第14話 スケジュールを登録しよう

「はい、身だしなみチェックよ」

 花圃が言った。


 机の上で偉そうに腕組みして立つ花圃の前で、僕は、くるっと一回転してみせる。


「背中に、糸屑いとくずが一つ、ついてるわ。ほら、取ってあげるから」

 僕が背中を近づけると、花圃が糸屑を取って、埃を払った。

 振り向くと、ネクタイの曲がりも直してくれる。


「今度は、顔を見せて」

 花圃が言うから、僕は机の上の花圃に顔を近づけた。


「あんまり、ぱっとしない顔ね」

 それは自覚してるけど、改めて言われると、ちょっと傷つく。


「目やにもついてないし、眉毛も綺麗だし、歯も真っ白でつるつるだし」

 花圃は、僕の顔を覗き込んだり、唇を持ち上げて口の中まで観察した。


「よし、鼻毛一本、抜いておいてあげるわね。これで顔も合格!」

 花圃はそう言うなり、ぶち! って、鼻毛を一本抜く。

 痛くて、涙が出てきた。


「ハンカチと、ティッシュは持ったわね」

「うん、持った」

 ちゃんとブレザーのポケットに入っている。

 ハンカチはパンツのポケットにも、予備を入れた。


「よし、合格よ。これで彼女の前に立てば、清潔感がある男子として認識されるわ」

 花圃が太鼓判をす。


「ありがとう」

 顔がぱっとしないのは、変えようがないけど、せめて清潔感だけは保っていたい。



「それじゃあ、行ってくる!」

 僕は鞄を持って、急いで出掛けた。

 いつもより支度に時間をかけたから、時間ギリギリなのだ。

 これで小巻さんが乗ったいつもの電車に乗り遅れたとかなったら、最悪だ。

 僕は、ドアを勢いよく開けて、階段を降りようとする。


「ちょっとあんた! 一番大事な私を忘れてどうするのよ!」

 花圃が机の上で大きな声を出した。


「ごめん、ごめん」

 スマートフォンの花圃を忘れるなんて!


 花圃を胸ポケットに入れて、僕は駅に急ぐ。




      ◇



 ホームで緊張しながら待っていると、電車がゆっくりと滑り込んできた。


 いつもの車両のいつものドアのところに、小巻さんがいるのが見える。

 今日の小巻さんは、グレーのカーディガンに白いシャツで、チェックのミニスカートを穿いていた。

 小巻さんは、減速する電車の中から小さく手を振って、僕に合図する。

 僕も、電車の外から、軽く手を振って答えた。


 その行為だけで、僕は感動してしまう。


 僕に、こんな日が来るとは思わなかった。

 こんなの、ラノベとかアニメでしか見たことない。


 小巻さんは、ちゃんと手をカーディガンの裾に隠して着てるし。

 偶然だろうけど、僕の萌えポイントを押さえてるし。



 ドアの小巻さんのところに乗れるよう、僕は一番最後に車両に乗り込んだ。


「おはよう」

 小巻さんが、爽やかな声で言う。

「おはよう」

 僕は、噛まずに返せた。


 小巻さんはいつもの達観したような顔じゃなくて、弾けそうな、飛び切りの笑顔をしている。


「昨日は、突然電話してすみませんでした」

 僕はまず、謝った。

「ううん。こっちこそ、途中で用事が入ってごめんなさい」

 小巻さんが返してくれる。


「花圃ちゃんもおはよう」

 小巻さんが、胸ポケットの花圃に話し掛けた。

「おはようございます!」

 花圃は、ポケットから這い出して、僕の肩に止まる。

 小巻さんの前だと、花圃はツンデレを封印して、礼儀正しいスマートフォンでいるみたいだ。


 小巻さんのスマートフォンも、バックから出てきて、小巻さんの肩に止まった。


 栗色の髪をポニーテールにして、臙脂えんじ色のメイド服を着た、女性型のスマートフォン。

 このメイド服、この前もどこかで見たことがあるデザインだと思ったけど、どこで見たのか、やっぱり思い出せない。



「高橋さんのスマートフォンは、なんていう名前なんですか?」

 僕は訊いた(心の中では小巻さんって呼んでるけど、下の名前呼ぶのとか無理だから、高橋さんって呼んだ)。


「みーしゃ、っていうの」


「へえー」

 僕は、そう答える。

 でも、その名前で、なんか、昔の記憶がずるずると引っ張りだされた。

 子供の頃の想い出が、浮かんでくる。


 そしたら、メイド服のデザインに見覚えがある理由が解った。

 その名前に、このメイド服。

 これってやっぱり……


「もしかして、このスマホケースの衣装って、『魔法のメイド プリズムみーしゃ』ってアニメの衣装ですか?」

 僕は訊いた。

「えっ? 瑞樹君、『みーしゃ』知ってるの?」


「うん、知ってます」


「だって、すごくマイナーなアニメだよ。私の周りの女子でも、知ってる人とかいないのに」

 小巻さんは、びっくりして目を大きく見開いている。

 ぱっちりと開いた目が、また、可愛い。


「僕には姉がいるんですけど、その姉が好きで見てたんです。子供の頃は、姉には頭が上がらなくて、僕にテレビのチャンネル選択権なんてなかったから、姉が見てるのをそのまま見せられてて。それで、思い出しました」

 子供の頃は、って言ったけど、姉に頭が上がらないのは、今も同じだ。


「そうなんだ! でも、なんか嬉しい。あんまり人気なかったけど、私大好きだったの。だから、スマホの名前も『みーしゃ』にして、スマホケースもこれにしたの」

 小巻さんがそう言って、肩に乗せた「みーしゃ」に頬ずりした。


「このメイド服のスマホケース、私の手作りなんだよ」

 小巻さんが言う。


 小巻さん、裁縫とか出来るのか。


「まさか、『みーしゃ』の話が出来る人がいるとか、思わなかった」

 小巻さんが、そう言って、僕のブレザーの袖を掴んだ。

 一瞬だったけど、それだけで、僕は倒れそうになる。


「エンディングテーマとか、大好きで、姉とよく歌ってました」

 僕が言うと、


「瑞樹君、敬語は、やめよ」


 突然、小巻さんが言った。


「同級生なんだし。よそよそしいから、敬語はなしね」

 小巻さんがそう言って、首を振る。


「それじゃあ、やめま……やめる」


「それから、高橋さんっていうのもね。小巻って下の名前で呼んで」

 小巻さんが言う。


 敬語を止める。

 小巻って下の名前で呼ぶ。


 僕はこんな、難易度の高いタスクを、同時にこなさないといけないのか。


「うん、分かった。それじゃあ、小巻さんで」

 僕は、言ったけど、視線を合わすことが出来なかった。


「うん、瑞樹君」

 小巻さんが言う。


 そんなふうに話してたら、もうすぐ駅に着くとアナウンスが聞こえて、電車が速度を落とした。



「駅、着いちゃうね」

 小巻さんに言われて、初めて気付いた。

 まだ二駅くらいしか過ぎてないかと思ってたら、もう、僕の高校の最寄り駅だった。

 いつもは暇で、つまらない電車の移動時間が、あっという間に過ぎてしまう。

 小巻さんの学校はまだこの先だから、僕だけここで降りることになる。


「別に、このまま、乗って行ってもいいんだよ」

 小巻さんが、悪戯っぽく言った。


 本当に、そうしたいけど……



「それじゃあ、また明日」

 小巻さんが言う。

「うん、また明日」

 僕も言った。

 僕は、後ろ髪をがっつりとつかまれながら、電車を降りる。


 電車が走り出して、僕達はお互いに、手を振って別れた。

 僕は電車が行って小巻さんが見えなくなるまで、手を振る。


 また明日、ってことは、また明日もこうして一緒に登校してもいいってことだ。

 少なくとも、一度会ってもうごめんだ、ってことではないんだろう。

 また明日も、こうして登校できる!



 今起きたことが信じられなくて、僕はしばらくそのまま、ホームに立っていた。

 都会みたいに頻繁ひんぱんに電車はこないから、しばらく、ホームに人がまばらになって、僕は静かな駅のホームで、感動を噛みしめる。


 雲一つない真っ青な空に、小鳥の声も聞こえて、清々しい朝だ。



「おい、あれ、誰なんだ?」

 後ろから、誰かに肩を小突かれて、それで我に返る。

 声の主は和麻呂だった。

 和麻呂は、僕と小巻さんのことを遠くから見ていたらしい。


「すっごく、可愛い子だったぞ」

 和麻呂は、ニヤニヤと、いやらしい顔をしている。


 駅から学校までの道で、僕は和麻呂に、朝の出来事と、こうなるまでの経緯いきさつを話した。

 昨日、花圃が暴走して、それからトントン拍子にことが進んだ奇跡を。


「へえ、なるほどね。良かったじゃん」

 和麻呂は、僕の背中を叩いて言った。


「瑞樹にも、やっと彼女出来たかぁ。感慨深いなぁ」

 小学校からの付き合いの和麻呂が、自分のことのように感激してくれる。

 まあ、半分は興味本位なんだろうけど。


「まだ、彼女とかじゃないって」

 僕はその点を訂正する。


「まだ、ってことは、可能性があるってことだろ」

「一回電話して、今日の朝、初めて話しただけだし」

 まだ彼女とか論じる前に、そのスタート地点にも立っていない。


「よし、それなら、その人を瑞樹の彼女にしよう」

 和麻呂が僕に肩を組んで言った。


「えっ?」


「ダブルデートしようぜ。俺と、園乃そのの、そしてお前と、その子で」

 僕は、ダブルデートって、なにそれおいしいの? って表情をしていたと思う。


「無理無理、デートとか無理」


 今日の朝、初めて顔を合わせて話すってだけで、昨日の夜緊張してろくに眠れなかったし、朝も、大騒ぎだった。


「だって、お前、どうせ一人だとデートに誘えないだろ。このままだと、いつまでもデートなんて出来ないぞ。彼女になってもらうなんて、夢のまた夢だ」

 和麻呂が言う。


「それは……そうだけど」

 まったく、言い返せない。


「だったら、ダブルデートしよう。二人っきりじゃないから、彼女のほうも警戒しないよ。女子同士、ちゃんと園乃にケアもさせるし」

 和麻呂が言った。


 なんか和麻呂が、すごく大人に見える。

 偉そうだけど、女子の気持ちをちゃんと考えている。

 これが、彼女がいる奴の余裕か。


「すごくいい提案です。和麻呂様、よろしくお願いします」

 僕の代わりに花圃が頭を下げた。


「ああ、任せとけって。じゃあ、デートの行き先だけどな……」

 和麻呂と花圃が、僕抜きで相談を始める。


「来週も再来週も、スケジュールは真っ白です」

 花圃と和麻呂は日程まで詰めていた。


 花圃、来週も再来週もスケジュールが真っ白とか、そんなことばらさなくても……

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