「――瞳ぃっ!」


 茉莉花が、コースの逸れたボールに向かって全身で跳び込んだ。

 マークに着いていた4番の横から、目一杯腕を伸ばし、指先でボールに触れる。

 それを、瞳の方へと弾く!


「頼むっ……!」


 身を丸めて、背中から床へと倒れ込む。

 ボールは、瞳の正面に飛んできた。

 3Pラインの内側に踏み込み、ちょうどフリースローラインの位置で瞳はボールを受け取った。

 親友の、捨て身のボール回収。

 繋いでくれたボール、決して無駄にはできない。

 残り――6秒!


「神崎さんっ!」

「時間ないわよ!」


 愛が、美裕が、得意とするインサイドで、ディフェンスを押し込んでポストの位置を取りながら呼びかける。

 視界の端では、12番が瞳に再び向かって来ようとしている。


「結城さん、ゴール下に行って!」


 背後からの4番の声。その意味を、瞳は一瞬だけ考えた。

 茉莉花はボール回収のために倒れ込んでいて、すぐには攻撃参加できない。

 愛も、美裕も、中距離以上のシュートは苦手だ。ポストアップしている事からも、確実なゴール下のシュートで2点を取ろうとしている。

 だから、牧女はゴール下の守りを固めたいのだろう。

 


(正解は、これ――!)


 瞳はボールを両手で掴んだ。

 そして、ジャンプシュートを自ら撃った。






 アイカと呼ばれていた、春日部レディバーズのGガード。彼女に言われた事を、瞳は大きな課題としてずっと考えていた。

 PGポイントガードは司令塔ポジションである。だからこそ、ある程度は自分でゴールを狙う必要があるというものだ。

 司令塔ポジションだからといってゴールをまったく狙わないのでは、実質的に4対5になってしまう。守る方は楽なものだ。

 むしろPGポイントガードが得点力を示す事で、ディフェンスの注意を引きつけ、味方が攻める隙を作り出し、結果としてより良いアシストができるようになる――という好循環が生まれる。交わした言葉は少なかったが、アイカが言いたかったのはそのような事だったのだと、瞳は理解している。

 その理解は、牧女戦を経てさらに強い確信になった。

 牧女の4番は圧倒的な実力の持ち主だ。パスさばきも上手い。そんな彼女を止めようとした事によって明芳のディフェンスに穴ができ、そこから何度失点したかわからない。

 アイカが言おうとしていたPGポイントガードの理想像とは、こういうものなのだ。

 だが、頭ではそう理解していても、瞳では運動能力がついて来ない。

 より優れたPGポイントガードになるためのこの課題を、どう超えればいいのか?

 考えた末に、瞳は発想を転換した。

 自分が点取り屋として急激に成長はできない。だから普段は今まで通り、仲間たちに点を取ってもらう。

 そうしていれば、ここぞという場面で、自分が軽視される時が来る。

 自分自身が、そういう場面での切り札となるのだ。






 瞳の投じたボールは、スウィッシュ音を奏でた。






「やっ……た!」


 瞳は、思わず歓喜の声を上げていた。

 作戦が成功した。

 仲間たちがディフェンスを引きつけてくれた状況、繋いでくれたボール。それらを結果に結びつける事ができた。

 何より、初めて試合でシュートを決める事ができた。

 得点板を見れば、56-55。

 勝利を決定づける最後の一本だった事もあるだろうけれど、自分のプレイでスコアが動くのが、こんなにも嬉しくて楽しい事だなんて!


「神崎さんが、決めた……」

「やったじゃんか、瞳ぃ!」


 愛が驚きのあまり呆けた様子を見せ、茉莉花は自分の事のように喜んで立ち上がる。

 そして、その横をボールが飛んで行った。


「――みんな、戻って!」


 試合時間は、あと3秒残っていた。






 最後にもう一度仕掛けてくる事を、鈴奈だけは確信していた。

 瞳ですら最後の1ゴールを決める事だけに集中していた状況の中、瞳へのパスを送ろうとした立場にいた鈴奈が、一番後方から状況を見ていた。

 牧女の4番は、ディフェンスに戻りきらなかった。

 明芳の攻撃が終わるより早く、既に明芳ゴールへと走っていた。

 瞳はシュートを撃った時、完全無防備ワイドオープンだった。そんなチャンスは一瞬ためらえば去ってしまうものだ。

 だから、瞳は残り6秒の時点でシュートを撃った。チャンスを逃せないから、撃たざるを得なかった。

 そのシュートが決まれば、必然的に、牧女の攻撃時間が3~4秒残る。

 その時間で4番は、最後のカウンター速攻を狙っていたのだ。

 12番に"ゴール下に行け"と――もし明芳のシュートが入ったら、即座にカウンター速攻のためのスローインをするよう意図した指示を与えて!


「素晴らしいわ、結城さん……!」


 センターラインを越えたところで、ロングスローインされたパスを4番が受け取る。

 スローインの完了をもって、時計が再び動き出す。

 4番はドリブルして明芳ゴールへ直進。

 速攻阻止セーフティに戻れているのは、鈴奈だけ。


「行かすかぁっ……!」


 鈴奈は全速力で、4番の前へと割り込んだ。

 あとたった3秒足らず。その間だけ攻撃を――防ぐとまではいかなくともいい。遅れさせるだけで、勝ちなのだ。

 4番が3Pラインの内側に踏み込んでくる。

 残り2秒。

 もはや2回のシュートチャンスはない。

 複雑な技をこねくり回している時間もないはずだ。

 一刻も早く勝利の安心感を得るため、ボールを奪い取りたい誘惑にもかられるが――


(ギャンブルは、しない!)


 亮介の教えを思い出す。

 イチかバチかでボールを奪いに行き、隙をさらしてしまっては本末転倒だ。

 最後の一瞬まで、堅実に粘り強く守る!

 彼の教えを体現したバスケットで勝つ。それがこの試合の目標なのだから!

 あと2秒稼げれば、それは達成できるのだから!


「ふっ……!」


 まるで重力から解き放たれたように軽快な踏み出しで、4番は右へ突破ドライブ

 だが――


(見切ってるっ!)


 鈴奈はその進路を塞ぐ!

 視線が完全に、右に行っていた。

 この4番も人間なのだ。残り2秒、外したら負け。そんな緊迫した局面で、考えている事が仕草に出ないわけがない。

 4番は接触寸前で、踏み止まった。

 わずかに、身を引く。

 残り1秒。

 ドリブルしているボールを庇うように、鈴奈に背を向けて――


(左!)


 後方反転ドリブル突破バックロールターン

 狙って来たのは、さきほどの逆側!

 鈴奈はその進路に踏み出し、進行を防ぐ!

 4番はゴールに正対し、残り時間は0.5秒――


(来る!)


 もう、即撃ちしかないはずだ。

 鈴奈は読み切って、ブロックに跳んだ。

 読み通り、4番はジャンプシュートの構えを取る。


(指に……当たれっ!)


 わずかでも当たってくれれば。狙いが逸れてくれれば、それで明芳の勝ちなのだ。

 祈るような気持ちで、鈴奈は渾身の力でジャンプし、ブロックに手を伸ばした。






 後方跳び退りジャンプシュートフェイドアウェイジャンパー

 ボールは鈴奈の手の上を越えて、まっすぐに明芳ゴールを射抜いた。






「56-57で、牧女みどりの勝利です。互いに、礼!」

「「「ありがとうございました!」」」


 試合終了のセレモニー、最後の挨拶。

 激闘を終えて、部員たちがベンチへ戻ってくる。


「っく、うぐ、えぐ……うぇ……」


 鈴奈は泣いていた。

 仲間たちに背中をそっと押されながら、ベンチまで歩いてきた。


「せんせ、っ、ごめん、あたし……! せんせーのために、勝ちたかった、のに、最後……!」

「若森さんはよくやったよ」


 穏やかな声音で、亮介は鈴奈に答えた。そっと、肩に手をやって。


「うん……鈴奈ちゃん頑張ったよ」

「最後、若森がいなかったら勝負にもなってなかったじゃんか。泣く事ないって」

「そうだよ、私の作戦ミスが原因だし……」

「でも……でもぉっ」


 仲間たちの慰めも、鈴奈のぐずる声を止めるには至らない。


「せんせーのために、勝ちたかった。あと、一歩だったのにっ……!」


 試合前にも、鈴奈は言っていた。

 今日の対戦相手は、亮介の恩師が率いるチーム。

 その相手に対して、亮介に育てられた自分たちが善戦する事で、亮介が一人前の教育者になった事を示すのだと。


「大丈夫だよ、若森さん」


 亮介は、笑って答えた。

 鈴奈の目的が、それだというのなら――


「斉上」


 岐土が、明芳ベンチまでやってきて、話しかけてきた。

 穏やかで、清々しい表情だった。まるで、子供の成長を喜ぶ親のような。


「いいチームを育てたな」


 鈴奈の泣き声が、止む。


「感服したよ。個々の技術といい、チームワークの良さといい、一年生チームとは思えなかったぞ」

「ありがとうございます、岐土先生」


 岐土は、握手を求めて手を差し出して来た。

 亮介はその手を、堅く握り返す。


「互角の勝負ができたのは、飛び入りの在原さんがいてくれたからですが」

「飛び入りの選手をしっかり組み込めていたじゃないか。チームが成熟していなければできない事だ」

「……でしょうかね。明芳ウチはチームワーク第一でやってきましたから」

「お前らしいと思ったよ。昔からワンマンは嫌いだったものな、お前は」


 対等な、ヘッドコーチとしての対話だった。


「今日は牧女ウチも、いろいろなものを学ばせてもらった。実りのある練習試合だったよ」

「そう言ってもらえると、来ていただいた甲斐がありました。改めて、ありがとうございました」

「県大会まで上がって来いよ、斉上。その時、公式戦でまた勝負しよう」

「ええ。是非!」


 握手していた手を離す。

 亮介は、鈴奈を顧みた。

 まだ涙は止まっていなかったが、溢れる涙を拭いて、笑っていた。


「せんせー……!」

「ちゃんと、見る人は見てるんだよ」


 試合には負けてしまった。けれど――

 明芳中女子バスケ部は、今日の試合の目的を達成していたのだ。






「あ、あのっ」


 汗を拭い、ストロータイプの水筒からスポーツドリンクを飲んでいた愛に、不意に声がかけられた。

 愛より頭ひとつぶん背の低い、緑のユニフォームの12番。

 結城叶だ。


「あの……今日は、ありがとうございました」


 ぺこりと、一礼。

 突然の事に愛は少々面食らったが、やがて、くすっと笑った。

 怪我の危険性を顧みずルーズボールに飛び込んだ際の、彼女を庇った事へのお礼だろう。礼儀正しいが、滑稽なほどの丁寧さに、微笑ましさを感じてしまう。


「気にしないで。お互い、怪我しない方がいいのは一緒でしょ?」

「で、でも、敵チームなのに……」

「敵……じゃないと思うな、私。同じスポーツが好きな、ライバル」


 愛が口にしたのは、素直な気持ちだった。

 瀬能中といい、御堂坂中といい――これまで対戦してきた相手チームは、競い合う関係ではあったけれど、憎いとか、ミスや怪我をしてほしいという気持ちはない。

 彼女たちの実力には敬意を抱いているし、また試合をする時は正々堂々と全力でぶつかりたい。

 そうして、お互い100%の力を出し合ったうえで勝ちたいのだ。

 その関係を、きっとライバルと呼ぶ。


「ぁ……」


 叶は一瞬、言葉を失った様子だった。

 そんな意識は今までなかったのかもしれない。試合開始前の、どこか嫌な雰囲気の牧女を思い出せば、それもうなずける。


「だから次やる時も、お互い怪我とかしないようにして……で、今度は私たちが勝つからねっ」

「は、はい!」

「"はい"なんだ……」


 反射的な返答だったのだろう。

 けれど、リベンジ宣言に対する"はい"が可笑しくて、愛はくすっと笑ってしまった。


「え、えへへ……」


 可笑しさを自覚したのか、顔をかすかに赤くして、叶も照れ笑った。

 試合開始前に感じた嫌な空気は、もう、なくなっていた。


「あ、えと、それで……その」


 おずおずと、叶は後ろ手に持っていたものを取り出した。

 スマホだった。飾り気がなく、ところどころ塗装が剥げていて、長いこと使われている様子の。


「……連絡先、交換しませんか?」


 言って、恥ずかしそうにスマホで口元を隠す。

 まったく――可愛らしいライバルだ。


「いいよ。私のスマホ持ってくるから、ちょっと待ってて」


 ライバルであるとともに、新しい友達だ。

 愛は微笑んで、彼女の申し出を受け入れた。






「ふう、惜しかったわねえー」


 スマホを取りに行く途中、愛は、美裕の声を聞いた。

 言葉とは裏腹に、悔しさよりも、バスケットに対する楽しさが感じられる口調だった。

 試合中もそうだった気がする。転校前の学校でもプレイしていたという彼女は、コートの上でバスケットができる事自体が、とても楽しそうだった。

 それでなくても、バッシュを持ち歩いているぐらいなのだから、バスケットに対する情熱は強いに違いない。


「なあ転校生、すげー上手かったじゃん。入部するんだろ?」

「そうねえ、このチームなら……うん、お願いしようかしら」

「よっしゃ! センセー、月曜は入部届用意しといてよ!」

「頼もしいメンバーが増えるわね。明芳ウチは中原さん以外リバウンダーがいなかったから、助かるわ」


 茉莉花も、瞳も、美裕の実力は既に認めている。

 彼女の能力が、ちょうど明芳に不足していたものだというのも、その通りだろう。

 その一方で――


「……」


 慈は無言で、ベンチに使われていたパイプ椅子を片付けていた。

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