#23 ファウルトラブル

「お疲れ、稲川さん。タオルいる?」

「あ、はい。いただきます」


 稲川いながわ朋美ともみは、スポーツ用ゴーグルを外し、上級生から受け取ったタオルで汗を拭いた。

 2年生の永崎ながさき雲母きららは、背番号6のユニフォームを着ているはずだった。今はその上にブルゾンを着ていて、背番号は見えてはいないが。


「ありがとうございます、きららちゃん先輩」

「ちゃん言うなし」


 必要以上に可愛らしい自分の名前が、彼女は好きではなかった。

 それをネタにしたような渾名が定着している事も。


「ったく、もう」


 パイプ椅子に深く腰かけて、所在なさげに脚をぶらつかせる。彼女の脚には、テーピング式のサポーターが巻かれていた。

 本来なら彼女は、牧女のスタメンだ。160cm近い身長と優れた敏捷性を持つ彼女は、SGシューティングガードとしてもSFスモールフォワードとしてもプレイできる器用な選手だ。

 練習中に捻挫していなければ、スタメンから外れる事はなかっただろう。

 彼女にその不運があったからこそ、朋美にスタメン出場の機会が回ってきたのだが。


「それより稲川さん、スタメンで出た感想はどう? 緊張したんじゃない?」

「そうですね、凄く……それに、結局1点も取れなかったですし」

「まあ、明芳あっちの7番のディフェンスも良かったしね。1ピリで交代になっちゃったのは残念だけど……」

「ん、それは別にいいです」


 笑ってコートに目をやれば、彼女と交代して試合に参加した、背番号12の結城ゆうきかなえが懸命にプレイしている。

 明芳の得点源らしい5番に対して守備に着き、その攻撃をうまく食い止めていた。


「叶ちゃんが活躍してるのは、嬉しいですから」

「もともとは稲川さんが結城さんを誘って、一緒に入部してきたんだっけ」

「ええ」


 その通り、もともと叶をバスケ部に誘ったのは朋美だった。

 元プロ選手が指導してくれるという宣伝文句に朋美がミーハー精神で食いつき、入学から間もなく友達になったばかりの叶と一緒に体験入部してみたのがきっかけだった。

 元プロ選手だという岐土の指導は、情熱にも溢れているが論理的で納得しやすく、バスケットが奥の深い競技だという事を明快に示してくれた。

 朋美にとって、バスケットが好きだと思えるようになるまで、時間はかからなかった。

 その一方で当時は、叶が自分と同じようにバスケットを楽しめるかを心配していた。


(私と一緒の部活に入るって言ってくれたのは、嬉しかったけど)


 叶とは、牧原女子中に進学してすぐ友人になった関係だ。

 小柄で、極度の恥ずかしがり屋で引っ込み思案な叶に対し、まるで妹ができたかのような気持ちを抱いたことをよく覚えている。

 叶も朋美に懐いており、同じ部活に入ると言ってくれた。

 お姉ちゃん気分でいた朋美にとっては、嬉しかった。


「最初は心配だったよね、結城さんの事」

「ん……そうですね」


 雲母の言葉に、否定の余地はない。

 体格が大きな武器となるバスケットという競技をやるにあたって、叶はあまりに小柄で華奢だった。

 運動神経も、やっと人並みというレベル。技術の上達についても、目立つほどのものはなかった。

 加えて叶は、人と争うのが苦手な性格だった。攻撃的な事を仕掛けるのは特に苦手で、シュートやドライブは、チャンスと思える時でも遠慮がちになってしまうほどだった。

 そんな彼女に対して――


『ちょっとー、ダメだよカナエー、牧女ウチは攻めのチームなんだからさー』


 朋美の脳裏に、いつだったか、浅木の言った言葉が浮かんだ。

 特に親しいわけでもないのに、彼女の事を馴れ馴れしく"カナエ"とファーストネームで呼び、あまつさえ同じ1年生だというのに上から目線でダメ出ししてくるあたりは、腹が立つ。

 一概に間違った言い分ではない。牧女バスケ部は、走りと攻撃を重視するチームだ。

 だが、そんな事はどうでもよかった。


「稲川さん稲川さん。ムカついた顔してる」

「え」

「まあ、浅木さんが……ってのはわかるけどさ。そんなだと、先輩的には悲しいなあ」

「……はあ、ええ」


 朋美は曖昧に答えた。

 朋美から見て、同級生の浅木美佳は、イラつく存在だった。

 叶に対しての物言いもそうだが、そもそも態度が非常識だと思う。

 今もそうだ。コート上では近衛が、鮮やかにジャンプシュートを決めたところ。


「ナイッシュー! さっすが近衛センパイ!」

「ふふ、はいはい。さ、ディフェンスよ」


 バックコートへと悠々と戻っていく近衛をもてはやすように騒ぎ立てているのが、背番号8、浅木美佳だ。

 入部直後に、キャプテンである近衛に生意気にも勝負を挑んだ1年生が、これだ。

 無節操なほど、変わり身が早すぎる。

 それでいて――


「ほらカナエ、テンション低いよ~? 勝ってんだからさ、もっとカナエもガンガン行かなきゃダメだって」

「う、うん」


 ――叶の事は、自分より格下だとでも思っているのだろうか。

 正直、不愉快だった。チームメイトと呼ぶのを躊躇うほどには。






 #23 泥沼ファウルトラブル






 第2ピリオド開始からわずか1分後、亮介はタイムアウトを取った。


「くっそ……」


 ベンチに座ったメンバーのうち、茉莉花は明らかに焦れていた。

 無理もないだろう。彼女にとってこの1分間は、今まで経験してきたあらゆる試合の中で、もっとも動きづらい時間帯だっただろうから。

 それほどに、牧女の12番のディフェンスは的確だった。


「みんな、落ち着こう。オフェンスが今まで通り機能していないのは、痛感していると思う」


 ベンチに腰かけた5人の前で、亮介は作戦盤を開く。

 いつも通りの外4人・中1人フォーアウト・ワンインの形にマグネットを配置。そして、白の"5"のマグネットをゴールから遠ざけるように動かした。


「……あたし、下がってた方がいい?」

「そうだね。ただそれは、あの12番を相手に攻めきれないから氷堂さんはダメだ、って事じゃない。ディフェンスの都合だ」


 亮介は一同を見渡す。

 すぐに察したのは、瞳だ。


牧女あっちの速攻で何回もやられてますから……ね」


 瞳の口調は冷静を装っていたが、苦々しさがあった。

 本来、速攻阻止セーフティは、オフェンス時に後衛となるGガードの仕事だ。速攻で点を取る、速攻での失点を防ぐ――"走り合い"を制するためというのが、Gガードに走力が求められる最大の理由だ。

 それは鈴奈の得意分野であり、瞳の苦手分野だ。

 だが、速攻の話題になると、鈴奈も肩を落とした。


「ごめん、あたしが速攻止められたら良かったんだけど……」

「しょうがないって。牧女あっちの4番、半端ないもん」


 鈴奈の言葉に、瞳も苦笑い。

 実際これまでの多くの試合で、明芳の速攻阻止セーフティはほとんど鈴奈が一人で担っていた。

 だが牧女の速攻は、鈴奈一人では止められない。

 牧女の4番――近衛のスピード、技、パスセンス、それら全てのレベルが高すぎるのだ。

 鈴奈でもディフェンスしきれない。瞳では、走りについて行く事すらできない。

 その事実を、瞳は冷静に受け止めている。


「先生、茉莉花を後ろに下げるのは私も賛成です。速攻で点が取れなくなれば、牧女あっちのペースも乱れてくると思います」

「うん、その通りだ。僕もそれを狙ってる」


 今のスコアは12-17で、牧女の5点リード。

 失点を2~3回防げれば追いつける点差だ。ほんの些細なきっかけで試合がひっくり返っても、何らおかしくはない。


「いいね、氷堂さん?」

「ん、わかった。センセーと瞳がそう言うなら、あたしはそれをやるよ」


 茉莉花は軽く頬を張って、気合を入れ直す。

 自分のオフェンスが機能しない苛立ちと困惑、頭から追い出す意味もあっただろう。

 いずれにせよ役割を前向きに受け入れようとしている。チームの一員としては好ましい事だ。


「マークも変えよう。4番の攻撃をなんとかして止めたい。若森さんが4番に、神崎さんが12番に着いてくれ。若森さんには負担をかけるけど……」

「だいじょぶっ。まだまだ走れるよ、あたし」


 鈴奈は頬の汗を拭いながら、強気に笑顔を作る。

 さきほどから速攻阻止セーフティを担っていた鈴奈は、走りの負担が大きいはずだ。その上さらに、圧倒的にレベルの高い牧女4番と直接対決マッチアップしては、最後までスタミナが持つかどうか。

 だが、瞳では4番を止められるはずもない。

 明芳で一番フットワークのいい鈴奈をぶつけるのが、現状、最善の策に違いなかった。


「よし、頼むよ。……で、問題はオフェンスだ」


 亮介は再び、メンバーの注目を集める。

 失点を防げても、こちらの点が取れなければ、差は縮まらない。茉莉花が止められている以上、こちらも無策とはいかない。


「中原さん、相手のCセンターは手強そうかい?」

「はい。巧いです」


 そうだろう、と亮介は内心で同意する。牧女のCセンターは技巧的だ。

 愛のように体格やパワーが飛び抜けて優れているわけではない。だが、ディフェンスの反応が良く、ボール際の競り合いも上手い。

 特に、リバウンドで愛に競り負けそうになった時、咄嗟にボールを弾き出しティップアウトした判断力は見事だ。

 だが。


「でも、大黒さんの時みたいな感じはないです」


 新人戦で相対したCセンターの名を出して、愛は答える。

 その目には、弱気の色はない。


「勝負、できます」

「よし」


 愛の答えに、亮介はうなずく。そして、作戦盤のマグネットの配置を再び変える。

 愛を、ゴール下のローポストの位置に。


「しばらく、インサイドを中心に攻めよう。牧女は飛び抜けた長身選手ビッグマンがいない。ゴール下の勝負なら有利のはずだ」

「牧女のCセンターと、1対1ですか?」

「少しの間だけね」


 ディフェンス側のマグネットを、全体的に愛のマグネットへと寄せる。


「中原さんがゴール下で何点か取ってくれれば、牧女は中原さんを放置できなくなる。そうしてヘルプディフェンスが中原さんに向かえば、他の誰かがノーマークになるはずだ」

「私が相手を引きつける……って事ですね?」

「ああ。そのためにも、まずは中原さんがインサイドで1ゴール決めてくれ」

「はいっ」


 小気味良い返答。

 レディバーズとの合同練習以来、愛の立ち回りは他者中心的アンセルフィッシュだ。だが今は、愛に起点になってもらわなくてはならない。

 思い切り良くプレイするきっかけを作れたのなら、タイムアウトを取って正解だった。


「神崎さん、状況判断は任せる。牧女のディフェンスが中原さんに引きつけられているかを見極めて、パスを配るように」

「ん、わかりましたっ」


 ビ――――ッ。


 タイムアウト終了を告げるブザーが鳴ったのは、ちょうど会話の終わったタイミング。

 明芳メンバーはベンチを立ち、そして再びコートへ向かう。


「よっし、行こ! まずはディフェンスだね」

「おーっし、一本止める! んで、反撃だ!」


 戦意は充分。いいチームに成長したものだと、指導者の目で見ても思う。

 劣勢であっても、きちんと立て直しに気持ちが向いている。個々の特性をお互いに理解し、息を合わせて――


「あたしたちが第二の得点源セカンドオプションって事だね。頑張ろ、めぐちゃん!」

「……ええ。言われなくても、やってやるわ」


 ――そうとも言い切れないか。


 この部の顧問を始めて半年あまり。亮介の目にも、部員たちの成長は明らかだった。

 それも、バスケット選手としての体力的・技術的な向上だけではない。

 愛は、体格を活かしてチームを支える役割に目覚めた。結果、体格のコンプレックスを乗り越えつつある。

 鈴奈はミニバス時代の苦い過去を乗り越えて、心からバスケットを楽しめるようになった。

 瞳はPGポイントガードの役割を通じて、リーダーシップや作戦能力といった才能を発揮し始めた。

 茉莉花は、チームのエンジン役だ。チームが困難に挑む時、暗い雰囲気を振り払う時、いつも真っ先に声を上げる。

 そんな中。


「今度こそ……」


 慈は小さくつぶやきながら、コートへ戻って行った。

 慈は――忌憚なく言えば、不器用だ。

 5人の中では、もっとも黙々と練習に取り組んでいる。自分なりの得意技を身につけようと、アウトサイドシュートは特に熱心だ。

 だが、その努力はまだ実っていない。

 現にこの試合でも、第1ピリオドで放った3Pシュートは外れた。

 "今度こそ"と言ったのもそれだろう。自分なりの存在意義を確立したいに違いない。


(……綾瀬さんには、貧乏クジを引かせたからなあ)


 亮介は負い目を感じている。

 創部当初、身長が2番めに高い事を理由に、慈をPFパワーフォワードに任命した。だが慈は細身で非力で、インサイドポジションには不向きだった。

 その時点で、慈は愛に劣ると明言されてしまったも同然だった。

 外4人・中1人フォーアウト・ワンインのフォーメーションを採用したのは、ひとえに、適性の高い役割を慈に与えるためだ。

 しかし、インサイドの仕事から解放された慈は、今度は純粋な点取り屋として茉莉花に及んでいない。

 茉莉花の方が、ディフェンスを自力でかわしてシュートまで持っていく能力が高い分、攻撃のバリエーションが豊富だ。こればかりは純粋な運動能力による部分が大きいため、一朝一夕ではどうしようもない。


(なんとか、あの子を伸ばしてあげたいけど)


 慈にはまだ、彼女ならではの活躍の場を与える事ができていない。

 活躍できるだけの優れた能力も、まだない。

 この試合ですぐに――とは言わないまでも、近いうちに慈の能力を引き出してあげたいものだが。

 なかなか上手くはいかないものだ。

 亮介は嘆息し、天を仰ぐように視線を上へ。

 そこで、ふと目に留まった。

 2階の観戦用通路に、1人、観客がいる。

 愛たちとそう変わらない歳に見える女子。タートルネックの服にジャンパースカートの私服姿だ。今日は土曜なので制服でなくても不自然ではないが、わざわざ女子バスケ部の練習試合を見に来たのだろうか?


(……入部希望者なのかな?)


 授業もない日に練習試合を見に来たというのなら、その可能性は高いだろう。

 事実、彼女は、試合を笑顔で眺めていた。

 眼下で行われるひとつひとつのプレイが、興味深く、そして楽しいと表現しているように。






 慈は焦りを感じていた。

 新人戦以来ずっと練習してきた3Pシュートが、入らない。

 レディバーズとの合同練習でコツを教えてもらい、練習では多少入るようになったのに。

 試合開始前のウォーミングアップでは、茉莉花も3Pシュートを成功させたと言うのに……


「あいちゃん、ないっしゅー!」


 ゴール下では愛がローポストからのシュートを決めて、スコアは14-19。

 一転、今度はこちらのディフェンス。

 ドリブルしてボールを運んできた4番に対して、鈴奈が守備に着く。

 4番が突破ドライブしようとするも、鈴奈は素早く反応して、容易には抜かせない。

 そこへ――


「へいっ! パス!」


 牧女の8番!

 同じPFパワーフォワードである彼女は、慈のマークを振り切るようにゴールへ向かって走り込む。


「!」


 一歩遅れて、慈はそれを追いかけた。

 4番からパスが入るのと、慈が追いついたのは、ほぼ同時。

 ゴールに正対してシュートフォームを取った8番に対して、ブロックに跳ぶ!


「っと!」


 ダムッ――

 ブロックに跳んだ慈の横で、ドリブルをつく音。

 かわされた。

 そう認識した瞬間には、既に8番は悠々とシュートを放っていた。

 ボールはバックボードで跳ね返り、リングの中へ。

 14-21。


「っく……」


 かすかに唇を噛みながら、慈はボールを拾い上げる。

 これから追い上げて行こうという時に、自分の所から失点。苛立ちは抑えきれなかった。

 ただでさえ、今日は目立った活躍もできていないというのに。


「綾瀬さん、ドンマイ。切り替えて行こ」

「わかってるわよっ」


 愛想のない声になってしまうのは自覚できたが、自覚すれば何でも直せるというものでもない。


(落ち着いてやればいいのよ。落ち着いてやれば……)


 自分に言い聞かせる。

 そうしている間に、愛がまたもローポストから得点。今度は単純な真っ向勝負ではなく、一度フェイクをまじえてディフェンスを撹乱してからのシュート。

 身体能力頼りではない、技術の向上がうかがえる仕掛け方だった。

 スコアは16-21。

 お互いに点を取り合って、差が5点から縮まらない。

 相手の攻撃を食い止めなければ、縮められない。

 次の牧女のオフェンスを、どうにか無得点で終わらせなければ――


「へいへいっ!」


 また8番がパスを要求しながら、ゴールへと走り込む!

 慈はそれを追いかけた。心構えの差か、今度は出遅れなかった。

 パスコースを塞ぐように手を伸ばし――


「よいしょっ!」


 8番は、背中で慈を押しのけた。


「ぐ……!?」


 衝突。よろめき、たたらを踏んで体制を立て直す。

 その間に8番は、4番からの高いパスをジャンプして受け取り、ゴールに背を向けた姿勢で着地。


(ポストプレイ!?)


 ローポストの動きだと、慈はそのタイミングでようやく認識した。

 愛のようにゴール下に貼り付くような立ち回りではなく、ゴール下に走り込んでから一瞬だけディフェンスを押しのけて……!


「とりゃっ!」


 ゴールに正対し、8番がシュート!

 慈は懸命にブロックに跳んだ。手は届かないまでも、どうにかシュートを外させられればと。


 ガッ――と重い音を立ててリングを揺らし、ボールはリングの外側へ。


(外れた!)


 外させる事ができた。

 あとはリバウンドを取る事ができれば、牧女は無得点!

 慈はブロックから着地すると、ゴールへ向き直る。

 が、横から押され、その体は再びよろけた。


「んっしょ……っと!」


 牧女の8番のボックスアウト!

 ボールの落下地点で待ち構えていた慈を押しのけ、好位置を確保し――ジャンプ!

 ボールは牧女8番の手の中へ。

 そのまま、再びシュート!


「こ……のっ!」


 慈は再びブロックに跳んだ。

 だがリバウンドポジションから押しのけられていた以上、8番の前に回り込む事ができていない。

 横合いから接触!

 慈の手は8番の腕に当たり、しかし押し負けて、8番の指からボールが放たれる。


 ――ピッ!


「ディフェンスファウル、明芳しろ8番!」


 審判役の絵理香が、高々と拳を突き上げて宣告した。

 ボールはリングの上を跳ねて、内側へ。


「バスケットカウント・ワンスロー!」

「よっしゃー!」


 ジャッジを聞いて8番が上げたのは、およそお嬢様校の生徒らしくない声。

 しかし、喜ぶのも無理はない。

 絵理香が得点板の黄色いシートをめくり、スコアは16-23。

 さっき5点差まで詰めたものを、また7点差に戻されてしまった。

 しかもそのうえ、フリースローで、余計な得点チャンスを献上するなどという失態を……!


「ナイスですわ、ミカちゃん!」

「へっへー。とーぜん、このぐらいはねー!」


 得意げな顔でフリースローラインに立つ8番。


明芳あっちの8番、ザルだよ! ガンガンやっちゃお」


 ――こいつ。


 フリースローのボールを受け取る8番に対して、慈は、嫌悪感を抑えられなくなってきた。






 牧女の8番は、フリースローを外した。

 外したにも関わらず、ヘラヘラと笑いながらバックコートへ戻っていく姿も、忌々しかった。


「まあ、へーきへーき。もっと点取ってやるから」


 外した事に反省の色もなく、軽い調子でチームメイトに言う。

 その"点を取る"というのは、間違いなく、自分が取りに行くつもりだろう。

 つまり、慈のところから。


(私がそんなにヘタクソだとでも言いたいの……!)


 慈は強く歯を食いしばり、足速にフロントコートへと進んだ。そして攻撃のチャンスに備えて状況をうかがう。

 瞳から、ポストアップした愛へとパス。

 愛は再び、ローポストからゴールを狙い――


「浅木さん、ヘルプ!」

「はぁい!」


 Cセンターの5番に呼ばれ、8番が飛び出した。ゴールに正対しようとする愛に、二人がかりダブルチーム

 作戦通りの展開――!


「外!」


 瞳が指示を飛ばす。

 慈は躊躇なく愛から遠ざかり、3Pライン沿いに走った。

 左コーナー。

 もっとも熱心に、3Pシュートの練習をした位置!


「綾瀬さんっ!」


 二人がかりダブルチームを受けている愛から、ディフェンスの頭上越しのパス。

 ボールは慈の手に届いた。

 ノーマーク。

 絶好のシュートチャンス!


(絶対に決める……!)


 決めなくてはならない。

 他のみんなのように、得意技で存在意義を証明する。

 調子に乗っている牧女の8番を、これでヘコませてやる。

 一気に3点取る事で、点差が膠着しているのを打ち破る。

 それに何より、自分の失点を取り返す――!


 膝を深く落として跳び上がり、両手撃ちジャンプシュートボースハンドジャンパー

 高い弧を描いたボールは――リングの手前側に当って、弾かれた。


「――!」


 なぜ。

 絶好のシュートチャンスで決められなかった事に、慈は頭の中で理由を探した。

 フォームが悪かった?

 力加減を間違った?

 それとも……


「――よいしょっ、とぉ!」


 リバウンドを取ったのは、ボールの落下地点に近かった牧女の8番。

 はっと、慈は我に返った。

 外したシュートの事を考えても仕方ない。それよりも、外した以上はディフェンスだ。

 これ以上、失点を重ねるわけにはいかない!


「バックバックぅ! 速攻阻止セーフティー!」

「行かせねーぞ……!」


 鈴奈が呼びかけながら、自陣へ走り戻っている。

 4番に鈴奈が、7番に茉莉花が、それぞれ追いついて速攻を食い止めた。

 本来Gガードの役割のはずのそれを、茉莉花はぶっつけ本番でしっかりとこなしている。

 オフェンスには満足に参加できなくとも、自分の役割をしっかりと。


「……っく……!」


 慈もディフェンスに戻るべく、自陣に走った。

 マークすべき相手、牧女の8番も明芳ゴールへ向けて走る。

 8番が、先にセンターラインを越えた。

 そのまま8番がゴールに向かって走り込もうとする時、ようやく慈は自陣の3Pラインまで戻って来れた。

 慈よりも脚が速い。

 そのまま8番は、パスを受け取って――


(行かせない……!)


 出遅れながらも、慈はブロックに跳んだ。

 だがその時、既に8番はシュート体勢に入っていた。体全体でゴールに向かって跳び上がり――

 衝突!


「――っくぅ!」


 当たり負け、床に倒れたのは慈だった。

 ピッ!――と笛が響く中、体勢を崩しながらも8番の放ったシュートはリングに弾かれ、落ちていく。


明芳しろ8番、不当な押し退けプッシング牧女みどり8番、フリースロー2ショットです」


 絵理香が淡々と、慈の2つめのファウルを告げる。

 慈は、悔しさに強く歯噛みした。


「綾瀬さん、大丈夫……?」

「平気よ」


 愛が手を差し出してくれた。

 だが慈は、あまりに高い位置から差し伸べられるその手を取らず、自力で立ち上がった。


「……」


 無言で、愛の全身を眺める。

 より具体的には、自分より10cmも高い、その頭頂部を。


「……?」


 愛は困り顔で、疑問の表情を浮かべた。

 彼女にはわからない。

 その身長があれば、自分もゴールを守れるのにという気持ちなど。






「2ショット」


 宣告した絵理香からフリースローのボールを受け取り、牧女の8番は、小さく深呼吸した。

 リバウンドに備えながら、慈は考える。

 偶然にも同じ背番号の、彼女と自分。いずれもポジションはPFパワーフォワードだ。

 だが――亮介の教えによれば、PFパワーフォワードとは本来、SFスモールフォワードCセンターの中間的ポジション。

 求められている事は何か?

 時にSFスモールフォワードのように多彩な技で点を取り、時にCセンターのように力強いプレイでチームを支える事に違いない。


「ほっ……!」


 フリースローが弧を描く。

 リングを支える金具フランジに当たり、跳ねて、危なっかしくもリングの内側へ転がり落ちていく。

 これで、16-24。


「1ショット」


 再び、絵理香から8番へボールが渡される。

 あの8番は、荒削りだ。フリースローも安定していないし、さきほどはゴール下のシュートすら外した。

 けど、身体能力は高い。

 慈とほぼ変わらない身長があって、慈より脚が速く、慈より体も強い。

 その身体能力を活かして、積極的にゴールへ向かってアタックして来るし、リバウンドも取っている。

 それは、PFパワーフォワードとしては正統派なのでは――


 2本目のフリースローが放たれた。

 慈に、それ以上考える時間は与えられない。

 ボールはリングに弾かれ、愛がリバウンドを取得。


「よっし、切り替えて行こ! 一本確実に!」


 瞳が指示を飛ばす。ボールは愛から瞳を経由して、鈴奈がドリブルで運ぶ。

 慈は再び、左コーナーへ走る。

 そこからのシュートが、もっとも練習に時間を費やした、得意技のはずなのだ。

 パスを待ち、戦況を窺う。

 ポストアップした愛にボールが入り、ディフェンスが引きつけられる。

 自分にディフェンスが集中し始めた事を認めて、愛は瞳へとパスを出した。

 即座に、瞳はゴールのへとパスを投げ込む!


「ナイパっ!」


 鈴奈の背後からの奇襲バックドアカット

 反応が遅れた7番を尻目に、鈴奈は悠々とレイアップを成功させた。

 これでスコアは、18-24。


「ナイシュっ! いいよ、若森さん!」

「いぇい!」


 Gガードの2人が喜び合いながら、バックコートへ戻っていく。


 ――慈なしで、明芳のオフェンスは成立している。


「……」


 焦る。

 自分はこのチームに必要ないのではという迷いが、どうしても消せない。

 愛のように、インサイドで2人を引きつけられるほどの脅威にはなれない。

 ディフェンスの名手らしい牧女の12番が茉莉花をマークしている事からも、得点力において慈よりも茉莉花の方が勝っているのは明らかだ。

 作戦能力では瞳に、敏捷性では鈴奈に、それぞれ叶わない。

 PFパワーフォワードとして必要とされているのは、牧女の8番のような――


「よーし、一本止めるぞ!」


 茉莉花の声で、慈は思考から試合へと引き戻される。


「止めなきゃ追いつけないからなっ! さぁ、ディフェンス!」


 ――言われなくても。

 絶対に一本止めて、逆転への第一歩を踏み出さなくてはならない。

 まして、あの8番をこれ以上、図に乗らせておけるわけがない!

 慈もバックコートに戻り、ディフェンスの配置に着いた。

 8番の動きに目を光らせる。

 もう、この8番に得点はさせない。ディフェンスで出遅れないために、8番の一挙一動も見落とす事はできない。

 そうして様子をうかがっていると、8番は――


「マジになっちゃってぇー、まったく」


 慈の真剣な眼差しを、受け流し、軽い調子で笑った。

 審判に聞き取られない程度の小声で言ってくるあたり、意図的に煽っている。


「気楽にやったら? どーせ止められないじゃん、ザルちゃん」

「黙って」

「わぁーお、怖いわ怖いわー。止められないからってまた反則? 怪我でもさせられないかしら~」

「黙れって言ってるでしょ……!」


 睨みつけて言い返す。

 そうこうしている間に、ボールは4番から7番へ。7番がシュートして、リングに弾かれる。

 リバウンドボールは大きく跳ね、中距離ペリメーターゾーンに落ちていく。

 両チームのCセンターでは届かない位置。

 その落下地点めがけて、8番が走り込む!


「く……!」


 一瞬遅れて、慈もボールの落下地点へ急いだ。

 ディフェンスリバウンドは譲るわけにはいかない。これを取らなければ、牧女の攻撃を無得点で終わらせる事ができない。

 ボールの落下地点に陣取った8番に接触し、押し合い、競り合う。

 背中で押す。8番は踏ん張って、堪える。

 押し返される。よろめき、体勢が崩れる。

 ボールが落ちてくる。

 このままではまた8番にボールを取られ、そしてそのまま即失点――


「くっ……そ……!」


 飛び上がろうとする8番を、慈は腕で


「おわっ……!」


 8番がよろめく。

 慈はその隙に体勢を立て直し、ジャンプ。ボールを取って、


 ――ピッ!


 絵理香のホイッスル。

 慈に向かい、自分の左腕に対して右手で手刀をするようなジェスチャー。


明芳しろ8番、手の不正使用イリーガルユース・オブ・ハンズ!」


 慈の、3つめのファウルだった。






「久我さん、タイムアウトを――」


 亮介はベンチから立ち上がり、前半2回目のタイムアウトを要求した。

 中学の公式ルールでは、前半2ピリオド通算でのタイムアウトは2回まで。時間はまだ残っているが、これが前半最後の"作戦タイム"だ。

 そうせざるを得ない。

 慈は、前半で既に3つめのファウルを犯した。このまま試合を進めれば、5ファウルに到達してしまう。

 5ファウルの罰則は、退場。

 控えメンバーのいない明芳にとって、誰かが累積反則退場ファウルアウトする事は、試合が成立しなくなる事を意味する。

 それだけは避けなくてはならない。


(とにかく、綾瀬さんを落ち着かせないと)


 慈は今、明らかに冷静ではない。

 直接対決マッチアップしている牧女の8番に、連続で点もリバウンドも取られているのは事実だ。慈自身のシュートの調子が良くないのも間違いないだろう。

 だが亮介が危惧しているのは、結果よりも、むしろ過程。

 今日の慈のプレイは、がむしゃらだが、粗雑で勢い任せだ。牧女の8番にと言っていい。

 自分のプレイを見失っている。

 それでは、練習通りにチームが回るはずもないのだ。


「タイムアウト、明芳しろ――」

「ちょっと待ってください」


 絵理香に詰め寄ったのは、慈。


「審判……! なんで私のファウルなんですかっ!!」

「ちょっ……落ち着いてくれ、綾瀬さん!」


 いきり立つ慈に、亮介は駆け寄ろうとした。

 が、絵理香がそっと腕で制止する。

 亮介がコートのサイドラインを踏み越える、その寸前で。


 ――わかっているでしょう?


 絵理香の目は、亮介にそう語りかけていた。

 亮介もその意図を汲み、一歩引き下がる。

 コーチがコート内に無許可で踏み込む事は、試合妨害テクニカルファウルに相当する行為だ。

 バスケットに真摯に取り組んでいる絵理香だからこそ、審判役を任されている以上、そこを違える事はないだろう。


「……綾瀬さん、冷静に。久我さんのジャッジは間違っていないよ」

「納得できません……!」


 慈は治まる様子はなく、絵理香に詰め寄る。

 亮介に代わって制止しようと、愛が、鈴奈が、駆け寄る。


「めぐちゃん、ダメだって! 審判に文句言ったら――」

「綾瀬さん、落ち着いて! 今日の綾瀬さん、おかしい――」

「黙ってッ!!」


 拒み、二人を振り払った。


「審判! なんで私のファウルなんですか! ぶつかり合ってるのは牧女あっちの8番も一緒じゃないですか!」

「……ジャッジに対する質問なら、そう言ってくださいね」


 審判の裁定に対するは、選手の権利として認められている。

 だが――絵理香の言葉の意図に、慈が気づく事はなく。


「おかしいでしょ!? 審判、贔屓してるんじゃないですか!?」

「――試合妨害テクニカルファウル明芳しろ8番」


 する慈に、絵理香は無表情のまま、左右の手で"T"の文字を示した。






「綾瀬さん、とにかく落ち着いてほしい。退場にだ、もう君一人の問題じゃない」


 ベンチに座ってうつむく慈に対して、亮介は冷静に抑えた口調で伝えた。

 うつむいていても、チームメイトたちの視線は感じる。

 心配。同情。批難。呆れ。それらが入り混じっている視線だ。


「前半残り3分。まだ試合時間は半分以上あるんだ。綾瀬さんは接触を避けて、慎重に」


 ――接触を避けて、あの8番にどう対処しろと言うのか。

 インサイドを力強く攻めて来て、リバウンドも積極的に飛び込むような、あんなタイプの選手に。

 技術は荒削りなくせに、パワー、スピード、ジャンプ――身体能力だけは、全てにおいて慈を上回っている選手に。

 技術だけなら。いつもの調子さえ取り戻せれば、負けないはずなのに。


「とにかく、次のファウルを宣告されたら致命傷だからね」


 ――そんな事、言われるまでもないはずなのに。


 ファウルになった理由を、慈は理解していた。

 最初の2回のファウルは、ブロック時に出遅れ、8番に対して横から接触した事によるものだ。あらかじめオフェンス側の正面に回る事ができていない以上、それはオフェンス側の正当な攻撃に対する妨害とみなされる。

 3回目のファウルは、腕で払いのけた事が原因だ。ボックスアウトは、背中や肩で押し合うのが前提であって、身幅よりも外側に手を出してはならない。

 頭ではわかっている。

 なら、あの行動は八つ当たり?

 そうかもしれない。

 でも、そうでもしなければ、どうしろと言うのか。


「中原さん、ディフェンスは綾瀬さんのフォローを。最悪、Cセンターの5番は、アウトサイドにいるうちは放置でも構わない」

「はいっ。 ……綾瀬さん、抜かれてもいいよ。私、カバーする」


 ――あの8番を止める事を放棄して、愛のディフェンス力に頼りきり?


「オフェンスは、中原さんのポストに相手の注意を引きつける事ができている。それを利用して、なるべくディフェンスの穴を突いて、確実性の高いシュートを狙うように。神崎さん、引き続きコート上での判断は任せるよ」

「はい。今はイージーシュート狙いで、着実に追い上げて行くところですよね」


 ――入らない3Pは、いらないと言っている?


「速攻での失点が減っているのも、いい流れだ。綾瀬さんに限らず、みんな冷静に、試合運びを崩さないように」

「りょーかい。まだまだ走るよ、あたし!」


 ――速攻に対応できる脚の速さなんて、持ってない。


「綾瀬」


 茉莉花が、拳で肩を押してきた。

 横目で様子をうかがうと、厳しい目をしていた。


「なんか言えよ。はいでも、いいえでも」

「……」

「チームだろ、あたしたち」


 一度強く押して、拳を引く。

 気付けのつもりだろうか。

 だが慈の心には、何も響かなかった。


「みんなで勝ちを目指す、ってのが一番の根っこの部分じゃんか。それに今日は、センセーのためにも、みっともない試合はできない相手なんだ」

「……」

「イライラしてんの、あたしが見てもわかるぞ。落ち着けよ。退場くらったら、それまでなんだ」

「……そう、ね」


 慈は、緩慢に答えた。

 ピ――――ッ……と、タイムアウト終了を告げるホイッスルが長く吹かれる。


「よし、みんな、まずは前半を乗り切ろう。あと3分、冷静に!」

「「「はい!」」」


 亮介の言葉に、明芳メンバーが声を揃えて答える。

 慈以外は。


「……」


 慈は鈍い足取りで、コートへ戻って行った。


 ――そもそも、なんでバスケットをやってるんだっけ。


 胸に浮かんだ疑問に、慈は、自答できなかった。

 最初は、マンガに感化された憧れで。クラスメイトの一人が入部した影響もあって、話の流れで入部を決めた。

 中学1年生の女子にしては高めの身長のおかげで、当初は亮介からも、有望だと考えられていたように思う。

 仮入部期間に参加した、初めての2on2のミニゲーム。ディフェンスを欺き、ゴールを決める爽快感はたまらなかった。

 自分を勉強漬けにしようとする父親を拝み倒して部活の許可を貰い、決して安くないシューズの代金も出してもらった。


(でも、それからは)


 日々の練習でも、練習試合でも、細身の体による不利を実感する事が多くなった。

 バスケットについて知れば知るほど、自分はPFパワーフォワードというポジションには不向きだと理解していく事になった。

 だからアウトサイドシュートを練習し、ゴールから離れた位置に活躍の場を求めた。

 オフェンスはそれでもいいのかもしれない。

 けど、ディフェンスは――PFパワーフォワードを自分が食い止めようとしても、無理ばかり。

 パワーで勝てない。

 スピードで勝てない。

 ジャンプで勝てない。

 それを技で補おうにも、自分の技術は、そこまでずば抜けてはいない。


(……私は)


 愛のような、体格とパワーがない。

 茉莉花のような、器用さと飲み込みの速さがない。

 瞳のような、機転がない。

 鈴奈のような、敏捷性とスタミナがない。

 なにひとつ、飛び抜けたものを持っていないのだ。


(なんで、この部に)


 塾通いの時間を削って、毎日のように練習をして。

 余った時間があれば、自主練習をする事すらあって。

 それでもチームメイトたちに叶うものが、何もなくて。

 苦しい事、疲れる事ばかりで、試合に出れば悔しい事ばかりで。


(なんで、このチームに)


 慈を置き去りにして、試合が進んでいく。

 慈のテクニカルファウル分のフリースローを牧女の4番が決めて、18-25。

 テクニカルファウルなので牧女のオフェンスから試合再開。

 牧女のシュートが外れ、大きくアウトサイドに跳ねたリバウンドボールは、落下地点に素早く鈴奈が先回りして回収。そのまま鈴奈が速攻のレイアップを決め、20-25。

 数度パスを回した後、牧女の4番が3Pを決めて20-28。

 鈴奈がドライブをしかけてディフェンスを抜き、シュートと見せかけて愛にパス。そのままゴール下シュートが決まって22-28。

 慈なしで、試合が成立している。


(なんで、バスケットなんかやってるんだろう……)

「綾瀬さんっ!」


 気づけば、瞳からのパスが飛んできていた。

 特に意識していなかったが、今は明芳のオフェンスで、慈は左コーナーにいた。

 第2ピリオド、残り時間は5秒。

 撃つしかない――!


「……っ!」


 慈は反射的にシュートフォームを取った。

 リングに狙いをつけ、膝を落とし、ジャンプ、そしてボールリリース――


「よいしょっとぉ!!」


 ――8番のブロック!

 横合いから、しかし慈の体に接触する事なく、目の前を通り過ぎるように!

 ボールはブロックに、小さく弾かれた。

 宙を舞うボールは、慈のすぐ真上。

 ジャンプし、ボールを回収。

 牧女の8番はすぐに体勢を立て直し、慈の前に立ち塞がる。そして――にたり、と馬鹿にしたように笑った。


「……!」


 負けたくない。

 バスケットを続けている理由がもしあるとすれば、その一心だけだ。


(こいつにだけは、絶対……!)


 あと3秒で、絶対にやり込める!

 慈は再びシュートフォームを取った。

 真正面に8番がいる状態で、撃つつもりは無かった。ブロックされるのが関の山だ。

 だから、これはフェイク。

 本命は――ドリブル、そして右への突破ドライブ


(どうせ、へたくそ3Pシューターだとでも思ってるんでしょ……!)


 だったら、その印象を利用してやる!

 大きく右へ踏み出した、慈の突破ドライブは――

 衝突。

 そして、床に転倒する感触が、その答えだった。






明芳しろ8番、無理な突進による接触チャージング。5ファウル、退場です」






明芳そっちは控え選手がいないんだったな、斉上?」

「ええ……すみません」

「公式ルールに則るなら、明芳側は4人で続行という事もできますが」


 両コーチと審判と、3人で相談している。

 慈はベンチに座り、上の空で話を聞いていた。


「4人でやっても意味は薄いでしょう。練習試合ですから、練習としての意味がある形でやりたい」

「僕も同意見です。じゃあ、岐土先生。あまり好ましくはないですが……」

「まあ、退場なしの特別ルールでやるとしようか」


 ――そんな事。


 慈は、膝の上で拳を強く握り締めた。

 屈辱。

 自分ひとりのためにルールを歪めてもらうなんて、落ちこぼれの烙印を押されているも同然だ。

 人と同じ条件で、試合終了までやりきる事もできないなんて。


「両コーチの合意という事であれば、私はそれに沿って審判をしますが」


 いっそ退場にしてくれたらいい。

 そして試合を中止してくれれば、こんな悔しい思いもせずに済んで――


「あのぉ」


 大人のものではない声。

 不意の事に、慈は顔を上げた。

 見れば、相談していた3人の傍に、私服姿の女の子が一人。

 ゆるくウェーブのかかった肩までの長さの髪に、タートルネックの服とジャンパースカート。絵理香と対比して見る限り、身長は160cmほど。

 試合開始前にその姿を見た気がする。見学者らしい様子だった、あの子だ。


「明芳、人数足りなくなっちゃったんですよねえ?」


 おっとりとした、やや間延びした印象さえある声だ。

 亮介はやや面食らいながらも、彼女に向き合った。


「そうだけど、君は……」

「今度の月曜に転校して来る、在原ありはら美裕みひろです。ちょっと、見学させてもらってたんですけど――」


 亮介に向かって、はにかんだ笑顔。

 その手には、真新しい体育着と、シューズバッグが握られていた。


「飛び入り、いいですか?」

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