#11 セカンドガード
鈴奈が亮介に対して抱いていた印象は、"賢い人"だった。
部活の中で時々見せてくれる、手本のようなプレイの印象も決して弱くはない。だが、"名選手"よりも先に"賢い人"という印象が来る。
例えば、ドリブルのつき方ひとつ取ってもそうだ。
鈴奈はミニバス時代、反復練習によってドリブルのつき方を体で覚えた。少なくとも右手でなら、何も考えずとも呼吸するようにドリブルができる。
だが、体で覚えたそれは、人に教える事ができない。鈴奈自身もフィーリングでしか理解していないからだ。
それを亮介は、ボールの受け止め方、手首の返し方――そんな非常に細かいレベルで、理論的に理解している。
深く広い理解が、ひとつひとつの動作からバスケット戦術に至るまで染み渡っている。しかもそれらの知は、みな全国大会の寸前まで行ったという豊富な実戦経験に裏打ちされたものだ。頼もしくも知的な印象の源は、きっとそこにある。
その亮介の言う事だからこそ、素直に受け入れようと思える。
彼の言う事に間違いはなく、彼を信じてついて行く事に安心感がある。
そんな彼が、今、よくわからない事を言った。
「君は、もう
バスケットのポジションは5つある。
愛が務める、大黒柱役の
茉莉花が務める、オールラウンダー役の
瞳が務める、司令塔役の
慈が務める、縁の下の力持ち役の
そして、長距離からの点取り屋、
この5つがバスケットのポジションだ。以前、亮介自身が説明してくれた事でもあるはずだ。
体格に劣り、戦術眼も持ち合わせていない鈴奈が収まるべきポジションは、消去法で
亮介は何を言いたいのだろう?
胸に浮かんだ疑問の答えを求めて、鈴奈は亮介の顔を見た。
見上げた亮介は、優しく満面の笑みを浮かべていた。
#11
「ずっと昔――僕が生まれるよりも前の話なんだけどね」
亮介は床に片膝をついた。ベンチに座った鈴奈と目線を合わせて、正対する。
「昔、まだ3Pシュートのルールも、制限区域の3秒ルールもなかった頃。その頃は、
3Pのルールがない――
鈴奈が想起したのは、ミニバスのコートだった。
ミニバスには3Pのルールがない。その証拠に、小学校の体育館ではバスケットコートに3Pラインが描かれていない。
それは、3Pシューターに憧れてバスケを始めた当時の鈴奈にとっては驚きだった。今でも、まるで昨日の事のように鮮明に思い出せるほどの。
3Pのルールがないミニバスでは、ロングシュートの必要性は薄かった。
当然の話ではある。遠くから撃つ難しいシュートだからこそ3点という特別な価値が認められる、それが3Pシュートだ。遠くから撃っても得点が変わらないのなら、ゴールに近い場所で撃つ方がいいに決まってる。
3Pシュートがなかった時代のバスケは、そういう世界だったのだろう。
だからこそ、
なら、その時代の
「
鈴奈が問いかけるよりも早く、亮介は答えを提示した。
「当時は、そう呼ばれていたんだ。文字通り、第二の
「第二の……
鈴奈は、その言葉の意味を反芻するように、瞳へと視線を向けた。
神崎瞳。明芳の
つまり、瞳のような選手の事を指すのだろう。
彼女のように、賢く、視野が広い選手。
「……あたしは、ひとみちゃんみたいには――」
「ならなくていい」
鈴奈の言葉を奪い取るように、亮介は断じた。
「むしろ、違っている方がいい」
「違ってる方が……?」
その言葉の意味を計りかねて、鈴奈はオウム返しに尋ねる。
確かに、鈴奈と瞳は違う。能力も、性格も、まるで似ていない。似ている点といえば体格ぐらいだ。
だが、違っている方がいいとはどういう事なのか。
「神崎さん」
「えっ……はい」
亮介は、突然に瞳を手招きして呼んだ。戸惑いを見せながらも、瞳は亮介と鈴奈の傍までやって来る。
瞳と鈴奈。二人を順番に見てから、亮介は言葉を続けた。
「――以前説明した通り、
バスケットに対する深い知識。作戦能力とリーダーシップ。視野の広さとパスセンス。ドリブル技術。ボールキープ能力。スピード。走力。得点力もあるとなお好ましい。
けど実際には、それらをすべて兼ね備えている選手なんて世界中探してもそうそういない。
理想像。
鈴奈は改めて、まじまじと観察するように瞳を見た。そして、彼女のプレイを思い出していく。
作戦能力や視野の広さは、間違いなく司令塔と呼ぶに相応しいものだ。彼女のそういった点は、理想の
一方で、瞳は華奢な四肢をしており、いかにも運動向きとは言いがたい。実際、まず明らかに脚が遅い。ドリブルも、どうにか淀みなくつく事はできるようになったものの、突破力やボールキープ能力という観点で見るとまだまだ心許ない。言うなれば、それは
明確な長所と短所。
彼女が
少なくとも、脚の速さとドリブル技術だけなら、鈴奈の方が上だ。それだけは、鈴奈も自信を持ってそう思える。
「若森さんの武器は脚だと、僕は思ってる」
亮介の発した言葉は、鈴奈が考えていた事ともちょうど符合した。
「このチームで一番脚が速いのは、紛れもなく若森さんだ。持久力だってある。ランニングの時、先頭を走ってもらっているしね」
鈴奈は少し考えるようにして、そして亮介の言葉を認めるようにうなずいた。
スピードと走力。それも、亮介が挙げた
そして、それは鈴奈にあって、瞳にはないものだ。
「一方で、神崎さんの武器はゲームメイク能力だ。これは、みんなも実感している事だと思う」
その言葉には、誰も異論を挟まない。
優れた作戦能力と視野の広さを持つ彼女は、このチームの頭脳と呼んでいい存在だ。
そして、それは瞳にあって、鈴奈にはないものだ。
「君たちはそれぞれ違った個性を持っている。だから――」
亮介は、鈴奈と瞳の手を取った。
そして、その手と手を重ね合わせた。
「君たちは、二人で一人の理想的な
鈴奈が握った瞳の手は、小柄な鈴奈のものよりも、なお小さかった。
ふわっとした柔らかい掌の感触。いかにもハードワーク慣れしていない、お嬢様な手だ。
「若森さん、君は神崎さんの手足になってくれ」
「手足に……」
この、ふわふわとした手の代わりに。
華奢な脚の代わりに。
「頭を使う仕事は神崎さんに任せてしまって構わない。そのぶん、君が神崎さんの分まで体を使うんだ」
「体を……」
「走れ。誰よりも」
亮介は笑って言った。期待を込めた、力強い笑顔。
「それが、君の得意技だろう?」
「あたしの……」
得意技。
走る事は得意だ。走力なら、チームで一番だ。それは鈴奈自身も認識している。
それが――
「それが、あたしの役割……?」
「そうだ」
恐る恐る尋ねてきた鈴奈の言葉を、亮介ははっきりと肯定した。
「以前にも言った通り、ポジションとは各自のやる事をシンプルにして、得意な仕事に専念してもらうためのものだ。
誰よりも走れる事が若森さんの武器だ。だから、君は
走る事。
鈴奈は思い出す。苦い思い出だったミニバス時代――
鈴奈のシュートの下手さや自己中心的なプレイを批難する者は多かった。だが、鈴奈の走りを否定する者は誰もいなかった。
あの頃から、誰よりも走れた。
だからこそ、ディフェンスしかやらせてもらえない時期もあったにせよ、彼女は試合に出られていたのだ。
走る事だけなら誰にも負けない。それは誰の足を引っ張る事もなく、誰にも文句のつけようもない、唯一無二にして最大の特技だったのだ。
「走れるね?」
確認するように、亮介は訊いてきた。
鈴奈は、
「……はいっ! 若森鈴奈、走ります!」
決意をもって、宣言した。
第2ピリオド終了際に鈴奈が倒れた事から、古谷からは試合中止の提案もあった。が、亮介が説得し、試合は続行の運びとなった。
瀬能ベンチからは、どこか緩慢な動作で選手たちがコートに出て来る。彼女たちの表情には、本当に試合が続行できるのかという懐疑的な色がにじみ出ていた。
明芳メンバーもまた、ベンチを立ち、コートに戻ろうとする。
鈴奈は体の調子を確かめるように、屈伸、そして小さくジャンプ。思い通りに体が動く事をまず確かめた。
(
亮介が教えてくれたそのポジション名を、改めて噛み砕くように頭の中で繰り返す。
初めて聞いたポジション名だった。
亮介が言うには、古いポジション名。
つまり、現代的なバスケには適合しないスタイルの
鈴奈が3年ほど前に初めてバスケを知った時、
鈴奈は、そのどちらにも合致しない。
(けど)
それでいい、と亮介は言ってくれた。
誰よりも走れる
たとえロングシュートが撃てなくても、ゲームメイクができなくても、君の役割はそこにある――と。
それは方便なのかもしれない。
鈴奈の得意技を取り挙げて、それが役割だとこじつけて、元気づけてくれただけかもしれない。
けれど。
(だとしても、応えたい……!)
走りますと答えたあの瞬間、鈴奈はバスケットにもう一度向かい合う勇気をもらった。折れかけた心を、強く支えてもらった気がした。
チームの仲間たちにしてもそうだ。まだ結成からたった2ヶ月の仲とはいえ、いい子たちだと感じる事ばかりだ。バスケの上達も速く、みんな自分のポジションの役割をこなせるようになってきている。
この子たちと勝利の喜びを分かち合いたい。
そのためには、本当の意味で仲間になる必要がある。チームの中での与えられた役割をこなし、勝利の立役者の一人である必要がある。
役割は明確になった。
それは方便かもしれない役割だけど。
(でも、それでもいい)
鈴奈は、改めて瞳を見た。
賢く、視野が広く、ある種のリーダーシップのようなものも持ち合わせている。何度考えても、頭脳に関しては理想的な
鈴奈が与えられたポジション名は
Second。
"第二の"、という意味。つまり、自分より上位の存在がいるという事。
"二流の"という意味もあるから、文脈に気をつけて使いましょうと英語の先生が言っていた。
(あたしは二流。わかりきった事)
ゲームメイクもロングシュートもできない、現代バスケにそぐわない
けど、それ以外の役割があると亮介は言ってくれた。
瞳の手足になる事。
瞳の分まで走って走って走りまくって、
(それでいい。チームの役に立って、勝って、みんなと喜び合えるなら――)
ビィ――――ッ。
試合再開のブザーが鳴った。瀬能ボールのスローインで始まる中、
(あたしは、ひとみちゃんの影でいい!)
鈴奈は走り出した。マーク対象である瀬能6番を追いかけて。
10点のリードをもって後半戦を開始した瀬能は、時間をかけてオフェンスを展開していた。
どんどん点を取りに行くのではなく、リードを守る作戦のようだ。守備的なチームとしては自然な作戦だと言える。
それで時間を稼がれれば、当然、明芳にとって不利だ。
「このっ……!」
瀬能の
宙を舞ったルーズボールはコートの外へ。
そのまま床に落ちて瀬能ボールからの再開――かと思われたが、
慈の目の前を、何かが駆け抜けて行った。
それは、背番号7を着けていた。
10点差という状況を、鈴奈は"5回ボールを奪えば追いつける"と解釈していた。
自分が走る事によってボールを5回奪う事ができれば、同点に並ぶだけのきっかけを作る事ができるのだ。
だから鈴奈はルーズボールに逸早く反応し、そして全身で飛び込むようにして腕を伸ばしたのだ。
空中、ボールが手に収まる。
ボールの位置はサイドラインの外。そのまま床に着けば、瀬能ボールからの再開になる。
「取ってっ!」
鈴奈はコートの内側へ、高くボールを投げ上げた。
空中で身を捻ってボールを投げた鈴奈は、受け身も取れずにそのまま床へ倒れ込む。
「若森さん!?」
「平気っ!」
慈の心配を一蹴し、鈴奈は勢いよく立ち上がった。
自分と比べて、瞳にはスピードがない。それにあの華奢な体では、無理にボールに食らいつけば怪我をする危険性も高い。
だから――
(汚れ仕事は、全部あたしが引き受ける!)
立ち上がった鈴奈はボールの行方を目で追った。落ちてくるボールに対して、愛がボックスアウトの要領で、落下するボールに備えている。
状況を確かめた鈴奈は、瀬能ゴールへと疾走した。
「あいちゃん、パス!」
落下してくるボールは、鈴奈が期待した通りに愛が掴んだ。そして、上手投げで放たれるロングパス!
鈴奈は誰よりも早く瀬能ゴールの前へと辿り着いた。ロングパスをキャッチして、そしてレイアップ。
24-32。
(あと4回……!)
逆転までに必要な
「……鈴奈ちゃん」
バックコートでは、さきほどロングパスを出してくれた愛が、鈴奈の方を向いて迎え出た。
鈴奈は、少々の気まずさを覚えた。愛には、さきほど自分の醜い打算を告白したばかりだ。初めての2on2の時にチームを組みたいと申し出たのは、自分に都合のいいリバウンダーが欲しかっただけだと。
そして今も、愛は持ち前の長身を活かして、鈴奈がコートに投げ返したルーズボールを回収してくれた。
結局、彼女を利用している事に変わりはない。
どうにも申し訳なく、そして気まずかった。
「ありがと、あいちゃん。使ってごめん……」
「ううん」
愛は、小さく横に首を振った。
そして、少し考えて言葉を選ぶようにして、言った。
「えっと、私の事を利用しようとしてたってさっき言ったけど……気にしないで」
「えっ?」
「利用って言い方がアレだけど、それだけ頼りにしてくれてるって事だと思ってるから」
愛はそこまで言って、言葉を途切れさせた。
自分の言葉に恥じらい、はにかんで目を伏し、しかし言葉を続ける。
「……バスケ始める前は、この大きい体が嫌でしょうがなかったんだけど。今は、頼られるのが少しだけ嬉しいから」
「あいちゃん……」
「高さが必要な事なら、全部私がフォローするから。……チームって、多分そういうのでしょ?」
言って、愛は赤面し、汗を拭くふりをして顔を隠した。
ガラにもない臭いセリフだったとでも思ったのだろうか。事実、5月ごろの彼女からは想像しにくい言葉だった。
「――さ、来るよ。ディフェンスディフェンス!」
ドリブルしてボールを運んでくる瀬能5番を見て、ごまかすように愛は言う。
鈴奈は、
「……うん。やっぱりあたし、あいちゃんをキャプテンに推薦してよかった!」
言って、瀬能の6番へ向かっていった。
瀬能の
パスが通らない。
瀬能の
ディフェンスに着いているのは明芳の7番。前半終了直前に、突然倒れた子だ。
ハーフタイムで何があったのかはわからない。
だが第3ピリオドから、小泉に
小泉もディフェンスを振り切ろうと走り回るものの、明芳7番のフットワークが良く、振り切れない。
一本のパスも通すまいという姿勢だ。
(あんな守り方してたら、普通すぐスタミナ切れるでしょうに……!)
普通のディフェンスは、相手チームの選手とゴールの間を塞ぐように立つ。それゆえ、オフェンスほど大きく走り回る事はそうそうない。
だが明芳7番のしているディフェンスは、相手を通さないのではなく、そもそも相手にパスを入れさせない守り方。
もとよりゴールに近い位置にいる
よほどの走力とスタミナがなければできない守り方だ。
そして、オーソドックスなマンツーマンディフェンスに馴染んだ瀬能にとっては、攻め慣れていない形でもあった。
必然的に、小泉にパスが回らない。
1年生の不確実なシュートに頼らざるを得ない。
結果、よく外れる。
「リバン! 短いよ!」
明芳の6番が声を出す。その言葉の通り、瀬能1年生が放ったシュートはリングの手前側で弾かれた。
リバウンドを危なげなく回収したのは明芳の4番。
攻撃のリズムが崩れていく。後藤は、焦りを感じ始めた。
自分にできて、瞳にできない事は何か。鈴奈は考えを巡らせながら、ボールを運ぶ瞳の横を並走していた。
「綾瀬さん、ピックかけて!」
瞳がコールしながら、鈴奈にパスを送る。
鈴奈から見て右側に慈がスクリーンをかける。ボールマンの鈴奈がここから右側に
何度も練習した、そしてこの試合でも何点も取っているフォーメーション。
しかし、フィニッシャーが茉莉花か慈にほぼ限定されてしまうゆえに、第2ピリオドから対策され始めたフォーメーションでもある。
鈴奈はドリブルをついて、
右!
と見せかけて、左!
「えっ!?」
瀬能のディフェンスは戸惑い、混乱した。
さきほどまでと同じピック&ロールが来る前提で身構えていた、その逆を鈴奈は突いた。
意表を突かれて瀬能の反応が遅れた、その一瞬のタイムラグのうちに鈴奈はディフェンスを抜き去る!
ゴールへ猛進。
瀬能4番がカバーに来る。
レイアップの距離まで踏み込んだ鈴奈に対し、4番はブロックに跳ぶ!
「行かせない!」
――行かない!
鈴奈はレイアップのモーションの途中で、ボールを横へ投げた。
ボールの行き先は――愛。
「――!」
愛は突然のパスに、驚き目を見開いた。が、瀬能4番のマークが外れている事にすぐ気づく。
直ちに跳び上がり、練習通りのゴール下シュート。
フリーのゴール下シュートを今更外すはずもない。
26-32。
「あいちゃん、ナイッシュっ!」
「うんっ!」
パンッ――と、ハイタッチの音が響いた。
愛はディフェンスのため、バックコートへ小走りに戻る。
鈴奈は愛に背を向けて、まだ瀬能側バックコートにいる瀬能6番のマークに着いた。
「えっ」
6番が戸惑いの声を漏らす。
通常、マンツーマンディフェンスは、攻撃側がセンターラインを越えてから守備に着くものだ。実際に攻撃が始まるのはラインを越えてからだから。
だが、敢えて鈴奈はまだバックコートにいる6番に着いた。一人だけオールコートマンツーマンで。
右に、左に、鈴奈をかわそうとする6番の行く手を
進ませない。パスを入れさせない。
徹底的に、6番を攻撃に参加させない!
「ちょっ、この……何!?」
6番が苛立った声を上げる。自分一人に対してだけ、あまりにしつこいディフェンスに。
鈴奈は――
「振り切ってみなよ」
にんまりと笑った。
一瞬たりとも足を止める時間はない。6番を完全に封じるために、脚も、息も、フル稼働だ。
しんどい。
けど、
「あたしは、しつこいぞぉー?」
6番が心底鬱陶しそうな顔を見せる。
この"走り"で、6番を徹底的に封殺してやる。それも、鈴奈だからこそできる事なのだ!
「
亮介の隣に座った桐崎は、試合の様子を見て言った。
捨て身と表現してもいいほどのボールへの執着。
対応され始めたスクリーンプレイに代わる、ドリブルによる切り込み。
そして、自身の消耗を顧みないほどの攻撃的なディフェンス。
だが、それは。
「結局、ポジションが変わるわけじゃないだろう?」
「まあね」
桐崎の言葉を、亮介は否定しなかった。
しかし本来、その呼び分けには何の意味もない。
現代では3Pシューターのポジションと認識される事の多い
相手チームのシューターを止める事に特化した守備的な
第二の司令塔としての役割を担う
ドリブルで切り崩す事を得意とする
かつてNBAにおいてバスケの神と呼ばれた男でさえも、3Pシュートの苦手な
「あえて
亮介はコートを見つめながら、くすりと笑う。
視線の先では、ボールを運ぶ瞳が瀬能5番のスティールを受けていた。しかし瞳の手からこぼれて転がって行ったボールに、すかさず鈴奈が跳びついて回収する。
「あの子は、
「やるねえ。さすが名監督」
ヒュゥ、と口笛を吹いておだてる桐崎。
コートの上では、鈴奈がドリブルで切り込み、ディフェンスを撹乱してからのパス。今度は、茉莉花がシュートを決めた。
ビ――――ッ。
「タイムアウト、
32-36のスコアを示した状態で、瀬能側のタイムアウト。気がつけば、もう2ゴール差だ。
ベンチへ小走りに戻ってくる5人。
8分4ピリオド、合計32分をフルに戦うのは、彼女たちにとっては初めての事だ。積み重なった疲労が体の自由を奪い、前半ほどには動けなくなっている子がほとんどだ。
そんな中、鈴奈だけは激しく息を切らしながらも、確かな足取りで戻ってきた。
「よし、みんないい調子だぞ。特に僕から指示はない。1分間、回復に努めてくれ」
亮介の言葉に、明芳メンバーは次々と、倒れ込むようにベンチに腰を下ろす。
後半が始まってまだ5分も経たない。しかし前半から蓄積された疲労は軽くなく、5人ともとめどなく汗が流れている。会話がないのも、呼吸を整えるのが優先だからだ。
だが、
「はぁっ、はっ、ねえ、せんせー」
息を切らしながらも、鈴奈が問いかけてきた。
「今、4点差だよね」
「ああ」
「追いついて行けてるんだよね?」
「もちろん」
一度、言葉を区切る。ごくりと飲み込んだのは、唾か、息か。
「――あたし、その役に立ててる?」
「何言ってんだよ」
答えは、亮介ではなく横のベンチから発せられた。
茉莉花だった。タオルで汗を拭いながら。
「役に立ってないわけねーじゃん。何回ボール取り返してくれたと思ってんだよ」
タオル下から見えた笑顔には、全幅の信頼が浮かんでいた。
「――まりちゃん……」
「そうね。さっき私がボール取られかけた時も、取り返してくれたし」
額の汗を拭きながら、瞳が続く言葉を引き取るように。
「先生の言った通り、私に足りないところをフォローしてくれてる感じがしてる。……頼りにしてるよ、相棒!」
小さな手で握った拳が、鈴奈の肩に当てられる。
それは、紛れもなく信頼の証。
「――」
鈴奈は、一瞬、言葉を失い、息すらも止め――
「……やっばい……」
視線を、床へと落とした。
それはネガティブな気持ちによるものではない。口元には、抑えきれない喜びが漏れ出ていた。
「やばいよ、すっごい嬉しい……あたしのできる事、こんな所にあったんだ……」
手が震えていた。
頬に光った雫は、汗とは違うものだった。
「あたし、ここにいていいんだよね。このチームの一員でいいんだよね……!」
顔を上げる。左右を見て。
「……一緒にバスケやろうって言い出したのはあなたでしょ。若森さんがいなかったら、この5人でチームになってないわよ」
自分の言葉に照れ臭そうにしながらも、慈が。
「うん、チームの仲間。最初からずっと」
優しい笑顔で、愛が。
チームのメンバーが、対等な仲間と認めてくれた。
「あたし――」
よく言われるような、スポーツが人と人とを結びつけるなんて言葉は、綺麗事だと思っていた。
一人だけ経験者だという優越感があった一方で、いつ自分の化けの皮が剥がれるかと恐れていた。
でも、違った。
そんなものは、錯覚だったのだ。
「――ありがとう、みんな! あたし、今日は倒れるまで走るっ!」
鈴奈は涙を拭いた。
試合時間はまだ10分以上残っている。チームで一番走れるのは鈴奈だ。みんなが疲れてきている以上、みんなの分まで走らなければ!
「そうだよね、せんせー!」
「いーや、それじゃダメだ」
亮介は首を横に振る。だが、その顔は冗談めかして笑っていた。
「誰よりも走れ。そして、最後まで倒れずに走り続けるんだっ」
「ひゃ~、せんせー厳しいよぉ」
笑いが溢れた。
大好きなバスケットで、真剣勝負の最中で、こんなに自然に笑えたのは初めてだった。
「でも、りょーかい! 試合終了まで突っ走りますっ!」
「ああ、その意気だ!」
ビ――――ッ。
タイムアウト終了を告げるブザーが鳴る。休憩時間はおしまいだ。
「よーっし!」
鈴奈は勢いよくベンチから立ち上がった。後半戦に入って誰もが動きを鈍らせている中、誰よりも身軽そうに。
そんな鈴奈を、
「ああ、若森さん。一言だけ」
亮介が呼び止めた。
「スクリーンを使わずに
「え? うん。ダメだった?」
「いや、いいんだ。ただ、ひとつ教えておく事がある」
きょとんと聞き返す鈴奈に、亮介は――
「ドリブルで切り込む事に長けた選手を、
役割を求めていた、という部分は確かにある。
そんな心情に配慮して、亮介はわざとらしくその名前を教えてくれたのだろう。それが君の役割の名前だ、という意味で。
鈴奈はそう察していた。
察していても、どこか心は踊っていた。
(スラッシャー……)
その単語を心の中で繰り返すたび、新鮮な興奮を抑えきれない。
例えば明芳で言えば、愛はボールの保有権を支配するリバウンダーだ。
瞳は試合を組み立てるゲームメイカー。
茉莉花と慈は点取り屋、スコアラー。
(そしてあたしは、スラッシャー)
ドリブルで切り崩す役。
スピードに長けた鈴奈ならではの役割だ。
スラッシャーという単語の響きも格好いい。
「若森さん!」
そうこう考えているうちに、明芳のオフェンス。瞳からパスが回ってきた。
ボールを受け取る。
下段にボールを構え、瀬能6番と正対。そしてその奥にいる、ゴールまでの道を塞ぐ瀬能の選手たちをも見やる。
この試合の序盤からこちらを苦しめてきた、堅固なディフェンスだ。
だが、ピック&ロールへの対処に意識が向いている部分は少なからずある。
ドライブへの警戒はきっと甘い。
(きっと、隙はあるはず)
鈴奈には、はっきりと見えた。
ディフェンスの合間の隙。自分のドリブルスピードでなら、抜けると思えるコース。
それは、この堅固な守備の、急所だ。
それを――
(片っ端から、ぶった斬ってやる!)
パスを出すふりのフェイク。そして、ドリブルをついてゴールへと猛進!
低くかがめた鈴奈の体は、パスを警戒した瀬能6番の腕の下をくぐり抜けて行った。
ゴール下には瀬能の4番がいる。
その表情には迷い。
鈴奈には、4番の考えが手に取るようにわかった。
読みきれないのだ。レイアップで来るか、それとも愛へのパスか?
(――どっちもハズレ!)
迷った末にブロックしに来た4番を、鈴奈は低い体勢のドリブルでかわし、ゴールの真下を通り過ぎた。
「!?」
驚き振り返る4番。
鈴奈は両手でボールを掴むと、大きく足を踏み出して、一歩、二歩、そしてジャンプ――
ふわりと投げ上げられたボールは、リングの内側へと落ちていった。
オフェンスに緩急が生まれた、と亮介の目には映った。
今までの明芳は、スクリーンを起点としたワンパターンな攻撃に頼っていた。普段なら高さを活かして点を取れるはずの愛には、堅固なディフェンスに阻まれてパスを入れられないのだからそうもなる。
だから、パターンが読まれた後は容易に対策されてしまったのだ。
しかし、そこに鈴奈のドライブが加わった。ディフェンスを切り崩すという概念が生まれた。
目に見えて、オフェンスの効率が上がっている。
今もそうだ。
鈴奈がドライブで切り込んでディフェンスを引き付け、シュートと見せかけてパス。一人時間差でゴールへ走り込んできた茉莉花がレイアップを決めた。
これで、同点。
次のオフェンス。茉莉花のスクリーンを受けて鈴奈が逆サイドへ走り込み、そこへ瞳がパス――と見せかけて、エンドライン際でノーマークになっていた慈へ直通のパス。
ノーマークからのミドルシュートがゴールを射抜く。
これで、逆転!
この状況で瀬能メンバーが動揺しないはずがない。結果、シュートが入らない。
そのリバウンドを愛が押さえる!
「よっし、もう一本行くよ!」
愛からボールを受け取って、瞳が呼びかける。その声に反応した瀬能メンバーの所作に見えたのは、焦りだ。
浮き足立った瀬能メンバーは、得意のはずのディフェンスも充分に機能しなくなっていた。瞳のパスと鈴奈のドライブに惑わされ、自分たちの本来のディフェンスができなくなっている。
ボールを持たずとも、鈴奈がディフェンスを斬り裂くように走り込むと、それだけで警戒が集まる。その隙を見逃さず、瞳がパスを出す。
パスの受け手は愛。
鈴奈の
「止めろ! ファウルでいい!」
瀬能ベンチから、古谷が慌てて声を飛ばす。
瀬能4番は遅れながらもブロックに跳んだ。
愛は基礎練習通りにゴールへ向かって反転すると、まっすぐな姿勢からシュートの体勢。
瀬能4番が横合いからぶつかって来る。
が――
「ん……ッ!」
ゴールへ向かって腕を伸ばし、4番を弾き返してシュート!
ピッ!
鋭く鳴り響くホイッスル。
愛の指を離れたボールは、バックボードで跳ね返ってリングへ吸い込まれていく。
シュートの結果を目にした愛は、審判を振り返った。今のホイッスルは――
「
流れは、完全に明芳に傾いた。それは愛の目にも明白だった。
第4ピリオドに突入すると、明芳メンバーはスタミナ切れにより動きに鈍りが見えてきた。普段からディフェンスとフットワークを重点的に練習しているだけあって、この点は瀬能に一日の長があった。
だが、瀬能メンバーの頭からは、第3ピリオドで徹底的にやり込められたイメージが消えていない。
そして、動きの鈍るメンバーたちの中、ひとり鈴奈だけは第3ピリオドと変わらぬ機動力で、攻守に瀬能を翻弄し続けていた。
体力的に優位の瀬能と、勢いづいた明芳との一進一退の点の取り合い。
残り1分を切り、スコアは48-48。
「くっそ、1年生チームにっ……!」
毒づく瀬能の5番から、4番へとパスが繋がる。
4番は大股で
「やらせ――ない!」
その目の前に、まるで壁のように高い障害が空中にそびえ立ち、立ちはだかった。
それは山吹色ユニフォームの、背番号4。
懸命に跳んだ愛のブロックが、シュートを遮った!
弾かれて転がったボールを、鈴奈が素早く回収。
「ひとみちゃんっ!」
瞳へパス。残り時間はジャスト24秒。
ギリギリまで時間を使って攻めれば、最悪、シュートが入らなくても負けはせず、延長戦だが――
「この一本で決めるよ!」
瞳の指示に、明芳メンバーは最後の力を振り絞ってフロントコートへ走った。
延長戦になれば不利なのは明白だ。この一本で決めるしかない。
そして、勝つ!
フロントコートへボールを運ぶ。数秒、パスを回して時間を稼ぐ。
鈴奈へのパスを交える事で、スクリーンか、ドライブか、ディフェンスの判断を惑わせる。
そして、瞳にボールが戻って来るタイミングに合わせて茉莉花のスクリーン!
瞳がスクリーンを使って抜きにかかった。
――スクリーンが本命!
明芳の6番は今まで1本もシュートを撃っていない。最終的には5番か8番が撃ってくる!
瀬能のディフェンスはそのように動いた。
瞳がスクリーンを使ってディフェンスを抜き、同時に茉莉花がゴールへ向かって走り込む。
明芳の初ゴールと全く同じパターンのピック&ロール!
瀬能の
「GOっ!」
瞳からのチェストパス。
ボールの行き先は――
瀬能の
茉莉花の手も届かない。
――暴投!?
そのように見えた。
だが、瀬能の
ボールに手が届いたそれは、
「
鈴奈!
誰もが脚を鈍らせている中、鈴奈だけは勢いよく走り抜けていた。フットワークに優れた瀬能のさらに上を行く走りで、ディフェンスを後ろから追い抜いた。
ディフェンスの背後の鈴奈の走りに、コート上でただ一人、瞳だけが気づいていた。
ドンピシャで通ったパスが、鈴奈の走りを
残り2秒――!
「入れっ!」
鈴奈は身を捻り、片手で放り投げるようにシュートを放った。
遅れて、瀬能の4番がブロックに跳ぶ。
ボールは、
ブロックの手をわずかに越えて、
リングに乗り、その上を転がり、
ビ――――……ッ。
試合終了のブザーが鳴るのとまったく同時に、ネットの中へと落ちていった。
「やっ……たああああぁぁぁ!!」
鈴奈が、抑えきれない声を上げた。
50-48。
電子得点板の表示する点数は、明芳中女子バスケ部の初勝利を示していた。
「やった! やったよ! ひとみちゃん、ナイスパス!」
「えへへ。若森さんも、ナイッシュ」
ウイニングショットを決めた二人が手を取り合って喜ぶ。他のメンバーたちもその周囲に駆け寄って行った。
「やったじゃんか! すげーよ若森、ホントに最後まで突っ走って!」
「鈴奈ちゃん、ナイッシュ。後半凄かったよ!」
「ホントに上級生のいるチームに勝てちゃうなんて……!」
鈴奈を囲うように駆け寄ってきたチームメイトたち。鈴奈は彼女たちの顔を、一人一人見ていく。
その表情にあったのは、純然たる喜びと賞賛。
鈴奈に悪しざまな視線を向ける者など、誰もいなかった。
「……ありがと、みんな! あたし、やれたよ……!」
万感の思いを込めて、鈴奈は答えた。
またこうして、大好きなバスケットができるようになった。対等に認め合える、仲間ができた。
それが、何よりも嬉しかった。
――ぱちぱちぱち。
ベンチから、亮介が拍手を送っていた。
鈴奈に相応しい役割を与え、この勝利と喜びのきっかけを作ってくれた指導者が。
「せんせー!」
鈴奈は亮介に駆け寄った。最後まで走り抜いた脚の疲労など、どこかへ行ってしまった。
「せんせー、あたし……あたし!」
頬が緩み、自然と目頭が熱くなる。あまりに気持ちが高ぶりすぎて、言葉すら出て来なかった。
言いたい事はたくさんあった。勝てて嬉しい。みんなと仲間になれてよかった。役割をくれてありがとう。心配かけてごめんなさい。走りきれたのを褒めてほしい。
だが、
「よくやったよ、若森さん」
柔らかな微笑みと、頭を撫でる大きな手。
それらが語っていた。鈴奈が今まで悩み苦しんだ日々と、今この瞬間の溢れるような感情――
その全てを受け入れてくれる場所が、ここなのだと。
「――ありがと! せんせー大好きっ!!」
亮介に抱きつく鈴奈。
勝利の喜びとはまた別の意味で、驚愕の声が体育館を揺るがした。
「整列!」
審判役の瀬能3年生が合図し、センターラインを挟んで両チームのメンバーが背番号順に並んだ。
試合終了のセレモニー、コート中央での一礼だ。
「ねえ、明芳のキャプテンさん」
審判が"礼"を合図する前に、瀬能の4番が愛に話しかけてきた。
愛は驚き、かすかに目を見開いた。今日が初対面となる相手チームの選手が、愛に個人的に話しかけてくるとは思わなかった。
「今日はやられたわ。……まあ、相手が1年生チームだからって甘く見てた子が、ウチにいたからってのもあるけど」
ちらりと横に視線をやれば、瀬能の5番と6番が居心地悪そうな顔をしている。彼女たちは第1ピリオドの間、チームの不利を悟るまで試合に参加していなかった2年生だ。
「勝負だものね。絶対に油断しちゃいけないって教訓になったわ」
右手を差し出してくる4番。
それは握手を求めているのだと、1秒ほどして愛は気がついた。
「えと、そちらこそ凄かったです。ディフェンス堅くて、すっごい苦労しました」
少し緊張しながら、愛は答え、手をそっと握り返した。
「今更だけど自己紹介。瀬能中女子バスケ部のキャプテンをやってる松田よ」
「……中原です。明芳中女子バスケ部のキャプテンに、今日なりました」
「中原さん、ね。秋の大会には出るの?」
「たぶん」
曖昧だが、そうありたいという思いを込めて愛は答えた。
秋の大会。仮に両校が出場したとしても、明芳中は北埼玉地区、瀬能中は南埼玉地区だ。それぞれの地区大会を勝ち上がらなければ、大会で逢う事はない。
だが、
「必ずリベンジするわ」
少しだけ強く手を握り返しながら、松田はそう言ってきた。
「県大会で逢いましょ、中原さん」
「――はいっ。でも、次も負けません」
再会を約束するように、お互い強く手を握り合い、そして手を放し。
「礼!」
「「「ありがとうございました!!」」」
最後の挨拶は、明芳の声の方が大きかった。
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