16.アースベルト

 空を飛ぶことの出来る彼にとって、もうずっと、それは何百年も昔から変わらない景色というものがあった。


 眼下に小さな、無力な人々の蠢く大地が広がり、

 あちらこちらへと道は伸ばされ、

 その先にある国が滅び、また栄え。


 日が昇り、世界を照らし、

 夜には星が瞬き、そして月が地に沈む。


 風が冷たく頬を撫でれば雨が降り、

 翼を畳んで休めばそこには火が灯り、

 その姿に希望を見た愚かな人々はまた希う。


「力が欲しい」と


 始めからその力が彼にあったわけではなかった。

 あるのはただ、人の、何処までも浅ましい想いだけ。


 だが人が笑う時、彼もまた嗤うのだ。

 人が泣けば、彼もまた嘆くのだ。


 人よ、愚かなる者どもよ、

 その短い生で何を感じ、何に狂気する。


 誰かの為と願いながらも、それは自身の為に

 自身の為と答えながらも、それは世界の柱に

 世界の為と惑いながらも、それは思が夢に


 頂きか、はたまた地の底か


 そしてそれはまた、大地による鎖

 誰にも逃れられず、誰にも許されず

 自身はこの空を何処までも飛べど

 もはやあの鎖から逃げる手段は失われてしまった


 だがそれでも彼は今日も嗤うのだ


 今日が最後の生だと願いながら

 人を、彼女を、守りたいとただ愚かに想いながら




 ************************




 アースベルトは彼を表す悪魔そのものらしく七つの目を持っている。


 一つは、人とまったく同じ普通の眼

 二つは、その場の過去に何があったかを、正しく判断する眼

 三つは、普通の目では感知出来ない者を見る眼

 四つは、内に秘める魔量を推し量る眼

 五つは、生き物の悪意を捉える眼

 六つは、精神を操る、混沌の眼

 七つは、命ある者を縛る、呪印の眼


 三つか、または四つまでだったら、普通の人間でも持っているものがいる場合はある。


 二つめならば、主に狩人だ。

 彼らは地を這いながら、獲物の足跡を探し、未来を見つめる探求者だ。


 三つめならば、占い師と名の付くものは大抵持っている。

 持ってはいなくとも名乗るものはいるようだが。


 四つめは中々いないが、賢者や、歴戦の勇者ならばあるいは。

 彼らは厳しい戦の中で、この目を手に入れる。

 彼らと出会うと、とにかくやっかいだと言わざるをえないだろう。


 何しろ、彼等からすれば私やマスターなど、一目で人ではないと分かってしまう。

 まぁ、そういった手合いは大抵が人嫌いでいることが多いらしく、こうした街などにはめったにいないようだが。


 だが、五つめ以降を用いている人間がいるとしたら、それはもはや魔物だと断言できる。

 それは、もはや常人には耐えられない世界だからだ。


 魔法とはまた別に存在するこの強力な七つの眼は、空を飛ぶアースベルトにとっては、何よりの武器だ。

 何せ、これならたとえどんなに遠く離れた空を飛ぼうとも三つ目から五つ目の、三つの眼が、光り輝く少女をすぐに見つけることが出来るのだから。


 だからこそこうして迷うことなく離れられる。


 今彼がいるのは、ファニアの街のすぐそばに頂く、背の高い山の山頂だ。


 大昔アースベルトがこの地に訪れた頃は活火山だったが、今ではすっかり大人しくなっているらしく、彼がその地に足を下ろしても、何ら変化はない。


 すると、アースベルトの腕や肩や頭に、思いのほか勢いも良くアン、ドゥ、トロワの三匹の鴉もまた羽を下ろした。

 じっと見ると、「何か?」とでも言いたげな顔で、それぞれ寒そうに肩を震わせながらも、自分達よりも遥かに力があるはずの悪魔に向かって何ら恐れる事無く睨みを利かせている。


 そこは強い風が横殴りに吹き荒れる山頂。

 アースベルトのような力の強い悪魔でもなければ、飛ばされてしまうのだから仕方がないとはいえ、あんまりだとも思う。

 せっかく手間暇かけてセットした髪も、解れのないよう整えた服も、これでは台無しだ。


 彼等の名前はマスターが決めたものだ。


 そもそも名前を付けるという習慣の無いアースベルトにとって、それはどうでもいいこと極まりないことではあったのだが、始め彼が三羽を一番、二番、三番と呼んでいるのをマスターは見かねて他の名前を付けろと命じられたのだ。


 そこで仕方なく思いついたのが、これだ。

 意味を知らない魔王様は、それなら名前らしいくて良いと、快く承諾して下さった。やれやれである。

 下級悪魔にも等しい、いや、それ以下の彼らに名前など、おこがましいにもほどがあるというのに。

 ましてや、彼らはマスターの魔力の欠片(それも、宙に漂うカスのようなもの)からアースベルトが作った、子供の玩具程度の創作物でしかない。


 だが、彼らは名前が決まった時から急速な成長を遂げている。

 醜い小悪魔の姿しか取れなかった最初から、今では変化も出来るようになった。


 悪魔は普通そうあるべくして生まれたら、それ以上にもそれ以下にもならないものだが彼らはどうやら普通とはまた違うらしい。

 やはり、魔王たるマスターの魔力が入ることによって、通常とは違う変化が何か起きているのだろうか。


 しかしそれでも今はまだ風に対しての抵抗力もあまり無いようで、アースベルトの服の隙間に足をちょいちょいと引っかけて、なんとか潜りこめないかと伺っている。


「はぁ……仕方がないですねぇ。少しだけですよ?」


 アースベルトはそうため息をつくと、三羽をむぎゅっとつかんで、上着のポケットに押し込んだ。

 どうせ変化が効くのだから、狭い場所でもいつかは収まりよくなるだろう。


 むぎゅっもぎゅっと暴れる胸ポケットを一つポンと撫でてから、再び空に飛び立った。

 確か、この山頂から北に真っすぐ下ったその先に人けの無い空き地があったと記憶していたのだ。


 すーっと山肌に沿うように滑空し、途中生える木を避け、岩をぐるりと回り、そして再び上昇する。


「おっと」


 だがその先には、考えていたような空き地はすでに存在していなかった。

 代わりに空き地を中心に辺りの森は開かれ、山にめり込むように建てられた頑強な建物が見えた。


 南に見える城よりも幾分立派な建物で、恐らくはかなり最近作られたのではないかと見受けられる。


 そしてその建物へと続く街からの道に、たった一人の男が五人ほどの兵士に連れられながら道を登ってくる所が見えた。

 後ろ手に鎖で縛られ、先頭を歩いているが、なぜか引っ立てられているというよりも、彼が兵士を引っ張っているように見える。


 男は幾分年は取っているようだが、はた目から見ても屈強そうで、チャリ、チャリという音が付いて回っていても恐らく連れ立って歩く兵士よりもよほど腕が立ちそうに見えた。


 その姿につい目を奪われたアースベルトは、近くの木に止まり、成り行きを見守ることにした。

 目を五つめに切り替えて見てみると、人間の割には随分と白い男だ。

 清廉潔白、嘘を付かない男、といった所か。

 だがどこか影に捉えられているような、そんな印象を受ける。


 すると、兵士達とその先頭に立つ男の声が聞こえてきた。


「ギル様……もうすぐ、到着致します」


「あぁ、そうだな、これでとうとう兵士長ギルという人間も、幕引きだ」


「ギル様……」


「いや、違うな。俺はすでに一般人か。……お前たち、すまなかったな。ここまで共に来てくれた事、礼を言う」


「ギル様、これで、本当によろしかったのですか?」


「ギル様が居なくなったら、俺たちだけでは」


「そうです。何故なんですか、こんな……」


 それらの声に、男はくしゃり、と笑いながら言う。


「はは、さてな。こういう最後というのも、面白いと思うてな」



「そんなっ」


 5人の悲壮な顔に、もう何も言うなとばかり、首を振るギルと呼ばれた男。


「さ、ついたようだ。看守を呼んでくれ」


 兵士の一人が項垂れたまま建物の内部へと入っていった。


 そして、看守らしき服を着た(上半身は裸だったが)酷く汚らしい男が鞭と銀の輪のついた鎖を手に出てくると、ここまで歩いてきた屈強なギルの首に輪を付け、そして唐突にその鎖を引っ張った。


 ずしゃっと音がして、ギルが倒れると、兵士達は思わずと言った様子で、慌てたように彼に駆け寄った。


「貴様! この方をどなたと心得る!」

「許さんぞ!!」


 輪を付けられたギルは何も言わず、体についた泥を振り振り、起き上がる。

 兵士達が目に爛々と火を滾らせて看守を見るも、看守の男は空かした顔で鼻を揺らした。


「はは、ズビッ良い様だよ。元兵士長さんよぉ。ズビッあんた、おでの事覚えてっかぁ?

 おで、あんたがズビッごごへ来るって聞いて、楽しみにズビッしてたんさぁ。

 ごごへ入れば、二度と外は拝めねぇ。ズビッさぁ、いくどぉ?」


 まだ体勢の整わないギルを半ば引きずるようにしてズビッズビッと音を立てながら中へと連れていく。

 初めは項垂れるようにして連れ立つ男だったが、その途中で彼ははっとした様子で顔を上げ、銀の首輪を諸ともせず振り返り、そして叫んだ。


「全ての兵士に告げよ! 我の祖国ここにあり! 我の王はそこにあり!」


「……!?」


 その声にかっとなった醜い男が力いっぱい引っ張るも、鍛え上げられた男の首はびくともしない。

 足を踏ん張り、兵士達へ何かを訴えかけるような目をして、ギルは声を張る。


「迷うな、守れ! 戸惑うな、勇め! 戦え! 我らの家族のために!」


「ギル様、何を……」


「目を開け!お前達の王に危機が迫っている!」


「王……」




「ごのっ!!! 余計よげいなごと、言うなぁ!」


 ビシーンッ!!!

 という、どうやら叩き慣れしているようで、華麗な鞭捌きによる強烈な鞭の音が辺りに響き、突然のそれには堪らずギルも「ぐぅっ」と唸って建物の中へと押し込まれた。


 そして、後には呆然としたままの五人の兵士が残される。


「ギル、様……」


「今のは、一体」


「王に危機が? だが、王はもうしばらく前から病床に臥して・・・」


「いや、そうではないな。

 今のは、以前戦場でギル様が仰っていた、戦前の鼓舞によく似ていた」


「戦? 戦が始まると言うのか?」


「いや……だが、違うのだ。全てが同じではない。そう、家族……あれは、無かったように思う……。ともかく、行こう。皆に伝えねば。」


「あぁ、そうだな、そうしよう」


 そして彼等もまた足早にその場を去っていった。


 アースベルトは、蝙蝠のように木からぶら下がって成り行きを見ていたが、どうにも先ほどの屈強な男が気になって仕方がない。

 何せ彼もまた、マルカとは比べ物にならない量とはいえ、彼女と同じ白い光を内に抱えている。



 ふむ、と一つ思案すると、彼の中に在る皺がれた老人の顔が、嘯いた。



『闇はいずれも光に惹かれる』



 それには確かに、嗚呼と思わずには居られない。

 アースベルトが地に軽やかに足を付けると、途端に顔がどろり、と溶けた。

 そしてこしこし、とその顔を擦る。


 するとアースベルトの美しく整った顔は、先ほど彼の背で嘯いた老人の顔になり、体も空気が抜けるようにしぼみ、軋み、縮んでいく。

 髪の色はそのままだったが、輝きを失い、ざわざわと伸び始める。

 体にある服もにじむように溶け、みすぼらしい継ぎはぎだらけの一枚の布になった。

 靴もじゅっと音を立てて無くなり、枯れ木のような足が露わになる。


「こんなものかのう?」


 すると、今まで服の内ポケットに静かに入っていた鴉たちが、キィキィと騒ぎ始めた。


「あぁ、そうじゃった、忘れておったわ」


 そういって服の中に手を伸ばし、ぎゅむっと掴み引きずり出すと、黒い大きな三つ首の鴉が出てきた。


「おんやまぁ、これはこれは」


 三羽が合わさり、一つになったのか。

 首が三つに羽も三セット。

 目ばかりが鴉らしく、ギョロギョロと辺りを探るように見ている。

 なんとも不格好な生き物になったものだ。


「まぁ、今はいい。少しその辺で遊んでおれよ。ワシはちょいと用があるのでな。くれぐれも、人には見つかるな」


 そして、三つ首の鴉をぱっと離すと、彼等は勢いよく空を飛んで行った。

 よくもまぁ、ああに不格好で空を飛べるものだと感心する。


 空の彼方、山の影に消える彼等を見送ると、すっかり老人の姿になったアースベルトは、どこか少し楽し気に、巨大な要塞のような牢獄の入口へと足を向けた。


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