#19 エキシビジョン

 亮介の放ったフリースローは、綺麗な弧を描いて公園のゴールに吸い込まれていった。


「おーっ、凄い! 5連続成功が出ました!」


 周囲の人々からまばらな歓声が上がる中、ディープグリーンのブルゾンを着た、長身の若い男性がはやし立てる。

 ブルゾンに描かれているチーム名とロゴは、埼玉県を本拠地フランチャイズとする某プロバスケットチームのものだ。

 公園のバスケットゴールの支柱にも、同じチーム名とロゴが描かれた垂れ幕が下がっている。

 どうやらプロチームが宣伝の一環で行っている、地域のふれあいイベントのようだった。内容は、簡単に言えば一人5本のフリースロー大会だ。

 日曜である今日、外出していた亮介は偶然にこのイベントを目にした。

 そして参加し、5本すべて成功させたのだ。


「上手いですねえ。やっぱり経験者の方ですか?」

「ええ、ミニバスから高校まで。今は中学の部活で顧問をやっています」


 おおー、とディープグリーンの男性は感嘆を示した。

 彼はプロ選手か、もしくはプロチームの練習生だろうか。いずれにせよ、この場を盛り上げようとしているあたり、チームの営業に熱心なようだ。


「ミニバスからですか! なるほど、上手いわけですねえ。どうです、ウチのチームの入団試験トライアウト受けてみませんか?」

「はは、遠慮しておきますよ」


 群衆から苦笑が漏れる。

 口調からして、冗談で言った言葉だ。まさか本気で受け取るわけにもいかなかった。

 そもそも亮介は、高校の全国大会にも行き損ねて、くすぶっていた人間だと自分を認識している。プロに相応しい人間であるわけがない。

 それに何より、今は教え子たちを放り出せない。

 もしプロになれていたら――と夢想する事もなくはない。

 でも現実の自分は、明芳中女子バスケ部の顧問だ。それこそ、曲がりなりにもバスケットを続けてきたからこそ、辿り着いた場所だ。

 今は、これを大切にしなければならない。


「うーん残念! では5連続成功者を讃えて、賞品を――」


 ――すぱっ。


 ボールがリングの中央を射抜き、ネットを綺麗に通り抜けたスウィッシュ音。

 歓声が上がった。

 正確無比なシュートに対する賞賛の声だ。


「――おーっとぉ、4連続成功です! これは二人目の5連続成功となるか!?」


 ディープグリーンの男性が群衆へ向き直り、実況の声を張り上げた。

 ゴールを通過したボールは、地面で跳ね、

 まるで、ボールが自分の意思を持って、持ち主の元へ帰ろうとするかのように。

 亮介は知っている。綺麗なバックスピンのかかったシュートがリングに無接触ノータッチで決まると、ああなるのだ。


(上手い……)


 正確な狙いと、綺麗なシュートフォームから生み出される現象。シューターはかなりの練習を積んでいる人物に違いない。


「さあご注目ください、二人目のパーフェクトが出るかもしれませんよー!」


 ディープグリーンの男性が、フリースローラインを指す。

 フリースローライン上の人物は、が地面につかないよう裾を押さえて腰を落とし、バウンドしてきたボールを拾い上げた。

 女性だ。

 革のブーツにシンプルなロングスカート。袖にレース状の装飾が施されたフリルブラウス。その上にベージュのカーディガン。

 およそ165cmの長身を、上品な服装に包んだ姿。

 彼女は、亮介の視線に気づき――

 にこりと、微笑みかけた。






 #19 お手本ですか?エキシビジョン






「ねーねーみんな、せんせーって彼女いると思う?」


 鈴奈が唐突にそんな言葉を口にしたのは、平日の放課後、いつも通りの練習が始まる前だった。

 体育着に着替え終えた5人が、体育館への亮介の到着を待つ間、準備運動代わりに軽くシュート練習をしている間の事である。


「ずいぶん突然じゃない?」


 ゆっくりとボールをつきながら、瞳は苦笑する。

 その傍ら、慈はため息をついた。


「若森さん、あなたねぇ……なんで先生に対して、そう……」

「いーじゃん?」

「一般的にはあんまり良くないでしょ、そういうの」


 言いつつも、慈は両手撃ちでシュートを放つ。

 高くアーチを描いて、ボールはリングに綺麗に吸い込まれていく。


「ちぇー。めぐちゃんってば、お堅いっ」


 鈴奈はドリブルをついてゴールへと走り、一歩、二歩、そしてジャンプ。

 レイアップ!

 ふわりと投げ上げられたボールは、リングに乗り上げ、内側へ滑り落ちていく。


「ね、あいちゃん、どう思う?」


 ゴールを通り抜けてきたボールを回収し、振り返って鈴奈は問いかけた。

 愛も苦笑いだった。


「んー……っと。確か前、彼女いないって言ってたよ?」

「ほんと!?」

「言ってたの4月ごろだから、今どうかはわからないけど」

「えー? 多分いないでしょ、うん」

「あのなあ……」


 呆れたように言ったのは茉莉花。


「ダベってんのもいいけど、部活の間は練習に集中だろ、集中」


 言うや、茉莉花は右ゴール下から、ゴールめがけて右手で素早くボールを投じた。

 ボールはバックボードの低めの位置に当たり、ゴールをくぐる。

 落ちてきたボールを回収し、左ゴール下へステップ。今度は左手でボールを投げ、ボードに当ててリングに入れる。

 右ゴール下へステップ、ボード高めに当ててゴール。

 左ゴール下へステップ、ボード高めに当ててゴール。

 右ゴール下へステップ、ボード低めに当ててゴール。

 左ゴール下へステップ、ボード低めに当ててゴール。

 その繰り返し。


「茉莉花、最近それ毎日やってるね」

「ん」


 4種類のシュートを計10セットほど繰り返して、茉莉花は一連の動作を終えた。

 マイカンドリルと呼ばれる反復練習だ。さまざまな体勢や角度から近距離のシュートを決められるよう、指先の感覚を養う効果がある。

 亮介が言うには、御堂坂4番の得意技フィンガーロールシュートを身につけるために効果的な練習だと言う。


「冬に備えてさ、一日でも早く上手くなんないといけないし」


 じっとりと汗のにじんだ体育着の袖で、額を拭う。

 まだ練習開始前だが、茉莉花のやっている事は既にウォーミングアップを通り越して、自主練習だ。


「……そうよね。新人戦の二の舞は私も嫌だわ」


 慈が顔をしかめた。

 愛も、その気持ちは同じだ。秋の大会で痛感した、自分たちに欠けた部分を補わなくてはならない。

 フリースローラインに立ち、シュートフォームを取る。

 思い出すのは、御堂坂中の5番。パワーでも体格でも愛を上回り、そのうえフリースローも上手い、恐るべき相手だったCセンター

 その姿を思い出しながら、投擲。

 ボールはゴールへと向かって行き――


「よーし、みんな、集合ー!」


 がんっ――とボールがリングに弾かれたのと、亮介がやって来たのは、ほぼ同時だった。

 一朝一夕で、思うようにはいかない。愛は急ぎボールを回収すると、小走りに亮介の元へと向かった。

 他の4人も各々ボールを手に、亮介の元へと走り寄る。秋大会の悔いを晴らすための意欲を、表情に出して。

 特に茉莉花の目は、ギラついていると表現してもいいほど意欲に満ちている。すぐにでも新たな技術を教えてほしいとばかりに。

 だが亮介の発した言葉は、練習内容の事ではなかった。


「えー、練習の前に、みんなに連絡。今週の週末は土曜休み、日曜練習にします」


 珍しい事だった。

 亮介は普段、週末の部活動はなるべく土曜に日程を組む。日曜日は、休息と宿題の時間とするためだ。

 そうしないという事は。


「何か、いつもと違う事するんですか?」


 愛の問いかけに、亮介はうなずく。心なしか、機嫌良さそうだった。


「実は、アマチュア社会人サークルの人たちが合同練習をしてくれる事になったんだ」

「社会人サークル?」

「うん。中学・高校とバスケ部の経験がある人たちのチームだ。僕以外の人と一緒にやる事で学べるものも多いだろう。いい機会だし、みんな日曜は休まないように!」






 愛は、バスケ部経験者の集まる社会人サークルと聞いて、亮介の友人だろうと想像していた。

 スポーツショップの店長をしていた桐崎のように、亮介の学生時代のチームメイトだった人物もそこには含まれるのだろう。

 つまり、恐らくは成人男性のチーム。

 それもバスケット経験者のチームだと言うのだから、かなり体格のいい集団に違いない。

 怖そうな人がいないといいな――というのが、当日まで愛が抱いていた気持ちだった。


 だから、いつもの体育館に若い女性の集団がやって来た時は、控えめに言って驚いた。


「あ、久我くがさん、今日はわざわざありがとうございます!」

「おはようございます、斉上さん。今日は宜しくお願いしますね」


 彼女たちの先頭に立っていた女性は、上品に笑って答えた。

 身長およそ165cm。セミロングの髪に切れ長の目。つばの広いレディース用の帽子を被り、サッシュベルトのついたシックな紺色のワンピースの上にショートカーディガンを重ね着している。

 バスケットよりも、むしろ豪邸の庭のコートでテニスをしている方が似合いそうな風貌だ。


「すみませんが更衣室は無いんで、着替えは女子バスケット部の部室を使ってください。部室棟にご案内しますので」

「ええ、ありがとうございます。――みんな、行きましょう」


 亮介に向かって一礼する姿も、堂に入った優雅さだ。

 部室棟へ向かって振り返ると、柔らかな髪がふわりとなびく。


「じゃあ、僕は皆さんを部室棟に案内してくるから。みんなはウォーミングアップをしとくように」


 部員たちに口早に言って、亮介もまたバッシュから外履きに履き替え、部室棟へ向かった。

 体育館には、愛たち5人だけが残されて、


「……誰?」


 ぽつりと、鈴奈がつぶやいた。






 社会人サークルのチームだという彼女たちは、15分ほどで体育館へと戻って来た。

 一人一人異なったトレーニングウェアを着用し、足元にはバッシュを履いている。それが、計7人。


「へえ、バリスティックフォース1ですか!」


 亮介の声が高揚を帯びる。視線は、久我と名乗った、代表者らしき女性のバッシュに向いていた。

 白と青を基調としながらも、赤と黄色を部分的に配色したシャープなトリコロールカラー。靴紐の上から足首を固定するベルトが備えられる事もあいまって、どこか近未来的な印象のバッシュだ。


「ジョン・ストックトンをリスペクトですか?」

「そういうわけではないのですけど、以前、仕事でユタ州に滞在していた事があったので。その時の気分の盛り上がりで、ですね。ふふっ」

「ああ、なるほど。大企業で働いてるって事でしたものね。海外滞在ですか、凄いなぁ」

「いえ、普通の会社員ですよ。斉上さんこそ、どこか贔屓にしている球団が?」

「僕はサンアントニオ・スパーズですね。セットプレイの緻密さといい、選手を長期的に育てる事といい――」


 ディープな話が始まってしまった。

 だが久我と呼ばれた女性は、亮介のディープさにもついて行っている様子だ。気品の感じられる笑顔のまま、亮介と対等に会話していた。


「……せんせー、練習はじめよ?」


 鈴奈は真顔だった。

 おっと、と亮介は雑談を打ち切る。そして久我と呼ばれた女性とともに部員たちに向き合った。


「えー、それじゃあ今日の練習を始めよう。前もって言っておいた通り、今日は社会人サークルチームの人たちとの合同練習だ。この機会にいろいろ学ばせてもらうように! ――久我さん」

「明芳中女子バスケ部のみなさん、はじめまして。"春日部かすかべレディバーズ"の久我くが絵理香えりかと言います」


 凛とした、しかし所のない、よく通る声だった。


「斉上先生から合同練習のお誘いを受けて、今日一日ご一緒させていただく事になりました。お互い、普段の練習とは違うものを得られる一日にしましょう。宜しくお願いします」


 丁寧な言葉だった。額面通りに受け取れば、社交辞令かと思えるような。

 しかし、義理や形式で言っているようには聞こえない。どこか心に響く言葉だった。今日は貴重なチャンスなのだという気持ちが、心の奥から湧き上がって来るような。

 もし平坦な声音で言ったのなら、ここまで心を動かす事はなかっただろう。

 声音ひとつで、これほどに説得力が違う。愛にとって、それは驚きだった。


「……先生、ああいう人が好きなのかなあ」


 愛の隣で、ぼそっと鈴奈がつぶやいた。






 明芳中女子バスケ部のメンバーに比べて、春日部レディバーズは技術と経験の面で大いに勝っていた。

 両チームのメンバーを混成にして3on3のミニゲームをすると、すぐにもその差は浮き彫りになった。


「へいっ、アキ、こっち! パスパース!」


 レディバーズのSFスモールフォワードが声高にボールを要求する。

 マークに着いているのは茉莉花だ。

 茉莉花は、レディバーズのSFスモールフォワードのすぐ傍から、一歩分だけゴールに近い位置で身構える。

 一歩踏み出せばパスカットできる位置で、マーク対象とボール保持者を同時に視界に入れて状況を把握し続ける。アウトサイドでボールを貰おうとする選手に対する、ごく基本的なディフェンス方法だ。


(来るか……)


 マーク対象とボール、両方に目を光らせながら油断なく茉莉花は身構える。

 その視界の隅で、レディバーズのSFスモールフォワードがゴールへ向かって走り出した!


(来た!)


 茉莉花は体を反転させた。パスを通すまいと、ボールから注目を外さないまま、ゴールへ猛進したSFスモールフォワードを再び視界に収めようとする。

 だが、


「!?」


 一瞬、混乱。

 ゴールへ猛然と走り込んだはずの彼女の姿は、そこにはない。


 ――ばしっ。


 ボールをキャッチする音。

 茉莉花は音のした方向へと振り向く。そこは、レディバーズのSFスモールフォワード場所だ。


「ふっ……!」


 ジャンプシュート!

 軽快な音を立てて、ボールはゴールを綺麗に射抜いた。


「……」


 茉莉花は、呆けたようにその光景を見ている事しかできずにいた。

 インサイドに走り込んだ相手が、インサイドにいなかった。

 まるで瞬間移動だった。


「はっはー。茉莉花ちゃんビックリしたでしょ、あたしの消えるフェイント」

「い、今のってどうやって?」

「んー? そうねぇ、あれは忍者の里に特訓に行って身につけたやつでね」

「に、忍者……?」


 当惑する茉莉花。

 ふう――と嘆息したのは、さきほどパスを出したレディバーズのPGポイントガード。アキと呼ばれた小柄な女性だ。


「ナナ、馬鹿な事を子供に教えるんじゃありません。ただのIカットでしょ」

「あっはっは、ごめんごめん。いやー、中学の子と一緒にやる機会なんかなかなかないでしょ? 若いピュアな子たちと一緒だと、何かこっちの感性も若くなるって言うかさー」

「からかうんじゃありません。真面目に教えてあげて」

「厳しいねー」


 肩をすくめて苦笑い。

 そうして、ナナと呼ばれたSFスモールフォワードは茉莉花に向き直った。

 茉莉花も、気を取り直して訊く姿勢を取る。


「えっと、さっきのってどういう風に?」

「んーとね、別に難しい事はしてないのよ。まっすぐゴールに向かって走り出した後、すぐ元の位置に戻ってるだけ」

「……それだけ?」

「それだけ。試しに、ちょっとゆっくりやってみよっか?」


 ナナの提案にうなずき、茉莉花は再びディフェンスの位置につく。

 ナナは茉莉花にマークされた状態から、ゴールに向かって走り出した。

 茉莉花はさきほど同様、反転し――


「――あ!」


 気づいた。その場で後ろを振り向く。

 ナナは、Uしていた。

 走り出す前の場所に戻ると、ボールを受け取ってシュートを撃つ真似をする。


「――とまあ、こういう事。ディフェンスの視界の外で、予想と違う動きをしてやるわけ」

「へー……なるほどなあ」


 茉莉花は純粋に感心の声を漏らした。

 それは、今までの自分には思いつきもしなかった技だった。


「ディフェンスを振り切るのって、スクリーン使うか、思いっきり走るもんだと思ってたけど」

「試合中に毎度毎度それは無理よ。スクリーンは相手がひっかかるとは限らないし、ずっとガチ走りしてたらバテちゃうわ。

 ディフェンスの視界の外で、要領よく動くのよ。そしたら楽してチャンスが作れるってわけ」

「楽して、かぁ」

「大事な事よ? 一試合スタミナもたせるためにはね」


 よーし、と茉莉花は表情を引き締めた。


「それじゃ、あたしもやってみる! ディフェンスお願いします!」

「オッケー、いいわよ。あたしのディフェンス振り切ってみなさい!」






「ええと、神崎さんだったかしら。ちょっといい?」


 何本目かの3on3を終えた瞳に話しかけてきたのは、汗止めのヘアバンドが特徴的な女性だった。

 身長は148cmの瞳より一回り高い程度。体格的にはGガードサイズだ。レディバーズのメンバーの間では、アイカと呼ばれていた。


「はい、何ですか?」


 瞳は額の汗を拭い、アイカを見上げるようにして答える。

 アイカは少し言葉を選ぶように考えて、


「神崎さん、全然シュート撃たないけど、何か理由があるの?」

「え? あ、はい」


 投げかけられた疑問に、瞳は少しだけ驚きを見せた。が、すぐに答える。

 アイカの指摘内容は、瞳自身も自覚している事だ。なぜそうしているのかも、答えがとっくに出ている事だ。


「私、あんまり運動できないんで。他のみんなにシュートしてもらった方がいいですから」


 それらはすべて事実だ。

 瞳は他のメンバーたちと比べ、体格でも運動能力でも劣る。唯一優れているのは、パスセンスだ。

 作戦能力と視野の広さによる、有効なパスを出す能力。それが瞳の武器であり、バスケットを面白いと感じるきっかけになった部分でもある。

 だが、アイカは柔和な表情ながらも、眉をひそめた。


「うーん、私は賛成できないかな、その考え」

「……どうしてです?」

PGポイントガードの役割上、ね」

「……?」


 瞳は怪訝な顔をする。

 PGポイントガードの役割とは、司令塔だ。戦況をコントロールし、的確なパスで仲間の力を引き出すのが仕事だ。

 もちろん点も取れるに越したことはないが、それは最優先の能力ではないはずだ。


PGポイントガードって、点取り屋ポジションじゃないですよね?」

「まあ、そうなんだけど。うーん、そうね、一本やってみるとわかりやすいかしら」


 話していると、ちょうど瞳がオフェンス側を務める番が回ってきた。

 ボールを受け取る瞳に正対して、アイカがディフェンスの配置につく。やや下がり気味の位置取りだ。シュートをあまり警戒していない体勢だとも言える。


(私にシュートはない、と……)


 読まれている。

 だとしても、やる事は変わらない。

 視界の隅では、慈がアウトサイドでパスを待っている。

 そちらに、パス!

 ボールは慈に渡る。

 正面の相手が慈に立ちはだかる。

 そして、アイカも慈に着く!


「なっ!?」


 唐突な二人がかりダブルチーム

 正面と側面を塞がれた慈は、コートの端に追い詰められて、進退窮まる。

 パスを出した瞳からしても、予想外の事態だ。


「戻して!」


 瞳は慌てて、ボールを貰いに行った。

 二人がかりの守備に追い詰められた慈からは、よろけるような体勢でのパス。

 ボールはワンバウンドして、瞳の手元に戻ってきた。

 ボールに遅れる事およそ1秒少々、アイカもまた、瞳の正面へ走り戻って来る。


(この人……)


 柔和な表情のままディフェンスに着いてくるアイカだが、その内面は狡猾だ。

 ボールが瞳の手元に届いてから、アイカが瞳に対するディフェンスへと戻って来るまでのタイムラグは、1秒あまり。

 ボールを受け取ったらすぐシュートするつもりだったなら、充分ノーマークで撃てたのだ。

 "撃ってみろ"と言いたいのだ。


(そう言いたいのかもしれないけど!)


 瞳はパスが好きだ。仲間と力を合わせている事を実感しやすく、それこそが仲間と自分を結びつけてくれた記憶があるから。

 自分がお膳立てをして仲間を活躍させるという図式も好みだ。自分は"王様よりも大臣"というタイプだと自覚しているから。

 何より、瞳はシュートが苦手だ。

 148cmの身長しかない自分が、305cmもの高さのゴールにボールを届ける事自体、困難な事だと感じる。事実、もっとも基本的なシュートと言われるレイアップでさえ、瞳は未だに3回に1回は外すのだ。


(やっぱり、パスを――)


 逆サイドに視線を向ける。愛が、レディバーズのCセンターを相手にローポストの位置を取っていた。

 そこにパスを入れれば、


(……また、二人がかりダブルチームで来る?)


 いかに愛でも、二人のディフェンスを押しのけてシュートを決めるのは簡単ではないはずだ。

 なら、アイカはそうしてくるだろう。

 どうすれば失点を防げるのかと考えれば、自然とその結論に行き着く。

 得点力のない相手など、放っておいても害はないのだから。


(――これ、実質的に2対3なんじゃ)


 そう思った瞬間、手の中から重みが消えた。


「!?」


 我に返る。

 ボールをスティールされたのだと気づいたのは、その一瞬後だった。


「あ……」

「ふふ」


 呆然とする瞳に対して、あくまでも柔和な笑顔のアイカ。だがその手の中には、たった今奪ったばかりのボールがある。


「さ、今度はこっちのオフェンス行くわよ!」


 チームメイトに声をかけて、オフェンスを開始するアイカ。

 ドリブルで切り込んでディフェンスを揺さぶり、味方にパス。3Pラインまで戻ってリターンパスを受け取り、ディフェンスが追いついて来るよりも早くその場でシュート。

 シュートは外れた。だが、オフェンス側がリバウンドを取って、そのまま再びシュートしてゴールを決める。

 一連の動きはごく自然な、何でもないようなプレイ。

 だが、瞳の目には。


(……ディフェンスが、アイカさんにおびき出された?)


 ゴール下のディフェンスは、スカスカだった。少なくとも、瞳がボールを持っていた時より遥かに。

 何でもないようなプレイが、今までとは違って見えた。






 すぱっ――!

 軽快な音を立てて、3Pシュートがゴールの中央を射抜く。


「ナイシュー、サナ!」

「えへへ」


 コーナーから3Pシュートを決めた彼女は、はにかみ笑う。

 童顔で、どこかふわっとした雰囲気の女性だ。およそ、スポーツウーマンという印象ではない。

 しかし、ロングシュートの精度は抜群だ。彼女のシュートがスウィッシュ音を奏でたのは、既に何度にも渡っている。


「……上手いですね、3P」


 躊躇いがちに、慈が話しかけた。

 サナと呼ばれた彼女は、振り向き、微笑み顔のまま小首をかしげた。


「そう?」

「そうですよ。だって、さっきから何本決めたと……」

「んー、わかんないや。数えてないし」


 困り半分、はにかみ笑い。


「ごめんね?」

「は、はあ……」


 慈は鼻白んだ。

 彼女はレディバーズの3Pシューターということで間違いなさそうだが、点取り屋のイメージからはかけ離れた、ゆるい雰囲気の持ち主だ。

 とはいえ、彼女が優秀なシューターである事は疑いの余地もない。


「あの、ロングシュートのコツを教えてもらえませんか?」


 意を決して、慈は聞いてみた。

 サナは口元に指を当て、んー、と考える仕草を見せる。


「コツかあ」


 即答は帰って来なかった。どうにも会話のテンポが合わない。

 あるいは、都合のいいコツなどなく、ただ反復練習を繰り返すしかないのかもしれない。

 そうであるならば――先日、完全休養日を返上してロングシュートを練習していた慈だが、劇的な効果は体感できなかった。まだ努力が足りないという事なのだろうか。


「あ、それあたしも知りたい!」


 慈とサナの話に、横入りしてきたのは茉莉花だった。

 茉莉花は3on3をしていたのと逆側のゴールの方を向くと、3Pライン際に立つ。そして、手持ちのボールで片手撃ちジャンプシュートワンハンドジャンパーの構えを取る。


「あたし、こないだの大会で3P撃ってみたんだけど――」


 ジャンプし、シュート。

 ボールはゴールに向かって低い山なりを描いて飛び――リングの手前で失速、床に落ちた。


「……こんな感じで。届かなくて」

「あー、腕の力で投げちゃってるね」


 茉莉花の傍まで来ると、お手本とばかりに、サナはゴールに向かってシュートフォームを取った。

 慈と茉莉花が注目する中、サナはぐっと膝を落とし、跳び上がり、腕を伸ばし、両手でシュート。

 ボールは高いアーチを描いて、リングの内側へ落ちていく。

 すぱっ、と音を立ててボールがネットを通り抜けた。


「……こんな感じ?」


 自分で教えておいてなぜ疑問形なのか。

 そもそも慈の目には、サナのシュートモーションは自分のものと大差があるように見えなかった。自分と同じようにシュートし、ただ結果として入ったかどうかだけが異なっているように見えた。

 だが、茉莉花は。


「膝?」

「うん、膝」


 茉莉花の言葉を、サナは直ちに肯定する。


「そっか、なるほど……」


 茉莉花は納得した様子でボールを拾って来ると、再びシュートフォームを取った。

 意図的に深く膝を落とし、脚のを使って全身を持ち上げる。

 いつもの茉莉花のシュート動作より、明らかに遅い。しかし、

 その手から放たれたボールは、さきほどまでより勢い良く飛び、リングの端をかすめた。


「届いた……!」

「ん、惜しい惜しい」


 サナはボールを回収し、にっこりと笑う。


「膝の使い方はあってる感じ。あとは、ジャンプからシュートまでのリズムかな」

「リズム?」

「うん、リズム」


 サナは自分を左手で指さすと、膝を曲げてから伸ばし、そして右手を伸ばして手首をスナップ。その一連の動作をしながら、膝から右手の先までを一定の速度でなぞった。

 その仕草を見て、慈も理論で理解した。


「ジャンプした時の勢いを、ボールまで伝えるって事ですか?」

「そうそう、そんな感じ」


 うんうんとサナは頷く。

 どうも彼女はフィーリング重視派のようだ。直感的であるという点は、慈より茉莉花に近いのかもしれない。

 だが、彼女のノウハウを理屈で理解できたのなら。


(私にも、同じようなシュートが撃てるはず……)


 慈はゴールを見据え、シュートフォームを取った。

 茉莉花と違い、少なくともゴールにボールを届かせる事はこれまでもできていた。シューターから学んだノウハウがあれば、さらに良いシュートが撃てるようになるはずだ。

 膝を落としてを作り、ジャンプ。タイミングを合わせて腕を伸ばし、リリース。

 ボールは、今までよりも鋭く飛んでいった気がした。






「ロングシュート、あなたは教わらなくていいんですか?」


 慈と茉莉花を遠巻きに見ていた鈴奈に対して、声がかかる。

 振り向けば、声の主は身長165cmほどのすらりとした長身。久我絵理香と名乗った、あの女性だった。


「あなたもGガードでしょう?」

「……ん、あたしはいいです」


 3on3が行われているコートに残った鈴奈は、ボールを受け取る。

 正面に立った絵理香が、ディフェンスの姿勢を取った。


「あたし、スラッシャーですから」


 それは亮介が見出してくれた、鈴奈ならではのスタイルだ。

 ドリブルでディフェンスを切り崩す事こそが、亮介が与えてくれた、鈴奈の役割だ。

 その役割をこれまで忠実に実践してきたし、それが最大の武器だと自負している。

 その武器を、否定させはしない。

 相手が、亮介とどんな関係だか知らないけれど――!


「ふふ」


 絵理香は笑った。

 どんな意図で笑ったのかはわからないし、どうでもいい。

 真っ向勝負!

 右から、抜く――

 その進路上に、立ち塞がられた。


「っ!」


 立ち止まる。

 一歩後退。

 左へ。

 と見せかけて、再び右を狙う!

 絵理香はフェイントに釣られた。わずかに遅れて、右への反応。

 右へ、体勢が流れる。


(ここだっ!)


 股下ドリブルレッグスルー

 右を塞ごうとする絵理香の逆を突いた。

 左を抜く!

 抜いた!

 視界の右端に映る絵理香を尻目に、そのままゴールへ。レイアップ――!

 しかし、手の中にボールがなかった。


「!?」


 振り返る。

 ボールは、鈴奈の左側にあった。より正確に言えば、鈴奈の左側にいたナナの手の中に。

 すれ違いざまにスティールされていた。


「あ……」

「周りが見えてないねー。はっはっは」


 奪ったボールを手の中で弄びながら、ナナは笑う。

 周りが見えていなかったのは事実だろう。けど、それも仕方ない。

 何せ、相手が相手なのだから。


「いいクイックネスをしていますね。驚きましたよ」


 その相手にこう言われても、褒められている気はあまりしなかった。

 フェイントにかかった事すら、"左は抜かれても大丈夫"と判断していたのではないかと思えてくる。


「けど、もう少し強くドリブルをついた方がいいですね。その方が細かい切り返しができますから」


 その上、このアドバイス。

 亮介が開花させてくれた得意技に対して、上から目線の言いようだ。

 ……いや、自分よりも格上なのは間違いないのだろうけれど。


「……むー」


 鈴奈は絵理香を見上げた。

 膨れっ面になってしまう感覚は、自覚していた。


「?」


 絵理香は、穏やかな表情の中に困惑を見せた。






 3on3と個別練習が一区切りつき、休憩を挟んで5対5の模擬試合が始まった。

 明芳はいつも通りの5人。レディバーズは控えメンバーを中心とした編成だ。

 中心選手であるらしい絵理香は、コートの脇で亮介とともに、観戦する側に回っていた。


「久我さん、どうですか? 明芳ウチのみんなは」


 試合の様子を眺めながら、亮介は問いかけた。

 コートの中では、レディバーズの攻撃に対して、明芳の5人が声をかけ合ってディフェンスしている。


「そうですね……」


 絵理香は試合に目を光らせながら、答える。

 コートでは愛がリバウンドを取って、明芳の反撃。真っ先にフロントコートへ走った鈴奈にパスが通るが、素早く速攻阻止セーフティに戻ったアキに止められる。

 ボールがいったん瞳に戻る。愛がリバウンドにも入れる位置に到着するのを待って、慈のスクリーンからピック&ロール!


「個々のポテンシャルは低くないと感じますね」


 慈のシュートがリングに弾かれたが、愛がリバウンドを取った。

 ボールを貰いに来た鈴奈を経由して、パスは茉莉花へ。走り込みながらボールを受け取り、レイアップを決める。


「5人それぞれ明確な得意分野を持っていますし、お互いそれを理解しています。チームワークも悪くありません」

「そう言ってもらえると嬉しいですね」


 亮介は頬をほころばせた。

 亮介はどちらかと言えば、褒めて伸ばすタイプの指導をしてきたつもりだ。短所を指摘するよりも長所を伸ばすよう心がけた方が、個性が開花しやすいし、教わる側も楽しいものだ。

 高校時代、亮介の恩師がそのような指導をしていたから、亮介もそれに倣っている。

 その結果として彼女たちがバスケットを楽しめているからこそ、チームとして団結する心の余裕もあるのだろう。

 絵理香の評価は、亮介の指導方針に対する肯定でもあった。

 だが。


「どうでしょう。あの子たちは、大会で勝ち上がっていけるようになると思いますか?」

「難しいでしょうね」


 この問いに絵理香は、一瞬の迷いもなくきっぱりと答えた。


「……やっぱり、そうですか」


 半ば、予想していた答えではあったが――優しい幻想から醒まされた思いだ。

 コートを観察し続けながら、淡々と絵理香は言葉を続ける。


「個々のポテンシャルは認めます。ですが、チームとしてはいびつすぎます。

 まず平均身長が低い分、どうしてもインサイドの戦力には不安が残ります。かと言って、アウトサイドから大量得点できる子がいるわけでもありません」


 正鵠だ。それはまさに、御堂坂中に大敗した原因そのものだ。

 唯一勝負できるポイントと言えば機動力だが、結局はそれすらも御堂坂中には通用しなかった。


「控え選手がいないというのも大きな不安要素ですね。スタミナ切れで、試合後半に失速する事が多いのでは?」

「……ええ」


 一瞬だけ躊躇ったが、亮介は肯定した。

 バスケットには、選手交代の回数制限がない。そのため控え選手の重要性は、他のどんなスポーツよりも大きいと言っていい。

 真剣に勝ち上がっていく事を目指すのなら――今まで仲良くやってきた5人だから、この5人だけのままでいいという言い方もできないのだろう。


「それから、役割分担が明確である事の裏返しだとは思いますが……特定の選手の負担が大きすぎます」


 絵理香の視線の先では、愛が自軍のゴール下でリバウンドを競り合っていた。

 レディバーズのCセンターを相手に、腰を落として力強くボックスアウト。

 跳び上がり、空中でレディバーズのPFパワーフォワードの上を行き、ボールを確保した。

 すかさず、アウトサイドで待機していた瞳にパスを出す――


「中原さんと言いましたね。あの子の負担が、特に」


 一転、今度は明芳の攻撃。

 GガードFフォワードの4人がスクリーンをかけ合い、パスを回してノーマークを作ろうとする。が、レディバーズのディフェンスは、明芳の攻撃パターンを読みきったかのように、的確になってきている。

 隙を作れないまま、攻撃時間制限ショットクロックが近づく。

 すると。


「こっち、パス!」


 ローポストの位置でレディバーズのCセンターを押しのけるようにして、愛がボールを要求する。

 パスが入る。

 愛は軸足を深く踏み込んで片足を軸に反転ピボットターン、そしてシュート!

 ボールはCセンターのブロックの上を行き、ゴールに刺さった。


「ふうっ」


 愛はゴールを喜ぶ余裕もなさげに、一度だけ息を吐くと、口を真一文字に結んでバックコートへ戻っていく。

 ただでさえインサイドの攻防では援護がなく、今日に限っては自分よりも経験豊富な選手を相手にしているのだから、余裕がないのも無理はない。


「……やはりチームバランスを考えるなら、インサイドがもう1枚……」

「必要だと思います。正統派のPFパワーフォワードが」


 つまりは、インサイドで愛を補佐できるようなプレイヤー。

 絵理香が指摘した通り、それはまさしく明芳に欠けているピースだ。


「今の延長上で続けていくだけではダメだ、と……」

「ええ。私はそう思います」


 躊躇いなく言う絵理香の言葉は、心のどこかで亮介も認識していた事だ。

 明芳には、インサイドプレイヤーと呼べるのは愛しかいない。他の子たちは、みな身長かフィジカルで劣る。

 その実態に合わせて、外4人・中1人フォーアウト・ワンインのオフェンスシステムを採用した。それが明芳の5人の現状にフィットした戦術だからだ。

 だがバスケットにおいては、インサイドプレイヤーは2人というのが、定石とも言える編成なのだ。

 耳の痛い話だった。


「――けど、まあ、あの子はいい線いってるでしょう」


 コートの中では、再び明芳のオフェンス。

 アウトサイドの4人が再びパスを回し合い、ディフェンスの隙を作ろうとする中、ひとり愛はゴール下でリバウンドに備えて位置取りしていた。

 シュートが放たれ、外れるや、すかさずリバウンドに飛び込む。

 長身を活かし、レディバーズのインサイド2人を相手に競り勝ち、ボールを手にする。

 着地と同時に、鈴奈へとパスアウト。ボールを、ゴール下の密集地帯から逃がした。

 そして再び、ゴール下で次なるリバウンドの機会に備える。


「今も、2人相手にいい勝負していますし。少なくとも中原さんは、公式戦でも充分通用するレベルなんじゃないかと」

「あら、そこは私と意見が違いますね」


 絵理香は亮介へと視線を向け、言った。

 穏やかだがきっぱりとした口調のまま、続く言葉が出た。


「私は、あの子が一番ダメだと思います」

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