マルカと城の種

穂高美青

0.魔王が生まれたその時に

1.


 昔々、あるところにマルカという少女が居た。

 マルカはリドガルド大陸の南にある精霊の森と呼ばれる、大森林の近くの村の、教会の前に捨てられたどこまでも小さな女の子だった。

 彼女は孤児で幼く、まったくもって無知な子供だ。

 

 村の皆からは厄介者として蔑まれていたが、マルカと同じ協会に住む兄弟と、彼等を育てた神父様だけはいつも彼女の沢山の味方であり続けたため、マルカはこの年になるまで無事生きてくることが出来た。


 少女の日課は毎晩、夜空の星を眺める事だった。夜空は不思議と、マルカを優しい気持ちにしてくれる。それは、親の居ない少女にとってとても重要な事だった。

 そして、あの日の晩だけは本当に特別な夜だったと、彼女は今でもそう思うのだ。


 その日、マルカの兄弟が寝静まる夜遅くに彼女は自分のベッドを抜け出して、いつものように近くの森を抜けて小高い丘の上まで登り、自分だけの星を見上げていた。

 遠くに見えるどこかの街の明かりが、そこだけ光の渦の様になって暗い夜空を照らしている。

 真上には遥か彼方に見える星々が瞬き、優しい夜の讃美歌を歌い上げた。

 マルカはただ祈りを捧げる、それだけでいい。


 そうしているとマルカは世界がずっと自分の近くにあるような、そんな素敵な気持ちになれたのだった。


 ほわほわと、星を眺め、夢見心地なマルカがしばらくの間そこにいると、空からそれはゆったりとキラキラした宝石が落ちてくる。

 始めはずっとゆったりとしているから夜光虫か何かだとも思ったのだが、途中からは余りにも美しいそれが、虫である訳がないとマルカは気付いた。


 そして、コロリと音を立てて、それは少女の足元に無造作に転がりおちた。


 見た目は炎のようでもあり、冷たい氷の塊のようでもある。

 熱くもあるし、冷たくもある。

 けれど、火傷も凍傷も成りはしなかったから、マルカはドキドキしながらそっとその宝石を拾い上げた。


 (なんて美しい宝石だろう)


 宝石を覗けば、蒼と、青と、藍が、宛ら小さな宇宙を閉じ込めたように廻り、その世界はどこかへ繋がり、瞬いて、消え、そして再び廻り始める。


 マルカはほぅ、と止めていた息をそっと吐くと、「でも」と思った。


「これを私が持っていても仕方がない。きっと、私がこんな美しい宝石を身に着ける日は来ないだろうし」


 将来、恋くらいするかもしれないし、もしかしたら兄弟の誰かと結婚をすることもあるかもしれない。

 しかし、貧民の立場で美しい花嫁姿になれるものなどそうは居ない。

 美しく着飾る金があるなら、自分達の腹に収めたほうがずっと長生きできるのだから。


 結局マルカは、その宝石を森の中のずっと奥、宝石を拾った丘のすぐ近くの木の下に隠すことを決めた。


 一度埋めて次の遠乗りの時に市場で売ろうと思ったのだ。

 そうすればきっと高値で売れるだろう。

 上手くすれば質の良い豚が、丸ごと一頭買えるくらいの金額が手に入るかもしれない。

 それくらいには、考えていた。


 持って帰らないのにも理由があった。

 兄弟に見つかるならばいいのだが、村人に見つかる訳にはいかなかった。彼らに取られたりしたら豚と交換するよりもずっと前に、自分たち教会の人間にとって、腹の足しにもならないものに変えられてしまうに違いない。


 マルカは村の皆に多少恩は感じていたが、決して信用したりはしなかった。

 それはもうずっと子供の頃から肌で感じて、知っていた事だった。マルカは無知ではあったが、そこまで世間知らずでもないのだ。



 少女が居るのは奥深く、また陰気な森。


 だが、それは外の人間の感想で、マルカ達が住む村の人々はずっとこの森に精霊が住むと信じていた。

 村の人々は、周りのものからは理解されない、不可解な信仰心から、森の民と呼ばれていたほどだ。


 だが、そんな森の民達であっても、彼らは普段その奥の奥にはあまり入ろうとはしない。信じてもいたが、それよりももっと、恐れてもいたからだ。

 精霊達はさび臭い鉄や争い事や騒音を嫌うし、その上森に入る人々を踊らせ、惑わせ、狂わせる。

 それはずっと昔から、当たり前に存在する「自然」の姿だ。


 だからこんなに奥まで入るのは、森の民とされるあの村に住むものの中でも、マルカやその兄弟くらいなものだ。

 この深部では貴重なベリーが豊富に取れたから、本来村に住む場所のないマルカや兄弟達はこの危険な森の探索を村人たちに代わってずっと行ってきていたのだ。

 だが村人達が心配する必要ないほどに、森は孤児の兄弟達に、特にマルカに優しかった。足を運べば、必ず精霊達はマルカの願いに答えてくれる。

 だからこそ、こんな時間でもマルカはこの森の奥深い所まで足を運ぶことが出来るのだった。


 そうして、稀に見る幸運に意気揚々と帰路に立つ。

 今日はきっといい夢が見れるだろう、といつもの獣道を小走りで帰るマルカだった。


 ところが、その途中であたりの空気がなんだかオカシイと気が付いた。

 今は森の動物達も寝静まる、風も無い夜だというのに、森が不自然なほどにザワザワと揺れている。


 次第に空気が爆ぜる匂いが、鼻をついた。

 その匂いに、眠っていたはずの森の動物達も、マルカが向かう先から慌てて逃げ出してくる。

 マルカは慌てて、村へと繋がる獣道をゴロンゴロン転がりながら、ひた走った。

 進めば進むほど、森の木々の影から赤い闇が顔をのぞかせ始めている。


(嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!)

 目の前に徐々に広がる光景に、叫ばずにはいられない。


 村が、森が、真っ赤に染まっている。

 端から、端まで、見える限りのすべてが赤い。


 マルカは、森と村の境まで来ることは出来たが、火の手はもうすぐそこまで来ていた。熱くて、痛くて、中に入って兄弟を助けることもできない。

 弟達の叫び声がすぐそこで聞こえたのに、もうマルカにはどうしようもなかった。教会も、兄弟も、育ての親である神父様も、皆が皆、死んでしまうと知った。


(どうか、兄さんを、弟達を、神父様を助けて)

 泣き崩れながらも、森の中で大声で助けを求めた。

「誰か!」

 村の入口の方で何頭かの馬の悲鳴が聞こえたが、マルカにはそれが村人のものなのか、王都からの助けによるものなのかは確かめようが無かった。

 少なくとも、マルカの兄弟達が助かることはなかった。

 彼等は、焼き崩れた家の下敷きになって死んでいったのが、村の境に立つマルカにも嫌というほど分かったからだ。


 一晩が過ぎ、マルカは居場所を求めて彷徨った。

 体は火傷や、傷でいっぱいだった。突然の炎に怯え、狂った森の木々や精霊達は、容赦なくマルカを傷つけていく。

 どこもかしこも灰だらけで、このままでは自分もいずれ死ぬことになるだろうとは考えたが、もはやマルカはそれでもいいと思った。

 自分の村以外にも近くに村はあったのだが、そちらに行っても何の役にも立たない小娘が受け入れられるとは到底思えない。


(それにこのまま、一人生きていても仕方がない)

 マルカにはあの宝石を手に入れた昨日の夜が、もはや遠い昔のように感じられ、頬を伝う涙が、恐れなのか、寂しさなのか、もう何のための涙なのかもわからなくなっていた。

 


 けれどそこへ、あまりに唐突に、森の中に燃え残る一軒の家が見えた。


 それは木造の、とても素敵な家に見えた。

 暖かで、窓から優しい光が漏れ出している。

 魅力的な上に、扉は手をかけるとすぐに開いたし、マルカが恐る恐る中へ入ると、どこからともなく声が聞こえた。

「おかえり、マルカ」

 声は確かにそう言ったように思うのだが、マルカにはもう届いてはいなかった。ただ、朦朧とする意識の中で暖かな部屋の温もりがとても優しく感じられたから、マルカはただ目を閉じるだけでよかった。


 そうして少女はその家で、もう一晩だけ、生きる事に決めた。


 ******************


 それからマルカは刻々と眠りこんだ。

 もう一晩だけ、と思っていたけれど、大森が焦土と化すような火事で体中が焼かれ、もう体は少しだって動く気配を見せなかったのに、一向に命の灯は燃え尽きなかった。


 とくに、目と喉が酷かった。

 地獄の業火とも思える炎に焼かれた皮膚に灰が張り付き、少女の肌は自らを回復させるために、奇妙な捻じれを見せた。

 その症状は体全身で見られたが、幸いな事にベッドで寝ている間、目の前に鏡が置かれる事は無かったためあまり見た目を気にする必要は無かった。

 それだけが少女の救いだった。


 だから、マルカは何の気兼ねも無く、もうほとんど声にならない声で、叫んだ。

「誰か、助けて」と

 すると、誰も居ないと思っていた部屋の中から、誰かが傍にやってきて、言った。


「はい、マスター。今すぐに」

 マルカは、最初にこの家に入ったときに聞こえた声は、勘違いだろうと思っていたから、それは驚いた。

 何せ、このたった今返事をした人物は、マルカが唸っても、悲鳴を上げても、嘆いても、助けてというまで何一つだって音を立てなかったのだから。


 男性とも、女性とも大人とも子供とも思えぬ声で、誰かはそれだけを言うと、マルカが今まで一度だって聞いたこともないような言葉、恐らく、魔法の呪文を唱え始めた。


 途端、体中の血が湧きたち、うねり、捩じらせ、何ならボコボコという音付きでマルカの身体を動かした。

 痛い、も止めて、も聞き届けはされず、マルカはとうとう気を失う羽目になった。そして、それは幾度となく繰り返される。


 気が付けば、水を与えられ、それからまた呪文を唱えられる。

 時々固形の何かも与えられ、再び体の血が湧きたち、最後にはいつも気を失う。そうして、マルカはいつしか人では無くなってしまった。


 いや、そうは言っても、誰が見ても少女は少女のままだ。それもとても見目麗しい少女だ。けれど、彼女はもう年を取ることも、怪我をすることも、きっと恋をすることもないだろう。


 なにせ、彼女は魔物も、死霊も、悪魔ですらも傅く、この世界で唯一無二の魔王となったのだから。


 中世に轟く、名をマルカ・メイヴィング

 白銀の城・アルルカノンの王にして、宝寿の主。


 彼女の旅が、今始まる。

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