第20話 掃除をしよう

「それじゃあ、そっちの駅で待ち合わせしようか?」

 花圃かほが言った。


 いや、スマートフォンである花圃の口とスピーカーを借りて、電話口の小巻さんがそう言ったのだ。


 花圃は僕の肩に乗って、耳元でささやいて、電話としての役割を果たしている。


「そうだね。それじゃあ、こっちで待ってる」


 僕は、学校帰りの駅のホームで電話をしていた。

 小巻さんから掛かってきた電話を、花圃で受ている。

 僕のこの言葉は、向こうで小巻さんのスマートフォン、みーしゃが、同じように耳元で伝えているんだろう。


「それじゃあ、また、あとで」

「うん、あとで」

 僕達はそう言って、通話を切った。

 通話を切ってから、僕は、小さくガッツポーズする。



 小巻さんと放課後に待ち合わせして、デートする約束をしてしまった。



 特別にどこかに出掛けるとかじゃなくて、なんとなく会いたくなって、放課後の約束を取り付けるっていう、この感じ。


 これが、僕が17年間無縁だった、リア充ってやつか。


 自分が自然にそんなことをしていると思うと、感動する。



「ちょっと、なにえつに入ってるのよ」

 僕が目を瞑って、感動を噛みしめていたら、花圃が呆れて言った。


「花圃、ホントにありがとう。全部、花圃のおかげだ」

 僕は肩の上の花圃を、ほっぺたですりすりする。


「もう、ちょと気持ち悪いって。やめなさいよぉ」

 花圃がくすぐったそうに嫌がった。

 嫌がりながらも、まんざらでもないような顔をするのは、花圃の高度なプログラムなんだろうけど、そんなことはどうでもいい。

 僕は遠慮なく、花圃にすりすりする。


 僕と花圃がじゃれ合ってるのを、ホームにいたお婆さんが、不思議そうに見ていた。




「お待たせ」

 改札口から出てきた小巻さんは、朝、通学時に見た服と同じで、白いサマーニットに黒いパンツを穿いていた。

 髪型も、ポニーテールにしていて、軽やかだ。


 今日の小巻さんは大人っぽい。

 かっこいい女子大生に見えた。


 制服姿の僕だと、ちょっと釣り合わないかもしれない。

 まあ、制服じゃなくても釣り合わないんだけど。



 駅から続く商店街を、小巻さんと二人で歩く。


「ここが、瑞樹君が育った街なんだね」

 小巻さんが言った。

 小巻さんは、歩きながら興味深そうにあちこち見ている。


 でも、別に、何の変哲もない街だ。

 平凡で退屈だし、遊びに行ったり買い物に行くには、いつも、もっと大きな街に出掛けている。


「あっ、ちょっと、本屋さん寄っていい?」

 通りに本屋を見つけて、小巻さんが訊いた。


「うん、もちろん」

 そこは僕が子供の頃から通っている本屋だ。

 一階が雑誌や文芸書、実用書。

 二階が、参考書と漫画コーナーになっている、個人経営の小さな店。


 いつも通り、店のカウンターでは、白髪のお爺さんが本を読みながら店番している。僕が物心ついたときにはもうお爺さんだったこの人は、一体いくつなんだろうって、いつも思う。


 中に入ると、小巻さんは、奥の文庫本コーナーに向かった。

 文庫本コーナーの入り口で、棚の上に平積みしてある新刊本をチェックしている。


「小巻さんって、どんな本読むの?」

 僕は訊いてみた。

「うん、どんな本でも読むけど、特にミステリーとか好きかな」

 小巻さんが言う。


 小巻さんが真剣に見てるから、邪魔したら悪いと思って、僕も他の棚を眺めて、面白そうな本がないか探していた。


 すると、


「瑞樹君」

 後ろから、誰かに声を掛けられた。


 振り向くと、そこに知り合いが立っている。


 小学校と中学校が同じだった同級生の南野みなみのさんだ。

 家が近いし、和麻呂なんかと一緒に遊んだこともあるし、何回かクラスが一緒になったこともある女子だ。


 彼女も学校帰りらしく、セーラー服の制服姿で、鞄を持っている。

 ショートボブの髪で、よく日に焼けた活発な印象の南野さん。

 久しぶりに会ったけど、南野さんは、中学生の頃とあまり変わっていない。


「あれ、誰? お姉さん?」

 南野さんが、訊いた。


 僕と小巻さんが一緒のところ、見てたのか。


「彼女」

 僕は言った。

 言ってから、僕がこんなことを言う日がくるとは、と、ちょと感動した。

 「彼女」、って言葉を噛みしめた。


「嘘! あんな……」

 多分、南野さんは、あんな綺麗な人が、って続けたかったんだと思う。

 でも、僕だって信じられないんだから、無理もない。

 彼女を責められない。


「へえ、瑞樹君、高校で、充実してるんだ」

 南野さんは、そんなふうに言った。


 小巻さんと付き合い始めたのはつい最近だし、充実させていくのは、これからだけど。


 でも、さっき南野さんは、僕に「お姉さん?」って訊いてた。

 他の人から見たら、僕と小巻さんは、姉と弟に見えるのか。

 全然、釣り合いがとれていない。


 そこは、もっともっと、僕の努力が必要な部分だと思われる。


「それじゃあ、デートの邪魔しちゃ悪いから、行くね」

 南野さんは、そう言って、店から出て行った。


 小巻さんは、続刊を待ちがれていた小説を見つけたらしく、それを買って、嬉しそうに胸に抱いている。


「小巻さんが買った本の題名、分かった?」

 僕は肩に乗っている花圃にひそかに訊いた。

「ええ、分かるわ」

 花圃が答える。

 僕もあとでその本を買って、読んでおこうと決めた。

 通学のときとか、話題にできるかもしれないし。




 本屋を出て、しばらく歩いていたら、小巻さんが、一件の店の前で足を止める。


 白壁のこぢんまりとした建物は、「せるくる」っていう名前のケーキ屋だ。


「わあ、美味しそう」

 窓から店内のショーケースを覗き込んで、小巻さんが言う。


「うん、ここのケーキは美味しいよ」

 僕はショーケースにあるほぼ全てのケーキを制覇してるけど、どれも美味しい。

 おしゃれなカフェとかにあるようなケーキじゃなくて、シンプルな街の洋菓子店、って感じのケーキだけど、味は保証できる。


「食べていこうか?」

 小巻さんが訊いた。

 このケーキ屋には、カフェスペースがあって、店内で食べられるようになっている。


「うん、そうだね」

 僕達は店に入った。

 こうやって二人で店に入るのは、って、一々感動してたら、僕の身がもたない。



「ちょっと、迷う」

 ショーケースを端から端まで眺めて、小巻さんが言った。


 五分くらい、真剣に悩んで、小巻さんは旬の苺タルトを選んだ。

「待たせてゴメンね」

 って、小巻さんは言うけど、小巻さんが真剣にケーキを選ぶ、その横顔を見ているだけでも、楽しい。

 目がくるくる動いて、ぶつぶつ、なんか言ってるのが可愛いし。


 僕は大好きなレアチーズケーキを選んだ。


 店内に四つあるテーブルのうち、二つは、女性のグループが座って埋まっている。


 僕達は、空いている窓際の二人席に、向かい合って座った。

 店員のお姉さんが、ケーキを持ってきて、サービスの紅茶を入れてくれる。


 小巻さんのみーしゃが、肩からテーブルに降りて、ケーキを眺めていた。

 もしかしたら、写真を撮っているのかもしれない。


「どうしたの?」

 ケーキにフォークを入れながら、きょろきょろと落ち着かない僕を不審に思ったのか、小巻さんが訊く。


「うん、ここで食べるの初めてだから、ちょっと緊張して」

 僕は、正直に言った。


「えっ? だって瑞樹君、さっき、ここのケーキ美味しいって言ってなかったっけ?」

 小巻さんが首を傾げた。


「うん、ここのケーキは食べてるけど、いつもテイクアウトで買って帰るから。こうやって、お店の中で食べたことはないし」


「ふぅん。でも、こんな素敵なお店なんだから、食べに寄ったらいいのに」

 小巻さんが言う。

 小巻さんは苺を食べて「酸っぱい」って顔をした。


「だって、こういうふうに、一緒に入ってくれる人がいなかったから」

 今まで、彼女なんていなかったし、男友達と、男同士で、こんなに可愛いケーキ屋に入れない。

 ここのケーキを食べるときは、いかにも使いに出されて、家族に買ってこいって言われたふうを装って買って、テイクアウトしたのを、自分の部屋で食べたりしていた。


「ふぅん」

 小巻さんがそう言って笑った。


「なんか、おかしい?」


「ううん、なんか、可愛いなぁと思って」

 小巻さんが言う。


 可愛いって言われた。

 同級生の女子に、可愛いって。


 それは、南野さんに姉と弟って見られるわけだ。


「それじゃあ、これからも時々ここに来ようか? 瑞樹君が大好きなケーキを、食べられるように」

 小巻さんが言う。


「あ、うん」

 もちろん、大歓迎だ。

 こんなふうに小巻さんと向かい合って時間が過ごせるなら、ケーキ屋じゃなくても、どこでも行く。


「ちょっと、もらっていい?」

「うん」

 小巻さんが言って、僕は、チーズケーキを少し分けた。

「美味しい、今度はこれにしよう」

 小巻さんが言う。


 これなら、小巻さんがショーケースの中、全種類食べるまで、何度でもここに来られる。




 楽しい、放課後のデートの時間はあっという間に過ぎて、小巻さんが家路についた。

 改札まででいいって小巻さんは言うけど、僕はホームまで入って、電車が走り出すまで見送ることにした。


「じゃあ、また明日」

 小巻さんはそう言って、ホームに入ってきた電車に乗った。


 電車のドアが閉まる前に、

「ねえ、今度、瑞樹君の部屋、見てみたいな」

 小巻さんが言う。


「部屋! う、うん」

 僕がそう答えたところで、ドアが閉まった。

 電車が、ゆっくりと走り出す。


 電車の中から、小巻さんが手を振った。

 僕も手を振って、小巻さんが見えなくなるまで電車を見送る。


 部屋か……


 小巻さんが、僕の部屋に来る。


 大変だ!


 僕がダッシュで家まで帰って、すぐに掃除を始めたのは、言うまでもない。


 でも、僕の部屋の惨状さんじょう……

 これは徹夜作業になりそうだ。

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