第34話 焼き餅を焼かせよう
目的のマンション、403号室の玄関には、表札が出てなかった。
玄関周りに特に変わったところはなく、小巻さんが住んでいる形跡は見付けられない。
紺色のドアの脇にあるインターフォンのコンソールには、カメラが付いていた。
僕がインターフォンのボタンを押したら、中の小巻さんに、僕が来たってことが分かってしまう。
だから、もしかしたら小巻さんはドアを開けてくれないかもしれない。
このまま、ドアを開けてくれずに、追い返されるかもしれない。
少し迷って、だけどやっぱり、はっきりさせたいし、僕は、思い切ってインターフォンのボタンを押した。
ピンポーン
と、ドアの奥でチャイムの音が聞こえる。
「はい」
小巻さんの声が聞こえた。
スピーカー越しのくぐもった声だけど、確かに小巻さんだ。
「僕です。瑞樹です」
僕は、名乗ってみた。
でももう、小巻さんはカメラの映像で、見てるはずだ。
さっき、ばったりと出くわしてタクシーで逃げたのに、なんでこの場所知ってるのって、小巻さんは不審に思ってるかもしれない。
しばらく、そのままで沈黙が続いた。
それは、十秒ちょっとのことだったけど、僕には十分にも、二十分にも感じる。
「うちの花圃が、この部屋の中に紛れ込んじゃったみたいなんだけど……」
沈黙が不安になって、僕はインターフォンのマイクに向かって、そう言ってみた。
もちろん、紛れ込んだんじゃなくて、花圃が小巻さんのバックにへばりついて無理矢理侵入したのは、分かっている。
言ったあとも、しばらく反応はなかった。
そのまま、沈黙が続く。
そのまま立ち尽くしていたら、ドアの奥に人の気配がした。
ドアチェーンを外す音が聞こえて、ロックが外される。
ドアが、少しだけ開いた。
「入って」
ドアの奥から顔を出した小巻さんが言った。
白のTシャツに、紺のキュロットパンツで、完全に部屋着になっていた小巻さん。
小巻さんは目を伏せて、僕と視線を合わさないようにしている。
「いいの?」
僕が訊くと、小巻さんが黙って頷いた。
「それじゃあ、おじゃまします」
僕は、小巻さんのマンションの玄関に入る。
「久しぶり」
玄関で立ったまま僕が言うと、小巻さんは、
「うん」
と、頷いた。
見ると小巻さんの肩に、花圃がちゃっかりと乗っている。
まるで小巻さんのスマートフォンだったみたいに、そこを定位置にして堂々と座っていた。
花圃は、してやったり、みたいな顔をしている。
私、よくやったでしょ? とでも言いたげな表情で、僕を見た。
「上がって」
小巻さんが言う。
「うん」
と、僕は靴を脱いだ。
「母は、まだ仕事で帰ってないから。今、私、一人だから」
小巻さんが言った。
まずい、小巻さん一人の部屋に、上がり込んでしまった。
今、この部屋の中には、小巻さんと僕、二人っきりってことだ。
マンションの中の間取りは、2LDKだった。
室内には物があまりなくて片付いている。
廊下には、開封していない段ボール箱がいくつか積んであった。
また、いつ引っ越ししてもいいように、必要な物以外、出さないってことなんだろうか。
小巻さんは僕をリビングに導いて、テーブルの前に座布団を敷く。
そして、「どうぞ」と、僕を座らせた。
小巻さんが僕の対面に正座する。
「ごめんなさい」
小巻さんは、僕に一方的に謝った。
「突然、消えたりして、ごめんなさい」
小巻さんは、正座したまま、顔が
「ううん、やめて。顔を上げて、お願い」
僕は小巻さんに頼んだ。
小巻さんと会ったら、言いたいことを色々考えてたのに、こんなふうに謝られたら、それが吹っ飛んでしまった。
小巻さんに謝られて悲しい顔をされたら、こっちが苦しくなる。
「小巻さんに事情があったことは、分かってるから」
僕は、花圃のプロテクトを解いて、小巻さんの事情を知ってしまったことを話した。
小巻さんのお母さんの再婚相手がストーカーみたいになって、小巻さんはお母さんと二人で逃げてたこと、僕は知ってるって、話す。
「そんなことをして、小巻さんのこと、勝手に調べちゃったんだから、僕のほうが謝らないといけないし」
僕が頭を下げると、小巻さんは「ううん」と、首を振る。
「ほら、二人で謝り合ってないで、ちゃんと話しなさい」
小巻さんの肩の上の花圃が、偉そうに言った。
「それで、突然、いなくなったのはどうして?」
僕が訊く。
過去のことは花圃のプロテクトを解いて分かったけど、今回、小巻さんが消えた原因は、まだ知らない。
「うん、その、お母さんの元再婚相手から、また、連絡があったの。その代理人って人から連絡があって、会いたいって言ってきたらしいの。だから、こっちの住所が知られてるって思って、私達、急いで逃げたの」
小巻さんが、悲しそうな顔で答えた。
「代理人って、弁護士の人? だったら……」
無茶なことはしない筈だ。
「うん、でも、今までも、騙されたから……弁護士通して話すってことだったのに、いきなり本人が出てくるとか。だから、それも信じられなくて……」
小巻さんが、
そんなことまでする奴だったのか……
「だから、瑞樹君に話したら、瑞樹君やご家族、それに、和麻呂君や園乃さんも巻き込んじゃうと思って、黙って消えたの。本当にごめんなさい」
小巻さんが、もう一度頭を下げる。
やっぱり、そういうことがあったのか。
小巻さんが消えたのは、僕や、僕の周りの人を思ってのことだったんだ。
そうだとは思ってたけど、本人の口からそれを訊いて、ほっとする。
「それで、瑞樹君は、なんで私の居場所が分かったの?」
今度は、小巻さんのほうから僕に訊いた。
「姉が、ハンドルネーム『黒板消し』だったんだよ」
僕は答える。
「えっ?」
小巻さんが目を丸くした。
「小巻さんがプリズムみーしゃのファンサイトでやりとりしてた『黒板消し』は、僕の姉だったんだ。だから、オフ会に小巻さん来るのが分かってて、待ち伏せしてた」
「そんな……」
すると突然、小巻さんが笑い出した。
最初、控えめに笑っていたのが、声を上げて笑う。
「笑ったりして、ごめんね。でも、こんな偶然……」
今まで悲しげな顔をしていた小巻さんが、目に涙を溜めて言った。
確かに、そんなところから繋がるなんて、笑っちゃうくらいの話だ。
僕と付き合う前から、姉と小巻さんは掲示板を通して知り合いだったんだし。
「こんな偶然、世間って狭いよね」
笑いながら小巻さんが言う。
小巻さんの笑顔を見ながら、やっぱり、小巻さんにはこうやって笑ってもらってたほうがいいって思った。
「でも、偶然に思えるけど、僕達が親しくなったのは、プリズムみーしゃが切っ掛けだったし、この再会は、必然だったのかもしれないよ」
僕が言うと、小巻さんは頷いた。
花圃も、小巻さんの肩の上で頷いている。
運命とか言ったら笑われるかもしれないけど、僕が子供の頃、姉に無理矢理プリズムみーしゃを見せられてたのも、こうやって二人が再会するための準備だったなら、それは運命だ。
「それで、これからのことなんだけど……」
僕が言うと、小巻さんは「うん」って頷いて、笑顔から真顔に戻った。
「小巻さんが僕の前から消えたのは、そのストーカーのせいで、僕が嫌いになったわけじゃないんだよね」
僕の言葉に、小巻さんは力強く頷く。
「だったら……」
「だったら、前みたいに、また付き合ってください」
僕の口から、そんな言葉がすらすらと出た。
前は、中々言えなかった告白の言葉が、普通に言える。
「だけど……瑞樹君達を、私のことに巻き込んじゃうかもしれないし」
小巻さんが表情を曇らせたまま言った。
「今度そいつが、小巻さんとかお母さんにちょっかい出してきても、僕が追っ払うし」
「でも……ご家族とか、周りの人に……」
「大丈夫。僕の周りの人は、僕よりもずっと強い人達だから」
姉や和麻呂を見るまでもなく、僕の家族や周囲の人は、みんな
その中だったら、僕が一番、弱々しいのだ(自慢するところじゃないけど)。
「それに、私、何も言わずに消えたりしたのに、そんな私でもいいの?」
小巻さんが訊く。
「小巻さんじゃないとダメ」
普段なら絶対に言えないようなセリフが、言えてしまった。
「ありがとう」
小巻さんが、ほっぺたを真っ赤にして僕を見る。
あんなセリフを言ったから、僕のほっぺたも真っ赤になっていた。
「園乃さんも、和麻呂も、小巻さんと一緒に海行くの、楽しみにしてるから」
「うん。私も、楽しみ」
そこで、小巻さんの本当の笑顔が見られた。
「なによもう、二人で盛り上がらないでよ」
花圃が、スマートフォンのくせに、僕達に焼き餅を焼いている。
ほっぺたを膨らませて、ぷいって横を向いた。
焼き餅まで焼いてみせるなんて、やっぱりスマートフォンは、すごい。
「二人が下の車の中で待ってるんだけど、呼んでもいいかな?」
僕が訊くと、小巻さんが頷いた。
「もう、すでに呼んでありますよ」
和麻呂から借りて持っていた、スマートフォンの笑子さんが言う。
まもなくして、この部屋のチャイムが鳴らされた。
やっぱり、スマートフォンってすごい。
僕のスマートフォンが有能すぎる 藤原マキシ @kazz
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