1.悪魔の色
11.マルカ
「ここが、ファニア? 」
マルカがアースベルトの腕の中で眠る事、およそ一日ほど。
一体寝ている間にどれほどの速さで進んできたのだろうか、辺りはすっかり南国の気配だった。
ここはクノープスから南に真っすぐ飛んだ先にある大きな島国で、寝ぼけ眼な目を擦りパチパチと瞬いてみれば、そこは艶やかな花々に彩られた色彩豊かな国。
青い空、白い雲、そして目が冴えんばかりの太陽が、サンサンと白い砂地に降り注ぐ。
辺りには空まで届くかと思わんばかりの背の高いヤシや、逆に背の低いリュウゼツランなどが目につく。
この暖かな光の恩恵を受けようと、皆太陽に向かって一心に葉を広げているようだ。
木々や葉から生まれた精霊が、そこかしこで華やかな笑い声を立てているのが耳に入り、そして砂地に足を付けた瞬間に、全身が解放されるような穏やかな空気が体を包み込むのがわかった。
マルカが元々いた地、クノープスの北には氷竜の棲み処であるブロウリィ山脈があり、それは年間を通して過酷な冬山であったため、その強烈な冷気はブロウリィ山脈から少し南に位置していたクノープスにまで届いていた。
そのため、マルカは今までこれほどの暖かさを味わったことはなかったし、そして、この場にいるだけでじんわりと心が躍るような穏やかな気持ちになったのも、マルカには生まれて初めてのことだった。
うーん、と伸びをして、その真っ白な砂地にどさっと体を預ける。
砂がじりじりと熱を発している。
けど、まだ朝方だからだろうか、そこまで熱くはない。
すると、アースベルトが腰を軽くまげて、マルカを上から覗いた。
「マスター、あちらに人里があるようですよ」
彼の指さす方を見ると、街か村かまでは分からなかったが煙があがっているのが見える。
新たな土地の知らない街。
それだけでわくわくするものがある。
元々マルカは森に住む身だったために、殆ど大きな街で過ごしたことはなかった。
あるのは、三か月に一度森で取れた果実を干したものや、狩った動物の毛皮などをまとめて売りに行く時に、時々ついていくことが出来るだけ。
観光という視点で街を見た事など皆無だ。
きっと真新しいものが沢山あるだろう。
「どうされますか? 」
「うん、行く! 行かせて頂きます! 」
彼の手を取り、宙を飛んで煙の出ている街の傍近くまで飛んでいく。
近くにいくと、果物やら、魚やら、何かの焼き物の匂いやら、色々な匂いが混ざり合って漂ってきた。
「あーなんだろ、こういう匂い。良い匂いとも、悪い匂いとも……
嗅ぐと走り出したくてむずむず、わくわくするんだけど……」
「そうですね、こういう場所ならではでしょうか。
街特有の、人混みの匂いというやつですね」
「……な、なんか夢がないね?」
つい、そう突っ込みを入れてみると、アースベルトはおや、といった様子で訂正する。
「あぁ、これは申し訳ございません。手前教養の少ない悪魔なものでして。
改めるのならば……そうですね、人口過密状態の雑踏臭でしょうか」
「あ、うん、なんかごめん。
私には言葉の意味はよくわかんないんだけど、もう夢なんかぐずぐずなのは分かった」
がくっと肩を落とすマルカに、心底不思議そうな顔で、アースベルトはその美しい顔を向ける。
こういうところは、どこまでも悪魔だ。
燕尾服姿の恰好のいい着こなしなどだけみれば、まるでどこかの国の王子様といっても過言ではないほどの見た目なのに、一緒にいればいるだけ彼が悪魔だということが浮き彫りになる。
そう、ほら、こういうところも。
「おい!お前たち、どこのものだ? 今、空を飛んでこなかったか? 魔法を扱えるものの来国なぞ聞いていないぞ」
声と共に、アースベルトの後ろから厳めしい顔をした街の門番二人が、槍を手にこちらへにじり寄ってくるのがマルカから見える。
すると途端、こちらを向いていたアースベルトの顔がずるりと溶けた。
人の形を成していた顔が溶ける、というのは魔法だと分かっていても本当に恐ろしいものだ。ぎょっとするマルカをよそに、彼はどろりと溶けた顔に手を当て、こしこし、と擦る。
そして、次に彼が顔を上げると、銀髪に流し目、目の下の絶妙な位置に黒子つけた、それは色っぽい女性の顔になっていた。
今までが、どこか彫像のような完璧な顔だったのに比べると、随分と隙のある顔という印象だ。
彼女は満面の笑みを讃えながらくるり、と体を反転させると、門番達に向き合った。
反転した時に、彼等から見えなかったであろう位置に、長い髪が縛られた形でにょきっと増やされるおまけつきで。
そして、彼等にそれはそれは優しい声色で言うのだ。
勿論、声も女性のものだ。
しかし、少しハスキーで、それもまた彼女の顔によく似合っている。
「こんにちは、門番さん達。私達旅の者で、次の旅のために休憩を取りに降りたんですの。どうか、中に入れて下さらない? 」
そう言いながら、くねくねと腰を曲げ、突然門番二人にしな垂れかかって見せる。
いつの間にかアースベルトのお尻や胸も膨らみを見せ、シャツの合間からは豊満な胸を覗かせている。
燕尾服姿にも関わらずぴったりと服が体に張りついて、しっかりと隠されているのにどこから見てもそこに何があるのかが分かる、という男性にとっては鼻の下を伸ばさずにいられない状況を作り上げた。
門番達の顔を見れば、初めの厳めしい顔をすっかり崩して、彼女の白い胸の辺りを凝視している。
「そ、そうだなぁ……」
「ま、まぁ条件次第では入れてやらないことも……」
そして、二人の門番がほとんど同時に彼女の胸の谷間に手を伸ばした時に、アースベルトが一つ指を鳴らした。
パチン。
すると、突如として彼らの顔から色欲が消え、魂が抜け出たようにアースベルトを見つめる。その緩んだ表情に鋭い視線を向けながら、どこか呆れたような声をかけた。
「悪いわね、お二人とも。
私達を通して。
それから今まで通り門番の仕事に戻りなさい」
彼女がそう命じると、二人はさっと体を直し、門の横に体を直立させた。
その姿はまるで、王城勤務の騎士のようだ。
いや、実際の所をマルカが見た事は無いのだが。
そして呆気にとられたままのマルカに向き戻ると、その豊満な乳をふるふると揺らして、妙に優しい仕草で手招きする。
そんなところまで女性らしくならなくてもいいのでは、と思う。
「参りましょう、マスター。もう心配は要りませんよ。
彼らは魅了の魔法に侵され、私の支配下に入りました。さぁ、人口過密状態の雑踏臭ご存分にお嗅ぎ下さいませ」
女性のアースベルトは、少しおしゃべりな気がした。
でも、今までも言葉少ないのに比べたらこういうのも楽しいかもしれないと考えていた矢先に、再び彼女の顔がドロリと溶けて、男性のものへと戻ってしまった。
たぶんこれは、何度見ても慣れることはないだろう。
体も風船がしぼむようにしゅっと音を立てて元に戻る。
やっぱり、彼は、どこまでも悪魔だった。
その美しく完成された顔形で、悪戯完了みたいな顔して笑うのは、やめてほしい。
アースベルトが顔をどろりと変えたことに驚いたのか、それとも魅了の魔法ですっかり大人しくなった門番の間を通る事が恐ろしかったのか自分でも分からないけれど、彼のすっきりとした顔がほころぶのを見て変にドギマギした自分がいた事に、マルカは心の底から驚いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。