#25 ラン&ガン
結城叶は、小学生の頃、イジメに逢っていた事があった。
そうなった原因はわからない。引っ込み思案で鈍臭い子だから、ターゲットとして偶然ちょうどよかったとか、その程度の事なのかもしれない。
体育のドッジボールで集中的に狙われるなどはまだ可愛いもので、日常的に足を踏まれたり、机の中にゴミを入れられたり、白線引きの粉をかけられたりもした。
身を守るために周囲の様子を伺ううち、人の仕草ひとつひとつに過敏にビクビクするようにもなってしまった。
そんな状況を抜け出すために必死で勉強して、私立の牧原女子中に進学したのだ。
牧原女子中は、いわゆるお嬢様校だ。小学生時代の乱暴なイジメっ子たちが進学してくるはずもなく、叶はようやく平和な日々を手に入れた。
自分一人だけ庶民の空気が出ていて、逆に目立ってしまったりはするけれど。
そんな時の事だった。
『ねえ、叶ちゃん。バスケット部のコーチ、元プロ選手なんだって!』
入学から間もなく友達になった稲川朋美が、元プロ選手という触れ込みにはしゃいでいた。それが、バスケ部へ入部したきっかけだった。
叶は運動があまり得意ではなかった。ただでさえバスケットにおいては弱点となりえる低身長。そのうえ、同期で入部した6人の中では脚も遅い方だ。ボールハンドリングもなかなか上手くならなかった。
6月に初めての練習試合に行った際、9人の部員の中でもっともレギュラーから遠い"12"の背番号を与えられた。それが自分の立ち位置だ。妥当だと思った。
それでも、短いながらも出場時間は与えられた。
鈍くて不器用で気も弱い自分だ。キャプテンの近衛を中心とするアップテンポなオフェンスには、ついて行ける気もしなかった。
だから、せめてディフェンスを懸命にやったのだ。
その結果――
――バシッ。
明芳の5番がボールを受け取る音が、叶の意識を試合に引き戻す。
叶がディフェンスに着いてから、5番は無得点だ。叶にとって初めての練習試合だった、あの日の相手と同じように。
あの日も、一度もゴールを決めさせなかった。
今日もそうする。
それこそが、オフェンスで貢献できない自分の役割なのだ。
腰を落として守備の基本姿勢を取り、ボールを構えた5番をよく見る。
視線――向かって左。
姿勢――やや前傾、右脚に体重がかかり気味。
5番が動き出す!
(左――!)
叶は左へサイドステップした。
5番は、叶の右を抜き去って行った。
「――えっ」
逆。
5番は右脚に体重をかけ、左脚で一歩目を踏み出して来たはずだった。それは通常、ディフェンダーから見て左側を抜いて行く際の足運びだ。
事実、視線もそちらを向いていた。
だが、明芳の5番が踏み出した先は、右。
抜きにかかる側の脚を一歩目として踏み出す
それなのに、抜かれてしまった。
ノーマークになった5番は即座にシュートを放ち、あっさりと決めてみせた。
「――っしゃ!」
5番は、およそ14分ぶりの得点に喜ぶ。
やってしまった。
第2ピリオド開始からこれまでの14分、この5番を無得点に抑えてきた。だが、それがとうとう破られてしまった。
それも――
「瞳の言った通りだよ」
5番は叶の方を振り返り、にやりと笑った。
もう叶のディフェンスを脅威と認識していない。そんな余裕が感じ取れる。
「アンタ、先読みでディフェンスしてるだろ」
勝ち誇った笑いを残して、バックコートへ戻っていく5番。
叶は答えられず、呆然としていた。
#25
岐土は、戦況を厳しい目で見ていた。
明芳中女子バスケ部は――綺麗なチームプレイをする、という印象。
8番のファウルトラブル、9番の飛び入りというアクシデントはあったものの、総じて見てみれば、中学チームにしては非常によく統率が取れている。
(……あいつの高校の頃を、思い出してしまうな)
岐土がかつて顧問をしていた、上赤坂高校の男子バスケ部。
当時、亮介はチームで不動のエースだった。岐土が保管している当時のスコアブックには、今も亮介の試合成績が残されている。
1試合平均23.6得点、4.5リバウンド、3.4アシスト。一般的な公立高校チームの主力選手の、2倍は仕事をしていたと言える数字だ。
それでありながら、『俺が俺が』というタイプではなかった。個人プレイで強引に点を取るよりも、チームメイトとお互いの長所を活用しあって、スマートに点を取る事を好む選手だった。
明芳中女子バスケ部の子たちは、その血を引いている感じがする。
(個々の能力は、まだまだ拙い部分も多いが……)
6番が明確に作戦指示を出し、7番の機動力や5番のシュートバリエーションといった武器を活用する、シンプルながら統制の取れた連携をしてくる。
4番の存在も大きい。リバウンドの強さは勿論、ポストプレイで自らゴールを狙い、あるいはパスを捌き、ディフェンスを揺さぶってくる攻守の要だ。
飛び入り参加だという9番が加わった事で、前半よりもさらにインサイドは強固になった。
(対して、
コート上では、近衛がフロントコートへボールを運んでいた。
ボールは国府津へ、そして結城へ。
結城はボールを渡されて、戸惑った様子でしかなかった。もともと"攻める"という行為自体が苦手そうな子だったから、仕方ない部分もあるが――
「叶ちゃん、
稲川がベンチから声を張り上げる。
24秒の攻撃時間制限が近づいていた。気づいた結城は、慌ててゴールに向かってパスを投げ込む。
明芳6番の頭越しの、山なりのパス。
そこにはちょうど近衛が、そしてマークに着いている明芳の7番が走り込んで来ていた。
ボールはギリギリ7番の指が届かず、近衛の手へ。
そのまま、レイアップ――!
「にゃろっ……!」
7番がブロックに跳んだ。
わずかにボールには届かない――が、シュートコースが一瞬遮られるだけでも、狙いは狂うものだ。
近衛の指を離れたボールは、リングの上を滑るように転がって、外れた。
4番が即座にゴール下に詰めて、リバウンドを取る。
「ナイスリバン、中原さん!」
「よーし、逆転するぞっ!」
明芳の士気は高い。単に流れが来ているというだけでなく、個々の強みが活かせているからこそ、各々の内側からモチベーションが湧いているようにも見える。
対して、牧女は――
「キャプテン、大丈夫ですの……?」
「大丈夫よ。ちょっと手元が狂っただけ。さ、ディフェンスよ」
「は、はい……」
――牧女は、近衛のチームだ。
近衛真紀子という、超中学生級のスーパーエースを主役としたチーム。彼女を中心にこのチームが回っている事は、間違いない。
指導者の岐土とて、わがままな"お嬢様"ばかりだったチームを今のレベルまで持って来れたのは、近衛が力で部員たちを仕切ってくれたからだ。
だからこそ、ワンマンチーム。
ボールを運ぶのも、パス回しの中心になるのも、コート上で指揮を執るのも、点を取るのも。すべて近衛の仕事だ。
「……
岐土は傍らのベンチに座った、選手兼マネージャーの
千草はスコアブックに目を落とし、すぐに答える。
「前半は8本中6ゴールして、フリースロー1本含めて15点。後半入ってからは4本中1ゴールで、2点です」
「そうか」
おおよそ予想通りの結果に、岐土は顔をしかめる。
コート上の近衛は額の汗を拭いながらディフェンスの配置に着く。余裕はあまりなさそうだ。
負担が大きすぎる。
明芳の7番のディフェンスがしつこく、消耗させられているという点もある。だがそれに加えて、
本来ならレギュラーの一人だった永崎は、脚の捻挫で欠場。
1年生の中では高い身体能力を持つ浅木は、頭を冷やさせるためにベンチに下げた。
結局、何もかも近衛がやるしかないという状況だ。
「中原さん、ハイポ!」
明芳のオフェンス。4番がハイポストでボールを受け取り、入れ替わるように5番がゴール下へ走り込む。
守備についている結城が、5番について行こうとするが――
「叶ちゃん、外!」
稲川が叫ぶ。
明芳の5番は、結城の背後を通ってゴール下へ走り込むと見せかけて、結城の視界の外で反転。即座に3Pラインまで戻っていた。
5番を見失って、一瞬、結城が困惑して立ち止まる。
その隙に、ハイポストの4番から、5番へパス!
5番は膝を深く沈めるフォームから、跳び上がり、3Pシュート!
ボールの軌道はわずかにゴールの中心を逸れたが、リングの内側に当たり、ネットをくぐっていく。
「逆転だぁっ!」
7番が跳び跳ねて喜びをあらわにする。
ディフェンスを欺いてシュートを決めた5番もさる事ながら、的確に
こなれた連携。
状況次第で、誰もが主役になれるチーム。
そのおかげで、個々の負荷が分散できていると言い換えてもいい。
「ナイシュっ、氷堂さん!」
「へへ。見たか、ナナさん直伝のIカット!」
明芳に追い風が吹いている空気。
得点板は――39-36。この試合、初めて明芳がリードを奪った事を示した。
近衛は、劣勢だという事を認めていた。
原因はいろいろある。自分が明芳の7番にしつこくディフェンスされている事、浅木がベンチに下がっている事、飛び入りしてきた明芳の9番が予想外に優秀だった事。
(でも、一番大きいのは……)
ちらりと、傍らを見る。
自分と共に
彼女はアウトサイドディフェンスのスペシャリストだ。6月から何度か行ってきた練習試合では、彼女がマークした選手はほとんど無得点に終わっている。
その彼女が、今は大きく動揺し、意気を失っている。
牧女がボールを保持している今、自信なさげな表情のまま攻撃にも加われず、センターラインの近くまで下がってしまっているほどだ。
(結城さんのディフェンスが破られるなんて……)
それは近衛にとっても、驚くべき事だった。
もともと、牧女は攻撃的なチームだ。機動力を活かしてガンガン攻め、点を取られたらそれ以上に取り返す。それが岐土が打ち出した方針だ。
そのチームスタイルを近衛も気に入っていた。他のチームメイトたちも同様だ。オフェンスの方が楽しいし、点を取るのは気持ちがいい。その精神が牧女というチームの軸だと言っていい。
だからこそ、守備に特価した結城は、"守らざるを得ない"という相手への切り札なのだ。
それが破られたという事は、相手のエースが止められないという事。
点の取り合いで牧女が不利だという事。
仮に近衛自身が明芳の5番と1on1勝負をするのなら、負ける気はしない。だが、チーム全体の攻撃力を比較すれば――
「さぁ、行かせないぞぉー」
――不敵に笑いながら、7番が近衛の目の前でディフェンスの姿勢を取る。
フットワークのいい
「おっと……!」
――6番!
オフェンスにほとんど参加していない結城を放置して、
機敏な動きではない。
それでも守備側の身幅が二人分あれば、抜きづらいのは自明の理。
「くっ」
突破口が見当たらない。
普段なら、近衛が点を取り、それによって相手の注目が近衛に集まり、結果としてチームメイトたちが攻める隙が生まれる。
だが、今は――
(リカ……!)
(浅木さん……!)
頭を冷やすため、ベンチ。
(キララちゃん……!)
捻挫で欠場。
得点力のある仲間が、誰もコートにいない。
近衛自身が、点を取りに行くしかない。
フリーの結城に、とりあえずパス。
6番が近衛の前を離れ、結城の方に向かって行った。妥当な動きだ。ボールを持っていない相手への
(これで、ディフェンスは1枚だけ……!)
結城は6番のディフェンスを前に戸惑っている。こちらがアクションを起こすなら、早くしなければ。
近衛はゴールへ向かって走り込む!
7番がついて来る。機敏な走りで、パスコースを塞ぎながら。
近衛は直角に曲がって、ゴールから遠ざかるようにディフェンスを振り切る!
と見せかけて、ゴール方向へ切り返す!
「っ!」
7番の切り返しが、一瞬遅れた。
チャンス!
ボールを保持している結城に向かって、近衛はパスを求めて手を上げる。
その手元に、ボールが既に飛んで来ていた。
「――!」
キャッチ。
ゴールは目前。受け取ったボールに手を添えれば、それはもうシュートの体勢だ。
シュート!
それは半ば、反射的な行動だった。ゴールが目の前にあり、ボールをシュートの姿勢で保持していたから。
明芳の4番が飛び出してきた事に反応する余地もなく――!
「たぁっ!」
ボールが叩き落される痛烈な音。
4番にブロックされたボールは、そのまま明芳に回収された。
9番、5番、7番とボールを繋いで、やすやすと速攻。
41-36。
第2ピリオドまでの優勢はどこに行ってしまったのか。今や、5点差で負けている。
結城が動揺したままの様子で、スローインのボールを拾おうとするが――
「メンバーチェンジ、
審判が告げた。その横には、10番の稲川が立っている。
稲川は結城のもとへ、小走りにやってきた。
「叶ちゃん、交代。えっと……お疲れさま」
「あ……うん……」
仲が良いはずの二人だったが、その様子も明るくはない。
結城の唯一にして最大の武器だったはずの、鉄壁のディフェンスが破られたのだ。気分良く交代とはいかない。
結城は、肩を落としてベンチへと戻っていった。
「……」
近衛は、背番号12をつけた小さな背中を見ていた。
彼女がベンチに腰を下ろすまで。
スコアは41-36のまま、第3ピリオドが終わった。
近衛はベンチに身を預けると、乱れた息を整える事に専念する。
いつもより疲労が重く感じる。
牧女ベンチの雰囲気も、暗い。
ただ負けそうだからというだけではない。チームがバラバラになっている雰囲気がある。
準主力の一人だった浅木は、イライラを募らせて空回り。
守備の切り札だった結城は、ディフェンスを破られて意気消沈。
蘇芳も稲川も、仲の良い友人の不調に、気落ちしている印象は隠せない。
ひとり自分だけが、気を吐いている状況。
「先生。何か、いい作戦はないでしょうか?」
重苦しい沈黙を破るように、国府津が岐土に問いかけた。
「今のままだと、マキの負担が大きすぎると思います。何とかしないと……」
「……うむ」
岐土はうなずくが、反応は鈍い。一発逆転の秘策があるというわけではなさそうだ。
そもそも結城をベンチに下げた事からして、作戦の失敗を意味している。エースである明芳の5番に結城をつけて、攻撃を停滞させるという作戦の。
結城のディフェンスは5番に破られ、さらには飛び入りの9番も優れた能力を示した。
明芳は、それらのメンバーが、決してワンマンプレイに走らず、チームとして一体となってプレイしている。
連携が、うまく回っている。
対して牧女は、どこまで行っても"戦術・近衛"だ。
ファイブアウト・モーションオフェンスによる全員参加型のオフェンス戦術を取り入れてはいる。だが、ボールを運ぶのも、パスの起点になるのも、一番多く点を取るのも近衛だ。近衛に注目が集まるからこそ、他の選手が攻めやすくなるという面も否定できない。
もともと近衛の負担は大きい。
だが、この試合では負担が特に顕著だ。それも、あの7番の粘り強いディフェンスと――
「――にしても、さすがだよ瞳。あの12番の弱点を見抜くなんてさ」
「ディフェンスは上手いけど、すばしっこいタイプには見えなかったから。多分、そうだろうなーって」
「ねえ、リードしてラスピリ入るのって初めてじゃない?」
「かも。うん、あと8分集中して行こ、みんな!」
――明芳ベンチから伝わってくる、チームがひとつになっている感覚。
汗を拭い、呼吸を整えながら、近衛は思う。
羨ましい。
自分は、このチームができた時からエースだった。
同級生の国府津も永崎も、エースとして自分を頼る。
下級生たちに至っては、半ば自分の取り巻きと化している子もいるほどだ。
自分には、対等な仲間がいない。
自分がチームを引っ張る側であり、チームメイトはみんな一歩後ろをついて来る存在だ。
きっとそれでは、明芳のようなチームにはなれない。
だから。
「先生」
岐土と国府津の話に、近衛は割り込んだ。
「私に、
――チームの全員の注目が集まった事は、周囲を見渡さなくてもわかる。
近衛は
ポジションチェンジをするという事は、近衛が司令塔の役割を降りるという事だ。
「ちょっ……何言ってんですか! チームを引っ張るのは近衛センパイしか……」
「それじゃダメなのよ」
食いついてきた浅木に対して、近衛は首を横に振った。
そして、岐土に視線を向け直す。
「私がエースで、キャプテンで、司令塔。これって、先生の思う理想のチームじゃないと思ってます」
「……ああ、そうだな」
岐土も、うなずく。
近衛は実力があった。それこそ、不真面目な上級生たちを一掃してしまうほどの。
そんな近衛をキャプテンに任命したのは岐土だ。近衛自身、その抜擢の意図を察していた。
わがままなお嬢様たちの寄せ集めを、チームとして短期でまとめ上げるために、力のある"ボス"が必要だったのだ。近衛はその役に適任だったに違いない。
だがそれは、典型的なワンマン体制でもある。
「――明芳のコーチは、先生の教え子だっていうじゃないですか」
明芳ベンチに目をやれば、依然として、優勢な状況を喜びあい、ポジティブな雰囲気が漂っている。
退場になってしまった8番は独りうつむいたままだが、彼女を気遣うメンバーも見られる。
そして間もなく始まる最終ピリオドに備えて、コーチの男性が気を引き締めるように呼びかけ、各自の役割を再確認させるような指示を与えている。
牧女と比べれば、チームとしての完成度の差は歴然だ。
一体となっている。
コーチまで含めた全員が、各々の役割を果たし、力を合わせている。
連携の上手さも、牧女よりはるかに上だ。
「先生は、本当はああいうチームを作りたかったんじゃないかなって」
「……」
肯定の沈黙。
ややあって、岐土は口を開く。
「……今のこのチームの戦い方は、個々の力を活かすだけのものだ」
走りによる速攻。有利な1on1の状況を作りやすいオフェンス戦術。
それは良くも悪くもシンプルで、そして個々の能力に依存する傾向が強い。
「統率の取れた連携で、1+1を3にも4にもするのが、本当のチームプレイというものだ……と私は考えている」
つまり近衛も、とても大きな"1"でしかないのだ。
近衛はかすかに笑い、そして言葉を続けた。
「――私、ラン&ガンっていう戦法を初めて聞いた時、すごくワクワクしたんです」
それは、岐土がこのチームの方針として提唱したもの。
隙あらば誰もが積極的にゴールを狙う、スピーディで攻撃的な戦術。
そして同時に、我慢知らずのわがままな子たちでも、比較的、納得感を得やすい戦術でもあった。
「やっぱりガンガン攻めるのは楽しいですし。それに……たぶん先生は、私たちのレベルに合わせて、わかりやすい戦法を取ってくれたんだろうなって思って。先生の優しさが、嬉しかったです」
「近衛……」
「でも、それじゃ明芳にはきっと勝てない。私たちも、レベルアップしないといけないんだと思います」
全員が自由であるからこそ、優れた選手に負担が集中する。
"いざとなったら近衛頼み"になる。
それでは、いつまで経ってもチームとして成熟しない。
「先生の教えてくれた、攻撃的なバスケットが好きだから……挑戦させてください。先生の思い描く、本当のラン&ガンに」
「……
岐土は、近衛に問いかけた。
「1+1を3にも4にもするには、個々の力を組み合わせられる
岐土の目に、戸惑いや動揺はない。
その語調に近衛は、授業を受けているような錯覚を覚えた。
岐土には答えがわかっていて、こちらの理解度を試すために聞いてきているような。
だから、近衛は確信した。自分の感じたものは、間違っていなかったのだと。
それは――
「結城さん」
唐突に名前を呼ばれた彼女は、顔を上げた。
唯一の得意技だったはずのディフェンスを破られ、ベンチの隅で小さくなっていた彼女は、驚きを隠せずに。
「結城さんに
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、近衛センパイ!」
浅木が身を乗り出して割り込んできた。
が、近衛は立ち上がり、腕で浅木を制止した。
そのまま、結城の正面へと静かに歩いていく。
結城の表情には、戸惑いと不安しかなかった。近衛が務めていたポジションの代役に、近衛自身から抜擢されるなど、想像もしていなかったに違いない。
ベンチに座ったまま、所在なさげに膝の上で手を重ねていた。
「あ、あの、近衛先輩。なんで……私なんかに?」
「"なんか"、なんて言っちゃいけないわ」
近衛は、ゆっくりと首を横に振った。
他のチームメイトと共にプレイした時には、なかったもの。さきほどの、たった一度だけだが――
「可能性を感じたのよ」
結城の手の上に、近衛は自らの手を重ねた。
「あなたの……パスに」
彼女のパスは、受け取りやすかった。
それだけの単純な事だった。だが、その受け取りやすさは群を抜いていた。
明芳7番の執拗なディフェンスを振り切った瞬間、パスを要求しようとした時には、既に手元にボールが届いていた。
ごく自然に、反射的にシュートを撃ってしまうほど、次の動作に移りやすかったのだ。
「あなたが、みんなの力を引き出してくれる。そんな気がしたの」
「……わ、私、そんな事できませんよ」
「私はそうは思わないわ。たぶん、先生も」
岐土を顧みる。
ためらい気味だが、うなずいていた。
「……
「サポートします、私が」
近衛は笑って言った。
きっとそれが、新たな一歩になるという確信とともに。
「あれ、
第4ピリオド開始直後、牧女の変化に逸早く気づいたのは、瞳だった。
メンバーは4番、5番、9番、10番、12番。
だが――
「12番がボール運んでる……」
「……ほんとだ」
瞳のつぶやきを聞いて、愛も変化に気づいた。
12番――結城叶と呼ばれていた子。茉莉花をしばらく無得点に抑えていたディフェンスと、ルーズボールへの必死の食らいつきが印象的だった子。
だが、オフェンスではほとんどボールを扱っていなかった子。
そんな印象の選手が、今、ボールを任されている。
緊張の面持ちで、ぎこちなくドリブルをついて……
「あっ」
ファンブル。ボールが足に当たって、転がっていく。
横を並走していた4番がボールを拾い、笑って12番に返球した。
「しっかり」
「は、はい」
受け取って、ドリブルを再開。
とてもスムーズとは言いがたい調子だ。
(……結城さんが
愛が抱いたのは、疑問。
あの気弱で内気そうな子に、そんな能力があるのだろうか。
瞳が普段しているような、声を張り上げての指示出しはしていない。
牧女の4番のように、ドリブルで軽快にディフェンスを抜き去るといった様子でもない。
「みんな、変に意識しないで。いつも通りによ」
4番の声を皮切りに、牧女のオフェンスが始まる。
対応する明芳は、オーソドックスなマンツーマンディフェンスだ。
5番がポストの位置に走り込んで来るが、愛はパスコースをしっかりと遮断した。ボールを貰えず、5番は逆サイドまで走り抜けていく。
入れ替わるように、4番が切り込んで来る――!
(来たっ!)
4番のディフェンスには鈴奈が着いている。だが、鈴奈をもってしても1on1で食い止めるのは難しい相手だ。
だから、いつでもカバーに入れるように愛は身構えた。
第3ピリオドでもそうだった。鈴奈のディフェンスによって4番の走り込めるコースが限定されていたからこそ、カバーに入った愛のブロックが成功した。
あの4番の攻撃は、仲間と協力すれば防げる。
だから愛は、4番を注視した。4番は鈴奈のディフェンスをかわすため、フェイントを交えて走り込み、外へ逃げる――ように見せかけて、ゴールへ向かう!
そこに、12番からのパス!
(今!)
愛はゴール下へ向かった。4番が撃って来るであろうシュートを止めるため。
低い軌道のパスには、鈴奈の手がわずかに届かない。4番は、ちょうど足元に手を伸ばした位置で捕球。
即、パス!
「!?」
ボールが愛の横を、ワンバウンドして通り過ぎていく。
振り返れば、
シュートされたボールは、高い軌道を描き――
綺麗にゴールへ吸い込まれていった。
(私、間違っていなかったわ)
たったのワンプレイにすぎなかったが、近衛は静かな興奮を覚えていた。
あの時感じた可能性は、錯覚ではなかったのだと確信した。
自分の
それも、ただボールを渡してくれたというだけじゃない。
ボールは低め、それもやや前方に送られてきた。キャッチしようとしてボールの方に目をやれば、自然と、逆サイドでフリーになっていた国府津へのパスコースが見えた。
パスが正解だと、瞬時に確信できた。
何の迷いもなく、仲間にボールを託す事ができた。
それは、今までの牧女のバスケとは、確かに何かが違っていた。
「結城さん」
バックコートへ戻りながら、近衛は話しかけた。
一瞬、びくっと身を震わせて結城が反応する。
まだ自分の仕事に自身が持てていない。そう顔に書いてあるようだった。
微笑ましい後輩だ。
きっと彼女には、自分を卑下するような事など何もないのに。
「ひとつ、確認させて。今のパス、私だけじゃなくてリカの事も見てた?」
「あ……えと……はい」
恐る恐るといった様子で、結城はうなずく。
「近衛先輩が走り込もうとしてて、でもディフェンスがカバーに入ろうとしてて……それで、国府津先輩が外にいたから」
しどろもどろで、拙い言葉。
だが、近衛が確信を得るには充分だった。
「それでいいわ、結城さん」
「え……?」
「その調子でパスを出して。あなたのパスで、このチームは変わるわ」
まだ、戸惑いの方が勝っている様子の結城。
近衛は笑いながら、ディフェンスに着いた。
(連携ができるっていうのが、どんな素敵な事か。明芳を見てれば一目瞭然よ)
6番をマークしていた近衛の斜め後ろに、人の気配。
スクリーンだ。
5番がスクリーンになって近衛の足を止め、そしてゴールへ向かって反転。6番と共にゴールへ向かう!
(ピック&ロールというやつね……!)
近衛は足を止められ、守備に出遅れた。実質、5番・6番に結城一人が対峙する2on1。
6番がそのまま抜きに来る――かのように見せて、5番へ視線を向けずにパス。
受け取った5番が、難なくシュートを決める。
43-38。再び、5点ビハインド。
得意のはずのディフェンスをまた破られて、結城はショックを隠せない様子だ。
仕方ない事だろう。結城のディフェンスは既に破られているし、今のワンプレイは近衛もディフェンスに充分に参加できなかった。
明芳の連携による強みだ。協力する事で、近衛という強力な"個"を上回る事もできるという。
これが、チームプレイというものだ。
少なくともその点において、明芳は、これまでの牧女を上回っていた。
「ご、ごめんなさい……」
「ドンマイ、叶ちゃん。こっちも一本決めよ!」
稲川が励ましながらスローイン。結城がボールを受け取り、未だたどたどしいドリブルでボールをフロントコートへ運ぶ。
近衛は、そこに並走した。
「結城さん、ディフェンス替わりましょ。私が5番に着くわ」
「え……?」
「あなたにはオフェンスをもっと頑張ってほしいもの。
任せろとばかりに、自信に満ちた笑みを向けて。そして近衛は
オフェンスをもっと頑張ってほしい――結城に言った言葉は、半分は詭弁だ。
不慣れなオフェンスのプレイ、それも司令塔役としてチームに連携をもたらすという大役を、ぶっつけ本番で与えられているのが今の結城だ。負担は軽くしてあげたい、その気持に偽りはない。
だが同時に、彼女のディフェンスが明芳の5番を止められなくなってきている事も事実だ。
(あの子の秘密を見破られた、って事よね)
近衛は小耳に挟んだ事がある。結城は小学校時代、イジメに逢っていた事があったと。
そのせいだろうか。彼女は人のちょっとした仕草にとても敏感で、やけに過剰反応するクセがある。
おかげで、いかにもいじめられっ子という雰囲気だった。初めて逢った時から、弱々しく頼りない印象の子という印象だった。
だが――
「
――明芳の6番が注意を促す声をあげるが、一手遅い。
ゴール裏から近衛が身を覗かせた瞬間、手元にボールが届く。
それは結城からのパス!
(これよ!)
いじめられっ子だった頃のクセなのだろう。結城叶という子は、他人が攻撃してこないか、いつも気を払っているのだ。
それは先を読む能力。
そして――攻撃を仕掛けようとする味方に絶妙のアシストを送る才能として、転用できる。
(受け取りやすいパス――)
今度のパスは、肩の高さに来た。それも、近衛がゴール裏から身を覗かせて、ゴールの方向へちょうど向き直った姿勢でキャッチできる位置に。
ディフェンスの反応は、一瞬遅れている。
常磐の身幅が、明芳メンバーの視線を遮ってくれていたおかげだ。明芳の4番も、さきほど国府津にアウトサイドシュートを決められた記憶からか、ゴール下に詰めていない。
明らかなチャンスだ。
(これが、あなたとの連携の形なのね?)
結城は内気で口下手だ。だが、言葉よりも雄弁なコミュニケーション手段を持っていた。
パスだ。
さきほどの、国府津へのアシストを促すようなパスもそうだった。あれは、近衛がシュートするよりも良い方法があると教えてくれる、彼女からの"待て"のメッセージだったのだ。
では、今は?
ディフェンスの反応は一瞬遅れ、目の前にはゴール。受け取ったボールの位置は、すぐにでもシュートできる高さ。
これは"行け"だ。
(そうよ、私は……)
近衛はゴールに向かって、一歩を踏み出した。
遅れながらも、明芳の
たとえボールを弾かれなくとも、長身の
だから近衛は、一歩目の足で床を強く蹴った。
(こんな風に連携できるチームメイトがほしかったのよ!)
レイアップの体勢で、ジャンプ。
さらにワンテンポ遅れて、体育着にゼッケン姿の9番がブロックしに来た。
(ブロックなんてさせないわ。私は――)
空中で体をひねり、体勢を反転。9番のブロックに背を向け、ボールを左手に持ち替える。
(あの子の"行け"に、応えてみせる!)
9番のブロックをかわして放たれたボールは、バックボードに当たって、リングの内側へ沈んでいった。
43-40!
「……よっし!」
我知らず、声をあげていた。
シュート1本、たかが2点だ。それでも、これまでにない高揚感のある1本だった。
後衛では、結城が戸惑った表情をしている。あれでよかったのだろうかと、自信なさげに。
だから近衛は、すぐに彼女のもとへ駆け寄った。
「結城さん、ナイスパスよ!」
「い、いいですか、あれで?」
「いいわ! あなたは最高よ!」
「ひゃっ!?」
思わず、肩を抱いてしまった。
それほどに、彼女のパスはセンセーショナルだった。
常磐と、それをマークする明芳9番の奥から、
ゴール下の守りに大きな力を発揮している明芳の4番。その注意が、ゴール下から少しだけ逸れている事を見逃さなかった。
それらの要素をパス1本で繋ぎ合わせて、"行け"と伝えてくれたのだ。
コートの上で、誰が何をしようとしているのか、全てを察知していたからこそのパス!
「さあ、1本止めるわよ! ディフェンス!」
「は、はいっ!」
近衛の喜びが伝わったかのように、結城もようやく力強く答えてくれた。
チームメイトたちも――
「叶ちゃん、ナイスアシストだったよ。自信持って行こ!」
「勝負どころよ、ディフェンス油断しないように。常磐さん、リバウンド押さえるわよ!」
「は、はい。頑張ります!」
協力の意思と、ポジティブな空気が漂っている。
思わず、微笑みがこぼれてしまう。
これは近衛が思い描いていた、"いいチーム"の姿そのものだ。
きっと、岐土の理想とするチーム像にも近づいている。
楽しい。
これがチームスポーツというものの面白みなのだ。
フィギュアスケートの銀盤の上では味わえなかった、チームでの協力と連携の楽しさ。
競技を通じて、仲間たちと通じ合う喜び。
これを求めていたのだ。
「リバン!」
明芳の9番が撃ったシュートが外れ、国府津がリバウンドを取った。
パスは国府津から結城へ。それを確認すると、近衛は先んじて速攻に走った。
結城からのパスを受け取りたい。
彼女のパスによってチームが変わっていく、その瞬間を実感したい!
まるで心の声が聞こえたかのように、近衛にパスが飛んできた。
(今度のパスは――)
ボールの飛んできた位置は、肩よりわずかに高い右側。
自然と、右に視線が誘導された。
その視界の端をかすめたもの。それで、意図は理解できた。
「行かせねーぞ……!」
「まりちゃん、ステップバック気をつけて!」
5番・7番が躍起になって近衛を止めに来る。
既に20点近くを一人で取っている近衛が、速攻で突っ込んで来たのだ。相手にしてみれば、止めに来るにきまっている。
近衛は――左に
ボールを右から左手に持ち替えてドリブルをつき、一歩を踏み出し、抜きにかかり、ゴールへ猛進し、しかしその手にはもうボールがない!
「えっ!?」
驚きの声をあげる7番。
近衛の斜め後ろで、ボールをキャッチする音。
(――"待て"ね!)
近衛は、投げたボールの行方を顧みた。
近衛の右後ろを追走してきた稲川が、3Pラインでシュートフォームを取っていた。
「ふっ……!」
3Pシュート!
すぱっ――と軽快な音を立てて、ネットが飛沫を上げるように翻る。
得点板に目をやれば、43-43。
「――同点よっ!」
感激の声をあげてしまった。
それほどに、ひとつひとつのプレイが嬉しい。
「ナイッシュ、稲川さん!」
「あ、ありがとうございます。近衛先輩こそ、ナイスパスでした!」
「ふふ、結城さんのリードのおかげよ」
事実だ。今までなら近衛が速攻で点を取っていたシチュエーションだっただろう。
だが1本のパスが、繋げてくれた。近衛の得点力にディフェンスの注意が集まっていた事と、
バックコートに視線をやれば、牧女の新たな司令塔は、照れた笑顔を浮かべていた。
その笑顔には、少しだけ自信が宿っている。
岐土が言っていた、1+1を3にも4にもするゲームメイカー。結城は間違いなく、その素養を持っていたのだ。
牧女は変わり始めている。
繋がり、ひとつになり始めている。
全ては、彼女を中心に。
「メンバーチェンジ、
――審判の選手交代コール。
常磐がベンチへ戻っていき、入れ替わりにコートに入ってくるのは……浅木。
仏頂面だった。
自分がベンチに下がっている間にチームが優勢になってしまったからか、それとも結城が活躍しているからか。
「……先生は、何て?」
近衛は、浅木に交代の意図を問いかけた。
憧れのはずの先輩に話しかけられても、浅木は不機嫌そうなままだった。
「……この機に、チームプレイを学んで来いだそーです」
「そう。ふふっ」
思わず笑ってしまった。
やはり岐土が目指していたのも、こういうチームなのだ。
「……あたし、まだちょっと納得いってないんですけど。カナエが
「結城さんのパスを受け取ってみなさい。そうすればわかるわよ」
浅木は、まだ納得のいっていない様子だった。
だが、相手の攻撃は待ってくれない。明芳がボールを運んで、攻めてくる。
ボールはハイポストに入った4番へ、そこから9番へ。
9番はワンドリブルしてゴールへ反転、その最中に浅木と接触、わずかに押し込むようにしながら、シュート――!
浅木はそこに、ぶつかるようにブロック!
――ピッ!
「ディフェンスファウル、
シュートされたボールがリングの外へ弾かれたのが、不幸中の幸いだった。
ぶつかられた格好になった9番は、よろめきながらもしっかりと立っている。
逆に、ぶつかりに行く形になったはずの浅木が弾き返され、倒れていた。
「くっそ……」
悔しさを隠そうともせず、浅木が立ち上がる。
相対している9番は、余裕の表情だ。未だ冷静になりきれていない様子の浅木に対して、不敵に笑ってさえいる。
「フリースロー、2ショット」
9番がフリースローラインに立ち、浅木たち
そんな中、近衛は結城の様子を見た。
じっと浅木の様子に注目していた。未だ冷静な目ではない彼女に。
「結城さん」
「? はい」
「まだムキになってるみたいね、浅木さんは」
「……そう、ですね」
彼女は、状況を正しく把握している。
なら、大丈夫だろう――心配の必要などない事を、近衛は確信した。
「1ショット」
話している間に、フリースローの1本目は外れていた。
2本目が放たれ、今度は綺麗にリングの内側をくぐった。
これで44-43。
「ふーっ、やっと入ってくれたわあ」
「よっし、ディフェンスディフェンス! リード維持して行こ!」
明芳メンバーが声をかけあいながら、バックコートへ戻っていく。
今度は、牧女のオフェンスだ。
ボールはまず結城に。そしてフロントコートへ進む。
そして、すぐさま浅木が動いた。
「へい、パスっ!」
3Pラインからローポストの位置に走り込み、ボールを貰おうと面を取る!
結城からのパスは出ない。
結果を見れば、その判断は正解だった。浅木はローポストの位置で面を取ろうとするも、9番に押し返されて、良い位置を取れずにいる。
結城はドリブルしてボールをキープしながら、コート全体にチラチラと視線を配って――
(手伝ってあげるとしましょうか)
キャプテンらしい事をしてあげたくなった。彼女のパスが、このチームに良い変化を与えてくれる確信があったから。
7番の背面を通って、近衛はゴールへ走り込む!
それに反応して、浅木はポストからの攻撃を諦め、逆サイドへ移動を始める。
ファイブアウト・モーションオフェンスの基本的な約束事だ。ゴール下での1on1勝負を仕掛けやすくするため、攻めきれなかった選手は速やかにアウトサイドへ掃けるのが定石。
切り込んで来たのが近衛だったから、浅木も素直に譲ったのだろう。
そして同時に――
「結城さんっ!」
彼女の方を向いて、手を挙げる。
パスを要求する仕草。
明芳7番、9番の注意が近衛に向く。
そして、結城がパスを出す。
浅木に。
「え」
ボールは、浅木の手に渡っていた。
アウトサイドへ走り去ろうとしていた彼女が、踏みとどまり、ゴールの方向へ一歩踏み出せば手が届く位置へのパス。
ゴールから遠ざかろうとする浅木を引き止めるかのようなパス。
「"行け"よ、浅木さん!」
浅木の驚いた表情が、引き締まる。
ジャンプ。そしてシュート!
9番は浅木に歩み寄ってブロックに跳んだが、遅い。ボールは、ブロックの上を悠々と越えていく。
そして、リングの内側に当たって、小さく跳ねて、内側へ落ちていった。
スコアは――44-45。
「……」
「ナイッシュ、浅木さん」
彼女の肩をぽんと叩いて、近衛はポジティブに告げる。
浅木は呆けた様子だった。だが肩を叩かれると、ようやく何が起こったのかを認識したようで。
「結城さんのパス、素敵でしょ?」
「……」
浅木は答えなかった。
言葉に詰まった様子の、真顔。
真顔のままバックコートへ、小走りに戻っていく。途中、結城の傍を通りながら。
結城は不安顔だ。いつも高圧的な浅木が、真顔で近づいてくる事に。
浅木は、結城に手を伸ばし――
「やるじゃん」
「ひゃっ」
頭を、なでつけた。
「あたし、まだあの9番にやり返し終わってないつもりだからさ。もーちょっと手伝ってよ」
「……うんっ」
浅木の目は真剣だった。敵に対しても、結城に対しても、侮りはなかった。
くすっと、近衛は微笑みを漏らす。
結城のパスは、予感通りに――いや、それ以上にこのチームを変えてくれた。
今、この5人が確かに繋がっている実感がある。
それは彼女がもたらしてくれた
「さあ、再逆転したわ。リードを守るわよ!」
後輩たちを統率するように、国府津が言う。
だが――
「違うでしょ、リカ」
その肩に手をやって、指摘する。
「リードを守るんじゃなくて。もっと攻めて、リードを広げて勝つのよ」
牧女のバスケは攻めのバスケ。
本当のラン&ガンは、これからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます