第9話 セキュリティアプリを入れよう

 和麻呂の家は、僕の家から自転車で20分くらいのところにある。


 由緒ある家柄の旧家で、広い敷地の中に建物が何軒もあるような、数寄屋すきや造りの豪邸だ。


 子供の頃、僕達はここでかくれんぼしたり、鬼ごっこしたりして遊んだ。

 かくれんぼしたら、迷子になるくらいの敷地の広さがあって、実際、僕は何度も迷子になった。

 この家の一人息子である和麻呂に言わせると、ただ古いだけの家ってことなんだけど。



 僕は、時代劇に出てくるような重厚な門をくぐって敷地に入った。

 門の脇に自転車を止めて、砂利道を歩く。

 玄関までは、よく手入れされた日本庭園をしばらく歩かないといけなかった。

「以下の口座に1000$が振り込まれるまで、私は動きません。口座番号××-××××××××」

 その間も、僕のボディバッグの中の花圃は、例の台詞セリフを繰り返している。

 僕は走って玄関へ急いだ。



「ごめんください」

 そう言って格子の引き戸を開けると、甲冑かっちゅうが飾ってある広い玄関に、和麻呂のスマートフォンが、座って僕を待っていた。


 それは、和麻呂がいつも持ち歩いている「超子とうこ様」と「笑子しょうこさん」じゃなくて、和麻呂が持つ、5台のスマートフォンの中の、他の一台だった。


 ペット型で、犬の形をしたスマホで、和麻呂が付けた名前は「ぐりふぉん」。


 その勇ましい名前とは裏腹に、丸っこい愛くるしい顔に、垂れ耳をしていて、短い足四本でちょこちょこ歩く、子犬みたいなスマートフォンだ。

 グリフォンは、鷲の上半身にライオンの下半身を持つ伝説上の生物だけど、この「ぐりふぉん」の背中にも、可愛い羽がついている。



「瑞樹様、久しぶりだワン!」

 「ぐりふぉん」はそう言って僕を出迎えた。


「話は聞いてるワン。ついてくるといいワン」

 「ぐりふぉん」は先頭に立って、僕を和麻呂の部屋まで案内した。

 まあ、この家には小学生の頃から通っていて、僕は和麻呂の部屋がどこにあるか、知ってるんだけど。

 それでも「ぐりふぉん」は得意気に僕を案内する。

 本物の子犬みたいに、ちょこちょこ歩く「ぐりふぉん」が可愛い、って、そんなこと考えてる場合じゃない。



「和麻呂、いいか?」

 僕がそう言ってふすまを開けると、二十畳ほどの広い部屋の中には、和麻呂の他に、一人の女子がいた。

 僕にも面識があるその人は、和麻呂の彼女、萩原はぎわら園乃そののさんだ。


「瑞樹君、久しぶり」

 園乃そののさんは僕に笑顔で手を振った。


 園乃さんは、僕達より一学年上の高校三年生。

 ショートボブがよく似合う気が強そうな女子で、制服のブレザーを着ていなければ、大学生か社会人で通るかもしれない、大人っぽい人だ。


 前に、どこでこんな素敵な彼女を見つけたんだって訊いたら、「スマートフォンが見つけてきてくれた」って、和麻呂はそんなふうに言って誤魔化した。

 人当たりが悪い和麻呂が、どうしてこんな彼女を見つけられたのかは、本当に疑問だ。


「それじゃあ、私帰るね」

 僕が来ると、園乃さんはそう言って鞄を持った。

「瑞樹君、ゆっくりしてって」

 園乃さんは笑顔で言って、部屋を出て行く。



「ゴメン、なんか邪魔したみたいで」

 電話して押しかけたけど、和麻呂の都合とか、聞いてなかった。

 僕は花圃のことで焦っていて、そこまで気が回らなかったのだ。


「いいよ別に、園乃はちょっと寄っただけだから」

 和麻呂が言う。

 自分より年上なのに、和麻呂は園乃さんを呼び捨てにしていた。

 ちょっと寄っただけとか言うけど、そんなふうに気軽に家に寄ってくれる彼女がいるのが本当に羨ましい。



「それより、スマホ見せろよ。花圃ちゃんだっけ?」

 和麻呂が言った。

 そうだった。

 僕はボディバッグから花圃を出して、和麻呂に渡す。

「以下の口座に1000$が振り込まれるまで、私は動きません。口座番号××-××××××××」

 花圃は相変わらず、それを繰り返していた。



「『ダンス・エターナル』の楽曲データ入れてこうなったんだろ。野良アプリとかデータ入れるのは、やっぱこういうリスクがあるよな」

 和麻呂が訳知り顔で言った。

 僕をいびるみたいに大げさに溜息つくけど、僕はそれに言い返せない。


「人のこと言えるのか? お前だって、変なサイト踏みに行って、この前タブレット壊しただろう」

 和麻呂の肩に乗っているスマートフォンの「超子様」が言った。


 「超子様」は相変わらず、エナメルのボンデージファッションで、鞭を持っていて勇ましい。


「私達だって、どれだけ危ない危ない目にあってきたか」

 「超子様」はそう言って、肩の上から軽く和麻呂を蹴った。



 本当に、なんでこんなマニアックなスマートフォンを使ってる奴に、あんな素敵な彼女ができるんだ!


 花圃が大変なときなのに、僕はそんなことを考えた。


 和麻呂のもう一台のスマホ、「笑子さん」の方は、僕の花圃を心配そうに見てくれている。



「でもまあ、一回引っかかってみれば、勉強になっていいよな」

 和麻呂は、そう言うと、机の上のノートパソコンを開いた。


 ソフトを立ち上げて、コンビニのレジでバーコードを読むスキャナーみたいな機器をUSBでパソコンにつないで、その先端を花圃に当てる。


「一番手っ取り早いのは、前回充電したときまでのバックアップがある復元ポイントまで戻す方法だけど、それだと今日一日のデータが飛んじゃうから、診断ツール使ってウイルス除去出来るか調べてみる。簡単なウイルスだったら、消せるかもな」

 和麻呂はそう言いながらパソコンのキーを幾つか叩いた。

 スキャナーみたいな機器は青白い光を発して、花圃のお腹の辺りを照らす。


 ノートパソコンのディスプレイに、意味が分からない数字や単語が、滝のように流れていった。


「ロシア製の診断ソフトなんだ」

 和麻呂が言う。


 しばらく、その数字や単語を渋い顔で眺めていた和麻呂が、


「良かったな」


 僕に向かって言って、破顔した。


「簡単に直せるぞ。子供が作ったみたいな、単純なウイルスだ。10分もあれば、元に戻る」

 和麻呂が、スーパーハカーに見えた。


 でも、子供が作ったみたいなウイルスに引っかかる僕って……



 そのあと、青い光を10分浴びて、和麻呂がノートパソコンのエンターキーを押したら、「ポーン」と、花圃の起動音が聞こえた。

 初めて花圃の電源を入れたときに聞いた、あの音だ。


 和麻呂の机の上で、花圃がむっくりと起き上がる。

 朝起きるときのモーションで、目をこする仕草も見せた。


「ふぁーあ」

 花圃は、ご丁寧に、あくびまでした。



「花圃、僕のこと分かるか?」

 目を覚ました花圃に、僕は恐る恐る訊いてみる。


 花圃は、僕の顔を、じっと見た。

 見ていたのは実際、3秒ぐらいだったけど、僕には10分くらいに感じた。


「わ、分かるわよ! あんたの、ぱっとしない顔なんて、忘れるわけないじゃない!」

 そして花圃が言う。

 このツンデレ具合は花圃だ。

 間違いなく、僕のスマートフォン、花圃だ。

 花圃が、元に戻った。


「花圃! ゴメン」

 僕は、まず、謝った。

「僕が変なデータを入れたばっかりに……」

 僕は、和麻呂の前だってことも忘れて、花圃を頬にすりすりした。


「いいわよもう、ほら、痛いって!」

 花圃がくすぐったそうな顔をして言う。

 もちろん、花圃はスマートフォンなんだから、本当にくすぐったいわけじゃないのは分かってるけど、また、そんな花圃が見られることが、嬉しかった。


「まあ、今回は単純なウイルスで良かったよ。すぐにセキュリティアプリ入れておけよ。ああ、先に言っとけば良かったな。俺が使ってるやつ、教えてやるよ」

 和麻呂が言う。


 和麻呂が紹介してくれたアプリはちょっと高かったけど、僕は家に帰って真っ先にそれを花圃にインストールすることに決めた。

 そして、もう二度と変なサイトから、データ取ってきたりしない!



「よし、景気づけに、また三人で踊るわよ!」

 超子様が言って、笑子さんと花圃の三台が、机の上でまた「Party Make」の曲を踊り出した。

 その周りを、「ぐりふぉん」が駆け回る。



 三台のダンスはぴったりとシンクロしていた。

 和麻呂の二台には負けるけど、花圃もキレキレの動きだ。


 よかった。

 花圃は、完全に復活している。



 僕達がそうやって部屋で遊んでいたら、

「瑞樹君、ご飯食べていく?」

 部屋に、和麻呂の母親が来た。


 それで僕は、自分の母親を思い出す。

 家を出るときに、もうすぐご飯よ、と言っていた母親。

 僕はそれを振り切るみたいにして、ここに来た。


「いえ、母が怒ってると思いますので!」

 僕はお礼を言って、早々に和麻呂の家を後にする。


「私がウイルスに乗っ取られてる間に、お母さんから、何通もメール入ってるけど、読む?」

 胸ポケットの中から花圃が聞いた。


「いや、いい」

 内容は、花圃に読んでもらわなくても分かるし。

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