15.マルカ

 

 ゴトごとゴト

 がったんがたっ


 煌びやかな装飾が成された馬車が、舗装された道を勢いよく駆ける。

 じりじりと蒸す華美な馬車の中、重苦しい空気がマルカに圧し掛かっていた。


 (あぁ、こんなことだったらやっぱり外走りますって言えば良かった)


 何度もこの馬車に乗るのは断ったのだが、正面に座る彼が片方の眼を手で押さえたまま、幾たびも進めるものだからつい乗ってしまったのだ。


 そもそも平民、いや、貧民であるマルカにこのような美しい乗り物に乗る機会は絶対にない。

 二度と来ない。

 そう思って、乗せてもらえるのなら……とつい思ったのが運のつきだ。

だが、昔村の村長が言っていた「うまい話しには罠がある」は本当のことだと思わずにいられない。


 馬車は揺れが激しいし、揺れるたびに私の埃やら泥やらの汚れがパラパラと落ちるのが気になるし、それが恐くて背中も付けられない。

 空気は重いし、何より暑い。

 後悔しても、もう遅かった。

 馬車は止まることなく、彼らの屋敷へと足を向けているようだった。


 この中には、はっきり言ってマルカのようなボロボロの格好の者に居場所は無い。


 乗る直前に見えた外の装飾は全部本物の金だろうか。

 中に入ると本物を見た事のない少女にはこの馬車の中はまるで王様のお部屋のようだと思えた。


 中は赤いベルベッド生地がふんだんに使われ、座席も背もたれもフカフカになっておりこの揺れと振動を極限まで抑えてくれている。

 この風土にはとてもお似合い……とは間違っても思えなかったが、(何せ蒸れるのだもの)とても豪華絢爛、贅を尽くした移動手段であることは、こういう世界に疎いマルカにもよくわかった。


 座り位置としては、進行方向を正面に据えた時、髭面の黄丹色の服を着た男性、その隣には彼によく似た顔をして、紅碧の服を着、怪我でもしているのか、右目を抑えたままの青年。

 彼は時々こちらをちらりちらりと伺っている。


 その合い迎えにまだ私よりも小さそうな向日葵色の服を着た幼い男の子と、奥さん……いや、乳母さんだろうか?

 乳母さんにしては、かなり若そうではあるけれど。

 一人だけ質素な服、だけど手入れの良く行き届いた服を着た、かなり色黒な肌の女性が座っている。


 髭の生えた男性もそこそこ色黒だが、この女性だけかなり色が濃い。

 でもその分、顔がとても小さく見えるし、オレンジに近い茶色の丸い目はとてもキュートだ。


 そしてその隣に頭はみすぼらしくボサボサで、よれよれで埃だらけの服を着たマルカという図だ。


 全員汗をかいているのに、慣れているのかあまりそれを気にしている様子はない。

 それよりももっと暗い顔をしてこの場に望んでいたから、そこにマルカが入る隙は一ミリだってなかった。


 少なくともマルカにはこんな形相をしている人々に向かって「止めて下さい」と言えるほどの図太い神経は持ち合わせていなかったのだから。



 そしてさっきから隣の席に座る私よりも小さな男の子の視線がまた痛い。

 寝ぼけているのか、まるで仇の人間を見つけたような、本当に凄い目でマルカを見ていた。

 多分何がなんだか分からないのは、マルカとこの子だけなのだろう。


 残りの大人三人は、さも訳知り顔で話を進めていた。


「あやつ、この儂をも謀りおった」


 髭を生やした強面の男性が苦々し気な口調で言う。


 (確か名前は、そう、バイラム様とあの兵士の人が呼んでいた)


「初めから、あのつもりだったのだ。

 騒ぎを起こして、捕まえられて、処罰を受けようと」


「ですが、ギル様はこの国に長年仕えた重鎮ではありませんか。

 それをあのような……そもそも、任を解かれたとはどうしたことなのでしょうか。」


 青年は目を抑えたままだったが、大人は誰もその様子をオカシイと思わないのだろうか。


 (まさかまた、「俺の右目が疼くのだ」系の人じゃないよね?そういう風にはとても見えない佇まいではあるけれど)


「さてな。あの義姉様の事だからな。

 また何か企んでいるとしか思えぬ。だがそうはさせぬよ、あやつはこの国に必要な男だからな。かといってあの男が、いくら任を解かれたとはいえ伊達や酔狂であのような事を起こすはずがないのだ。あぁすることで意味のあることがあると、儂は思う」


「あの人が……牢に入る事で意味が出ることですか?」


 乳母の格好をした女性が、可愛らしくも首を傾げた。


「あやつめ、昔から嗚呼なのだ。

 肝心な事は一切言わぬ。

 その癖に余計な事にばかり頭を突っ込んで、貧乏くじを引くのよ」


 その言葉の端々に、あの兵士への信頼が窺える。

 髭の男バイラムは一瞬頬を緩めたかと思うと、再び暗い表情に戻ってから、突然思い出したようにマルカに向き合った。


「あぁ、儂としたことが君に詫びも紹介すらもまだだったな。

 私の名はバイラム。この国の現在の王、ヨフラムの弟であり、摂政を務めている。

 こちらは順に、息子のハインス、ショアン、それから二人の乳母のレベニカだ」


「ど、どうも……」


 驚いた。

 まさか王族とも名の付く人が、これほど明らかに平民以下の姿をした娘にこんなにも丁寧な自己紹介をするとは思わなかったのだ。


 (普通お付きの人が、「このお方はお貴族様の〇〇様であらせられます~」というように紹介するのではないのだろうか)

 実際そう思ったのはマルカだけではないようで、乳母のレベニカも目をひんむいてバイラムを見ている。


「バ、バイラム様! そのような……!?」


「良いのだ、レベニカ。今回は、誠に申し訳のないことを我が国の者が彼女にしてしもうたのだ。私の頭一つで事が収まるのならば、いくらでも下げよう。」


 そうして、男性は腰を折りマルカに対して深々と頭を下げた。


 瞬間、マルカはまるで阿呆のようにぽかんと口をあけてしまった。

 でもこれで、「あぁ、それで馬車に私を呼んだのか」とやっと合点もいく。

確かに、王族ともあろうお方がこの姿を人々に見せるのは、恐らく飛んでもないことになるだろうな、というのはマルカでも分かったから。


 余りの事に一瞬の間が開いてしまったが、慌てて言う。



「わ、わわわわわ!? 私っ! ぜ、ぜぜぜん、全然! へいきですから!あ、頭!頭をおおおおおおお上げなさってくださいまされ!? あれ!? くださいまられ!? あれ!?」



 という精一杯の敬語と、噛みかみの言葉に、バイラムの隣に座るハインスが手で目を抑えたまま、「ぶっ」と吹き出した。


「これ、ハインス! お客人に向かって、失礼であろう!」


「す、すみません!」


 そういう慌てた様子のバイラムもまた、少し顔を綻ばしている。

 乳母のレベニカも、横を向いて懸命に笑いを抑えているようだが、そしてそんな中、全く笑っていないものが一人だけいた。

 その大きな瞳で全力にマルカを睨みながら、小さな男の子ショアンは言う。



「ちちうえ、このいと(人)、くちゃい(臭い)」



「!」

「ショ、ショアン!」

「ショアン様! 駄目です、本当の事を言ってしまっては!! ……あ」


 それから、すっと、その場の全員がマルカから視線を外した。


 子供の正直な爆弾というものは、一瞬にして車内を極寒の地へと様変わりさせたようだ。

 ひゅるりと音を立てて、この蒸し暑い中であっても冷やかな風が背中を伝った。


 (あぁ、やっぱり、私みたいのは乗らなければよかったんだね。うん分かった。……もう絶対のらないよ)


 後はただ静まり返る車内で、運ばれる家畜の如くドナドナするだけのマルカなのであった。

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