23.マルカ&ハインス

「さて……? 聞きたいことは大いにあるのだが、何から聞いたものか」


 レベニカがギルを連れて部屋を後にすると、ハインスは父親のその声を合図とばかりに壁に掛けてあった剣を抜き、一見無防備にも見えるアースベルトの白い首に当てた。

王弟の息子といえど、国に仕える兵士の一人だと聞いている。常日頃訓練しているのだろうその動きに、無駄は無かった。

 アースベルトといえば、嫌な顔一つ見せずに、さも当然の様にそれを受け入れ真っすぐにバイラムへと視線を向けた。見ているこっちがハラハラする。


「突然の訪問お許し下さい。

 我が主がこちらへ伺っていると知り、居てもたってもいられなかったものでして」


「……我が主、か」


 バイラムは、アースベルトが言う話の内容が掴めないとばかりに首を振る。


「もはや幻とされるほど稀有な飛翔の魔法を扱い、その上たまたま我が館の客人となったマルカを主と仰ぐ。それ以前に、我が友人を救ってもくれた。どうにも貴殿等を一庶民と考えるには早計過ぎるな。改めて、問おう」


 バイラムが手のひらで剣を手に持った息子を制しながらそう切り出すと、ハインスは不承不承それに応じた。顔からは明らかに不満の色が見て取れたが、アースベルトに立つように促した。

 悪魔であるアースベルトは、にこやかにそれに応じる。正しく、一流の執事のように。将又、研ぎ澄まされた戦士のように。


「ええ、勿論でございます。見れば、我が主、マルカ様が随分こちらにお世話になったようでございますし、私の分かる範囲でよろしければ、お答えいたしましょう」


 バイラムはアースベルトのその様に満足したように、うむ、と頷くと再びダイニングテーブルの席に付いた。

 しかし、そこへ空かさず、油断なく剣を片手に構えていたハインスがぐい、と背を伸ばした。


「お待ちください父上。この男、信用なりませぬ」


 神が宿ると言われる目で何を見たのか、ハインスは、右目は依然塞いでいるにも関わらず、まるで夜叉でも宿ったかのような形相でアースベルトに疑惑の目を向けた。


 ハインスの言葉に頷きながらも、バイラムはその言葉とはまた違った意味合いと取れる視線を悪魔に向ける。バイラムはアースベルトには何の疑念も抱いてはいないようだった。


 場にはバイラム、ハインス、アースベルト、マルカ、そして名前も知らない料理人だけが残っている。

 レベニカがショアンとギルを伴って退席した今、唯一残っている使用人の彼が、全員分のお茶の用意を卒なくこなしていた。

 この場において、一人見た目の幼いマルカだけが、やたらと小さくなっているのは、場の雰囲気に圧倒されているからだ。料理人の入れてくれたお茶の香りが、緊張をほぐしてくれる気がした。


「あの牢獄から脱獄してきたというのか。それに、なぜあの男を助けた」

 バイラムが心底分からないと言った様子で首を捻りながら、アースベルトに質問した。


「私は、脱獄などしてはいないのですが……。たまたま、彼が連行される場を目にしたのですよ。なぜ、と問われれば正直答えに苦しむ問題ではあるのですが」

 彼はそう言うと、自問するように目を瞑り、ふいにといった感じで言葉がついて出た。


「あえて言うのであれば、あの人間があの場に相応しいとは思えなかった……では理由にはならないでしょうか」

 銀の髪が、彼の動きに合わせて揺れる。アースベルトが言うと、ハインスが怪訝な顔をし、それを見たバイラムが一拍置いてから恐れ入ったといった顔で、笑った。


「ふっ、ふはは! そうか。いや、すまない。よくやってくれた。……ならば、礼を言おう。あの男は、この国にとって必要な男なのだ。死なす訳にはいかないのでな」


「お役に立てならば、光栄でございます」


 そういって、まるで美しい所作で、悪魔は礼をした。

 アースベルトのその姿を見た時のバイラムの瞳には、どこか以前に出会った勇者と同じ強欲さも感じたが、しかしそれもまた一瞬の事だった。

 彼は自分の思想を振り払うように目を瞬くと、アースベルトから目を離してマルカへと視線を移した。


「ふむ、しかし、マルカ殿を主とな? 彼女は……その、平民かと。そうすっかり思っていたのだが」


「あ、私は……」

 話を振られたと思ったマルカだったが、次のアースベルトの言葉に声を詰まらせるしかなった。


「……あなた様を信用して申し上げますと、実はこのお方は……ハマンスノーレの王女でございます。そして、私はそのお付きの騎士にございます」


「へぁっ!?」


 その言葉に思わず素っ頓狂な声をあげながら、まじまじと悪魔を見つめた。

 悪魔は相変わらずしれっとした顔で、バイラムに向き合っている。全てを見聞きしている子供に、何も聞かせようとしない大人と同じ顔をしている、とマルカは思った。


「なっ……王女だと!? それに……ふむ。絶海の地ハマンスノーレ、か。しかし、あの国は随分昔に海を越えた、帝都アレグリアに滅ぼされたと聞いたと思ったのだが」


「故に、でございますれば」


 アースベルトがそこまで言って、バイラムはやっと「あぁ」と言った顔をした。


「そうか、私としたことがすまぬ。ならば身を隠すのも当然の話であったな。それであのような恰好をさせていたという訳か」


「えぇ、マルカ様の本来のお姿は目立ちます故、致し方なく」


 悪魔は、マルカの白目を気にすることも無く、さも残念そうな顔で同情を誘った。この悪魔め。


「そういうことならば知り合ったのも何かの縁だ。なおの事手助けをと思うのだが、如何か」


「いえ。私共も、先を急ぐ身でございます。この地に参ったのは、数少ないツテを辿っての事。これからそのツテを辿り、遥か北の地バルノアへ。その後は、ハマンスノーレへと戻る所存です」


「そうか。ならば、これ以上の引き止めも無用だな。しかし、失われし法術と言われた飛翔の魔法を受け継ぐものがいたとはな……」


 その言葉に、アースベルトもまた頷いた。


「この力を私が得たのは、それこそ『たまたま』のことでしたが、これも縁あっての事。その縁が続き、この度、貴方様との縁が結べましたこと、短い間ではありましたが我が主に寄り添いご尽力頂けましたこと、心より御礼申し上げます」


 そうして彼が深く礼をしたことにより、マルカが思っていたよりもずっと和やかに、場は散じた。



 *********************


「お待ちください。ハマンスノーレの騎士とやら。」


 ハインスが声をかけたのは、アースベルトがマルカを抱きかかえ、今まさに飛び立とうとする直前だった。見送りは要らないと彼等が申し出たために、父はすでにギルの見舞いに客間へと向かっている。この場にはほかに誰も居ない。

 だが、それこそ好都合だろう。

 彼女を救うには、王弟としての仮面を被った父が居ては、障害になる。

 躊躇なく右目から眼帯を外して、アースベルトを睨みつけた。


「私に嘘は効きませんよ。私の眼には、貴方は真っ黒にしか見えません。まるで悪魔のように、他の誰よりも、漆黒の闇の塊のようだ。純白の彼女が穢れる。すぐにその手を離して下さい」


 マルカが私の言葉に驚いたように、私の目を覗き込んだ。

 左目は、普通の瞳。

 だが白みがかかる右目にはそのまた奥に小さな小さな瞳がぐるぐると動くのが見えるだろう。今までは私が手で隠していたり、眼帯をしていた姿しか見なかったためにわからなかったのか、少女は戸惑うような表情を浮かべる。

 そんなマルカの姿を見てか、銀の髪の男はひとつため息をついた。


「穢れる、という表現は確かに間違ってはいないとは思いますが、貴方は一つ、勘違いをなさっているようですね。」


「何を……」


「貴方がその目をどのようにして手に入れたかは存じませんが、その目は人の嘘を見抜くような生易しいものではありませんよ。貴方が見ているのは、その目のほんの表面的なものの一部に過ぎない。」


「何を……! 知ったような口をっ。お前に何がわかる。これは、神付きの代償だ。この目には神が宿っている!」


 その言葉に目の前の男は、笑った。もうほとんど私には悪魔にしか見えない。


「それはまた、おかしな事ですね。貴方の眼についているのは……そう、インプです。」


「い、インプだと……?」


「はい。それも最下級の。インプは、人間が惑わされ苦しむ様を見ることで糧とし、影でほくそ笑むような、そういう類のものでしかありませんよ。」


 アースベルトがそこまでいうと、彼の周囲の空気が、ざわり、と動いた。

 ぞっとするほどの寒気が目の前の男から発せられているのが、分かった。


 (まさか、瘴気を操っているというのか?)


 恐ろしさと、信じられなさで、ついアースベルトの眼を右目で覗き込むと、彼の瞳が黄金に光るのが見えた。次いで、彼を包み込む黒い瘴気が全て、ハインスへと手を伸ばした。

 避けられないと察した瞬間、ハインスの右目だけがブラックアウトし、強烈な痛みが走った。


「あぐっ!?」


 眼の玉が、奥へと逃げるような、もがく様な、そういう痛覚。

 自分とは違う何かが頭の奥をごとごととまるで逃げ惑うように動いた。


「あ……ぁああああああああうあっ!? がっ!!!! や、やめっ……!」


 抑えると、痛みがぐんと広がった。


 その様子を見たマルカが首を振り、アースベルトに静止を呼びかける。彼女の声が、わんっと頭の中を反響した。


「やめて。アースベルト、何してるの?」

「神が、悪魔を恐れるのでしょうか。全ての生命の創造主たる、神が」


 彼は、怒りに燃えるような声で、漆黒の闇で、ハインスを責めた。

 頭の奥にうぞうぞうぞうぞという裂け目の音が響いた。

 膝をつき、頭を抑え、のたうち回る。


「あああああああああああ、あああああああああああっ!!!!!!!! 」


 マルカが、ぱっとアースベルトを掴んだが、彼は止まらない。


「だめ、やめてったら! アースベルト! 」

「神が、悪魔の力に屈するのでしょうか。全知全能の力を持った、神が」


 前に後ろに、右に、左に。

 出口を求めて、闇の無い、奥のどこかの、空白を求めて。

 銀の髪の男と同じく、眼もまた止まらない。


「たすけっ……! あぐぅううううううううっ!!!!」


「やめなさい! アースベルト・ログオヌス!!」


 その声と共に、キンっと何かの音が響いた後、彼女を中心に光の輪が渦を巻いて広がった。ごうっと音がして、彼が発していた黒い瘴気が、マルカから出る発光を伴う風に吹き飛ばされていく。すると、ハインスの眼の奥の痛苦が、ふっと息を吐くように静まった。


 アースベルトがハッとしたような顔でマルカを見ると、マルカが心底怒った顔をして、彼を睨みつけていた。


「あぅ、あ……」

 あまりの痛みだったせいか、それとも解放された安堵からか、左目から涙が伝い、鼻水が垂れ、涎が落ちた。

 何かが居たはずの右目からは、何も出ては来なかったが。

 今は、ジンジンと軽い疼きが残るのみ。


 何かが焦げるような匂いと、食いしばった頬の味が薄れゆく意識のハインスを占め、それから、すっと全てが掻き消えた。


 どこか遠くで、鳥の羽音が唸った気がした。

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