#15 ファーストステージ

 夏休み最後の練習試合。試合終了のブザーが鳴った時、スコアは61-56を示していた。


「よ――――っしゃあ!!」


 試合終了間際、ダメ押しの1ゴールを決めた茉莉花が吠えるように喜びの声を上げる。

 瀬能戦以来となる、久しぶりの勝利だった。これまでの練習試合の通算戦績は、6戦して2勝4敗。

 単純に見れば、負け越している。

 しかし明芳中女子バスケ部は、1年生だけのチームだ。

 上級生を主力としたチームを相手に、3回に1回は勝てている。これは驚異的な事だ。


「お疲れ、茉莉花。絶好調だったじゃない」

「へへっ」


 瞳の激励の言葉に、茉莉花は嬉しさを隠そうともしない。

 事実、今日の茉莉花は好調だった。直接対決マッチアップした相手のSFスモールフォワードが優れた選手ではなかった事もあるが、今日はファウルがかさむ事もなく、明芳の61点中24得点を上げる活躍を見せた。

 茉莉花は、爆発力のある選手と表現すればいいのだろうか。上手く歯車が回っている時には実力以上の働きを見せてくれるという傾向が、数度の練習試合を経て見えてきた。

 それは、格上の相手に勝つためには有用な武器だ。

 一方で――


「あいちゃんも、お疲れっ。今日も大活躍!」

「あは、うん……ありがと」


 愛の顔がかすかに赤いのは、試合の興奮がまだ冷めていないというだけの理由ではなさそうだ。

 だが、いかに褒められる事が照れ臭くとも、愛の口から必要以上の謙遜の言葉は出なかった。

 それもそのはず。愛は今日16得点に加え、ディフェンスリバウンドの大半を一人で回収し、敵の追撃を断ち切る事に貢献した。失点を抑えるという意味では、誰よりも大きな結果を残したと言える。

 これで下手に謙遜などしようものなら、逆に嫌味になるほどだ。


(それに、何より……)


 亮介はベンチで勝利の喜びに浸りながらも、スコアブックのページをめくる。

 そこに書かれているのは、過去の練習試合のデータだ。

 今日を含め、夏休みに5回に渡って行われた練習試合。その全てにおいて、愛は10得点10リバウンドを超える二項目二桁記録ダブル・ダブルを叩き出している。

 安定感においては、群を抜いている。


(本当に、いけるかもしれない)


 1年生チームでありながら、公式戦で勝利を収める事。

 果てしなく難しいはずのそれを、彼女たちが達成してくれるのではないか。そんな未来像が、亮介には見えた気がした。






 #15 初めての強敵ファーストステージ






 夏休みが明けると、大会はもう目前だった。

 必然的に練習も、大会での1勝を意識したものへと変わっていく。


「よーし! 次、ミラードリル行こう!」


 練習メニューを告げ、亮介自身もコートのエンドラインに立つ。

 二人一組になって、敏捷性の近い者同士で向かい合う。愛と慈、鈴奈と茉莉花。瞳とは、ある程度手加減する事を前提に亮介が組む。


「お願いします」

「ん」


 瞳の言葉に、亮介は手短に返す。

 そして、パン! と手を叩く。

 同時に、一斉に対岸のエンドラインへと走り出した。

 亮介は数歩走ったところで急停止。一瞬遅れて、瞳も停止。

 サイドステップで二歩戻る。

 瞳もサイドステップで二歩戻る。

 クロスオーバーステップで三歩進む。

 一拍反応が遅れながらも、瞳もクロスオーバーステップで前進。

 一歩大きく後退!

 と見せかけたフェイントの後、ダッシュで前進!


「!」


 瞳は脚をもつれさせた。

 転びはしなかったものの、やっとの事で体勢を立て直す。そして亮介の正面まで走ってやって来ると、もう一度向かい合う。


「続けるよ?」

「はい!」


 流れる汗を拭いもせずに、真剣な目で答える瞳。

 亮介は再び、細かい切り替えしを交えたフットワークを始めた。

 鈍い足取りながら、瞳もそれに続いた。







 ミラードリルとは、敏捷性と反応速度を鍛える練習だ。

 一人が"お手本"となり、フェイント等を交えたフットワークを行う。相方は、"お手本"の動作を鏡に映したかのように真似する。

 同時に走力をも鍛える目的で、コートの対岸へのダッシュを組み合わせる場合もある。今やっているのが、まさにその形式だ。

 いずれにしても、ディフェンス力を強化する目的の、ごく一般的な練習メニューのひとつである。

 が――






「はぁっ、きっつぅ」


 ミラードリル20本を終えて、そんな感想が茉莉花の口をついて出た。

 相方が鈴奈だけあって、3組の中で最も激しいフットワークを行っていたというのはある。しかしそれ以上に、茉莉花が"きつい"と感じるのは精神的な理由があった。

 

 ミラードリルをはじめとしたフットワーク系の練習は、ボールを一切使わず、勝敗や得点といった概念もない。

 バスケットボール部の練習であるにも関わらず、だ。

 ボールに触れるでもなく、成功や失敗があるでもなく、ただこなすだけの練習だ。

 面白いはずがない。

 結果、実際以上の疲労を感じさせるのだ。


「瞳、だいじょぶ?」

「はーっ、はーっ、うん、へいき……」


 壁にもたれかかって汗を拭う瞳は、5人の中で一番息が上がっていた。

 手加減してくれているとはいえ、亮介のフットワークについて行こうとしたのだから、相当辛い事は間違いないだろう。

 それでも弱音を吐かずに努力しているのは、脚が遅いという明確な弱点を、彼女なりに何とか克服しようと考えている事の表れに違いない。

 しかし。


「よーし、休憩終わったらラダーステップだ。それから3on2やろう」

「げ……」


 体育倉庫から縄ハシゴを持ってきた亮介の指示に、茉莉花はおよそ女の子らしくない声を漏らす。

 ラダーステップもまた、ディフェンスの基礎となるフットワーク系の練習だ。要は縄ハシゴを床に置き、ハシゴを踏まないように多種多様なステップを踏むというものだが――

 当然、これもボールは使わない。

 面白みは、ない。


「……なあセンセー。ディフェンスとかフットワークとかって、そんな大事かな?」


 不満が言葉となって噴出してしまった。

 言った後で、生意気な事を言ったかもしれないと後悔の念が茉莉花を襲う。が、一度口に出た言葉が引っ込むわけでもなかった。

 毒を食らわば皿までと、茉莉花は思いつく限りの言葉を続ける。


「自分で言うのもなんだけどさ、明芳ウチって結構、点は取れるようになってきただろ? ディフェンスが弱くても、点取られた以上に取ってやればいいんじゃないかって思うけど……」

「うーん。それはちょっと、理解が浅いかな」


 言い方こそやんわりとしているが、完全否定だ。

 考えてみれば、半生をバスケに捧げてきた亮介の指導方針を、まだバスケ歴半年にもならない茉莉花の思いつきで上回れるはずもなかったが……


「でも自分なりに考えて、疑問を持つのはいい事だよ。休憩がてら、ディフェンスの重要性を考えてみようか」

「あっ、うん」


 こう、訊く側がへこまないで済む言い方をしてくれるのが亮介のいい所だ。

 学校の先生がみな亮介のようにものを訊きやすい先生だったら、もう少し勉強もできたかもしれない――と、ふと埒もない事を茉莉花は思う。


「まずは基本のおさらいだ。バスケにおいては、1回のシュートで取れる点数は最大でも3点だ」


 ここまでは大丈夫? と視線で問いかけてくる亮介。

 考える必要もなく、茉莉花はうなずく。

 普通のシュートは2点。ロングシュートは3点。守備側のファウルに対するペナルティとして与えられるフリースローは1点。それは基本的なルールとして、入部した時に茉莉花も学んだ事だ。


「言い換えると、1回の攻撃で取れる点数は、1試合で何十点も取り合う中での2点や3点でしかない。野球で言う逆転満塁ホームランのような、負け試合を一発でひっくり返してしまうような攻撃は絶対にないんだ」

「ん……うん」


 茉莉花は今まで意識していなかったが、その通りだ。例えば4点以上離されている場合、一発で逆転できる手段はない。

 極端な話、豪快にダンクシュートを決めたとしても、それは2点にすぎないのだ。

 茉莉花はこのチームを、"点はそこそこ取れるチーム"と認識していた。

 それは茉莉花自身や愛が、大量の得点をしている印象によるものだが――


「えっと……点が取れるかどうかってのは、シュートが入るかどうかじゃなくて?」

「いや、高い確率でシュートを決める事も大切だよ。それも"得点力"を構成する要素のひとつだ。だけど、どんなチームでも、攻撃回数×3以上の点は絶対に取れないんだ。実際にはそんな確実にシュートが入るわけでもないけどね。

 さて、では問題だ。敵味方がだいたい同じぐらいシュートを決められる仮定して、相手よりたくさん点を取ろうと思ったら、どうすればいい?」

「……相手より、たくさん攻撃する事!」


 亮介の言わんとしている事を掴んだ気がして、茉莉花は勢い良く答えた。

 それが正解だった事は、亮介の満足そうな笑顔を見ればすぐわかった。


「そう。攻撃の回数を増やす事が、より多くの点を取るためには重要なんだ。

 で、攻撃の回数を増やすっていうのは、相手からボールを奪うという事。つまり、ディフェンスだ」


 はっとした表情の茉莉花。

 それは今まで、まったく意識していなかった事だ。


「ディフェンスって、攻撃だったんだ……」

「や、まあ、その言い方はちょっと極論だけど。でもそういう風に考えれば、ディフェンスもやる気が出るんじゃないかい?」

「ああ。なんか、やる気出てきた!」


 快い笑顔を見せて、茉莉花は答えた。

 その様子を横から見ていた鈴奈が、可笑しそうに微笑んでいる。


「……若森? なんか変か?」

「んーん? せんせーってやっぱり、上手いなーって」

「……? なんだよそれ……」


 今ひとつ理解できないといった様子の茉莉花をよそに、鈴奈はくすくすと笑っていた。


「まあ、でも。それでなくても、ディフェンスは大事よね」


 話題が一区切りついたのを見計らって、横から話に入って来たのは、慈だ。


「瀬能中のディフェンスにすごい苦戦したの、みんな覚えてるでしょ? 特に試合の最初、全然点が取れなかった時」


 瀬能中。

 その名前を聞いて何も感じないわけはない。明芳中女子バスケ部にとっては初めての試合の相手だ。そして、堅固なディフェンスがどれほど厄介なものなのかをはじめ、いくつもの気づきをもたらしてくれた相手でもある。

 特に――慈が言うように、試合開始直後のディフェンスは脅威だった。およそ2分間まったく点が取れず、試合の流れを完全に持って行かれるところだった。

 あの2分間がどれほど苦しく、長く感じたか。忘れるはずがない。


「ああいうの、相手の出鼻をくじくって言うのかしらね? 上手いディフェンスは、ボールを奪うってだけじゃなくて、そういう精神的な効果もあると思うのよ」

「……うん」


 愛が同意する。

 瀬能戦での愛は、まだローポストオフェンスを習得していなかったからとは言え、ほとんど得点に絡む事はできなかった。終始リバウンドだけは取れていたものの、攻撃のリズムにはなかなか乗れなかった事は印象強い。

 あれがきっと優れたディフェンスというものなのだ、と直感的に理解できる。

 そして同時に、それだけの気づきを与えてくれたライバルと再びまみえるために。


「……ディフェンス、もっと頑張ろっか」


 ぽつりと、愛は言う。


「県大会まで行かなきゃ、瀬能中とは公式戦で勝負できないし、ね」


 ふと時計を見れば、既にミラードリルの終了から10分が経っていた。

 愛は立ち上がり、縄ハシゴを自ら床に広げた。






 それから、大会の日まではあっと言う間だった。

 フットワーク練習を重点的にやりつつも、各自の得意分野をさらに磨き上げる個別練習メニューも継続。

 それは上級生チームを相手に戦うための、亮介なりの育成戦略だった。

 守備に穴を作らないという意味でも、ディフェンス力は全員を向上させる。オフェンスに関しては、必要以上のいろいろな事には手を出させず、大会までは得意技一本に絞って磨いていく。

 上級生チームに比べてトータルの経験が少ない子たちで勝つためには、これが最も有効な方法だと考えた。

 その方針に基いて練習を重ね、そして今日、大会の日を迎えたのだ。


「なんだか、ついこないだ来たみたいな感じがするなぁ」


 会場の入口を見て、まず茉莉花がそんな感想を口に出した。

 大会の会場は、明芳中から見て隣の市にある市民体育館。6月には、夏の大会の地区予選が行われていた場所だ。

 あの時と同じく、既にいくつものチームが開場を待って、入口前にたむろしている。そしてそれらのチームのことごとくが、緊迫した空気を漂わせている。

 あの時と違うのは、今度は明芳中女子バスケ部は、大会参加者としてここに来ているという事だ。


「みんな、緊張しているかい?」

「当たり前でしょう」


 亮介の問いかけに、普段よりいくぶん早口で慈が答えた。

 額にうっすらと汗が浮いているのは、駅から体育館の入口前まで歩いてきた事によるものではないだろう。


「先生は大会とか慣れてるかもしれませんけど、私たちにとっては初めての公式戦なんですから」

「僕も、慣れてるってほどの事はないけどね」


 かく言う亮介も、コーチの立場で会場入りするのは初めてだ。

 選手だった頃、大会の会場に足を踏み入れるにあたって、緊張を感じなかった事はない。

 亮介に限らず、きっと誰もがそうなのだろう。

 しかし亮介は、緊張に押し潰されて実力を発揮できなかった事もなかった。


「よーし、みんな。会場に入る前に深呼吸だ」


 言って亮介は、自らも大きく息を吸い込み、そして吐き出す。


 ――空気が


 澄み渡り、研ぎ澄まされた空気。それを体に取り入れる事で、自らの心身も冴え渡っていくような感覚がある。

 全身が覚醒していく。

 この場に集った全てのチームは、みな等しく真剣勝負に臨もうとしている――清浄な空気のおかげで頭が鋭く回り始めると、この大会に挑む彼らに、いかにして勝つかという冷静な思考が生まれてきた。

 やがて、体育館の入口が開く。


「行こう!」


 亮介はカバンからコーチライセンスカードを取り出す。ストラップに繋がれたそれを、首から下げた。

 そして部員たちを先導するように、力強く、会場へと踏み出す。

 部員たちも亮介に続き、


「ひゃっ」


 亮介の背後から、愛の短い声。そして、どさりと倒れた音。

 亮介は振り返った。

 尻餅をついたように倒れた愛と――


「おっと、悪いね。大丈夫かい?」


 恐らくは歩き出した瞬間の愛とぶつかり、人物。それが、倒れた愛に手を差し出していた。

 愛はしばし呆然とした様子で、その人物を見ていた。

 愛の後ろにいる明芳のメンバーも、みな一様に驚いた表情をしている。自分たちより、その人物を。

 やがて愛が、差し出された手にようやく気づいたかのように手を握り、引き起こされて立ち上がる。

 直立の姿勢になるとよくわかる。その人物は、愛よりも10cm以上は背が高かった。

 明らかに、亮介よりも高い。


「いやあ、悪い悪い。ちょっと急いでたもんでさ」


 改めてその人物の声を聞いて、愛は再び驚きを露わにした。亮介も同じ心境だった。

 

 クセのあるベリーショートの髪に、亮介以上の長身。相応に肩幅も広く、手も大きい。

 しかし声は、やや低いものの間違いなく女性――それも成人していない女の子のものだ。見れば、顔立ちにも愛たちと同様、若干のあどけなさが残る。

 そして何より、彼女が着ている深い赤のジャージには、"御堂坂みどうさか中"と学校名が書かれている。

 中学生の女子。

 つまり、この大会に参加する選手と考えて、十中八九間違いない。


「マナ! 何やってるの、行くわよ!」


 体育館の入口すぐ傍で、巨体の少女と同じ赤のジャージを着た少女が声を張り上げる。

 巨体の少女が振り返った。


「あ、タマ! 悪い悪い、道に迷っちまってさあ」

「いいから早く来なさい! みんな待ってるのよ!」


 マナと呼ばれた巨体の少女は、あちゃー、と苦笑いしてベリーショートの頭をがりがりと掻く。


「悪いね、あたしは行かないとだ。ウチのキャプテンがお怒りだよ」

「あ、はあ……」

「さっきはごめんな。でも、アンタも気をつけなよ?」


 言って、転倒した愛についてしまった土汚れを、大きな手で軽く払う。

 ひゃ、と愛は小さく声を上げた。


「んじゃあね」


 軽く手を上げて別れの挨拶とすると、さきほどタマと呼ばれた少女の方へと小走りに駆け寄っていく。

 人混みの中でも、その長身は際立って見えるほど高かった。そして、足取りも決して鈍重なものではない。


「……何だよ、あれ」


 マナと呼ばれた少女が去ってしばし。ようやくといった様子で、呆然と茉莉花が口を開いた。


「せんせーよりでっかい……よね、あの人」


 鈴奈もようやく言葉を口にするが、まるで自分の目で見たものが信じられないかのようだった。

 愛とて、中学生女子の基準で見れば人並み外れた長身だ。だが、マナと呼ばれたさきほどの女子の身長は、そのさらに上を軽々と行く。


「せんせーって身長いくつだっけ……?」

「181。僕より高いから……まあ、あの子は185ぐらいあるんじゃないかな」


 努めて冷静に答えようとする亮介だったが、さすがにまったく動揺しないというわけにもいかなかった。

 女子で185cmと言うと、男子に換算すれば2m級の希少さだと考えていい。少なくとも身長に限れば、女子実業団のゴール下にいてもおかしくないレベルの数字だ。

 そんな怪物級の選手が、同じ地区の大会に出場するとは。


「……」


 愛は、マナと呼ばれた巨体の少女の背中を、しばし黙って見ていた。

 目元、口元に、不安が漂う。

 身長とパワーは、愛をこのチームの中心に位置づけていた最大の武器だ。同時に、かつてはそれが人並み外れている事こそがコンプレックスでもあった。

 だからこそ、その点において誰かに負ける事など想定していたはずもない。

 気持ちが、恐れに傾いていた。


「あの、先生」


 沈黙を破ったのは瞳。その視線は、亮介のカバンに注がれていた。


「トーナメントの組み合わせ表、確認させてもらっていいですか?」

「え、ああ」


 言われるまま、亮介は大会の組み合わせ表を取り出した。

 亮介が紙面を広げると、それを取り囲むようにして部員たちが内容を見る。そして、全員の視線が明芳の第1試合に注がれた。


『女子の部 Cコート第1試合(10:00~) 明芳中 対 御堂坂中』






 開会式が終わると、心の準備をする間もなく試合の準備をしなければならなかった。

 今はコート横にパイプ椅子を並べたベンチで、メンバー全員が試合開始の合図を待っている。

 明芳メンバーは白地に山吹色の縁取りを施した、淡色のユニフォームを着用していた。公式戦では、通し番号の若いチームが淡色を、そうでない方が濃色を着るレギュレーションだ。


「一回戦から、とんでもない所と当たっちゃったわね……」


 ウォーミングアップを済ませて試合開始の合図を待つ中、ぽつりと慈が言う。

 相手チームのベンチに目をやれば、鮮やかな赤のユニフォームを来た御堂坂中メンバーが揃っている。

 全体的に身長は高め。その中でも、頭ひとつ飛び抜けている長身が実に目立つ。

 さきほどマナと呼ばれていた彼女――登録選手一覧によれば、2年生の大黒おおぐろ真那まな。背番号は5。登録上の身長は、183cmとされていた。

 ただ背が高いというだけで充分な脅威に見えるが、ノースリーブのユニフォーム姿では、肩から腕にかけてのがっちりとした筋肉も見て取れる。

 その姿を見たのがこの会場でなければ、女子プロレスラーかと勘違いしそうな体格だ。


(チームの特性は……やはり大黒さんを中心としたインサイド型のチームだろうな)


 亮介はそう結論づける。

 あれほどの特異的な身長と体格を誇る選手なら、力業の一辺倒でも恐るべき脅威になるはずだ。

 加えて御堂坂中は、大黒真那以外の選手も総じて身長が高めだ。攻守において、高さを活かしたプレイを主体にしてくる可能性が高そうに見える。

 ベンチに座っている顧問らしき人物は、長い白髭を蓄えた高齢の男性だ。あまり細かい指示を出している様子もなく、好々爺然とした暖かい目でチームのメンバーたちを見ている。

 長身選手が揃っているチームに、あまり細かい指示を出している様子のない監督。であれば、やはり高さを活かしてインサイドをゴリゴリと攻めてくるチームなのだろう。


「恐らく、相手は高さを活かして攻めてくるチームだ。こういうチームの弱点は、大抵の場合、機動力の低さにある。そこを意識していくように」

「はいっ」


 亮介の指示に、真っ先にうなずいたのは瞳だ。桁外れの体格を持つ選手を相手に、どう戦うべきか、どう切り崩すべきかと考えを巡らせているに違いない。

 愛は――規格外の体格を持つ相手に、怯んだ様子はまだ拭いきれない。だが不安や不平を口に出す事はなく、緊張の面持ちで試合開始の合図を待っている。

 ふと、愛は御堂坂中ベンチに視線をやった。

 何の偶然か、真那も同じタイミングで明芳ベンチを見た。

 交差する視線。

 にかっ、と真那は笑顔を向けてきた。

 屈託ないはずの笑顔。しかし愛は、威圧でもされたかのように慌てて目を逸らした。


(いまいち、良くない傾向だな)


 試合開始前からこれは、いる状態に近い。

 今まで対峙した事のない強敵が登場した以上、そうなっても不思議はない。だが、これまでチームの中心だった愛が調子を崩す事があれば、それはチームの敗北に直結する。

 気持ちをほぐすためにも、何かアドバイスを送るべきか――亮介は、愛に送るべき言葉を考えて。


「明芳――――っ! 頑張れ――――っ!!」


 2階席からの声。

 目をやれば、そこには。


「おとーさん!」


 鈴奈が気づき、そして両手を振って応える。

 2階席の一角には、満面の笑顔を明芳ベンチに向ける鈴奈の父の姿があった。隣で小さく手を振っている40台前半ぐらいの女性は、奥さんだろう。

 彼らの席の前からは、垂れ幕が下げられていた。明芳中女子バスケ部のチームカラーである山吹色に、力強い行書体の文字が書かれている。


 "必勝 明芳中女子籠球部

          ひので商店街一同"


「商店街のみんなに声かけてなぁ~、応援に来たぞ! 頑張れよー!」

「ありがと、おとーさん! あっ、ほら、あいちゃんのお父さんとお母さんも来てるよ!」

「えっ? あ、ホントだ……」


 奥の席に目をやり、両親の姿に気づいた愛。少し困ったようなはにかみ顔で、小さく手を振った。


「あいちゃん、アピール弱いっ。もっと腕振って!」

「そんな事言っても……お父さんたち、来るなら来るって言ってくれたら良かったのに」


 困惑半分、照れているのが半分といった様子の愛。

 期せずして、緊張が解けた様子だった。本人にしてみれば、何の心構えもしていなかったタイミングで親が部活を見に来たのだから、驚きだっただろうが。


(でも、助けられたな)


 自分を上回る大型選手と対峙して、愛はやや怯えていたようにも見える。そんな状況では、どれほど理屈の通ったアドバイスをしても響かなかっただろう。

 心を支えてくれる家族が見に来てくれた事は、何よりの支えになった。

 おかげで、チームとしての不安材料はひとつ消えた。

 あとは、彼女たちがどう戦うかだけだ。


「整列!」


 コートのセンターサークルで、審判が整列を合図する。

 明芳の5人が、そして御堂坂のメンバーのうちスタメン5人が、コート中央へ集まっていく。当然、その中には大黒真那の姿もあった。


「まさか、一回戦の相手だったとはね。ま、宜しく頼むよ」

「……こちらこそ」


 真那の言葉に対して、愛は静かに答える。言葉少なく、まだ若干の不安を孕んだ語調だが、少なくとも応対できないほど緊張した状態ではない。

 ふふ、と真那は笑った。余裕の感じられる、強者らしい笑みだった。


「これよりCコート第1試合、明芳中 対 御堂坂中の試合を始めます。礼!」


 審判の合図とともに、互いに礼。

 明芳中女子バスケ部、最初の公式戦がついに始まろうとしていた。

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