3.


「何か、勘違いをしていませんか」

 マルカが知っている、精一杯の敬語で少女がそういうと、背中に翼を生やした男は、まるで恐れ多いとばかりに言った。

「いいえ、マイ・マスター。お言葉を返すようで申し訳ありませんが、今私の前に立たれている少女が、マルカ・メイヴィング様である限り、この屋敷の主は貴女であり、また、私のマスターは貴女でしかあり得ません。」


 そう言って、銀の髪をした彼は頑なにその首を横に振る。

 マルカの名前を知っていることには驚いたが、奴隷や、生贄にされる訳ではないとはわかって、とりあえず安心は出来た。

 それに加えれば、今度は不可解な謎が出来てしまった訳だが。


 少女のどこに、その資格があるだろうか。

 森の民と呼ばれているとはいえただの一村民に過ぎない、何の取柄も無い上に、それも孤児のマルカに。


(どこにこの御屋敷に住まうだけの資格が?)


 ただ首をかしげるばかりの少女に、男は広間の奥へと、マルカを導いた。

 その部屋は、まるで今出来たばかりのように何も無かったが、大きく開けていて、まるで神父様が時々読んでくれた童話の中に出てくる、お姫様のダンスホール……それを思い浮かべる事が出来た。


 けれどマルカには彼がこの部屋に自分を連れてきた理由がさっぱりわからなかった。それほど、ここは何もなかったから。


 男を見ると、壁際に控える彼が一つ頷いた。

 まだ名前も聞いてないとマルカは悔しがったが、今はそれどころではないらしい。男は先へ進めとばかりに、前を指した。


 マルカは訝し気に、ホールを中心に向かって、一歩進む。

 二歩、三歩。



 そうすると、突然。ホールの中心に背の高い台座が、音もなく現れた。


 それは本当に突然で、きっと瞬きの間に違いなかった。それに「現れた」よりは「生えてきた」の方が正しいような気もする。とにかく、マルカにはそう見えた。


 マルカが驚いて再び瞬きすると、今度は足元の辺り一面に赤いクッションが敷かれた。まるで急に花畑が湧き出たように見えた。

 さっきまで、確かに冷たい石の床だったはずなのに、今ではフカフカの足元が、マルカの素足に優しかった。


 もう一度すれば、今度はダンスホールに似合う、カーテンが。

 それでマルカはどんどん楽しくなって、とうとうまるでお姫さまになったような気分でいた。


 もう一度。今度はイスや、楽器や、その台が。

 もう一度。大きなカウンターに、食器に、それに沢山の湯気の立つ食事が生えてきた。

 そして最後にもう一度だけ瞬きをすると、一番最初に現れた台座の上に、あの夜、空から落ちてきた不思議で美しい小さな宝石が小さなクッションに乗って現れた。


 それからはマルカはもう瞬きしなかった。


 ただ、その宝石を見つめ続けた。

 マルカがそれを見間違うはずはなかった。

 なぜなら、それはもうマルカのものだったから。

 マルカには、それがあの宝石だと、すぐに分かった。


 宝石は、相も変わらずキラキラと、美しい光を称えてそこに居た。


「これ、どうして?」


 マルカは後ろにいるはずの男を振り向くこともなく、勢いに任せてその宝石にそっと手を触れて、台座から持ち上げると、その優しい青い光を一心に浴びた。


 宝石はマルカの手に乗ると、途端喜ぶように身を震わせた。

 光が、強くなったり、弱くなったり、まるで母親にやっと会えた子供みたいだ、とマルカは思った。


 ただ、それに合わせて屋敷全体も身を震わせ始めたから、溜まらずマルカは後ろへ転んでしまったが腰を打つ羽目にはならなかった。


 後ろにいたあの男が、宝石を掴むマルカの腰を軽々と持ち上げて、再び翼を広げると揺れる部屋から勢いよく飛び出した。


 空へ高く上がり、風がびゅうびゅうと鳴り、マルカの耳を打ったが、マルカはちっとも気にならなかった。

 下を見ると、先ほどまであった屋敷が、ぐずぐずと、それは音を立てて崩れていくところだった。


「どうして?あんなに、立派なお屋敷だったのに」

 マルカが聞けば、男はすぐに答えてくれた。

「マスター、貴女様のお持ちのこの宝寿は、これは城の種なのです。」


 城は、種と繋がり、種は大地と繋がっている。

 城と大地を繋ぐ種を外せば、城は崩れ、跡形もなく、その姿は夢の中だけの物になる、と。


「城の、種」


 マルカは森の民だったはずだが、そんな物を聞いたことも、見たことも無かった。マルカは、まだ自身が若いから彼が冗談を言っているのだと思ったが、この下に広がる景色を見るにつれ、段々と彼が言う事を信じてみようという気になった。


 だけど、一つだけ分からないことがある。


「どうして、私がマスターなの。貴方は、この種から生まれたのではないの」


 マルカがそう思ったのは、簡単な事だ。

 なにせ、彼の瞳はこの宝石と同じ輝きを持つ、美しい青色だったから。


 男は、少女の言葉に驚いた顔をした。

 どうやらマルカが彼の生まれを当てるとは思わなかったようだった。

 だが、それも初めだけで少し頷くと、まるで我が意を得たりとばかりに彼は言った。


「その城の種は確かに私の祖であると言えます。ならばこそ、私は貴女にお仕えするのです。彼は、城の種。魔王に仕え、魔王に眷属せし者。そして貴女こそがこの宝寿の主、魔王様であらせられるのですから」


 そして最後に彼は自分の名前をポツリと呟くと、続けてこれは契約だと囁いた。

 銀髪の男、アースベルト・ログオヌスは語る。

「我、アースベルト・ログオヌスは我が主、マルカ・メイヴィングに仕え、貴女様が魔王である限り、その生涯に渡り貴女様を守り抜くことを誓います」

 彼は宝寿を抱くマルカを強く抱いたまま、空高くへと飛び立った。

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