第21話 覗き行為に使うのはやめよう
部屋の掃除には五日かかった。
絨毯の上に、髪の毛一本、
カーテンやベッドの布団に、ファブリーズを丸々一本吹きかけた。
物を押し込んでいただけのクローゼットと押し入れは、中を全部出してから、整理整頓した。
本棚の文庫本とか漫画は、一巻から順番に全部並べ変えた。
部屋が綺麗になったところで、スマートフォンの花圃にインテリア診断アプリを入れて、部屋の画像をカメラで撮って、アドバイスももらった。
花圃が、著作権フリーの写真とか、現代アートとかをプリントアウトしてくれて、それを100円ショップで買ったフォトフレームに入れて、それらしく飾ってある。
今、この部屋は、この部屋が僕の部屋になってから、一番綺麗な状態にあると思う。
掃除でガタガタとうるさかったからか、
「瑞樹、あんた朝からなにしてんの!」
姉が、ノックもなしに僕の部屋に入って来て、
着飾ってるし、メイクも気合い入ってるから、多分、姉はこれからデートに行くところだ。
「人が来るから掃除してた。ごめん」
僕は平謝りする。
「彼女が来るわけでもあるまいし、うるさいから突然の大掃除なんかやめてよね」
姉が言った。
「その、彼女が来るんだけど」
僕は、言い返す。
ちょっと、自慢げに言ってしまった。
「はっ?」
姉がそう言って、固まる。
一分ぐらい、本当に一ミリも動かないで固まった。
ちょっと、大げさに驚きすぎだ。
「その彼女っていうのは、二次元? 三次元?」
姉が訊く。
「もちろん、三次元だけど……」
「人類?」
なんて失礼なことを訊くんだ!
「もちろん、同級生の女子」
僕は言ってやった。
すると、姉は腕組みしてしばらく考える。
「ミズキ、予定キャンセル。武井君に断りの電話入れといて」
そして姉は、自分のスマートフォンにそんなふうに命令した。
武井君ていうのが、姉の彼氏らしい。
「えっ? 姉ちゃん出かけるんじゃないの?」
「だって、瑞樹が家に彼女呼ぶなんて、一生に一度あるかないかのことだし、どんな子か、見たいじゃない」
姉は平然と言った。
酷い。
僕が彼女を家に連れて来るのが一生に一度しかないなんて……
それに、当日ドタキャンされる武井君が可愛そうだ。
そんなことで時間をとられてたら、
「小巻さんから、電話よ」
花圃が言った。
「うん、繋いで」
僕が許可すると、花圃の声が小巻さんの声に変わる。
「瑞樹君? 私、今、電車に乗るところ」
電話口で小巻さんが言った。
駅のアナウンスの声が、後ろに聞こえる。
「分かった。じゃあ、迎えに出るから」
僕はそう言って電話を切った。
「ホントに女の子みたいね」
僕の隣で電話を聞いていた姉が言う。
そこまで疑ってたのか。
姉に部屋から出てもらって、服を着替え、急いで一階に下りた。
「母さん、人が来るから、後で飲み物とおやつだけ、お願い」
リビングにいた母にそう言っておく。
「ジュースとポテトチップスでいい?」
母が言うから、
「来るの彼女だから、もうちょっとなんとか」
僕はそう頼んでおく。
母は、また、和麻呂とか、男友達が来ると思ってたんだろう。
「彼女って、ええええっ!」
玄関で靴を履いていたら、母のそんな悲鳴に似た声がリビングから聞こえた。
母娘そろって、まったく……
小巻さんを待たせたらいけないから、混乱する母をそのままにして、僕は駅まで自転車をぶっ飛ばす。
改札口から出てきた小巻さんの服装は涼やかだった。
白いワンピースの上に、ネイビーの半袖ニット、そして、頭に麦わらのカンカン帽を乗せている。
なんか、どこかのお嬢様って、感じだ。
小巻さんだけ、背景から浮き上がって見える。
「どうかな?」
小巻さんは、そう言ってくるっと回った。
ワンピースの裾がふわっと揺れる。
柔軟剤の甘い香りが、辺りに振りまかれた。
「瑞樹君のお母さんとかに、変なふうに見られないといいんだけど」
小巻さんが言う。
「すごく綺麗で、小巻さんを変なふうに見る人はいないと思う」
僕はそんなふうに言っていた。
「ありがとう」
小巻さんが照れてほっぺたを赤くする。
考えてみれば、僕はすごく綺麗だとか、恥ずかしげもなく、直接的な言葉で小巻さんをべた褒めしてしまった。
こっちまで恥ずかしくなって、耳が赤くなる。
でも、僕の言葉に嘘偽りはない。
自転車を押して、駅から家まで小巻さんを案内した。
家までの住宅街、僕には代わり映えがしない道や、小さな公園でも、小巻さんは、興味深げに見ている。
「ここが、僕の家」
建物の前に小さな庭がある、どこにでもあるような二階建ての一軒家だ。
庭の横に車二台分の駐車スペースがあって、今、そこには母の軽自動車が止まっている。
「ふうん」
小巻さんが辺りを見渡す。
小巻さんのスマートフォン、みーしゃも、小巻さんの肩の上で、じっくりと家を観察していた。
「ちょっと、緊張する」
玄関のドアの前まで来て、小巻さんが零す。
「大丈夫、小巻さんを嫌いになる人なんていないよ」
僕は、そう言ってドアを開けた。
「お邪魔します」
小巻さんが敷居をまたぐ。
僕が彼女を家に連れてきた、歴史的瞬間だ。
「お友達? いらしゃい」
待ち構えていたように、奥から母が出てきた。
なんか、髪とか整えて、服も着替えた気がする。
母からは軽く、香水の匂いもした。
母の後ろには、物見高い姉もついている。
ところが、「いらっしゃい」と言ったきり、母と姉が、玄関で呆然としていた。
よく、開いた口が
「はじめまして、私、高橋小巻と言います。瑞樹君には、仲良くしてもらっていて……」
小巻さんが言って、頭を下げた。
「こちらこそ、瑞樹がお世話になって。本当に、こんな可愛い彼女さんが出来るなんて……」
母はそう言って、目をうるうるさせる。
まるで僕がノーベル賞でもとったみたいに感動していた。
姉は、いきなり無言で僕を玄関の隣のリビングに連れて行く。
そして顔を近づけて小さな声で、
「瑞樹、あんた、彼女のどんな弱み握ってるの?」
そんなことを訊いた。
「僕は別に、小巻さんを脅して付き合ってるわけじゃないから!」
まったく、実の姉とはいえ、失礼過ぎる。
慌てふためく二人を一階において、僕は小巻さんと二階に上がった。
「ふうん、ここが瑞樹君の部屋」
小巻さんが、入り口でぐるっと部屋を見渡した。
「綺麗にしてるね」
小巻さんがそう言って、クスッと笑ったから、僕が慌てて掃除したの、ばればれかもしれない。
確かに改めて自分の部屋を見ると、綺麗すぎて生活感がなかった。
住宅展示場のモデルルームみたいになっている。
小巻さんにクッションを勧めて、帽子を預かって、座ってもらった。
小巻さんのみーしゃが、小巻さんの肩から降りて、部屋を探検する。
まるで、危険物がないか、VIPの安全を確かめようとするSPみたいだ。
せっかく部屋に来てもらったというのに、僕が会話が弾ませられないでいたら、
「小巻さん、アルバム見ますか?」
花圃が言って、机の引き出しから、プロジェクション・アタッチメントを引っ張り出してきた。
花圃、GJ。
花圃がバズーカ砲みたいな筒を持って、背中にリュックサックみたいな電池を背負う。
カーテンを引いて部屋をちょっと暗くして、花圃がアタッチメントを構え、壁に写真を映した。
「これ、瑞樹君? カワイイ!」
僕の小さい頃の写真を見て、小巻さんがはしゃいだ声を出す。
それは僕が三歳か四歳くらいの写真だった。
どこかの遊園地で、パンダの乗り物に乗っている僕だ。
自分でいうのもなんだけど、カワイイ写真だった。
うちのアルバムの、数ある写真の中から、これを引っ張ってきた花圃は、本当にできるスマホだ。
「瑞樹君、いつもお姉さんの後ろに付いてるんだね」
小巻さんに言われた。
「そういえば、そうかもしれない」
幼い頃の僕の写真には、必ずといっていいほど姉も写っていて、僕は右手で姉の服を掴んでいる。
姉にくっついていた。
「お姉さん、綺麗だったもんね」
小巻さんが、そんなふうに言う。
まあ、確かに綺麗なほうだろう(中身はあれだけど)。
でも、この、部屋で一緒にアルバムを見るって行為。
これは僕がずっと憧れていたものだ。
いや、こんなふうに彼女を部屋に呼んで一緒にアルバムを見るって、彼女がいない男子が憧れる彼女と部屋でやってみたい行為ナンバーワンだろう。
それを僕がやっていると思うと、思わず顔がほころぶ。
カーテンを閉めて、部屋が暗いのも、なんかドキドキするし。
そうやって二人で写真を見ていたら、ベランダからなにか気配を感じて、僕はカーテンを開けてみた。
すると、窓の縁に体を隠すようにして、姉のスマートフォン、ミズキがこの部屋の中を覗いている。
僕は窓を開けて、ミズキを捕まえた。
「
僕がつまみ上げると、ミズキが頭を下げて、本当に申し訳なさそうな顔をする。
ミズキはスパイをしていたみたいだ。
主人である姉の命令には、逆らえなかったんだろう。
まったく、ミズキに、こんなことをさせて……
「お姉さんも、瑞樹君のことが心配だったんだよ」
小巻さんがそんなふうに言ってくれた。
二度と覗きなんてしないようにと言い聞かせて、ミズキを解放する。
後で姉に文句をいってやろう。
ミズキと入れ替わりで、母がお茶とおやつを持って来る。
おやつは、ポテトチップスからグレードアップして、ケーキになったいた。
さっき写真見てるときに、母の車が出る音がしてたから、わざわざ買いに行ったのかもしれない。
「すみません、どうか、お構いなく」
小巻さんが言った。
「いいえ、本当に瑞樹がお世話になって……」
母は紅茶とケーキを持ってきて、そのまましげしげと小巻さんに見入っている。
まるで、自分の娘を見るような目で、愛しそうに見ていた。
「母さん」
僕が言うと、母は我に返って漸く部屋を出て行く。
僕が小巻さんを連れてきたことに、余程感動しているらしい。
母が出て行ったあと、母が持ってきたのが、先日行ったケーキ屋さん、「せるくる」のケーキだったから、僕達は顔を見合わせて笑った。
それも、偶然、小巻さんが選んだ苺のタルトと、僕が選んだレアチーズケーキの組み合わせだったのだ。
「ねえ、小巻さん」
ケーキを食べながら、僕は切り出す。
「ん、なに?」
小巻さんはレアチーズケーキにフォークを入れながら、返事をした。
「今度、小巻さんの部屋も、見てみたいな、なんて……」
小巻さんの部屋がどんな部屋か知りたい。
小巻さんがどんなところに住んでるのか、家族がどんな人なのか、知りたかった。
「うん、でも、ちょっと、うち、今ごたごたしてるから、無理かも」
小巻さんはそんなふうに言って、目を伏せる。
小巻さんが少し寂しそうな顔をした。
あれ、家のことは、触れたらいけなかっただろうか。
花圃も、それは訊いちゃダメって感じで僕を見る。
「ごめんね」
小巻さんが目を伏せたまま言った。
「ううん」
僕は言う。
小巻さんの家に行けなくても、こうして来てくれれば、それでいいし。
二人でデートしたり、通学できたりすれば、それでいい。
そのあと、僕達はこの前のテーマパークの写真を見たり、ゲームをしたりして過ごした。
夕方になって、母が小巻さんに夕飯どうって勧めてくれたけど、小巻さんはそこまでご迷惑かけられませんって、断った。
そして僕が駅まで小巻さんを送っていく。
「それじゃあ、また、電車で」
僕達はそう言って別れた。
彼女を部屋に招くっていう、僕の一大事業は、こうして無事に終わった。
「ねえ、瑞樹。あんた、あの子に高額な絵とか買わされそうになってない?」
帰ってきた僕に、姉がそんなことを訊く。
本当にまったく。
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