#32 ジュニアオールスター
1月のある日、愛が夕食と入浴を終えて自室にいると、携帯電話に着信があった。
画面に表示されたのは、11月のある日、練習試合の後に登録した名前だった。
『も、もしもし。結城です』
どこかオドオドした印象の、やや小さめの高い声。
11月に牧原女子中と練習試合をした時以来、久しぶりに聞く声だった。
「久しぶり! 元気だった、結城さん?」
『う、うん。元気です』
「あ、冬の大会どうだった? 私たちは地区の準決勝まで行ったんだけど」
『えっと、私たちは県大会のベスト8まで行きました。私はキャプテンの控えだったんですけど……』
「えー、凄い! おめでとう!」
いつになく饒舌になる。叶があまり積極的に話せるタイプではないから、相対的に自分の口が積極的になるのだろう。
だが、そんな叶がわざわざ電話をかけてきたのは。
「で、どうしたの? 今日は突然」
『あっ、はい。キャプテンから誘ってもらったんですけど……県選抜チームの練習、見学に行きませんか?』
「県選抜?」
愛は聞き返して、そして思い出した。
亮介が言っていた気がする。冬の大会は、春に行なわれる都道府県対抗大会――通称"ジュニアオールスター"のメンバー選出を兼ねているのだと。
『
「へー、凄い! でも納得しちゃうな。近衛さん、すっごい上手かったし。
『はい、県大会でも1試合20点ぐらい取って。それで選抜に選ばれたみたいで』
納得だ。彼女はまさにアンストッパブルだった。
きっと県大会でも、あの華麗でトリッキーな技の数々で相手を翻弄し続けたのだろう。
『それで、県選抜チームの練習が今度、
「ん、行く」
即決で愛は答えた。
県内の中学の、最高峰の選手たちが集まる場所だ。学べる事もあるだろうし、良い刺激も受けられるだろう。
少し距離のある友達とも久しぶりに会える。
そして、その場にはきっと。
(瀬能中の松田さんとか、御堂坂中の大黒さんとかも、きっといる)
彼女たちが共闘するコートを見てみたかった。
純粋に、一人のバスケットボールプレイヤーとして。
#32
最寄駅から鴻巣駅まで、電車で約1時間。あまり遠出する機会のない愛にとっては、ちょっとした冒険だった。
初めての駅に降り立つと、見慣れない街並みは、まるで異国に来たかのようにも感じた。
駅の正面にあるバスロータリー。その傍にあるベンチに、懐かしい姿が座っていた。
ショートの髪は少し伸びたかもしれない。白いダッフルコートの上、首元にピンクのマフラーを巻いた姿は、さすがお嬢様校の生徒だという印象だった。
愛がやって来ると、彼女はすぐ気づいて立ち上がり、足早に歩いてきた。大人の中に混じっても目立つ愛の長身はいい目印になったのだろう。
春ごろの自分だったら、長身で目立ってしまう事をネガティブに感じていたかもしれない。けれど、今はそんな意識はまったくなかった。
むしろ、紺色のジャンパーにデニムパンツの出で立ちで来てしまった自分が、芋っぽくて少しだけ恥ずかしい。
「久しぶり、結城さん」
「こんにちは! お、お久しぶりです」
ぺこりと頭を下げて挨拶する叶。その姿が可笑しくて、愛はつい笑いを漏らしてしまう。
「結城さん、畏まりすぎっ。敬語やめようよ」
「え、あ。ごめんなさい、ちょっと、他の学校の人だから……」
「別にいいじゃない、学年いっしょなんだし。それにほら、友達でしょ?」
「はい、あ……うん」
こくん、と小さくうなずく。20cm以上高い愛の顔を上目使い気味に見上げて、えへへと微笑む。
なんとなく、飼い主に甘える子犬のようなイメージ。
ほっこりとした気持ちになって、思わずつられて笑ってしまう。
「あ、えと、私、何か変です……じゃない、変かな?」
「ううん、そんな事ないよ。大丈夫大丈夫」
本当に可愛いライバルだ。11月の練習試合では明芳のエースである茉莉花を10分以上無得点に抑え込み、終盤では試合の流れを一変させた
あるいは、"そうは見えない"というのも彼女の強みなのかもしれないけれど。
「あ、来たよ。あのバス」
ロータリーのバス停に停車した紺色のバスを指して言い、叶は先導するように歩いていった。
愛も、それに続く。
「このバスで15分ぐらい。そしたら、もう目の前だから」
ピッ、と機械音。叶はPASMOで乗車の手続きを手早く済ませた。
交通系のICカードを持っていない愛は、紙の乗車券を取る。なんとなく、都会住みと田舎住みの差を感じた。
「これから行く体育館、行った事あるの? なんか慣れてるけど」
「うん。冬休みに学校の体育館が改装で使えなかった時期があって、その時に何回か」
学校の体育館が使えなければ有料の施設を借りるとは、やはりお嬢様校。発想がセレブだ。
明芳なら――と言うか普通の中学なら、校庭にある屋外コートで練習するか、それもできなければひたすら走り込みと筋トレにでもなるだろう。
もちろん、ボールが無いよりはあった方がいいし、屋外より体育館の方がいいに決まっている。より試合に近い、リアルな環境で練習ができるからだ。
そこで妥協しないのが、お嬢様校の金の力であるとともに、牧女バスケ部の顧問である岐土の意思なのだろう。
(でも、環境のせいで負けたって事にしたくないな)
次に牧女と試合をする時は、勝ちたい。
それも、できれば公式戦の大会で。
それを叶えるためには、県大会へ勝ち進む事が絶対条件だ。明芳と牧女は、別地区なのだから。
「……あ、えっと、中原さん?」
戸惑ったような叶の声。
気がつけば、じっと彼女の横顔を見つめてしまっていた。
「――あ、うん、何でもない。今度牧女と試合するときは絶対負けないぞって、それだけ」
「あはは……お手柔らかに」
実現するのは、早くとも次の夏。
それは、ジュニアオールスターに選抜された現2年生にとっての、中学最後の大会の時だ。
「ミートシュート、30本イン!」
市営体育館に到着した二人の耳に突き刺さったのは、成人女性らしき鋭い声だった。
コートの左右には、揃いのライトグリーンのシャツを着た女子の選手たち。愛たちより少し年上に見える彼女たちは、ジュニアオールスター埼玉代表に選ばれた子たちに違いない。
左右の列から交互に一人ずつ、フリースローライン付近へ走り込んで来る。
パスを受け取り、シュート。高く弧を描きスウィッシュ。
パスを受け取り、シュート。ボードに当たって、リングの中へ。
パスを受け取り、シュート。リングの内側に当たり、ネットへ滑り落ちる。
正確だ。
個人個人の技量の高さがよくわかるし、一糸乱れず練習が続いているのも練度の高さを感じさせる。
「……凄いね」
「う、うん」
うなずき合いながら、二人はコートを見下ろす2階の観客席の片隅に、そっと座った。
ただのキャッチからのシュートの練習だが、それだけでも整然とした迫力と、格の違いを感じさせる。
30本のシュート成功を達成するのは、あっという間の事だった。
(シュート、みんな上手いなあ)
愛にとって、中距離以上のジャンプシュートはまだ不慣れだ。
それを上達させられれば、ハイポストでより強烈にディフェンスを引きつけられる事は理解している。
(……私も、上手くならなきゃ)
ジュニアオールスターに選抜される子の多くは――つまり県で上位に位置する選手たちは、ポジションに関係なくそれを習得してきている。
県大会でいい戦いをしようと思ったら、それは、きっと必要なのだ。
「あ、ウチのキャプテン、あそこ!」
叶が指し示す。
コートの上では、
オフェンス3人に対してディフェンス2人、オフェンス側は自軍ゴール下から走り出して一気に攻め上がる。
その中で、ドリブルしてボールを運んでいる選手。
柔らかな亜麻色のハーフアップの髪には、愛にも見覚えがあった。
「あ、ホント。近衛さん!」
明芳との練習試合にもまして、彼女は華麗だった。
飛び出してきたディフェンスに食い止められ、立ち止まる――と見せかけた
カバーに入ってきた二人目に対して、左を抜く、と見せかけて右へ切り返す。
抜き去り、レイアップ!
ふわりと宙に浮いたボールは、綺麗にリングの中央へ。
「うん、かっこいい……!」
鮮やかで、華麗。
明芳との練習試合の時よりも、さらに冴え渡っているように思う。県大会で20点以上取っていたというのも納得だ。
だが、
「ちょっと! 何やってるのよ!」
怒声。
近衛に詰め寄ってきたのは、たった今、近衛と一緒にオフェンス側だった選手だ。
愛には、どことなく見覚えがあった気がした。
「ヘルプディフェンスが飛び出して、私たちがフリーだったでしょ! なんでパスしないのよ!」
鬼気迫る剣幕だった。一方、詰め寄られた近衛は、なぜ怒られているのかよくわかっていない様子だ。
「速攻じゃ、イージーシュート狙えるとこにパス出すのは当たり前でしょ! 県の代表なんだから、自覚持ってプレイしなさいよ!」
「まあまあ。落ち着きなよ、タマ」
近衛に詰め寄った選手を、まるで女子プロレスラーか何かかと思うほど、飛び抜けて大柄な選手が諌める。
その構図で思い出した。彼女たちは――
「御堂坂中の大黒さんと橋本さん!」
秋の新人戦で、圧倒的な力の差を見せつけられた相手だ。
かつて敗れた相手。だがその彼女たちが県代表に選ばれるほどの選手だったのかと思うと、どこか嬉しく誇らしい。
大黒真那は観客席を振り返り、愛の存在に気付いたような様子を見せた。驚き、そして嬉しさを表情に見せ、手を振ってくる。
彼女もまた、愛の事を覚えていたのだ。
橋本環も、ギャラリーの存在に気づいて毒気を抜かれたように、一歩退く。
「……とにかく、ワンマンはやめなさいね。まったく」
「あ、ええ、ごめんなさいね」
この場はそれで手打ち、というやりとり。
代表チームはその後、練習に戻った。
その後も整然として、個人技のレベルは高く、しかし単純なパスミスやディフェンスの連携ミスは散見された。
練習の合間の休憩時間を見計らって、愛たちは体育館の1階へ降りて行った。
スポーツ向きの短髪の子が多い中、亜麻色のハーフアップの髪はよく目立つ。近衛の姿を見つけるのに時間はかからなかった。
「あ、結城さん。それと……明芳中の中原さん、ね」
タオルで汗を拭いながら、近衛は二人の姿に気づくと微笑みかけてきた。
多少息を切らしているが、疲れ切った様子も、代表チームの練習に苦戦している様子もない。さすがは彼女と言うべきか。
「結城さんが友達を連れてくるって言ってたけど、中原さんの事だったのね」
「はい、代表チームの練習に興味があって。あ、お久しぶりです」
思い出したように挨拶して頭を下げると、近衛は可笑しそうに目を細めた。
「何か勉強になる事があるといいんだけど」
「勉強って言うか……すごい刺激になりますね。私より大きい人もジャンプシュートとかドリブルとか、そういう技術がちゃんと上手いし。私は体が大きいだけでやってきちゃいましたから」
体格は間違いなく愛の武器だ。今なら、躊躇いなくそう言える。
けど、それだけで戦えるほどバスケットは甘くない。
現に目の前の彼女は、愛より頭ひとつ分近く小柄にも関わらず、抜群の技術で県代表にまで選ばれたのだから。
その技術がどれほどの脅威になるのかは、愛も練習試合で身をもって知ってるのだから。
「まあ、できたら私も、もう少し身長は欲しかったかしら」
かすかに苦い笑いを浮かべながら、冗談めかして近衛は言う。
彼女の身長は叶よりわずかに高い程度で、おおよそ155cmぐらい。女子バスケットの基準で言えば、中学であっても
もし彼女にあと数cmほど身長があって、
間違いなく今以上の脅威になっただろう。ただでさえ彼女には、恐るべき技術とセンスが生む得点力と、ディフェンスの意表を突くトリックプレイの数々がある。
そこに、体格によるパワフルなプレイも加わったら?
それこそいよいよもって、手が付けられない存在になるだろう。
「いや、ホントそれ以上身長伸びないでくださいね? 次の夏大会で、私たちが勝てなくなっちゃいますから」
「あら、弱気なこと言うじゃない。私より身長高くて、私より上手い子だっているわよ?」
ちらりと、コートの方へと視線を向ける。
背番号12が書かれた代表チームのシャツの子がいた。身長は170cm近いだろう。休憩時間中にも関わらず自主練習をしているようだ。サイドテールの髪を跳ねさせて、ドリブルをつきながらのフットワーク練習をしている。
ドリブルしながら右にワンステップ。
左手に
即座、
仕上げとばかりに、ゴールへ向かってドリブルでまっすぐ進み――
ステップバック!
脚が長い。その一歩で退がった距離は、実戦だったらとてもディフェンスがブロックに行けないほどの距離。
そして、ジャンプシュート。
高い弧を描いて、ゴールの中央にボールは落ちていった。
「……綺麗」
思わず、口にしてしまうほど。
今の自分だったら、決してディフェンスできないだろうと思ってしまった。それほどに、傍目に見てもわかるほど圧倒的にスキルのレベルが高く、そして一連の動きがひとつの芸術品のように完成されていた。
さらに驚くべきは、それを愛とさほど変わらない長身の子がやってのけた事。
身長やポジションを理由に、アウトサイドプレイヤーとしてのスキルを磨く事を怠ったりはしなかった選手なのだろう。それが既に、かつての愛のように"ゴール下が自分の仕事場"と決めつけていた選手と違う。
「ちなみにあの12番の子、あなたたちと同じ1年生よ」
「うっそ」
思わず、そんな言葉が口をついて出る。
他校のとはいえ、上級生に対して少し失礼だったかもしれない。愛は慌てて言い直した。
「えっと、ホントですか? あの子が1年生って……」
「ええ。
上手いはずだ。愛は、変に納得してしまった。
なんだかんだ言って、自分は今のところ地区大会止まりの選手だ。近衛ですら県の代表にすぎない。
あの12番は、日本の代表。
道理でレベルが違うわけだ。
「あの、キャプテン。やっぱり県代表チームでやるのって、難しいですか?」
おずおずと、叶が話に入ってくる。
「キャプテンより上手い人もいるし……さっきの3対2の時も、ちょっと、なんだか、うまく連携ができてなかったって言うか」
「ああ、あれは……うん、チーム文化の違いかしらね」
少し困った様子で近衛は答える。
叶が言っているのは、さきほどの
イージーシュートのチャンスがあるなら、そこにパスを出すのが普通だ。愛もそう理解している。
だが一方で、近衛ほどの選手なら、ディフェンス二人がかりでもそうそう止められる事はないだろうとも。
「
彼女の言葉から漂うのは、おごり高ぶりではなく、自負と責任。
牧女バスケ部は、ラン&ガンを基本戦術とする、スピーディかつ攻撃的なチームだ。そのオフェンスの中核を担っているのは間違いなく近衛の得点力であり、彼女が点を取りまくって強烈にディフェンスを引きつけるからこそ、他が活きるのだ。
それは、チームの中で近衛の実力が抜きんでているからこその形。
行けそうならば、フリーの味方を無視してでも自分で攻めきる事が許される形。
つまりは、ワンマンチームの形だ。
「結城さんがボールを捌いてくれるときは、
近衛がそう言うと、叶は気恥ずかしげに身をすくめた。
そんな彼女に暖かい視線を向けたあと、近衛は言葉を続ける。
「――まあ、いずれにせよ、
なんとなく、愛は納得した。
近衛が一人の選手としてどれほど優れているのかは、身をもって知っている。県代表に選ばれた選手たちは、きっとみな同じように、自校のチームではエース級の選手なのだろう。
だからこそ、自分が戦術の中心でない環境に慣れていない。
練習の中で単純なパスミスが散見されたのも、きっとそのせいだ。普段なら自分が無理矢理攻めてもいい状況でも、
周りの味方も、同じように優れた選手だから。
都道府県選抜大会で戦う事になる、他の都道府県の代表選手たちも、同じように手強い相手だから。
突き詰めれば――
「上には上がいる、って事ですね」
愛は、腑に落ちた印象を、そう言葉にした。
近衛は笑ってうなずき、肯定する。
「県代表のコーチにも言われたわ。県代表に選ばれた事は誇っていいけど、それを鼻にかけてはいけない。同じように優れた選手や、もっと上手い選手がいる。そういう選手たちと勝負する事や協力する事を学ばないと、これ以上の成長はない。それを学ぶのが都道府県対抗大会なんだって」
納得だ。
だが、ひとつだけ愛の胸には疑問が浮かんだ。
「これ以上の成長って、何を目指すんですか?」
「ん? そうね……」
近衛は口元に指を当てて少し考える仕草を見せ、そして答えた。
「高校とか大学とか、それか実業団とか、将来的にはいろいろ考える事もあるけど……まずは
全国大会。
そこを目指すなどという言葉は簡単に口にしてはいけないと、かつて亮介が語った場所。
近衛は、現実的にそこを目指していた。
「よっ、久しぶりじゃんよ」
近衛が去って行ったあと、入れ替わるように愛に話しかけてきた人物がいた。
愛よりも10cm以上は高い目線。
見間違うはずもなく、御堂坂中の大黒真那だった。彼女の体つきは、以前にも増してがっしりとしているような気がする。
「ど、どうも。……お久しぶりです」
愛の受け答えは、やや身構えるような形になってしまった。
それも仕方ない。愛にとって彼女は、試合の中で初めてフィジカル勝負で勝てなかった相手であり、勝利を目指すためとはいえややダーティなプレイで対抗しようとしてしまった相手だ。
敗戦の記憶と後悔とが、複雑な感情を生み出してしまう。
だが、
「ははっ、何緊張してんだよ。アンタらしくない」
真那は、豪快に笑い飛ばした。
らしくないって何を根拠に、と皮肉めいた事を愛は思ってしまう。彼女は愛にとって忘れられない強敵だが、そもそも秋の新人戦で一試合勝負しただけの関係にすぎない。言葉を交わした事もほとんどないのだ。
だが、真那はお構いなしだった。
「あたしは楽しみにしてるんだよ、今度の夏の地区大会をさ」
にんまりと笑う。
獲物を見つけた肉食獣の目だ。
「アンタは学年じゃひとつ下かもしれないけどさ、あたしはアンタのこと、ライバルだと思ってんだから」
「ら、ライバル、ですか」
10cm高い位置からの言葉は、やや怖さもある。思わず一瞬、口ごもってしまった。
だが。
「ああ、ライバル」
嫌味なく、真那はそう言い切る。
「地区でアンタだけだよ? あたしに真っ向勝負しようとしてくる
「そりゃ、だって、大黒さんぐらい大きい人とは普通、勝負したくないでしょうし……私も結局、かなりわざと気味にファウルしちゃいましたよ?」
「それだよ。それがいいのさ」
真那の手が、愛の肩に置かれる。
大きい手だった。暖かいと感じたのは、ただ練習によって真那の体温が上がっていたから――だろうか?
「アンタは、あたしに絶対敵わないとは考えなかったろ。なりふり構わず勝ちに来た」
「や、そうですけど」
愛は歯切れ悪く答える。
ギュッと、手が肩を握ってきた。
「そういうヤツ、あたしは好きだよ」
「……そうですか」
声音が落ち着く。
沸々と、何か湧き上がってくるものがある。
これは闘志と高揚感。
この強敵に、今度は勝ちたいという意志。
そして、県内でもトップクラスの
自分と彼女には、通じる思いがあったのだ。
(もう一度、勝負したい。そして、勝ちたい!)
はっきりと自覚する。そしてこれは、真那も同じ思いなのだ。
県代表選手と、地区大会負けの選手。今この瞬間、立ち位置の違いはあったとしても。
「じゃあ――」
気持ちがクリアになる。
10cm高い顔を見上げても、もはや怖さも後ろめたさもない。
「夏の地区大会で、また会いましょう。その時には、私も大黒さんに追いついてますから!」
「ああ、また夏に
真那は愛の肩から手を離し、その手を愛の前へと差し出した。
愛は、その手を握り返す。
大きな手だ。
でも、体の大きさでは負けていたとしても、ハートの大きさで負けるつもりはない。
「負けませんよ。どこにも」
どこにもだ。
御堂坂中にも負けるつもりはない。
地区優勝しなければ、牧女が待っている県大会には行けない。
その先にいる牧女にだって、負ける気はない。
だから、"どこにも"と。強い言葉が、愛の口からは自然と出ていたのだ。
休憩時間が終わり、代表チームの練習が再開された。ビブスの色で白チームと緑チームに分かれて、今度は5対5の
愛は叶とともに、2階の観客席からその様子を見ていた。
近衛も、真那も、緑チームで参加している。
だが愛がまず目を引かれたのは、白チームだった。
「あの12番の子……」
遠野と呼ばれていただろうか。髪をサイドテールに束ねた、170cm近い長身の――U-13に選出されたという選手。
白チームがボールを得ると、彼女がドリブルしてボールを運んでいた。
「あの子、
愛の理解している限り、
「あんな大きい子なのに……」
「でも、ありえなくはないと思う。ハンドリングすごい上手かったから」
愛の隣で、同じようにコートに視線を落としながら、叶はそう言う。
「
叶の言う事は、おそらく正鵠だ。きっと亮介が語っても、同じように言うだろう。
そして、本来
愛は彼女に注目して、練習の様子を見守った。
遠野はドリブルして
そして、
ディフェンスを一発で抜いた。
シンプルな切り返しだった。近衛のような複雑な技を凝らしたドリブルではない。けれど、愛が遠目に見ても完全に左へ行く体勢だったところから、まるで瞬間移動のように一気に右へ切り返した。
体の動きがしなやかで、それでいて力強い。
だが。
(抜いた先に、大黒さん――!)
ヘルプディフェンスに入ったのは、真那。
ポジショニングは適切だ。ドライブコースを塞がれた遠野は、真那に背を向け、ボールを両手で掴んで保護。
いわゆる"止められた"状態だ。ドリブルを止められてしまった以上、もはや遠野にはパスかシュートしか選択肢はない。
まして目の前にいるのは、県トップクラスの
普通なら、パスしてオフェンスを組み立て直すところ。
だが遠野は、左に
(行く!?)
安易なピボットターンからのシュートで、真那に通じるはずがない。少なくとも、愛は経験からそう思う。
だが遠野はそうしなかった。上半身を振っただけ。左へ
右にピボットターンして、シュート体勢!
だが真那もそれについて行く。手をかざしシュートを
遠野はそこで、さらに踏み込んだ。
「!」
思わず、息を飲む。
左と見せかけて右にピボットしてシュート、と見せかけてディフェンスの注意をシュートに向けるところまでが準備行動だったのだ。
遠野は真那のすぐ横に体を入れて、アンダーハンドでシュート!
バックボードに当たったボールは、ゴールへ綺麗に落ちていく。
シュートを決めてバックコートへ戻っていく彼女は、眩しいばかりの笑顔だった。バスケットを心から楽しんでいる事が、遠目にもわかるほどに。
(……凄い)
純粋に、そう思う。
これが例えば近衛なら、"綺麗"だ。彼女は芸術にも思えるような、複雑で華麗な技を使う。
真那なら、"強い"だ。彼女は圧倒的なフィジカルを武器に、強烈なプレイをしてくる。
遠野は?
"凄い"としか表現しようがない。しなやかで力強い体の使い方はバスケット選手として完成されているようで、使いこなす技は近衛のものとも真那のものとも趣が違っている。
近衛は、技を凝らして華麗にかわす。真那は、パワーを活かした真っ向勝負で攻めきる。
遠野は、身体能力に裏打ちされた、シンプルだが止められない技を駆使する。そしてもっとも効果的にゴールへ向かって攻め込んでいる――そのように見えた。
「すっごい……」
叶も、愛と同じように呟いた。
今度のオフェンスでは、遠野はコーナーでボールを受け取り、3Pシュートを撃った。
高い弧を描いたボールは、リングの中央にまっすぐ落ちていき、ゴールネットを翻させる。
(ジャンプシュートも正確……!)
今、愛にはない武器。
それを遠野は、間違いなく高いレベルで身につけている。
もしこれが、ドリブルとジャンプシュートが上手いだけなら、ただのアウトサイドプレイヤーとしての上手さでしかないが――
「ポスト入った!」
叶が指し示す。
白がリバウンドを取り、再び白のオフェンスだった。遠野はいったん他の選手にボールを渡すと、空いたスペースに走っていく――と見せかけて、ハイポストに位置取りした。
緑チームの
パスを受け取る。
ゴールへ向かってまっすぐ
途端に、ディフェンスが収縮する。
遠野はさきほどまで圧倒的なオフェンス力を見せていた。彼女がゴールに向かって仕掛けようとする動きは、強烈にディフェンスを引きつけていた。
遠野はジャンプし、シュートモーション。
からの、コーナーへのパス!
コーナーでフリーになっていた選手がボールを受け取った。
3Pシュートが放たれ、再びゴールネットが翻る。
シュートを決めた選手の腕も見事だが、遠野はそれ以上に凄かった。まずもって圧倒的なオフェンス力がある。それによってディフェンスの注意が自分に向いている事を利用して、ディフェンスの裏をかき、味方の力を引き出した。
彼女はまさに、試合を
「……私と同じ学年に、あんな子がいるんだ」
口にすると、リアリティが生まれていく。
県内には、これほど傑出した選手がいる。互角に戦うには、今の自分では足りない。
でも、手が届かない存在だと諦めたくはない。
負けたくない。
負けられない。
それは自分の内側から湧き出てくる、ごく自然な感情だった。
その感情がどんな目標に繋がっていくのかを、愛自身、まだわからないままに。
帰りのバスを降りれば、痛いほどに冷たい空気が頬を襲った。
バスの内外の気温の差というだけではないだろう。きっと、体育館で感じ取った熱気との落差だ。
「今日は誘ってくれてありがと、結城さん」
「ううん。中原さんこそ、来てくれてありがと」
笑い合う。
叶も伏し目がちな笑顔の中に、どこか敢闘精神が見て取れる。
負けていられないと思ったのは、彼女も一緒のようだ。
「いい刺激になったね、今日は」
「うん」
彼女にしては珍しいほど、力強くうなずく。
半年後に夏の大会が終わって、近衛が中学プレイヤーとして引退すれば、牧女の正
レベルアップしなくてはならない。近衛や遠野に追いつかなくてはならない。愛以上にそう強く感じたのだろう。
それほど、圧倒的な世界を見てきた。
それは追いつき追い越すべき、具体的な目標の形だった。
それを目の当たりにして、自分の中に灯った何かを克明に感じる。
はぁっ、と熱い息を吐く。白い吐息が宙に散っていった。
「練習、したいなぁ」
「うん、私も」
週が明ければ、お互い自校での部活があるはずだ。
けれど、それすら待ち遠しいほどに、今すぐバスケットがやりたかった。
県選抜チームの練習にあてられた熱は、それほどに熱くて。
「……じゃあ、やって行こっか?」
偶然目に入った建物を見上げながら、愛は言った。
巨大なボウリングのピンが目印の、複合スポーツアミューズメントセンター。確か屋上には、バスケットのゴールもあったはずだ。
「運動できる服で来てる?」
「あ、うん。下、普通にセーターだから」
叶は首元のピンクのマフラーをずらして、ダッフルコートの下のセーターをちらりと見せてくれた。
わざわざそこまでしなくても、と愛は苦笑する。
と言うか、聞くのがやや野暮だった。叶は、下はロングスカートだ。
「シュート練習ぐらいかな。私、ミドルの練習したいし」
「うん。私もキャプテンみたいに点取る練習しなきゃだから」
笑い合い。
そして、アミューズメントセンターへ二人で入って行った。
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