第22話 ダブルス

 お弁当を食べ終え、食後の休憩でまったりする事暫し。身体中が草や土で汚れた健介が律儀に帰ってきた。

 その手には、しっかりとスマホを握っていている。


「あ、あのな。いくらなんでも、あれはやり過ぎじゃないか? 草がクッションになったのか、運良く無事だったけどさ」

「いや、俺はその場で叩き壊されなかっただけ、優しいと思うんだが」

「……一応、河に落ちないようにはした。あと、壊れないように減速も……」

「ん? ユキ、何か言った?」


 ユキが何か呟いた気もしたのだが、尋ねても首を横に振る。

 まぁいいか。一先ず、俺は健介に小さなビニール袋を差し出す。


「何これ? こんな小さなパンとクッキーで、俺の怒りが収まるとでも思ったのか!?」

「いや、怒りって。俺は自業自得だと思うんだが……で、それは一旦帰った里菜が立ち寄って、健介にって。きっとお腹が空くだろうからって」

「ま、マジで!? ありがとう! 流石、里菜ちゃん! 大好きだぁーっ!」

「えーっと、あとユキへのコーチよろしくって」

「おうっ! 任せとけっ! 元双海中学のスピードスターが前衛のポジショニングをマスターさせてやるぜっ!」


 いや、それを大声で叫ぶのはやめてくれよ。いつもは貸し切り状態のコートだけど、土曜日だからか先程四人組みのおっちゃん達が来たしさ。

 と、モグモグコクンとあっという間に里菜の差し入れを胃へ収め、


「よしっ! じゃあ、早速練習だっ! 愛の力で燃えるぜっ!」


 健介が颯爽とテニスコートへ駆けて行く。

 いや単純というか、幸せそうだなぁ。そんな事を考えながら、健介のネットプレイ講座ダブルス編の手伝いを始めた。


……


「という訳で、以上でオレの教えは終わりだ。忘れちゃいけないのは、相手の打った球のコースで、自分の後衛の位置を想像する事。そして、それに合わせてポジションを細かく変える事」

「へぇー、なるほどねぇ。いや、兄ちゃん凄ーな。分かり易かったよ。硬式テニスにも活かせそうだな」


 三十台半ば頃だろうか。精悍な顔つきのおっちゃんが、健介の説明にうんうんと頷いている。

 というのも、ポジショニングの練習をするにあたり、ダブルスの試合形式にする必要があったので、隣のコートで硬式テニスをしていたおっちゃんたちに手伝ってもらったのだ。

 始めは半笑いで立っていたおっちゃんたちも、途中からは全員が健介の説明を聞きにくるほどの盛況ぶりだったのだが……決して、ユキのスコート姿を近くで見たいという、不埒な目的ではないと信じたい。


「それにしても、お嬢ちゃん。良かったな、こんなに凄いコーチが居て。飲み込みも早かったしな」

「そうですねー。動きはかなり良かったので、後はローボレーの練習ですかねー」

「ローボレーかぁ。ソフトテニスはやった事が無いからわからんが、硬式では難しいんだよなぁ。俺たちも苦手だしな。でも、お嬢ちゃんはまだ小学生だろ? これからドンドン頑張ってくれよな」

「ありがとうございましたー」


 疲れたからか、おっちゃんたちが去っていく。

 先週末は見なかったけど、彼らはまた来週も来るのだろうか。せっかくだから、また手伝って貰うのも良いかもしれない。

 そんな事を考えていると、ずっと無言だったユキがフルフルと震えていて、


「誰が、小学生よーっ! ウチは中学五年生よっ!」

「中学五年生? えっ、どういう事?」


 大声で叫んだユキの言葉に健介が喰いついてしまう。

 そう言えば、健介にはユキの事をちゃんと紹介してなかったか。けど、健介にとっては里菜の友達というだけで、レクチャーする相手としては十分だったのかもしれないが。


「えーっと、この前はちゃんと紹介出来なかったけど、ユキはソフトテニスをするために、うちにホームステイしてるんだ。もちろん外国育ちだから、学校制度がちょっと違っててね」

「へー、凄いね。じゃあ、その金髪は地毛だったんだ……って、ホームステイ!? じゃあ、瑞穂と同じ家に住んでるのかっ!?」

「ま、まぁそうだけど」

「はっはーん。つまり、アレか。お前が休学してるのは、その子の為か。俺より先に彼女を作りやがって! おめでとうっ! だから里菜さんを僕に下さい、お義兄様」


――ぶっ


 か、彼女って。

 いや、俺はあくまで人助けとしてやっているわけであって、別に変な下心とか感情があるわけでもなくてだな。でも、何も感情が無いかって言われるとどうなんだろうか。

 ちらっとユキを見てみると、同じタイミングでユキも俺を見上げていて、目と目が合ってしまって……うわぁぁぁ。

 その瞬間、顔を真っ赤にしたユキが、ぎゅっと拳を握って、腰をひねり、


「ストーップ! ちょっと待ったぁ!」


 突然、健介が大声を上げる。

 大きな声とは裏腹に、頭を抱えて小さくなる健介が恐る恐るユキを見上げ、


「あ、白……違う、違う。ごめんなさい、本当に」

「な、何!? 何なのよっ!?」


 先程のスマホ越しではなく、直でスコートの中を覗かれたユキが俺の後ろに隠れだす。

 俺の両腕がギュッと掴まれ、ちょっとドキドキしてしまっていると、


「いや、だってまたオレを吹き飛ばそうとしてたろ? 前みたいに」

「よく覚えてたな。そんな事」

「覚えてるよっ! 気付いたら誰も居ないし、真っ暗だし、泣きそうだったんだからな」

「あ、そっか。健介だから大丈夫だろって、帰ったんだ。ごめん」


 怯えた様子の健介を見て、流石に罪悪感が生まれてしまった。


「いや、まぁそれは別に良いんだよ。ただ、それがトラウマでユキちゃんに聞きたい事が聞けて無かったんだけどさ」

「な、何? 変な事には答えないわよ?」

「そのさ。頭から生えてるのは何? 角? 試合中もだけど、時々ニョキって出てきたり、引っ込んだりしてるよね?」


 うわ……健介に見つかってたよ。

 どうしよう。一緒に生活してても、母さんや里菜が気にしないのか、何も言ってこないから大丈夫って過信してたけど甘過ぎた。

 確か、緊張したり警戒したりすると、うさみみが立つんだっけ。試合をすれば緊張もするし、健介が居れば警戒もするよな。

 頭をフル回転させて言い訳を考えていたのだが、


「あ、これ? うさみみだよ?」


 思いつく前にユキが口を開く。

 正直に言っちゃったよ! どうする!? 口封じ!? いや、そんなの出来ないし。何か口止めの約束をさせないと。


「なんだ、うさみみか。瑞穂、そういう趣味を出すのは二人だけの時にしとけって。あ、まさか里菜ちゃんにまで見せてないだろうな!? 里菜ちゃんは、純真無垢でそんなプレイに影響させちゃダメなんだからなっ!」

「ちょっと! プレイって一体どういう……」

「そ、そうなんだ! 俺の趣味でさ。いやー、彼女にうさみみ着けてもらうのが夢だったんだ。あははは」

「うさみみかぁ。うさみみも良いけど、ねこみみも捨てがたいけどな。あと、メイド服。オレとしては、ねこみみとメイド服の組合せは鉄板だと思うんだ」


 ほんの数秒前に、里菜へ変な影響を与えるなと言ったのは、どこの誰だろうか。


「じゃあ、オレもそろそろ帰るよ。里菜ちゃんに差し入れありがとうって伝えておいてくれ」

「こっちこそ助かったよ。ありがとうな」

「オレと瑞穂の仲だろ? 気にするなって。それより初めて彼女が出来て嬉しいのは分かるけど、あんまり変な事するんじゃないぞー」


 いやだから彼女じゃないって。親戚の叔父さんみたいな事を言いながら、健介が帰って行く。

 まぁ何はともあれ、俺の趣味でユキにうさみみを着けさせたという話に落ち着いて良かった。

 いつもの様に、二人きりとなったテニスコートで安堵していると、


「あ、あのさ。ウチは瑞穂の彼女なの?」

「えっ!? それは、うさみみの事を誤魔化す為と言うか、何と言うか」

「……何? 何なの?」


 ユキがもの凄いジト目で俺を睨みつけている。

 これは、どっちだ? 彼女と言われて怒っている? それとも照れている?

 わっかんねぇ! 十六年間、恋だの愛だのになんて関わって来なかったから、サッパリだ。だいたい、今この話がテニスに関係するか? しないよな?


「って、そうだ。テニスだ! ユキ、明日からユキの家に行こう! 急過ぎるなら、明後日でも良いけどさ。お母さんに了承貰える?」

「へっ!? そ、それって、どういう事!? まだウチと瑞穂で何もしてないのに、いきなりママに挨拶……」

「今日のユキを見てて思ったんだけど、基礎的な動きは十分出来ているから、大会までの残りの二週間は現地で――ウォククの暑い環境に慣れた方が良いと思うんだ」

「あー、環境ね。うん、環境かぁ。ふーん」

「あれ? 俺、何か間違えた?」

「別にー」


 ユキがぷいっと背中を向けてしまった。

 今、一番重要なのは、どうやってユキを大会で優勝させるか……だよね?

 日本国内の大会なら全く歯が立たないけど、テニスが普及していないユキの国でなら、まだ可能性があると思うんだけど。


「って、ウチの家に来るのは良いとして、まだペアも見つかってないよ? あっちで見つけるの?」

「へっ!? ここに居るだろ?」

「どこに?」

「いや、だから俺だって。休学してまでユキと練習してるんだからさ。優勝して、ミコちゃんを自由にしてあげようぜ」

「えっ!? 瑞穂が? ウチと?」


 振り返ったユキが、キョトンとした顔で惚けたように俺を見つめてくる。


「あれ? 言ってなかったっけ? だから、俺がユキを優勝させるからさ。一緒に……うわっ!」

「もっと早く言いなさいよっ! ばかぁっ!」


 言葉途中で、ユキが抱きついてきた。

 怒っているのか、泣いているのか、でも抱きついているくらいなのだから、嫌われてはいないのか。ユキが震える声を上げながら、俺の胸に顔を埋めてくる。

 俺の胸元で、耳まで真っ赤にしている小さなユキを見ながら、やっぱり女心は難しいと思ったのだった。

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