#33 ダンク

「ねーねーせんせー、今度スカウトに行かない?」


 そんな突拍子もないことを鈴奈が言ったのは、1月もそろそろ終わろうという時期、練習開始前のミーティングでの事だった。


「スカウト?」

「うん、スカウト。ほら、もう3学期だし。4月になったら新入生が入ってくるでしょ?」


 それはその通りだ。4月になれば今のメンバーは2年生に進級し、新1年生が入学してくる。


「新1年生を、今のうちに青田刈りしようっていう事?」

「そんな感じそんな感じ」


 鈴奈は勢いよくうなずく。慈が使った慣用表現を理解しているかどうかはわからないが。


「後輩の子たちが入ってきたら、部活がもっと楽しくなると思うし。上手い子が入ってきてくれたら戦力アップにもなるじゃん?」

「まー、前半分はそうかもしれないけどさ」


 茉莉花がパイプ椅子にもたれかかりながら、いまいち同意しきれない様子で言葉を挟む。


「後ろ半分はどーだろ、それ。夏大会までに、あたしらの控えが務まるぐらい上手くなれるヤツなんて、そうそういるかな?」

「一応、地区ベスト4に残ったチームだぞ、って?」


 瞳が相の手を入れるように言って、くすっと笑う。

 地区大会の準決勝まで進出できたのは、4月から継続してきた努力の結果だ。そこには、結果を出す事ができた喜びだけでなく、ここまで苦しい努力に耐えてきたという自負もある。

 ましてや1年生チームが地区ベスト4に、だ。それは並の1年生チームの成果ではない。

 自分たちと同じレベルで頑張る事は、誰にでもできるわけではないはずだ。

 だが鈴奈は、にっと笑った。


「いるよ、たぶん。いる所には」


 言って、亮介を顧みて。


「ねえ、せんせー。あたしがミニバスやってたって覚えてるよね?」

「ああ、もちろん」


 忘れるわけはないとばかりに、亮介は答えた。

 愛もよく覚えている。鈴奈はミニバスチームで自己中プレイに走っていた時期があり、その結果、チームで仲間外れにされてしまっていたのだ。

 それに耐えられなくなって辞めたのが、6年生の秋だったという。


「鈴奈ちゃん、もしかして……」

「うん。あたしがミニバスやってた、佐倉小ホープってチーム。そこの6年生をスカウトできないかなって」

「……大丈夫なの?」


 思わず、心配になる。

 鈴奈がミニバス時代に仲間外れにされて負ったトラウマは深刻なものだ。それこそ、ジャンプシュートがまったく撃てなくなるほど深刻な緊張性運動障害イップスを今も脱却できていないほどに。

 亮介もまた手放しでは賛成できない様子で、表情を曇らせた。


「若森さん、チームをもっと良くしたいっていう気持ちは嬉しい。けど、無理する事は……」

「だいじょぶだいじょぶ。無理なんかしてないよ、あたし」


 ひらひらと手を振って、鈴奈は軽く笑ってみせた。


「あの頃はホントにカッコ悪い事しちゃってたけどさ。今はちゃんと立ち直ってバスケ続けてますっていうのを、あの頃のコーチにも見てもらいたいんだ」


 穏やかな笑顔に、まっすぐな瞳。

 無理や迷いは感じられない。


「……そうか、うん」

「『そーか、うん』じゃないよ、せんせー。誰のおかげで続けてこれたと思ってるの?」


 ぷくーっと頬を膨らませて、鈴奈は不満げだ。

 可笑しくて、愛はつい笑ってしまう。亮介も同じように、笑いをこぼした。


「笑っちゃヤだからね、せんせー」

「ふふっ、ごめんごめん。よし、じゃあ佐倉小ホープに合同練習っていう形で申し込んでみようか」


 新入生が入ってくれば、より賑やかで楽しい部活になるだろうとは愛も思っている。

 あわよくば、大会で控え選手として活躍できる子が来てくれれば、なおいいと。






 #33 憧れの高みダンク






「それじゃあみんな、今日は明芳中女子バスケ部のお姉さんたちが来てくれました。なんと地区大会で準決勝まで行った人たちです。拍手ー!」


 佐倉小ホープのコーチは、50歳ぐらいに見える白髪交じりの痩せた男性だった。

 小学校の体育館に集まっていた佐倉小ホープのメンバーは、男女合わせて20人ほど。その子たちが一斉に拍手して、明芳中女子バスケ部の一同を迎えた。

 茉莉花も、瞳も、慈も、美裕も、みな一様に照れた様子だ。

 社交辞令のようなものだとしても、愛も、誇らしいのと気恥ずかしいのとが同居したむずがゆい気分だった。自校ですら掲示板に張り出されたプリントで、"地区大会にて惜敗"の一言で済まされてしまったと言うのに。

 唯一、穏やかな表情だったのは、鈴奈だけだ。


「5、6年生の子たちは久しぶりー、だね」


 小さく手を振って、鈴奈は微笑む。

 その微笑み顔を、コーチの中年男性に向けた。


奥富おくとみコーチも。お久しぶりですっ」

「ああ。まあ……いろいろあったからね。あの頃は私も、場を収められなくて申し訳なかった」

「んー、まあ、あの頃はあたしもだいぶヘコんでましたけど。でも、済んだことだからもういいかなって。今は一緒にバスケやってくれる仲間とかせんせーがいますし」


 鈴奈は、ちらりと亮介を顧みた。

 紹介された気分になったのか、亮介は奥富に向かって小さく会釈する。


「……いい環境を手に入れたみたいだなぁ、若森さん」

「えへへ。そんなわけで若森鈴奈、懲りずにバスケ続けてますっ!」


 ややわざとらしく、敬礼ポーズ。

 それが緊張をほぐしたように、和やかな笑いがお互いに生まれた。


「よし、それじゃあ始めようか。いつも通りレイアップからー!」


 奥富コーチの声に合わせて、ホープの子たちがボールを持って並び、順番にレイアップシュートの動作に入る。

 明芳中のメンバーにとっては、いつもの物より低いゴールでの練習だ。

 変なクセがついてしまわないかという心配もあるけれど。


「いち、にー、あっ!」


 ホープのメンバーの子がレイアップを外した。

 腕を振り上げて放り投げるような、絵に描いたような初心者フォームだった。

 自分もあんな頃があったな、と。1年も前の事ではないはずだけど、懐かしく思い出す。

 と同時に、初心者のままでいさせたらかわいそうだなとも思う。

 愛は、その子に歩み寄って行った。


「ね、ちょっといい? レイアップを撃つときは、こう、ゴールに向かってまっすぐ腕を伸ばしてね――」


 ボールを持って、その場で実演してみせながら説明する。まっすぐ腕を伸ばし、指の腹で押し上げるようにリリースする、レイアップの基本的な撃ち方だ。


「真似してみて」

「んーっと、こう?」


 その子はゆっくりと愛の動作を真似してみせた。腕を伸ばし、指でひょいっと上に投げ上げる。

 やや手首の力を使ってしまっているようにも見えたが、さっきの動作よりはずっといい。


「うん、そんな感じそんな感じ。それを1歩、2歩、シュートでね」

「ありがと、おねーさん!」


 後輩の面倒を見るというのは、こういう感覚なのだろうか。

 弟や妹のいない愛にとっては、初めての感覚だ。

 悪くない感覚だった。






「やっぱり、いつもと感覚が違うわね」


 手元で二度、三度とドリブルをついて慈が呟く。

 愛が見ている中、慈はボールを両手でキャッチして、シュートフォームを取り始めた。

 構える。

 狙う。

 膝を溜める。

 ジャンプ。

 そして、ボールが頭より高く上がったところで、シュート。

 いつも通りの綺麗なフォームだ。

 普段よりいくらか低いアーチを描いて、ボールはリングに向かって飛んでいく。

 そしてリングの中央を射抜き、ネットを跳ね上げた。


「ナイシュっ。ミニバスゴールでもちゃんと入るの、凄いじゃない」

「ありがと。ちょっと狙いの調整が必要だったけどね」


 ボールを回収しながら、慈は愛に答えた。


「このあとシュートの基礎練やるみたいだけど、綾瀬さん、両手撃ちのお手本お願いできる?」

「ええ、いいわよ」


 答えは穏やかだ。

 かつての気負いも焦りもなく、それが自分の役割だと自然に理解している様子だった。


「……綾瀬さん、だいぶ雰囲気変わったよね」

「そう?」

「うん。なんか悟りが開けちゃった感じ」

「ふふっ、何それ」


 自然体で笑って答える。落ち着き払った様子だった。

 ごく当たり前の事として、バスケットボールを楽しんでいる。

 それが、1年間を共にしてきた仲間として、嬉しかった。


「はーい、ではシュート練習やります。集まってー!」


 奥富コーチが招集をかける。

 ホープの子たちが小走りに集合していき、愛たちもそれに続いた。

 全員の注目が集まる中、亮介がその中心に立って、ボールを手に説明を始める。


「えー、それではまずジャンプシュートの撃ち方を説明します。みんな、例えばドッジボールの時なんかも、立って投げるより助走をつけた方が勢いよくボールを投げられたりした事があると思います。それと同じで、ジャンプの勢いをボールに乗せる事で――」


 亮介の説明は、いつも通りわかりやすく論理的だ。それでいて今日は、ちゃんと小学生にもわかる表現にアレンジして説明している。

 本当にいいコーチだ、と愛は改めて思う。

 彼と出会う事がなかったら、今ごろ自分は、地区大会ベスト4チームのキャプテンとしてここにはいない。

 それどころか小学校時代と同じように、自分が大きく見えないようにうつむいて猫背で、何事にもネガティブなままだっただろう。

 きっとそれは、自分に限った話じゃない。


「ではまず両手撃ちシュートの見本を、綾瀬さん――明芳中ウチの素晴らしい3Pシューターにやってもらいます」

「ちょっとー。プレッシャーかけないでください先生、もう」


 冗談めかして笑いながら、慈は進み出て、ゴールに向かった。

 亮介のコーチングがなければ、慈もシューターとして開花する事もなければ、あれほど明るく笑う事もできなかっただろう。


「両手撃ちのジャンプシュートは基本的に女子が使う事が多いですが、男子も、まだ体が大きくない4・5年生ぐらいの子までは普通に使います。大事なポイントは、ジャンプした勢いをボールに伝えられるタイミングで、手首をしっかりと返して撃つ事です」


 亮介が説明する中、慈はゴールをまっすぐ見て、いつも通りのシュートフォームを取った。

 構える。

 狙う。

 膝を溜める。

 ジャンプ。

 そして、ボールが頭より高く上がったところで、シュート。

 綺麗なアーチを描いたボールが、いつもより低いゴールリングに吸い込まれていく。

 すぱっ、と軽快なスウィッシュ音。

 ホープの子たちから歓声と、少し遅れて拍手が起こった。


「はいみんなー、今のが両手撃ちシュートのお手本です」

「ちょっと先生ってば」


 相の手とも取れるようなささやかな反駁を送りながら、慈はボールを回収して、戻ってきた。

 ないっしゅー、と小声で呟いた鈴奈とハイタッチ。

 冬の大会以来、本当にチームの空気が良くなった。それはキャプテンとしてだけでなく、チームという輪の中にいる一員としてそう思う。


「で、今度は片手撃ちのシュートです」


 亮介がボールを手に、慈と入れ替わるようにゴールの正面へ進み出る。


「両手撃ちシュートは胸元から斜め上に向かって押し出すように撃ちますが、片手撃ちは頭より高い位置から上手で投げるような動きになります」


 説明しながら、亮介はフリースローライン上に立つ。どうやら片手撃ちは自分がお手本になるつもりのようだ。


「片手撃ちは体がある程度大きくないと難しいんですが、こっちの方が狙いがブレにくいと言われています。では、僕がやってみせますので見ていてください」


 言って、亮介はボールを目の前で小さく放り投げ、床で弾ませた。

 ボールに向かって踏み出して捕球ミート。一歩、二歩と床に足をついてゴールに正対。

 ジャンプ!

 綺麗だった。180cmある亮介が、伸びやかな姿勢で宙に浮かび上がった。

 捕球ミートからジャンプへと繋がる動作は一切の途切れ目がなくスムーズで、ジャンプの頂点で一瞬だけ静止した瞬間には歪みのないシュート体勢を取っていた。

 投擲。

 弧を描いたボールがリングの内側を通過し、スウィッシュ音を奏でる。


「かっけー!」


 ホープの男子の誰かが、思わず口走った。

 慈に対して贈られたものよりも力強く、拍手が起こる。


「えー、はい、みんなも練習すればこういうシュートが撃てるようになります。では片手両手、どちらか好きな方で順番に撃っていってみましょう!」


 やや照れ気味に、亮介は場を締めた。

 さすがの名コーチでも、子供たちから羨望の目を向けられるのは少し照れ臭いらしい。

 でも、そうもなるだろう。

 それほどまでに、あのシュートは綺麗だったのだから。


「ナイッシューです、先生」


 お手本役を終えて戻ってきた亮介を、愛は笑顔で労う。

 亮介は、はにかんだ笑いで答えた。


「ありがとう。いや、最近あんまり自分で体動かしてなかったから、入るかちょっと不安だったけどね」

「もー、何言ってるんですか、あんな綺麗なシュートしといて」


 愛は冗談めかして言ったが、その言葉は本気だった。

 バスケを初めてからこれまでずっと――


「いつだって先生は、凄いお手本ですよ」


 それは選手としての技術だけじゃない。

 身長が武器になる世界を示す事で、自分を真っ暗な世界から連れ出してくれたのだ。

 それを体現する姿と精神性。

 その背中を追いかけて、ここまで来たのだ。

 かつての自分よりも小さい子たちが混じる、いつもより穏やかな練習時間の中――ふと愛は、これまでの思いが胸の奥深くまで染み渡っていくような感覚がしていた。






「よーっし、行くよー!」


 トップの位置で鈴奈がボールを手に、声をかける。

 鈴奈の正面には茉莉花がディフェンスに立ち、ハーフコートの両翼にはホープの子たちが左右それぞれ一組ずつ、オフェンスとディフェンスに分かれて位置に就いている。

 典型的な3対3の練習だ。

 愛はこの練習に参加せず、コートの外から見守っていた。いくら何でもミニバスの子たちと愛ではサイズが違いすぎて練習にならないから、と言うのがその理由だ。


「へいっ、まりちゃん」

「はいよ」


 鈴奈が茉莉花に一度ボールを投げ渡し、茉莉花がそれを返す。一般的な、3対3の開始の合図だ。

 ボールを受け取ると同時に、鈴奈が動き出す!

 それに併せてホープの子たちも動き出す。一人が鈴奈の側に寄って行き、もう一人がポストの位置へ。

 鈴奈はポストの子にボールを入れた。

 と同時に、ポストの傍を通ってゴールへ向かう!

 手渡しハンドオフでボールを受け取り、ポストの子をスクリーン代わりにしてディフェンスを引き離し――


「っと!」


 茉莉花がスクリーンを抜けた。ポストの子の背後を通って迂回守備スライドスルーで鈴奈を止める。

 鈴奈にとってはシュートできない位置だ。半身をゴール後方へ向けてボールを守り――

 後ろへパス!

 ボールが向かった先は、一般ルールのコートなら、コーナーよりも少しゴールに近いあたり。

 そこに、オフェンス側の小柄な女子。

 キャッチ。

 シュート!

 モーションが素早い。

 まっすぐリングへと飛んで行ったボールは、リングの奥側に当たって、ネットをくぐった。


「みあちゃん、ないっしゅ!」

「ん」


 小走りに寄ってきた鈴奈と軽くタッチして、労い合う。

 シュートを決めた女子――"みあちゃん"と呼ばれた子は、鈴奈よりもさらに一回り小さい。身長は明らかに150cm未満だろう。ポジティブな感情をわかりやすく表に出している鈴奈とは対照的に、口数は少なく、表情も淡白。ロングの黒髪を先端側でひとつに束ねているのが特徴的だった。


(鈴奈ちゃんの、ミニバス時代の友達なのかな)


 渾名で呼んでいるぐらいなのだから、それなりに親しい間柄のはずだ。

 そして、ホープの中でも上手い子だという気がした。身長はないが、クイックモーションのジャンプシュートを綺麗に決める技術があるようだし、何よりいつの間にか鈴奈からパスを受け取れる位置取りにいた。

 もし、あの子が明芳のSGシューティングガードになったら?

 鈴奈とも茉莉花ともタイプの違う選手だ。きっと戦力になってくれるだろう。

 そもそもこの合同練習の裏の目的は、4月に新1年生として入学してくる子の青田刈り。

 彼女は、スカウトしたい子だ。


「ね、鈴奈ちゃん。あのみあちゃんって子、何年生?」


 3対3の順番待ちの列に並んだ鈴奈に、タイミングを見て愛は話しかけた。

 待ってましたとばかりに、鈴奈は満面の笑みを浮かべる。


「6年生だよ。ね、あいちゃんもあの子、欲しいと思わない?」

「うん、すっごい思う」


 戦力としてもそうだし、鈴奈のミニバス時代の友達という意味でも欲しい。


「まだワンプレイしか見てないけど。シューターの子だよね?」

「うん。ほら、見てて見てて」


 コート上では、"みあちゃん"の番が回って来ていた。

 愛は彼女に注目する。

 オフェンスが始まる――が、彼女はアウトサイドで棒立ちだ。

 そうしている間に、トップの位置でボールを持った子が、大柄な子をスクリーンにして突破ドライブ

 ディフェンス側が反応し、ゴール付近に収縮する。

 その瞬間に"みあちゃん"が動いた。ゴールへ向かって走り込む!

 と見せかけて、ディフェンスの死角で切り返す!

 ディフェンスの反応が一瞬遅れた。

 突破ドライブを仕掛けた子はディフェンスに遮られて止まり、ボールの逃がし先を探して後ろを振り返る。

 ちょうどそこに、"みあちゃん"がノーマークで走り込んでいた。

 パスが出る。

 キャッチ。

 シュート!

 ボールはリングめがけてまっすぐ飛び――わずかにリングの手前で弾かれ、落ちた。

 ディフェンス側がリバウンドを取って、この一本終了。

 惜しくもシュートは外れたが――


(立ち回り、上手い)


 コートの外から見ていた愛には、はっきりとわかった。

 彼女は非常に良いプレイヤーだ。シュートが素早く正確なだけでなく、ディフェンスの死角に入ってマークを剥がす動きを身につけている。

 ミニバスレベルのプレイヤーとしては、非常にクレバーだ。


「……ほんと上手いね、あの子」

「でしょでしょ」


 愛のごく自然な感想に対して、我が事のように嬉しそうに鈴奈が答える。


「なんか、ミニバスって感じがしない子だね。上手いし、なんかクールな感じだし」

「そう? クールってのは違うと思うなぁ。ほら」


 鈴奈は"みあちゃん"を指した。

 思いっきりむくれていた。

 ディフェンスの配置に就きながらも、シュートを外した事が悔しそうに。


「ああ見えてけっこー負けず嫌いだよ、みあちゃん」

「ホントだ」


 おかしくて、ついくすっと笑ってしまった。

 口数は少なそうだが、むくれて悔しがる様子は年齢相応で――そういった様子を見せるのも、バスケットに対する情熱があればこそだ。

 上手くて、鈴奈の友達で、競技への情熱もある。

 是非、チームに欲しいプレイヤーだ。

 彼女を獲得できれば、きっと明芳中女子バスケ部はもっと強くなれる。

 そうしたら今度は、地区大会の優勝も現実的になってくるに違いない。

 そうしたら――


(……次は県大会で、そこでも勝てたら?)


 ふと。

 自分たちはどこを目指しているのだろう、と愛は疑問を抱いた。

 全国大会で優勝なんて、そんな大それた夢を見ているつもりはない。

 けれど、試合という場で勝負するからには負けたくない。

 悔いを残さず、納得のいくようにやって――3年生の夏の大会が終わってチームが解散する瞬間には笑って終わりたいと、かつて愛は口にした。

 それは具体的に、"どこまでやれれば"なのか。

 そこが曖昧なままだという事に、愛は気づいた。






「斉上せんせー斉上せんせー、ダンクしてみて!」


 シュートの見本で一躍子供たちの人気者になってしまった亮介に、休憩時間中、4年生の男子が言った。


「ダンク?」


 子供の提案に戸惑い半分、微笑ましさ半分といった様子で亮介は答える。

 ダンク。

 バスケットをやっている人なら知らない人はいない。高く跳び上がり、手で直接ゴールにボールを叩き込む豪快なシュートだ。

 愛はそれを生で見た事はない。

 バスケットをやるようになって、参考になる動画を亮介や瞳に見せてもらう中で、映像の中で何度か見た事があるだけだ。

 派手で恰好いい、いかにもバスケットの華とでも言うべき技だと思う。

 得点で言えば、ただのゴール下シュートと同じ2点にしかならないけれど――

 でも、もし試合中に目の前でダンクが出たら、味方のプレイなら一気に気分が盛り上がるだろうし、相手のプレイならいかにも"やられた"という感じになるだろう。

 きっとそれは恰好良く、かつて亮介が教えてくれた"流れ"に働きかける効果があるに違いない。

 それも、とてつもなく強力な。

 だから。


「って言うか先生って、ダンクできます?」


 愛は、つい聞いてしまった。

 いや、と亮介は苦笑いで答えた。


「さすがに僕でも一般用ゴールじゃダンクは届かないよ。ミニバスゴールならいけるけど」

「やって!!」


 亮介にボールを押しつけるようにして、4年生の子は強く言う。

 参ったな、と亮介の顔に書いてあった。


「あー、奥富コーチ。いいですか?」

「あっ、ええ、どうぞどうぞ。この子たちも喜びますから。みんなー、斉上先生がダンク見せてくれるぞ! 集合集合!」


 奥富コーチも乗る側だった。

 ダンクと聞きつけて、休憩時間中のホープの子たちも集まってくる。子供たちがたちまち群衆となり、亮介のダンクショーの流れになってしまった。


「せーんせー! がんばー!」


 一番大きい声援を送っているのは鈴奈だった。


「あー。ははは……」


 亮介は依然として、苦笑いのままだ。


「引っ込みつかなくなっちゃいましたね、先生」

「ミニバスゴールでダンクするの久しぶりだからなあ……みんなー、先に言っとくけど失敗したらごめんよ!」


 謙虚と言うべきか何と言うべきか。

 けど、亮介はきっと成功させるだろうと、愛は確信していた。

 思い出すのは、亮介のプレイを初めて見た日のこと。

 まだ愛の中で"冴えない若手教師"でしかなかったはずの亮介に体育館へと連れて行かれ、そして目の前で繰り広げられた彼のスーパープレイ。

 重力を無視して、空へ飛び立っていくのではと思ってしまうような、あまりに軽やかなジャンプからのシュート。

 "高さ"は"恰好良さ"になると、何よりも雄弁に愛に教えてくれたワンプレイ。

 あの記憶は、未だに色褪せないほどに鮮烈だったのだから。

 その亮介なら。


「よし」


 顔つきが引き締まり、亮介の視線は2m60cmの高さのゴールリングに向く。

 立ち位置は、3Pラインより1mほど後方あたり。

 ドリブルして駆け出す!

 力強くボールをつきながら、豪快なまでに大きい歩幅ストライドでゴールへ疾走、接近。

 フリースローラインを越える。

 ボールを掴み、大きく踏み出して一歩!

 やや短めに二歩目を踏み出す。そしてボールを片手で振り上げながら、膝を伸ばし――

 ぶ!

 振り上げたボールはリングより高く。

 それを、


「はっ!」


 叩き込む!

 亮介の体重を受けてリングの金属が軋みをあげる。

 ボールは――ゴールネットを通過し、真下に落ちた。

 一瞬遅れて、亮介も着地。

 そして、静まり返った子供たちの方を振り返り。


「……と、まあ、こんな感じ」


 どこか照れ臭そうな一言に。

 わっ、とホープの子たちの歓声が上がった。


「すげー、かっけー!」

「ゴール壊れるかと思った!」

「やっぱあの先生プロだろ!」


 ホープの子たちが囃す声が止まない。ずっと無口な"みあちゃん"も、目を輝かせて拍手していた。

 そして愛も、気持ちは一緒だった。


(……やっぱり、恰好いいなあ)


 あの日の感動が蘇る。

 "高さ"は"恰好良さ"になると、実演をもって教えてくれたあの瞬間。

 今目の前で見たダンクの衝撃は、あの日の感動を蘇らせ、そしてさらに上書きしてしまうほどだった。

 ミニバス用の低いゴールだという事なんか関係なかった。強烈な力強さと飛翔感でもって、あの時のレイアップよりも強い感動を与えてくれた。

 あの姿を追いかけてきて、本当に良かったと今なら思える。

 いつの間にか自分は、大柄な体を欠点と考えなくなっていた。誰に臆する事もなく堂々と、背筋を伸ばして前を見て歩けるようになったのだ。

 バスケットを通じて、チームを支える喜びや、信頼される嬉しさも知ったのだ。

 それらはすべて、まだ彼には及ばないレベルだろうけれど――


「ねえ、あいちゃんもダンクいけるんじゃない?」


 唐突に、鈴奈。


「ふへ?」


 あまりに突拍子のない言葉に、愛は思わず変な声を出してしまった。

 自分の変な声に、思わず恥ずかしくなって頬が紅潮する。ホープの子たちは亮介にばかり注目していて、愛の声が聞こえていなかったようなのが救いだった。


「……ダンク、私が?」

「うん。あいちゃんの身長ならいけるんじゃないかなーって」

「や、無理無理無理! 私、先生みたいに跳べないし……」

「いや、僕もいけると思うな」


 ボールを拾い上げ、亮介が話に入ってきた。

 おおっ、とホープの子たちが注目する。とたんに、愛が注目の的となってしまった。

 鼻白む。

 だが――意外なほど、自分の中に恐れがない事にも愛は気づいた。


「ミニバスゴールの高さは260cmだ。中原さんは身長172cmで、前測った時にウィングスパンちょっと長めだったから……まあ、たぶん手を上に挙げた高さスタンディングリーチで言うと225cmぐらいはあると思う」


 ワンバウンドさせて、亮介はボールを愛に渡す。

 反射的にボールをキャッチ。愛の手に、馴染んだボールが収まった。


「つまり、35cm跳べればリングに指が届く。そこに中学女子用の6号球の直径23cmを足すと、58cm」


 こんなところで数学教師っぽさを演出してくるあたりは、彼なりの、リラックスさせるためのジョークだろうか?


「計算上、"助走ありで60cm跳べればダンクできる"って事になるね」

「60cm……」


 なんとなくだが、現実的な数字に聞こえてくる。

 自分のジャンプ力は――どのぐらいだっただろう?

 身体測定での垂直跳びでは、確か、40cmもないぐらいだった気がする。

 でもそれは4月に測った数字だ。この1年間のバスケット経験で、自分の運動能力は上がっているはずだ。

 ましてそれは垂直跳びの数字。今は、助走をつけていいのだ。

 この1年間で鍛えられた分と、助走。それで20cmを埋める事ができるだろうか。

 20cm。

 この1年間は、それ以上の価値があっただろうか。


「……」


 無言で、愛は一歩だけ進み出た。


「やるかい?」


 亮介が訊いてくる。

 君にとってのこの1年間の価値は、と訊かれた気がした。

 だから。


「はい。やってみます」


 自然と愛は、そう答えた。


「あいちゃん、ファイト!」

「うん。ありがと」


 声援をくれた鈴奈に、一度笑いかけ。

 ゴールを見る。

 いつものゴールより低いそれが、実際以上に高く見えた。

 固唾を飲む。

 失敗したら――

 格好悪いだろう。

 でも、"高さ"を"恰好良さ"に変えたいという自分の思いは本物のはずだ。

 失敗したとしても、そのチャレンジを貶される謂れはどこにもない。

 だから。


「行きますっ!」


 ドリブルをつき、駆け出した。

 体勢を低くして、大きく踏み出してダッシュ。一番勢いがつく体勢だ。

 3Pラインを越える。

 徐々に迫ってくるゴールの姿が、否応なく緊張感を高めていく。

 だからといって、失敗する前提で挑むつもりはない。

 亮介ほどのスピードもジャンプ力もないけれど、彼のように恰好良くありたいから。

 そう思って努力してきたから。

 いわばこれが、この1年の集大成だから!

 3秒制限区域に踏み込む。

 いつもならレイアップに行ける距離だ。

 ボールを両手で持ち、一歩目を大きく踏み出す。

 二歩目を――


(空に向かっていく感じで――!)


 いつもより力強く踏み込み、ジャンプ!

 べた気がした。

 浮遊感の中、ボールを片手で振り上げた。

 これをリングに向かって――


 ぐらつき。


(!?)


 手の中でボールがぐらつき、転がり落ちる感覚。

 考えてみれば当然だ。体格のある成人男性の亮介とでは、手の大きさが違うはずだ。

 亮介なら片手で悠々と掴めるボールも、愛の手の大きさではそうはいかない。

 ボールが右手から零れ落ち――






 左手を添えた。






 咄嗟の行動だった。イチかバチかとか、そんな事を考えている間もなかった。

 ただ、このままでは確実に失敗すると思った。

 その瞬間には体が勝手に動いていた。

 偶然、ボールを両手で振り上げた格好になった。

 リングはすぐそこ。

 ジャンプの頂点。

 今!


「――っ!!」


 振り下ろした。

 衝撃音。

 指に、金属の冷たい感触。

 ボールは――

 愛の目の前でネットをくぐり抜け、重力に従い、ゆっくりと床へ落ちていった。


「あ……」


 リングの金具が軋みをあげ、ボールが床でバウンドする。

 自分がリングを掴んでいる事を、ようやく自覚した。

 成功した。

 ヒーローの象徴――ダンクシュートに!


「うおおおおお! すっげー、あのねーちゃんもダンクしたぁ!!」


 ホープの子が叫びをあげ、途端にその場が歓声に包まれた。

 リングを手放し、床に着地。

 それは――ほんの一瞬の出来事のはずだったが、何だか別世界から久しぶりに帰ってきたかのような感覚があった。


「すっごいよあいちゃん! ダブルハンドで行っちゃうとかあたしも思ってなかったよ!」

「あはは、私もなんか夢中で……気がついたらやっちゃってた、みたいな」


 駆け寄ってきた鈴奈に、素直な言葉で返す。

 顔が紅潮しているのが自覚できた。激しい運動だったわけでもないのに、息もあがっている。

 興奮しているのだ。

 自分が成し遂げた事に。

 ミニバスゴールとはいえ、憧れたあの高みに、自分の手が届いた事に。


「中原さん」


 亮介が歩み寄ってくる。

 穏やかな笑顔だ。彼も、嬉しそうなのが読み取れた。


「恰好良かったよ。ナイスダンク」

「……ありがとうございます。ふふっ」


 ――ここまで来れたのは先生のおかげです、と。

 その言葉はあまりに恥ずかしすぎて、口にはできなかったけれど。


「ちょっとハクがついたんじゃないかい? 明芳のキャプテンはダンクできるぞ、って」

「何言ってるんですか、もー。ミニバスゴールですよ」


 でも、できるようになったのは、追いかけるべき背中を亮介が示してくれたからで。

 自分に自信が持てるようになって、キャプテンとしてチームの信頼を得て、今度はダンクのできるスーパーヒロインになれてしまった。

 この1年で、自分は変わる事ができた。

 だから。


(いつか先生にお礼しないとなぁ)


 漠然と。

 愛は、そんな気持ちになっていた。

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