#20 センター

「マコ、Cセンター代わってください」


 絵理香がそう呼びかけたのは、愛が2回目のゴールを決めた直後の事だった。


「えっ、エリカがCセンターやんの?」

「やろうと思えばできますよ」


 絵理香は涼やかに笑って、コートに歩み入る。

 170cm近いレディバーズの正Cセンターと見比べると、絵理香の身長はほんの数cm低い程度の差しかない。しかし、四肢の筋肉の厚みには一見してわかる差があり、体躯の強さには明確な差があるように見える。

 絵理香は均整の取れた、すらりとした体型ではあるが――パワーが重要となるCセンターに向いているようには見えない。


「斉上さんでは、あの子たちに指導しづらい事もあるようなので」


 一度、亮介を振り返った。

 くすりと笑う絵理香に、亮介は困惑の混じった苦笑いを返すしかなかった。


「久我さん、お手柔らかにお願いしますよ」

「あら、そうはいきませんよ。その方が、あの子たちのためでしょう?」

「まあ……そうですが」

「ご心配なく。は、余所者の私の役目です」


 目を細めた笑顔を見せて、絵理香はレディバーズの正Cセンターと入れ替わりにコートイン。

 そして、愛の傍まで歩いて行った。


「私が直接対決マッチアップを務めます。宜しく、中原さん」

「あ、ええ……」


 愛は困惑気味に答える。

 絵理香は悠然と笑ったまま――


「容赦なく行かせてもらいますから、ね?」






 #20 チームの中心センター






 レディバーズの守備を切り崩しかねた明芳は、やはり最後は愛にパスを入れた。

 愛はローポストの位置でボールを受け取り、肩越しにディフェンスを見やる。

 絵理香が立ち塞がっている。


(行くしかない……!)


 愛はそう判断した。

 自分以外のメンバーが攻めあぐねている以上、自分が行くしかない。

 行けるだろう。

 絵理香は、レディバーズの正Cセンターに比べて細身だ。パワー負けする気はしない。


「ふっ……!」


 ドリブルをつき、背中で押し込む!

 御堂坂中の真那が得意としていたパワープレイ。あの時は通用しなかったが、今は相手が

 押し込み、ターンしてゴールに正対。シュート!

 絵理香は、無理にブロックに跳んで来なかった。

 愛のシュートはやすやすとその上を行き、ゴールに沈む。


「ないしゅっ、あいちゃん!」

「うんっ」


 愛は鈴奈の賞賛に応えながら、バックコートへ戻っていく。

 正Cセンターを相手にしていた時よりも余裕がある。

 真っ向勝負なら圧倒的に有利だ。それはCセンターとして勝負する限り、愛の方が有利なのだと言い換える事もできる。

 しかし、


(この人、どうして交代して来たんだろ?)


 ディフェンスに戻りながら、愛は絵理香に視線を向ける。

 絵理香は比較的長身の部類だが、愛に比べれば一回りは小柄だ。Cセンターに適任とは言いがたい。

 正Cセンターをベンチに下げてまで、何をしに来たのか。

 理解しかねながらも、愛は守備位置につく。

 マークする相手は当然、Cセンターのポジションにいる絵理香だ。


「中原さん、でしたっけ」


 不意に、絵理香が呼びかけた。

 突然の事に、愛はきょとんとした視線を返す。


「斉上さんも褒めていましたが、ゴール下のあなたは強力ですね。高さといい、パワーといい」

「は、はあ……」

「ですが、それだけです」


 穏やかに。

 しかし、きっぱりと絵理香は断言した。


「――む」


 不愉快。

 愛にしてみれば、持ち前の体格は、彼女自身をチームの中心たらしめている最大の武器だ。チームを守る役割に目覚め、わずかなりと自分に自信を持てるようになったきっかけでもある。

 それを否定されるのは、快いものではない。


 同時に、絵理香の言う事は理解しがたい。


 Cセンターは体を張って、攻守においてチームを支える役割だ。それゆえに体の強さとサイズが何よりの武器になるポジションでもある。

 事実、御堂坂中戦でのCセンター対決は、技量や精神面もさる事ながら、体格とパワーによる壁がまず存在した。

 かつて瀬能中との練習試合でも、優れたディフェンスを誇るCセンターを相手に愛が戦えたのは、体格という武器があったからに他ならない。

 それが間違いだったなどという事は――


「ふふ」


 エンドライン際で、絵理香は笑った。

 穏やかなようで、しかし愛の考えは全てお見通しだと言わんばかりに。


(この人、何を……)


 愛の心に浮かんだのは、疑問。

 だがそれが解けるよりも早く、


「アキ、こっちです!」


 絵理香は走り出した。ゴールからように、フリースローライン付近へ。

 反応が一瞬遅れたが、愛もそれを追いかける。

 絵理香にパスが入る。

 ゴールを背にして、ポストプレイの体勢で絵理香はボールを受け取った。愛はその背に密着するようにしてディフェンスの体勢。

 その横を、ボールが通り抜けていった。


「!?」


 パス。

 そうと愛が気づくのに、一瞬の時間を要した。絵理香は視線も向けずに、ボールを受け取った直後にゴール下へとパスを出していたのだ。


「ナイスパァス!」


 ボールの行き先はSFスモールフォワードのナナ。

 ガラ空きになったゴール下でボールを受け取ると、そのまま難なくレイアップを決めた。


「さっすがエリカ、よくじゃん!」

「はいはい。さ、ディフェンスですよ」


 はしゃぐナナをまるで姉のようにたしなめ、バックコートへ戻っていく絵理香。

 彼女は一度だけ、小さく愛を振り返った。

 笑っていた。表面上は、穏やかに。

 何が言いたいのか。

 何かを伝えようとしている。


(……"見てた"?)


 違和感を感じたのは、そのフレーズだ。

 絵理香はゴールに背を向けた体勢でボールを受け取り、ゴール下をまったく見ないまま、正確にパスを出した。

 それこそ、まるで背中に目がついているかのように。

 そして、そのパスの辿り着いた先では――


「ごめん、振り切られちまった。もっと気をつける」


 ナナの切り込みカットインからの攻撃を防ぎそこねた茉莉花が、申し訳なさそうに仲間たちに言う。

 だが、それは茉莉花の責任だろうか?


「氷堂さんだけのせいじゃないよ、大丈夫」


 せいぜい茉莉花の責任は、半分だ。愛はそう考え、言った。

 ナナに対して直接対決マッチアップしているのは、同じSFスモールフォワードである茉莉花だ。彼女がマークしている以上、ナナのシュートによる失点は、茉莉花が責任を負わないわけはない。

 しかし"ゴール下を守る"という役目は、愛のものだ。

 抜かれた味方をカバーし、ゴールを、ひいてはチームを守る最後の砦。それがCセンターの役割だ。

 ポジションなど関係なく、ゴール下での失点は愛の失点だ。


(なのに)


 今の一瞬の攻防においては、愛はゴール下を守れなかった。

 そもそもゴール下にいなかったのだから当然だ。ゴール下を飛び出て、フリースローライン付近でボールを受け取った絵理香のディフェンスに着いていたのだから。


(……あの人……)


 愛は改めて、絵理香を見た。

 バックコートで待ち構える彼女は、超然と愛に視線を向けていた。






 レディバーズのディフェンスは依然として堅牢だ。

 単純な運動能力の差だけではない。社会人サークルである彼女たちと明芳のメンバーでは、土台の経験が違う。

 ドライブも、スクリーンも、このディフェンスを切り崩すには至らない。

 それを理解しているためか、ボールを預かる瞳からも、いつものようにキレのあるパスが出ない。


(それなら!)


 愛は再び、ローポストの体勢を取った。

 ポストプレイは体格とパワーを活かした攻撃だ。技術や運動能力で負けている以上、攻撃の切り口はそこしかない。

 3秒制限区域のすぐ傍に位置取り、背中で絵理香を押しのけるように――

 


「!」


 たたらを踏む。

 絵理香は愛の背中をかわし、愛の横に着いてきた。

 腕をかざしてパスコースを遮断ディナイ。かつて、瀬能中の4番が得意としていたディフェンスだ。


「くっ……!」


 絵理香のかざした腕を避けて、愛は絵理香を背中で押し込もうとする。だが絵理香は愛の背中をかわし、執拗に横に回って遮断ディナイを繰り返す。

 攻撃時間制限ショットクロックは残り8秒。7秒。6秒。

 ボールをキープしていた瞳は、目の前のアキにボールを奪われないようドリブルをつきながらも、突破口が見い出せない様子で――


「こっち、パス!」


 もう時間がない。愛は絵理香のディフェンスから逃れるように、アウトサイドへ一歩踏み出しながらボールを求めた。

 瞳からパスが入り、ボールを受け取る。

 しかしその位置は、ゴールから遠い。

 愛の苦手な距離。

 ボールを受け取ったまではいいが、立ち尽くす。


「どうしました?」


 戸惑う愛に、絵理香は小さく煽り言葉を投げかける。

 まともなバスケット選手なら、ドリブルで絵理香をかわすなり、その場からミドルシュートを撃つなり、攻撃手段はいくつかあるだろう。

 だが。


(見透かされてる……?)


 今日の模擬試合が始まってから、愛はそれらの攻撃手段を一度も取っていない。

 いや、今日に限った話ではない。そもそも試合中の愛は、ゴールに近いローポストの位置でボールを受け取り、ゴールに正対して即シュートという一辺倒の攻撃に頼っていた。

 不慣れなドリブルで切り込もうとしても、絵理香の熟練のディフェンスを抜く事はできまい。

 ミドルシュート? それこそ、愛にとっては専門外だ。今まで、ゴール下での立ち回りしかした事がないのだから。

 ゴール下の攻防こそが、Cセンターの仕事なのだから。


 ――ピッ!


「24秒、攻撃時間制限超過ショットクロック・バイオレーション!」


 鋭く鳴ったホイッスルとともに、明芳オフェンスの攻撃時間制限ショットクロックが訪れた事を、亮介が告げた。






 どう攻めればいいのか。ディフェンスに戻りながらも、愛は自問していた。

 明芳の攻撃パターンは、大きく2つ。

 ひとつは、GガードFフォワードの4人によるスクリーンプレイやドライブでディフェンスを切り崩し、ノーマークの状況を作ってからのシュート。

 もうひとつは、愛のローポストによる真っ向勝負だ。

 愛は、どちらかと言えば、前者が明芳の主要な得点源だと理解していた。

 チーム結成直後の時期から一貫して重要な得点源となっていたのは、Fフォワードの二人によるシュートだ。その際には、愛はリバウンドに専念できるという利点もある。

 だが、体格で愛に勝るCセンターはそうそういない。4人のオフェンスが手詰まりになってしまった際には、愛がローポストから攻めるのが明芳の"切り札"だ。

 愛はそれを自覚している。

 オフェンスが手詰まった時は、愛がやらねばならない。

 自分が攻めきれないという事は、明芳の敗北を意味するのだ。

 御堂坂戦のように。


(そんなわけには……!)


 そんなわけにはいかない。

 絵理香の攻撃を食い止め、絵理香からゴールを奪わねばならない。

 焦れる気持ちを抱いたまま、ディフェンスに着く。


「ふふ」


 愛の考えを見透かしたように、絵理香は笑う。

 そして、再びゴール下から、フリースローライン付近へと走っていく!


(またさっきの!)


 記憶に新しい。

 "あれ"は、味方にゴール下を攻めさせる戦法のようだ。Cセンターを務めているはずの絵理香がゴール下から遠ざかる事で、さきほどはそのマークに着いていた愛もゴール下からおびき出された。

 結果として、ゴール下を守る役割のはずの愛は、ゴールに猛進してきたナナを防げなかった。

 何せ、ゴール下にいなかったのだから当然だ。


(さっきと同じ手には……!)


 愛は、絵理香と距離を取ってディフェンスにつく。絵理香とゴールの中間に位置取り、いつでもゴール下を庇えるように。

 絵理香は、さきほどと同じようにフリースローライン付近でボールを受け取り――

 振り向きざまのジャンプシュート!


「!」


 絵理香から離れていた愛は、ブロックしようにも間に合わない。

 ボールがリングを通過し、ネットを跳ね上げる。愛は、それをただ黙って見ている事しかできなかった。






「……容赦ないなあ」


 亮介は苦笑いしながら、事の成り行きを見守っていた。

 "嫌われ役"を買って出る、と絵理香は言った。そしてその言葉通り、愛の弱点を執拗なまでに攻めている。

 それが将来的にチームのためになるとはいえ。


「ふーっ、いやあ、若い子たちとやるのはしんどいわー」


 SFスモールフォワードのナナが、交代してコートから出てきた。

 コートの外に座り込み、スポーツドリンクの入ったペットボトルを呷る。

 汗は大量にかいているが、言葉とは裏腹に、表情はまだまだ余裕そうだ。


「あー、あたしも歳食ったなあ。ぜんっぜん、高校ピークの頃のレベルじゃないわ」

「何言ってるんですか、充分やれてますよ。明芳ウチの子たち、すごい苦戦してるじゃないですか」

「そりゃあね。一応あたしたちは昔、中学・高校と6年はやってきたわけだし」


 ペットボトルを置いて、タオルで汗を拭く。

 コートを見つめる目は、どこか昔の、懐かしい記憶を重ねて見ているよう。


「先生ってあたしたちのチームの事、エリカから何か聞いてるっけ?」

「いえ、特には」

「はは、そっかー」


 コートの中では、Cセンターを務めている絵理香が再びフリースローラインでボールを受け取った。

 そして即座にパスを捌く。

 ボールは、マークを振り切ってコーナーで待機していたサナへ。3Pシュートが、高い弧を描いた。


「あたしたちはね、学生時代はライバルだったんだ」


 3Pシュートは、軽快な音を立ててゴールを射抜いた。

 絵理香がレディバーズのオフェンスの中核として機能している事は明確。愛は、対応に戸惑っている様子だった。


「あたしとエリカが中学の頃から同じチームでね。アキとマコが同じ地区のライバル校。高校も同じコンビで進学して、アイカたちは同じ地区の別の高校。

 言ってみれば、あたしたちの青春時代のオールスターチームなのよ。レディバーズは」

「へえ……」

「ウチの高校はあたしがキャプテンで、エリカが副キャプでね。でもエリカの方が、こう、勝利への執着心って言うの? そういうのは強くて。試合でも容赦ない戦法取るし、合宿とか自主練のメニューもあたしが引くほどキツいの組んで来たりとかしたのよね。

 でさ、社会人サークルで組もうって話になって、高校の頃の話題になったら、他校でキャプテンやってたアキやアイカも同じぐらいキツいメニュー組んでたって言ってさ。もー笑っちゃって。それがあたしたちの、チーム名の由来」

「チーム名の?」


 てんとう虫レディバーズ

 にんまりと笑って、ナナは答えた。


「見た目は可愛くても肉食だぞ、ってね」






 模擬試合が終了したのは、絵理香のシュートが再びゴールネットを通過した直後だった。


「さて、少しは理解してもらえましたか?」


 ボールを拾い上げながら、絵理香は愛に問いかける。

 歯痒さを噛み締めながら、愛は絵理香に向かい合った。

 レディバーズのCセンターが絵理香に交代してから、愛はほとんど活躍らしい活躍はできなかった。

 それどころか、ゴール下での真っ向勝負を明らかに避けて来た絵理香のジャンプシュートとパスによって、直接的にも間接的にも、大量の失点を喫した。

 ゴール下で勝負しないCセンター

 それは愛の認識しているバスケット観に、真っ向から反逆していた。


「……どういう、事ですか?」


 流れる汗を拭いながら、愛は問い直す。

 Cセンターは肉体を武器にしてゴール下を制圧し、攻守においてチームを支える役割だ。愛はそう認識している。

 愛にとって、ゴール下は自分の主戦場だ。

 リバウンドを取る事。ローポストからゴールを狙う事。抜かれた味方をカバーし、ゴールを守る事。それら全てがCセンターの重要な仕事であり、愛のチーム貢献の形でもある。

 それが、間違いだと言うのか。


「あなたは、ゴール下から離れようとしない。それがチームの良さを台無しにしてしまっているんです」

「……どうしてです?」


 理解しがたい。

 Cセンターとは、ゴール下で戦うポジションだ。

 Cセンターがゴール下にいなければ、誰がリバウンドを取り、またゴール下の攻防を担うのか――


「自分より大きいCセンターと戦った事は、ありませんか」


 ――御堂坂中の大黒真那。

 秋の新人戦を忘れるわけもない。自分よりも大柄で力強いCセンターを相手に、完封に近い負けを喫した。


「私は、あなたほど身長もないし、体躯フィジカルでも劣る。それでもさっきまでの試合、あなたとのCセンター勝負では、勝っていたのは私です」


 それは事実だ。

 愛の知っている、典型的なCセンターの立ち回りとは異なる動き。真っ向勝負を巧みに避けるようなそれに、愛は翻弄された。


「真っ向勝負で勝てるなら、ゴール下に張り付いていてもいいでしょう。ですが、そうでもないのにゴール下にいるのは、相手の有利な土俵で勝負するも同然です。

 むしろ、ゴール下の勝負で勝てないのにゴール下に張り付いていては、味方の邪魔にさえなります」

「邪魔って……」

「あなた以外、ゴール下で点を取れていた覚えがありますか?」


 ――あまり、ない。

 この試合に限った話ではない。前からそうだ。明芳の得点の多くを占めるのは、茉莉花と慈のミドルシュート。ゴール下を攻めるのはもっぱら愛で、ときおり鈴奈や茉莉花がドライブからのレイアップを決めている程度だ。

 その"ときおり"すら、ゴール下に怪物級のCセンターを擁していた御堂坂の前には、発生しなかった。


「あなたがゴール下にいるという事は、あなたをマークしている敵Cセンターもゴール下で待機しているという事。必然的に、身長の低い味方がゴール下を攻めても、防がれます」

「……あいちゃんがディフェンスの時にやってるみたいに?」


 唐突に口を挟んだのは鈴奈。

 言われて、愛もハッと気づく。ディフェンスにおいては、普段から自分がしている事だ。抜かれた味方をカバーし、ゴールを守る事は。

 御堂坂中の大黒真那も同じように、ゴール下で不動の守護神として待ち構えていた。

 だから、いかに機動力で切り崩そうとしても無理があった。


「ええ、中原さんのように」


 鈴奈に微笑みかけて、絵理香は答えた。

 鈴奈はにこやかに微笑みかけられてもどこか釈然としない様子ではあったが、それでも言葉は正鵠だった。


「シュートはゴール下で撃つのがもっとも成功しやすい。これは誰でも一緒です。それを味方に撃たせるために、相手のCセンターをゴール下からおびき出す……これもCセンターのオフェンス技術のひとつです」

「……で、でも、Cセンターの私がゴール下から離れたら、リバウンドとかは……」

「なぜ最初から、シュートを外した後のリバウンドの事を考えるのでしょう?」


 愛の反論を予想していたとしか思えない、絵理香の断言。

 愛の言い分は、ゴール下での強さに自信を持っていればこそのものだが――


「オフェンスの目的は、シュートを決める事です」


 反論の余地もない正論。


「あなたがゴール下を味方に譲る事で、高確率で決まるシュートを味方が撃てるのなら、そもそもリバウンドを考える必要自体がありません」

「……」

「あなたがゴール下の"独り占め"をやめれば、もっとチームを活かす事もできる。私は、そう考えます」

「……先生?」


 意見を求めるように、愛は亮介を省みた。

 少々の苦笑いを交えて、亮介は小さくうなずく。


「少し、練習しましょうか」


 絵理香は先導するように、フリースローライン付近まで歩いて行った。

 そこはさきほどの模擬試合で、何度も絵理香が攻撃の起点となった場所。


「教えてあげます。ハイポストの立ち回りを」






 バスケットでは俗に、自軍が攻める方向を向いた際の、コートの奥側の位置を"低い"、手前側の位置を"高い"と言う事がある。

 よってコートの奥側、つまりゴールに近い位置でのポストプレイは低いポストローポスト

 対して、ゴールから少し距離のある位置でのポストプレイは高いポストハイポストというわけだ。


「ポストの位置に走り込んだ後、ボールの受け取り方はローポストと一緒です。背中でディフェンスを抑え、小さくジャンプして高い位置でボールを受け取り、両足同時に着地」


 両チームのメンバーが再び配置に着いた中、絵理香はひとつひとつの動作に落とし込んで、丁寧に指導を始める。

 ゴール下に張り付くような今までの立ち回りとは違う。若干の違和感に戸惑いながらも、愛は言われた通りに体を動かし、ボールを構えた。


「ボールを受け取ったら、まずは周囲の状況を判断します。

 まず第一に、ディフェンス側のCセンターは自分に着いて来ているか。いなければ、即シュートか、ワンドリブルしてレイアップかで、自分での得点を狙います。

 第二に、自分がさきほどまでいたゴール下の位置へと切り込んでいる味方はいないか。敵Cセンターをゴール下からおびき出す事に成功しているなら、そこは空きスペースになっているはず。Fフォワードにとっては絶好の得点チャンスですから、そこにパスを合わせます」


 言いながら、絵理香はSFスモールフォワードの位置に小さく手招きをして見せた。

 合図を読み取って、茉莉花がゴール下へ走り込む!


「中原、パス!」

「!」


 咄嗟に、パス。

 ワンバウンドして、ボールは茉莉花の手の中へ。

 一歩分だけ反応が遅れたナナを横目に、茉莉花は容易にレイアップシュートを決めた。


「あーやられた! ちょっとエリカー、いきなり始めるのひどくない?」

「ふふ、油断する方がいけないんです」


 絵理香はボールを回収して、PGポイントガードの定位置で待機している瞳へ返球する。

 茉莉花はSFスモールフォワードとしての定位置、右サイド45度の3Pライン沿いへと戻ろうとして、


「ナイスパス、中原!」


 にっと笑って、賞賛の言葉。

 何気ない、どこの部活でも使われるような言葉だ。

 だが愛は。


「ナイスパス……?」


 つぶやき繰り返す。

 何でもないはずのその言葉に、愛は、確かに新鮮な響きを感じていた。


 ――初めて言われた言葉な気がする。


 ナイスシュートや、ナイスリバウンドなら言われ慣れている。ローポストオフェンスでの得点や、力強いリバウンドは、これまでも明芳中女子バスケ部の戦力の基盤となってきた部分だ。

 これまでほとんどの練習試合で、10得点10リバウンド以上の二項目二桁記録ダブル・ダブルを達成してきたという実績も、愛がそれらで貢献してきた事を裏付けている。

 だが、今まで意識してパスを捌いた事があっただろうか?

 ない。

 これまで愛が出してきたパスは、リバウンドを取った直後、ボールを安全な場所に逃がすためのパスばかりだ。

 ディフェンスリバウンドから速攻に繋がった事は何度もあるが、それは脚の速い鈴奈や茉莉花が走ってくれた結果であって、愛はそこにボールを丸投げしていたにすぎない。

 5対5の駆け引きの中で、味方の得点をアシストするようなパスを出した事はない。

 ナイスパスと喜ばれるような。


「ねえ、中原さん」


 呼びかけたのは、瞳だった。

 呆けた様子のまま愛がそちらを向くと、瞳は、優しく微笑んでいた。


「パスって、面白いよ? 一人じゃできない事ができるから」






(一人じゃできない事、か)


 言われてみれば、何もかも一人でやろうとしていた気はする。

 オフェンスが手詰まりになったら、最後は自分が決めるしかない。

 身長と体格を武器とするのは自分だけだから、リバウンドは自分で取るしかない。

 技術や運動能力では自分より優れた仲間たちがいるのに、それを活用しようともしないで。


「中原さん、もう一回行くよ!」

「うん!」


 瞳のコールに答えてハイポストの位置に走り込み、ボールを受け取る。


(まず、状況を見る……!)


 ハイポストの立ち回りを学んで、なぜ自分のポジションがCセンターと呼ばれるのかを理解した。

 ハイポストの位置は、フリースローラインの付近。5人がハーフコート全体に散開すると、ちょうどここが中央センターになるのだ。

 同時に、この位置からは仲間の4人の誰に対しても、パスが出しやすい。

 例えばPGポイントガードの定位置からでは、"低い"位置へはパスが出しにくい。1本の長いパスがコートを縦断する形になるから、途中でカットされてしまう危険性は非常に高い。

 だがハイポストの位置を経由する事で、2本の短いパスでつなぐ事ができる。

 ちょうど今のように――!


「鈴奈ちゃん!」


 慈のスクリーンを受けて、鈴奈がゴール下へと走り込んでいる。愛は、そこにタイミングを合わせた。

 直通のパス!

 ゴール下はガラ空きだ。

 鈴奈は、難なくレイアップを成功させる。


「よっしゃー! ナイスパス、あいちゃん!」

「あはっ、ありがと」


 20cm以上低い位置から跳び上がってくる鈴奈とハイタッチ。

 今までとは違う感覚。今まで以上に、チームの仲間たちと繋がっているという実感。

 そして同時に、自分一人では不可能だった事も可能になるという実感。

 パスが面白いというのは、きっとこういう事だ。


「基本は理解したようですね」

「そうですか? ええと……ありがとうございます」


 わかってしまえば、素直にお礼を言う気持ちにもなれた。絵理香の評価も、どうやら最初の一歩としては合格点のようだ。


「まだ少し判断が遅いですが、そこは経験を積んでいけば速くなっていくでしょう。

 斉上さんもしっかり指導してくれるとは思いますが、あなた自身も意識しておいてください。このチームを活かすも殺すも、あなた次第だという事を」

「はいっ。わかってます」


 身に染みてわかった。

 ポジションという概念は、自分の得意な役割に専念するための定義づけのはずだった。しかし、その役割を愚直に遂行していればいいレベルは、もう越えてしまっていたのだ。

 ひとりの力で何とかするのではなく、これからはチームを活かして戦う。

 キャプテンとしても。

 一緒にバスケを始めた、5人の仲間のひとりとしても。


「――私は、このチームの中心センターですから!」


 きっとこのポジションには、そういう意味もあったのだ。

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