13.バイラム


 大昔からこのファニアの人々の繁栄は島国であることを利用した海上交易に支えられてきた。


 隣国クノープスの民よりもよほど優れた商人であり、また船乗りだった彼らは、いくつもの荒波を乗り越え、その手腕をいく世代にも渡り他国へ広め続けてきた。


 この国は多方面からくる海上交易の中心地に位置しており、貝類より採取した紫色の染料(主に他国の王族が使用する)と山間から採れる杉の木が特産品で、この地の成立と繁栄を支えている。

 そしてまた、島国にも関わらず、豊富に取れる資源として銀を産出し、さらにこちらでは大都と呼ばれているリドガルド(クノープスも含む)に持ちこむことのできる航路をファニアは独占していた。


 故に、恐らく何百年もの間、ファニアは海上世界の主役だったのだろう。

 不思議な事に要所でありながらも他国から、この国にあえて戦を仕掛けようと言う輩も殆どいなかったと史書には記されている。

 武力でも、知力でもなく、その商業力をもってしてファニアは世界へと渡り続けていた。


 それは恐らく、彼らの祖先にとって本物の武力を持った戦いよりも、本当に長い戦いだったことだろう。


 その証拠に、この国にはそれは多種多様な人種が息づいている。


 肌の黒いものは多くが現地人だが、中には赤黒いもの、黄色のもの、真っ白なものまで、まるで世界の縮図のような国、それが今のこの国の姿だ。


 そしていつしか、現地人よりも多国籍のもの、ハーフのもののほうがよほど多くなってしまった。

 それは、新しい風を運ぶには恰好の帆にはなったが、古い風を流すには少々脆かったのかもしれなかったように思う。


 近年、その影響はこの国の導き手であったはずの神の名にまで及ぶようになっているのだから。


 今この国は本当に危機に瀕しているのだな、と現ファニアの国王ヨフラムの王弟、摂政バイラムはそう思わずにいられなかった。

 その頬には、民達から聖痕と呼ばれる炎のような形の痣が見えるが、彼はそれを隠すように髪を伸ばし、口ひげを生やしている。

 他者からは、その姿はまるで自らを戒めているようにも見えるのだった。


 彼が今いるのは、周りを断崖絶壁に囲われた丸みのある小さな丘の上に立つ、円卓の椅子の上だ。

 重要な会議をする時に用いられるので、利用するものの間では決意の座と呼ばれている。周囲は遮るものが殆どなく、雨を凌ぐためだけに建てられた丸い屋根を支える柱が、数本立つのみである。

 丸い大きな石造りのテーブルの周りにはこちらも石造りの如何にも重々しい椅子が十個、等間隔で置かれ、そこにはまだバイラムが座るのみであった。


 もう随分と待たされている。

 生まれつき中指の無い左手の指をコツコツと固いテーブルに当て、暇を潰す。

 そろそろ腰が悲鳴を上げる頃だったが、それでも、もはや彼には待つしか手段が残されてはいなかった。


 もうずっと実の兄の顔を見ていない。

 その思いだけがバイラムをそこに座らせ続けたのだった。


 そこへ行く数人かの影がぞろぞろと、城からこの丘への道を歩いてくるのが見えた。

 彼等の殆どが、白い顔や黄色の顔をした男たちで、濃い藍の聖職者の衣装に身を包んでいる。

 この国の評議員と呼ばれる、最強権力者達の姿だ。


 中でもひと際目立つのが、白いベールで頭を覆い、赤いドレスに身を包み、美しくも整った顔に真紅の紅を引き、甲高い笑い声をあげながら彼らに囲まれて丘を登る現国王の王妃アルヤの姿だった。


 彼等はまるでバイラムに見せつけるかのようにゆったり時間をかけて丘を登ると、ワザとらしく彼に言うのだ。


「おぉ、バイラム様。

 お待たせしたようで、あぃすみませぬ。

 この爺等めには、この丘を登るのは少々骨の折れるこってしてなぁ」


「いやはや、違いない。

 何せ年を取ると暑かろうが寒かろうが、節々が痛うて堪らんのですじゃ。

 のぅ、アルヤ様?」


「ほほ、これは異な事を。

 このアルヤ、ベルデルダ様や、皆々様がお年を取られたなど、全く持って信じられませぬ。

 アルヤのほうが、よほど年を取ってしまったように思いますわ」


 そういって、アルヤはその美しくも妖しい顔をニンマリと崩して見せる。

 彼女の顔には年々新しい皺が刻まれてはいると聞くが、その形は彼女が祖母とも言える年齢になった今でも、殆ど衰えることはない。

 余りの美しさから、民草から魔女アルヤと呼ばれていることを、彼女は知っているのだろうか。


「おぉ、おぉ、アルヤ様の幼き頃は、それは愛らしかったこと」


「そうじゃのう、そうじゃのう」


 そういって笑い合う権力者たちの顔を押し込めるように、バイラムは石の円卓を拳で叩いた。

 ドン、と思いのほか大きな音がして、その音に驚いた者は、王弟に目を向けた。

 何人かには、どうやら本当に聞こえなかったようだが。

 彼らはほとんどが年寄りで、耳が遠い。


「ともかく、お座りを」


 王妃アルヤだけはその顔を崩さないまま、皆が順に決められた席に座るのを待った。

 円卓の座には、王と、摂政である自分と、議員8人の石の椅子しかない。

 椅子は全部で十個。

 王妃が座らない形であれば、王の座だけが中央に余るはずだった。


 そしてまるで当然の如く、皆が座り終えた最後に、彼女は何の躊躇もせずその座に腰を下ろしたのだった。


「……義姉上様、そこはまだ兄王ヨフラムの席のはずだが?」


「おや、まぁ。そうであったかな。

 しかしのう、私も随分年をとったのじゃ。

 立ったままでは足が疲れて堪らんではないか?


 それではお前のしたい、話とやらも真面に聞けぬしのう。

 何、これはただの椅子。王座でもなければ、王のベッドでもない。


 ならば、今まさに空いているこの場所にその妻が座ろうと、誰ぞ文句を言う者がいるのかえ?」


 その言葉に、辺りの聖職者達は一様に首肯した。

 自分以外の皆が皆、王妃の言葉を否定しない。


 この時、もはや結果は決まったも同然だったのだ。

 最初から、勝ち目のない戦ではあると知っていても、これには流石の彼も打ちのめされずにはいられなかった。


 結局バイラムはこの日もまた、なんの成果もあげることなく、家族とともに馬車に乗り自らの館へ戻るしかなかったのだった。


 ***************************


 そういうあれこれがあった帰り道の事。


 完全に評議会から締め出された形のバイラムには、もはや今日あった出来事をこの馬車の中で悶々と考えることしか出来なかった。


 重苦しい空気が車内に流れるが、次男のショアンだけはそんなことはものせず乳母の膝の上にかぶりつくように寝こけている。

 王にお目通りが叶った時のためだけに連れてきたのだが、まだ彼にはこういった事は早いと思わずにいられない。

 息子は王城を出てから、まるで倒れ込むように寝てしまった。


 妻を失って、早2年が立つ。

 やはり息子達には母親が必要だと、こういう時になると酷く思うのだ。

 息子達の母であり、情けない自身を支えてきてくれていた妻の温もりが、酷く恋しかった。

 花のように笑う、彼女の顔が今でも思い出される。


 そんな時、息子の一人、長男のハインスが突然大人びた声を上げた。


「止めろ! 馬車を止めるんだ!」


 余りの慌てぶりに、取り留めも無い考え事を中断し、自らの息子を見る。

 そして、彼の視線の先には大勢の人だかりがあった。


「どうした?」


「父上、人が」


「あぁ、何が見える」


 バイラムの目には息子は、酷く戸惑っているようにみえた。

 街のシンボルのヤシの木の下で、人々が壁の様に立っている。

 人が多すぎて、常人であるバイラムにはここからではその先に何があるのかは全く分からないが、息子の眼は人と違ったものが見えるのを、父親である彼は知っていた。


「凄い。

 まるで、様々な色の人々が濃く、黒い竜巻みたいになっているのが見えます。

 だけど、その中心で真っ白な、宝石みたいな人が居るんです。

 あんな人、見た事無い」


 息子ハインスは、生まれつき片方の眼が見えなかった。

 それは、王家に伝わる聖痕と呼ばれている痣を持つもの特有の、不満足な姿だったが、王家のものからするとどんなに不便だろうとそれは名誉なことだった。

 それが、王家の血を引く証となっていたから。


 だが、ハインスは左手の指が一本ないだけのバイラムよりも、さらに特殊な事情に身を置くことになった。


 何十年かに一度、目の悪いものが生まれると、そのものは神付きになると国では言われている。

 その通り、目に神が宿り、その瞳には人ならざるものが見えるようになる。

 そしてハインスもまた例にもれず、神付きとなっていたのだった。


「真っ白? そんなもの、今までいたか?」


「いいえ。あり得ません。

 人はだれしも、必ず黒い色をその身に抱えているものです。

 根は赤でも、青でも、黄でも、どこかしら黒い。

 それが人です。

 父上でも、私自身でも、それは同じ事。

 未だ幼いショアンですら、内に黒を抱えているというのに。」


 皆内に黒を抱えている、か。

 息子の言葉に少し笑いが込み上げた。

 それなら、あの義姉はどれほどの黒さをその身に宿しているというのか。


「ならば、あの中央にいるものは、人ならざる者ということか」


「それは……わかりませんが、しかし……」


 ハインスからは戸惑いと、しかしどこか期待や希望といったものが読み取れる。

 息子のような目がなくとも、長く摂政としてこの国の人々と過ごしてきたバイラスに、そしてハインスの父である彼にそれを読み取るのはそう難しいことではない。


 彼は、息子は、その光にいったい何を見ているのだろうか。



 かくして、王弟バイラムと神付きハインス、そして未だ幼いショアンと魔王マルカは出会う。

 それがマルカが歩むこの国の渦巻く陰謀に巻き込まれる第一歩だということは、今はまだ誰も知る由もなかった。

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