10.アースベルト


 ズズズと音を立てて崩れる館の少し上、焼け残っていた背の高い杉の木の上に二人は居た。

 共に羽ばたいていた三匹の魔物はいつの間にか鴉の姿に変わり、辺りの様子を油断なく窺っている。

 アースベルトはその木のてっぺんに器用に片足で着地すると、背中の羽でバランスを取りながら、今まさに崩れゆく館を見つめた。


 まるで海の砂地に建てた、乾いた砂城だ。

 少しの風で、ボロボロと呆気なく崩れていく。


「よろしかったのですか、マスター」


 自らの腕の中に納まる黒髪の美しい少女にそう声をかけると、彼女はこくっと一つ頷いた。


「この森は、もう大丈夫。新しい芽がもう随分と生えたよ。

 これがこの子の力なのか……、焼野原だったのに信じられない速さだね。

 あとは時間がきっとなんとかしてくれる」


 そう言って、手の中の青い光を放つ宝寿を見つめるのは姿のすっかり変わったマルカだった。

 黒いサラサラの髪が、風になびいて揺れている様子など、魔族の眼から見ても美しいと感じる。アースベルトは美しいマルカについ目を奪われながらも、少女の言葉にそういう意味ではないのだがな、とくすりと笑い、言い直した。


「そうですね、森も、館も……それに、あの男の事も? 」


「……うん」


 マルカは何かを耐えるような顔をしながらも、崩れていく館をじっと見つめていた。

 一度だけ彼の腕をぎゅっとつかんだ。


 彼女は知っていた。

 あの男こそが、この大火事の、彼女の全てが失われたその元凶だと言うことを。

 勿論知らせたのはアースベルトだったのだが。


 森に館に来るまでのリューとエバンスの笑いながら話す会話で、全てが分かった。

 どうやって、どの辺りから、どれくらいの時間炎の魔法を打つ続けたのか、それは詳細に延々と語るエバンスと、それをさも当たり前で、過去の話のように聞くリュー。

 彼等の会話を聞いた瞬間の、あのぞわりとする感覚は、今でも忘れられない。


 (これが、人間か。これが、人の長たるもののする事か。

 悪魔より、随分と悪魔らしいことだ。)


 アースベルトは宝寿に召喚された悪魔だ。

 その宝寿が、彼らの会話を聞いて悲しみに震えるのが、宝寿と繋がるアースベルトには手に取るようにわかった。

 だが宝寿はマルカのためにあり、宝寿自身のためには生きられない。

 アースベルトも、また同じ。


 そしてマルカにとっても、森は、この地に住む兄弟達は、何よりも大切なものであったはずだ。


 しかし、それでも彼女は決断することはなかった。

 マルカには出来なかったのか、したくなかったのかは、アースベルトにもわかりかねなかった。


 エバンスを殺すのは簡単だ。命令さえ下されれば悪魔であり、宝寿の恩恵を受けるアースベルトには、あんなひ弱な人間一人くらいどうってことはないだろう。

 だが兎に角、彼を始末するかという問いは、全力で拒否された。


「あの中に居ても、死なないん……だったね?」


「ええ、マスター。城は、宝寿が離れた瞬間から硬さを失い始め、恐らくは砂の様に崩れます。

 そして最後には風に乗り何処かへと消えていき、いずれその砂は行きつく先にある新たな森の養分となる事でしょう」


「そう、あの人が死なないのなら、それでいい。でも……」


 新たな風が吹き、館の砂をサラサラと流し始めている。

 あの砂達はどこへ行くのだろうか。


「兄さんも、弟達も、神父様も……怒るかな」



 あの男を、苦しめないことを。

 あの男を、殺さないことを。



 少女の気高さは、ずっと森の木々が見ていた。

 そして、森と結ばれる宝寿に繋がれたアースベルトもまた、知っていた。


 あの日、多くの生き物が死に、多くの生命が闇に還った。

 そしてその闇は魔王が纏う衣そのものだ。


 多くの闇を纏う事で、魔王は自らの力を強くする。


 だがその代償に、あの火災のあった日から少女は森の精霊の憎しみを、嘆きの声を一心に受け続けている。

 それは、この森にいる限り止むことのない嵐となって襲い掛かるだろう。



 森の聲が。


 精霊の叫びが。



 エバンスを殺せとうなりを上げている。


 その中には、あの炎で焼かれた人々の声も混じっているのだろうか。

 だが、とアースベルトは思うのだ。


「マスターの御父上は、神に仕えるお方でしょう。

 神とは、全てを許すもの。

 人を許し、闇を許し、魔を許します。

 悪に身を捧げた私には、到底信じられるものではありませんが。


 ですが、それに仕える身であった神父様であれば、そしてその教えを受けたご家族であれば、きっと、マスターと同じ気持ちでいらっしゃることでしょう」



 アースベルトの言葉で、マルカの中に、さっと風が吹き抜けたように感じられた。



「ふ、ふふ・・・まるで神様に会った事あるみたいな口ぶりだね」


「えぇ、事実会ったことがありますよ。どこまでもいけ好かない善人でした」


「いけ好かない善人・・・か。そういう貴方も、結構善人だと思うけど? 悪魔のくせに人にそんな優しい言葉をかけるなんて。まるで、天使様みたいだ」


「お戯れを。今の私は、ただの召喚魔にございます。つまりは、道具です。


 道具とは、持ち主の心のあり様によって左右されるもの。

 持ち主が悪なら、道具もまた悪となりますでしょう。

 その逆も、また然り。

 悪魔であるとか、無いとかは今はあまり関係ないのです。」


「そうあろうっていう心持って事か。

 それって、悪魔の美学ってやつ?」


「そうですね、あえていうならば美学ですね」


 アースベルトはそういうと、翼を広げると、一度大きく羽ばたいた。

 それに合わせて、周りに居た三匹の鴉も羽ばたいた。

 燃え残った辺りの木々が揺れ、砂の城は風に煽られますますその姿を削っていく。


「さて、マスターこれからどちらに行かれますか?」

「うーん・・・あの人の居ないとこがいいなぁ」


 あの人、とはもちろんエバンスの事だ。

 アースベルトはその返事にやれやれ、と首を振る。


「でしたら、やはり今始末しておけば良いのでは?」

「もう、それは言わないの!」


 少女の悲鳴に、肩を竦める。


「では、少し暖かい所へ参りましょう。

 魔王様の衣はまだ少々寒そうでございますから」


 寒そうなのは、まだ彼女を守る力の弱い闇の衣の事。

 実際の彼女は、黒いワンピースを着た、どこまでも優しい魔王。


 悪魔の身でありながらつい神の話までさせるから、背中が焼かれてしまったが、少女を抱いている今は、何故かあまり気にならなかった。


 マルカは、元々人間だからか、それとも魔王だからか、焼かれた様子はない。

 どこか楽し気に腕の中で空を眺める少女に、幾年ぶりかの心からの微笑みを向けながらアースベルトは空を高く、ゆるゆると飛んだ。


 後には、すっかり砂になった森痕の館と、黒い部分が剝がれ、緑が徐々に芽吹き始めた森が残されていた。


 ***************


 (おっと、いけない。)

 海の上を低く飛ぼうとした時、大事な事を思い出す。

 今は眠る少女の美しい姿が、静かな海に映り込みそうになっていたからだ。

 そして飛びながら、解呪の呪文を呟いた。


 あの森にいる間、魔王になった最初から随分と身の内に闇を取り込まれたから、疲れたのだろう。少女は、今はよく眠っている。魔法を唱えても、身動ぎすることなく安心しきって抱かれている。


 マルカには、あの館に住み始めた当初から、人間を騙したり、脅かしたりするような真似はしてはいけないと厳命されていた。


 だが、これくらいはいいだろう、と思う故に、アースベルトはエバンス達が来た時に少女に一つ魔法をかけていたのだ。


 そして、アースベルトが今解いたのは、マルカの全身にかかっていた幻覚の魔法だ。それは、魔法をかけた相手の本来の美しさを映し出す魔法。


 美しいまっすぐに伸びた髪は、ぼさぼさに。

 果実のような唇も色あせて、白く瑞々しいはだも、どこか青白く不健康そうだ。

 眼だけは殆ど変わらないが、どこか疲れを見せる。


 これが、マルカの今の姿だ。


 だが、勇者の前に居た美しい少女が全て嘘だったとは言えない。

 いかに美しく着飾った物でも、この魔法をかけられたときどうなるのか。

 顔の歪んだ物に、この魔法をかけたらどうなるのか。

 それは見たものにしかわからないが、少女がどうなったのかは、見ての通りだ。


 だから、マルカとの約束も破ったわけではないと、アースベルトは思う。

 彼女は、美しい。


 ちなみにマルカにもこのことを伝えてはいない。

 知れば彼女はきっと怒るだろう。

 

 ではなぜ、この魔法をかけたか。

 それは、単純に面白いと思ったからだ。

 マルカの美しさは魔法を掛けなくてもアースベルトには見えているが、あのエバンスにはこういうのが効果的なのは、よくわかっていた。

 なぜならばアースベルトは誰よりも悪魔だから。


  人間は、かくも面白いものだ。

 そう思うと、アースベルトは再び笑い、大きく羽ばたくのだった。

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