31.

 マルカが地下城の戸口を開くと、これだけ離れている山の上まで煙の匂いが漂ってきていた。

 バイラム達がいたはずの館が勢い良く燃えているのが、まだ陽の上らない島の中ではよく見えてしまう。

 街では鐘を叩くようなガンガンという音とともに、ポツリ、ポツリと松明が灯り始め、眠りから無理やり叩き起こされたような人々の足が、バイラムの館への道に伸びようとしている所のようだ。



「お運びします」

 振り向くと、アースベルトが翼を広げて手を出していた。

「……」


 仕方なく、といった姿勢で手を取って見せると、アースベルトが薄っすらと笑ったような気がしたが、彼が燃える館へマルカを近づけるに連れて、そんなことを気にしてはいられなくなった。


 館は、ごうごうと燃え盛り今にも崩れ落ちそうだ。

 燃え盛る炎に狂気する精霊と、そこから逃げようと惑う精霊達の悲鳴が重なって、音や力を頼りに「生きている人間」をマルカが自力で探すのは不可能だった。

 まさか生きている誰かがあの中にいるんじゃないかと思ったが、その心配だけは杞憂に終わった。


「マルカ様、あちらに」


 アースベルトが指した先に、地に突き刺さった3つの十字架と、小さな人影が見えた。ショアンだった。


 彼を見つけた時には、空にかかる雲の隙間から朝の光が差し込んで、まるで劇中の一場面のようだとマルカは思った。


 ずっと前からそこにあったみたいに、「それ」はそこに立ち並んでいた。木で作られた十字架にまるで見せしめのように吊るされて、気のせいだと思いたいが、何故か飾られているようにも見えた。

 そうされてから火をつけられたのだろう、燻った煙が風に煽られている。真っ黒に焦げた肌と辺りに立ち込める臭いが、それが元々何だったのかをはっきりと教えてくれた。


 呆然と座り込むショアンの小さな背中は、あの、全てを失った時のマルカの姿とよく似ていた。見覚えのある彼の身体はほとんどが煤で真っ黒だ。炎の灯りに照らされた頭や腕のあちこちに浅黒い痣があるのが見える。だが、簡単に見ても火傷のような大怪我はしていないようだった。


 マルカとアースベルトはショアンの傍に降り立つと、そっと肩に手をかけた。

「ショアン、怪我してる。手当てしないと」


 その時はじめてマルカに気が付いた顔をして、ショアンは笑った。目はどこも見ていない。こんなに、幼い顔をした彼が。


「大丈夫、僕、ここにいる」


「でも」


「父上がくるの、待ってるんだ。ここから動いちゃいけない」

 彼の身体に一瞬の迷いと、苦みが走る。ショアンは体をぎゅっと硬くしながら、テコでも動こうとしないつもりのようだ。


 彼の目の前にある十字架を見上げると、確かに「それ」は3つだ。一つ足りない。


 一つは、ひどくボロボロだった。見るのも耐えられないくらいに火が通った状態だった。右目のあった場所が、大きく窪んでいる。

 一つは、腰から下が無かった。体形から女性だということが、辛うじてわかる。

 一つは、他の二つよりよっぽど綺麗な形を保っていたが、燃え残っていた肌が紫色に染まっているように見えた。


「バイラム様はどこへ?」


「わからない。僕は知らない。でも、父上は絶対、戻ってくる。レベニカがそう言ったんだ」



 足を抱え込んで非情な形で立ち並ばされた遺体の前で座り込むショアン。耳を澄まさなくても、声が溢れ出てきている。なんの精霊も混じり合わない、たった一人の子供の声。


 怯え、恐れ、弱さ、家族を思う、愛しい気持ち。


 どうして? 母上 助けて 父上 兄上 怖いよ どうしたら 逃げたい レベニカ わからない 誰か どっか行って 嫌だ 痛い 母上 ははうえ 

 

 ―僕がもっと大人だったなら……―



 ぽろり、と何かが剥がれるみたいにマルカの瞳から

 そっと彼の傍に膝をついて、ただただ抱き寄せた。


 その瞬間、気が付いた。

 ショアンを、救いたい。彼等を、救いたい。


 そう願う私は人間だ、と。


 力のある魔物や、魔王だからじゃない。

 彼を助けたいと思うこの気持ちは、私のものだ、と。

 そして、その人間である私には力がある。だとしたら……


「アースベルト、出来るよね」


 横でアースベルトがたじろいだのがはっきりと解った。


「……何をです?」


「私のしたいこと、分かってるんでしょう? 彼らを運んで」

「いかに魔王様と言えど、出来ないことはあります」


「だって、貴方が言ったんじゃない。私には『無尽蔵とも言える魔力がある』って」


「そうする事で、壊れるものがあるとしてもですか」


「そんなの知らない。それなら何のために私の力は、私がここに在るのか、わからないじゃない。私は、魔王様なんでしょう? ……運んで」


 二人がにらみ合っていると、その時、妙な風が山から吹き下りてきた。


 並んでいた十字架の一つが風に揺られ、ぎぃ、と音を立てたかと思うと、片目のないそれの、既にボロボロだった服の中から無くしたとばっかり思っていたマルカの『宝珠留め』が落ちた。ほんの少し前に彼自身が言った言葉が思い返された。正しく、その通りになった訳だ。


山からの風は、まるで城の種が人間としてのマルカの言葉を支援しているように、マルカには思えた。

 アースベルトも全く同じことを思ったのだろう、それを見た彼はほとんど、呆れたような声を出した。


「……畏まりました。とりあえず、彼らを先に飛ばします。あちらで勝手に動かれても困るので、その子供はマルカ様と共に直接お運びしましょう」


「あれ、いっぺんにワープって訳には……いかないの?」


「残念ながら魔法にはそれ相応の条件があるのですよ。兎に角、今は時間が惜しいですから、飛びながらお話致しましょう」


そう言ったが早いか、アースベルトはマルカが見たことのなかったやせ細ったおじいさんに変化すると3つの焼けた体をほとんど何の動作もなく魔法で飛ばした。ひょいっと指で体と山とを指しただけだった。


「な、なにするんだ!」


驚いたショアンがアースベルトに掴みかかろうとする。

アースベルトはさも面倒くさそうな顔を向けてから今度は前に見た色っぽい女性の顔になった。


「大丈夫ですよ、さぁ」


おじいさんが、いきなり美しい女性に変わったのだ。ぎょっとするショアンだったが、しかし目が離せないらしくアースベルトが語り掛けると段々とぼんやりとした顔つきになっていった。


「ショアン?どうしたの?」


マルカがショアンの肩を揺らそうとすると、アースベルトが慌てて止めに入った。


「起こさないでください。空で暴れられても困るので、軽い催淫状態にしました。睡眠の魔法を使って飛ばしても良かったんですが、そちらはこの子供には強力過ぎて永遠の眠りにつかせることになりかねませんから」


悪魔にも、いや、魔法にも出来ることとできないことがあるということだろうか。

一人納得していると、いつの間にか元の顔に戻った彼は「参りましょう」といって、行きと同じく手を差し出した。


ぼんやりしているショアンを小脇に抱え、マルカを片手で抱き上げて空を飛ぶ。


飛び立ったそのすぐ後に、街の人々が今まさに燃え落ちて行く館へ到着したのが風の隙間から見えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

マルカと城の種 穂高美青 @hodaka-mio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ