#8 オフィシャルゲーム

 テストの答案には生徒の個性が出るものだ。


 神崎瞳、95点。回答内容は正確だ。ただ、字がやたらと丸っこくて読みにくい。

 中原愛、68点。目立つ事を意図的に避けているかのように、得点にも筆跡にもこれといった特徴なし。

 氷堂茉莉花、47点。褒められた点数ではないが、わからないなりに努力して何度も消しては書き直した跡がある。

 綾瀬慈、80点。公式を当てはめればいい問題は完璧だ。だが、応用問題での失点が目立つ。

 若森鈴奈、60点。簡単な分野の問題に得点が集中している。ヤマを張ったのがよくわかる得点分布だ。


 1学期の中間テストの採点を終えて、亮介は一息ついた。

 窓の外に目をやれば、夏めいてきた日差しが眩しい。


(もう6月か……)


 早いものだ。女子バスケット部を設立して、早くも1ヶ月半が経過している。

 中間テストに備えて部活動は休止していたが、今日から活動再開だ。


(そう言えば高校の頃は、この時期にはイライラさせられたなあ)


 おおむねどこの学校でもある、定期テスト直前の部活動休止期間。本来ならテスト勉強に専念すべき期間なのだが、亮介は勉強の傍ら、自主トレに励んでいたものだった。

 全ては中間テストの少し後に来る、夏の大会に備えての事。


(あれから、もう7年か)


 あの頃から学生バスケの大会開催時期は、全く変わっていない。


(高校は、もう全国大会インターハイ予選の時期なんだな)


 亮介は、もう一度空を眺めた。

 空の色は、一度はバスケットと決別したあの夏と変わっていなかった。






 #8 あるいは、生存競争オフィシャルゲーム






 男バス1年生チームとの模擬試合も、今回で3度目を迎えていた。


「みんなもう少し広がって! 綾瀬さん、スクリーン!」


 瞳は危なげなくドリブルをつきながら、指示を飛ばす。

 ちらりとコートの外に目をやって状況を確認した。残り1分弱、スコアは12-16で男子チームのリード。


「まだ追いつけるよ、一本確実に!」


 声をかけながらパスを出す。慈のスクリーンでノーマークとなり、スペースの空いたコーナーへ走り込んだ鈴奈へ。


「ナイスパス!」


 鈴奈はそのままゴール下へ切り込もうとして――

 踏み止まった。ゴール下には、Cセンターの十和田が待ち構えている。

 十和田は飛び出して来ない。

 鈴奈はノーマークだ。


「……おりゃっ!」


 鈴奈は少しだけ躊躇うような様子を見せた後、その場でジャンプシュートを放った。

 インサイドのプレイヤーたちがボールに注目する。

 低い弾道だった。

 ボールはリングの真横に当たって跳ね返り、


「はっ!」


 愛が真っ先にリバウンドに喰らいつき、ボールを取った。

 そのままボールを下げずにもう一度跳び、ゴール下でのシュートを決める。


 14-16。残り47秒。


「ナイッシュ、中原さん! さ、一本止めよ!」


 瞳が率先して声を出した。愛は硬く口を結んでうなずく。

 残り時間からして、この一本を止められなければ勝ち目は薄い。勝負の分かれ目だ。

 ポジションを与えられてから、目に見えて立ち振る舞いが変わって来たのが彼女だった。ポジションの役割、チームの頭脳としてのPGポイントガードを最も強く意識している事が見て取れる。

 加えて、既に7分あまりが経過しているにも関わらず、声を出しながら走り続ける事ができている。基礎体力作りの成果も、着実に現れていた。


「ゆっくりでいいぞ、ゆっくりで!」


 男子チームを仕切っている河井がチームのメンバーに呼びかける。

 時間稼ぎの意図は明白だった。残り時間は短く、1ゴールの点差ではあるものの依然として男子チームがリードしているのだ。

 彼らにとって早いオフェンスを展開する利点はない状況だ。じっくりと時間を使ってからゴールを決めて4点差にまで差を広げれば、勝利は確定すると言ってもいい。


 状況を理解していた瞳は、果敢に飛び出してボールを奪いに行った。

 残り時間を考慮すれば、その意図は間違っていなかった。だがスティールしようとした手は空を切り、瞳の横をすり抜けて男子がドリブル突破していく。


「やばっ……!」


 瞳は振り返る。

 瞳の視界に映ったのは、シュート体勢を取った男子。

 そして、それよりも頭ひとつ分は高く飛び上がった愛。

 ブロック!

 ボールは明後日の方向へと弾き返される。


「中原、ナイスブロッ――」


 茉莉花がその言葉を言い終えるより早く、ボールを拾った者がいた。

 河井だった。

 そして、そこはちょうど3Pライン上。

 河井は無言のまま、鋭い目でゴールを見据えてシュート体勢を取った。片手撃ちの構えからジャンプし、流れるようなフォームでの投擲。

 綺麗な放物線を描いたシュートは、すぱっと軽快な音を立ててゴールをくぐった。

 得点板の記録は14-19。

 どうあがいても、1本のシュートではひっくり返せなくなった。






「あー畜生、また負けた!」


 試合終了後、真っ先に悔しがる声を上げるのも、いつも通りに茉莉花だった。

 最終的なスコアは16-19。

 以前より健闘できるようになった事は明白だ。得点の上でもわずか3点差であり、8分間走り切れるようになった事も大きな進歩だと言える。

 とは言え、勝敗という基準においては、依然として黒星続きだ。


「ドンマイ。みんな良くなってきてるよ」

「そー言ってくれるのはいいんだけどさ、こう負けっぱなしだとなー……」


 亮介の励ましの言葉も、素直に受け止められる余裕はなさそうだ。


「でも、進歩してきているとは思うわ。ピック&ロールも何回か成功したし」


 タオルで汗を拭いながら、慈が言った。

 その言葉の通り、彼女たちのプレイには徐々にだが明確な変化が現れていた。速攻または愛のゴール下の攻撃でしか点が取れなかった1ヶ月前と違い、16点中の6点はピック&ロールからの得点が占めている。


「まあ、中原さんが中心なのは変わらないけど」


 慈の言葉に、愛は二、三度まばたきして慈の方を見た。

 ストロータイプの水筒からスポーツドリンクをすすりながらで言葉はなかったが、チームの中心と言われて満更でもなさそうだ。

 瞳も、慈の意見には頷いた。


「うん。背の高い中原さんが攻守の中心になるのは自然な事だって、先生が前にも言ってた通りだと私も思う。実際、リバウンドとかゴール下の守りとかで凄い頼りになるし。……だからたぶん、私たちが改善しなきゃいけないのは他の所」


 瞳はそこで一度言葉を切ると、まだ流れ出て来る汗を体育着の袖で拭った。考えを整理するように数秒の時間を置いて、言葉を続ける。


「……シュート精度かな。ミドルからロングの。男子は河井くんがロングでも結構決めてくるけど、私たちはゴール付近でのシュートしかまともに入らないっていう違い。だから、完全無防備ワイドオープンを作れても活かしきれない……」


 そこまで言って、瞳は鈴奈をちらりと見た。

 視線に気づいた鈴奈は、ぴくっと反応する。


「若森さん、確かミニバスでもGガードだったよね? ロングシュートの練習とか、どうだったの?」

「え、あ……いやー、えっと……」


 珍しく、鈴奈は言い淀んだ。たっぷり数秒かけて考えて、


「――そうそう、ほら、ミニバスって3Pのルールないじゃん? だからロングシュートの練習とかあんましてなくてさ、あ、あはははは……」


 段々と消え入っていく乾いた笑い。

 誰もが反応しづらい空気に、沈黙がその場を包む。


「……ま、まあとにかくさ。センセー、聞いてたろ? あたしたちにもミドルとかロングのシュート教えてくれよ」


 沈黙を破ったのは茉莉花だった。それが呼び水になったかのように、慈も食いつく。


「確かに、この位置から上手くシュートできれば……って思う事は私も何度かありました。そろそろ、距離のあるシュートを教えてほしいです」

「だね。そーすりゃきっとあいつらに勝てる!」


 茉莉花は息巻いて拳を握る。

 が、亮介は煮え切らない表情で、うーんと小さく唸るだけだった。


「まあ、そろそろそういうレベルかな。ただ、男バス1年生チームとやる機会はしばらくないかもだけど」

「へ? なんでさ、今までみたいに2週間にいっぺんぐらいで――」

「斎上先生」


 茉莉花の後ろから、突如、男子の声がした。

 一同の視線がそちらに向く。

 双三ふたみだった。男子バスケ部の3年生で、キャプテン。そして、亮介が愛を連れて初めて体育館に来たあの日、亮介との勝負を受けて立った二人の片割れでもある。


「女バスの練習終わりなら、こっちのコート使わせてもらいたいんすけど、いいすか。居残り練習したいんで」


 双三の口調は真剣そのもの。汗だくの状態で、練習の疲労が隠せない様子にも関わらず、まだやると言っている。

 鬼気迫る、といった様子だった。既に充分すぎるほど練習しているだろうに、なぜそこまでするのかと問いかけたくなるような。


「いいよ。じゃあ、帰る時に僕か高倉先生に声かけて」

「っす」


 快諾した亮介に、双三は小さく頭を下げた。そして、わずかの時間も惜しいと言わんばかりにシュート練習を始める。

 双三のシュート精度は高かった。ドリブルの動作から急ストップしてジャンプシュート。それが、高確率でゴールに吸い込まれていく。

 上手いものだ。女子バスケ部の一同はみな、感心するようにその光景をしばらく見ていた。


「……先生。双三先輩、なんであんなに頑張ってるんです?」


 ぽつりと疑問を口にしたのは、愛だ。


「大会が近いのさ」


 双三の姿を懐かしむような目で見ながら、亮介はそう答えた。






 ロッカーが配置され、机の上には瞳の持ち物であるバスケット戦術に関する専門書。女子バスケ部の部室は、ここ1ヶ月で実にそれらしくなっていた。


「せっかくだから、みんなに説明しておこうか。中学の大会のことを」


 制服に着替え終えた5人を前に、亮介はそう切り出した。

 周囲にロッカーや専門書があるだけで、いかにも運動部のミーティングという雰囲気になるものだ。愛は変に感心しながらも、亮介の話に耳を傾ける。


「中学の主な大会は4つある。秋の新人戦、冬の選抜、春の都道府県対抗戦、そして夏の全国大会だ」

「全国大会って、インターハイ!?」


 いつの間にか普段の調子を取り戻した鈴奈が、興味津々の様子で目を輝かせながら聞いてくる。亮介は小さく笑いながら、言葉を返す。


「インターハイは高校の全国大会だね。中学の場合は全国中学大会、略して全中。インターミドルって呼ぶ事もあるけどね」

「へー。そっかー、インターミドル」


 うんうんと鈴奈はひとり頷く。マンガ由来の知識と違っていたがこれはこれで、と満足している様子だ。


「ま、何でもいいよ。センセー、あたしたちも当然出るんだろ、その大会!」


 身を乗り出すようにして茉莉花が言う。自分たちの力を振るってみたくて仕方がない様子が、目に見えるようだ。

 しかし、亮介は手を横に振り、きっぱりと答えた。


「いいや、君たちは夏の大会には出さない」

「ええ!? 何でだよセンセー、男バス1年以外と試合できるチャンスじゃん!」

「夏の大会はそんな軽い気持ちで出られる大会じゃないんだ」


 ぴしゃりと、平静な口調ながらも断じるように亮介は言った。


「……」


 気圧されるように、茉莉花は言葉を失い、椅子に深く座り直す。

 その様子を確かめ、そして一同を見渡してから、改めて亮介は話を再開した。


「――普通、夏の大会は、学生バスケにおける1年の締めくくりになる。中学で最も大きな大会であり、しかも3年生にとっては、この大会を最後に中学バスケを引退するという節目の大会だからだ。

 勝てば全国への道が開ける。負けたらその日に即引退。3年生はみんな、そんな重いものを賭けて挑む大会なんだ。当然、選手は、この大会に照準を合わせて特訓や調整をしてくる。

 そんな大会に半端な気持ちで、しかも1年生チームの君たちが出場しても結果は見えてる。ボロ負けして大恥をかいて、バスケが嫌になってしまうだけだ。

 だから、君たちが出場したいと言っても、僕はさせない。いいね?」


 改めて、亮介は一同を見渡す。

 誰も異議を唱えなかった。そして、部室には沈黙だけが満ちる。

 茉莉花は背を丸め、しゅんとした顔をしていた。


「……あー」


 言いすぎた。

 戒める意図があったのは確かだが、萎縮させてどうするのか。

 ひとつ咳払いをして、気を取り直すように亮介は言い直した。


「まあ、しかし、公式戦の空気を知っておくのは悪くない。夏の大会は、みんなで男バスの応援に行こうか」






「わー……」


 6月第4週の土曜日。電車で辿り着いた会場を目にして、愛は語彙を失ったかのように感嘆の声を漏らした。

 会場は明芳中から見て隣の市にある市民体育館。大会参加校であろう、色とりどりのジャージ姿をした幾つものチームが、体育館前でひしめき合うように開場を待っていた。

 いずれのチームの選手たちからも、研ぎ澄まされたような真剣さが伝わってくる。

 張り詰めた空気、という表現を愛は実感した。きっと、こういう雰囲気の事を言うのだ。切迫した緊張感が四方八方から身を刺すよう。どこか空気の匂いすらも、普段吸っている酸素と違って感じる。


「これが夏の大会ですか……」


 愛と同じ空気を感じ取ったのか、慈がぽつりと呟く。亮介は、その様子を微笑ましく見ていた。


「まあ、これはまだ地区予選だけどね。この大会で上位の成績になったチームが7月の県大会に進む事になる。そこで上位が獲れれば、8月の全中大会本戦に進出というわけだ」

「2ヶ月もかけるんですか……中学で一番大きい大会だけはありますね」


 瞳がしみじみと言う。いつもどおりに喋り方こそ落ち着いているが、せわしなく視線が漂っており、会場の空気に呑まれ気味だ。

 そんな中、


「あ、いた! 明芳中ウチの男バス!」


 鈴奈が体育館入口のすぐ傍を指して声を上げた。そちらを見れば、明芳中指定の黄緑色のジャージの一団がいる。顧問の高倉と、キャプテンの双三の姿も遠目に見えた。

 亮介は人混みをかき分けるようにしてそちらへ向かう。その後に、女子バスケ部のメンバーも続いた。


「高倉先生!」


 手を上げ、亮介は呼びかけた。高倉はその存在に気づくと、張り詰めた真剣さをいくぶん和らげた表情で応じた。


「おお、斎上。なんだ、女バスも来てたのか」

「はい。女バスは大会参加はしてませんけど、応援にと思いまして」

「そうか! わざわざ土曜にすまんな。まあ、観客席で声出して行ってくれ」

「ええ、そのつもりです。頑張ってください」


 亮介はにこやかに応じ、そして傍らにいた双三へと視線を移した。


「双三くん、調子はどうだい?」

「万全っすよ」


 端的な言葉で、いくぶん早口めに双三は答えた。

 眼光は刺さるように鋭い。この大会にかける意気込みの強さが見て取れた。


「こんな地区大会ごときで負けてらんないっすからね」


 より高い舞台を意識している発言。

 こんな所で終わる気は欠片もないという思いが、短い言葉に込められていた。


「居残り練習頑張ってたもんな、双三くん」

「当たり前っすよ。勝ちに行くんすから」

「ん、その意気だ」


 双三の肩に軽く手を置いて亮介は言う。

 双三も悪い気はしていないようだった。高校で全国大会インターハイの寸前まで行った選手のお墨付きをもらった事が、緊張を解きほぐした効果もあっただろう。

 そうこうしている間に、市民体育館の扉が開いた。


「よし、行くぞ! ウチはBコートの2試合めだ。開会式が終わったらすぐアップに入れ!」


 高倉が声をかけ、他のチームに先んじるかのように体育館に入っていく。男子バスケ部員たちが、その後に続いた。

 負けじと、次々と雪崩のように色とりどりのジャージ姿の集団が体育館へ入っていく。

 その人の流れを、愛たちは遠巻きに見ていた。


「……なんか、すげーな」


 ぽつりと茉莉花が言う。

 愛もうなずく。言葉は拙いが、茉莉花の意図するところは愛もよくわかった。この場所に集った選手たち一人一人が、既に戦闘モードとでも言うべき雰囲気を纏っている。体育館に入っていく歩き姿の群れでさえ、ちょっとした小競り合いのようだった。

 これが公式戦。

 努力の集大成をぶつけ合う、戦いの場なのだ。






 11:00、市民体育館のBコートで始まろうとしている試合を、亮介たちは体育館の2階観客席から見ていた。

 コートの脇では、得点等を記録するオフィシャルテーブルを挟んで、両チームがベンチで試合前の最終ミーティングをしている。

 張り詰めた空気はもはや一触即発。緊張は最高潮に達していた。

 やがてミーティングを終えた両チームの選手たちがコートに歩み出てくる。青いユニフォームの明芳中男子バスケ部と、白いユニフォームの相手チーム。

 青いユニフォームを来た5人の先頭に、背番号4をつけた双三がいた。


「あ、やっぱり双三先輩、スタメン」


 愛がぽつりと言ったのが、隣の席に座っていた亮介には聞こえた。

 愛はスポーツを本格的に始めたのも最近の事だ。そんな彼女にでも、鬼気迫る様子で居残り練習をしていた双三の纏っていた凄みは理解できている。"やっぱり"という短いフレーズに、彼の努力に対する敬意があった。


「さ、始まるぞ。みんな、しっかり見ておくように」

「はーい。明芳がんばれー!」


 鈴奈は早速声援を送り始めた。男子バスケ部の何名かが鈴奈の方をちらりと見る。うち一人は声援に応えるように、握った拳を掲げる仕草を返してきた。

 やがて両チーム5人ずつがコートに出揃うと、審判がボールを持ってコート中央にやって来る。

 両チームの中で最も背の高い選手がセンターサークルで睨み合うように対峙。

 わずかの間、コートに沈黙の帳が下りた。

 審判がボールを真上に投げ上げる。

 両チームのCセンターがボールめがけて跳び上がり、試合の幕を切って落とした。






 試合序盤は、互角の点の取り合いが続いた。

 相手チームの方が平均身長で優る分、明芳中はインサイドで苦戦を強いられた。ゴール下を強引に攻め切られる場面も少なからずあった。が、PGポイントガードであるはずの双三が自ら切り込み、あるいはロングシュートを決め、取り返す。

 一見するとパワーと高さの差による劣勢であるかのように見えて、突き離されずに食らいついていく事ができていた。


「双三先輩、PGポイントガードなのに凄い点取りますね」


 双三がディフェンス2人抜きからのレイアップを決めた所を目の当たりにして、瞳が言った。

 PGポイントガードはアシスト役――というイメージが瞳の中では強いからだろう。その役割に意義を見出しつつある彼女なればこそ。


「別に、PGポイントガードが点を取っちゃいけないわけじゃないからね」


 双三の活躍を喜ばしい表情で眺めつつ、亮介が瞳の疑問に応える。


「確かにPGポイントガードはゲームメイク役だ。でも、ゲームメイクっていうのは自分以外の仲間に点を取らせる事だけを言うわけじゃない。PGポイントガード自身で点を取りに行くのが一番確実だと判断したら、そうするのが優れたゲームメイクなんだ」

「じゃあ、さっきから双三先輩が一番点を取ってるのは……」

「それだけ彼が凄いって事さ」


 ビ――――ッ……


 第1ピリオド終了のブザーが鳴る。

 スコアは14-16。明芳男子バスケ部が負けているが、それもわずか1ゴールの差だ。そして、14点中の8点を双三が取っている。

 ベンチでは高倉が選手たちに檄を飛ばしている。

 具体的な言葉の内容までは観客席まで届いて来なかったが、強く情熱的な語調なのは遠目からでも伺えた。

 あっという間に、2分間のインターバルが終わる。


「よし、行くぞ!」


 双三がチームメイトたちに強く呼びかけた。

 観客席までよく通る声の、気合に溢れた一声だった。観客のはずの女子バスケ部員たちまで背筋を正してしまうほどの。


「……勝てますかね、男バス」


 ぽつりと慈が呟く。

 気づけば、女子バスケ部員は5人とも真剣な目で試合に見入っていた。






 インターバル終了後も、明芳が押され、しかし決定的な差をつけられないよう双三の個人技で食い止めるという展開が続いた。

 が、第2ピリオド開始から2分30秒が経過したところで試合が動いた。相手チームに3Pシュートを決められて20-23。急いで取り返そうとする双三へパスされたボールが、飛び出してきた相手チームの選手にカットされた。


「ああっ!」


 茉莉花が身を乗り出すようにして、まるで自分の事のように声を上げる。

 ボールを奪った選手はそのままシュートに行く。

 一歩遅れて明芳のFフォワードが止めに行くが、横合いからぶつかるようにブロックに行く格好になった。


「あっ……!」


 慈の険しい表情。彼女には、そのシチュエーションの記憶があった。


 ピッ!


 審判のホイッスルが鋭く鳴る。

 慈はボールの行方を目で追った。リングの上を転がって、ボールはネットへと吸い込まれていく。


「ファウル! プッシング、明芳あお8番! バスケットカウント・ワンスロー!」


 わっ――!

 相手チーム側の応援席から歓声が上がった。


「ああ……」


 歓声が響く中、慈が自分の事のように肩を落とす。事の成り行きを見守る亮介も、表情は穏やかでない。


「やってしまったね、彼」

「ええ……あれはいけないです」


 バスケットカウント・ワンスローの重みを知る慈は重々しく頷く。

 疑問符を浮かべたのは、その隣で話を聞いていた茉莉花だった。


「でもさ、フリースローって普通のシュートと違って1本1点だろ? 大したことないって思うけど……」

「そういうものじゃないのよ。うまく言えないけど……こう、相手に余計な1点を与えてしまったっていうのが、凄く影響力があるって言うか」

「試合の"流れ"、と呼ばれているものだね」


 慈が表現しあぐねた言葉を、亮介が継ぐように言った。

 慈はうなずく。が、茉莉花はピンと来ていない様子だ。


「……なんか、曖昧だね。1点は1点だろって風にしか、あたしは思えないけど」

「目に見えない概念だからね。けど、は確かにあるよ」


 コートでは、相手チームがしっかりとフリースローを決めてきた。歓声の中、オフィシャルテーブルが記録する得点は20-26。

 明芳のスローインから試合が再開されたが、明芳の選手たちはどこか動きが鈍い。迷いが見えた。慎重に丁寧にプレイしようとして、逆に思い切りが悪くなっている。


「――あえて言語化するなら、"流れ"というのは自信や不安の伝播だと僕は解釈してる」


 フリースローライン付近でボールを受け取った明芳のPFパワーフォワードが、周囲を見渡す仕草を見せた。

 自ら攻めるべきか、パスをさばくべきか――そう考えている隙に、ボールをスティールされる。

 さらなる歓声が上がる中、ボールを奪った選手は独走状態で明芳ゴールへと疾走した。


「バスケは細かいルールや繊細なプレイが多い。だから、ミスをしてしまったとか、相手が手強いとか、味方と上手く連携が取れないとか……そういう些細な動揺や不安が、モロに試合に影響するんだ」


 独走していた選手のレイアップが決まって、20-28。

 一人でスティールから速攻での得点まで持っていった彼は、ベンチに向かってガッツポーズを取った。ベンチの選手たちは総立ちで彼に喝采を浴びせる。

 一方で、明芳チームの雰囲気は暗い。このままでは負けてしまう……そんな気持ちが全員に蔓延している。


「そしてバスケではコートは狭く、コートの中の人数も少ない。一人の不安や動揺は、容易に味方全員に伝わるんだ」

「……」


 茉莉花は無言で男子バスケ部の様子を見て、そしてそれが恐ろしい事なのだと得心した。

 先日も熱心に居残り練習をしていて、試合前にも強い勝利への意志を見せていたあの双三までもが、雰囲気に呑まれたかのように意気を失っている。

 見えない魔物が彼らに取り憑いているかのようだ。

 このままズルズルと負けてしまうのか。茉莉花が感じたそれは、歯痒さ半分、恐怖が半分。


 ビ―――ッ。


 ブザーが鳴った。第2ピリオドの残り時間は5分あまり。ピリオド終了を告げるブザーではない。


「タイムアウト、明芳あお!」


 審判がコールし、時計が止まった。両チームの選手たちは、それぞれのベンチへと足早に歩いて戻っていく。

 タイムアウト。1分間の休憩を兼ねた作戦タイムだ。


「これは高倉先生、いい判断だな」


 亮介がそう評する。その言葉を聞きつけた瞳が振り返った。


「いい判断って、タイムアウトがですか?」

「ああ。悪い雰囲気になった時には、ほんの1分でも気持ちを落ち着けられる時間があるとだいぶ違うからね」


 明芳ベンチでは高倉が選手たちに指示を飛ばしている。汗を拭いながら話に耳を傾ける彼らは、さきほどまでに比べるといくぶん冷静さを取り戻したように見える。

 やがてタイムアウト終了を告げるブザー。

 コートに選手たちが戻っていく。しかし、明芳チームのメンバーはタイムアウト前と少し変わっていた。

 背番号11が混じっている。


神戸かんべくんを出してきたか」


 それはあの日、双三ともども亮介の相手を申し出てきた、自称エースの2年生だ。3年生の中に混じって出場する彼は、3年生たち以上にギラついた表情をしていた。

 明芳チームのスローイン。

 そこで、いきなり予想外の事が起こった。PGポイントガードの双三へと送られたはずのパスを、神戸が割り込むようにして奪い取った!


「えっ、ちょ、何やってんのあの人」


 あまりの事態に慈は呆気に取られる。

 コート上でも双三が神戸を呼び止めようとしたが、聞く耳持たないかのように神戸はドリブルで敵陣めがけて突っ込んだ。

 一人抜き。

 二人抜き。

 三人めに対峙したところでスピンムーブからのシュート!

 ボールは何度かリングの上を跳ねて、リングの内側を通過した。

 歓声が上がる。

 コートの上では一気に神戸に注目が集まった。


「うはぁ……強引に行くなぁ、あの人」

「確かに、普通なら褒められたプレイじゃないねえ。普通なら」


 鈴奈の言葉を肯定した上で、亮介は、今は例外だという意味を楽しそうに匂わせた。


「パスの横取りはいただけないけど、今のワンゴールはでかい。流れが変わるぞ」






 結果を見れば、亮介の予言通りになった。

 明芳のディフェンス。神戸が飛び出してボールを取りに行くも届かず、敵に大きな隙を晒した。が、双三がそのカバーに入り、敵のシュートは外れる。

 明芳がリバウンドを獲得し、攻守交代。

 飛び出した勢いのまま先頭を走っていた神戸にパスが繋がると、神戸は速攻にも関わらず3Pラインで踏みとどまり、ジャンプシュートを撃った。

 ボールはノータッチでリングをくぐり、ネットを抜ける。

 スコアは25-28。神戸一人で、出場から1分も経たないうちに5得点。


 相手が冷静さを取り戻そうとするかのように、高さを活かしてインサイドからシュートを決めてくる。

 25-30。

 依然として明芳は5点ビハインド。だが、コートの空気はタイムアウト前とは明らかに違っている。

 相手チームの全ての選手が神戸を警戒していた。

 ほんのわずかの時間で5得点を奪った、型破りな選手。明芳は今まで秘密兵器を温存していたのだろうか?


 それは動揺だった。


 双三が神戸に向けてパスを出そうとする仕草を見せた。

 全員の注目が神戸に集まる。

 その一瞬の隙をついて双三は横にドリブルし、シュートモーションを取った。

 パスの仕草はフェイク!

 相手チームがそう気づいた時には、双三は既に3Pライン際でボールをリリースしていた。

 綺麗な弧を描いて、ボールはゴールに突き刺さる。

 28-30。

 再び大きな歓声が巻き起こる。


「すげえ、連続スリー……!」


 茉莉花も身を乗り出して、劇的な連続得点の興奮に震えていた。

 点差の上では未だ明芳が2点ビハインド。

 だが、"流れ"がひっくり返った事は、もはや誰の目にも明らかだった。






 しばしの間、試合は明芳ペースで進んでいった。

 強引な攻めでゴールを狙う神戸と、神戸に注目が集まった隙を活かして攻め込む双三。二人のエースが交互に点を取る事で敵のディフェンスに後手を踏ませ、明芳が初めてリードを奪ったのは第2ピリオド残り2分の時点。

 第2ピリオドを終えてハーフタイムを迎えた時には、スコアは38-36。

 このままの流れで行けば勝利は遠くない。そう思えた。


 だが、ハーフタイムの10分間は、選手たちの気持ちをリセットするのに充分すぎた。


 ハーフタイム明けの第3ピリオドから、相手チームはディフェンスの動きが明らかに違っていた。双三と神戸の二人に対する警戒が、目に見えて重点的になっている。

 まず、強引にディフェンスを抜こうとする神戸が攻めきれない局面が増え出した。なおも攻めようとしてファウルがかさみ始める。

 相手チームは冷静さを取り戻したように、神戸のファウルで得たボールから、高精度なインサイドアタックで得点を重ね始めた。

 双三はそれに対抗するように、今度は自分と神戸を除く味方を活かすようなパスプレイで攻撃を組み立て始めた。

 しかし、双三と神戸を中心に点を取りに行っていた時ほどの爆発力は出せず、じわじわとスコアは相手チームに傾いていく。


 第3ピリオド残り2分50秒、スコアは46-49。

 ボールを得た神戸が、苛立ったように無理な突破を狙った。即座にカバーが入り、ディフェンス二人が神戸の前に立ちはだかる。

 衝突。

 そして、審判の笛が鳴った。


「チャージング、明芳あお11番!」


 審判のコール。オフィシャルテーブルでは、反則数表示灯ファウルライトが"4"を示している。


「神戸くん、4つか……」


 黙って試合の行方を見守っていた亮介が、重々しく呟いた。

 バスケのルールでは、ファウル5回で退場となる。いわばこれで、神戸はだ。

 オフィシャルテーブルが選手交代の合図を出した。神戸が肩を落としてベンチへと戻って行き、交代要員がコートに出て来る。


「交代せざるを得ない……って感じですね」


 瞳が分析するように言う。亮介は頷いた。

 あと1回のファウルで退場となってしまう以上、エース級の得点力を持つ神戸は、再逆転を狙った最後の勝負のタイミングまで温存するのが妥当な判断だ。

 だがそれは、再投入のタイミングまで、もはや追いつけないというほどの点差をつけられない事が大前提。

 エースの片翼を欠いた明芳は、均衡を維持する事も容易ではなくなった。優れた得点力を持つ神戸がいなくなった分、相手チームはリラックスして守れるようになっている。

 46-51。

 48-54。

 50-59。

 51-61。

 明芳の得点ペースは、明らかに落ちていた。


 最終クォーター開始時、これ以上離されたらもう追いつけないと判断したか、高倉は神戸をコートに戻した。退場にリーチのかかった選手をコートに戻すにしては少々早い、冒険と言えるタイミングだ。

 最終クォーター開始から2分あまりで神戸はさらに4得点を上げた。しかし、


「ファウル! 明芳あお11番、チャージング!」


 ディフェンスを無理に突破しようとした神戸に、5つめのファウル。

 これで神戸は退場だ。

 時間は残り5分45秒。スコアは57-64。

 エースの一人を欠いた明芳には再逆転の手がなかった。試合終了のブザーが鳴った時、スコアは63-75を示していた。






「終わったか……」


 亮介は抑揚なく言い、深く嘆息しながら席を立った。

 愛は呆気に取られていた。淡白に見える亮介の反応にも、あっさりと終わってしまった試合にも。


「……え、あの。先生、あれで終わりなんですか?」

「ああ、そうだよ」


 淡々と亮介は答えた。

 あっけなさすぎる。

 愛の目から見ても、男バスは高倉の指導の下、毎日のように驚くほどの走り込みをしていた。自分たちだったらとてもついて行けないであろうほど厳しい練習の後、双三に至っては、さらに自主的に居残り練習をしていた。

 そんな努力をしてきた彼らだ。きっと奮闘してくれて、もし負けるにしても壮絶な激闘の末に惜しくも敗れるのだろうと思っていた。

 それが、現実はあまりにもあっけない。


 振り返ってみれば、神戸が反則の悪循環ファウルトラブルに陥った時点で、試合の大勢は決まってしまっていたのだろう。しかし試合を見ていた感想としては、いつの間にかじわじわと点差が開いて、いつの間にか試合が終わってしまっていた。

 何のドラマもなくただ淡々と。より劣っていたチームが、大会という舞台から無慈悲に切り捨てられるかのように。


「あの、先生、敗者復活戦みたいなのは……」

「無いんだ、そんなものは」


 亮介は既にコートに背を向けて、体育館の出入口へと向かって歩き出していた。


「あんなに――」


 愛も急いで席を立ち、亮介の後を追った。


「双三先輩とか、あんなに頑張ってたのにですか? 1年生だってあんなにいっぱい走り込みをやって、多分2・3年生だって同じぐらい頑張ってたと思うのに――」

「大会はトーナメント形式だ」


 愛が投げかけてくる言葉を一蹴するかのように、亮介は言い切った。


「トーナメント形式という事は、大会に参加したチームの半分が1回戦で消えるって事だ」

「……」


 愛は黙った。

 反駁できる言葉がなかった。

 トーナメントという形式を知らなかったわけじゃない。

 だが、トーナメント形式の大会に関わる人々がどうなるかなど、今まで想像した事も無かった。

 全国大会行きの切符を賭けた、引退との水際の戦い。その大会に参加するチームの半数が、1回戦で散っていく。

 トーナメントという形式を考えれば当然のはずの事実。

 しかし、愛は初めて認識した。それは、とても恐ろしい事なのだと。






 市民体育館の出入口へ向かう途中、愛は、横に伸びる通路の先に男子バスケ部の姿を見た。

 思わず、足を止める。

 まるでお通夜のような雰囲気だった。双三は震えて涙を流し、他のメンバーたちも黙り込んでうつむいている。2年の神戸も、無念の表情でいた。

 そんな彼らと、高倉が向かい合っていた。

 高倉もまた、普段の威勢は鳴りを潜め、神妙な表情で部員たちと向き合っていた。


「……勝たせてやれなくて、すまん」


 高倉はただ一言、やっとの思いで絞り出すように言葉を発した。






 帰りの電車の中、女子バスケ部の5人はほとんど会話がなかった。

 まるで男子バスケ部の敗戦の無念が伝染してしまったかのよう。空気が重苦しかった。


「……私たちも」


 愛が、ぽつりと呟くように言った。全員の注目が、そちらに集まる。


「私たちも、負けたら、あんな風に終わるんですか?」


 あまりにもあっけない敗北。

 閉会式というものすらなく、あっさりと大会から取り除かれるという扱い。

 3年間努力してきた、最後の集大成であるはずの大会。それを終えた引退の瞬間というのは、もっと感慨深く感動的なもののはずだと思うのに。

 あんなにも、あっさりとしたものなのか。

 2年後の夏の大会は、このチームに芽生えた仲間意識も、男子チームに勝つためにみんなで頑張ってきた思い出も、これからしていくであろう努力も、みんな飲み込んでしまうのか。

 愛にとって、それは恐怖にも似た何かだった。


「……私、たぶん、このチームが……嫌いじゃないです」


 誰と視線を合わせるでもなく、訥々と愛は言葉を続けた。


「私は今まで、友達とかあんまりいなかったから。みんなとの話とかにもあんまり上手く入っていけないですけど、でもCセンターとして頼られるのは凄く嬉しくて。部活やってる以外の時でも、みんなとちょっとは話せるぐらい仲良くなれて……居心地が良くて、みんなともっと楽しくやりたいって、最近思うんです」


 そこまで語り終えて、愛は亮介を見た。

 亮介は無表情のまま、ちらりと愛の顔を見返した。


「先生。私は……このチームが解散する時は、笑って終わりたいです」


 膝の上で、愛は拳を握り締めた。


「勝って、笑って終わりたいです」

「――大会はトーナメント方式だ。地区大会を勝ち抜けば県大会、県大会を勝ち抜けば全国大会が待っている」


 亮介は愛から視線を外し、遠い何かに思いを馳せるように視線を上へ向けた。


「夏の大会の引退試合を勝利で飾れるチームは、全国大会で優勝した、たった1チームだけなんだ」


 それは、トーナメントである以上は逃れられない宿命であり、厳然たる現実。

 全国大会で優勝。

 誰もがその意味を理解する事はできても、にわかには現実味を感じられないフレーズ。

 それが唯一、勝利の喜びの中で引退できる方法。


「……全国大会で優勝できれば」

「全国大会で優勝するという事は、日本一の努力をしなければならないという事だ」


 愛の言葉を遮るように、亮介は言い切った。


「小学4年ぐらいからミニバスをやってきた子、U-1313歳以下日本代表に選ばれた経験のある子……そういった相手にも勝つという事だ。若森さん以外みんな中学からバスケを始めた君たちじゃ、それこそ食事と睡眠以外の全ての時間をバスケに捧げて、それでもなお手が届かない可能性の方が高い。もちろん勉強だって疎かになるだろう。そうしたら、君たちの将来にとっても良い事じゃない」


 そこまで一気に語って、亮介は部員たちに視線を戻した。

 全員の表情を見渡す。みな、沈痛な面持ちで話を聞いていた。

 言いすぎたかもしれない。だが、言わないわけにはいかなかった。


「全国を目指すなんて、簡単に言える言葉じゃないんだ」


 亮介の言葉は、車両の中に静かに響いた。

 次の駅に着くまで一切の会話は無かった。

 初夏の日差しが車内に射し込む中、線路の上を走る車輪の音だけがやけに克明だった。






「斎上先生!」


 学校の最寄り駅にで電車を降りた時、亮介を呼び止める声がした。

 亮介と、女子バスケ部員たちが一斉に声の方を振り返る。

 双三だった。

 目が真っ赤だった。しかし、声音と足取りはしっかりとしていた。

 それが逆に、無理をしているかのようにも見える。


「双三くん……何て言うか、お疲れ」

「……まあ、もうしょうがねーっす」


 最後の大会で1回戦負けという結果に対して、思う所はあるのだろう。双三は一瞬だけ俯いた。

 だが、すぐに顔を上げ、亮介の目をまっすぐに見てきた。


「それより先生。今日これから、学校に用事ありますか」

「いや、特にはないけど……どうしたんだい?」

「1on1、やりましょう」


 挑戦的な視線で、しかしどこか請い願うように双三は言った。


「言いましたよね、引退までに先生から一本は取るって。やりましょう、勝負」

「ああ、わかった。いいよ」


 亮介は即答した。そして、女子部員たちを振り返る。

 その顔は、いつもの穏やかで飄々とした亮介のものになっていた。


「――というわけでみんな、今日はここで流れ解散だ。僕は双三くんの相手をするから……まあ、興味のある子は見に来てもいいけどね。それじゃ、解散!」


 言って、亮介は双三と並んで学校への道を歩き出した。






「……みんな?」


 愛がチームメイトたちを顧みる。


「ええ」


 代表するかのように、慈がうなずいた。

 そして5人ともが、亮介の後を追って学校へと向かった。

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