第13話 電話してみよう

 学校から、どうやって家まで帰ったのか、僕はその間の記憶がなかった。

 ずっと考え事をしていて、気付いたら、家にいた。


 下校の道や電車で花圃に、気をつけなさいとか、ほら、飛び出したら危ないでしょとか、言われ続けてた気がする。

 花圃によると、玄関から靴のまま家に上がろうとして、母に怒られたらしい。



 僕はこれから、一目惚れの相手、高橋たかはし小巻こまきさんに電話をかける。

 そのことで、もう、頭が一杯だった。



 僕は上の空のまま、夕御飯を食べた。

 風呂に入って、身を清める。

 電話をかけるだけなんだから、別に、身を清める必要なんてないと思うけど、歯も磨いた。


 自分の部屋に戻ると、クッションを床に置いて、その上に正座した。

 花圃が机の上に立って、僕に視線を合わせてくれる。



「それじゃあ、今から電話かけるわよ。いいわね」

 花圃が訊いた。


「うん」

 僕は、ゆっくりと頷く。


「いい、落ち着いて、早口にならないように、はっきりとした口調でね。相手の話をよく聞いて、ちゃんと相槌あいづちも打つのよ」

 花圃は、まるで面接指導の先生みたいだ。


「大丈夫。あえなく爆死しても、私が骨は拾ってあげるから」

 花圃が言う。

 花圃のことが、頼もしく見える。


 連絡先を聞いてもらって、ここまでお膳立てされたら、もう、自覚するくらい奥手な僕でも、行くしかない。

 勇気を出すしかなかった。


「それじゃあ、電話、かけるわね」

 花圃が言って、机の上で静止する。

「うん、お願い」

 僕は祈るような気持ちで言った。



 電話は、2回のコールで、すぐに繋がった。



 花圃が、向こうのスマートフォンから得た情報を元にして、この時間、夜九時前後なら、彼女が電話に出やすいと予想したけど、その予想が的中したのだ。


「もしもし」

 僕は声を絞り出した。


「はい」

 花圃の口から、彼女の声が聞こえる。

 透明感がある、綺麗な声だ。


 花圃の姿と彼女の声が重なって、シンクロした。

 まるで、花圃が喋っているみたいだ。


「えっと、あの」

 いきなり、詰まってしまった。


 花圃が、机の上にあった単語帳に「おちつきなさい」と、ボールペンで文字を書いて、僕に見せた。

 僕は一度深呼吸して、自分を落ち着かせる。



「朝は、僕のスマートフォンが突然、ご迷惑かけて、すみません

 駄目だ……噛んでしまった。


「ううん。ちょっとびっくりしたけど、大丈夫です。可愛いスマホですね。スマホケースも可愛いし」

 彼女、小巻さんが言う。

 僕が噛んだことは、黙ってスルーしてくれた。


「別に僕が行かせたわけじゃないんですけど、勝手に行ってしまって」

 本当のことだけど、言い訳みたいに聞こえたかもしれない。


「平気です。電車の中で退屈してたし、こんなことも面白かったなって」

 小巻さんは、そう言ってくれた。


「僕、スマートフォン買ったばかりで、まだ使い方とかも分からないところが多いし、機能も全部把握してなくて」

 下手に格好つけるくらいなら、恥ずかしいけど、本当のことを言おうと思った。


「私も、買って半年くらいになるけど、まだ、全然使いこなせてません」

 小巻さんはそう言って、溜息みたいなのを吐いた。

 ふう、ってその声も可愛い。


「あの子の名前は、なんていうんですか?」

 小巻さんが訊く。

 あの子、っていうのは、多分、花圃のことだろう。


「あ、花圃かほっていいます」

「ふうん、花圃ちゃん」

「はい」

「字は、どう書くんですか?」


 僕は、漢字を説明した。

 花にはたけで、花圃。


「可愛い名前ですね」

 小巻さんが言った。


「小巻さんっていう名前も、可愛いです」


 言ってから、僕は、なんでそんなことを言ってしまったのかって慌てた。

 いきなり、距離を詰めすぎた。

 踏み込みすぎたんじゃないかと思った。


 でも、机の上の花圃は、僕に向けて、「GJ」って感じで、親指を立てている。


「ありがとうございます」

 小巻さんはそう言って、照れたように笑った。


「そう言えば、お互いまだ名乗ってませんでしたね。スマートフォンから、お名前は聞いてますけど、いちおう、お互いに名乗っておきましょうか?」

 小巻さんが提案した。


 本当はこういうの、電話をかけた僕のほうから提案するべきだったんだろう。


「はい、えっと、僕は、鈴原瑞樹。叢雲むらくも高校に通う、二年生です」


「私は、高橋小巻です。私も高校二年生」


 そうか、小巻さんとは、同学年だったんだ。

 大人っぽい感じで、年上かと思ってた。


 でも、そうだとすると、これからまだ、二年間、電車で一緒に高校に通うことになるのか。

 ここで失敗したら、その電車の二年間が憂鬱になるかと思うと、一瞬、クラッとした。



「あの、なんで、私に興味を持ってくれたんですか?」

 小巻さんが訊く。


 それはもちろん、小巻さんが可愛くて、僕が一目惚れしたからだって、本当のことを言いたかった。


 でも、そんなこと、言えなかった。


 目の前で花圃が単語帳に、「一目惚れしましたって言え!」と書く。

 「好きって言っちゃえ!」花圃が続けて書いた。


 当然、そんなことは言えない。


「いつも、同じ車両に乗っていて、高橋さんを見掛けて、なんか、周りの女子とは違って、静かに外を見てたから、ちょっと気になって」


「そうなんだ。私、目立ってた?」


「いえ、そんなことは、ないですけど」

 目立ってたというか、あの電車の中で、僕は小巻さんしか見えなくなってただけだ。


「瑞樹君が、私のほうを見てたの、気付いてましたよ」

 小巻さんが言った。


「えっ、あっ、ごめんなさい」

 僕が盗み見てたこと、気付かれていた。


 恥ずかしい。


 気持ち悪い奴だと思われてたかもしれない。

 なにこいつ、って思われてたら、どうしよう。


「私、自意識過剰ですか?」

 小巻さんが訊く。


「ううん。実際、見ちゃってたから。本当にごめんなさい」

 ここは、素直に謝るしかない。


「毎朝、私のことを見る男の子がいるのが、不思議でした」

 そんなの、不思議でもなんでもない。


「こっちが目を合わそうとすると、逸らしちゃうし」

 小巻さんが言う。


「ずっと見てたら、失礼だと思ったから」

 僕がそう答えたところで、電話の奥から、他の人の声が聞こえた。


 女性の、小巻さんよりかなり大人な人の声だ。

 小巻さんのお母さんだろうか。

 お風呂に入りなさいとか、言われたんだろうか。

 そういえば、僕は最初に、今電話いいですかとか、そんな常識的なことも訊いてなかった。


「ごめんなさい。ちょっと用事ができて……」

 小巻さんが、残念そうに言う。


「いえ、こっちこそ突然電話して、すみません」

 電話に出てくれただけでも、嬉しかった。



「えっと、もし良かったら、明日、電車の中で直接話しませんか? 電車に乗ってるあいだ、お話しながら一緒に登校するのはどうですか?」

 小巻さんが僕に、そんなことを訊いてくる。


「えっ? はっ、はい、喜んで!」

 僕が言ったら、勢いがありすぎたのか、小巻さんが、ふふふと笑った。


 大声を出したから隣の部屋の姉に壁ドンされたけど、そんなのどうでもいい。


「それじゃあ、ごめんなさい。また、明日の朝」

 小巻さんが言った。


「はい。絶対に行きます」

 登校するんだから、絶対に行くに決まってるのに、僕はそんなことを言ってしまった。


 小巻さんがまた、ふふふと笑って、電話が切れる。




「よくやったわね」

 机の上の花圃が、小巻さんの声から、自分の声に戻って言った。


 緊張しまくってた僕は、正座してしびれた足でベッドまで行って、そこに寝転がる。

 気付くと額にびっしょりと汗をかいていた。

 変なところに力が入っていて、寝違えたみたいに首の筋が痛い。


 花圃が、机からベッドに跳んで来た。



「女の子に初めて電話するにしては、上出来だよ。嘘をついたり、自分を必要以上に飾ったりしなかったのも、好印象ね」

 花圃が言う。


「ありがとう」

 でも、今の電話を冷静に振り返ってみると、会話の主導権を取っていたのは、ずっと小巻さんだった気がする。


 小巻さんが、話が円滑に進むように導いてくれていた。



「さあ、今度は、明日の朝の電車よ」

 花圃が言った。


「今度は、直接会って話すんだから、ちゃんと彼女の目を見るのよ」


 嬉しいけど、でも、今からすごくドキドキする。

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