9.


 美しい執事に案内された部屋は、ホールの階段を上った先にある、それはだだっ広い空間だった。


 恐らく二階の全部がこの部屋一つなのではないかと思うほどに、大きい。

 先ほどの玄関ホールは縦に広かったが、今度の部屋は横に広かった。


 部屋の窓以外の上下左右全てが白い塗り壁となっており、二階にあるにも関わらず海の青さと空の青さを反射してこの空間を幻想的な、まるで異国の海の中にある宮殿のような錯覚をもたらしていた。



 (自分だったらこの部屋には、国にあるすべての宝石や金貨などの宝物と、酒でいっぱいに満たされた大きなプール、それから国中から集めた美しい女官達を沢山置くだろう)

 そして、その中央に座るのは、もちろんエバンス自身だ。


 そう、この部屋を見た瞬間に思いついたエバンスは、ますますこの館が欲しくてたまらなくなった。

 まだ自分の物になったわけでもないのに、ニヤニヤ笑いが止まらなくなりそうで、慌てて顔面を叩くことで、やっと堪えた。



 だが窓は、外へ向けて解放された大きなものが三枚もあり、エバンスが部屋へ入ると海風が部屋の中をびゅうびゅうと勢いよく吹き抜けて、まるで彼の入室を拒否しているように感じられる。


 これにはホールからここに来るまでの短い間、「呼んで来い」と息巻いたにも関わらず当然の如く主の元に案内されているということにも気づかず、さりとて王子様の顔を崩さなかった彼も、つい顔をしかめずにはいられなかった。


 それにこの部屋の内装で唯一文句があるとすれば、部屋のあちこちに置かれた小さな魔物をかたどった歪な像達だ。

 全部で三体はいるだろうか。

 この美しい部屋の中で、そこだけがやたらと異質な空気を放っている。

 こういういかにも趣味の悪いものが置いてあるから、町人達に誤解されたのではないかと、エバンスは考えた。


 それから部屋の中央には背もたれの深い一本足の木の椅子が、ポツリと外向きに置かれている。

 だが、その深さ故に椅子に人が腰かけているのかどうかは出入り口に立っているエバンスには窺い知ることは出来なかった。


 ちなみに、すっかり白目を向いて気を失ってしまったリューは、今はエバンスの後ろに立つ執事が抱えて連れてきてくれた。

 この謎の執事は見かけによらず力があるのか、甲冑を身に着ける大柄のリューをものともせず、しかもお姫様抱っこでここまでやってきている。


 悟られないように後ろをそっと伺うと、銀髪の彼は相も変わらず美しい所作で、部屋の隅に申し訳程度に置かれたソファにリューを寝かせようとしているところだった。

 

 これにはこの屋敷同様、ますます彼を手に入れなければならないと感じてしまう。

 一流の、そこらへんの平凡な王とは違うエバンスには、一流の執事や、一流の従者が付き従うのは、当然の話だ。

 少なくとも、リューのように大事な所で気を失ってしまうような、中途半端者ではない。この副団長は肝心な時に役に立たない奴だ、と心根を諸に顔に出し、リューへ向けておいた。



「お初にお目にかかる。

 私はクノープスの第一王子、エバンス・トワイライトだ。

 突如城の東に現れたこの館の主と話がしたくて、こうして伺い参ったのだ」


 始めて会う者への礼儀くらいは弁えているとばかりに、丁寧な口調で語る王子だったが、あくまでも自分が王族だという誇りは欠かすことなく話してみせる。

 元々の目的が魔王討伐だったなどとは、おくびにも出さないその様だけは、はた目にも堂に入ったものだった。


 エバンスが腰の深い椅子に話しかける形で声を出すと、それはとてもゆっくりとした動きでこちらを向いた。

 それに合わせて、後ろの執事が頭を下げるのが見なくても分かった。

 徐々に見えるその姿に、エバンスはつい息をのみ、目を丸く見開き凝視する。


 椅子には、まるで人形かと思うような少女が、身動ぎ一つもせずに、ちょこんと腰をかけていた。


 シンプルな黒い服と対照的なその肌は、陶器の様に白く、だが遠くからでも分かる程に瑞々しい。


 長く艶やかで豊かな黒髪、赤い果実のような唇。


 長いまつ毛に、黒真珠のような瞳。


 そのうるんだ、清んだ瞳には、エバンスの顔がはっきりと映し出され、まるで彼女の存在そのものが芸術家による一つの作品であるかのような異彩さを放っていた。


 ただ真っすぐにこちらを見る少女の表情からは何も伺い知ることは出来なかったが、少女がこちらを見ている、ただそれだけで何か気分の高揚するような思いを味わうことが出来る。


 今まで王城で見たどの娘よりも異彩で、異様で、ぞっとするほど美しい。


 そしてその手には、こちらも、今まで一度たりとも見たことも無いような不思議な輝きの青い宝石をいた。


 エバンスは、少女を一目見るやすぐに、欲しい、と思った。

 恋とか、そういう類のことではなく、ただ麗しく眩くあるあれを、自分の手の内に置いておきたくて仕方がないのだ。


 この屋敷にある、その全てが美しい。


 柱の一つをとっても、執事の所作をとっても、少女の瞳の色を見ても、その全てに、訳もなく首を垂れずにいられなくなる。

 そんな魔力にエバンスはすっかり魅入られていた。

 だからエバンスは、先ほどこの部屋に入った時に思った妄想を全て払った。


 この部屋には、この少女が一人いればそれでいいのだ。

 そして、その隣にいるのはもちろんエバンスであることには変わりはなかったが。


 少女を見つめたまま、いつの間にか頬が緩むのを感じる。

 (なるほど、これは確かに魔性の物だ。)


 エバンスはそう確信するに至ると、ついに礼儀作法も忘れ、恐れることも無く少女が腰かける椅子の真ん前まで颯爽と歩いた。


「驚いたな。この屋敷にまさかこれほど麗しい華が咲いていようとは。

 どうか、君の名をこの私に教えては頂けまいか。この森痕の館の主たる、精霊の君よ」


 エバンスには、少女はまるで精霊だと思えた。

 勿論森を焼き払った調本人であるエバンスは、精霊がどういうものか、精霊とは何なのか、見た事もそれを知ろうとしたことすら今まで一度も無かった。

 それでもこの目の前の少女には、その精霊という響きが何より相応しいと思わずにいられない。


 少女は一瞬戸惑うように眉を寄せると、「わたしは……」と話そうとする。


 まるで冬の夜空に響く、鈴の音ような清らかな声。

 

 その声だけで、エバンスはついおぉ、と声を出し、身を乗り出すように少女に近づく。だが、エバンスのそれをすっと遮るものがいたから、王子は少女の前であっても、顔をしかめるのを止めようとは思わなかった。


「申し訳ありませんが、これ以上はお控え頂けませんでしょうか。

 我が主は、まだ社交界に一度もお出になられてもおられませんゆえ、貴方様のような高貴な方との対話に、不慣れなのでございます」


 その言葉に、ついかっとなる。

 確かに、少女はまだ幼く、社交会などに出るには早すぎるだろう。

 だが、そのようなことはエバンス自身がさせることはない。

 この少女は、もはや自分の妻になるに相応しく、それ以外の選択など他の誰が許しても、次期国王となる自分が許すことは絶対に無かった。


 (誰が他の有象無象に見せたりするものか)


「黙れ、執事風情めが。

 私は今、お前の主に話をしているのだぞ。

 家人に仕えるその身分で、よくも割って入ってこれたものだな」


 そう言って、憎悪をも込めた目を銀髪の執事に向ける。

 会話を邪魔された事にも腹が立ったが、それよりも、座る少女の横に立つ執事の姿が、それは美しい一つの完成された絵画を見るようで、それを見た時にエバンスにはもはや、ざわつく心を抑えることが出来なくなっていた。


 だからあえて強調したのだ。

 お前と俺では、何は無くとも、身分が違う。

 少女の横に居て相応しいのは、美しくはあっても一介の執事風情などではなく、自分のような高貴な身のものであるはずだと。


 そう考えた仕上げに鼻で笑おうと思った次の瞬間、可笑しなことに、エバンスの視線が『ずっ』と音を立てて下がった。


「!? 」


 驚いて下を見ると、足が片方地に埋まっている。


「なっ!? 」


 慌てて飛びずさろうとするも、もう絡まった足は抜けず、もう片方の足もその場に落ち窪んでいく。

 床が、ズルズルと音を立てて崩れている。


 執事と少女は、一歩も動いてはいなかったのに、エバンスだけが床に飲まれようとしている。


「貴様っ! この私を罠に嵌めたのか! 」


 そう叫ぶ王子が睨むのは、少女ではなく、あくまでも銀髪の執事のほうだった。

 言われた彼も彼で、エバンスを見下ろしながら、窪みゆく王子に深々とお辞儀をしてみせる。

 数秒の間の後、顔を上げた彼の顔には、いつの間にか黄金に染まった瞳を三日月に歪めた、これ以上ないくらいの史上の微笑みが浮かんでいた。


 そして最後にその背に大きな黒い翼を生やすと、青い宝石を持ったまま無言で執事に体を預ける少女を抱き上げて、開け放たれていた大きな窓から勢いよく飛翔していった。


 それと同時に、部屋に置物として置かれていた三体もの醜い魔物の像が、突然石化が解かれたようにもぞもぞと動き出し、その小さな翼をそれぞれ広げると執事に付き従うように飛び立っていく。


「くっ……やはり、あの男が魔物かっ! 何としてもあの少女を救わねば! おい、リュー、起きろ! このままでは……!」


 銀髪の男が出ていくのを見送る最中にも、エバンスの足はズブズブと音を立てて沈みこんでいく。

 リューのほうを見やれば、彼に至ってはすでに体の全てがソファの中に沈み込んでしまっていた。


 順に腰に、胸に、砂と化した床がまるで流砂のように迫り、肩に、首に逃げ場のない闇が絡みつこうとしている。


 それでもエバンスは諦めず、顔を上にあげて砂から抗い、なんとか逃げ延びようとする。だが結局最後には、彼の指だけが残り、まるで水面で翻す魚のように、とうとうその全てが砂の海に飲まれていった。

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